1906年
カムチャッカ半島の広大な土地に、理化学研究所の施設の建設が始められていた。その面積は勝浦工場が楽に数個は入る大きさだ。
クリーンルームを内蔵した巨大な電子部品の製造工場、南大東島の残存施設から持ち込んだ設備を活用して立ち上げたウラン濃縮装置、
トリウム熔融塩炉の実験施設、その他の各種の研究施設や実験場などが予定されている。
色々な素材の開発や電子部品の開発技術、核エネルギー技術、飛行機などの様々な実用技術を確立するのが主な目的だ。
自分達の手だけで最初から上手く行く筈も無いが、織姫のデータが残されているので試行錯誤の回数は少なくて済む。
必要とされる環境や製作方法も指標があるのと無いのでは、技術開発の効率に天と地ぐらいの差が出てくる。
住居施設も充実しており、各施設は地下トンネルで連結されて冬季においても問題なく稼動できる。
商店街や学校なども予定されており、未来の研究都市として建設が進められていた。
天照基地が失われた為、高精度・高性能な機器の製造が出来なくなった。
しかし知識は残っており、それに基づいて色々な技術開発を進めるつもりだ。今でも列強に対して技術のアドバンテージはある。
それに胡坐をかく事無く技術開発に努めれば、将来でもアドバンテージを維持する事が可能だ。
何も知らなければ試行錯誤を繰り返すが、指標があれば開発も容易になる。それは欧米には無いメリットだ。
施設の完成に数年は掛かるだろう。しかし始めなければ、成果は何時になっても出ない。
陣内は焦る気持ちを抑えて、研究施設の建設を重点的に進めるように指示を出していた。
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『環ロシア大戦』は終わって世界に平穏が戻っていたが、戦争の火種は世界のあちこちにある。
それでも日本は新たに得た領土の開発や、中央シベリア高原とアルダン高原、雲南共和国の開発と『雲南横断鉄道』の建設、
『中東横断鉄道』の建設、各地で保護国になった国の開発などが目白押しになっていた。
清国への武器輸出はゼロになったが、イギリス、アメリカ、ドイツの占領地への輸出は増加している。雲南共和国とチベットも同じだ。
一般的に戦争後は戦争特需が終わるので不況に突入するパターンが多いが、今のところは日本にそんな影は見られない。
経済が活況である事から日本国内も安定しており、その事について天照機関は新年会を行いながら協議していた。
「ロシアとの戦争が終わって、その後始末に昨年は明け暮れたな。まあ、各地の開発が目白押しだ。
経済恐慌も起きる暇は無いだろう。忙しいのは良い事だ」
「新たに得た領土の開発を後回しにして、半分の採掘権利だけある中央シベリア高原とアルダン高原の開発に重点を置いている。
ロシアは資金と手間を掛けずに資源が入ってくるから、ホクホク顔だ。これでロシアにも影響力を行使する事が可能になった。
飛行船十隻と新型戦艦一隻、それと設計図の代金の代わりにアムール川の東側の樺太(サハリン)の対岸一帯と
シホテ・アリニ山脈一帯の開発権利を得たが、資源保護の意味で先送りだな」
「人材と設備が限られているからな。雲南共和国に開発リソースを回す分もあるんだ。完全に取り込んだ所は後回しだ。
まずは独立させた地域の開発を進めて、治安を維持して生活レベルの改善を優先しなくてはな」
「雲南共和国やチベットもあるが、ベトナムやカンボジアまで開発しなくては為らないんだ。
ベトナムやカンボジアはゆっくりで良いだろうが、清国や他の列強への対抗上、『雲南横断鉄道』の建設は急いで進める必要がある」
「うむ。賠償金のかなりの資金を注ぎ込んでいるからな。二年間の税を免除した事で、住民の治安も保たれている。
年内にはある程度の成果を出したいところだ」
「東方ユダヤ共和国は『環ロシア大戦』で三ヶ国の陸軍の猛攻を防いだ勇名が広まって、各国からの移住のペースが増えている。
欧州からの移住者が大部分だが、最近はアメリカからの移住者も増えているらしい。
領土は増えたが、人口も激増したので大忙しだ。建設資材や大型重機の輸出要請が大量に来ている。
ハワイ王国やペルー、フィリピンとインドネシアの開発は軌道に乗ったから、ある程度は現地に任せられるが仕事は一向に減らない。
国内の景気が上向くのは良いんだが、休む暇が無いな。陣内、身体に気をつけろよ」
「そうだな。天照基地を失ったが、まだ我々には時間的な余裕はあるんだ。ここで無理をして倒られては困るぞ」
「ありがとうございます。カムチャッカの研究都市の件は、理化学研究所の北垣君に任せてあります。
各地の開発も苦労するでしょうが、現地に大きく権限を委譲させてありますので。私はロタ島などの秘密基地の充実を進めます。
数年は戦争騒ぎになる事は無いでしょう。次の目標である第一次世界大戦の下準備を進めておきます」
天照基地を失ったが、列強に対するアドバンテージはまだ十分に維持している。
そして技術開発を怠る事が無ければ、今後も優位性は確保できる。その為のカムチャッカの研究施設だ。
史実では第一世界大戦は八年後の1914年に発生した。
史実と歴史が乖離し始めたので前倒しになる可能性はあるが、それでも五年以上の猶予はある筈だ。
その時間を有効に使って、次の世界大戦の下準備を進める予定だった。
「こちらも忙しいが、【出雲】の方も忙しい。イラン王国とトルコ共和国、サウジアラビア王国へは従来通りに支援を行いながらも
『中東横断鉄道』の建設を進めなくては為らん。新たに得たのはジブチだけだが、リビアとエチオピア、それに新しく保護国に加わった
マダガスカルの面倒も見なくてはならない。やはり実力以上のものが求められている」
「基本的には【出雲】は必要な資材や重機を供給して、汗は現地の人に流して貰っていますからね。何とか為るでしょう。
それより各国は一斉に『神威級』に対抗する戦艦を出してきました。イギリスは一回り大きなタイプを、フランスも同じですね。
ドイツやロシア、アメリカは独自の工夫を組み入れた新造艦を次々に建設し始めています。
第一次世界大戦の主力艦になります。そして旧式艦を南米や各国に売り込み始めていますから、各地がきな臭くなっています」
「ハワイ王国や東方ユダヤ共和国、タイ王国、イラン王国、トルコ共和国などからも『神威級』の供与要請が来ている。
少し待ってくれと伝えてあるし、そこら辺は我が国の独占市場だな。各地の海軍工廠の拡張を急がせているから何とか間に合う。
これからは国内の各海軍工廠で戦艦の建造を進める」
「天照基地はもはや存在しないのだから、我々が自力で建造できなければ困る。陣内には潜水艦や航空機の方を頼むぞ」
「東方ユダヤ共和国を筆頭に、列強でも航空機の開発に努力していますからね。我々も手を抜けません。
