本年にアメリカで第三回目の夏季オリンピックが行われた。

 しかし、『環ロシア大戦』の影響の為に欧州からの参加は激減して、メダルの多くをアメリカが獲得した。

 呼びかけが無かった為に、日本からの参加も無かった。戦争中でもあり、当然の事だろう。

 そしてオリンピックに対抗する為に、第二回目の国際スポーツ競技会と武道大会の開催準備が、タイ王国で進められていた。

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 今回の『環ロシア大戦』で一番苦労したのは、【出雲】だったのかも知れない。

 領土が直接被害を受ける事は無かった。

 戦闘に直接関わったのは【出雲】艦隊だけであり、他は生産活動や輸送活動、建設作業に従事していた。

 それでもイタリア王国に侵攻されたリビアとエチオピア帝国に、軍需物資を空輸で供与していた。

 そして途中からマダガスカルの独立組織に武器弾薬を供与し、さらにはイラン王国やトルコ共和国に物資の補給をしながらも、

 サウジアラビアへの工業化支援や『中東横断鉄道』の建設を、各地の住民の力を借りながらも進めていた。

 ケシム島に戦争前から用意されていた収容所で、イタリア軍とフランス軍捕虜を保護している。

 (バルチック艦隊とフランス艦隊の捕虜は、済州島の収容所で保護)

 この『環ロシア大戦』で【出雲】が示した実力は、狭い領土でありながら列強に匹敵した。

 出雲条約や出雲議定書の開催地という事もあり、僅か十数年で立ち上がった【出雲】に世界の注目が集まりつつある。

 そんな中、皇室代表の山下と日本総合工業の代表の田中は、疲れた表情で話し合っていた。


「今回は何とか凌げたな。それにしてもマダガスカルを含めると五ヶ国への支援を行ったんだ。

 まったく人口が少ないと言うのに、負荷が掛かり過ぎだよ。現場からは残業手当を割り増ししてくれって要望が来ているんだ」

「それを言うなら、こっちも同じさ。奥の手である地下の自動生産工場をフル稼働させて、やっと生産を間に合わせたんだ。

 サウジアラビアからの要求も無碍にはできないし、『中東横断鉄道』の建設資材の生産も止められない。

 こっちも作業員には特別賞与を考えなくては為らないんだ。それにしても一部の輸入ルートは閉鎖されたが、

 イラン王国とイギリス領インドから原材料の輸入できなかったら、工場の生産は止まってたよ。イギリスの協力に感謝だよ」

「イラン王国で地下資源の開発を進めていたから助かったんだよな。インドからも急遽、資源が入って来た事もある。

 それにしても、これからも問題は目白押しなんだ。頭が痛いよ。また髪の毛が薄くなるかも知れない」

「問題って占領地の処遇についてか?」

「ああ。勝者は何をしても許されるって考えが主流だからな。

 イラン王国とトルコ共和国にしても、保護国に横柄な態度を取るな、共存共栄を考えてくれと頼み込んでも、反応が鈍いんだ。

 トルコ共和国は共和制を取っているだけあって、少しはマシだがな。

 エチオピア帝国も領土に組み込んだエリトリアとソマリアへの差別的待遇をしている。虐殺しないだけ良いと言う考えもある」

「そうは言っても、占領された方が何もしないで生活が改善されて、権利が与えられると思われても困る。

 帝国主義全盛の時代だ。ある程度の差別は止むを得まい。あまり差別が酷すぎて反乱を考えなければ良いさ。

 だからこそ、新たに独立したところや、併合されたところの住民に飴が必要になる。それが生活レベルの向上だ。

 多少の扱いの不満はあっても、自分達の生活レベルが上がれば我慢できる。

 それに今の時代、自立して自己防衛できない国は、何処かの国の影響下に入らざるを得ない事は分かっているだろう」


 後世で広まる人道主義の片鱗はあるが、それでも実力主義が全盛の時代だ。勝者の権利を使うなとも言いづらい。

 それでも独立運動の事前回避や、敵国に付け込まれない為にも、保護国や併合した土地の扱いを考えるように各国に要請していた。

 結局、いかに力を持っていても、現地の住民の意向が無視できなくなってきている。

 列強のように力で押し付けては、いずれ現地の不満が高まって反抗される。日本の国際信用を守る為にも、方針は変えられない。

 ならば、不満を持つ住民をキプロスからクレタ島に移したようにするか、アルメニアのように最初から自治領にした方が楽だ。

 こちらの配慮を察しない現地住民にまで、支援をする気はまったく無かった。その場合は、彼らの自主性に任せる。


「やっとイタリアとロシア、清国、フランスとの講和が結べて落ち着いたが、これからが大変だぞ。

 トルクメニスタンとアゼルバイジャンの近代化はイラン王国にやって貰うが、我々はイラン王国の支援も行わなくては為らない。

 イギリスが持つ利権をイラン王国に返還させた代わりに、石油利権の一部を渡すが、その調整も一苦労するだろう。

 グルジアとクリミアの近代化はトルコ共和国にやって貰うが、我々はトルコ共和国の支援を継続する。『中東横断鉄道』の建設もな。

 リビアはイタリアとスペインが居るから手を抜けるから良いが、エーゲ海のドデカネス諸島の開発だってまだ途中なんだ。

 旧エリトリアと旧ソマリアの開発はエチオピア帝国にやって貰うが、我々はジブチを再開発してエチオピア帝国への支援を続ける。

 サウジアラビアとマダガスカルも同じだ。マダガスカルはフランスの手が借りれるから少しは助かる。

 特にマダガスカルはチタンなどの希少資源が有望だからな。あそこの開発には力を入れたい」

「まったく、何時になったら楽になる事やら。頭が禿げる前に落ち着きたいものだよ。長い友達と別れるのは寂しいものさ。

 講和会議が二回続けて開かれた事もあって、全世界から【出雲】を訪れる人間が激増している。何人の諜報員がいるんだろうな。

 陽炎機関の職員を配置して、防諜に務めているけど気が抜けない毎日だよ」

「日本やベトナム、タイ王国あたりからの移住者が増え続ける傾向がある。十年経てば、【出雲】はかなり人口が増えるさ。

 その頃には、道路や送電、給水、石油輸送機能を併設した『中東横断鉄道』が完成するだろう。

 支線の建設も含めて、完成すれば【出雲】とサウジアラビアとイラン王国、トルコ共和国に跨る巨大経済圏が完成する。

 そうなりゃ、後は左団扇の生活が出来るんじゃ無いのか?」

「甘いな。あの人使いの荒い陣内さんが、俺達に楽させてくれると思うか?

