天照基地は北大東島(約12.7km2)にあったが、完全に消滅していた。島の地下で爆発したらしく、島自体が残ってはいない。
その爆発の余波で近くの南大東島(約30.6km2)にも大きな被害が出ていた。
海軍の訓練施設や海水淡水化プラント、重水素抽出装置、ウラン濃縮装置が大きく破損して稼動停止に追い込まれていた。
地上の施設の大部分が被害を受け、南大東島で訓練で行っていた海軍将兵は全滅していた。
被害はそれだけに収まらない。人工衛星や各地の『白鯨』の制御はサブ制御システムに自動的に移管されたが、
勝浦工場や【出雲】、日高工場と伊予北条工場の自動生産ラインと核融合炉が停止してしまった。
しかも各工場から給電している周囲の広範囲な地域まで停電してしまった。これも、天照基地の織姫の直接制御が失われた為だった。
陣内は各地の工場の復旧を最優先に行い、天照機関に報告を行う為の被害集計を纏めていた。
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北大東島の消滅は多くの人達に目撃されていた。接近は禁じられていたものの、付近を航行中の船舶からは事故を隠し通せない。
今まで見た事も無い大きなキノコ雲は、多くの人達に不安を齎していた。
しかし各報道機関から火山爆発という報道が為されて、被害が少ないと分かると動揺は静まっていった。
それで表面上は収まった。
各地で一時的に電気が止まるなどの問題があったが、それ以上の市民生活への影響は無かったからだ。
だが、天照基地の価値を知り尽くしている人間は違う。
失われた価値に顔を青褪めて、天照機関のメンバーは陣内の報告を静かに聞いていた。
「……天照基地は完全に消滅しました。原因は漂流宇宙船にあった制宙用戦闘機のプロテクト解除に失敗したものと思われます。
証拠が残っていませんので、あくまで推測です。隠されていたユニットに反応弾があって、盗難防止機構が働いて爆発したのでしょう。
核爆発が発生して北大東島は消滅し、南大東島にも大きな被害が出ています。
天照基地の消滅で失われた物は、各種の高精度生産設備一式と『白鯨』三十体。それと建造中の『長門級』二隻。
運悪く、採掘用ロボットと建設用ロボットは修理の為に天照基地に戻していたので、全滅です。大型輸送機も失われました。
南大東島の各施設も大きな被害を受けて、今は修復の目処も立ちません。海底資源の採掘施設は三基とも消滅しました。
勝浦工場や【出雲】、日高工場と伊予北条工場の核融合炉は織姫の管制から離れた為に停止しましたが、現在は稼動を再開しています。
各工場の自動生産ラインは、現在は復旧を進めています」
「……今の日本へのダメージは最小限度に止められたが、天照基地を失った事は、これからの方針に大きな影響を与えるな。
しかし、制宙用戦闘機のプロテクト解除に失敗して爆発が起きるのか?」
「宇宙要塞の重要な戦力ですからね。敵に奪われない為に仕掛けがしてあったのでしょう。
そこまでのトラップが仕掛けられているとは思ってもいませんでした。
そこら辺は全て織姫に任せてありましたので……。まさか、こんな事になるとは思ってもいませんでした」
「……あの織姫と二度と会えぬのか。……残念だ。これからの影響はどのようなものに為るのだ? まずはそれを聞かせてくれ」
「各工場の自動生産ラインの復旧は明日中には終わりますから、ライン停止期間は一週間程度で済みます。こちらの損害は軽微です。
核融合炉は稼動を再開しています。数年レベルの視野に立てば、あまり影響は発生しません。
ですが、高精度設備の製造は完全に出来なくなりました。これは長期的には大きな損失です。
列強を圧倒する兵器や設備を生産できなくなったのです。
勝浦工場と【出雲】で生産しているレベルの工作機械の製造は行えますが、より加工精度の高い機械の製造が困難になりました。
大型輸送機や採掘用ロボット、建設用ロボットを失った事から、各地での秘密施設の建設は出来なくなります。
ロタ島を中心に各地に秘密施設の建設を進めてきましたので、現状維持でしたら何とかなります。
ですが、北方のチェルスキー山脈に建設中の基地は諦めるしかありません。汎用アンドロイドを派遣していましたが撤収させます」
陣内は深刻な表情で会議のメンバーに説明をしていた。長年の相棒の織姫を失った事は、心の拠り所を失ったのと同じ事だ。
未来から持ち込んだ設備が全て失われた訳では無いが、それでも大き過ぎる損失に変わりは無い。
北米に目を向ければ、封鎖地域の太平洋側に秘密の海底港があり潜水輸送艦による輸送体制は整っているが、
大型輸送機が失われた事で迅速な輸送は出来なくなった。周囲に配置してある『白鯨』の制御が問題ない事が救いだ。
ハワイ王国に目を向けると、『バハムート』五体はハワイに近い南鳥島に管理を移していた為に無事だった。
しかし天照基地を失った今は、ハワイ王国に強力な艦隊を配備し、要塞化する事はもはや不可能だ。
世界各地に散らばっている約六十体の『白鯨』は、タニンバル諸島のサブ制御システムが稼動しているから問題無いが、
天照基地が失われた事で『白鯨』を追加建造して配備する事は出来ない。修理が可能な事が救いだ。
人工衛星の制御システムは勝浦にあるバックアップシステムで何とかなるが、これ以上の追加配備は出来なくなった。
【雪風】が残っているから衛星軌道にまで行けるが、大きな荷物を衛星軌道上までは運べない。修理が精々だ。
陣内が直接管理するロタ島、タニンバル諸島の秘密基地、南鳥島と沖ノ島、【出雲】の秘密施設の運用は問題ないが、
これ以上の機能拡張は不可能になった。チェルスキー山脈の基地建設は諦めるしか無い。
『神威級』戦艦と『風沢級』装甲巡洋艦は【出雲】艦隊を含めて十隻ずつまで揃えたが、天照基地が失われたので追加建造が出来ない。
勝浦工場と【出雲】の建造ドックを改造すれば建造は可能になるが、それには時間が必要だ。
そして建造中だった『長門級』戦艦二隻が失われた。
『竜宮級』潜水艦も同じだ。現在、二十一隻が就役しているが、追加建造する事は出来ない。