カムチャッカの研究施設で開発を急がせます。それに史実では年末にドイツで最初のUボートが完成しました。
こちらも対抗手段を整備しておきます」
『環ロシア大戦』で日本が持つ『神威級』戦艦は、カムイショックと呼ばれる大きな衝撃を各国に与えた。
その為に各国で建造競争が始まっていた。余談だが、陽炎機関は『神威級』の設計図をイギリス以外の列強に極秘裏に販売した。
各国横並びの体制を整える為だ。その設計図の売却資金は膨大なもので、軍部と陽炎機関の機密資金に組み込まれていた。
それと列強は型落ちした旧式艦を、戦艦を建造する事が出来ない各国に売却し始めて、戦争の火種となっていた。
実用潜水艦の配備も進みだした。ここで遅れを取る訳にはいかないと、陣内も対抗準備を急いでいた。
「まさに開発戦争だな。それに乗り遅れれば敗北が待っている。ヤンマイエン島やニューカレドニアの海軍基地の建設も進んでいる。
これで大西洋に進出できるようになり、南太平洋も影響力が増す事が出来る。オーストラリアとニュージーランドの封鎖も順調だ。
ところでイギリスから譲り受けたフィジーとニューヘブリディーズ諸島は最初から自治領の扱いで、本格的な開発は行わないのか?」
「独立させても良いが、今の状態ではまともに国家運営は出来ないからな。
少数の官僚を送り込んで、現地の住民の自主性を尊重した方が楽だ。何せ、本格的な開発には人手も資金も足りないんだ」
「ニューカレドニアが手に入ったから、オーストラリアとニュージーランドの監視には十分だ。
敵に渡らずに住民と良好な関係が維持できれば十分だろう。あまり混乱の火種を抱え込みたくは無い」
「それは旧フランス領ポリネシアも同じだ。あちらの方が赤道に近いから、冬でも凍死する事無く生きていける。
あまり働かなくても生きていける南国の楽園だな。怠け者の移住が増えるかも知れんな」
「ああ。産業促進住宅街で与えられた仕事も行わない怠け者を送り込むのも一つの手だな。
あんまり多く送り込むと先住民の邪魔になるだろうが、そこはバランスを考えれば良いだろう」
フィジーとニューヘブリディーズ諸島は、飛行船と戦艦の代金として日本に引き渡されていた。
しかし、ニューカレドニアに海軍基地の建設を進めているので、戦略的な価値は低い。
その為に最初から自治領の扱いにして、先住民の意思を尊重するつもりだった。
そして自治領の扱いは旧フランス領ポリネシアも同じ事だ。
きつい労働をしなくても生きていける環境でもある。国内の怠け者にとっては楽園に見えるかも知れない。
「対外工作は順調だな。話は変わるが、今年の三月に台湾で大きな地震が発生するのだったな。その対応準備は進んでいるのか?
ここで対応を間違うと、台湾の民心が動揺する。『中華博物館』の展示品に被害が出ようものなら、清国まで騒ぎ出すぞ」
「史実で千人以上も死者を出した嘉義梅山地震だな。
台湾にも産業促進住宅街は建設されていて、支援物資の集積もそうだが、免震設計の建物の普及を進めている。
特に『中華博物館』は多大の費用をかけて、最高レベルの耐震設計で建設されているからな。
事前警告は出すから、被害はかなり抑えられるだろう。そちらの心配は無用だ」
「巫女様、いや織姫様のお陰で台湾の被害が少なくなれば、自分達も見守られていると感じて現地の住民の意識も変わってくるだろう。
生活レベルが向上した為に現地の反抗分子は減ってはいるが、中々根絶できないからな。良い機会だ」
「それと四月にアメリカのサンフランシスコで地震が発生するだろう。市街はほぼ壊滅して、死者が三千人とも言われた地震だ。
日本の企業も少数だが進出している。イギリスやフランスの天災の事前通告をして、アメリカにしないとなれば外交問題になる」
「そうだな。確かに事前警告をしないとアメリカが拗ねそうだな。まあ仕方あるまい。邦人には撤退勧告を出すとするか。
アメリカは恩とは思わないだろうが、ここで波風立たせたくは無い。まったく疲れる事だ」
何度も言うが情報は使い方次第で、大きな効果が発揮できる。
自国民の保護もさる事ながら、史実の情報を元に外交でも有利になるように使っていた。
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ヤンマイエン島(面積:373km2)は史実ではノルウェー領だが、今回は日本がオーロラ観測施設を建設した事から領有を宣言していた。
領有宣言後は食料栽培プラントや大型船舶も使用可能な港湾施設、宿泊施設、修理工場、地下には潜水艦基地の建設が進められている。
平時は北極海航路を経由して欧州との中継基地に使う目的だが、戦時では大西洋や欧州への出撃と補給の拠点にも為り得る。
ある意味、将来を見越した重要な拠点だ。
確かに人間が定住するには不適切な寒冷地だが、観測員を含めて現在は工事従事者数十人がヤンマイエン島に居る。
その最高責任者は理化学研究所の某課長だ。現在、秘密裏に訪ねてきたフィンランドの人間と話していた。
「……という事なのです。現在の我々はロシアの自治領に過ぎないが、独立を模索している。是非とも日本には協力していただきたい!」
「此処はオーロラ観測基地と交易の中継基地で、私が最高責任者ですが民間人です。
お話は分かりましたが、そういう政治的な話を私にされても困ります。一応、本国にはそういう要請があった事は伝えておきます」
「是非とも御願いする!」
「私見ですが、フィンランドが直ぐにロシアから独立というのは無理でしょう。
今の我が国はロシアと講和して、協力体制をとっているのですから。ですが、十年後は分かりません。
あなた方が独立を熱望しているのは分かりますが、こういうものは時期を待たないと潰されます。
そういう理由から、しばらくは辛抱していただく事になると思いますが」
「今まで何も伝が無い日本に、いきなり協力を要請しても無理なのは分かっている。
だが、何度も会って信頼を築かないと、その先の協力なんて不可能だろうから、こうして来させて貰った。
これからも来たいのだが、構わないだろうか?」
「勿論です。我々としても異国の友人が出来るのは好ましい事ですからね。交易希望も本国の担当者に伝えておきます」
「宜しく御願いする! 今後とも末永い友好を期待している!」
現在のフィンランドはロシア帝国の自治領であり、独立の道を探っていた。
だが、ロシア帝国は大国であり、そこから独立するのは容易では無い。そのロシア帝国に日本は勝利した。
日本がロシア帝国との友好を選んだのは知っているが、フィンランドとしては日本の支援を期待していた。
初対面でいきなり支援をしてくれるはずが無いのも分かっている。
しかし、会って信用を築かないと先に進めないのも事実だ。今回は、その第一歩という認識だった。