 老後の生活の保障はしてくれるだろうけど、それまでは楽はさせてくれないだろう。あの沖田提督をみれば分かるさ」

「……そうだったな。義理の妹の旦那というだけで、いきなり二十代で【出雲】艦隊の司令官だ。

 実績の無い若造だという批判を、実績を上げて黙らせた。まあ、苦労は大きかったろうな。

 今じゃ、各国で講演会の要請もあると聞く。若き英雄だろうが、あの陣内さんの身内になったからには苦労は絶えないだろう」


 今回、【出雲】が示した工業力と軍事力は、列強にとっては脅威と呼べた。

 今までの苦労が実った為だが、あまり注目を集めるのも好ましくは無い。

 その為に、イタリア主力艦隊、バルチック艦隊、フランス艦隊、黒海艦隊を撃破した沖田を英雄として祭りあげ、

 戦果の大部分は沖田の働きによるものだと正式に発表を行っていた。

 そして本国の東郷提督と同じく、『英雄』として祭り上げられていた。

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 ロシアと戦争になる事は、最初から分かりきった事だった。

 だからこそ、陣内がこの時代にやって来て十数年、その準備に費やしたと言って過言では無い。

 日清戦争は前座に過ぎない。そして日本が世界から過度に警戒されないように、計画を進めてきた。

 未来から持ち込んだ兵器を使用すれば、被害ゼロで短期間に勝利ができる。しかし、それは諸外国の警戒や嫉妬を生む。

 それに楽して得た勝利は国民を慢心させる。一時的に日本の勢力が拡張できるだろうが、慢心した国家は何れは滅びる運命だ。

 日本の国力はまだまだ列強に及ばない事もあって、だからこそ単独では無く、同盟国や友好国と協力して戦争を行った。

 東方ユダヤ共和国、イラン王国、トルコ共和国の力があったからこそ、ロシアに勝利できたという形を取っていた。

 海底資源の採掘は切り札として残して、北方の広大な領土を得たので自前の資源の確保できた。若干の不便はあるが、生活圏もそうだ。

 これ以上の領土拡張は不要だ。敗戦しなければ、日本は後々にも世界に大きな影響力を持ちながらも存続できる。

 言い方を変えれば、攻める立場から守る立場に変わった。

 これから第一次世界大戦などの戦いはあるが、まずは最初の難関と考えられていた対ロシア戦争に勝利できた事に、

 天照機関のメンバーは祝杯をあげていた。


「清国とフランス、イタリアの参戦というイレギュラーはあったが、最初の計画は実現できた。

 広大な北方を占領して、悲願だった国内資源も確保できた。後々の問題となる朝鮮問題も発生しない状況に持ち込めた。

 中国の領土を削って、列強や少数民族を巻き込んだ包囲網を形成できた。これも陣内の長年の努力の成果だな。感謝するぞ」

「まったくだ。被害も少なく済んで、広大な領土と莫大な賠償金を得られたから、国民は大喜びだ。

 各地で提灯行列が盛んに行われている。陣内を軍事パレードの主役として参加させたいくらいだ」

「いえ、国を想う多くの人達が協力してくれたからですよ。

 正直言ってフランスとイタリアの参戦を聞いた時は、秘匿する予定の潜水艦隊を投入しなくては為らないかと思いました。

 それにイラン王国とトルコ共和国は国内治安が回復していなかったから、こちらの要請を拒否する可能性もありました。

 何とか上手くいきました。これで諸外国は日本の策謀能力について、かなり評価をしてくれるでしょう。上手く誤魔化せます」

「東アジアから欧州に及ぶ広大な戦略だからな。アフリカ方面も上手くいって、リビアとエチオピア帝国は守れた。

 フランスはともかく、イタリアは我々の方に取り込める事さえも可能になった。

 ドイツとオーストリアと同盟を結んでいるが、関係が上手く行っている訳では無いからな。

 サウジアラビアとも良好な関係だから、中東全域に大きな影響力を持つだろう。これも【出雲】のお陰だ。

 陽炎機関による破壊工作も上手くいった。列強は忍者を過大評価してくれて、似たような特殊工作部隊を造る気らしいからな」

「まだ公然と人種差別が行われているが、今の日本を平然と差別する国は殆ど無い。まあ、あれば思い知らせてやるだけだ。

 我々がロシアとフランス、イタリアに勝利した事で白人社会に動揺が広がって、少しずつ彼らの意識改革が進みつつある。

 別に有色人種の盟主になる気は無いが、我が国としても良い傾向である事に間違いは無い」

「一部の友好国や植民地支配されている国々は、我々が列強に対して人種差別の撤回を要求して欲しいと思っているらしい。

 だが、まだ時代がそれを許していない。こればかりは時期を待とう。今は我々の立場を強化する時だ」


 今の日本に対する世界の評価は微妙なものだった。

 飛行船や神威級の戦艦の戦果によって、空戦と海戦の戦闘能力や技術面では高い評価を得ている。

 だが、陸戦に関してはロシアの裏をかいたので、謀略面では評価されても戦力的には低い評価のままだった。

 寧ろ、陸戦においては東方ユダヤ共和国、イラン王国、トルコ共和国、エチオピア帝国が高い評価を得ていた。

 極度に警戒されず、極度に侮られずを目標にしていた為、希望通りの評価と言えた。

 そして、欧米における日本人の立場がさらに改善された。

 人種差別は公然と行われていたが、日本人を差別すると別のルートから圧力が掛かるようなケースが増えていた。


「予定外だったが、マダガスカルを我々の陣営に組み入れられた。

 希少資源の宝庫だし、インド洋全域やアフリカの南東部に影響を持てる位置にある。将来が楽しみだよ」

「今回、戦いに加わらなかったペルーやハワイ王国、タイ王国、フィリピン、インドネシアの我が国への信頼がさらに増している。

 ベトナムとカンボジアも独立が決まった事だし、時間を掛けて徐々に開発を進めていけば良い。

 朝鮮半島では完全に李氏朝鮮と縁を切れた。

 史実では日本が李氏朝鮮の膨大な借金を肩代わりして、教育改革やインフラ整備を行ったが今回は無い。

 重い負担が李氏朝鮮に掛かっているが、優秀な民族と主張する彼らの努力に期待しよう。内政干渉しない方が、お互いの為だからな。

 不法入国を試みる輩は多いだろうが、その辺はロシアと東方ユダヤ共和国に苦労して貰えば良い」

「ロシアに併合させたままだと、あちこちに移住されて将来の問題になる可能性もあったからな。

 あそこの民族は第三者を巻き込んでの自己主張活動は非常に優れている。

 嘘でも繰り返して言う事で同調者を増やす手法を得意とし、沈黙は金という諺のある我が国とは考え方が違う。

 日清戦争の前に、上海で暗殺された金玉均のような先見性に優れた人物は例外だ。

 実力で伸し上がるなら良いが、競争者を貶めて伸し上がるのでは結果的に所属する組織の弱体化が進む。

 ロシアの為にも併合を解消させて独立をさせた訳だが、ロシアは理解できないだろうな」

「無理に理解させる必要は無いさ。ロシアと東方ユダヤ共和国は李氏朝鮮と国交は結ぶが、交流は無い。

 後は彼らの自主性に委ねれば良い。アメリカを含んだ各国に移住した者が居るが、小数だし影響は無いだろう。

 東方ユダヤ共和国は建国当時に約束した領土拡張が上手くいって大喜びだ。

 三ヶ国の大軍を相手に防衛戦を行ったから、勇名が世界中に知れ渡った。これで今まで以上に移住のペースは上がるだろう。

 そして新たに得た領土の開発で、我が国に発注が来る。北方領土の開発もあるから、戦争特需が終わっても不況になる事は無い」


 出雲議定書によって領土配分が決定された。今回、参戦した日本の関係国全てが利益を手にしていた。

 最大の恩恵を受けたのは日本だ。何と言っても現在の国土の数倍の領土を得ていた。

 (ある意味、大日本帝国という名前倒れの存在だったが、やっと名前に相応しい国になったと言えるかも知れない)