【雪風】が残っているので世界各地への隠密行動はできるが、大型輸送機が失われたので大量の物資を秘かに空輸する事は不可能だ。
飛行船で代替は可能だが、移動速度は雲泥の差だろう。
飛行機の生産は東方ユダヤ共和国の開発成功を待ってから行う計画だったので、生産ラインの準備すらしていない。
天照基地にあった海外の財宝の大半は勝浦に運び込んであるが、残された財宝は消滅してしまった。
あれがあれば、小国ぐらいは買い取れただろう。
高度な医療設備があった天照基地を失った事は、これから多くの問題を起こすと思われた。
ある程度の薬は作れるようにはなっているが、自動治療システムが失われた為に難病の治療が出来なくなった。
勝浦工場とロタ島の設備を使用すれば、低レベルな電子制御機器の製造は可能だが、高性能なタイプの生産は不可能だ。
人工衛星や『バハムート』、『白鯨』、『竜宮級』潜水艦などの交換用電子部品のストックはあるが、新規の製造は無理だ。
今の製造技術で誘導装置などの簡単なものは作れるが、大規模集積回路を大量に使用する制御機器は製造できない。
色々なデータのバックアップはとってはいるが、もう二度と織姫に会う事はできない。
長年の相棒を失った陣内は、悲痛な表情でこれからの問題を訴えていた。
だが……青褪めた表情で聞いていたメンバーは、陣内の話の途中から困惑顔になり、そして憐れむような表情で陣内に話しかけた。
「……我々より付き合いの長い織姫を失ったのだ。陣内の気持ちは察しよう。しかし、全てが失われた訳では無いのだな。
現在の日本を支えている勝浦を含む各工場はそのまま稼動しており、輸出にも支障は無い。世界各地の工場も同じだ。
アメリカの封鎖地域やオーストラリアへの補給物資の供給も継続できる。ハワイ王国の防衛もだ。
追加配備は出来ないが、『白鯨』や人工衛星の修理や制御に問題は無いのだろう。
艦船は従来の建造ドックを改造すれば良い。飛行船も今までと同じく生産と運用は出来る。
飛行機は準備を進めていなかったが、これから工場を建設しても時間的には間に合う。
要は列強を圧倒する事は出来なくなったが、我が国が優勢である事には変わりは無い。
世界の要衝に拠点を持ち、列強に対抗可能な軍備を備えた今、早急な新兵器の投入は不要だ。
時間を掛けて国内の研究体制を整備させて、色々な生産体制を構築していけば良い」
「各工場の生産ラインの復旧を急いで貰わねば為らんが、陣内には休息が必要だな。
一段落したらゆっくりと休みを取った方が良いぞ。最近は働き詰めだったのだろう」
天照基地と織姫を失って悲嘆にくれる陣内を、冷静さを取り戻した参加メンバーが優しく慰めていた。
確かに天照基地を失った損失は巨大なものだ。しかし、今までの成果が無に帰した訳では無い。
十五年を掛けて整備した各工場や世界各地の拠点は健在で、外交関係に何ら支障は発生しない。
その上、人工衛星や『バハムート』、『白鯨』、『竜宮級』潜水艦は追加配備こそ出来なくなったが、使う事に問題は無い。
戦艦も『環ロシア大戦』の時は八隻だったが、それが十隻に増えている。
従来の建造ドックを改造すれば、追加建造も可能だ。潜水艦隊も七艦隊まで拡張できている。
まだ時間的な余裕はあるとして飛行機の生産は進めていなかったが、データベースは残っているので開発はスムーズに進むだろう。
陣内が来る前の事を考えれば、ここまで到達できた事は奇跡といって良い。
そのような理由から、他の参加メンバーは落胆はしていなかった。
失われた物があっても、時間を掛ければ取り戻す事は可能だと考えていた。
失意の陣内を慰めたのは沙織と楓、それと幼い美沙(八歳)と真樹(七歳)だった。(上の子供達は十一歳になっていて、反抗期)
「お父さん、悲しまないで」とか「織姫さんがいなくても、あたしが居るから」とか「今日はサービス」とかの色々な励ましに、
陣内はやっと回復していた。長い付き合いだった織姫を失った事は衝撃だが、自分には守るべき妻と子供がいる。
その事に気がついた陣内は、キングサイズベットに疲れて寝ている沙織と楓に毛布を掛け、決意を込めてシャワー室に向かっていた。
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陣内は自宅の近くの丘に、織姫の墓を作った。織姫は制御コンピュータに過ぎないが、陣内にとっては家族同然の存在だった。
埋めるべきものは何も無い。単なる墓標だけだ。それでも良いと陣内は思っていた。織姫が存在した事を残す物が欲しかっただけだ。
気持ちを切り替えた陣内は積極的に動いていた。
天照基地を失った事は大打撃だ。しかし、回復不可能なものでは無い。
勝浦工場と【出雲】の制御コンピュータに手を加え、自立制御方式に切り替えた。
人工衛星や『バハムート』、『白鯨』についても、従来のサブ制御システムをメインに据え、勝浦にサブ制御システムを立ち上げた。
海外の秘密拠点にも手を加えて、出来るだけ隠匿性を高めている。そして汎用アンドロイドを、極秘運用に回していた。
理化学研究所の開発体制にもメスを入れ、本格的な技術開発を大々的に進める方針とした。
従来は狭い分野の研究開発しか行わなかったが、それを広範囲に広げた。もう織姫のバックアップは無い。
だから自分達で技術開発を進める決意だった。幸いにも残っている実物はある。完璧では無いが、製造ノウハウを記した知識もある。
今は使うだけで生産できなくても、十年後や二十年後に生産できるようになっていれば良い。
組織を刷新して体制を整えた陣内は、以前に中断された会議を再開しようと、四人の転生者に招集を掛けた。
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「この前は済まなかったな。こちらの都合で会議を中断させてしまった。
正直に話すが、沖縄の北大東島の火山噴火は嘘だ。あそこに秘密の基地があったのだが、事故で爆発して失われた。
未来から持ち込んだ色々な設備と共にな。使えるものがゼロになった訳では無いが、大きな力を失ったのも事実だ。
その上で聞くが、以前の協力の意思は変わっていないか?」