欧州に影響力を持とうと考えている天照機関としても、願っても無い事だ。
しかし、今は時期が悪かった。ロシア革命後ならともかく、今はロシア帝国と関係を深めているところだ。
その状態でフィンランドの独立を支援すると、ロシア帝国の関係が悪化するのは必定だ。
だからこそ、時期を待つようにフィンランドに要請していた。
尚、この情報は日本本国に伝えられ、陽炎機関が動き始めた。
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三月三日。ひな祭りの日だ。陣内の娘である香織は十一歳に、美沙は八歳になっている。(誕生日がくれば香織は十二歳)
以前からの習慣で、自宅に十二段の雛人形(皇室からの貰い物)を飾っている。
それを見ながら陣内は、自宅に訪ねてきた伊藤博文と話していた。
「今日は史実で伊藤さんが韓国統監府の初代統監に就任した日ですね。今の大韓帝国とは無関係ですが、どんな気持ちですか?」
「くっくっくっ。陣内君も人が悪いな。確かに大韓帝国は独立国だが、あそこまで領土を削る計画を立案した君が言う台詞じゃ無い。
帝国とは名ばかりで、実際は一地方レベルに過ぎないのだからな。それでも帝国を名乗ったのは、彼らの自尊心の賜物だな。
我が国に被害が及ばないのなら、相手の立場や考え方を尊重するのが我々の基本方針だからな。別にその事について論評する気は無い。
それに今の私は大韓帝国とは無関係だから、暗殺される事も無いだろう。だいぶ気が楽だよ。
それはそうと、史実のように安重根による暗殺事件は起きるんだろうか? 自分じゃなければ気にはしないがね」
「さあ? 今の大韓帝国はれっきとした独立国ですからね。しかし、東方ユダヤ共和国やロシア、日本への入国は厳しく禁止されている。
残るは渤海を使った海上ルートですが、今の大韓帝国に満足な船は無い。我々に影響が出る事は無いでしょうね」
「済州島の哨戒ラインを抜けられるはずも無いか。彼らは清国とロシアという宗主国と縁が切れて、直ぐに大韓帝国を名乗った。
我々がどうこう言えるものじゃ無い。彼らの国が発展するも滅びるも、彼らの裁量次第だからな」
「国境を接する東方ユダヤ共和国とロシア帝国からの支援は無く、海上輸送を使った別の国からの支援も無い。
完全に彼らは孤立しました。しかも収入は激減したのに、借金の返済は行わなくては為らない。
ロシアで生き残っていた人達は帰国しているらしいですが、どうやって生活しているんでしょうねえ?」
「詳細は知らない方が良いだろうな。何れにせよ、彼らが自主的に選んだ結果だ。我々がどうこう言う筋じゃ無い。
噂じゃ日本に凄まじい怨恨を抱いているそうだが、逆恨みも良いところだな。
そろそろ本題に入ろうか。アメリカがインドネシアに対して『門戸開放』を要求した。
インドネシアの独立時に、アメリカの進出の可能性を示唆してフィリピン統治に釘を挿した時の事を蒸し返してきた。
そろそろ頃合と見て進出させろと要求してきたが、インドネシアは清国の統治が厳しいと言って拒否した。
その後で巫女様、いや織姫様の神託でアメリカの強欲が西海岸に被害を齎すと警告した。
まあ、君が指示した事だから知っているな。そのアメリカの反応に困ってな、それで相談しに来たんだ」
南米、フィリピン、清国だけでは満足せずに、アメリカはインドネシアへの進出を要求してきた。
皮肉だが、それは史実でイギリスが満州の門戸開放を要求した日と同じ日だった。
しかし、インドネシアはアメリカの要求を拒否した。
搾取を恐れた為だが、ある程度の国内開発は進んでおり、アメリカの手を借りる必要は無いと判断されたからだ。
インドネシアの回答にアメリカは態度を硬化させて、両国間の関係が悪化した。
そして日本の織姫の勧告がアメリカに伝えられた事が、事態をより複雑化させていた。
『アメリカの行動を天が不快に感じています。一ヶ月以内にアメリカの太平洋に面した地域で天災が発生します。
無辜の住民に被害が出ないよう、手配をして下さい』という勧告がアメリカに伝えられた。
その結果、全ての日本人は巫女の言葉を信じて西海岸から撤退を開始し、それに便乗した各国の商人も西海岸から逃げ始めた。
当然、西海岸の都市は重大な経済危機に直面して、これは日本の謀略だと声を荒げて非難してきた。
「善意で事前勧告を行ったのに謀略と取られるとは。確かに経済的に大被害を受けた訳ですから、怨みたくなる気持ちは分かります。
三日後に地震が発生しますから、そうなれば彼らの態度も変わるんじゃ無いですか?」
「そうなんだ。実際に地震の被害を受けるよりは、逃げ出した方が良いと思うだろう。
だけど、現地の荒廃は予想以上だそうだ。アメリカは我が国への態度を硬化させて、謝罪と賠償を求めてきている」
「ならば、五日後に回答すると返事をして下さい。それくらいは待てるでしょう。
そしてその時に、二度と貴国に迷惑が掛からないように事前勧告はいっさい行わないと宣言しますよ。
巫女が臍を曲げた事にすれば、アメリカもそれ以上は言って来ないでしょう」
「くっくっくっ。陣内君も意地が悪いな。分かった。外務省には指示を出しておく。
信じる者は救われるという言葉があるが、アメリカが今後どう出てくるかだな。まあ楽しみにしてるよ。
そうそう、今回の事前勧告で各国の諜報機関が活発に動き始めている。一応は注意しておいてくれ」
本当に地震が起きると分からなければ、巫女の事前勧告など迷惑を通り越して謀略の域の悪影響だと思うだろう。
ちょっと前に台湾で地震が発生したが、その時も事前勧告によって住民の被害はだいぶ抑えられた。
その結果、日本の統治に納得していなかった現地の住民も、巫女へは素直に感謝の念を抱いていた。
アメリカへの事前勧告はこれが始めてだ。巫女の言葉を信用できないのも、客観的に見れば仕方の無い事かも知れない。
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日本の巫女(織姫)がアメリカの西海岸で天災が発生すると勧告した事は、全世界に伝えられて注目が集まっていた。
アメリカに天罰が下ると噂されると、西海岸から逃げ出す人が激増して、地元経済に深刻なダメージを与えていた。
巫女の予言を信じない人達や、アメリカの正義を疑わない人からみれば、謀略と判断するしか無い。
そんな事態を冷静な視線で見つめて分析しているのは、各国の諜報機関だった。
「本国の残っている占い師や預言者の報告はどうだ!?」
「駄目です! やはり分からないと言っています! 金を返して貰って、追い出した方が良いんじゃ無いですか!?」
「どうせ借金の返済に使われているか、使い込んでいるだろう! まったく金を無駄に使ってしまった!