 それもあり、賠償金は同盟国や友好国に戦果に応じて配分するようにしていた。

 盟主になったつもりは無いが、所帯が増えてくると気苦労も増えていた。これも日本の国際評価を守る為には必要な事だった。


「フィリピンやインドネシアの開発も進めなくては為らない上に、雲南共和国とベトナム、カンボジアの開発もしなくては為らない。

 北方の広大な領土もそうだし、開発権を得たからには中央シベリア高原とアルダン高原、満州の開発も進めなくては為らないのだぞ。

 まったく、今の日本じゃ手が回らない。しばらくは内政に専念しなくては」

「各地への移住もかなり進んでいて、今はベビーブームが起きている。二十年も待てば労働人口はかなり増えるだろう。

 とは言っても問題は今だな。陣内はどう考えている?」

「ペルーとハワイ王国は今まで通りで良いでしょう。フィリピンとインドネシアは現地の教育が進んで来ましたから、手を抜けます。

 日本から機材の供給を続ければ、今より速度は落ちても現地の開発は進められます。タイ王国も同じですね。

 そういう事で、フィリピンとインドネシアに派遣していた人材を、中央シベリアと満州の開発に振り分けます。

 タイ王国へ派遣していた人材は、雷州半島と雲南共和国の開発ですね。

 台湾や海南島からも少し人材を派遣して、帳尻を合わせます。海南島を拠点にして、『雲南横断鉄道』の建設に早く着手したいですね。

 【出雲】はサウジアラビアとイラン王国、トルコ共和国の支援と『中東横断鉄道』の建設で余力はありませんが、

 何とかマダガスカルに人材を派遣して、フランスと協力して現地の開発を進めます。

 まだエーゲ海のドデカネス諸島の開発もあるのですよ。まったく人手が足りません。

 サハリンとカムチャッカ半島の開発は渋沢先生の企業グループと財閥系企業に協力を要請します。

 チュコート半島、アナディール高原、ユガギール高原は拠点を建設するだけで、開発は後回しです。

 今はロシア帝国との約束がありますから、中央シベリア高原とアルダン高原、満州の開発を重点的に進めます」

「先に権利がある場所の開発を進めた方が良いだろうな。ロシア革命で失われる危険性も高いが、経済効果も十分にある。

 バクー油田を失うロシアに新たな油田を提供するか。傍から見ると、とんだお人好しだな」

「ロシアからの信頼を得る為だ。例の血友病の薬の件でも、各国の王族から問い合わせが来ているんだろう?」

「ええ。ロシア皇室で薬の効果が確認できましたから、イギリスやドイツ、スペインへも出荷を秘かに始めています。

 治療薬を交渉の道具にするのは些か気が引けますが、王家の病ですからね。そこら辺は割り切りますよ」


 客観的に見て日本は勝ち過ぎていた。北方に得られた広大な領土を直ぐに開発できる国力は無く、

 新たに関係国に組み入れた各国と、関係改善を目論んでいるロシアの開発を優先させる必要があった。

 ロシア皇帝ニコライ二世は日本の実力は認めたが、他の政策を改める気は無かった。

 国内の暴動はあるが、皇帝としての権利の行使を躊躇うつもりは無い。いずれはロシア革命は発生するだろう。

 その時の為にも、事前工作は進めなくては為らない。戦争に勝つ事は重要だが、その事後処理もまた重要だ。

 国力以上の成果を求められている日本にとって、頭の痛い事態が続いていた。


「予想通りにイギリスは情報提供だけで無く、実用飛行船と戦艦を求めてきた。

 クレタ島の施設を建設して、清国の支配領土に鉄道網を張り巡らせる計画も進めている。

 フィジーとニューヘブリディーズ諸島の譲渡で飛行船と戦艦の代価を相殺させようと申し込んできた。どうするかだな」

「イギリスとしては『白鯨』の被害もあり、インドネシア領海を通る必要があるから扱い難い地だ。持っているだけで赤字だろう。

 飛行船と戦艦の代価としては不適切かも知れんが、イギリスの思惑に乗るのも良いだろう」

「他があるから、直ぐにフィジーとニューヘブリディーズ諸島が開発できる訳では無いが、貰っておいて損は無い。

 統治が困難なら自治領として扱っても良いだろう。国内の不満分子の受け入れ先にしても良い」

「飛行船や新型戦艦をイギリスに渡したとなると、他の列強が黙ってはいないだろう。あまり露骨な干渉を受けたくは無い。

 さて、上手く他の列強を誘導するには何が良いかな?」

「アメリカでヘリウムが発見された事を公表しましたから、各国の飛行船の建造を進めさせます。

 ヘリウム販売はトルーマン商会の利益にさせて貰いますがね。

 ライト兄弟が東方ユダヤ共和国に移住しましたから、これから飛行機の開発が進んでいくでしょう。十年後には実用機が完成する。

 実用飛行船と新型戦艦の件も、いずれはイギリスから情報漏洩が起きるでしょう。

 その前に各国の諜報機関に高い値段で図面を秘かに売れば良い。

 時間を掛ければ、他の列強も『神威級』相当の戦艦は設計・建造は可能です。その期間を短縮するだけですよ。

 代わりに代金が入ってくると考えれば、メリットはある。何時までも日本の軍備が脅威に思われても拙いですからね」

「列強間のバランスを取るか。良いだろう。陽炎機関に命じて、秘かに軍の機密情報を売りたい奴がいる事にして接触させよう。

 その代金は軍の機密費に回すが、問題無いだろうな」

「日英同盟を改定した事で攻守同盟になったが、今のところは我が国のメリットはあまり無いな。