「未来から持ち込んだ設備が失われたって言うけど、今使っている設備が使えない訳じゃ無いでしょう。それに知識は残っているのよね。
助けられた恩義もあるし、協力の気持ちは変わらないわ。それに祖国の開発にはまだまだ陣内さんの協力が必要なのよ」
「あたしも同じです。大型輸送機は失われたと聞きましたが、潜水輸送艦で補給は継続していますよね。
インディアンは受けた恩は忘れませんし、これからも陣内さんの協力は必要です。協力させて下さい」
「あれから一ヶ月。タイには何も影響は無い。コーラート台地の開発や工業化も継続して行われている。
こちらも祖国と日本の為にも協力する意思はあります。いえ、協力させて下さい」
「ボクも同じです。後でトルコ共和国の将来の体制について協議させて下さい」
「……分かった。一応は礼を言っておく。未来から持ち込んだ生産設備が使えなくなった訳だが、今の生産設備はそのまま使える。
そんな理由から、現状進めている各地の開発を継続する傍らで、技術開発の方にも大規模な資金を投入する。
史実なら九年後に第一次世界大戦が発生するが、今の歴史は乖離を始めているから早まる可能性もある。
その前には大きな戦いは無いだろうが、注意は怠らないで欲しい。まあ、五年から七年は開発に専念できるだろう」
その後で、詳細な打ち合わせが行われた。まだ転生者は若く、責任ある立場に就く事は難しい。だが、五年後や十年後なら可能だ。
その準備を兼ねて、用意は周到に行われていた。
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天照基地の消滅によって、陣内は大幅な方針転換を打ち出した。
各地の海軍工廠を大型戦艦の建造が可能なように拡張を図る一方で、勝浦工場と【出雲】工場の拡大を進める計画を立案していた。
現在、『神威級』戦艦を建造できる場所は無い。
海軍工廠に『神威級』の建造を行わせてノウハウを蓄積し、いずれは『長門級』や『大和級』の建造を行う計画に変更した。
勝浦工場と【出雲】工場は、従来の小型艦艇や輸送艦の建造は行う。
しかし、拡大の主眼は航空機と潜水艦に置いていた。それと誘導兵器の開発にも力を入れる。
各地の開発に必要な特殊車両は、従来通りに勝浦工場で製造できるので問題は無い。
だが、技術革新を怠る訳にはいかないと、残された知識をベースに様々な生産設備の開発が進められる。
大型輸送機やロボットが失われた今、秘かに拠点構築を進める事は不可能になっていた。
その為、従来の拠点の生産能力を上げる事や、航空機の開発を進める準備を急がせていた。
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表面上、天照基地を失った日本の動きに大きな変化は出ていない。
しかし、諸外国が日本に注目していた事から、各国の諜報機関は調査を進めていた。
それらの調査資料を机の上に放り出して、某国の三人の諜報員は真剣な表情で話し合っていた。
「約一ヶ月前に沖縄の東方の海域で火山の噴火があった。個人所有の島で、殆ど被害が無かったという事だがな。
その所有者が日本総合工業の陣内総帥で、同時期に勝浦と北海道、四国の一部で停電があったのは関連があると考えるべきだろう」
「同じ時刻に離れた【出雲】でも停電があったのは確認済みだ。
その火山噴火の後に、理化学研究所の予算が大幅に上がるというニュースが流れたな。これも関連する内容か?」
「恐らくな。停電は数日で収まり、その後は平常に戻っている。外交政策も変わりは無いし、輸出も平常通りだ。
中央シベリア高原とアルダン高原、満州、雲南共和国の開発も予定通りに進んでいる。しかし、どうも引っかかる」
「同感だな。しかし、火山噴火した海域は立ち入り禁止になっていて、周囲を巡視船が警戒している。
俺達が船を出して近づけるはずも無い。現地の調査は困難だ」
「それと勝浦工場に忍び込む事も無理だ。あのロシアとの戦争で活躍した忍者が守っているからな。
さて、どこから手をつけるかだな」
「理化学研究所をマークするのが良いだろう。やはり予算増額の裏を知るには一番の近道だ。
どんな研究分野に予算がつぎ込まれたかで、ある程度の推察は出来る。報復が怖いから、合法的な手段で情報を得るさ」
北大東島の消滅は控えめな報道しかされなかったが、一部の諜報機関は所有者から何らかの事件性を感じていた。
そして勝浦工場、日高工場、伊予北条工場、【出雲】の広域停電は隠し通せなかった。
同時期に一斉に停電したのは偶然だと言い張ったが、信じる人間は少なく、民間でも噂になっていた。
しかし、関係者以外が真実に辿りつく事は無い。既に厳重な情報封鎖が行われ、原因を推測する事さえも困難な状況だった。
「ふむ。そちらはしばらくは様子見だな。それにしても、最近の日本の開発ラッシュは凄まじいな。
中央シベリアやアルダン高原、満州にまで、此処まで積極的に進出するとは思わなかったよ。
アルダン高原には鉄道まで建設している。敵だったロシアといきなり手を組むとはな」
「それを言うなら海南島を拠点にして、『雲南横断鉄道』の建設も順調に進んでいる。
清国の賠償金と資源の半分を、あそこに注ぎ込んでいるという事だからな。現地の雇用も進んで、経済的にもかなり好転している。
イギリスやアメリカ、ドイツの占領地が搾取に喘いでいるのと、えらい違いだ。まあ、残った清国も同じようなものだがな。
唯一、清国で安定しているのは福建省と浙江省(杭州以南)ぐらいだそうだ」
「あそこは日本の領分だという暗黙の了解があるからな。そこに進出すれば、台湾を領有している日本と戦うだろう。
他に進出できる余地があるから、態々日本と揉めるような事はしないだろうな。
『中東横断鉄道』も現地の経済を活性化させているという話だし、戦後だっていうのに景気が良いものだな」
「ロシアとフランス、清国からの賠償金効果もあるだろう。イラン王国とトルコ王国も、インフラ整備に金を掛けはじめた。
リビアの石油でイタリアとスペインの経済も上向いている。イラン王国で石油が次々に見つかっている事もある。
あの近辺はひょっとしたら石油の宝庫かも知れんな」