ローマ教皇庁からの連絡は無いのか!?」
「確率で言うと六割以上だと返事がありました!」
「六割以上だと!? また変な回答だな。本当にローマ教皇庁で予言したんだろうな。適当に言ってたら金を返して貰うぞ!」
「信者からの寄付金が減って、我々の資金提供が途絶えれば、ローマ教皇庁はどんな反応を示すんですかね?」
「フランスはローマ教皇庁への資金提供を停止した。その結果、二月にローマ教皇はフランスの政教分離法を非難した。
表向きはフランス政府の政策を批判しただけだ。口先だけじゃあ無いのか?」
「西海岸から約四割の住民が逃げ出して、アメリカ経済に深刻なダメージが発生しています。
あそこまでの被害が出ては、アメリカ政府が怒るのも無理は無いでしょう」
「日本に謝罪と賠償まで求めたくらいだからな。巫女が言った期限まで後二日だ。
これで地震が起きなかったら、アメリカと日本の間で戦争が起きるかも知れん」
「それと巫女の権威が失墜しますね。後二日か。厳戒態勢で情報収集に努めます!」
日本の巫女(織姫)が公式に神託を発表するのは、滅多にある事では無い。
その為、各国は囲い込んだ占い師と予言師の能力査定と、委託先であるローマ教皇庁の能力査定を同時に行っていた。
期日まであと二日。世界の注目はアメリカの西海岸に注がれていた。
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巫女(織姫)が指定した期限が残り一日になった日に、サンフランシスコで予言どおりに大地震が発生した。
史実では当時の人口約四十万人に対し、死者は約三千人、約二十二万人が家を失うという大きな被害だ。
当時の被害総額は約五億ドル(二十一世紀の消費者物価で概算百億ドル)もの被害が出た歴史に残る大災害だった。
だが、巫女の事前勧告によって住民の四割が逃げ出した為、家屋の被害は同じだったが人的被害は史実を遥かに下回った。
サンフランシスコに限ればの話だ。
巫女が告げたのは西海岸で被害が出るというものであり、サンフランシスコ以外にもロサンゼルスなどの西海岸の主要都市でも
逃げ出す住民が多く発生して西海岸全域で深刻な経済影響が発生していた。
実際に地震が発生したサンフランシスコにしてみれば、人的な被害は抑えられた。
しかし、他を見渡すと史実以上の経済的被害が発生してしまった。
この結果、日本に対して賠償金請求まで行ったアメリカの上層部は頭を抱えていた。
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巫女の事前勧告によって深刻な経済被害を受けたアメリカは、日本に対して強硬な姿勢で謝罪と賠償を求めていた。
自分達の正義を疑っていない事もあり、天がアメリカの行動を不快に感じているなど認められる筈も無い。
アメリカ視点に立てば言い掛かりをつけられて、深刻な経済被害を受けたのだ。賠償請求を行うのは、あながち間違ってはいない。
地震が起きなければ、アメリカはさらに態度を硬化させて日本に迫っただろう。
一部では賠償の代わりに喉から手が出る程欲しかったウェーク島かマリアナ諸島を、日本から奪う案もあった程だ。
だが、実際に西海岸で大地震が発生してしまった。その報告を聞いた大統領は頭を抱えていた。
「……地震の被害はサンフランシスコ一帯か。市街の半数以上の家屋は失われたが、人的な被害は数百人程度に抑えられた。
しかし、ロサンゼルスなどの他の都市の経済的損失が大きい。概算で約十二億ドルだと!? 復興予算が足りんぞ!」
「大統領閣下。それでもサンフランシスコ以外の都市は物理的な損害は、暴動による被害だけで軽微です。
サンフランシスコにしても死亡者は少ない為に、復興は十分に可能です。ただ……日本の態度がかなり硬化しました。
善意から事前勧告したのに賠償金を請求されるのなら、以後は海外への事前勧告は行わないと正式に表明しました。
それと実際に大地震が発生した為に、我が国が求めた賠償金を支払う意思は無いと連絡が入っています。
我が国の行いを天が不快に感じて大地震が起きたと信じる国民も多く、国内に不安が広がっています」
「……何たる事だ。我が国を天が不快に感じているだと!? インドネシアに進出させろと要求しただけでは無いか!
私は絶対に認めん!」
「……大統領、日本への対応はどうしますか? 一応、大地震を事前勧告してくれたのです。
何もしないのでは国民の手前、拙い事にも為りかねません」
「外務省を通じて正式に謝罪をして、礼状を贈っておけ! それで十分だ!」
巫女が腹を立てて以後の事前勧告を行わないと正式に発表した事に、アメリカの多くのマスコミは飛びついていた。
その結果、イエロージャーナリズムが復活した新聞社の矛先は、政府に向けられていた。
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自国の行いを天が不快に感じて大地震が起きたという事は、アメリカではあまり報道さなかった。
読者が不愉快に感じるだけだし、販売部数が伸びる訳でも無い。当然の事だろう。
巫女の言葉で経済的な打撃を受けたので、賠償請求を日本に行ったが、本当に大地震は西海岸で発生した。
その結果、巫女は二度と海外への事前勧告を行わないと正式に表明した事が、大々的にアメリカで報道されていた。
大地震の発生原因より、販売部数を伸ばす為に読者の興味を引く巫女がらみの記事を取り上げた。
そして巫女の善意の行動に対し、大統領は悪意で報いたと囃し立てた。その結果、大統領の支持率は急速に低下していった。
アメリカでは政府や大統領が糾弾されて大騒ぎだが、別の場所では静かに巫女の秘密を探る研究が行われていた。
その部屋には日本書記を含む、古くからの日本の書籍が山積みになっていた。
「おい、そっちの本はどうだ? 何か巫女について書いてあったか?」
「組織としては神社というこちらの教会に相当するところに巫女が居るとは書かれているが、予言を行ったとは書かれていない。
十六年前の日本の事を考えると、それまでに巫女の恩恵があったとは考え難い。
やはり本当の力を持った巫女が、十六年前に出現したと考えるべきじゃ無いのか?」
「うーーむ。それが筋が通る考え方か。しかし、表面に出てくる巫女と日本の発展の因果関係が納得できないんだ。
表の巫女と裏の巫女がいると考えるべきか?」
「東洋は陰陽思想があるからな。表と影は表裏一体という思想だ。有り得ない事じゃ無い。
やはり本物の巫女に接触して、秘密を探るしか無いだろう」
「馬鹿を言え! 巫女は日本の皇室の最高機密だぞ。あの『環ロシア大戦』で活躍した忍者が守っている!
