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ウィル様作成の地図(1905年版)

 外伝 1906年

 イギリス人にとって、オーストラリアとニュージーランドは記憶から消し去りたい場所だろう。

 広大な土地を最初は流刑囚に開拓を行わせ、その後は移住者を送り込んで開発を行ってきた。

 しかし、アボリジニの神の報復と思われる襲撃が相次ぎ、遂にはオーストラリアを放棄するまで追い込まれた。

 それだけは無い。緊急避難でオーストラリアからニュージーランドに逃げ込んだが、そのニュージーランドまで往来できなくなった。

 鯨の神の使いと噂される『白鯨』の為だ。この『白鯨』によって民間船ばかりか、軍艦までも襲撃されて沈没するという事態に陥った。

 海が駄目なら空からと考えて飛行船を送り込んだが、これも現地に到着する事無く消息を絶っていた。

 こうなると、現時点で打てる手は無い。

 こうして、非常に不本意ながらもオーストラリアとニュージーランドは、イギリス本国から見捨てられた。

 オーストラリアとニュージーランドの入植者が先住民を騙したり、民族浄化を試みていた事が新聞報道で明らかにされると、

 見捨てたという罪悪感も次第に薄れていった。

 その後も『白鯨』が頻繁に目撃されると、近づく者も減っていき、この頃になると話題にさえ上らない事が多くなっていた。

 だが、そのオーストラリアとニュージーランドでは、アボリジニとマオリ族の街が建設されて平和に運営されていた。

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 アボリジニが最初に陣内に保護されたのは1890年、今から十六年前の事だ。

 狩猟民族である彼らは、最初は狩猟生活を放棄して文明に馴染む事を拒否する人間も多かった。

 しかし、文明に馴染まなければ滅びるだけと少しずつ勉強を行い、農業や工業に徐々に慣れていった。

 安全で衛生的な生活を保障された彼らの生活は激変していた。子供が多く生まれて、人口構成はピラミッド型になっている。

 それでもまだ全体の人口は少なくて、欧米に対抗する国家建設は無理だ。

 彼らの生活を脅かす入植者がいない現在、将来の問題を抱えながらも彼らは平和に過ごしていた。

 とは言え、アボリジニの指導者は胡坐をかいて、何もしないという訳にもいかない。今後の事に対する協議を行っていた。


「我々の街は十二箇所にまで増えている。陣内殿の支援も順調だし、病気に罹る子供も激減している。

 あと二十年も経てば、当初の人口の三倍まで増やせるな」

「多産を奨励して、人口増加政策を採っていますからね。食糧生産も順調で、貯蔵庫も満杯に近い。

 万が一の不作の時の準備も大丈夫だし、余剰分を陣内殿に引き取って貰った方が良いでしょうね」

「そうだな。街を建設してくれたのも陣内殿だし、今でも守ってくれるのもそうだ。色々な交換用部品や医薬品の補給もある。

 地下資源だけで無く食料も提供できれば、恩返しも出来る。何時までも陣内殿の世話になるのも心苦しい」

「次の補給が入るのは五日後ですね。その時に正式に話す事にしましょう。

 それはそうと、ニュージーランドの方に我々が介入しなくても良いんですか?」

「あそこはマオリ族のテリトリーだ。既に入植者を下して、全島の支配権を取り戻した。しばらくは彼らの好きにさせておこう。

 我々からの武器弾薬や医薬品の補給は継続する。そこは間違い無いようにしてくれ」

「マオリ族は嘗ての入植者を酷く扱っていますが、放置しておくのですか?」

「先祖を含めた自分達の因果だろう。こちらが気にする事は無い。

 二十年後に入植者が何人生き残っているかは分からんが、それを気にする欧米の奴らは皆無だ。

 この海域の封鎖が継続される以上、無用な心配に過ぎん」

「マオリ族が奴隷労働者として扱っている以前の入植者には、此処から逃げ出した奴らも多い。

 我々が奴らに報復する為にも、マオリ族に返還要求を出すべきでは無いか?」

「そうなると、我々がこの地で生活しているのが知られてしまう。そうなると彼らの反骨精神が出てくる危険性もあるからな。

 確かに報復したい気持ちはあるが、過去に囚われ過ぎると自滅する。関わらないのが一番だよ」


 二十年単位で考えれば人口は増えるが、元が少なければ増える絶対数も少ない。

 直ぐに欧米に対抗できる国家が建国できる訳も無く、現地の指導者には地道な努力が求められていた。

 北米大陸のインディアンも同じようなものだ。徐々に街を増やして、同時に人口も増えている。

 こうして長期計画に基づいた行動が、実を結ぼうとしていた。


 尚、天照基地の消滅時に大型輸送機は失われていたが、輸送潜水艦を使った物資輸送に切り替えていたので問題は発生していない。

 インディアンも同じだ。天照基地の消滅は大きな衝撃を齎していたが、それも努力によってカバーされていた。

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 出雲議定書が締結される前に、ベトナムは独立を達成していた。出雲議定書は追認に過ぎなかった。

 そのベトナムには淡月光のアジア向け主力工場が運営されていた事で、経済面では北部が南部より発達していた。

 その淡月光のベトナム工場はフランス軍によって戦時中は閉鎖されていたが、昨年に操業を再開していた。

 独立派による政府の樹立も順調に進んでおり、日本の保護国になる事も了承している。

 ベトナムは豊かな農地を持ち、地下資源も比較的豊富だ。その為に、食料供給元と資源供給元としての日本の期待も高い。

 清国からの賠償金の一部をベトナムの開発に回して、ゆっくりとベトナムの近代化が進められていた。


 カンボジアも似たようなものだ。

 タイ王国とベトナムに挟まれて過去の経緯からの感情的なしこりはあるが、日本の保護国になる事で一線は守る事ができる。

 こちらは主に農業立国として開発が進められる。まずは国民の生活レベルを上げる事を重点に、開発が進められていた。

 イギリスの支配下にあるビルマやマレーシアなどの近隣諸国は、ベトナムやカンボジアの様子を羨望の視線で見つめていた。

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 清国は出雲議定書で大幅に領土を削られ、さらに以前の北京議定書で定められた賠償金の支払いも終わらないうちに、

 新たな賠償金の責務を課せられた。支配する領土が減った為に税収は激減したが、賠償金の支払い義務は変わらない。

 その為に国民には重税が圧し掛かり、現金収入の手段は食料と資源の売却しか残されていなかった。

 『東アジア紀行』などで悪評が立ち、各国から強制送還されてくる住民も多い為に、海外からの送金も減少の一途を辿っている。

 農地は多かったので食料不足の事態には陥らなかったが、重税の為に住民の生活は悪化する一方だった。

 義和団の乱の後から民心は清王朝から離れており、そこに革命を望む空気が醸成されつつある。

 生き残っている各地の財閥は清王朝に見切りをつけて、革命を考えている組織に接触を開始していた。その中には孫文も含まれていた。


 『器』という表現がある。人であれば生来の資質によって原型が作られ、様々な経験によって大きくなる。

 器が小さい人間は目先の事や表面的な事しか見えない為に、様々な失敗を犯す事が多い。

 それは国家にも言える事だ。構成する人材によって、その国家の『器』が形成される。

 清国の場合、現時点での諸外国からの『器』の評価は、はっきり言って低い。だが、今後はどうなるかは、まだ誰も分からなかった。


 余談だが、イギリスとアメリカ、ドイツの占領地の住民の生活は、清国の住民に比べれば良い方だと言える。

 列強は義和団の乱の時の住民の抵抗の熾烈さを覚えており、その教訓を生かして搾取のレベルを緩めていた。

 この結果、清国より列強に支配された方が生活レベルは良いという、奇妙な状態が発生していた。


 ロシアが支配する満州は、清国からの移住を認めていない。逆に満州を追い出される住民の数は多かった。

 こうして清国の国民の不満は危険域に達しており、革命の発生する下地は形成されつつあった。

 清国は何度も日本に支援を要請したが、清国の内陸部へ進出しないと宣言した為に実現する事は無かった。


 福建省と浙江省(杭州以南)は、不思議と平穏を保っていた。不割譲宣言により日本の領分と思われた為に、列強の進出は無い。

 イギリスとアメリカの支配地に挟まれた為、首都の北京と切り離された事も大きく影響している。

 税の徴収は行われているが、それは中央には送られずに地方の有力者の懐に入っている。

 それでも中央の影響が及ぶ地域ほどの重税は掛けられず、住民の生活は比較的に安定していた。


 尚、雲南共和国やチベット・モンゴルから満州族は完全に追放されていたが、まだ漢民族は残っている。

 その彼らの人口は多いが、一番多い民族では無い。他の少数民族を優遇した反面、そのしわ寄せは漢民族に行った。

 その為、イギリスの支配地や清王朝が支配する四川省や陝西省へ、逃げ出す漢民族も増えていた。

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 現在の大韓帝国と国交を結んでいる国は極めて少ない。

 ロシアに併合された時に、今まで国交があった国との関係は全て途絶えた。併合の為に国家が無くなったので、当然の事だ。

 そして出雲議定書によって国家が復活しても、国交を回復した国の数は少なかった。

 国境を接するロシアと東方ユダヤ共和国は、大韓帝国と国交を結んでいる。(但し、経済交流は皆無)

