1908年
カムイショックを受けて各国で新型戦艦の建造と配備が行われており、同時に飛行船団も同じく建造と配備が進められていた。
世界中が『環ロシア大戦』の戦訓を受けて、軍拡に務めていた。
その一環で、アメリカは昨年末に完成したホワイトフリートを飛行船団とセットで就役させていた。これも示威行動の一環だ。
サンフランシスコ大地震の事前勧告をした日本の巫女を非難したとして、当時の大統領は批判を浴びたが軍拡の流れは変わらない。
各国とも国内の開発を進めながら、ある国同士は同盟や協商関係を結び、ある国同士は対立を深めるなどして世界は混沌を深めていた。
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世界各国の中で人口の移動の激しい国の一つに、日本が挙げられる。
同盟国や友好国への移民も進む傍らで、【出雲】を含む海外領土や新領土への移住も積極的に進められた。
史実ではアメリカへの移民を禁止する日米紳士協約が締結されたが、今の日本に態々アメリカに移民する人達は多くはない。
その為に史実では日本人移民者の排斥がアメリカで強まっていたが、今回はそういう事態にはなっていない。
ハワイ、南米、東南アジア、中東、アフリカ、マダガスカルなど、世界各地に日本人は移民を始めていた。
和僑と呼ばれる人達だ。彼らは世界各地で地盤を築き、現地と深く結びついていった。
その逆に世界各国から日本に留学生や研究者が流れ込み、一部には日本政府から認められた移住者も居た。
イギリスはインド人を、アメリカとドイツは国内の貧困層を清国の植民地に送り込むなど、世界全体で人口の流動は活発化している。
しかし、日本ほど人口の流動が活発な国は少ない。
人間とは楽に慣れると中々苦労を嫌がるものだ。その為に、移民先にも本土と同じ様な設備が求められる事が多かった。
これらにより日本国内の内需が大いに刺激され、各地で産業が発展する要因になっていた。
尚、多産が推奨された効果が出ており、史実より遥かに早く日本人全体の人口は5000万人を突破していた。
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四月になって、第四回目の夏季オリンピックがロンドンで開催された。尚、この大会にもアジア勢は参加していない。
一応、日本と東方ユダヤ共和国には声を掛けたが、中東やアフリカ各国の参加が認められなかったので参加を見送っていた。
この事に、オリンピック関係者は危機感を覚え始めていた。
「日本と東方ユダヤ共和国はオリンピックへの参加を見送ったか。前回は戦争中だったから仕方の無い事かも知れんが、今は違う。
この状態を放置すると、拙い事態にも為りかねんぞ」
「そうだな。今の日本の勢いは凄まじい。日本を無視する事で痛烈なしっぺ返しが来る可能性もある。
四年毎にオリンピックと同じ国際競技大会を開催しているからな。このままでは全世界のスポーツの祭典とは言えなくなるぞ」
「だから最初の頃に門戸を広げてアジアや中東、アフリカの参加も認めるべきだと言ったんだ!
それを後進国の連中は不要だと言ったのは誰だ!? 今からでも遅くは無い。頭を下げて謝るんだ!」
「そ、そうは言っても八年前の状況なら仕方の無い事だろう。お前だって、あの時は賛成したろうに、今になって責任を押し付けるな!」
「内輪揉めは止めるんだ。此処まで成長した日本をオリンピックに加えないと、弊害の方が多くなる。
後進国の参加が増えるだろうが、止むを得まい。それと日本が求めていた開催委員会の委員席を複数用意せざるを得ないな」
「オリンピック開催委員会の席を、日本に用意すると言うのか!? そんな事は認められないぞ!」
「日本は今までの経緯を知って、開催委員会の決定に疑義を挟んで来ている。今の委員会メンバーに資格なしと考えているらしい。
その開催委員会のメンバーに日本を加えなければ、何時までも参加してくる事は無いだろう。それでも良いのか?」
「だ、だが、日本は今までのオリンピック開催の議事録の提出まで求めてきているんだ。あれが公にされたら少々拙い。
何とか為らないのか?」
「無理だな。日本はオリンピックの参加と同時に、開催委員会に大きなメスを入れようとしているんだ。
自分達の関与しないところで決められた国際大会などに、出席するつもりは無いと公言している。
日本のこの勢いが続けば、少なくとも世界の四分の一くらいの国は日本寄りの立場を取るだろう。それでも良いのか?
今までの委員が全員罷免されようとも、体制を刷新する必要があるんじゃ無いのか? 将来を考えたら、そうすべきだ」
まだオリンピック開催委員会のメンバーに、資本主義の色は見られなかったが、民族主義や人種差別は蔓延していた。
それは日本にとって看過できるものでは無かった。
参加させなければ自国の勢力範囲でスポーツの祭典を行うだけ。欧米主導の祭典に、頭を下げてまでも参加する気は無かった。
これが政治主導の国際会議なら少々拙い事になるだろうが、オリンピックは少々事情が異なる。
この為に、日本の態度が軟化する事は無かった。
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史実と比べると技術革新が進んでエンジンの出力が上がっている為、各国で飛行機の開発が急ピッチで進められていた。
飛行船と比べると積載量も少なく、航続距離も短い。しかし風の影響も少なく出来て、手軽に空を飛べるというメリットは捨て難い。
何より危険な水素ガスを使わなくても、空を自由に飛べて飛行速度も向上が見込める。
艦隊決戦の弾着観測や偵察に使用できれば効果も大きい。
こうして、より高く、より遠く、より速く飛べる飛行機の開発に、各国は熱心に取り組んでいた。
特に、日本はまだ実用機を正式発表していない為、これを機会に日本を突き放すのだと各国の開発者は気合が入っていた。
その頃の日本は人目がつかないカムチャッカの奥地で、試作の飛行機を配備して訓練を行っていた。
その目的は、軍及び民間パイロットを養成する為の指導員の訓練だった。
数は力だ。実用レベルの飛行機の生産は問題は無く、操縦士の数を揃える体制の準備が優先されていた。
それらと同時に、各地の軍基地や主な港の周辺に滑走路や収納施設の建設などが進められていた。
尚、第一次世界大戦に実戦投入できる機種の設計は終了して、何時でも生産に入れる状況になっている。
日本の動きはまだ各国に知られる事なく、秘かに進められていた。
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昨年にアメリカで販売が開始されたT型フォードは、その価格の安さから爆発的なヒット商品になっていた。
この車の普及がアメリカの車社会の原動力になっていく。輸出も盛んに行われるようになり、アメリカを潤していた。
そして筆頭株主であるトルーマン商会も莫大な利益を得ていた。
その頃、日本ではT型フォードに価格と性能で対抗できる、屋根付きの小型大衆車の生産と販売を始めていた。
こちらも各重機の生産で培われた技術を応用した生産ラインを組んで、大量生産を最初から想定している。
今まではバイクに屋根をつけた自動車モドキの車両があったが、この小型大衆車はそれとは一線を画するものだった。
農作業用車両や建設用重機の大量普及で、日本各地に給油所や整備工場が普及し始めている。
それらの下地もあって、新しい小型大衆車は日本国内と同盟国、友好国に多く輸出されるようになり、様々なモデルが開発されていった。
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宇宙は太古の昔から地球に様々なものを齎していた。太陽の光が無くては動植物は生きていけない。
必要欠くべからざる恵みと同時に、災厄も齎していた。隕石はその大きさによっては、地球の環境に大きな影響力を与える。
遥かな過去において当時の地球の覇者だった恐竜が絶滅したのは、巨大隕石が原因だと推測されている。
それ程、大きな隕石は地球に大災害を齎すものだ。
今回、地球に近づいている隕石は、人類の絶滅に関わるような巨大なものでは無かった。
それでも史実において生産された戦略核兵器並みの破壊力を持っている。(推測で直径数十メートル。重量は約十万トン)
史実では人があまりいないシベリアに落下したとはいえ、放置して良いものでは無かった。(現在、日本がシベリアで採掘中)
現在の人類の持つ技術では迎撃は不可能だ。だが、その例外とも言える隕石の迎撃技術を持つ組織もあった。
それが陣内の率いる組織だ。
そして地下資源の開発が進められているシベリアの被害を減らそうと、陣内は隕石の迎撃を行う計画を立てていた。
天照基地が健在だったなら、生産した核兵器をミサイルに搭載して複数を発射すれば事足りただろう。
しかし、今の陣内に残された手札は少ない。唯一、宇宙空間に進出できる【雪風】の積載量は小さくて、質量兵器を持ち込むのは無理だ。
その為、衛星軌道上にある粒子砲を装備した攻撃衛星しか、宇宙空間での迎撃手段は残されてはいなかった。
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陣内の率いる組織の職員は数が多かったが、最高機密に携われるのは陣内の他には五十人だけだ。
その中の十二人が衛星の制御を行っている。
全員が睡眠教育を受けており、各地の偵察や封鎖地域への侵入が無いかを厳重に監視していた。
三交代勤務体制を取っており、迎撃予定時刻の前には定員の四名が勝浦工場の衛星管理室に居て、陣内の指示を待っていた。
「目標はレーダーで追跡中! 攻撃衛星の射程圏内までは約120秒!」
「全攻撃衛星の発射準備は完了しています。ですが、攻撃衛星はかなり劣化しています。
全力射撃を行うと、壊れる攻撃衛星が出てくる可能性が高いです! それでもやるんですか!?」
「史実で被害を受けた中央シベリア高原には、日本の地下資源開発チームが作業しているんだ。
彼らに避難を指示しても良いが、被害を出さない事がもっとも好ましい。
仮に今回で攻撃衛星が壊れても、オーバーホール中の【雪風】が動くようになれば修理も可能になる。
少々痛いが、今回は地上の被害回避を優先させる!」
「了解しました。全十二基の攻撃衛星の自動追尾機能は作動中! 射程圏内まであと50秒!」
「粒子砲は貫通兵器だ。隕石を消滅させる事は無理でも、中央部分を破壊して分裂させられれば大気圏で燃え尽きる!