「ドイツが支配しているシリアとイラク(南部は除く)でも石油が見つかったそうだ。
こりゃ、実際の戦争を行うんじゃなくて、開発競争のような気がしてきたよ」
「フランスがマダガスカルのインフラ整備を行っているが、【出雲】も技術者を派遣しているのは知っているだろう。
その【出雲】の技術者が希少金属の鉱山を発見したらしい。フランスも参加させて欲しいって、目の色を変えているそうだぜ」
「満州で大慶油田と遼河油田をあっさりと見つけて、ロシアに引き渡したんだよな。そしてマダガスカルでも有望な鉱山を見つけるか。
ひょっとして、これも巫女の神託か。まったく上手くやりやがって。こちらに秘密を教えろ!」
天照基地の消滅は、現時点ではあまり影響を与えてはいない。
これから大きな変化が出てくるのだが、その事に各国の諜報機関は気づいていなかった。
余談だが、各国の諜報機関は陽炎機関の戦果を知り、日本の忍者の情報を集めていた。
その結果、民間伝承で伝わる忍者の訓練方法が各国に広まり、一部の国では黒装束で訓練を行うようにまでなっていた。
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アメリカはインディアンの神の祟りを恐れて(公式は伝染病から隔離する為)、西部の広大な地域を立ち入り禁止領域としていた。
それを除いても、アメリカは広大な大地と資源を持っている為、国力は右肩上がりで上昇していた。
南フィリピンを支配、そしてキューバを得た。そして中南米の経済支配を強化している。
さらにオランダが支配していた南米植民地を手に入れ、オランダ本国の西フリージア諸島をも領有していた。
そして義和団の乱を契機に清国に進出し、今回の『環ロシア大戦』に乗じて清国の占領地を一気に拡大させた。
欧州から東アジアまでアメリカの勢力は拡大している。
西フリージア諸島を手に入れた事で欧州に対する影響力を確保し、東アジアに進出した事で中国市場の一部を手に入れた。
それでもまだアメリカは不満だった。『明白な天命』という使命感を持って、さらなる領土拡大を考えていた。
「欧州方面はイギリスが煩いから、中々勢力を拡大するという訳にもいかんな。
西フリージア諸島に基地を建設したが、ドイツやイギリスに警戒されている。小さいがオランダ市場を得た事で我慢しよう。
場合によってはオランダ経由で欧州各国に輸出も可能だ。オランダは経済が悪化しているから、我々の指示に従うだろう。
それより清国だ。まだまだあそこに進出する余地はある! フィリピンの支配を強化して、清国に進出するべきだ!」
「ちょっと待て! フィリピンでさえ無補給で航行できずに、ウェーク島やマリアナ諸島で補給して行っているんだ。
どう考えても中継港が必要になる。清国への本格的な進出は中継港を押さえてからだ」
「そうは言うが、何処に中継港がある!? ハワイ王国には絶対に行けない。近くを通るだけで『バハムート』が襲撃してくるんだ。
後の中継港の候補は、日本が領有するウェーク島やマリアナ諸島だ。今の日本と正面きって戦って勝てるのか?
まだカムイ級に対抗できる戦艦は建造中だし、万が一でもハワイ王国が参戦してきたら『バハムート』の餌食になるぞ!」
「アッツ島を経由した北回りは遠過ぎるからな。それにしても中国大陸に進出するなら、日本は邪魔だ。
北方の広大な領土を手に入れ、今ではベーリング海峡を挟んだ隣国になってしまったのだぞ。
強力な飛行船団と艦隊を持っているが、何時かは雌雄を決する必要がある! 今から準備をしておくべきだ!」
「日本に勝てば、フィリピン全域とインドネシアが手に入る。『白鯨』がオーストラリア周辺に出没しているが、何とかなるだろう。
最低でもボルネオ島とセレベス島を手に入れられれば良い。あそこは資源の宝庫だからな」
「ヘリウムが国内で産出されたから、日本に対抗する飛行船を建造する事は可能だ。それとカムイ級を上回る戦艦を用意する!
高い金を支払って、カムイ級の設計図を手に入れた。今はそれを上回る戦艦の建造を進めているから、もう少しの我慢だ。
それまでは不便であっても、日本の補給港を使ってフィリピンと清国の支配を進めるんだ」
「飛行船団か。そう言えばライト兄弟が飛行機の初飛行に成功したと、以前の新聞に書かれていたな。そちらの見込みはあるのか?」
「有望だと思って開発を進めさせている。もっとも国内には無謀だという意見も多くて、中々進まない。
その肝心のライト兄弟は嫌がらせを受けて、東方ユダヤ共和国に移住してしまった。まったく、頑固な奴らが多くて困る!」
「ふむ。まだ他の国でも試行錯誤が続いているだろう。あの日本でさえ開発に成功していないのだからな。
我々が成功すれば、世界を先導する事も可能だ!」
「そちらは技術陣の成果待ちだな。我々としては国民の目を海外に向けさせる為にも、海外領土を欲しているんだ。
以前から話があったカラーコード計画を本格的に検討させよう」
「カラーコード計画? ああ、若手士官の訓練用のあれか。駄目で元々だし、計画を進めるか。
奇想天外な発案が名作戦になる事を期待してな。まずは南米、そしてイギリス、日本が攻撃目標だな」
史実では1920年代から立案されたカラーコード計画だが、状況の変化により早まっていた。
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イギリス帝国の政府上層部は失った権益を取り戻し、日本からの技術を導入して軍備を一新させようと努めている。
それが世界に覇を唱えるイギリス帝国の責務でもあった。
そしてイギリスの各財閥も、オーストラリアやニュージーランドで失った富を清国で取り戻そうと努力していた。
「広東省(雲南共和国の所有領土は除く)と江西省、湖南省の我が国の支配は着々と進んでいる。
アヘン貿易も順調だし、資源の輸入も増加している。しかし、もう少し領土が欲しかったな。
広西省と貴州省も手に入れば良かったんだが。まあ、あそこは日本の領域だからな。諦めるしか無いか」
「そもそも広東省と江西省、湖南省を占領してはどうかと、持ちかけてきたのは日本だからな。