 以前に国交があった国でも、今の大韓帝国と国交を結ぶメリットがあると判断した国は少ない。

 地下資源はあまり無く、衛生環境の問題やインフラが整っていない等の問題が多い為だ。領土が減少した事も大きく影響している。

 大韓帝国を名乗るようになっても状況は変わらない。寧ろ、各国の外交官から「あれで帝国を名乗るのか」と陰口を叩かれた程だ。

 しきりに日本に経済支援を要請していたが、日本は国交を結んでいない事を理由に交渉の土台に乗る事さえ無かった。


 東方ユダヤ共和国に占領された地の住民は全員が平安道に送還され、ロシアが所有していた奴隷も全員が戻ってきている。

 これも自尊心が高い彼らに配慮した結果だ。他民族に支配されるより、同じ民族の支配を望むだろうからと発表されていた。

 人口は多いが障害者も多くて、労働人口の比率は低い。この為に食料生産量は上がらず、国土全域に飢餓が蔓延していた。

 ロシア帝国や東方ユダヤ共和国との関係は悪く、国境は完全に封鎖されて交流はまったく無い。経済が好転する要素は皆無だ。

 大韓帝国の第26代国王高宗に出来たのは、狭い領土に反比例して多い人口を減らす事だった。

 李氏朝鮮の時代から地域差別が盛んであり、特に東方ユダヤ共和国に奪われた地の住民は差別的な扱いを受けていた。

 その地域の住民の強制出稼ぎ先は、清国の支配地を維持する為に兵力を派遣しているアメリカとドイツが見込まれていた。

 こうして、アメリカとドイツの兵士の不満を解消させる為、大韓帝国から多数の若い女性が現地に送り込まれていった。

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 李承晩は大韓帝国の隠れ独立派の高官によって、アメリカに支援を求める為に派遣された。

 しかし祖国がロシアに合併された為に、交渉する根拠を失った。出雲議定書によって、ロシアから独立しても状況は変わらない。

 三十代の李承晩はアメリカの大学に在籍して、様々な事を学ぶ一方で人脈を作り、日本人とユダヤ人を非難する活動を行っていた。

 公然と日本人とユダヤ人を非難したので、アメリカ社会のユダヤ人組織に目を付けられて、様々な妨害工作があった。

 以前からの日本の工作もあって『東アジア紀行』や『朝鮮紀行』が世界各国に出回り、各国の図書館に置かれている。

 その為に、李承晩のロビー活動に共感する人間は殆ど居らず、逆にアメリカ人から軽蔑の視線で見つめられる事も多かった。

 屈辱を感じた李承晩は、ある秘密の趣味にも嵌っていた。それらの理由の為か、大学の成績は落第寸前の「C」だった。


 言い換えると、李承晩のロビー活動は成功はしなかったが、アメリカ人の注目を集めていた。

 そしてアメリカの転生者であるエドウィン・バルナートが、李承晩に目を付けて秘かに接触していた。

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 1903年に環ロシア大戦で日本が騒然としていた時に、当時十四歳だった某少年が婦女暴行未遂事件を起こして隔離されていた。

 この少年は以前の言動から陽炎機関にマークされていたが、本人は気付いてはいなかった。

 自分より年下の女の子を人気の無いところに強引に連れ込んだが、女の子の悲鳴に気がついた監視員によって拘束された。

 少年の行動は親に知られる事になり、今までの経緯もあって、激怒した親から勘当を言い渡された。

 この時代に少年法は存在していない。十四歳だからと言って、恥ずべき行為をした少年の人権は配慮されなかった。

 少年の取調べには、催眠術や古来から伝わる自白剤が使われた。

 そして少年の過去が判明してハーレム願望を持っていると分かった為、危険人物として陽炎機関が離島に少年を隔離した。

 そこでは少年の心魂を叩き直す為の厳しい教育が行われていたが、それは成果を上げてはいなかった。

 その日、厳しい修行で疲れた身体を休めている少年は、険しい表情で考え込んでいた。


(こんな無駄な事をして、日本人は馬鹿揃いか!? 俺は凄腕の技術者で頭脳労働者なんだぞ!

 身体の鍛錬をしても意味が無いのを、何度言っても分かろうとしない! 何が精神修養だ! そんな物は俺には不要だ!

 それに女に乱暴しようとしたぐらいで、こんな仕打ちは無いだろう! 俺に抱かれる事を喜ぶべきだ!

 それにしても俺が転生者だと知った奴らの表情は、変わらなかった。やはり、日本の上層部には転生者が居るんだろうな。

 こんな事をして、俺が考えを変えるとでも思っているのか? それとも優秀な俺に嫉妬しているのか?

 日本人は昔から優秀な俺達に嫉妬していたからな。この時代も同じだと言う事か!

 こんな生活をしていたんじゃ日本人女のハーレムなんて無理だし、身体を壊してしまう!

 何時かは隙を見つけて、絶対に逃げ出してやる! そして日本人達に復讐してやる!)


 人間は幼少の頃に教え込まれた価値観を覆すのは、容易な事では無い。その少年も転生前に身に付いた価値観は変わらない。

 同世代だけでなく、目上の人間まで見下した言動を繰り返した結果、彼は周囲から避けられて冷淡に扱われていた。

 日本人の両親から生まれたが、転生前の記憶があるので自分を日本人だとは思って無い。

 その果てが、か弱い年下の女の子への婦女暴行未遂事件だった。

 罰として厳しい修行をさせられているが、その少年の心の壁を崩す事は無かった。

 そして自らの願望を実現させようと、少年は脱獄を考えていた。その少年の名は鳩管民○と言った。

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 今回の『環ロシア大戦』で長年に渡って苦しんできたロシアに勝利した事で、イラン王国の住民は歓喜に沸いていた。