全基とも最大出力で攻撃しろ!」
「目標の隕石が射程に入りました! 全攻撃衛星の砲撃を開始します!」
衛星軌道上にある攻撃衛星は動力炉を内蔵し、軌道変更できる能力と内蔵する粒子砲で目標を砲撃する能力を備えていた。
今までは、地表付近を飛行する邪魔な飛行船を葬り去る為に使われてきた。
それが今回は、宇宙からの脅威を排除する為に使われようとしていた。
攻撃衛星に搭載されている粒子砲は、漂流宇宙船に取り付けられていた小型隕石の衝突防止用の小出力な物を利用している。
それでも十二基の攻撃衛星の斉射を何度か繰り返す事で、地球への衝突コースを取っている隕石を分裂させられると判断されていた。
宇宙から見ればちっぽけな物体から、青白い光が十二本、遥か遠方の隕石に向けて突進していった。
だが次の瞬間、青白い光を発した場所で小さな爆発光が八つも発生していた。
それは衛星管理室の大型モニターに表示されている攻撃衛星の情報を示す部分が八つ消える事で、陣内の知るところとなっていた。
「何だ!? 攻撃衛星とのリンクが遮断されたのか!? どういう事だ!?」
「監視衛星のデータによると、十二基の攻撃衛星のうちの八基が爆発した模様! 最大出力に耐えられず、爆発した可能性が大!」
「目標の隕石の地球侵入コースは若干変わりましたが、まだ分裂していません! 現在、地球の衝突地域を算出中!
……出ました! 現在の隕石のコースのままだと、北大西洋のアメリカ海岸寄りの地点に落下します!」
「何だと!? 大西洋のアメリカ寄りの地域だと!?」
「はい。ですが、これで地上への影響は無いと判断されます。これで中央シベリア高原の被害は避けられますね」
「ちょっと待て! 分裂していないという事は質量に殆ど変化が無いという事だな!?」
「はい、その通りですが……」
「約十万トンの質量の隕石があの速度で海上に落下したら、大津波が発生する! アメリカの東海岸に甚大な被害が出るぞ!」
今回の隕石破壊作戦の主目的は、地下資源開発を行っている中央シベリア高原の被害を回避する事だ。
それは実現したが、他の地域に大きな被害が出るのは考慮していない。
しかも、人口密集地帯のアメリカの東海岸を大津波が襲うとなると甚大な被害が出るだろう。それは陣内の望むものでは無かった。
「残ったのは四基だけか! 再度の砲撃は可能か!?」
「そ、それは可能ですが、砲撃すると残った攻撃衛星も爆発する危険性が高いです! 全ての攻撃衛星を失っても良いんですか!?」
「……仕方あるまい。東海岸には少ないが日本企業も進出しているんだ。アメリカと戦争中なら話は別だが、今はそうでは無い!
貴重な攻撃衛星を失うのは痛いが、ここでアメリカが滅ぶと計画の大修正を迫られる! 直ぐに攻撃するんだ!」
「はっ、はい! ですが、残った四基でどれだけの破壊効果があるかは不明です!」
「構わん! 何もしなくては、大津波で東海岸に壊滅的な被害が出る!
少しでも隕石の質量を減らすか、内陸部の人口希薄地帯に落下させられれば被害は抑えられる! 時間が勝負だ! 急げ!」
隕石が地上に落ちた場合と海に落ちた場合、どちらが被害が大きいだろうか?
陸の場合なら落下地点には甚大な被害が出るが、その被害範囲は海よりは抑えられる。
しかし、海の場合は大津波となって被害範囲が広範囲になり、結果的に陸に衝突したより被害が大きくなる。
こんな事なら中央シベリア高原に落下させた方が良かったと内心で考えながらも、陣内は被害を出来るだけ抑えようと指示を出した。
「残った攻撃衛星四基のうちの三基が爆発! 一基は残りました! 目標の隕石の一部は分離して、本体のコースが変わりました!
このコースだと……サウスダコタのミズーリ川周辺に落下します! 西部の封鎖地域との境界付近です!」
「その地点だと人口希薄地帯だな。本体の質量が減ったから、少しは被害は抑えられる。インディアンに緊急避難警報を出せ!」
「了解しました! アメリカ政府にも避難勧告を出しますか? 時間的な余裕は殆どありませんが?」
「……避難できる余裕は無いが、避難勧告をした事自体に意味が出てくる。
アメリカに天災が降りかかると外務省を通じて連絡させろ! 天照機関の特務権限【松−05】を発動する! 急げ!!」
隕石の落下地点は伝染病で封鎖している地域の境界付近であり、人口は少ない。
破壊できなかったが、被害が抑えられるだろうと陣内は内心で安堵の溜息をついていた。
だが、それだけで済ます気は無かった。咄嗟に外交ポイントを稼ごうと、アメリカに早急な勧告を行わせるべく、
天照機関の特務権限【松−05】を使って、一時的に外務省全てを管轄下におく命令を出していた。
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インディアンの住む居住地域全域に緊急サイレンが鳴り響き、緊急避難を呼びかける放送が行われていた。
『日本より緊急連絡! 宇宙から落下する隕石が、封鎖地域境界付近に落下する!
この地域も破片による被害が予想される為、全住民は地下シェルターに急いで避難せよ!