距離的な問題もあるし、今じゃ同盟関係を結んで技術供与を受けているから対立するのは拙いだろう。
福建省と浙江省(杭州以南)も欲しかったが、あそこも日本の領分だ。残るは湖北省だ。
アメリカとドイツは進出を狙っている。ひょっとすると、湖北省を争って、我が国を含んだ三ヶ国の戦争が起きるかも知れん」
「そうなれば、日本と同盟を結んでいる我が国の勝利は間違い無いな。何と言っても日本と中国は近い。
アメリカとドイツが大兵力を送り込もうとしても、海上封鎖されて終わりだ。
しかし、今は占領地の支配を進める事が優先だ。それと『雲南横断鉄道』に我々の計画する『華南鉄道』をどう連結させるかだ。
上手くすれば、雲南方面とチベットの豊富な資源が手に入る。何とか日本と交渉したいものだ」
「それを言えば『中東横断鉄道』もだ。イラン王国で油田が次々に発見されているから、利権を持った我々もかなりの利益を上げている。
その上で『中東横断鉄道』に参入できれば、さらに利益は上がる。イラン王国の権益を返した以上に、富が返ってくる」
「【出雲】はホルムズ海峡と紅海の要衝を抑えているからな。同盟国としては頼りになる。
イランの石油が独占できないのは残念だが、利益が上がっているから我慢するとしよう」
「石油と言えばドイツが支配しているアラビア半島の領土にも石油が発見された。それとリビアにもだ。
エジプトで石油が発見できるかも知れん。今は急いでボーリング作業を行わせている。上手くいけばエジプトの石油は独占できる」
「リビアの石油が輸入できれば良いんだがな。あそこはイタリアとスペインが共同して開発している。
地理的な条件もあるから、中々強引な手段に出るわけにはいかない。困ったものだ」
「しばらくは各国ともカムイ級に勝てる戦艦の建造に務めるだろうから、戦争が起きる可能性は低いだろう。
今がチャンスだ。何とかして謀略で権益を得た者が有利になる。そこら辺を踏まえて、一度日本と交渉してみよう」
人間は金だけで動くものでは無いが、金を無視できる人間も少ない。それが国家レベルの富ともなれば尚更の事だった。
そして民間である各財閥の行動原理は、富の追及だ。その為に、富を求めて世界各地に進出している。
今のところ、日本との同盟はイギリスに有利に働いていると民間では評価されていた。
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ロシア帝国は賠償金の支払いもさる事ながら、失われた飛行船団や艦隊の再建に膨大な費用を必要としていた。
満州を手に入れたとはいえ、戦争の痛手は深くて再建に十年以上は掛かると考えられている。
そのロシアに戦争終結当時は予想もしていなかった福音が齎されていた。
新たに得た領土の満州から豊富な油田が二つも発見され、中央シベリア高原やアルダン高原からは採掘された資源の半分が提供された。
それは満州だけでは無く、欧州方面にも大きな経済効果を与えていた。
これらの要因によって満州は急速に発展していき、欧州に劣らない都市群が形成されていった。
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満州のロシアへの割譲、チベットとモンゴルの造反(清国の主観)、雲南共和国の独立、イギリス、アメリカ、ドイツの占領地の
拡大によって、清王朝は大幅に支配領土を削られ、しかも北京議定書と出雲議定書の定めた賠償金は清国に重い負担となっていた。
資金を捻出する為に各地の資源が叩き売られ、重税は国民に重く圧し掛かっていた。
その国家存亡の危機に清王朝は大混乱していたが、民間である各財閥の対応は異った。
各財閥には清王朝と運命を共にする義務など無い。生き延びる為に、色々な計略を考えていた。
「残ったのは河北、山西、陝西、湖北、四川の半分、重慶、福建、浙江か。ここまで国土が減るとは思ってもいなかった。
これも日本の計略か。まったく忌々しい事だ」
「これで済むとは思えないな。福建と浙江は孤立しているが、日本の勢力範囲と思われているから列強の進出は無い。
住民も生活の平穏が守られている事から、日本への感情に変化が出ているそうだ。
湖北はイギリスとアメリカ、ドイツが虎視眈々と狙っているし、重税に喘いでいる四川はチベットと雲南共和国に擦り寄っている。
下手をすると、まだまだ領土が失われる可能性もあるんだ。油断できない」
「……これも日本を敵に回した結果か。清王朝は顔を青くしているだろうな。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』との諺があるが、清王朝は日本を完璧に読み違えていた訳だ。
日本に主導権を握られて、東方ユダヤ共和国では『勝算があれば戦い、なければ戦わない』を逆に行われてしまった。
さて、我々はどう計画を進めるかだ。清王朝と共に滅ぶ気は無いが、さりとて列強に従うのも嫌だ。かと言って、自立する力は無い」
「列強に占領された地域の財閥や有力者は、反抗する事無く新たな支配者に擦り寄っている。それも生き方の一つだろう。
義和団の乱の時があるから、列強も搾取を緩めているらしい。我々が列強を呼び込むのも一つの選択肢だ」
「それでは一生、列強に頭が上がらなくなる! 革命を模索している組織もある。そちらに支援してはどうだ!?」
「清王朝の命運は尽きたから、それも一つの選択肢だ。しかし、支配者が変わるだけで国が変わる訳では無い。
この国の近代化を進めるには、どこかの列強の支援が必要になる。ある程度の技術と資金力を持った列強だぞ」
「……我々独自では近代化を進められない。やはり一時的には屈辱に耐えて、列強の力を取り込むべきだろうな。
その相手国は……日本が候補に上げられるか?」
「清王朝は三度も日本と戦争を行った。最初は朝鮮半島の支配権を巡ってな。もはや清王朝と日本の和解は無いだろう。
しかし、清王朝が滅んだ後は交渉の可能性はある。
そして日本の技術を取り込み、何時かは列強から占領地を取り戻し、漢民族の威光を取り戻す!」
「そう上手く行くか? 最近は海外に苦力として雇われた同胞が、強制送還されて戻ってきている。