 直接的に領土が増えた訳では無いが、トルクメニスタンとアゼルバイジャンを保護国として自国の勢力下に取り戻した。

 賠償金も入ってきており、その大半は『中東横断鉄道』の建設費に回される事が決定している。

 イギリスが持っていた国内権益は、日本が交渉で取り戻してくれた。

 国内の油田開発も順調に進み出していた事もあり、国民の多くは生活レベルの改善を実感していた。

 そして王宮では今後の対応について、大臣を交えた協議が行われていた。


「あのロシアに勝った意味は大きい。日本のお陰でイギリスから権益が戻って来た事もあるし、国民は自信を取り戻しつつある。

 日本経由で賠償金が入り、国内の経済も順調に発展している。これで『中東横断鉄道』が完成すれば景気の起爆剤になる」

「ああ。綱渡りの面もあったが、【出雲】に領土を渡して支援を引き出した結果がこれだ。

 前王朝の決断を褒めなくてはな。ケシム島とラーラク島に【出雲】が海軍基地を建設したお陰で、海軍整備は手を抜ける。

 我々は陸軍の整備と維持に専念していれば良いんだからな」

「トルクメニスタンとアゼルバイジャンは、我が国の保護国だ。あまり産業は発達していないが、それでもロシアとの緩衝帯に出来る。

 特にアゼルバイジャンは三年後にバクー油田の販売益が見込めるし、独立できて大喜びだ。

 ある程度は安価な資源を、我が国に提供して貰わなくてはな。

 あまり厳しい事を言わなければ、影響力は維持できる。【出雲】からの要請もあるし、適度な付き合いが必要だ」

「カスピ海を使った湖上交通路を整備しなくてはな。北部は水深が浅いから無理だが、南部は深いから大丈夫だ。

 船舶の手配は【出雲】に頼むしか無いだろうな」

「それと『中東横断鉄道』の建設も急ぐ必要がある。トルコ共和国と【出雲】に繋がる重要な交通路だ。

 国土防衛にも役立つから、賠償金の大半を投入してでも完成させなくては!」

「旧オスマン帝国とは関係が悪かったが、今はトルコ共和国だ。【出雲】の手前、仲良くしなくては為らん。

 イギリスが持っていた国内権益を日本が取り戻してくれた事もあるし、長い友好関係が期待できる」

「サウジアラビアとも関係を深める必要がある。宗派は違えど、あそこもイスラム国家だ。しかも聖地を抱えている。

 【出雲】が力を入れて開発を進めているから、将来的には大国になるだろう。今から良好な関係を結んでいた方が良い」


 イギリスとロシアに苦しんできたイランだが、此処に来て未来に希望が持てるようになってきていた。

 そして経済発展の鍵は、国内の流通の確立が出来るかどうかに掛かっている。

 その為に、賠償金をかなりつぎ込み、現地の雇用を増やしながらも鉄道の建設が熱心に進められていた。

 尚、一部のイスラム教の強硬派は、異教徒である【出雲】と協力する事に異議を唱えた。

 しかし強硬派の理想より現実の利益の方が優先され、イスラム教の強硬派の声は多くの国民に無視されていた。

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 トルコ共和国の前身はオスマン帝国であり、こちらもロシアの圧迫を長年に渡って受けていた。

 そしてロシアからグルジアとクリミアを自国の影響下に加えられたのは大きな成果だった。

 それにキプロス問題も、日本がイギリスと交渉して劇的に解決してくれた。

 問題だったキプロスのギリシャ人をクレタ島に移住させて、キプロスの所有権をトルコに取り戻してくれた。

 クレタ島はギリシャ人の数が多過ぎて、トルコでは統治できないとしてイギリスに押し付けた。

 リビア防衛も最後まで責任を持ってやってくれた。

 このような事情から、日本と【出雲】に対するトルコ国民の感情はかなり良好だ。

 その日、トルコ共和国の上層部は今後の事に対する協議を行っていた。


「今のところはグルジアとクリミアへの支援は順調だ。それにしても【出雲】の支援を受けた我々が、今度は支援を行う方か。

 これは何かの皮肉なのか? 国内の産業の良い刺激になるから結構な事なんだが」

「中東では実例は無いが、太平洋ではペルーがハワイ王国の支援を受けて近代化に務めている。皮肉に感じる事は無いさ。

 それよりグルジアとクリミアを得た事から、黒海に艦隊を配置する必要がある。

 今までのイスミ級では不足だ。既に【出雲】にカムイ級の供与を要請して、承諾も貰っている。そちらの準備も進めなくてはな」

「キプロスの問題もあるんだ。あそこの開発を急いで進めないと、ドイツが進出してくる可能性もある。

 今のドイツはカムイ級に対抗する戦艦の建造と、ヨルダン、シリア、イラク(南部は除く)の支配を進めているから、数年後が危ない。

 ドデカネス諸島に【出雲】の第五警備艦隊が居るから、直ぐに動く事は無いが注意しておいた方が良い」

「陸軍もグルジアとクリミアを考慮して拡大する必要があるが、海軍もそうだからな。日本を経由して賠償金が入ったから助かる。

 まだ我が国では戦艦の建造は無理だが、小艦艇なら国産できるまでに工業化が進んでいる。もう少しの我慢だ」

「ブルガリア方面の軍備も怠る訳にはいかない。ドデカネス諸島に【出雲】艦隊が駐留しているからギリシャの動きが少ないのは助かる。

 これで少しは揉め事も減るだろう。それはそうと、『中東横断鉄道』の建設状態はどうなのだ? あれが経済活性の切り札なんだ」

「以前から進められていたが、山岳地帯の建設が遅れていたんだ。

 此処に来て【出雲】からトンネル掘用の重機が送り込まれてきたから、だいぶテンポ良く工事が進むようになってきた。

 完成まではまだ時間が掛かるが、やっと希望が見えてきたところだ」

「あれが出来れば陸路で【出雲】と繋がるからな。まったく待ち遠しい。

 それはそうと、そろそろ飛行船の販売を【出雲】に要請した方が良いだろう。

 グルジアとクリミアを守る為にも、我が国でも航空部隊を持った方が良い。今なら【出雲】も首を縦に振るだろうさ」

「そうだな。カムイ級の戦艦の件で打ち合わせる時に要請しておこう」


 天照機関としては、イランとトルコは地域大国として成長して欲しいと願っていた。

 【出雲】の領土は増えたが人口は少なく、影響力が無いとは言わないがどうしても限定されてしまう。

 その為に、維持費が高くて損害も多い陸軍については、両国の戦力に任せる大方針を立てていた。

 中東に進出してきたドイツにも要注意だ。そのドイツが支配を進めるヨルダン、シリア、イラク(南部は除く)への対策も怠れない。

 イラン王国、トルコ共和国を強化して包囲網を作り、サウジアラビアの防衛力の強化を進める必要性に迫られていた。


 尚、イランと同じくトルコの一部のイスラム教の強硬派が、異教徒である【出雲】に協力する事に反対した。

 サウジアラビアは良い。だが、シーア派が多数を占めるイランや完全な異教徒である【出雲】と関係を断つべきだと強く訴えた。

 しかし強硬派の理想より現実の利益の方が優先され、イスラム教の強硬派の声は国民の賛同を得る事は無かった。

 政治と宗教が一体となる事を理想とするイスラム教だが、現実の生活の方が優先された。それには他の宗教指導者も同意していた。

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 リビアは石油採掘が軌道に乗り、イタリアとスペインによる開発も進んできたので、かなり国民の生活に変化が出てきた。

 国土の大部分を不毛な砂漠が占めているが、地下資源は豊富にある。

 リビアの国土開発はイタリアとスペインにも、メリットは十分にある。

 石油開発もそうだが工業化や農地開拓も順調に進められて、リビアの国力は徐々に増している。

 それでも単独で列強に対抗するのは無理だ。しかし、今であれば利を持って引き込んだイタリアとスペインの支援も期待できる。

 もしリビアを占領しようとする国があるなら、利権を守る為にイタリアとスペインが参戦するまで関係は深まっていた。

 その結果、【出雲】の負担も軽くなっていた。

 リビア発展の様子を、列強に支配されている隣国は羨望の視線で見つめていた。

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 エジプトにスエズ運河が出来た事により、欧州とインドやアジアを結ぶ航路が確立され紅海はその重要性を増していた。

 その紅海からアラビア海に出る要衝の地がジブチだ。以前はフランス領で駐留艦隊があったが、【出雲】艦隊に殲滅された。

 その後にエチオピア帝国に占拠され、【出雲】に所有権が移されていた。

 エチオピア軍が占拠した時の被害は少なく、極めて短期間で復旧は済んでいた。

 そのジブチはエチオピアと【出雲】の交易の重要拠点だ。その為、【出雲】陸戦隊や警備艦隊が駐留している。

 陸戦隊の規模は小さいので、万が一の時の不安はある。

 その為に、ジブチ防衛に関してはエチオピアの支援を受ける協定が結ばれていた。


 そのエチオピア帝国は【出雲】の支援によって近代化を進めていた。

 そして出雲条約によってエリトリアとソマリアを獲得し、やっと内陸国という制限から脱却していた。

 イタリアの開発支援もあり、インフラ設備や交通網の整備は順調に進められていた。

 そのエチオピア帝国も、周囲を見渡せば列強の植民地にまだまだ囲まれている。

 周囲は日本と同盟を結んだイギリスの植民地なので、いきなり襲ってくる可能性は低いだろうが油断して良いものでは無い。

 その為、国内開発は進めながらも、軍備拡張も並行して進められていた。

 陸軍はまだ良いだろう。しかし、内陸国だったエチオピアに海軍のノウハウはまったく無い。

 その為、エチオピア帝国の海軍整備は、【出雲】の支援の下で進められていった。

 【出雲】にしてみれば、アフリカ全土が列強の植民地にされるのは好ましく無い。

 だったら現地勢力のエチオピアに、地域大国としての影響力を維持して貰う方が良い。

 何れはアフリカも解放される。

 その時にエチオピア帝国が地域大国になっていれば、アフリカ全体の安定に繋がると考えられていた。

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 マダガスカルは世界第四位の大きさを持つ島であり、アフリカ大陸に近くてインド洋全域に影響力が及ぶ位置にある。