 今の我が国に攻め込んでくる国はあるまい。今更だが、不要なのでは無かったか?」

「それを言うな。それでもイギリスの威を借りて、他の列強の牽制にもなる。

 第一次世界大戦がどうなるかは分からんが、欧州戦線に介入する為にも日英同盟は必要だ」

「オスマン帝国がトルコ共和国になった事で、バルカン半島方面の情勢がだいぶ変わっています。

 トルコ防衛の意味でもエーゲ海のドデカネス諸島の開発は進めておいた方が良いでしょうね。

 それと黒海防衛の為にも、トルコ共和国の海軍の整備は必須です。

 イラン王国にもカスピ海で運用できる艦艇を用意しなくてはなりません。頭の痛い事ですよ。

 それはそうと、東方ユダヤ共和国から咸鏡道の北部を我が国に管理して欲しいと申し込みがあったそうですね?」

「ああ。ロシア帝国とユダヤ人は仲が悪いからな。国境を接していると問題が起きそうだから、仲介役に日本に入って欲しいという事だ。

 山岳地帯で旨みは地下資源だけだな。李氏朝鮮と国境を接する訳でも無いから、要請を承諾するつもりだ」

「上手くいけば、満州からの資源もそこを経由して輸入できるしな。ロシア帝国の承認もとってある」


 日本は世界に覇を唱える気は無かった。その為に、列強の軍事バランスを取るつもりでアメリカのヘリウム採取を公表し、

 『神威級』の設計図を現金と引き換えに、裏で列強にリークするつもりだった。

 隠し立てして、列強が束になって敵に回っては困る。機関や光学照準装置をダウングレードしたタイプの情報なら問題は無い。

 強過ぎず、そして弱過ぎずが今の日本の目標だった。一部の国民にはもっと積極的に進出すべきだという意見もあったが、

 広大な領土と賠償金を得た事で、大部分の国民は今回の成果に満足していた。


「北方に広大な領土を得られて、賠償金が入る事が発表されたから日本国内が大喜びだ。あまり浮かれ過ぎても困るがな。

 引き締めに気を使っているが、史実のように各地で暴動が起きないだけマシというものだ」

「自分と異なる考えに対して、暴言で主張を押し通そうとする輩もいる。心が貧しいから、口から出る言葉も汚くなる。

 十人十色と言うように、ある程度は相手の考え方を認めるべきだが、心根が貧しい輩にまで同じ扱いをすると問題が大きくなる。

 困った問題だが将来の事を考えると、彼らの意志を尊重する方向で切り離しを進めるべきだろうな」

「問題分子を抱え込む危険も大きいからな。彼らを穏便に切り離せれば国内はより安定するだろう。何事にも過激な輩の扱いは難しい。

 話は変わるが、殿下が日本全権代表としてロシアのミハイル大公と交渉した事が知れ渡った。

 殿下のご威光も上がって結構な事だ。お陰で国内はさらに安定している」

「それは義兄上の協力があってこそです。自分だけで交渉をできた訳ではありません」

「謙遜せずとも良い。あの交渉はお前の実績だ。しかし増長する事無く、君主としての心構えを身に付けるのだぞ」

「はい。自分もそうですが、子供にもその教育を受けさせるつもりです。

 そういう事で、また義兄上のところに子供を連れていっても良いでしょうね。今度は天照基地を見せてやりたいのです」

「臣下の家に度々来られるのはどうかと思いますが、まあうちの子供とも仲が良いですからね。

 この前、皇居で遊んだ時は、うちの子供が泣かせてしまい、侍従長からクレームが来ました。

 うちの子供の上が十歳で、一番下が六歳。皇子は三歳ですからやはり泣いてしまう事はありますよ」

「従兄弟同士ですから、幼い頃から交流があった方が何かと良いですよ。それに怖いものを知っていた方も良い。

 子供が遊んでいる最中に泣くのは、元気がある証拠でもあります。それに井の中の蛙にさせたくはありません」

「分かりました。それでは天照基地でバーベキューパーティでもしましょうか。一泊程度なら構いませんね?」

「ええ。御願いします。プールも楽しみにしています」

「陣内。朕に声は掛けぬのか? 除け者にする気か!?」

「陛下。さすがに陛下まで行くのはやり過ぎでしょう。ご自重下さい」

「何故だ!? 孫の可愛い姿を見たいという祖父の願いを聞き届けないというのか!?」

「ですから、それで皇居に子供を連れてきて遊ばせたのです。皇子を泣かせてしまい、怒られましたがね。

 あれで子供が皇居に来るのを嫌がるようになってしまいました」

「むうう。ならば侍従長を「陛下! 公私混同はご自重下さい!」 ……むうう、分かった。今度は別の場所で会えるように手配する」


 陣内の子供と将来の昭和天皇陛下(三歳)は従兄弟同士という事で、定期的に会わせて遊ばせるようにしていた。

 何と言っても将来的にも関係は続く。それなら、幼少の頃から関係を持っていた方が良い。

 皇居だとどうしても上下関係になり、皇太子殿下は皇子に対等の友人を持たせたかったと考えていた節もある。

 もっとも、一番下の子供が泣くのは仕方の無い事だ。それでも香織(十歳)や美沙(七歳)に優しく抱かれて、直ぐに泣き止む。

 こうして陣内の子供と昭和天皇陛下は幼い頃から天照基地を訪れて、未来の技術を肌で感じて慣れ親しむようになっていた。

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 ライト兄弟が飛行機の初飛行を成功させたのは昨年だが、アメリカでは懐疑的な意見も多く、厚遇された訳では無かった。