各国で我々の足場を築く長期戦略が崩壊しかかっているんだ。その裏に日本がいる可能性は高い。
日本が我々の近代化に協力するだろうか?」
「清王朝では無理だろうな。だからこそ、革命を支援するんだ。何なら福建省と浙江省(杭州以南)に日本寄りの国を建国させても良い。
そこから日本の支援を引き出せば、長期的には我々の近代化になるだろう。そして力を蓄えた後で、奪われた領土を取り戻せば良い!」
「ふむ。一時的に領土を明け渡しても、力を蓄えた後で奪い返すか。その方向で行こう。
それと湖北に命じて、イギリスとアメリカ、ドイツを誘うように仕向けよう。上手くすれば、その三ヶ国の力を削げる」
「湖北を巡って、列強の三ヶ国を争わせるか。それも一興だな。今のままでは衰退死するしか無い。
敵の力を削げるなら、やってみる価値はあるだろう」
清王朝から民心は離れていた。義和団の乱の時から流れが強まっていたが、今回の『環ロシア大戦』で決定的になっていた。
力の無い者は、流れに身を委ねるだけだ。しかし、力ある者は何とかして苦境を打開しようと模索していた。
こうして、中国大陸に進出しているイギリスとアメリカ、ドイツを争わせる工作と、日本の支援を引き出そうとする工作が始まった。
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陣内は天照機関に状況を報告し、一段落した時点で理化学研究所の北垣を呼び出していた。
既に各事業部の幹部メンバーとは個別に会合を持ち、状況説明と今後の方針は示してある。
そして技術開発方針は細かく詰めようと、北垣と再度の会談を行おうとしていた。
「天照基地が消滅した事は、幹部連中にはあまり影響は無かったようだな。
今は良いが、将来を考えると深刻な事態だ。これから北垣君に、大きな責任が圧し掛かってくるぞ」
「陣内総帥は悲観的過ぎます。たしかに天照基地の消滅は、大きな損失です。しかし無かった時の事を考えれば、今が奇跡だと思います。
それに生産施設は失われましたが、その知識は残っており、実物もあるのです。時間を掛ければ再構築は可能ですよ。
直ぐに全部をというのは無理ですがね。まずは選別して重要項目と思われるものを重点的に開発していきます」
「……まあ、そうだな。それで理化学研究所の方で纏めた、今後の優先研究項目は何かね?」
「正直言いますと、研究陣も層が薄くて多方面に渡る研究は不可能です。
今の設備が使える事から、まずは短期目標と長期目標に分類して、レポートに纏めました。まずは御一読下さい」
陣内は天照基地に依存していた。その為に、現在の一般的な科学レベルと未来の科学レベルの認識を間違う事も度々だ。
その為に、客観的な判断ができる北垣に、現在の科学レベルで開発可能な項目のリストアップを依頼していた。
勿論、戦略的な見地から優先順位を変更する可能性は高い。それでも無理なものは無理なのだ。
まずは現在の科学技術で、出来る事から始める。北垣の持ち込んだレポートを読んだ陣内は、溜息をついて内容を問い質した。
「天照基地があった時でも製造不可能だった、核融合炉の開発を行わないのは時間が掛かりすぎるから当然だな。
そして研究が進んでいるトリウム熔融塩炉と、核開発を見込んだ原子炉の開発も継続するのも良いだろう。
石油供給は長期に渡って問題無いが、環境問題を見越して今から水素エネルギーの開発を進めるのも構わない。
しかし、自動生産ラインの充実と拡大は必須だ。電子部品の製造技術の確立を急いでくれ。
誘導兵器やレーダーなどの電子技術が将来の明暗を分けるんだ。疎かにはできない」
「分かりました。そちらの分野を優先させます。南大東島にあるウラン濃縮装置の回収は我々が行います。
それと大規模な研究施設が必要になります。現在の敷地では不足していますので、用意願います」
「そうだな。機密保持を厳重にする必要があって、万が一を考えて広大な試験場も必要になるだろう。分かった。
交渉してカムチャッカ半島のオホーツク海に面した場所を確保する。研究者人員の大幅増加も認める。この方向で進んでくれ」
「ありがとうございます。それと航空機に関しても開発を進めますが、これは各国と歩調を合わせます」
「史実のデータがあるから何とかなるか。最初は複葉機からだな。
基礎研究分野もそうだが、兵器開発分野も手を抜かずに頑張って欲しい」
「分かりました。大幅な予算UPもしていただいた事ですし、必ず成果をあげてみせます」
天照基地が失われた為、新規設備導入に影響が出ていた。それでも現行と同じレベルであれば、対応は可能だ。
その為、地道な技術開発と共に製造技術の確立が早急に求められていた。
織姫の残してくれた遺産によって、数十年以上の優位は確定している。それに胡坐をかく事なく技術開発が進められる事になった。
その中には安全なトリウム熔融塩炉も含まれるが、大量破壊兵器である核兵器の開発も含まれていた。
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北海道には日本総合工業の日高工場があり、それに加えてロシアから割譲された北方の広大な領土、
中央シベリア高原やアルダン高原などの開発の後方基地として、活況に沸いていた。
仕事が多い為に本土からの移住者も急増し、住宅が次々に建設されている。
そして人が集まれば自然と歓楽街もできる。北海道の歓楽街にある居酒屋は連日満員になっていた。
「はーー! やっぱり酒は燗が最高だよ! 仕事の後の一杯が堪らないねえ!」
「何を言ってやがる! 酒は冷が一番だ! 後から効いて来るほろ酔い加減が良いんだよ!」
「俺はトノト(アイヌの酒)が良いな! おーい、つまみを持ってきてくれ!」
「最近はアイヌ人の酒や文化もかなり知れ渡ったな。
この前は別の居酒屋でアイヌの民族衣装を着た人達が、かなり景気良く酒を飲んでいたぜ。
アイヌの人達の里に観光に行く人が増えたらしいからな。生活も改善されたみたいだ」
「まったく、変わったもんだよ。十年前はこの辺りは寂しい街だったのに、今じゃ人が溢れかえっているなんてさ!