 出雲議定書によってフランス植民地から解放され、独立国になった。但し、【出雲】の保護国という条件付だ。

 他の例に漏れず、フランスの植民地時代にはマダガスカルの開発は殆ど進められていない。

 そこで現地の人達を味方に付ける事が優先されて、民生方面の開発が優先されていた。

 今の【出雲】に正面きって戦いを挑んでくる国家は無い。

 数年後に各列強が『神威級』に対抗できる艦隊を整備した後は分からないが、今なら大丈夫だろう。

 その為にマダガスカルの軍備再建は後回しにされ、まずは住民の生活レベル向上に重点が置かれていた。

 幸いにもマダガスカルは希少資源の宝庫でもある。

 それを採掘して少しは利を与える事で、フランスによる開発も拍車が掛かっていた。

 第一次世界大戦の前には現地の軍を再建させ、【出雲】艦隊の駐留基地を建設する計画が組まれていた。

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 少し寂れた居酒屋で、日本陸軍の参謀本部に所属する中堅士官が暗い雰囲気で酒を飲んでいた。

 彼らは参謀本部に配属しているだけあって、基本的には優秀な人達だ。だが、ある行動をした事で窮地に立たされていた。

 既に窮地を回避する手段は無く、部屋の中はお通夜のような雰囲気になっていた。


「どうして……どうして、こんな事になったんだ!? 来週からインドネシアのリアウ諸島の陸戦隊で一年間の研修をしてこいだと!?

 赤道に近い熱帯気候の場所で、何で暑苦しい陸戦をしなくちゃならないんだ!? 俺の仕事は作戦立案で、実際に戦う事じゃ無い!」

「……俺はチュコート半島の監視所に一年間の研修だ。あんな酷寒の地で一年間も過ごさなくては為らないんだ!

 中央シベリアの地下資源採掘所の警備隊に研修に行かされる奴もいるし、中東の砂漠の巡回隊に行かされる奴も居る。

 これもお前がロシアとの講和を破棄して、戦争するべきだと俺達を巻き込んで上に進言した結果だ! どう責任を取るつもりだ!?」

「そうだ! 『我が軍に掛かれば、満州などあっという間に占領できる。ロシアとは徹底抗戦するべきだ』とお前が主張したからだぞ!

 我が国には織姫様がいるから、多少の物資不足や兵力不足なんか問題無いと言ったから問題が大きくなったんだ!

 じゃあ実証してみろと言われて、三日分の食糧しか持たされずにカムチャッカ半島で七日間の行軍をやらされて餓死寸前になったり、

 こちらは一人で相手は十人の組手をやって、ボコボコにされたのもお前の発言が発端だ! 責任を取れ!」

「煩い! お前達だって満州が日本の物になれば、直ぐに豊かになれる! 北方の酷寒の地を貰ったって嫌だって言ったじゃ無いか!

 苦労して北方の開発をするより、楽した方が良いと賛成したろう! 俺だけに責任を押し付けるな!」


 環ロシア大戦で、日本は少ない損害で勝利した。その為に世界からは多くの称賛を向けられていた。

 陸戦では同盟国や友好国に多くの負担を掛けて依存していたが、勝利の美酒に酔った彼らは日本軍全体を過大評価していた。

 そして上層部にロシアとの講和を破棄し、満州を日本が占拠すべきと集団で訴えた。

 日本には織姫様がいる! 物資や兵力が少なくても、織姫の加護がある日本軍は必ず勝つと強く主張した。

 ロシアとの共存など不要で、日本こそがアジアに覇を唱えるべきだと訴えた。

 言い方は悪いが、他力本願で自ら努力をせずに果実を得ようと考えた訳だ。

 しかも安全な場所から無責任な発言をして、それが自分だけの考えでは無く軍部や日本全体の意見だと主張した。

 自分の意見を主張する時に多数の意見なら通り易いのは事実だ。しかし裏付けも無く、主張するのは捏造報道に通じるものがある。

 それは天照機関にとって、いや日本にとって忌むべき考え方だ。


 その結果が上層部による実証実験への強制参加命令だった。

 食糧が不足するような事態を精神力だけで克服できるのか? 十倍の相手に精神力だけで勝てるのか?

 簡単に言うが、それを自ら実践できるのか? 安全な場所から己の利益の為に無謀な作戦を主張しているのではないか?

 自分達は作戦を立案するのが本業で、実際に戦うのは兵士達だと主張したが、それは上層部には聞き届けられない。

 現実を理解せずに、努力をしないで楽な方を好むという心根を見透かされていた。

 結局は、言い出したからには実証しろと強制命令を受けて、死にそうな目に遭ってしまった。

 そして机上の空論を言い出した事で、厳しい現地の実情を肌で学んで来いと各地に一年間の強制研修命令が下っていた。

 基本的に彼らは優秀な人達だ。各地の厳しい実情を知り、精神論の愚かさや苦労の大切さを分かれば元の部署に戻れる。

 しかし考えが変わらないと、変わるまで各地を転々とさせる事は決定していた。


 この事は一般には公表されなかったが、軍内部で噂があっという間に広まった。(陽炎機関によって、故意に拡散させた)

 その結果、精神論を重視する傾向は排除され、補給と兵力を揃えるのを重視する正道が参謀本部の主流となっていった。

 現在の軍上層部の大半は陣内から睡眠教育を受けて、史実の軍の暴走と結末を知っている。

 その為に愛国無罪など認めず、同じ過ちを犯す風潮を徹底的に排除する方針を取っていた。

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 東方ユダヤ共和国は、日清戦争の後で日本のバックアップを受けて建国された。

 建国資金は世界中のユダヤネットワークから提供され、領土や建設資材、設備・エネルギー資源は日本から供給された。

 二千年以上に渡る流浪生活に終止符を打ち、やっと祖国が出来たのは日本のお蔭だと、東方ユダヤ共和国の国民の大部分が考えている。

 まだ建国間もない為に色々な方面で問題があるが、日本の援助で何とか凌げているのは周知の事実だ。

 今回の環ロシア大戦で三ヶ国の陸軍の猛攻に耐え、戦争勝利国として新たな領土を得る事ができたのは日本の協力があったからだ。

 同盟国として十分に信頼するに値して、東方ユダヤ共和国に福音を日本は運んでくれる。日本は祖国の恩人だ。

 こう考える国民が多い為に対日感情は極めて良好で、政治は元より民間交流も活発に行われて関係は年々深まっていた。

 窮地に陥った時、救いの手を差し伸べた相手に好感を持つのは、普通の人なら当然の事だろう。


 工業化を含んだ国内開発は進んでいるが、末端まで行き渡ってはおらず、貧しい生活を送っている国民は多い。

 しかし、国民の多くは祖国に誇りを持っている。貧しくとも希望を持って、多くの国民は生きる活力に満ちている。

 一般論だが、自分の祖国に誇りが持てない民族は、明日への希望を持つ事が出来ないだろう。

 自分の祖国に誇りや信頼が無ければ、個人単位で活力の減少になり、国力が衰退するという悪循環に陥る。

 今の清国や大韓帝国、史実の日本が良い例だ。だからこそ、某国は国民に誇りを持たせる為に、捏造した歴史を教え込んでいる。

 人は貧しくても、精神的な充足感があれば頑張れる。

 物質的に満足な状態であっても、誇りを持たない人間は精神的に不安定になり、やる気を失う傾向にある。

 今のところ、東方ユダヤ共和国の大部分の国民は祖国を信頼し、精神的にも満足して充実した生活を送っていた。


 そんな東方ユダヤ共和国の国教は、一神教であるユダヤ教だ。そして一神教の特徴である選民意識が高いという傾向を持っている。

 普通の民族ならば、二千年間も流浪生活を続ければ、現地に溶け込んで消えていっただろう。

 しかし、二千年以上も祖国が無いのにユダヤ人は消滅しなかった。それはユダヤ教の下で、彼らが団結したからだ。

 迫害を受けながらも世界各地に根を張って、逆にユダヤの世界ネットワークを構築してしまった。

 これも高い選民意識を持つ彼らの努力の賜物だろう。そして、受けた恩は忘れないという世界共通の美徳を持っている。

 だが、どんな国や組織でも異分子は居る。

 選民思想にどっぷりと浸かった一部の人達は、戦勝で浮かれる国民を見ながらも暗躍を始めていた。


「俺達を追い出したロシアに勝って、領土は一気に増えた。賠償金も入ってきて、新たに得た領土の開発は順調に進んでいる。

 これも日本のお蔭だと大部分の国民が考えて、日本に気を許している。拙い状態だな」

「ああ。我々のユダヤ教は、その崇高さ故にどの国にも受け入れられなかった。日本は我々を盾として利用しているだけだ。

 環ロシア大戦の陸戦の被害は我が国に集中し、日本は殆ど被害を出していないでは無いか!