奴らのホームグラウンドでそんな事をしたら、どんな報復があるかも知れないんだぞ! 以前に支部を潰された事を忘れたのか!?
しかも、善意の勧告があったのに賠償請求をされて、巫女は臍を曲げて二度と事前勧告しないって言っているんだ。
その為に大統領は窮地に立たされているんだ! これ以上、事態を悪化させてどうする!? 責任を取れるのか!?」
「い、いや、そこまで深く考えていた訳じゃ無いんだ。忘れてくれ。
それはそうと、調べていたら【出雲】について興味深い記述を見つけたぞ」
「【出雲】? 日本の古い歴史資料に、何で【出雲】の名前が出てくるんだ?」
「出雲は古代の日本の国の一つで、今の大和王朝に負けて吸収されたらしい。
その吸収された国の記念として日本は出雲大社を建設して、長い間拝んできたらしい。
例えれば、インディアンの神を俺達が拝むようなものだ。敗者を神の一人として遇するなんて、俺には信じられないよ」
「ほう? 敗者を神の一人としてな。我々のような一神教では無く、多神教だからこそ出来る事だな。
……日本は出雲条約で敵だったイタリアに情けをかけたな。その辺りの因果関係があるのかも知れん。
巫女の情報も引き続き調べるが、出雲についても過去の情報を精査してみよう。何か新しい事実が分かるかも知れん」
「そうだな。日本人の精神構造を調べるのも重要だからな。上手くいけば巫女の秘密に辿りつくかも知れないな」
他の各国の諜報機関も似たようなもので、日本から高価な古い書籍を購入して歴史の解析を行っていた。
そして日本人の精神構造と言ったレベルまで、各国の調査の手は及んでいた。
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この時代のオリンピックは欧米のものであり、アジアや中東、アフリカの各国は参加していない。
二年前、アメリカのセントルイスで行われた三回目のオリンピックもそうだ。
そして将来のIOCに影響力を持とうとする長期計画に基づいて、日本と同盟国、友好国が参加する二回目のスポーツ競技会と
武道大会がタイ王国で行われた。(一回目は1902年にハワイ王国で実施)
前回と比較するとベトナム、カンボジア、雲南共和国、チベット、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、グルジア、クリミア、
リビア、マダガスカルの各国が参加しており、かなりの充実してきた。
建国間もない国もあり、競技結果が上々とは言えない。しかし、世界のレベルを肌で感じて、友好を深める事に意義がある。
オリンピックには無い各国独自の武道大会も盛り上がっていた。
こうして日本は独自勢力を着々と構築しながらも、将来の影響力の確保に向けて動いていた。
余談だが、清国と大韓帝国は参加を申し込んだが、トラブルの元になるという理由から断られていた。
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イギリス帝国はボーア戦争の痛手を癒しながらも、カムイショックを克服する新造戦艦の建造を進めていた。
世界に覇を唱えるイギリス帝国は、最新の軍備を持つ義務がある。如何に資金的に苦しかろうと、手を抜く事は許されない。
軍事力で他国に負けるという事は、世界帝国の座を奪われるからだ。
そのイギリス帝国は日本が開発した飛行船や戦艦をベースに改良を加えて、新たな艦隊の整備を進めていた。
「植民地からの収益も多いが、出費も多い。まあ、清国で新たに得た領土からの収益が多いのは助かるがな。
それにしても、海軍艦艇の主力艦を一新しなくては為らなくなった。日本に文句を言いたい!」
「日本がカムイ級を出して来なければ、こんな苦労はしなくては済んだ。
だけど、あれは発想の転換ともいうべきもので、似たような戦艦の検討が国内で行われていたんだ。諦めるしか無いだろう。
フィジーとニューヘブリディーズ諸島との交換で飛行船十隻と戦艦一隻が入ってきて、開発時間が短縮できたと考えた方が気が楽だ。
一応、旧式艦の売却はスムーズに話が進んでいる。そちらの売却利益も見込めるさ」
「アジアの外れの同盟国だが、戦力は期待できそうだ。イラン王国の石油利権も一部は認められたし、軍備拡張を除けば順調なんだがな。
エジプトのスエズ運河利権も収益を上げている。『中東横断鉄道』の参加は無理だったが、『雲南横断鉄道』には参入する。
時間が掛かるだろうが、そちらも運営が順調に進めば利益も期待できるさ」
「ちょっと待て! キプロスからギリシャ人を移住させて、トルコから譲られたクレタ島で問題が発生しているんだ。
ギリシャ人がクレタ島をギリシャに編入させろと騒ぎを起こしている。これを早期に鎮圧しないと拙い!」
「そっちがあったか!? まったく厄介者のギリシャ人を押し付けやがって! あいつらは口は達者だが、中々働かないからな」
「マルタは我々の影響下だが、クレタ島も手放せない。強引にギリシャ人を押さえるしか無いだろう。
キプロス島は完全にトルコの支配下に戻った。まったく同盟改訂の時に、日本の提案を呑まなければ良かったよ」
「トルコは日本に大感謝だろうが、我々はギリシャ人というババを引いてしまった訳か」
イギリスと日本は同盟関係にある。今回の『環ロシア大戦』で示した日本の軍事力は驚異的だった為に、その力を利用する事にした。
その結果、日本から技術提供を受ける代わりに、ある程度の利権を手放す羽目に陥ったイギリスだった。(他で別の利権を得ている)
その一つがイギリスが統治権を持つキプロスの放棄だった。しかも、キプロスのギリシャ人をクレタ島に移住させる条件もある。
お得意の二枚舌でギリシャ人を騙して移住させたは良かったが、イギリスから独立してギリシャへの編入を住民は求めだした。
エジプトに権益を持ち、地中海に影響力を確保したいイギリスにして見れば、クレタ島を手放す事は容認できない。