 何も日本が工作した訳では無く、頭の固い科学者は『機械が飛ぶことは科学的に不可能』と批判的な立場を崩さなかったからだ。

 その為、資金援助していたトルーマン商会の口利きでライト兄弟は東方ユダヤ共和国に移住し、飛行機の開発を続ける事になった。

 日本が全てを独占開発すると疑惑の目が向けられる。今でさえ注目が集まっているというのに、これ以上の注目は集めたくは無かった。

 その為、優秀なユダヤ人が集まっている東方ユダヤ共和国で、飛行機の実用化を進める事にしていた。

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 まだ国内は落ち着いてはいなかったが、陣内は渋沢を自宅に招いて話し合っていた。


「今回の『環ロシア大戦』のお手並みは見事だったよ。さすがは天照機関だ。道を誤る事無く、日本を勝利に導いてくれた。

 同盟国や友好国にも配慮した戦果を与えて、我が国も北方に広大な領土を得る事ができた。

 アフリカ方面でもマダガスカルが勢力下に入ったし、イタリア王国に対する配慮も見事なものだ。

 清国と李氏朝鮮に貧乏籤を引かせた結果だな。これで日本の将来は約束されたと言えるだろう」

「新たに得た領土の開発もありますが、中央シベリア高原とアルダン高原、満州の開発はこれからです。

 ベトナムとカンボジア、マダガスカルの開発も責任を持って進めなくては為りません。是非とも協力を御願いします」

「うむ。私の系列はタイ王国の開発を進めているが、一部はベトナムとカンボジアに人を回そう。

 それと北方の開発には是非とも参加させて欲しい。地下資源の宝庫とあって、財閥系企業は目の色を変えているそうだ」

「まだまだ本土でも開発の手が及んでいない地域は多いのに、外の開発も遅らせる事は出来ません。人材不足で頭が痛いですよ。

 それでも次の戦争までには約十年の時間があります。その間に出来るだけ開発を進めなくてはなりません」

「まったくだ。しかし、少し気になる事もあるんだ。今まで日本は戦争をすれば必ず勝ってきた。そして、領土と賠償金を獲得してきた。

 国民に戦争をすれば儲かるという意識が定着しても困るんだ。どうしたものかと思ってな」

「それは自分も懸念していました。新聞社を使って、幸運に恵まれたからであって油断しないようにと啓蒙活動を進めます。

 贅沢な悩みですが、我々が頑張って国民の苦労を減らすと、史実の日本の勤勉さが失われる可能性もあると危惧しています」

「……人間、楽に慣れると苦労はしたがらないものだからな。史実では資源が無いから必死に努力した。

 しかし、楽に資源が入ってくるとなると努力しなくなるか。考え物だな。

 それに楽をして成果を出せば良いという風潮が広がっても困る。勤勉さが失われたら、我が国の未来は暗くなる。これは大きな問題だ」


 日本の国土は狭く、地下資源に乏しくエネルギー資源は殆ど無い。だからこそ、それを克服しようと頑張ったのが史実の日本だ。

 自国内で地下資源を確保できるようにするのは、日本の悲願だった。

 今回はその悲願は達成したのだが、弊害が発生する可能性が出てきた。

 慢心して、楽して結果を出せば良いという風潮が広まると、それは国力の低下になって将来的に国が衰退する原因になる。

 まだ一部で全体には広がってはいない。しかし、一部には資源に胡坐をかいた姿勢が見られるようになっていた。

 欧米は日本製品のリバースエンジニアリングを行い、独自の改良を加えた製品を次々に開発・製造し始めている。

 真空管や無線通信機、今まで日本の独壇場だった建設用重機なども、次々に各国で新型モデルが出荷され始めていた。

 天照基地がある限りは欧米に追い越される事は無いのだが、甘えを放置するのは危険だった。


「可能な限り、国内の産業を成長させる為と不況に陥らないように、次々に手を打ってきました。

 ですが、こうも順調過ぎると国内に油断というか、甘えが発生しているように感じられます。まだ小さい芽です。

 今のうちから手を打てば回避できるでしょう。何とかお知恵をいただきたいのですが?」

「知恵と言われもな。国民の意識の問題だから解決も難しい。これは時間が欲しいな。

 開発が終わっていない地域も多いというのに、気が抜けるような事にならないで欲しいものだ。

 発展目覚しい対馬や沖縄、台湾、海南島の熱気を持ってきたいくらいだな」

「時間的余裕があるのは確かですね。対馬は東方ユダヤ共和国との交易中継地で、沖縄は工場地帯の整備が進んでいます。

 台湾は中華博物館を始めとした対清国の交易とフィリピンの支援で、海南島はベトナムの支援と雷州半島の開発と『雲南横断鉄道』の

 建設で活気に沸いていますからね。

 完成するまでには約十年を予定していますが、完成した時は巨大な経済圏が完成する。是非とも早く完成させたいですね」

「雲南地方とチベットの豊富な地下資源が入るようになり、地域の経済も活性化するな。『中東横断鉄道』に並ぶ大工事だ」

「次の大きな戦争は第一次世界大戦です。史実通りに発生するかは分かりませんが、準備は進めておきます。

 その為にも、未開発地域の開発を急いで進めなくてはなりません。まだまだ休む事は出来ませんね」

「おいおい、身体を壊してくれるなよ。まだ陣内君は三十代後半だろうが、倒られては困るんだ。適度に休むようにしてくれ」

「上の子供が十歳になりますから、来週は家族全員で慰安旅行にロタ島まで行ってきます。

 まあ誕生日プレゼントの代わりの旅行なんですけどね。そこで休んできますよ」


 子供の誕生日に合わせて、年に三回ほど海外に慰安旅行に出かける事が定例になっていた陣内家だった。

 ちなみに、沙織と楓の誕生日には何らかのプレゼントを贈る事も習慣化している。

 しかし、自分の誕生日には何も貰っていないと陣内は秘かに不満を募らせていた。

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 台湾は清国との交易の中継地、『中華博物館』による文化都市、フィリピンへの支援拠点として発展を続けていた。