 日本は我が国を都合の良いように利用して、用が済めば切り捨てるに違い無い。その前に我々は手を打つ!

 何としても我々の国家存続の為に、日本を秘かに支配するんだ。神に選ばれた我々の未来の為に!!」

「今の我が国はインフラ設備から、食糧輸入の保障、エネルギー供給を含む安全保障の大部分を日本に依存している。

 海上輸送路の安全確保からして、日本の力が無ければ維持できない。だからこそ、日本を影から支配する事に大きな意味がある」

「我が国の文化は少しは日本に広まったが、それ以上に日本文化が我が国に浸透している。

 共同管理地区の巨済島は、日本の店で埋め尽くされている! ハワイ王国やアジア、中東の日本の友好国にもその傾向がある。

 これを放置しては、何れは日本に精神支配されてしまうかも知れん。由々しき事態だ!」

「日本はハワイ王国の事を持ち出して、帰化人の政治参加を厳しく制限している。

 今回の『環ロシア大戦』によって諸外国の日本への信頼が増しているから、何処かの国を扇動するのも難しい。

 やはり他の国と同じく、経済支配しか無かろう。ロスチャイルドの返事はどうだ?」

「本音を隠して、日本に進出しないのかと聞いてみたが、あっさりと断られた。

 ロスチャイルドの傍系の人間が陣内総帥と個人的な繋がりがあるらしく、日本と対立するのは避けたいと考えているらしい。

 他の財閥にも声をかけてみたが、どこも日本総合工業と関係悪化になる事はしたく無いと考えている」

「日本総合工業は技術供与と引き換えに古くからの財閥の株を持つようになり、銀行を通じて新興企業とも何らかの関わりを持っている。

 抜きんでた技術を背景に、設立して僅か十数年で日本経済界に深く根を張っている。産業、流通、金融など多方面に渡ってな。

 欧米各国はリバースエンジニアリングを行って模倣品の生産を進めているが、日本は新製品を次々に投入する事でシェアを保っている。

 我が国の発電所の機材や、建設用・農業用重機の大部分は日本総合工業製だ。石油関係は完全に頼っている。それと民生だけじゃ無い。

 海軍の艦艇の大部分や飛行船部隊も日本総合工業製だ。これを放置すると、我が国の安全保障の大きな問題になる!」


 日本が東方ユダヤ共和国を利用し尽した後は、他の国家と同じくユダヤ民族を切り捨てると彼らは思い込んでいた。

 確かに日本は建国の恩人だが、その恩人の為にユダヤ民族が滅ぶなど容認できない。

 それに心の底では、有色人種で新興国でもある日本の風下に我慢できないという思いもある。

 しかし、今の日本に正面きって戦いを挑める訳も無い。技術を含む国力差の問題があるが、国民の大部分が日本に好感を持っている。

 日本と対立する事を公の場で口に出す事すらも出来ない。日本を批判するだけで、国内世論を敵に回す危険性がある。

 だったら、圧倒的に有利な世界ネットワークを使った経済浸透で、日本を影から支配しようと考えた。

 如何に日本が高い技術に裏付けされた急成長を遂げていると言っても、資本規模ではまだまだユダヤ人勢力の方が優勢だ。

 だが、日本総合工業は日本経済界に深く根を張り巡らしていた。

 日本に経済戦争を仕掛けるという事は、公然と日本総合工業と敵対関係になる事を意味する。

 採算の問題もあるが、日本総合工業と正面きって経済戦争を行おうと考える資本家は極めて少ない。

 以前に日本総合工業を侮辱した某世界規模の企業グループが、手厳しい反撃に遭って大きな損害を出した事があった。

 その結果、資本規模では小さいが、日本総合工業は敵対するよりは協力した方がメリットがあると、国際的に認識され始めていた。

 その為、日本を裏から経済支配する計画は、立案段階で頓挫していた。


 密談を行っていた彼らは、以前から行動を『モサド』に監視されていた。

 東方ユダヤ共和国の上層部は日本との対立を望んでおらず、秘かに日本と敵対しようと考えている彼らは排除の対象になっていた。

 そしてある非合法活動を契機に、彼らのグループは全員が逮捕されて壊滅した。

 国内の強硬派を一掃した後、東方ユダヤ共和国の上層部のメンバーは少し疲れた表情で会話をしていた。


「日本と敵対しようと考えた輩は始末できた。この時期に日本と対立しようと考えるなんて馬鹿としか言えんな。

 器の小さい奴は、目先や表面の事しか見えないから困る。もうちょっと広い視野や、長期的な視点で物事を考えて欲しいものだ」

「祖国に誇りを持たない国民が多い国は、衰退する運命だ。それは事実だが、祖国を盲信する狂信者が多くても、国は衰退する。

 自信を持つのは良いが、視野狭窄に陥られると方針を間違うからな。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』とは、まさに名言だな」

「我々は選ばれた民だ。それは事実だが、建国の恩人の日本と関係を悪くしようものなら、国民の反発があるのは分かっていただろう。

 普通の国民は素直な人間が多いから、単純に恩恵を齎してくれた日本へ好意を抱いている。

 我が国は立地条件もあって、重要インフラ設備や石油供給、安全保障を日本に依存している。食糧の輸入も日本の保証があるからだ。

 そもそも、我がユダヤ人と日本人の関係は薄い。日本は我が国に領土を譲ってくれたが、全面的に我々を信用をした訳では無い。

 建国の時の密約で、日本へのユダヤ資本の進出は制限されているしな。

 我々が反旗を翻せば、日本は我々を切り捨てるだろう。それは我が国の滅亡に直結する。

 民族が絶滅する訳では無いが、この国に住む多くの国民が失われる。そんな事態を絶対に起こさせる訳にはいかない」

「日本から石油を含む様々な生活必需品や設備を購入せざるを得ない。そういう状況に追い込まれてしまった。

 その為に我が国、いや世界のユダヤネットワークの富が日本に流れ込み続けている。

 それを止めさせようものなら、世界各地から移住してきた国民の生活が危機に瀕する。公言できないが、国民を人質に取られた訳だ」

「その辺にしておけ。確かに我々は日本に首根っこを押さえられたが、日本は我が国への配慮もしている。

 そして対ロシアという大きな問題がある以上、我々は同盟を結んだ日本との協力関係を維持しなくては為らない。

 『環ロシア大戦』で大きな被害は出たが、建国当時からの折り込み事項だ。それに日本は血を流したし、高みの見物をした訳でも無い。

 今までの経緯から、日本が我々に無理な要求をしてくる事は少ないだろう。関係を深めていけば、そういう問題も事前に回避できる。

 ユダヤ民族の存続、いや国民の安全を最優先にすれば、日本との関係を維持する事が重要になる」

「そういう形に日本に上手く誘導されたと考えるべきだろうな。周囲で頼れるのは日本だけ。その日本との関係を悪くする事はできない。

 そしてユダヤの富が日本に流れ込むのは止められない。日本が敵に回れば海上封鎖されて、数百万もの国民が日干しにされる。

 状況を打破しようにも、我々が政治面や経済面で日本に進出する事は密約で制限されている。

 逆に日本は調整官を我が国に置いて、支援という名目で監視の目を光らせている。下手に欧米の財界の方からも圧力を掛けられない。

 我が国の領土拡張なんて事をやってくれるから、国民の対日感情は良好だ。だから日本と対立すると、国民が反発する。

 それに表面上は我が国に配慮した行動をして、他の諸外国の評判も良い。だからこそ、我々がやり難いんだ」


 東方ユダヤ共和国では、選挙で選ばれた政治家が国家の運営を行っている。

 その政治家は本心はともかく、日本との共存の方針を選んでいた。それしか東方ユダヤ共和国が生き残る道は無かったからだ。

 単に資本力という面では、ユダヤ人の勢力は日本を上回る。

 しかし様々な要因により、東方ユダヤ共和国は日本に依存せざるを得ない状態になっていた。


 世界経済に深く根を張っているユダヤ勢力と正面対決するのは、日本としても望む事態では無い。寧ろ、積極的に活用するべきだ。

 だからこそ、ロシア帝国と朝鮮の盾役を任せながらも、領土拡張という強烈な飴も用意した。

 その結果、富の流出という問題はあるが、ユダヤ人の大多数は日本に好意を抱いている。

 天照機関は日本に利益を齎すように仕組みながら、東方ユダヤ共和国と軍事同盟を結んで友好関係を深めていた。

 器の小さい人間なら憤慨ものの事態だろうが、外交とは表面では友好を謳っても、影では熾烈な駆け引きが行われる。

 それが大人の外交の世界だ。子供や器の小さい人間が関わって良い世界では無い。だからこそ、外交機密が存在する。

 他の同盟国や友好国も程度の差はあれ、似たようなものだ。

 そして日本との関係を断つデメリットを知っている各国は、少しでも自国の有利なように交渉を繰り返していた。


 史実のイスラエルは周囲を敵国に囲まれた為に、どうしても過激な行動しか取れなかった。だが、今回は違う。

 近隣に日本という実力と信頼を兼ね揃えた同盟国家がある事は、東方ユダヤ共和国の一般国民に安心感を与えていた。(上層部は別)