繰り返す、隕石の被害が予想される為に、全住民は地下シェルターに急いで避難せよ!』
アメリカ軍の襲撃に備えて、インディアンの居住地域では定期的に避難訓練が行われていた。
その時の放送設備を使って、緊急避難を呼びかけていた。
一応、緊急時の避難場所として全員の収容が可能な地下シェルターは用意してある。電気も使えて、水や食料も貯蔵してある。
今までの避難訓練によって、比較的スムーズにインディアンの避難は進められた。
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この時代にホットラインは無い。天照機関の特務権限を使って、一時的に外務省全ての指揮権を手に入れた陣内は、
駐日アメリカ大使に外務省から連絡を入れさせる一方で、アメリカの日本大使館を通じて直接アメリカ政府に警告を発していた。
いきなり自国に天災が降りかかると言われても、直ぐに信じられるものでは無い。
しかし、二年前のサンフランシスコ大地震の時に、巫女の事前勧告を信用せずに痛い目に遭った記憶が残っていた。
その為、内心では疑いながらも各地に警報を発令して、軍に緊急体制を取らせた。
そして……隕石は突入コースにある地域に衝撃波による広範囲な被害を与えて、封鎖地域との境界付近で大爆発を起こした。
史実では約二千平方キロメートル以上の範囲の樹木がなぎ倒されて、一千キロも離れた家の窓ガラスが割れた。
今回、突入コースにあった地域住宅の大半が、衝撃波によって窓ガラスが割れたりとか屋根が吹き飛ばされるなどの被害を受けていた。
しかし、実際の衝突地点は封鎖地域境界という事もあり、民間被害は思ったよりは少ない。
TNT換算で数メガトンもの爆発は周囲に甚大な被害を齎したが、死者という面からは驚くほど少数に留まっていた。
これもインディアンの神の祟りを恐れて、封鎖地域の近くに住む人が極めて少なかった為だ。
今回の隕石の被害は広範囲に渡り、衝突地点で発生した巨大なキノコ雲は数百キロ離れた地点からも目撃されていた。
この事件を隠し通せるはずが無く、直前に日本から天災の緊急勧告があった事も知られていた。
民間の被害者が少なかった事もあり、アメリカ国民はパニックにはならずに政府の発表を息を潜めて待っていた。
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前例の無い大きな爆発だったが、封鎖地域との境界付近という事もあって被害者は少なかった。
だが、アメリカ国民の不安は大きく、今回の爆発をどう発表するかで政府関係者は頭を悩ませていた。
「国民の被害が少なかったのは不幸中の幸いだ。封鎖地域だから被害を抑えられたなんて、大きな皮肉だな。
民間家屋の被害は多いが、死者は驚く程少ない。復旧も進んでいるから問題は無いが、どう国民に発表するかだ。
二年前のサンフランシスコ大地震のように、天罰だとは言われていないが、発表する内容によってはパニックになる可能性もある」
「巨大なキノコ雲が多くの国民に目撃されたからな。あれが首都で発生すれば、アメリカの中枢部が一撃で吹き飛んでいた。
そういう意味では過疎地域に落ちてくれて助かったが、再発を防止できるのかを考える必要がある」
「サンフランシスコに続いて、今回も日本の事前勧告通りに災害が発生した。
現地の調査隊の報告では、巨大な隕石が落ちた可能性があると一報を入れてきている。
日本の巫女は隕石の落下を神託で得たという事なのか? 隕石の突入コースにあった家屋はかなりの被害を受けている。
事前に分かるなら、もっと早く教えて欲しかったな」
「二年前には巫女の神託を信じずに賠償請求を行ったから、巫女は怒って今後は海外に事前勧告をしないと言っていたな。
しかし、今回は慌てた様子で勧告してきた。これはどういう事なんだ? 日本は前言を撤回したのか?」
「二年前とは違って、日本の外務省が日本駐在大使に連絡してきた。それとワシントンの日本大使も慌てて通告してきた。
この前の巫女の神託とは連絡経路が違う。もしかして、日本が抱えるもう一人の巫女の方が動いたのかも知れん」
「……諜報部の報告書には、日本の陰陽思想に基づく二人の巫女の存在の可能性が指摘されていたな。
前回は表で、今回は裏の巫女が動いたというのか。本当だとしたら、どちらも神託の力は本物だと言う事か」
「今回は警告があって災害が発生するまでの時間が短かったな。という事は、裏の巫女の力は表の巫女には及ばないという事なのか?
本当に隕石ならば、宇宙からの脅威を神託で知った事を驚くべきだろうがな」
「まだ結論を出すのは早過ぎる。そちらの検討は諜報部に進めさせよう。それより復旧を急いで、国民に何と発表するかだ。
日本から事前勧告があった事で、何か不吉な事があるのではと国民は不安を感じているんだ。下手な事は言えないぞ」
二年前のサンフランシスコ大地震の時はアメリカに天罰が下ると事前勧告があって、本当に大地震が発生してしまった。
今回も同じかと不安を持っている国民は多い。下手な事を発表すると、国民の不安は増大して海外への進出にも悪影響が出てしまう。
それで無くても、海外の天災の事前勧告が無くなったのはアメリカの所為だと、諸外国からの風当たりは強い。
やっと念願の中国本土に植民地を得たというのに、国民の意識が内向きになってしまうと計画の根本が崩れてしまう。
何とか穏便に国民を納得させなくては為らなかった。
「天災が発生すると日本から事前勧告があったが、天罰とは言われていない。
普通に巨大隕石の落下を日本が事前に察知したと発表すれば良いでは無いか。勿論、日本にも口裏を合わせて貰う必要があるがな」
「正直に隕石だと発表した方が良いだろうな。二年前の巫女の神託に文句をつけた事で、日本との外交関係が悪化している。
今回は事前勧告をしてきた事を大々的に感謝して、外交関係を改善する方向に仕向ける良い機会だ。
清国への進出には協力的な日本だが、フィリピンに関しては意見対立が多かったからな。これで少しは安心できる」
「何時かは日本と決着をつけなくては為らないが、まだその時期では無い。
器の小さい輩は関係改善など不要だと言い出すだろうが、長期的な視野で考えると今は日本と関係改善した方が良い」
「今回の件は隕石の衝突という事を発表するしか無いだろうが、国民から予防策を求められたらどうする?
現時点では宇宙からの隕石を事前に察知するなど不可能だ。爆発の規模が大きかったから、都市部を直撃したらと考えると、寒気がするぞ」
「現時点で打てる手段は無いのが実情だな。日本に巫女の神託を、事前に教えてくれと頼むしか無いだろう。
二年前の巫女の神託を馬鹿にした事で機嫌を損ねているが、そこは平謝りするしか無いだろう」
「女を怒らせて、機嫌を直すのに苦労するのは何処も一緒か。そして女の機嫌をとるにはプレゼントが一番だ。何か考えないとな」
今回は爆発規模は大きかったが、過疎地域という事で死者は極めて少ないという幸運に恵まれた。
しかし、首都や大都市を直撃したらと考える国民も多い。
数百年、いや数千年に一度の出来事かも知れないが、その対策を求める国民が居るのも事実だ。
アメリカ陸軍で封鎖地域の集中探索が計画されていた。勿論、政府には内緒の秘密プロジェクトだ。
インディアンの神の祟りという非科学的な事を信じられずに、伝染病の感染を防ぐ体制を整えて、大量の車両で封鎖地域を見回る計画を
進めていた。その計画は封鎖地域の境界付近で準備が進められていたが、隕石の爆発で跡形も無く吹き飛んでいた。
その結果、陸軍の上層部では今回の隕石はインディアンの神の天罰の可能性が、秘かに囁かれていた。
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七月に入ると暑い季節に入ったが、この時代はヒートアイランド現象が発生する事は無かった。
まだまだ扇風機や打ち水が、涼を取る主な手段で十分だった。それと日陰に入ると、それなりに涼しく感じられる。
皇居のある一画には木陰になって池がある場所があり、そこで天照機関のメンバーはカキ氷を食べながら会議を行っていた。
「中央シベリア高原に落ちる隕石を破壊する作戦は聞いていたが、それが失敗してアメリカに落ちたと聞いた時は肝が冷えたぞ。
アメリカの被害も少なくて恩を着せる事が出来たから、結果は良好だな」
「陣内がいきなり特務権限を使って外務省を管轄下に置いたと知らされた時は、何事が起きたのかと思ったよ。
まあ、中央シベリアの地下資源開発に何も支障は出ずに、アメリカの被害も少なかった方だしな。
何より、あのアメリカが二年前の事を含めて、正式な侘びを入れてきたのは重要だ」
「フィリピンを巡っては意見対立が相次いで、外交問題に為り掛けていたからな。これでフィリピンの問題も落ち着くだろう。
それにしても巫女、いや織姫に贈り物とは気がきくな。
女性の欲しがる宝石を大量に贈ってきた。ここら辺の機微は我々には真似できんな」