結局、ギリシャ編入を求める住民を弾圧して、現地の治安は大幅に悪化していた。
「日本は自国領土の資源開発を後回しにして、半分の採掘権を持つ中央シベリア高原とアルダン高原の地下資源の開発を進めている。
ロシアにしてみれば、日本が半分の資源を黙っても持ってきてくれるからホクホク顔だ。
まったく、あれが戦火を交えた国同士とも思えん。日本はロシアを強化して脅威には思わんのか!?」
「ロシアは陸軍こそ健在だが、飛行船団を全滅させられて艦隊も残っているのは僅かだ。
ドイツの動きが怪しいのもあるから、軍事バランスが崩れている。その為に、ロシアの再軍備を急がなくては拙い面もある。
満州方面の強化が進み過ぎている懸念はあるが、まだ放置して大丈夫なレベルだろう」
「従来の友好国への支援も続けながら、雲南共和国やチベット、ベトナムやカンボジアへの支援も拡大している。
そして清国からの賠償金の大半を『雲南横断鉄道』に投入している。日本が友好国を重視している証拠だな。
我々の清国の支配地に建設する『華南鉄道』とも連結する予定だし、今の日本の動きを静観しても大丈夫だろう」
「アジア周辺は良い。問題は中東や地中海方面だ! イラン王国の石油利権に食い込めたのは良いが、『中東横断鉄道』は駄目だった。
【出雲】を中心にして鉄道建設を進め、イラン王国とトルコ共和国、サウジアラビア王国と関係を深めている。
将来的にあの地域が一つの経済圏になれば、脅威になるのかも知れないんだぞ!」
「ドイツが支配を進めているヨルダン、シリア、イラク(南部は除く)の動きも気になるな。
まあ、リビアはイタリアとスペインの開発が進んで、石油輸出も増えている。
エチオピアは国内開発に専念する気らしいから、特に動きは無いな。マダガスカルも同じだ。
フランスは主力艦隊が壊滅したから艦隊の再建を急いでいるし、ドイツも艦隊の整備に忙しい。
数を揃えるのには数年は掛かるだろうから、それまでは大きな動きは無いと考えて良いのでは無いか?」
「そうだな。この数年間でどれだけの開発が進んで、艦隊を揃えられるかが勝敗を分ける。まったく気が抜けんな」
「日本と【出雲】は我々が軍備を揃えている間に、アジアの影響力を確実にして、紅海とインド洋にまで影響力を持つのか。
ますますもって油断できない。とは言え、同盟国なんだ。
我がイギリスに配慮している事は確かだし、日本の力を上手く利用させて貰うとしようか」
色々と世界各地で紛争や問題が発生しているが、列強の全てが『神威級』に勝てる艦隊の整備に力を注いでいた。
その為、小規模な紛争は多数発生していたが、大国同士の戦争の発生する気配は無かった。
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まだ転生者達は十七歳と若く、本格的に動ける人間はまだ居ない。
その中で陣内に協力する意思を示した人の生活は、変化が生じていた。
インディアンのサリーと、タイ王国のソンティ、石原莞爾は日本総合大学に飛び級を使って入学していた。
未来の知識はあるが、それは今の時代では有効に使えない。だから基礎から学ぼうと、英才教育クラスに回されていた。
睡眠教育を使った勉強では経験は積めない。それにまだ時間的な余裕はあるので、数年間は大学で勉強する事にしていた。
合間を見て、ソンティと石原莞爾には軍事訓練も行う。将来に各国で影響力を持つであろう他の留学生との人脈を作る意味もある。
こうして将来を見据えた布石を陣内は進めていた。
だが、陣内の知らないところで動き始めた転生者も居たのだった。
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欧州各地に淡月光の支店はあるが、どれにも共通した内容がある。女性専用店であり、店頭は何処も地味になっていると言う事だ。
この時代、女性の下着を店頭に飾るのは、社会風俗の面から認められていない。その為に、店内に入らないと商品は見られない。
そこは女性だけの園だった。男が入る事は暗黙の了解で認められてはいない。(男性職員は裏口を使用)
女性向けの日本文化祭りが店内で行われており、浴衣を好きに着られるサービスがあって多くの女性客が集まっていた。
そこに十代後半の少年が店先から中を伺っていた為に、男性職員(陽炎機関のメンバー)から注意されていた。
「こら! 女性の下着に興味を持つ年頃だろうけど、店の前をうろうろされちゃあ迷惑なんだ!
警察には突き出さないから、早く家に帰りなさい!」
「ご、誤解だ! ちょっと日本に興味があっただけで、女性の下着に興味があった訳じゃ無いんだ! 信じて下さい!」
「まったく、最近の子供は言い訳も上手になったな! 名前は何て言うんだ!? 正直に答えなさい!」
「な、名前は…………」
小声になった少年の名前を聞いた男性職員(陽炎機関のメンバー)は、一瞬声を失った。
その名前は睡眠教育で受けた時に知った名であり、数百年先まで有名だった名前だ。決して放置して良い名前では無かった。
男性職員は店先でうろついていた少年を、職員の休憩所に連れ込んでいた。
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いきなり見知らぬ人達に知らない場所に連れて来られた少年だったが、慌ててはいなかった。
寧ろ、自分の名前を聞いて動揺の色を隠せなかった淡月光の男性職員を見て、心の中にあった疑惑を確信に変えていた。
「ボクの名前を聞いて動揺したと言う事は、この名前の意味を知っているんですね?」
「……君が自分の名前の持つ意味を知っていると言う事は、生まれとは別の記憶を持っていると考えて良いのかな?」
「質問に質問で返しますか。……まあ、そうなります。やはり淡月光は、いや日本はこれから起きる事を知って動いていたのですね?」
「……それで日本に興味を持って店内を覗いていたのか。それで君はどうしたいんだ?