 そのような理由から世界各地からの移住が進み、史実よりユダヤ人の世界ネットワークの力が落ちる結果となっていた。

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 朝鮮半島の咸鏡北道は、満州と沿岸州を支配するロシア帝国と領土を拡張した東方ユダヤ共和国との境にある。

 出雲議定書で東方ユダヤ共和国の領土になったが、ロシアとユダヤ人との関係は悪く、不測の事態を避ける為に日本に譲られていた。

 大部分が咸鏡山脈で占められており、農地も少ないので見込めるのは鉱山開発だけだ。

 とは言っても、万が一の時の仲裁の役割を期待されて譲られた地であり、入植を進めない訳にもいかなかった。

 そのような消極的な理由もあり、他の地域の開発が優先された事から咸鏡北道の開発は、他と比較すると極端に遅かった。

 それでも少しずつ鉱山開発や街の建設が進められ、軍の駐屯地も形になりつつあった。

 だが、そこに住む人達は他の発展と比べると取り残されていると感じていた。


「此処は山が多くて、ロシア帝国と東方ユダヤ共和国に挟まれた僻地だ。ここに配属された俺達は、貧乏籤を引いちまったんだな」

「そうぼやくな。平地はさほどは広くは無いが、一応は農業は出来る。樺太やカムチャッカから比べれば、少しは良い気候だ。

 それに開発を行えば鉱山資源も期待できる。そう悲観する事は無いさ」

「しかし、地下資源の開発は中央シベリア高原とアルダン高原に重点が置かれているんだ。規模の面からも、あちらが遥かに上だ。

 規模が小さい此処は後回しにされる運命にある。街を建設できる場所も少ないし、これじゃあ島流しと同じだぜ」

「まったく悲観主義だな。今の情勢でロシアと東方ユダヤ共和国の衝突の可能性は低く、俺達が戦いに巻き込まれる危険性は低い。

 それに生活に困ったロシア人女性が、少しずつ来るようになっているんだ。

 年をとったロシア女性ならともかく、若い娘は最高だぞ。そういう良い事もあると考えろよ」

「それは認めるけどな。どうしても街が寂しいって感じてしまうんだ」


 出雲議定書で日本は広大な領土を手に入れた。だが国力に限度がある為に、全てを同時に開発できる訳が無い。

 ロシアの再建を助ける為と影響力を確保する為に、半分の採掘権利を持っている中央シベリア高原とアルダン高原に重点が置かた。

 完全に権利を持っている自国の領土は、支配権を確立させた後はゆっくりとした開発になっている。

 この咸鏡北道も支配権を確立できれば、開発を急ぐ必要は無い。

 日本全体の経済は成長を続けていたが、それでも取り残される地域は多くあった。


 尚、東方ユダヤ共和国の支配する両江道の咸鏡山脈を経由して、密入国を図る大韓帝国の住民が居たが成功した人間は皆無だった。

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 以前のイギリスの植民地だったフィジー(面積:18,270km2)とニューヘブリディーズ諸島(史実のバヌアツ)は、

 日本に飛行船や戦艦の代金として渡されたが開発はあまり進んでいない。

 上記以外にも南太平洋にはフランスから割譲されたニューカレドニア、旧フランス領ポリネシア、ウォリス・フツナがある。

 ニューカレドニアはオーストラリアとニュージーランドの監視の為に、工業化や海軍基地の建設が進められているが、

 それ以外の地域は日本から官吏を派遣はしているが、基本的には住民の自治による統治を行っている。

 広大な地域に分散している事もあり、住民の教育水準や衛生レベル、風土病、インフラの問題などがある。

 他に開発する優先度が高い地域がある為に、これらの地域の開発はかなりゆっくりと行われていた。

 その中の一つの旧フランス領ポリネシアは赤道に近いところもあって、冬でも屋外に寝て凍死する事は無い。

 少数であれば食料の調達も容易だから、国内の怠け者を送り込もうとする計画が進められていた。

 その為に、現地調査に少数の職員が派遣されていた。


「しかし暑いな! 南半球は冬だって言うのに、この暑さかよ。こりゃ、バラック小屋だけ建てれば住んでいけるな!」

「日本人だから最低限の風呂ぐらいは用意しなくちゃな。沸かさなくても放置するだけでお湯になってくれるけど。

 食料も近くのジャングルに行けば調達できるのは確認した。最低でもこの地で数千人は生活していけそうだぞ」

「海も近い。漁を行えば食うには困らない。蚊避けは必要だろうが、そこまで用意する気は無い。

 先住民の為に医師は派遣するが、この集落には置かない。病気になった時は医師が居る集落まで行って貰うしか無いだろう」

「それにしても食事と住居を保障された産業促進住宅街に住んでて、五体満足なのに働かない奴らが居るって本当なのか!?

 働かざる者食うべからずって言葉を知らないのか!? しかも、ただ飯を食っている癖に、飯が不味いと文句を言う輩さえ居ると聞く」

「周囲が幾ら言っても働かない人間は少数だけど居る。義務を果たさず、権利ばかり主張する輩さ。

 それでも産業促進住宅街を追い出して、国内で餓死されても困る。

 餓死する前には働くと思うが、そこまで追い込む事自体が拙い事だからな。

 だが、働かなくてただ飯を食べていると周囲の目も厳しくなって、人間関係が悪化する。

 そこで各地の産業促進住宅街の五体満足でも働かない怠け者の奴らを、此処に送り込もうと計画が進んでいるんだ。

 人間、楽を覚えたら中々抜け出せない。だからショック療法を施してやる必要がある」

「現地の人には迷惑を掛けないように、住む地域を限定すれば良いんだよな。

 怠け者の性根を直すには、厳しい現実を突きつけてやる事が必要なんだ」


 旧フランス領ポリネシアは、暑過ぎる為に入植希望者は少なかった。

 現地の住民の意向を重視した自治領になる事は決定していたが、国内の問題となっている人達の新たな住む場所にも考えられていた。

 念の為に言っておくが、姥捨て山の扱いにする気は無い。矯正施設としての機能が求められていた。


 そして、フィジーに非武装の永世中立国を建国する計画も練られていた。

 その場合、戦いを絶対に認めない信念を持つ理想主義者の移住が行われる事が考えられていた。

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 日本が獲得したのは樺太、カムチャッカ、コリャーク、チュコト、マガダン、レナ川より東部のサハ、ハバロフスクの広大な地域だ。

 それらを全て一度に開発など、国力の限界を遥かに超えている。つまりは不可能だ。

 樺太とカムチャッカには民間の進出(理化学研究所の研究都市も含む)が進んでいたが、それ以外の民間進出は遅れていた。

 辛うじて、ヤクーツクとマガダンへの都市建設は進められているが、それ以外の地域は各地に観測所を建設する程度に抑えられていた。

 自国の領土であり、何時でも好きに開発できる。それと資源温存の意味もある。

 だからロシア革命の前に中央シベリア高原とアルダン高原の開発を進めて、ロシアに経済的な影響力を持つ方を優先させた。

 チュコート半島には対岸のアメリカ領のアラスカへの備えと北極海航路の安全確保の為に、小規模な軍施設の建設が進められていた。

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 日本各地では色々な調味料や飲料・食料品・道具が生産されている。