「アメリカは今後とも天災を察知すれば、事前に連絡をして欲しいと正式に要請してきた。それ程、今回の隕石では肝が冷えたのだろう。
長期計画で言うと、アメリカとは何時かは雌雄を決するが、今はその時期では無い。良い機会だ」
「巫女の信者はアメリカを嫌っている者が多い。二年前は善意の神託に文句を言われたから当然だろうがな。
その他にも短慮で目先の事しか見えない器の小さい輩は、アメリカとの関係改善に反対するだろうが無視すれば良い。
最優先すべきは彼らの感情では無く、日本の国益だ。議論するのは結構だが、小人の感情を気にしては国家は運営できぬ。
そう言う小人に限って、批判する時に自分の意見ではなく、集団の意見とするように動くから面倒が多い。
まあ我が国は付和雷同タイプが多いから、世論誘導さえ間違わなければ問題には為らないだろう」
「史実では今年の末に清の皇帝である光緒帝が崩御して、翌日には最高権力者である西太后も崩御する。
そして清国の最後の皇帝である溥儀が即位をして、その後には辛亥革命が起きる予定です。
その時はアメリカに動いて貰わないと困りますからね。第一次世界大戦の時もそうです。しばらくは友好関係を維持しても大丈夫でしょう。
ですが、史実と今の歴史が乖離し始めている今、天災全てが史実と同じく発生するとは限りません。
前回と同じく、巫女は力を使ったので臥せていると発表した方が良いでしょう」
「そうだな。予想外の災害が起きて、何故事前勧告してくれなかったと言われても困るからな。
話を戻すが、アメリカは『神威級』に対抗する戦艦の建造と、ヘリウムを使った大飛行船団の整備に力を注いでいる。
そして南米に手を伸ばして、南フィリピンと清国の植民地の支配を強化している。
二年前のサンフランシスコ地震のお陰で、インドネシアへ進出させろとの声は無くなったがな。
何とか我が国と衝突させないまま、中国大陸で痛い目に遭って膨張政策を止める方向に向けたいものだ」
「アメリカは凄まじい成長ぶりだ。これで西部の広大な地域までも得ていたら、手に負えなくなる可能性もあったな。
今のところはアメリカの力に期待する内容もあるんだ。友好関係を進めておくとするか。
但し、アメリカへの企業進出と、アメリカ企業の国内受け入れは極力しない方向で進める。
資源の輸出入も依存するのは望ましく無い。我が国の基幹産業に影響が出ないように、細心の注意をしておく」
アメリカは世界の上位に位置する大国である事に間違いは無い。
西部の広大な地域を封鎖しても、残った領土は広大で肥沃な大地と豊富な地下資源、そして多くの移民を受け入れて人口も多い。
群を抜く農業生産量と工業力、それらに裏づけされた軍事力は間違いなく脅威に値した。
控えめな行動を採るならともかく、フロンティアスピリッツという、勝てば正義という信念を持っているから尚更だ。
それでも日本にとっては清国の分断と縮小を進める上で、重要な国だとも言える。
将来的にはインディアンを守る為にも雌雄を決する必要はあるが、まだ日本はアメリカの力を必要としていた。
「アメリカとは何時でも縁を切れる準備を進めながらも、友好を維持しておけば良いだろう。
そのアメリカの被害を抑える為に、宇宙の攻撃衛星の大部分を失ったと報告があったが、どんな影響が出るのだ?」
「残ったのは一基だけで修理が必要です。そして修理をしても、地球全域をカバーする事は、もはや不可能です。
各国の飛行船を、好きな時に撃ち落す事は出来なくなります。
もっとも、インディアンとアボリジニには拠点防衛用の粒子砲を渡してありますので、最低限の防衛は可能です。
最近は『白鯨』も、アメリカの封鎖地域の西海岸とオーストラリアとニュージーランドの海上封鎖だけに止めてあります。
この前はローマ教皇庁の司祭の乗った船を沈めましたので、あの海域に侵入する船は少なくなってきています。
今まで通りに好き勝手に出来なくなっただけで、最低限のラインは守る事が可能です」
「これからは飛行機が実用化されていくが、何とかなると言う事だな。だが、列強を引き離す航空戦力の整備を進められるのか?」
「レシプロ機のエンジン程度なら直ぐに生産できますが、ジェットエンジンともなると生産設備から変える必要があります。
カムチャッカの研究都市で生産設備の立ち上げを進めていますが、時間は必要です。まずはレシプロ機の普及から始めます。
それはそうと、ハワイ王国の防衛用の『バハムート』は無傷ですから、最悪の時はそれを使います」
「無理をすれば何とかなるというレベルだな。分かった。陣内の方は航空戦力の整備に力を入れてくれ。
今のところはロシアを含めて各国との関係は順調で、新たに得た領土や中央シベリア高原とアルダン高原の地下資源の開発は順調だ。
『雲南横断鉄道』と『中東横断鉄道』も一部は運行を開始して、効果が出始めている。
ジブチとマダガスカルも開発に問題は無い。【出雲】艦隊も徐々にだが、拡大していっている。
各国が建艦競争をしている間に、如何にして各地の経済運営を軌道に乗せられるかで今後の展開が開けてくる」
現在は束の間の平和だ。各国は軍備拡張を進めており、史実通りに世界大戦への道を歩んでいる。
今の日本は列強に肩を並べようとしていた。そして各地の開発が順調に進めば、さらに国力を増すことが可能になる。
それでも日本だけで、列強全てを相手に戦える訳では無い。同盟国や友好国と連携を取って、勢力拡大に努める日本だった。
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アメリカに大きな隕石が落ちて広範囲なエリアが被害を受けたが、過疎地域であり民間人の犠牲者は少ないと報道された。
(陸軍の秘密作戦の拠点が壊滅して三千人を超える人員が失われたが、哨戒所が被害を受けたと処理されていた)
今回も日本から事前に勧告があって、関係改善が行われたとの報道があった為に、アメリカ国内の不安の声は徐々に小さくなっていった。
数百年から数千年に一度の備えなど出来ないが、事前の勧告があれば話は違ってくる。
アメリカはそれで治まったが、隕石が落下した事実は世界各国にも報道されて、大きな反響を呼んでいた。
「二年前に引き続きアメリカに天災が発生したが、どちらも日本から事前勧告が届いている。
これは日本がアメリカを意識しているという事か? それとも日本の何かの計画なのか?」
「さあな。二年前の大地震の時は神託が信用できないと言い掛かりをつけて、賠償請求してきたアメリカに巫女は怒ったんだよな。
でも、今回も事前勧告を行った。日本の巫女は何を考えているんだか? アメリカに媚を売ったのか?」
「犠牲者を少しでも少なくするという気持ちがあったかも知れんし、アメリカに恩を売ろうと考えたかも知れん。
本心は巫女に聞かないと分からないだろう。しかし、これでアメリカと日本の関係が改善された。
清国の湖北省を巡って、イギリスとアメリカ、ドイツの衝突が懸念されているが、どうなるか分からんな」
「日本はイギリスと同盟を結んでいるんだ。如何にアメリカと関係改善をしたと言っても、イギリスに付く事は間違い無いだろう。
そうなると、ドイツの立場が悪くなる。さて、どうなる事やら」
「中国方面の動きが顕在化しているが、アメリカの方にも動きはあるぞ。天災が続いたから、欧州から移民のペースが落ちている。
特にユダヤ人は祖国がアジアに出来たから、そちらに移民する傾向にある。アメリカから移民する事もあるそうだ。
こうなると、アメリカのユダヤ勢力も拡大傾向から縮小方向に変わるだろう。
それに日本の巫女は今回の神託で力を使って、病床に臥せっているそうじゃないか。これからどうなるか、不安だな」
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「何故、日本は欧米にばかり配慮をして、我が国に支援の手を差し伸べないのか!?
我が国の国宝級の美術品や文化財を持ち去ったからには、支援の義務があるはずだ!」
「以前に日本人が朝鮮や我が国の貧民に食料を無料で配った事があったろう。
その時には食料が尽きた途端に暴動が起きて、善意の日本人が暴動に巻き込まれて死んだ事がしきりに報道されている。
もし支援をしても掌を返されて、暴動に巻き込まれる可能性が高いと言ってる。まったく、何年も前の事を蒸し返すんじゃ無い!」
「三回も戦争をしたから、徹底的に我が国を潰す気なんだろうな。出雲議定書の後も、列強に河川砲艦を売りつけているし、
満州を奪ったロシアやチベット、雲南共和国と関係を深めている。そしてモンゴルはロシアと関係を深めている。
つまり、我々は日本の勢力に囲まれてしまったんだ。この劣勢を挽回するのは無理だろう!」
「どうすりゃ良いんだ!? 雲南共和国が独立した事に加えて、イギリスとアメリカ、ドイツに占領されて領土が大幅に減っているのに、
莫大な賠償金を支払う為に、重税が国民に課せられているんだ。このままじゃ、国が潰れてしまうぞ!」
「今更、日本に頭を下げても信用して貰えないだろうな。だったら、革命を起こすしか無い!