 本土と同じく産業促進住宅街も建設され、貧しい人達へのフォローも行われている。(職業訓練を含んだ自立させる方向)

 そんな台湾にあって積極的に進められているのが、免震設計の建築だ。

 台湾は地下プレートの関係から地震が多い。本年の十一月に史実では死者145人を記録した雲林斗六地震が発生する。

 さらに二年後には、死者1258人の記録がある嘉義梅山地震が予定されている。

 これらの地震対策の為に免震設計の建設が半ば強制的に進められ、さらには支援物資の備蓄も行われていた。

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 日本はノルウェー海にあるヤンマイエン島(面積:373km2)を、オーロラ観測施設を運用する目的で開発を進めていた。

 一方でさらに北方にあるスヴァールバル諸島(総面積:60,640km2)の開発を、秘かに進めていた。

 今回、ヤンマイエン島の領有を公式に宣言すると同時に、スヴァールバル諸島の国際協力開発を全世界に呼び掛けた。

 既に開発基地を建設している事もあり、無理を言えばスヴァールバル諸島の日本領有は認められるだろう。

 しかし、レナ川の東側の広大な領土を得たばかりであり、ここでスヴァールバル諸島の領有まで主張すると各国の強い警戒を招く。

 その為に、ヤンマイエン島は北極海航路を使用した欧州との交易拠点として領有し、スヴァールバル諸島は各国の国際協力の地として

 運用する事に決定した。

 その結果、史実より遥かに早くスヴァールバル条約が結ばれた。

 主管は日本だが、参加国は等しく経済活動を行う権利を有して、非武装地帯とする事が定められた条約だ。

 この条約により、各国の警戒を招く事無く、日本はノルウェー海の拠点を確保して、欧州への交易中継拠点を手に入れた。

 尚、史実の情報に基づいて、スヴァールバル諸島の有益な鉱山は事前に日本が押さえていた。


 南極方面の拠点も公開する事を決めた。観測目的で南大西洋の亜南極にあるブーベ島(面積:58.5km2)を領有した事と、

 南極の東オングル島に『明治基地』を建設した事を公表した。

 勿論、非武装地帯とする事と、南極地域の各国の独占を防ぐ南極条約を結ぼうと呼び掛けた。

 スヴァールバル条約程は順調に進まなかったが、それでも日本が南極の共同開発を呼び掛けたのは一定の効果があった。

 こうして、日本がノルウェー海と南極方面に同時期に領土を獲得した事は諸外国の警戒を招いたが、

 同時にスヴァールバル条約と南極条約を呼び掛けた事で、深刻な事態に陥る事は無かった。

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 史実で中国革命の父と呼ばれた孫文は、東京で中国同盟会を結成していた。史実では来年だったが、

 出雲議定書によって中国の分割が進み、危機感を覚えた同志に訴えて前倒しで組織を結成していた。

 現在の東京は、戦争に勝利して広大な領土と賠償金を得た事で戦勝ムードに沸いていた。

 居酒屋の賑やかな雰囲気の中、深刻な表情で孫文は同志と酒を飲み交わしていた。


「既に民心は清王朝から離れている。無能な清王朝に任せていると、さらに祖国は列強の侵略に遭うだろう!

 俺達が清王朝を倒して革命を起こすしか、祖国を救う道は無い!」

「ロシア人に唆されてユダヤ人と日本人に宣戦布告をしたは良いが、海軍は壊滅して沿岸部は根こそぎやられた。

 黄河や長江の川沿いの施設もだ。さらに朝鮮半島に攻め込んだ陸軍約二十万を失った!

 満州をロシアに奪われ、チベットとモンゴルには裏切られ、雲南省を中心に少数民族が独立をしやがった!

 イギリスとアメリカ、ドイツは占領地を拡大させるし、祖国の領土は一気に三分の一以下に落ちてしまった!

 これも無能な清王朝の所為だ! 必ず倒さなくては為らない! それと各地の少数民族を根絶やしにする必要がある!!」

「でも、どうする? 日本は祖国の内陸部に進出しないと宣言しているから、俺達の独立に力を貸さないんだ!

 他の列強の支援を受けても、騙されて良いように使われるだけだ! 俺達には満足な武器さえ無いんだぞ!」

「徒手空拳で立ち上がっても、義和団の乱の時の二の舞だ。俺達は何処からか武器を調達する必要がある。

 とは言っても、成功するか分からない俺達に資金を融通してくれる国は無い。まさに八方塞りだ」

「くそっ! 日本は祖国の内陸部に進出しないと宣言していながら、チベットとモンゴル、雲南の工作を進めていたに違いない!

 奴らは嘘つきだ! それを徹底的に広めて、日本から資金を毟り取ってやれば良い!」

「無駄だ。お前は日本の公式発表を聞いていないのか?

 チベットに前々から接触していた事を日本政府は認めたが、あそこは別の国だから宣言に違反した訳ではないと言っている。

 雲南にしても、タイ北部やベトナムに逃げ込んでいた回族を支援しただけと開き直っている。追求しても無駄だ」

「五十年前に逃げ出していた回族か!? 当時は100万人の回族を虐殺したと聞いているが、その時に滅ぼしておけば良かったんだ!

 そうすりゃ、こんな思いはしないで済んだものを! まったく忌々しい!」

「清王朝は賠償金の為に、さらに税を上げた。これで民衆の生活がさらに苦しくなるんだ!