これも日高工場のお陰か。あれで一気に景気が良くなって、人が増えだしたんだ!」
「それだけじゃ無いぞ。人が増えれば食料が必要になる。農地開拓や牧畜、漁業も順調に拡大して、そちらの方面でも盛んになっている。
樺太やカムチャッカ、ロシアにまで出荷し始めたから、これから人は増える一方だよ」
「そういや、ロシア人も最近じゃ居酒屋に来ているって話も聞くしな。景気が良くて助かるぜ。
偶に可愛い青い目の女の子も見るようになったから、目の保養にもなる。
カムチャッカに大きな施設建設を進めているから、そっちにも人が集まりだしたって聞いてるぜ」
「ああ。何でも理化学研究所が大きな実験場を建設しているって話だ。かなりデカイみたいだぜ」
「へー。見た事があるのか?」
「いや、オホーツク海の奥の方で、立ち入りは禁止されているみたいだ。この前に、そこに資材を運び込んだ船員から聞いたんだ。
何でも日高工場より大きいって話だ。また何か凄い事をやらかしてくれるんじゃ無いのか」
「でも戦争はごめんだぜ。今回の戦争に勝ったけど、綱渡り状態だって報道していたしな。
同盟国や友好国の力があったからこそ勝てた戦いだったと、お偉いさんもしきりに発言していた。
巫女様も攻められたから反撃したのであって、こちらから戦いを仕掛ける事は止めて下さいって言ってたろう」
「そうだな。今回の戦争で日本の被害は少ないって言っても、ゼロじゃ無い。
死んだ兵隊さんの家族には補償金と年金が渡されたそうだけど、家族を失っちゃあ誰でも嫌だからな。
それにしても巫女様の名前は『織姫』か。御尊顔を拝んでみたいもんだぜ」
「この前に、初めて名前を公表したんだよな。やっぱり神々しい名前で憧れるな。
濃尾地震や三陸地震で助かったところは巫女様の神社を造ったが、慌てて名前を入れたって聞いているぜ」
「へえ。巫女様の神社か。俺も一度は行ってみようかな」
四国には伊予北条工場が建設された事で、瀬戸内海を通じて中国地方や九州、さらには東方ユダヤ共和国への資材や石油供給などで
現地の経済を大いに刺激していた。
山岳が多い地を切り開いて建設した為に近隣に街は少なかったが、工場の建設に合わせて住宅街が数多く建設されていた。
人が集まれば商業も発展し、歓楽街が出来る。農業と漁業が主な産業だった四国は、工業分野で地域経済の牽引役になっていた。
ちょっと高級そうな飲み屋で仕事帰りのサラリーマンが、同僚と語り合っていた。
「やっぱり焼酎は緑茶で割るのが一番だな。疲れが取れるよ」
「えーー!? 焼酎は氷で飲むのが一番だよ。緑茶は邪道だ!」
「そんなのは個人の自由だろう。ああ、俺はワインでいくぞ」
「……ワインって、ああ東方ユダヤ共和国からの輸入品か。巨済島は経済特区だから、関税が掛からなくて安く買えるんだよな。
こっちから製品と石油を輸出して、あちらの特産品を輸入している。変わった味だから人気が出てきたな」
「ああ。何でも地元の酒業者が頑張って作るって言ってたな。
一時期は景気が悪くて四国が経済発展から取り残される不安もあったけど、伊予北条工場のお陰で地元に活気が出てきた。
人も増えるし、海外との交易も盛んだ。街を歩いているとユダヤ人っぽい人を見かけるよな」
「白人はスタイルが良い女が多いからな。でも、理化学研究所の分校もできたから、南米や東南アジア、中東やアフリカの留学生もいる。
まったく、国際色が豊かになったよ。海外の珍しい料理を食わせてくれる料理屋も増えてきたしな」
「戦争で勝ったお陰だな。李氏朝鮮、ああ今は大韓帝国か。あそこの奇襲を受けて宣戦布告した後、清国とイタリア、フランス相手に
戦争になるって報道されて一瞬、顔が青くなったよな。巫女様は心配する事は無いって言ってるという報道で落ち着いたけどさ」
「そうだな。織姫様の声はラジオで聞いたけど、可愛らしい声だったよな。あれはどう考えても十代だろう。
何で今まで出てこなかったんだろう? 戦争前に声を聴いていれば、もっと早くに安心できたんだけどな」
「さあな。でも、今まで巫女様の御神託に間違いは無かった。信者もかなり増えているらしいぜ。
ああ、一度で良いから御尊顔を見たいな。やっぱり可愛いんだろうな」
以前の勝浦は人口が多いとは言えない地域だったが、日本総合工業の本社施設、それと主力工場、理化学研究所の施設の為に、
今では都心と変わらない賑やかさになっていた。
関連会社の事務所は元より、運送会社の事務所や各国の輸入代理店も含めて、かなりの事務所が置かれている。
従業員の住宅も年々増加しているので、周辺地域の地価の高騰が問題になりつつある。
国際色豊かな街として、勝浦の周辺は発展を遂げていた。
その一つである鴨川の海外料理専門店で、仕事帰りの管理職の人達が酒を飲み交わしていた。
「やっぱり仕事の後はビールだな。特にドイツビールが最高だ!」
「何を言う!? ビールと言ったらベルギーだろう! そこは絶対に譲れないぞ!」
「そんな事で口論するなよ。ああ、俺はモルトウィスキーね」
「まったく、勝浦も国際色が豊かになったな。舶来品の酒がこんなに飲めるなんて、十年前は想像もしなかったぜ。
これも勝浦工場のお陰だな。人も増えて景気も良くなって、綺麗なお姉ちゃんも多くなったよ」
「民族衣装を着て接客してくれるから良いよな。俺はアオザイを着た女の子にニコッてされると、くらくらきちゃうぜ」
「俺はチャイナスーツが良いな。あのチラリと見える太ももは、かなりそそられる!」
「俺はメイド服を着た女の子が良いな。欧州じゃ、あれが女中さんの制服だそうだ。まったく羨ましいぜ」
「本場の女の子が着ているから、着こなしも凄い。留学生がバイトをしているケースもあるそうだ。
目の青い女の子がアオザイを着た日には、何か違和感がありまくりだけどな。まあ、全般的には上手くやっているらしいぜ。
噂じゃ日本人と結婚して住み着いた娘もいるらしいって事だ」
「留学生なら身元はしっかりしているからな。仕事に疲れた後で、こういう刺激的な店で飲むと疲れが吹き飛ぶ。
家に帰って女房の愚痴を聞くなら、ずっとこの店に居たいもんだ」
「金がいくらあっても足りないだろう! ああ、今度は誰か巫女服を着てサービスしてくれないかな?」
「巫女服だと!? 馬鹿を言え! そんな事をして巫女様、いや織姫様を穢すつもりか!?
そんな事をしたら全国に大勢いる信者が黙って無いぞ! 絶対に店が潰されるからな!」
「おいおい、冗談だよ。そんなに怒るな。俺だって、織姫様を穢そうだなんて考えていないよ。
俺の故郷は岩手だ。この前の大津波の時は織姫様のお陰で、両親と兄夫婦は助かったんだ。感謝しているんだからな」
「それなら良いが、あまり織姫様の事を変に言わない方が良いぞ。この前、知らない外人から織姫様をどう考えているか聞かれたんだ。
今じゃ諸外国も織姫様に注目している。気をつけた方が良いぞ」
「そうだな。気をつけるようにするよ。ありがとな」
【出雲】が中東に成立して、約十五年経過した。クエート市を併合し、その後にバスラ州と近隣を併合して領土も増えた。
既に面積は九州を上回り、立派な一つの国としての風格を身に付けている。
工場群も拡大の一途を辿り、それに比例して住宅も増えている。そして人口が増えれば、歓楽街ができるのは何処も同じだ。
薄暗い店で【出雲】の運営に携わる高官達は、人目を憚るように酒を飲んでいた。
「俺はアラック(アラブの酒)を頼む。つまみは適当に頼む。ああ、漬物は入れてくれ。できれば赤カブがあれば良いんだが」
「……アラックと漬物なんて、合わないと思うが? 俺はラク(トルコの酒)を頼む。つまみは焼き鳥があれば、他は適当で良い。」
「日本人なら日本酒を飲め! 俺は清酒にしてくれ」
「お客さん、済みません。この前に日本から大勢の観光客が来て、清酒を飲み尽くしてしまったんです。
次の入荷は来週になりますから、他にして貰えますか」
「……観光客の奴らは俺の楽しみを奪うのかよ! 清酒なら自分の家で飲めって言うんだ! 態々中東に来てまで飲む事は無いだろう!