無能な満州族の支配する清王朝を打倒して、俺達漢民族の国家を建設するしか無い!」
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「お前は西部の封鎖地域を一度は極秘裏に調査すべきだと言っていたな。
今回の隕石はインディアンの神の警告という噂もあるが、お前はどう考える?」
「……封鎖地域を調べるべきだという気持ちは変わっていませんが、今は時期が悪過ぎますね。
政府は封鎖をより厳しくするでしょうから、しばらくは様子を見るべきだと思います」
(こんな大昔の歴史なんて覚えていないが、大きな隕石が落ちたなんて事があったのか!? 日本の転生者が介入したのか!?
いや、隕石の軌道に介入できる技術を持っている筈が無いんだが……『バハムート』の事もある。まだ断定できないな。
しかし、日本の奴らは何をしたんだ!? 早く日本を抑えないと、アメリカの国力が削がれるだけだ!
敵の敵は味方という考え方がある。日本とユダヤ人を敵視している李承晩に支援を行っているが、どこまで信用できるやら。
まったく親父から任されたのは小さな事業だから、資金をやり繰りするのは大変なのに際限なく支援を要求してくるからな。
約束どおりに慰安婦を送り込んできていて、利益が出始めているからまだ良いけどな。
こうなると中国にも手駒が欲しくなる。李承晩に言って、中国人でこちらの指示に従いそうな奴を見つけさせよう。
実績を出せば親父から早く事業の引継ぎが出来る。そうなれば権限も増えて、やり易くなるからな)
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「我が国と日本は同盟国だ。アメリカが災害の事前勧告を受けるなら、我が国の方が優先だ。
以前のインドの大地震の時のように、事前に連絡が入れば被害も減らせる。
植民地を含む我が支配領土に災害があるような場合は、事前に連絡を寄越すように日本に要請しておけ」
「は、はい。ですが、日本の巫女の力は地球全体に及ぶのでしょうか?」
「それは知らん。日本の皇室の最高機密だと言って、会わせてもくれないからな。
ただ、巫女の神託で我が国が利益を得られれば良いのだ! 同盟のメリットを最大限に生かす時だ。直ぐに手配をしておけ!」
「日本からの提案でキプロスのギリシャ系住民をクレタ島に移したが、住民達はギリシャとの併合を求めて反乱を繰り返している。
どうやら我々はババを掴まされたらしい。あまり日本を信用しない方が良いかも知れぬ」
「そうは言っても天災を事前に知る事が出来るのは日本だけだ。何としても、そのメリットを生かしたい!」
「巫女は今回の神託で力を使って、病床に臥していると日本から発表があった。
あまり巫女の神託に依存しない方が良いぞ。当てにして、勧告が無くて災害が発生する事もあり得るからな」
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「日本は我々の領土を次々に奪って、ユダヤ人に与えただけで無く、手厚い支援まで行っている。
その日本に復讐する為に、対立しているアメリカと手を結ぼうと、国内の女達を送り込んだが効果は無いのか!?」
「食い扶持を減らす意味を込めて、アメリカとドイツの清国の占領地に大量の慰安婦を送り込みましたので、利益は上がっています。
しかし我々が強制的に慰安婦を送り込んだ事を、ユダヤ資本や日本の新聞社が批判報道している為に我が国の評価がさらに悪化しています。
アメリカとドイツの兵士は頻繁に通っているようですが、外聞があるのでこっそり使っている為に、我が国への好感度は変わりません」
「またしてもユダヤ人と日本人が邪魔をするのか!? 国内の食料不足対策と外貨獲得の貴重な手段を我々から奪おうと言うのか!?
支援をしない癖に、我々が慰安婦を派遣した事を非難するとは偽善が過ぎる! 日本に厳重な抗議をしておけ!」
「抗議と言われましても、我が国は日本と国交がありません。第三国の領事館経由で抗議をしておきます」
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「アメリカと日本の関係が改善するか。リリアンはどう考える?」
「昨年の打ち合わせで、シベリア高原に落下する隕石を防ぐって聞いていました。
それが北米大陸に落ちたという事は、何らかの介入を陣内さんがしたんでしょう。被害が少ないのは不幸中の幸いね。
でも、何れはアメリカと日本は衝突すると思います。一時的に関係が改善しても、太平洋の覇権を掛けて戦争が起きると思うわ」
「成るほど。これは一時的なものだけという事か。アメリカは自由な国で多くの仲間が居るんだ。
最近はこちらに移民するのが増えたがね。もし、アメリカと日本が戦う事になれば、政府は難しい舵取りを迫られる事になるだろう。
今のうちから対応を考えておくとしようか。それはそうと、リリアンの恋人は何時連れて来るんだ? 待っているんだぞ」
「も、もうちょっと待って! 今は日本で勉強中なんだから、卒業の時に紹介するわ!」
(陣内さんも認めた人だって言ったから煩く言われないけど、一緒にオーストリアに行くと言ったら絶対に反対されるわね。
ああ、どうしよう!? やっぱり最終手段で内緒で結婚を済ませてしまうしか無いわ!
サリーに先を越されたのは悔しいけど、あたしにはダーリンが居るから良い。やっぱり愛しのダーリンの子供を産みたい!
前世のあの人と巡りあえるなんて、あたし達は絶対に赤い糸で結ばれているのよ!)
所属する国や組織によって、受け止め方が異なるのは良くある事だ。ある人間は自国の利益を考えて、ある人間は会社の利益を考える。
そしてアメリカと日本の関係改善は、世界各国の注目を集めていたのは事実だった。
各個人毎の事情も複雑に絡んでいるが、まだ世界は偽りの平和を守っていた。
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昨年にハーグで行われた平和会議に爆弾を持ち込もうとしたのが発覚して、大韓帝国は諸外国から大きな非難を受けていた。
不当にユダヤ人を非難した報復なのだが、『東アジア紀行』などが世界に普及した為に大韓帝国が計画した事を疑う人間は殆ど居なかった。
大きな批判を浴びて、時の皇帝の高宗は強制的に退位を迫られて、息子の純宗が二代目の皇帝になっていた。
もっとも皇帝が代替わりしても国民の生活に大きな変化は無く、相変わらず国民は重度の貧困を強いられていた。
朱子学(儒教)という上下関係が厳しい教えが国教となって広く普及しているが、全員が上に従順という事は無い。
国内統治をし易くする為に普及させた教えなので、同じ支配者層に通用する筈も無い。
生活が苦しい原因は現在の王族にあるとして、革命を秘かに考えている組織があった。
額は大きくは無いが、定期的にアメリカのバルナート財閥から支援を受けている李承晩の率いる組織だ。
李承晩は継続的に受ける支援の窓口として、若かったが組織の実権を握っていた。個人的な軍隊までも整えている。
僅かずつだが工業化も進める余裕があったくらいだ。それにはバルナート財閥から支援以外の収益もあった。
支配する領土の若い女性を、バルナート財閥のダミー組織の運営する風俗施設に送り込んでいるので、そこからの利益もある。
そして李承晩の組織の支配する地域は、他と比べると衛生環境も改善されて比較的豊かな生活が送れていた。
それは外的な要因もあったが、金恨玉という若者が色々な改善を提案してきて、それを採用した事も理由の一つだ。
「お前の提案した内容を実施したお陰で、村の臭気は減って少しは農作物の収穫量が上がった。良くやったな。
今後とも改善案があれば、私に報告するようにな。私が良いと思えば採用してやる」
「ありがとうございます。ところで李承晩様は中央に何時進出するのですか? 今の王室では、国は自滅するだけです。
一刻も早く革命を実行して李承晩様が皇帝の地位につかないと、国が滅びてしまいます」
「それは分かっているが、機会を待っているのだ。中央とのパイプはあるが、中々準備が進まない。
来週には知人の安重根という者が来るから、相談するつもりだ。お前は若者を指揮して、田畑の開墾や訓練をしていろ!」