 各地の有力者の多くはイギリスやアメリカ、ドイツに擦り寄っているが、まだ列強の支配が及んでいない地域の有力者もいる。

 彼らと何とか接触して、力を蓄えて蜂起の機会を伺うんだ! それしか道は無い!」

「日本は広大な領土と莫大な賠償金を手に入れた。まさに昇り竜だ。それに引き換え、祖国は……

 これも日本の企みなんだ! くそっ、酒だ! 酒を持って来い!!」

「おいおい、バイトで稼いだ資金も、これで終わりだ。お前は金を持っているのか?」

「……金が無いと、こういう惨めな思いをするんだな。くそっ! 家に帰って飲みなおすぞ!」

「でも、金が無いから酒の買い置きも無いんだ。ここで終わりだな」

「…………」


 孫文たちは特別に日本在住を認められていたが、特別待遇を受けている訳では無い。

 史実では満州を餌にして莫大な支援金を集めたが、今回は天照機関の指示で必要最低限の資金しか与えられていない。

 自棄酒も飲めないと知った同志は、肩を落として居酒屋を出て行った。

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 李氏朝鮮はロシアの命令で平壌に遷都していた。しかし、費用も無いまま行われた為、満足な施設は整っていない。

 両班と呼ばれる貴族階級の人間が居るので国としての運営は出来るが、状況を改善させる手立てがまったく無い。

 千年以上に渡る長い属国扱いを受けてきた為、下層の人間から搾取するのは出来たが、新しい事に挑戦する事など皆無だった。

 例外としては開明派と呼ばれた人達はいたが、既に全員が粛清されている。残った両班は改革する意欲も無い。

 人口は激減し、それ以上に国土が激減した。働き盛りの男を大量に戦争で失い、田畑を耕す人間も少ない。

 収入は当然激減し、膨大な借金は今まで通りで、利息の返済すらも滞っていた。

 それでも併合は解消され、独立国として再出発が可能になった。

 そこで朝鮮の国王である高宗は、今まで出来なかった事を行った。国号を韓として、大韓帝国の成立を公表したのだ。

 日清戦争の直後は、清国を宗主国としていたので国号の変更は出来なかった。

 その後はロシアを宗主国としていたので、国号の変更は無理だった。

 しかし、今は宗主国の無い独立国となった。これからどうやって国を導けば良いのかは分からない。

 それでも自らの自尊心を満たそうと、高らかに大韓帝国の設立を宣言した。(領土は平安道のみ)

 ロシア帝国と東方ユダヤ共和国に挟まれ、満足な産業も無く人口も激減している。

 それでも大韓帝国を名乗った高宗は、束の間の幸せを感じていた。

 転生者が革命を起こそうと、必死の努力をしている事を高宗は知らなかった。それもまた幸せな事だった。

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 雲南共和国は回族を中心に建国された。しかし、構成民族は回族だけでは無い。他にも多くの少数民族が加わっている。

 仮に回族だけで建国したのなら、その国土は雲南省に限定されていただろう。

 他の少数民族も加える事で雲南省だけで無く、貴州省と広西省、四川省と広東省の一部まで独立できた。

 今回の独立を主導した回族の指導部は、必要な支援は必ず行うから、少数民族の弾圧は絶対にするなと日本から太い釘を挿されていた。

 回族は独立を主導したのは自分達だという自負はあったが、支援をしてくれた陽炎機関の意向を無視できない。

 故郷を追われて弾圧された過去を持つ彼らは、己自身を省みて他の少数民族の扱いを改めていった。

 それでも生活に苦しくなれば、他の民族を弾圧しても、自分達の生活を守るだろう。

 衣食足りて礼節を知るというのは世の真理だ。言い換えれば、雲南共和国の国民の生活をある程度保障すれば問題は解決する。

 しかし、満足な産業も無い彼らの生活を保障するなど、資金がいくらあっても足りはしない。

 その為、当座の食料だけは全て日本が面倒(賠償金を使用)を見て、まずは大量の重機を投入して農業生産量を上げて、

 『雲南横断鉄道』の建設を進める事を優先させた。まずは国民を養う事が最優先だ。工業化より農業開拓を重要視していた。


 チベットも同じようなものだ。本来のチベットの領土に加え、ウィグル族などの色々な民族が多い。

 こちらも個々に独立させようものなら、この後の漢民族が国家を建設する時の餌食になるのは必須だ。

 だからこそ、異民族を多く含んだ四川の西部地域から青海省、新疆省、甘粛省の地域を纏めてチベットとして国に纏めた。

 こちらも雲南共和国と同じく、異民族支配の苦労はある。

 それでも長期的な視野に立ち、漢民族に呑み込まれるよりは、多少の不満に我慢しながらも生活をする事を選択していた。

 『雲南横断鉄道』が完成すれば、チベットにも大きな経済的なメリットがある。その為に、鉄道建設に国をあげて協力していた。

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 リビアは地中海に面しており、その国土の大半を不毛な砂漠地帯が占めている。

 しかし、その国土の東部地方であるキレナイカには豊富な石油資源が眠っていた。

 アフリカ大陸最大級の石油埋蔵量を持っているが、その事実を知っているものは陣内の関係者だけだ。

 そしてイタリアとスペインによる開発に拍車を掛けようと、陣内の指示を受けた田中はリビアの石油資源を発見していた。


 地中海を経由した欧州への輸出に、リビアは好都合な位置にある。

 そして時代が徐々に石炭から石油に切り替わりつつある今、需要はうなぎ上りに増加している。

 イタリアもスペインも同じだ。そして近隣にあるリビアから特別安価な価格で輸入できるのなら、それに飛びつかない訳が無い。

 個人もそうだが、国家も利が無くては積極的に動かない。逆を言えば、利を見せれば積極的に動く。

 イタリアとスペインは約束どおりにリビアのインフラ整備や農業開拓を進める傍ら、石油資源開発でかなり潤っていく。

 そしてリビアも販売する石油代金で、少しずつ国民の生活が改善していった。

 【出雲】からの支援は途切れた訳では無い。量は少ないが継続して支援は行われている。

 そしてリビアの石油はイタリアとスペイン以外の国にも輸出され、地中海経済に大きな影響を与えていった。

 一応、政治的には以前の宗主国だったトルコ共和国と関係を持ち、【出雲】とも円滑な関係にある。

 そしてイタリアとスペインとの経済交流を深めていった。

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 日英同盟改定の時の条件で、現在はイギリスが統治権を持っているキプロスのギリシャ系住民を全てクレタ島に移住させる事が決まり、