 それは各地の特色を持ったものであり、従来であれば限定された地域にしか出荷されない。

 だが、色々な事情により変化が生じ始めていた。東北の某県庁で、お茶を飲みながら職員が明るい表情で話し合っていた。


「最近の県内の食材や日本酒の出荷量は、二十年前の倍以上だ。嬉しい事なんだが、何で今になって増えたんだ? 理由を知ってるか?」

「以前から海外へ輸出をしていたんだが、淡月光が日本文化と日本食の宣伝をやってくれたんで、世界各国で流行り出したって話だ。

 義和団の乱の時に北京から避難した人達や、環ロシア大戦で捕虜になった兵士が忘れられずに、各国の需要が増えたって聞いている。

 日本に留学していた学生が祖国に戻って、偶には日本食を食べたいって希望したとも聞いてるな。これからも増え続けると思うぞ」

「【出雲】やアジア各国、それと中東方面にも輸出が増えている。国内需要も増えているからな。

 醤油と味噌や、日本各地の特産品や品種改良した米までも輸出が増えている。

 この調子が続けば積雪が厳しい冬でも現金収入の道が開けるようになる。貧困の為に、出稼ぎに行く事も無くなるな。良い傾向だよ」

「東方ユダヤ共和国の学者さんが、あまり脂っこい食事を食べ過ぎると早死にするって言った事も影響しているだろう。

 長生きするには健康的な日本食がお勧めだって言ってくれたからな。

 お蔭で県内の酒造所や調味料を作っているところは銀行から金を借りて、設備拡張をしている。雇用も増えるから税収も増える。

 地域経済の活性化になるし、有難い事だよ」

「最初は欧米向けなのに日本語表記のラベルを貼ったから問題になったが、最近は慣れてきたからクレームも少なくなった。

 まったく、こんな田舎で各国語のラベルで悩むとは思わなかったよ。国際的になったもんだ」


 各国の淡月光支店による宣伝、各国の孤児院、アジアや中東との交流、義和団の乱の時の物資提供、環ロシア大戦の捕虜の待遇などの

 様々な要因が絡み合っていたが、ここ最近になって世界各地で日本食や日本文化のブームが起こり始めていた。

 その結果が日本酒を含む日本独自の調味料や食材の輸出増加だ。これ以外に、和服や伝統工芸品なども少しずつ輸出が増えている。

 意外なところでは、忍者の装束や手裏剣などのグッズもだ。(主に各国の諜報機関や軍が購入)

 これらは極端な経済効果は無かったが、日本国内の地方の景気を少しずつ刺激し、日本文化が世界に広まる契機になっていった。


 輸出する食品には全て厳しい検査が行われている。食品偽造をする風潮を徹底的に潰す為だ。

 日本総合工業の規格管理事業部による定期検査に合格しなければ、輸出適合マークの認可が下りないような仕組みを作り上げていた。

 利益を出す事は重要だが、それ以上に信用が大事だと強く指導していた。

 悪質な違反を行った業者には行政指導が入り、報道機関を使った糾弾活動が行われた。

 そして古来から伝わる伝統の維持にも気を回した。

 手間が掛かって販売価格で対抗できない伝統工法の場合、補助金を出す事で存続する制度を立ち上げていた。

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 ボーイスカウトという運動がある。屋外の実践教育を通じて、健全で社会に役立つ青少年の育成が目的の活動だ。

 イギリスの陸軍大佐が書いた軍人相手の斥候の手引き書が、多くの学校で教育教材として使用されて好評だった事が発端だ。

 史実では1907年に行われた実験キャンプの成功を受けて、少しずつ世界に広まっていった。

 屋外の実践教育を通じて、団結や規律の重要さ、集団行動のノウハウを小さい頃から学ばせる素晴らしい手段と言えるだろう。

 職業軍人相手の教本がベースになっているが、子供が相手では其処までの厳しさは必要は無い。

 ある程度は簡素化され、数々の子供相手ならではのノウハウが盛り込まれたものが教本として最終的に確立されている。


 それはこれからの事だ。まだ1906年ではボーイスカウトという制度は無い。

 だが、ボーイスカウトの有益性を知っていた陣内は、下部機関に命じて日本独自の子供の屋外教育の方法を検討させていた。

 そして勝浦のある小学校が選ばれ、近くの山に日帰りのハイキングを兼ねた実験が行われていた。

 費用は無料で、参加は希望者のみだ。最初の試験活動とあって二十人の小学生が参加している。


「聡達は慌てなくて良いからな。俺の後をゆっくり歩いてくれば良いぞ!」

「おい、そんな事を言ったら目的地に着くのが遅れるだろう! 俺達が先に行って、チビ達は後からゆっくり来れば良いだろう!」

「馬鹿な事を言うな! 小さな聡達だけで山道を歩かせるつもりか!? 今回は集団行動の規律を学ぶ為だって事を忘れたのか!?」

「煩い奴だな。そこまで言うなら、お前がチビ達の面倒を見りゃ良いだろう! 俺は先に行くぞ!」

「あっ、こら待て! ……山田の奴、本当に先に行きやがった。これから本当に大丈夫か?

 ああ、聡達は何も悪く無いからな。心配する事は無い。ゆっくり行こう」

「お兄ちゃん、ありがとう!」


 参加者は小学校の高学年生だけでは無く、低学年の子供も含められていた。(低学年の子供の場合は、兄が居る事が条件)

 低学年の子供にしても楽しいハイキングだし、高学年の子供にしても自分より幼い子供を守る経験にもなる。

 そして当然の事だが、大人も同行している。

 正式に同行している大人以外にも、最初の実験とあって陽炎機関のメンバーが隠れて子供の安全を確保していた。

 子供同士の口喧嘩や色々な問題はあったが、一行は無事に目的地に辿り着いた。

 そこで四班に分かれて各班で昼食の支度をする。

 経験を積ませる事が主目的なので、子供だけで支度する班があれば、安心できる大人が支度する班もある。

 それを子供に自由に選ばせた。そして各々の班は少し場所を離れて、動き始めていた。

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 一班は大人が全て準備して、子供は何もしなくて良いという取り決めになっている。

 失敗するリスクは子供よりは少なく、食事の準備を手伝う必要も無い。楽な方が良いと、一班を選んだ子供は多かった。

 だが鍋の周りに集まった子供は、不慣れそうな様子で料理している大人を見て秘かに話し合っていた。


「おい、あんな手つきで料理は大丈夫か? おかしな物を食べさせられるんじゃ無いだろうな?」

「分からないよな。うちのお袋より手つきが悪い。ああ、あんなに大きく野菜を切ったら、一口で食べきれないよ」

「集まった数が多いけど、あんな鍋で量が足りるのか? こんなところに来て、食事の量が少ないんじゃ嫌だぞ」

「他の班は地面にシートを敷いて食事の準備をしているけど、うちの班はしなくて良いのかな?」

「一班は全て大人がやってくれる約束だ。俺達は何もしなくて良いんだからな。待っていれば良い」

「お腹が空いた! ご飯はまだなの!? 歩き疲れたし、我慢できないよ!」


 一班を選んだ大部分は、裕福な家の育ちで甘やかされて育った子供だ。家では望む物が与えられている。

 その為に積極的に動く事は無く、一班の料理は嫌だと不平不満を言い始めた。

 出来た料理は見栄えは悪かったが、味はまあまあというレベルだった。

 料理した大人は謝ったが、空腹で待っていた子供は納得はしなかった。だが、今から再度料理を作る事は出来ない。

 こうして調理した大人と子供の会話は無く、子供は不平顔で昼食を食べていた。

 その様子は、秘かに陽炎機関の職員によって記録が取られていた。

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 二班の場合は大人が準備をするが、子供は手伝うという取り決めになっている。

 料理に自信は無いが、何もしないでは気が済まないという子供が集まった。


「手伝いますよ。ボクは野菜を切りましょうか?」

「ああ、ありがとう。じゃあ、御願いするよ」

「ボクはシートを敷いておきます」

「シートを敷く前に、下に小石が無いかを確認してくれ。テーブルは無いけど、シートがあれば大丈夫だな」


 二班の大人は調理の得意な人だ。子供は不慣れながらも食事の用意を手伝って、出来栄えも味も上等な部類に入る料理が出来た。

 その為、調理した大人と手伝った子供は会話をしながら、穏やかな雰囲気で昼食を食べていた。

 その様子は、秘かに陽炎機関の職員によって記録が取られていた。

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 三班の場合は子供だけで準備する取り決めになっている。失敗のリスクはあるが、自主性を伸ばす為に子供だけの班が許可された。