「……その方が来られたら、自分もお話をさせていただきたいのです! 御願いします!」
「ふむ。まあ良いだろう。その時は声を掛けてやる。その時までは仕事をしっかりやれ!」
「ありがとうございます!」
「そうそう、例のものはお前が加筆しているのだったな。上手く書ければ、私がこの国の実権を握った後に、大々的に広める。
だから、空いた時間を見つけて完成度を上げておけ!」
史実では来年に伊藤博文が哈爾浜駅で暗殺されるという事件が発生した。
だが、今の状況は史実の出来事が起きるはずも無かった。それでも大韓帝国の住民に不満が渦巻いているのは間違いは無い。
こうして李承晩は革命を目指して動き出していた。
尚、この時点では李承晩は国内の掌握を、第一目標として考えていた。
ロシアと東方ユダヤ共和国、そして日本に報復するのは国内の実権を握ってからだ。
領地の住民へはハングル文字の普及を進めさせると同時に、自尊心を高める為に朝鮮民族は優秀な民族なのだと教育も進めていた。
それにはアメリカ留学中に趣味で書いた物が、住民の自意識を高める為に使用されていた。
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アメリカは『神威級』に勝てる戦艦を建造すると、それを含めた十六隻の大西洋艦隊と飛行船団を世界一周航海に送り出していた。
これもアメリカの示威行動の一環だ。アメリカはフィリピンと清国に領土を得ており、その維持に腐心していた。
史実ならアメリカと日本が戦争になるとの噂が流れて不穏な空気が漂ったが、今回は異なる。
アメリカには『神威級』に勝てる戦艦の数はまだ少なく、北米大陸の隕石落下を日本が事前に勧告を行った事で
両国が戦争に突入する可能性は極めて低いと考えられていた。
アメリカにしてみれば、二年前のサンフランシスコ大地震に続いて、今回の隕石の件でも日本に借りを作った形になる。
日本の国力は史実よりは遥かに高く、アメリカには及ばないとはいえ、他の列強に肩を並べる程度には成長していた。
結局、アメリカは巫女に正式な謝罪をした事で、ホワイトフリートと飛行船団は日本に立ち寄って交流を深める事になった。
まあ両国とも腹に一物は抱えているが、表面上は友好を謳っていた。
ホワイトフリートに対しても日本の主力艦隊は見劣りしないものだった為、日本国民の不安を喚起するような事態には為らなかった。
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清国の光緒帝が死亡した翌日に、最高権力者である西太后も死亡した。
余りにも死亡日時が近い為に、自分の死期を悟った西太后が道連れにしようと光緒帝を毒殺したという噂もあった。
だが、それは闇に葬られて余人の知るところでは無い。生き残った関係者は後継者を擁立して、体制の維持に懸命となっていた。
しかし、それは清国の政府関係者だけだ。民間の財閥は、生き残る為に清王朝への見切りをつけて革命勢力に接触を開始していた。
「二歳の皇帝陛下か。操り人形になるのは分かりきった事だし、清王朝も終わりだな。次の体制を考えた方が良いだろう」
「欧米の進出の勢いは衰える事は無く、賠償金の支払いの為に重税が圧し掛かっているから住民の不満は溜まる一方だ。
このままでは爆発するのも時間の問題だ。我々の利益も減る一方だし、やはり清王朝を倒すしか無いだろう」
「ああ。無能な清王朝に任せれば欧米の進出は加速して、さらに領土を失うかも知れぬ。ならば、早く行動を起こすべきなのだ」
「イギリスなどの列強に奪われた地や、チベットとモンゴル、雲南共和国も取り戻す必要があるが、それには時間が必要だ。
それと武器弾薬もだ。公式に輸入できぬが、金を積めば融通してくれる国は幾つもある。少々痛い出費だが、揃えない訳にはいかぬ」
「清王朝打倒を訴えている革命派勢力への接触は順調だ。上手く行けば、我らの利権も守られる。問題は我が国の工業化だ。
我が国の悪評が広まって、苦力として各国に行っていた同胞が送還されてきているし、欧米で我々を対等に扱ってくれるところは無い。
どうやって我が国の工業化を進めるか、悩みどころだ。こればかりは金を用意さえすれば良いものでは無い」
「呉奇偉という若い奴が面白い案を出してきた。資源と引き換えに、欧米の中古設備を購入して工業化を進めるというものだ。
新品の設備は高くて技術が無いと扱えないが、中古なら何とか為るのではという案だ。面白そうだから、話を進めさせている」
「中古設備か。欧米が処分に困っているのなら、案外と上手く行くかも知れぬ。そやつに任せるのも一興だな」
亡国の危機が迫っているというのに、二歳の皇帝を即位させても何も役には立たないのは誰の目にも明らかだ。
それに民心は義和団の乱の時から清王朝から離れていた。その為に、次の時代を見据えて行動が始まっていた。
しかし、問題もあった。列強と肩を並べるまでに拡大した日本は、清国にとって脅威に見えている。
今までの経緯から関係も悪く、ロシアとモンゴルやチベット、雲南共和国の包囲網は日本によって形成されたものだ。
つまり、日本は完全に清国を敵と看做して、その準備を着々と進めている事になる。
この状態が続けば、さらに中国に大きな損失が出る可能性が極めて高いと予測されていた。
「近場の日本に支援を頼むのが効率的なのだろうが、今は関係が悪化しているから無理だ。
将来の事を考えて、今から日本とのパイプを作っておいた方が良いのは間違いないが、どうやるかだな」
「難しいのは事実だ。日本の領海に入った我が国の漁船を厳しく取り締まり、停船勧告に従わない漁船は撃沈している。
イギリスやアメリカ、ドイツの占領地の住民であっても、同じ様に対処しているくらいだからな。
こちらが違法操業をしているからと大々的に批判して、容赦ない態度を取っている。
それが日本を始めとして、世界各国に知られているから始末が悪い。我が国への評価が落ちる一方だ。
日本の企業の我が国への進出は無く、政府間もそうだが民間の交流さえも無い。やはり裏口からパイプを作るしか無いだろうな」
「とは言うが、我々が袖の下の工作が盛んだという事が知られ渡っているから、受け取らない人間が多くて困る。
一度でも袖の下を受け取ると、骨の髄までしゃぶられる実例を、日総新聞は書いている始末だからな」
「まったく賄賂のどこが悪いんだ!? 融通が利かない奴らだ! そうなると残った方法は女だな。
鴨が網に掛かるのを待つとしようか」
「少しでもパイプが出来れば、そこから協力者を拡大できる。そうなれば、日本に勢力を根付かせる事も可能だ。
そうなれば、日本からの支援を引き出す事も出来る。最初は下手にでれば、日本の奴らも我々を信用するだろうさ」
「相手を騙そうとするなら、最初はお人好しを装わなくてはな。それで我々が善人だと思ってくれれば良い。
最終的に我々の利益になるなら、一時の屈辱には耐えられる。そして力を取り戻した時に報復すれば良い。我々は気の長い民族だからな」
陣内は報道機関を使って、自分達と異なるモラルを持つ国家と交流を持つ危険性を継続的に訴えていた。
政治的には中国との交流の幅を狭めているので、接点を持つ人間は極めて少ない。
特に中国との交渉にあたる外務省の人間には、厳しい教育が施されていた。
こうして中国側の接待攻撃は、日本との接点が非常に限られるという厳しい条件で進められていった。
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福建省と浙江省はイギリスとアメリカの植民地に挟まれており、名目上は清王朝の領土だったが政治的には分離されていた。
その為、皇帝崩御による影響は極めて少なかった。
現地の有力者による支配が進み、中央への納税は行われずに独立独歩の雰囲気が強まっていた。
そんな中、利発さを見込まれて登用された胡適は、上司に台湾との交易を増やすように進言していた。
「無理だ。中華博物館への観光の為に台湾へは行く事はできるが、交易は殆ど無いのだ。
『環ロシア大戦』の後では雲南共和国やチベットから日本への資源の輸出が増えた代わりに、こちらからの輸出は殆ど無い。
交易自体も日本側がメリット無しと判断して、行われていないのが実情だ」
「確かに現状では此方から輸出できる品目は限られています。しかし、台湾を経由した第三国への食料の輸出は可能でしょう。