日本に君の事を報告させて貰うが、君が別の記憶を持っている意味は大きい。歴史が変わる可能性は十分にあるからな」
「いきなりは無理かも知れませんが、日本の黒幕の人と話したいですね。それと可能なら、日本に行って勉強をしてみたいです。
今の自分では知識を有効に使えませんから、基礎教育から受けたいと思っています」
「……ふむ。敵対する意思は無いか。ならば簡単な事情聴取をさせて貰おうか」
「日本と敵対しようとする程、愚かではありませんよ。それに日本は心の祖国を建国してくれました。
今の自分では何も歴史に介入できません。ですから、ボクが力を付ける必要があるんです」
その後、少年は親の承諾を得て日本に留学する事が決定した。勿論、奨学金の支給対象になっている。
まだ様子見の状態であり、陣内と会う予定は無い。少なくとも数ヶ月は様子を見てからだった。
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アメリカの政界は日本の巫女へ不当な要求を行った事で、イエロージャーナリズムの新聞社から叩かれて大荒れになっていた。
しかし、軍や民間ではそんな騒ぎを他所に、着実に海外進出を深めていた。(インドネシアへの進出要求は撤回されていた)
パナマ運河の建設を進める傍らで南米の支配を強化して、さらにフィリピンや清国の植民地の支配を強化している。
そのアメリカにしても、カムイショックの衝撃は大きかった。
何と言っても今までの主力艦が、一瞬で時代遅れの戦艦になってしまった。
高い金を支払って、裏ルートで【出雲】から『神威級』の設計図を入手して、改良を加えた戦艦の建造に着手していた。
とは言え戦艦の建造には時間が必要であり、直ぐに日本に対抗できる艦隊を用意できない。
国内でヘリウムが産出した事から、大飛行船団の建造にも取り掛かっている。
他の列強も似たようなものだ。時流に乗り遅れないように、各国とも必死で最新の軍備を整えている。
その軍拡競争を制する者が、次の戦いの勝者になるだろう。今は嵐の前の静けさと呼べるかも知れない。
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『環ロシア大戦』で日本が見せた軍事力は各国にとって脅威に感じられた為に、日本の動向に各国は注目していた。
今まで様々な新発明を行ってきた理化学研究所が、カムチャッカ半島に巨大な研究都市の建設を進めている事は各国も注視している。
とはいえ、オホーツク海の沿岸の大部分は日本の領土となっていて、既にオホーツク海は日本の内海と化している。
そんな場所に諜報員を送り込むのは、至難の業と言えるだろう。
それでも理化学研究所の動向を探る事は、各国の諜報機関の優先目標になっている。
その為に、某国の諜報機関の上層部で秘かに会議が行われていた。
「理化学研究所はカムチャッカ半島の広大な土地を購入して、そこに膨大な資材を運び込んで大掛かりな研究都市を建設している。
北海道の資材の搬出を行っている港の状態は確認できたが、現地に向かった諜報員は誰も戻っては来ない。
日本も本腰を入れて防諜体制を整えているのだろうが、我々としては何としても諜報員を現地に送り込みたい」
「出航した輸送船には、大量の建設資材と工事用の重機が積載されていたそうだ。
港の周辺の居酒屋の噂では、広範囲に渡って地下施設の建設が進められているらしい。住居や道路も地下に建設するらしいな。
そうなると、ますますもって諜報員を送り込むのは困難だ。オホーツク海は既に日本の支配下に入ってしまったのだぞ。
それを突破するのも容易では無いのに、地下施設に諜報員を送り込むのは不可能と言い換えても良い!
やはり派遣される職員の家族に接触して、そこから情報を得た方がまだ危険は少ない」
「その派遣されるメンバーすらも分かっていない。理化学研究所は最初の頃から厳重な防諜体制を布いているからな。
潜入調査は時間が掛かるし、俺達が日本人に紛れ込めるはずも無い。その方法は無理だろう」
「そうは言っても、飛行船や『神威級』を建造して成果を上げてきた日本が、これだけ大掛かりな研究施設を建設しているんだ。
絶対に何かがある。その秘密を入手しない事には、また日本に出し抜かれてしまうぞ! 何としても情報を入手するんだ!」
「陸路からは絶対に無理。海路でも哨戒に引っかかる。やはり正面突破は無理だな。
やはり派遣される人間に諜報員を紛れ込ませるしか無いだろう。募集が行われないか、注意深く待つしか無いな」
理化学研究所が大規模な研究施設を建設する事は各国から注目されていたが、その内容を把握している国は無かった。
それでも重要な研究がされる事は誰も疑ってはいない。
その為に、現地への侵入を試みる各国の諜報機関と防ぐ陽炎機関との間で、闇の闘争が人知れず行われていった。
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陣内の子供である真一と香織と真治は、十二歳になっていた。
まだまだ勉強が必要だろうが、そろそろ人格が安定してきたので三人に睡眠学習を施した。
陣内は身体改造を受けているので、長生きはするだろうが何時かは死ぬ。それはどの人間にも平等に訪れる運命だ。
だからこそ、子供に引き継ぐ準備を進める必要がある。別に直ぐに極秘の仕事をさせる訳では無い。
ある程度のこれからの情報を知り、子供達が自分の将来を決める手助けになればという気持ちだった。
幼い時から機密情報についての教育は施してある。しかし、未来に辿った史実を教えるのは初めてだ。
三人の子供は、目を覚ますと大きな溜息をついていた。
「うちは色々とおかしいと思っていたけど、こういう事だったんだ。やっと納得できたよ」
「ハワイの女神様もそうだし、インディアンの神様も、アボリジニの神様も同じ、鯨の神様もね。
巫女様もお父さんが影で糸を引いていたなんて。今まで話してくれなかったなんて酷いわ!」
「でも、お父さんの事情もあったんでしょう。まだボク達は子供だもの。お父さんを責めるのは拙いんじゃない?」
「そんな事は分かっているわよ。何も手助け出来なかった自分が悔しいのよ」
「最初に言っておくが、お前達は十二歳でまだ世間から見れば子供だ。だから直ぐに秘密の仕事を頼むという事は無い。
だけど、これから中等教育を受けて将来の準備を進める上で、史実で起きた事柄を知っておくのは重要な事だ。
しかし、この情報は世間一般に知られてはいけない事は分かるだろう。だから三人とも友達にも話しちゃ駄目だぞ」
「それは分かってるよ。皇居に行って歓迎されるなんて絶対に何かがあると思っていたけど、こういう事だったんだ。