 積極的に調理や準備に動く子供もいれば、何もしないで見ているだけの子供も居た。

 そんな中、不慣れな手つきで調理していた子が、火加減を間違って鍋の中の具を少し焦してしまった。

 それに気が付いた何もしないで見ていただけの子供は、大きな声を上げて調理していた子供を責め立てた。


「川田は何をやってるんだよ! 鍋の具が焦げているだろ! もっとちゃんとやれよ!」

「この程度の焦げなら大丈夫だよ。逆に焦げが美味しく感じられる事もあるんだよ」

「そんな事が信じられるか! お前はこうして待っている俺の期待を裏切ったんだ! ちゃんと責任を取れ!」

「ちょっと待てよ! 何も手伝わない癖に、期待を裏切ったは無いだろう! 手伝うのが嫌なら、最初から一班か二班に行けよ!」

「そうだ! 何もしない癖に偉そうにするんじゃ無い! まったく、何様のつもりだよ! それに食べる前に不味いって言えるのかよ!」

「ふん! 俺は他の班に行く! お前たちは焦げた物を食っていれば良い!」


 料理によっては少しの焦げは問題にならない場合もある。結局、三班の昼食は見た目は悪いが、味はそこそこの部類に入る出来だ。

 その為、三班の子供は楽しそうに会話をしながら、穏やかな雰囲気で昼食を食べていた。

 その様子は、秘かに陽炎機関の職員によって記録が取られていた。

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 四班も子供だけで調理する取り決めになっていた。そして、この班には陣内の子供二人(真一と真治)が参加していた。

 二人は陣内と一緒に近隣の山に行ってキャンプをしたりと、屋外の生活に慣れている。火を熾したり、簡単な料理も出来る。

 陣内からは特別扱いするなと釘を挿されている事もあったが、大人は安心して子供を見ていた。


「上手くいったな。こりゃ美味そうだ」

「匂いも良い。食べるのが楽しみだよ」

「おおーい、俺も仲間に入れてくれ!」

「山田じゃないか。お前は三班のはずだろう? 何でこっちに来るんだよ?」

「川田が火加減を間違って、焦しやがった。そんな物は食えないから来たんだ」

「……お前は川田を手伝ったんだろう。それで失敗したからって、こっちに来る事は無いだろう」

「手伝いなんかして無いさ! 川田は俺の期待を裏切ったんだ! それより良い匂いだな。なあ、飯を食わせてくれよ!」

「駄目だ! この班は全員が料理の準備を手伝っているんだ! 何もしない奴に食わせる料理は無い! 一班か二班に行けよ」

「何だよ、ケチだな。ふん! だったら、そっちに行ってやるよ! 二度とお前に頼みごとなんかするもんか!」

「……なんだ、ありゃあ。三班と四班で、何もしないで飯が食えると思っているのか? 甘ちゃんだな」


 簡単な料理なら作れる真一と真治の努力で、四班の料理は見た目も味もそこそこの部類に入った。

 準備を手伝ってくれた子供も満足げに、楽しそうに会話をしながらの昼食となっていた。

 三班から抜け出て四班で断られた山田君は一班に行って、あまり美味しくない残り物の冷めた料理を食べていた。

 量も少なく、帰りは空腹を我慢して山を下った。

 その様子は、秘かに陽炎機関の職員によって記録が取られていた。

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 世の中は公平な事ばかりで無く、理不尽な事は幾らでもある。子供のうちは分からないだろうが、社会に出ると否が応でも体験する。

 それらを含めて世代が違う相手との交流や、忍耐や協調を実地で学ばせるのが制度の主旨だ。

 深刻にならないうちに、軽度の挫折を味あわせる事は子供の成長に繋がる。子供にとって失敗は良い経験になる。

 だが『三つ子の魂百まで』という諺があるように、幼少の頃に刷り込まれた人格というか考え方は容易に変わる事は無い。

 今回の実験は、陽炎機関の職員が秘かに観察をしていた。その結果について、観察していた職員が話し合っていた。


「弱者を労わる子供と、自分勝手な子供が居る。兄弟が多い子供の方が、弱者を労わる傾向があるな。

 自分勝手な性格を変えるには、どんな教育プログラムが有効かを検証しなくてはな」

「昼食の準備の時、一班の名梨達は手伝いもしなかった。まあ、そういう班を選んだから仕方の無い事だ。

 そして、料理の文句を大人に言う事も無かった。何も協力しないのは仕方無いが、不味いからって隠れて悪口を言うのは問題だ。

 あれじゃあ普段から気に食わないと、手伝いもしないで陰口を周囲に言い触らしているんだろうな。

 成長した時に、どんな人間になるか心配だ」

「自ら行動する事無く、文句を言うだけか。甘やかされて育った結果だろうな。

 このまま成長したら心配だが、これから教育をしていけば大丈夫さ。

 二班は料理の準備を手伝ったし、それなりに自立心や協調性はある。このまま成長してくれれば良い。

 心配なのは三班の山田君だ。本来は手伝うべきところを手伝っていない。それどころか、結果を見ないで具材を焦した子供を非難した。

 期待を裏切ったなどと、余計な事まで言ってな。希望の物を与えられて当然という権利意識が高過ぎる。

 黙って他の班に行けば、まだ救いがあったんだがな。四班で拒否されて、一班の不味い料理を食った事で反省してくれれば良いが」

「簡単に反省するとは思えんが、子供だし長い目で見れば良い。一人っ子で兄弟がいないと、思いやりの精神は育ち難いみたいだな。

 今回の実験で、次の実験の範囲と参加メンバーが決定した。次の段階に上がれるのは二班と、山田君を除く三班、それと四班だ。

 ある程度の自立心と協調性が無いと、次の段階の教育を行えないからな。それを判別するのに屋外活動は最適だよ」

「低レベルの子供に合わせた教育は、結局は低レベルのままだ。絞り込みを行って、次々に段階を上げた教育を子供に行う計画だ。

 途中で落伍する子供もいるだろうが、本人にとっても良い経験だ。そんな子供が成長した時の事が楽しみだよ」


 ボーイスカウトを参考にした日本独自の屋外教育は、『親離れ』を進めて子供の成長を促す事を主目的としている。

 子供は保護されるべき存在だが、何時かは親離れをしなくては為らない。過保護な環境では、子供は成長はしない。

 中には何時までも親の保護下に居たいと考える子供も居るだろう。だから、そういう子供には次の段階の屋外教育は行われない。

 教育は平等にという考えはあるだろうが、子供の資質によっては逆に高度教育は重い負担になってしまう。

 その子供の資質を見極める手段が、屋外教育だった。そして資質を見込まれた子供は、次々に段階を上げた教育が実施される。

 日本国内だけで、温室のような過保護な教育環境を構築する事は可能だ。だが、そんな環境で育っても、世界には通用しない。

 過保護な環境で育った人材は、結局のところは社会に出た時に簡単に騙されたりする獲物になってしまう。

 今回の実験を行った屋外教育を全国に広げて、世界に通用する人材を多く育成する事を最終目標としていた。


 尚、その教育プログラムから落ちこぼれたと言っても、人生の落伍者になる事は無い。

 高度教育が受けられなくても、自ら自覚して己を高めれば挑戦の機会はある。

 そして高度教育を受けなくても、普通に国内で生活する事に問題は無い。ただ、責任がある立場に就き難いだけだ。

 底辺に合わせた平等主義は、能力が高い人から見ると不平等になる。だからこそ、能力に応じた教育が施されるようにしていた。


 これらの屋外教育は何度も回数を重ねる事で、徐々に洗練されていった。

 その効果は誰しも認めるものであり、小学校と中学校の必須科目として登録される事になる。

 その為に日本国内は元より、同盟国や友好国にも屋外教育制度が広がっていった。

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(あとがき)

 本編では書き難かった内容を書いてみました。

 今までの投稿分の修正をしますので、新規はしばらく休みます。

(2013.12.13 初版)
(2014. 4. 6 改訂一版)




 管理人の感想

 軍の教育改革だけでなく子供の教育改革も進んでいるようですね。
 教育は国家の根幹にかかわるので、この調子なら日本は安泰のような気がします。
 まぁ日○組のような組織は出てこないでしょうし。