こちらの現金収入にもなるし、東方ユダヤ共和国や日本はまだまだ大量の食糧を必要としています。
その分野の開拓を行ってはどうでしょう? 上手くいけば貿易品目を増やす事も可能です」
「食料か。……フィリピンやベトナム、タイ王国やインドネシアから大量の食料が輸出されているが、それに食い込むか。
良いだろう。今度は台湾総督府の人に相談してみよう」
今の清国に大々的に輸出できる品目は、第一次産業製品しか無い。
それでも交易を続けて信用を得れば、工業製品の輸入に繋がるとして台湾との交易を開始する交渉が始められていた。
台湾は中華博物館の経済効果もあって、文化都市として発展している。
芸術学校などが数多くあり、日本中から芸術家を目指す学生が集まって活況に沸いていた。
そんな彼らに胡適は接触して、個人的な友人関係を築こうとしていた。
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日本はイエロージャーナリズムを排除しようと、報道規制法を制定していた。
根拠の無い捏造記事を書いた場合は、その捏造度に応じて処分が行われた。捏造度が軽ければ、警告や罰金で済む。
捏造度が高い場合は、記事を書いた記者への刑事罰があって、最悪の場合は新聞社が潰される。
マスコミの暴走を食い止める為に考えられた法律で、実際に適応されて潰された新聞社もあった。
だが、国民の全てが真実を求めている訳では無い。真実より娯楽や刺激を新聞に求める人達もいた。
そんな人達から報道規制法の改正要望が出され、それが国会の検討委員会で討議されていた。
「読者を煽って部数を伸ばす新聞社を野放しにするのは危険だ。しかし生活レベルが改善した国民が、娯楽を求めているのも事実だ。
衆愚政治を回避する為に無条件に国民の要望を叶える事は無いが、今の報道規制法は考え物だな。
娯楽を提供する意味でも、今の報道規制法の改正が望まれている。ただ、何処まで規制をしたら良いのか?」
「政治面や軍事面から考えた場合は、イエロージャーナリズムを排除した方が好ましいのは確かだ。
国家の大方針を、マスコミの扇動で感情的になった国民に歪められたくは無い。今の民度では客観的な判断を下せる国民は少数だからな。
だが、十人いれば十人なりの考え方があるから、徹底的にイエロージャーナリズムを排除するのは問題だと言う事か。
国民全てが真面目な人間ばかりでは無く、身の回りの人達さえ良ければ政治や軍事に無関心な者もいる。どうするかだな」
「いくら民度が上がっても、政治に無関心な人間は無くならない。そんな彼らが娯楽を求めるのも理解できる。
『笑う門には福来る』という格言があるぐらいだしな。ラジオやその他の娯楽だけでは不足しているという事だ。
だが、政治に無関心で簡単に捏造報道に扇動される人間が多くなり過ぎても困る。
今は選挙権が納税額で制限されているが、将来は撤廃されるだろう。
その時に見識の無い国民が、中身が無くて理想論ばかり口にする政治家に投票したら問題は大きい」
「容易に噂に振り回される事が無く、客観的な観点から考える事が出来て、先見性を持つ国民が増えるのが好ましい。
しかし、国民全員にそれを強要できるはずも無い。そんな彼らも日本の国民だ。
生活レベルが上がって余裕が出れば、娯楽を求めるのも当然か」
「基本的に我が国には言論の自由がある! 皇室や軍事関連で完全な自由は難しいだろうが、それ以外の面では制限を撤廃した方が良い。
諸外国でも我が国の報道規制法が厳し過ぎて不評だ。別に諸外国の評判を気にし過ぎるつもりは無いが、早めに是正したい」
「ちょっと待ってくれ! 捏造報道も拙いが、物事の本質を報道しないで読者受けする記事を書こうとする姿勢も問題だ。
読者が望むからという理由で、本来の報道すべき事を取り上げず、読者の興味をそそる記事を書いている新聞社は多い。
大衆迎合主義の最たるものだ。これを放置しては問題が大きくなる。
良い例が、沖田提督の記事だ。あれで提督本人から苦情が寄せられて、もう一般の新聞社の取材は受けないと言っている」
環ロシア大戦の後で英雄に祭り上げられた沖田は、日本を含めて世界各地で講演を行った。まあ、これも宣伝の為だ。
機密情報は言えないが、苦労話や戦訓に関わる事を話して好評だった。そこに日本の各新聞社が取材に殺到した。
まだ三十代の若き提督。【出雲】の守護神。そうやって過大に報道されて、読者の興味をそそろうと、家族構成や沖田の学生時代の事、
好きな食べ物、果ては沖田の好みの女性タイプなどを取材記者は沖田から聞き出そうとした。(日総新聞を含む数社は除く)
機密情報を目立たせない為に、沖田は偶像として英雄に祭り上げられた。だが、沖田は私生活まで切り売りしたつもりは無い。
軍人としての取材ならともかく、沖田の私生活を暴こうとする新聞記者は大迷惑だった。
それらの事もあって娯楽や刺激を求める国民の要望と、報道規制法の改正をどう進めていくか問題になっていた。
今の日本は立憲君主制であり、ある程度の言論の自由は制限できる。しかし、厳し過ぎる制限は反発を生む。
これが日本と敵対する意思を持つ人間なら徹底的に無視すれば良いだろうが、悪意が無い国民の要望まで無視する訳にもいかない。
将来のリスク回避と現時点での国民の要望を、どうマッチングすれば良いかを国会の検討委員会で討論されていた。
「だったら、信用できる報道機関と娯楽に割り切った報道機関を区別すれば良い。要はランク付けだ。
信用度の高い新聞社を『特級』『一級』の扱いにして、事実より読者受けする記事が多い新聞社を割合に応じて『二級』『三級』にする。
そして、その等級を新聞だったら表紙の目立つところに記載する事を義務付けるんだ。ラジオだったら一定時間内に放送させるとかだ。
取材の時も等級が高い新聞社には前列に座らせるなどの便宜を図る。そして質問の受付も差をつける。
売上優先の新聞社と、真面目な取材を行って事実を書く新聞社を同じ扱いにしては、それこそ不平等だからな」
「……良い案かも知れないな。娯楽と刺激を求めるだけなら、面白ければ等級など気にしないだろう。
それに低い等級の新聞を読んでいるのを恥じて、上の等級の新聞を読みだすようになってくれるかも知れない。
売上部数だけを気にするような新聞社なら、等級は低くても利益が上がれば文句も無いだろう。
酒でも美味さ毎に等級分けされている。低い等級が嫌なら、頑張って信用を上げれば良いだけだ」
「その新聞社の等級監査は重要だな。第三者機関で公正に判断しなくてはならない。
監査機関のメンバーも厳選して、国民が納得するようにしなくてはな。
そこに変な思想を持った人間が、紛れ込まないように注意する必要がある」
人は其々考え方は微妙に違う。三人集まれば派閥が出来ると言われる所以だ。
だが、同じ共同体の一員として方向が合っていれば協力できるだろう。
政治や軍事に興味は無くとも、自分の住む地域や国に愛着を感じていれば、何処かに妥協点は見出せる可能性はある。
日本に悪意を持っているなら論外だが、故郷や祖国を発展させるという気持ちを持っていれば話し合いは有益だ。
こうして悪意の無い、娯楽や刺激を求める人達の為に、報道規制法の改正案が議会に提出された。
それは利益を追求する事を優先する新聞社を低い等級に分類し、それを彼らに公表を義務付るという皮肉なものだった。
差別だとか言論封殺だという反論もあったが、今までよりは規制が緩くなるので、国会で改正案は可決された。
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十二月になり、冬の季節になっていた。清国で政変が相次いだ為に、天照機関はその対応を協議していた。
「先月に清国の光緒帝と最高権力者の西太后が崩御して大混乱していたが、やっと次の皇帝の溥儀が即位したな。
出雲議定書で大幅に領土を削られて国力が落ちている状態での即位か。些か哀れに感じるな」
「史実では清国の最後の皇帝だ。三年後の辛亥革命が起きれば、清国の滅亡は確実なものになる。
それに満州の地はロシアが抑えているから、逃げるところは何処にも無い。我が国が保護するのもあり得ない」
「福建省と浙江省(杭州以南)こそ生活は安定しているが、それ以外の清国の領土の治安は荒れて、紛争が相次いでいるからな。