まあ良い、俺はタッジ(エチオピアの酒)にしてくれ。つまみは適当で良いが、冷奴は入れてくれ。それと納豆もな」
「……タッジと冷奴が合うとは思えんが、お前も変わった趣味をしているな」
「ほっとけ! 俺が好きで頼むから良いだろう! 以前からアラブ風情を味わいたい日本人観光客が多かったが、
最近は欧米からの観光客も増えた。お陰で日本の食材が不足しているんだ。現地生産量を増やすように指示しているが、間に合わん。
やはり日本からの輸入量を増やそう! このままじゃ、俺の食生活が崩壊してしまう!」
「日本からの航空便と船便を増やして輸入量を増やすのは、住民の生活改善にもなるから良いが、動機が不純だな。
公私混同は良くないぞ」
「俺だって住民の一人だぞ! 苦労してバスラ州に水田を作って、やっと酒造所の建設に持ち込んだのに俺の楽しみを奪いやがって!
俺の権限の範囲で日本の食材の生産を推奨しているが、評判は良かっただろう! 誰にも文句は言わせん!」
「……まあ、その熱意があったから農地開拓が成功したのかもな。願わくば、その熱意を別の方面にも向けて欲しいが」
「俺から酒と女を除いたら、干からびたミイラになってしまう! だから定期的にこういう店に来ているんだ。
はあ、やっぱりアラブの女の子はエキゾチックで良いよな。ゾクゾクする。やっぱり嫁はアラブの女の子にしよう!」
「あの独特の民族衣装が良いよな。それが目当てで来る観光客も多い。貧しい家の女の子が多いのは当然の事だろうな。
最近じゃ生活レベルが上がって地元の娘が少なくなったが、イラクあたりから逃げてきた家の娘が増えているって話だ」
「ドイツもそんなに酷い搾取をしているとは聞いていないが、やはり合わないんだろうな。
家を捨てて身一つで逃げたきたから、稼ぐ為には仕方の無い事か。住民登録していないから、産業促進住宅街に入れる事も出来ない。
かと言って、厳しく取り締まって食い扶持を稼げなくなっても可哀想だし、俺達も困るからな」
「こんな職業でも無くては困るからな。まあ、影でひっそりやるのを認めるしか無いさ。ただ、強制だけは拙いからな」
「ああ、この後で個別に事情聴取するんだ。いいか、これはあくまで仕事の一環だ。
貧しい女の子がこの仕事を強制的にやらされていない事を確認するのが一番だからな。
布団の中で此処に来た事情を聞いた後は、各自の自由だ」
「……取ってつけた理由だな。まあ、故郷を巫女様に救われた俺としては、織姫様の頼みを聞かない訳にはいかないからな」
「中東で織姫様の声を聞けるとは、便利になったもんだ。貧しい女の子の事を考えてくれって優しい事を言ってくれる。
あれで少しは元気が出たよ。一応、部下には登録してある住民の生活状態の調査を指示しておいた」
「……織姫様の言葉に乗じて、公私混同をしているような気もするが……まあ良いか。
じゃあ、個別調査をした後は各自で帰れよ。俺は泊まりで明日の朝に帰るからな」
「お前も元気だな。まあ、俺も久々だし、偶には女房の事を忘れよう」
「ちなみに、来週はケシム島の調査に行くぞ。あちらはイラン人の女の子が多いって話だからな。
最初から言っておくが経費では落ちない。ちゃんと小遣いを用意しておけよ」
「…………」
……まあ、各地で国際交流が進みだしていた。
この後、国際結婚するケースが増えてくるのだが、それは別の話だった。
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日総ラジオ放送は以前は日総新聞の事業部だったが、現在は国営の日本帝国放送という組織に移り変わっていた。
運営資金は国費から捻出されるが、運営する人材は以前のままだ。(日総ラジオ放送からの移籍)
経営陣は天照機関の承認する人間しか選ばれない。これも国益に反する偏向報道を防ぐ為の処置だ。
如何に設立の思想が高くても悪しき平等主義が蔓延すれば、敵対組織の侵食を受ける事は史実が証明していた。
非難を受けても、国益に反する報道をさせない為に天照機関が最高幹部人事に介入していた。
その日本帝国放送の一室で、ある管理職が女子アナウンサーの相談を受けていた。
「織姫様の事なんですが、お声をテープでいただけるのは良いのですが、一度会わせては貰えないんですか?
前任のアナウンサーは仕切り越しに会ったんですよね。あたしじゃ駄目なんですか?」
「……巫女様は皇室の最高機密だからな。何でも織姫様は身体を壊されて、人前に出るのを嫌がっているという話だ。
それでも皆の事を考えて、声をテープという形で公表する事になったんだ。我慢してくれ」
「……あれは本当に織姫様の声なんですよね? あたしは嘘の報道をしているんじゃ無いですよね? それが心配で……」
「何だ、そんな事を不安に思っていたのか? この日本帝国放送は国営のラジオ放送局だぞ。その内容は宮内庁も確認している。
今まで一度も宮内庁のクレームなんて無かっただろう。つまり、宮内庁や皇室も認めているんだ。心配する事は無いよ」
「それを聞いて安心しました! そうですよね、あの放送内容が嘘なら宮内庁は黙っていませんものね!
分かりました。これからも頑張ります!」
織姫の声は、勝浦工場の制御コンピュータで作成されていた。
誰とも会わせる事は出来ないので、テープという形でメッセージを国民に届けていた。
天照基地の消滅によって本当の織姫は消滅した。しかし、名前を遺したいと考えた陣内の提案に、天照機関が反対する事は無かった。
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(あとがき)
予定では六章を書き上げるまでは投稿を控えるつもりでした。ですが、諸事情により投稿します。
(2013.11.24 初版)
(2014. 4. 6 改訂一版)