それでお父さんはボク達に後を継いで欲しいんだよね」
「ああ。だけど無理強いはしない。はっきり言うが、日本国内の工場の総括だけで無く、【出雲】や他の秘密基地の管理と運営、
それにインディアンやアボリジニへの支援など、仕事は山積みだ。天照機関の出席もそうだな。
引き継いで欲しいが、一人に押し付ける気も無い。まあ、美沙と真樹も居るしな。成人前までに結論を出してくれれば良い」
「……はあ。ボクが陛下の孫だったなんて。でも、お母さんは知らないんだよね。どうしよう?」
「楓母さんは知ってるけど、母さんは知らないだなんて困るわよね。でも、お祖父様の頼みか……次に皇居に行く時が怖いわ」
「……ボクは違うけど、陛下は可愛がってくれたしね。秘密は絶対に守るよ」
「三人とも子供なのに秘密を押し付けて済まないな。だけど悩みがあったら、お父さんに相談するんだぞ。
そうだ。お父さんと同じ時代の魂を持った転生者も居るんだ。今度三人に会わせてやろうか?」
「本当!? 話を聞きたい!」
「五歳上になるのよね。楽しみだわ」
「ボクはその前にお父さんの話が聞きたい!」
まだ三人の子供の手は汚れてはいないが、何時までも汚れ仕事に関わらない訳にもいかない。
とはいえ、成人までは汚れ仕事をさせる気は無い。三人が得がたい人生経験を積む事と、大事な友人関係を築く事を陣内は願っていた。
その気持ちを込めて、三人の子供に睡眠教育では教えなかった色々な話をしていた。
余談だが、三人の下の美沙は九歳に、真樹は八歳になっており、初めてのおつかいは既に四年前に済ませていた。
まだまだ純真な可愛い子供だ。上の三人の兄や姉とも仲が良い。
美沙と真樹は一緒に陣内とお風呂に入ったりと、平和な時間を過ごしていた。
香織と最後にお風呂に入ったのは四年前だなと、陣内は過去を思い出していた。
尚、天照基地を失ったが、残っている秘密基地の再編は終了していた。
勝浦工場、日高工場、伊予北条工場、【出雲】、ロタ島、タンニバル諸島、南鳥島、沖ノ島の施設は、世間に知られる訳にはいかない。
残っていた汎用アンドロイドを其々の拠点に配置して、各施設の運営と維持を行うようにしていた。
それに睡眠教育を行って大勢の信頼できる職員を確保して、施設の拡大も進めていた。
大事なものを失ったが、全てを失った訳では無い。陣内の視線は未来に向けられていた。
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『環ロシア大戦』は終わって世界に平穏が戻っていたが、水面下で激しく動いている組織があった。
日本総合工業の海外事業部が裏から操る、世界各国に本拠地を持つダミー商社だ。全部で五つ。
イギリスではチャーチル商会、フランスではドゴール商会、スウェーデンではシーボルト商会(対オランダ工作は終了したので移転)、
ドイツではハインリッヒ商会、アメリカではトルーマン商会が運営されている。
設立して既に十六年が経過して、最初は小規模だった各ダミー商社はそれなりの規模に成長している。
経理上は日本との関係は一切無い。各商会のトップの人間が陣内の洗脳を受けて、動いていた。
未発見の鉱山や油田の買占めや、有望な会社の買取など史実の情報を元にダミー商社は業績を上げ続けてきた。
チャーチル商会の規模は、他と比較すると小さい方だ。
イギリスには大手資本グループが多く、目を付けられる訳にはいかないと活動は細々と行っていた。
それでもアフリカやインドに進出して、資源の売買を行いながら利益を上げていた。そして有望な未発見の鉱山を購入している。
それなりに政界や経済界にも影響を持ちつつあったが、まだ中規模な商社と言えるだろう。
ドゴール商会の規模は、チャーチル商会と同程度だ。
やはり他の大手資本に睨まれるのを避ける為、活動は細々と行っていた。活動は主に欧州とアフリカだ。
今回の『環ロシア大戦』で損失が出る事は無く、逆に高値になった物資を売り捌いて利益を上げていた。
政界や経済界との繋がりも順調にできており、発言力は徐々に増していた。
シーボルト商会は以前はオランダに本拠地があったが、インドネシア独立後はスウェーデンに本拠地を移していた。
本拠地を移してから日は浅く、商売が順調に行っているとは言えない。
北欧にあるから、尚更だ。だが、将来への布石の意味を込めてスウェーデンに移転してきた。
シーボルト商会は地道に努力を続け、スウェーデンに地盤を築きつつあった。
ハインリッヒ商会はドイツ国内の商売を重点的に行っており、ドイツ軍やドイツ皇室との関係を築きつつあった。
こちらも大々的に動いた訳では無いので、まだ規模は小さい。
しかし、陣内からの極秘情報によって高騰する物資の買占めを行って、怪しまれない程度に利益は上げていた。
第一次世界大戦の後には、ドイツの復興に大きく貢献する予定だ。
その布石の意味を込めて設立され、その為の準備を着々と進めていた。
ダミー商社の中で異彩を放っているのは、アメリカのトルーマン商会だ。
トルーマン商会は史実の情報を元に、未開発だった有益な鉱山を安い価格で購入して、開発を行った事から急成長していた。
あの東テキサス油田の権益を一部売却して、さらに自らも石油採掘を行う事で多くの収益を上げていた。
金鉱山の開発や、飛行船に必要なヘリウムをアメリカ政府に売却するなどして、政界や軍部へのパイプも構築している。
将来に成長する会社に資本参加するなどして、秘かにアメリカでの影響力を拡大させていた。
これらのダミー商社は表面上は日本の利益になる動きはしていない。帳簿上の繋がりも無く、日本との関係を疑う人間は皆無だろう。
精々がボランティアとして日本人の老夫婦が運営する孤児院に、寄付を行っている程度だ。
これらのダミー商社は第一次世界大戦後の世界情勢に、日本が大きく関与する為に創立されて今はその準備段階にある。
各国の政界や経済界、軍部に影響力を持つ事を目標にしている。
陽炎機関が秘かに運営するスコットランド新聞(イギリス)とテキサス新聞(アメリカ)を使って、其々の国内世論に影響を与えつつ、
裏では連携を取って各ダミー商社は成長を続けていた。
(2013.11.24 初版)
(2014. 4. 6 改訂一版)
管理人の感想
天照機関は何とか体制を立て直しつつあるようですね。
同時に、次の手を確実に打っていますから、列強にとってはまだまだ厳しい状況が続きそうです。
それにしてもこの世界のアメリカはまさに踏んだり蹴ったり……どうなることやら(汗)。
まぁ某半島国家と(元)眠れる獅子に比べれば遥かにマシでしょうが。