三度も戦って、三度とも敗北した結果だ。自業自得なのだろうが、苦しむ国民が救いを求めるのは当然だろう」
「チベットと雲南共和国の国境付近の防衛力は強化してある。モンゴルもロシアの指示で国境線に兵を配備してある。
イギリスとアメリカ、ドイツにしても戦乱に巻き込まれたく無いから、植民地の境界付近には防衛軍を配備している。
辛亥革命が起きても、今の中国が以前の領土を取り戻す事は無いだろう。包囲網も完成した事だし、後は中国をどうするかが問題だ」
「頭を下げて支援を要請してきても、自分達の力が上がれば掌を返す事は間違い無いからな。
第一次世界大戦がどう影響するかは分からんが、イギリスとアメリカ、ドイツに頑張って貰うしか無いだろう。
既にその方向で動いている。我々は中国大陸に関わる事なく、発展を目指すべきだ」
「言い方は悪いが、損害の多い陸戦は基本的には現地の勢力にやって貰う事になる。我々はその支援だ。
その為にも、中央シベリア高原とアルダン高原、満州の地下資源の開発を一層進める事が必要だ。
それと同盟国と友好国、保護国の開発もだ。列強は軍拡に取り組んでいるが、我々はその先を見据えて手を打っている」
今のところは日本の外交戦略は成功しており、孤立の道を歩む可能性は極端に低下している。
同盟国と友好国、保護国もあって列強に十分対抗できる勢力となりつつあった。
地道な工業化を進めた事もあるが、地下資源の有無を最初から知っていたメリットを最大限に生かした結果だった。
「我が国の陸軍と海軍の拡張は、極力抑える。代わりに工業化と航空戦力の整備に力を注ぐ。あと数年が勝負だろう。
こうなると、朝鮮半島の咸鏡北道の領土に、大規模な航空基地の建設を進めておいた方が良くは無いか?」
「あそこはロシア帝国と東方ユダヤ共和国に隣接してる。中国の脅威が無い現在、警戒を招く航空基地の建設は行わない方が良い。
辛亥革命後に中国の脅威が増してきた時点で考えても遅くは無い。それはそうと、大韓帝国の様子はどうなっている?」
「産業を発展させる目処も無く、ジリ貧の状態が続いている。人口も減少傾向は変わらない。今までの債務もあるからな。
どんな手を打ち出して来るかは不明だが、現状を維持すれば衰退するのは間違いは無い。
何れは何らかの改革を行うだろうが、我が国が巻き込まれなければ其れで良い。彼らの運命は彼ら自身の才覚に委ねるべきだからな」
「中国もそうだが、彼らと我々との間には別の国家という壁が存在している。
彼らは彼らの領分で、自らの信じる道を行けば良い。直接に関わらないようになれば、我々が足を引っ張られる事も無いからな。
この状態で列強との関係を維持して、第一次世界大戦と第二次世界大戦を勝ち抜けば今後の展望は開けてこよう。
我々は全日本国民の為にも、同盟国や友好国の国民の為にも負ける事は許されない。舵取りをしっかりしてくれ!」
列強と肩を並べる国力を日本は持つに至った。
広大な未開発の領土もあり、これを開発する事で日本は豊富な地下資源を有した大国になる可能性を秘めている。
しかし、今後に予定される二つの世界大戦の舵取りを間違うと、全てを失う羽目になる。
天照機関のメンバーは真剣な表情で、今後の対応について協議を行っていた。
「それはそうと、例の報道規制法の改正案は議会で可決されたな。まさか、報道機関を格付けするなんて思わなかったぞ。
我々は議会から離れて最近の様子は知らぬが、面白い事を考える議員もいるものだな」
「娯楽を求める国民の意志を無視する事も出来ず、かと言って将来の禍根になる捏造報道を許す下地を残すのも拙い。
両方に配慮した改正案だ。売上優先の新聞社と、真面目な報道をしている新聞社を同じ扱いをするのも失礼だしな」
「嫌なら読まなければ良いという詭弁を弄する者も居るが、それは自分の事しか考えていない。
国民は様々な考え方を持っている。中には国が制限しないなら、嘘は書かないだろうと善意の解釈をする国民も多い。
繰り返して嘘の報道をする事で刷り込まれる効果も無視できんからな。
そんな彼らの為にも新聞社をランク付けするのは賛成だ。嘘の情報を事実と誤認させるリスクは回避するべきだ」
「改正前の報道規制法は厳しかったが、それでも求める読者が居たから受け狙いや過激な報道が行われて潰れた新聞社があった。
最近は法の隙間を狙った過激な報道が増えていたから、ちょうど良い。金を求めるなら、名誉は諦めて貰おうか。
アメリカで米蘭戦争の後に下火になったイエロージャーナリズムが、復活する気配を見せている。
刺激的な報道を望む読者がいる限り、利益を追求する新聞社は無くならないという事だ。これも人間の本質だろうな」
「アメリカの事をそう気にしなくても良いだろう。我が国は自らの信じる道を歩めば良い。
国民の公共マナーなど直ぐに向上する訳では無いが、徐々に改善されている。こればかりは近代化と同じで時間が必要だからな。
最近は言葉遣いもだいぶ良くなってきたと聞く。徐々に啓蒙活動の効果が出てきた。やはり落ち着いた報道をする新聞社を優遇して正解だ」
「いや、炎上商法を企む輩や、自分の主張を押し通そうと、批判する相手を罵る輩は無くならない。
言葉遣いは自分の内面を表すとは良く言ったものだ。議論を否定する訳では無いが、己の事しか頭に無い小人と話すと疲れるだけだ」
「己の主張を目立たたそうと、相手を洗脳されているとか、思い上がっているとか上から目線で批判する人物は確かに多い。
そして批判している人物が、批判するに相応しい人格と能力を持っているかは別だ。特に小人は汚い批判が強い傾向がある。
人は己の器量の範疇でしか、物事を判断できぬ。それは我々も同じだ。全能の存在ならともかく、人間とは間違いを犯す生き物だからな」
「日本に悪意を持っている人物の発言ならともかく、そうで無いなら批判も大目に見るべきです。
悪口を言ってストレス解消をしている人もいますからね。発言者に性格的な問題があっても、ある程度の言論の自由はあった方が良い。
不満を抱えている人はどうしても攻撃的になる。その不満を放置しておくと、通り魔殺傷事件のような問題が発生する可能性もあります。
国民全員の不満を解消など出来る訳は無く、ある程度の不満を持つ人が居るのは当然の事です。
やはり物質的な満足感より、精神的な満足感を得るように仕向けた方が良い。
国外はともかく、国内は精神的満足度の充実を進めるべきです。その方が不満を解消させるのが楽ですよ。
お互いが信じられず、近所同士で警戒して罵り合うような社会は勘弁して欲しいですからね」
「国民全員が物質的な満足感を得ようと思ったら、資金も資源もいくらあっても足りはしない。
だったら、地域や国に自信と誇りを持たせて、精神的に満足させる方向が良いな。
幸いにして、台湾の中華博物館は上手く運営されて効果を出している。
生活が安定したら、芸術方面で精神的な満足感を味わえるように方向付けするのも良いだろう」
「政治や軍事に見識を持った国民が多いなら、民主主義も安定しよう。
だが、煩わしい事に関わるのは嫌で、批判だけ出来れば良いと考える国民が多いのは事実だ。
長い封建社会だった日本に根付いた考え方だ。これを修正するのは容易では無い。そもそも実現可能なのかさえ疑わしい。
だが、見識が無い国民が多い状態で全面的な民主主義を導入すれば、制度の隙を狙って悪用する輩が横行する。史実が良い例だな。
まあ、直ぐに結論を出すべき問題では無いし、各自で持ち帰って考える事にしよう」
人間とは複雑な生き物だ。何がしかの満足感を得ようとして努力する。その努力を放棄すれば、堕落して衰退する。
だが、満足感を求める方向が物質的な場合、コストが掛かって他者と衝突するリスクは高い。
だからこそ、広大な領土を獲得して希望が見え始めた日本にとって、物質的な欲望より精神的な充足感を求めた方が都合が良い。
諸外国との生存競争に勝ち残る為には、向上心や競争心は必要だ。それが無くなれば、日本は衰退する。
だが、あまりに物質的なものばかり求めると、その先は際限の無い競争社会だ。
二律背反に悩みながらも、試行錯誤的な施策が行われていた。
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(2014. 6. 1 初版)