 キプロスとクレタ島は大混乱していた。誰だって住み慣れた土地を離れるのは嫌なものだ。

 しかし、日本との約束は守るとイギリスは二枚舌を使って、不満を持つギリシャ系住民を何とかクレタ島に移住させていた。

 これでキプロスに残るのはトルコ系住民だけになり、将来のキプロス問題は事前に回避された。

 地理的な要因もあり、アナトリア半島の真下にあるキプロスはトルコに治めて貰うのが一番問題が少ない。

 そしてイギリスはキプロスの統治権をトルコに返還し、逆にギリシャ系住民一色に染まったクレタ島をトルコから譲り受けた。

 ギリシャ系住民の独立運動が激化する見込みはあるが、今のイギリスはクレタ島に軍事拠点の建設を進め始めていた。


 尚、エーゲ海のドデカネス諸島は、問題となったキプロスとクレタ島に近い位置にある。

 【出雲】はドデカネス諸島に工場群や軍需工場、海軍基地などの建設を進めていた。

 そしてそこにはイタリア艦隊を翻弄した第五警備艦隊(軽巡洋艦一隻、駆逐艦二隻、護衛艦四隻)が駐留している。

 不満を持つギリシャ系住民だったが、イタリア艦隊を翻弄した第五警備艦隊に正面きって戦いを挑めるはずも無く、

 海上で問題が起きる事は無かった。

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 エチオピア帝国は【出雲】の支援があったとは言え、陸上では単独でイタリア王国を退けてジブチとエリトリアとソマリアを占拠した。

 【出雲】艦隊がイタリア軍の補給路を絶った事もあるが、それでもエチオピア帝国の近代化が進んだ証と言えるだろう。

 因縁あるイタリアを下し、エリトリアとソマリアを得て内陸国から脱却できた。エチオピア帝国は祝賀ムードに包まれていた。

 尚、ジブチは以前からの密約の代わりに、【出雲】に譲渡される事が決定していた。

 まだまだエチオピアの開発には【出雲】との交易は必要だ。だったら、今まで使用してたジブチ経由で資材を運び込んだ方が良い。

 【出雲】は紅海とアデン湾に影響を持てれば良いのだ。今までの施設が使えるというメリットもある。


 そのエチオピア帝国に、イタリアの支援が始まっていた。

 【出雲】の支援で工業化が進んでいるとはいえ、まだ未開発の地は多い。それにエリトリアとソマリアは殆ど開発が進められていない。

 イタリアが行うインフラ整備は、港湾施設や道路建設、鉄道建設、発電所建設など多岐に渡る。

 今まで戦ってきた間柄だ。感情的なしこりもある。

 しかし、将来を考えて何とか上手くやっていくように上から指示が出ている事もあり、不満を堪えてインフラ整備を進めていった。

 そしてエチオピアの資源がイタリアに輸出されるようになり、両国の経済的な結びつきも深まっていった。

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 サウジアラビアは国土の大部分を砂漠が占めて建国間もない事から、人口も少なくインフラは整っていない。

 その建国当時から【出雲】の支援を受けていた経緯もあり、今でも国の維持には【出雲】の支援は欠かせない。

 オアシスを中心に生活していて、国全体は貧しいままだった。それでも【出雲】の支援は続いている。

 その事に、サウジアラビアの国王は自室で考え込んでいた。


(【出雲】の支援が無かったら、ここまで順調に建国できなかった。それは認めよう。【出雲】は我々の恩人だ。

 しかし、何故ここまで支援を行う? 隣国を友好国にしておこうという意図は読める。

 それでも、ここまで支援する必要は無い筈だ。

 飼い殺しにする訳でも無く、我が国の立場を尊重して、産業を立ち上げようと支援してくれる。

 【出雲】からリヤド、そしてリヤドからジッタまで道路や鉄道を建設し、さらには給水路まで整備する意図は何だ?

 日本人がそれ程、お人好しでも無いのは分かっている。何らかの魂胆はあるのだろう。

 ……まあ良い。【出雲】が建国の恩人なのは間違い無い。それに義理堅い日本人が、我々を陥れようと考えている可能性は低い。

 意図が読めないのは困るが、今は有難く支援を受け取るとしようか。後で返す時が少々怖いがな)


 住宅から飲料水まで手厚い支援を受けていたが、その【出雲】の意図が読めない国王は困惑していた。

 それでも今までの日本人がやってきた事を分析すれば、裏切らない事は分かっていた。

 後で大きな恩返しを迫られるだろうが、今は素直に支援を受けて国を発展させる事を優先させようと国王は考えていた。

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 マダガスカルはフランスの植民地だった事もあり、『環ロシア大戦』の前に日本は工作を行っていなかった。

 その為に、マダガスカルの独立政府とのパイプは細かったが、それでもフランスからの独立戦争の時に【出雲】から支援を受けた事で、

 友好関係を保っていた。ちなみに、現地を纏める為にメリナ王国の生き残りを探し出し、王国を復活させる方向で動いている。

 そのマダガスカルに【出雲】とフランスの支援が入り始めた。もっとも、【出雲】は少人数で、フランスは大人数だ。

 【出雲】は発電所や工場群の建設を進め、さらには有望と判明している鉱山地帯を押さえていた。そして農業開拓も進めている。

 フランスは住宅や道路、鉄道、上下水道などのインフラ整備を進めている。

 マダガスカルには貴重な自然が多くある。それらの貴重な自然を保護しつつ、マダガスカルを豊かにしようと取り組み始めていた。


 余談だが、マダガスカルはベトナムやカンボジアと同じく、植民地支配された賠償をフランスに請求しようという動きは無かった。

 インドネシアはアメリカの強圧的な態度に乗じて、オランダから富を奪い返す目的で賠償金を得ていた。

 捕虜を返還する代金という名目もあった。今回はあまりフランスを追い詰めても拙いという、日本の判断が働いていた。

 未来永劫に渡って敵対関係を望むなら、植民地支配された賠償を請求するのもありだろう。

 だが、現地政府は過去の経緯がどうであれ、将来の発展に希望を託して過去に囚われる事は無かった。

 フランスにしても未開の地を植民地にして当然だと考え、植民地支配された賠償を請求されても絶対に応じない。

 力無き国が強国に支配されるのは必然と考えるのが今の世界の常識なので、フランスの怒りを買うだけの無駄な事をする気は無かった。

 植民地支配された彼らが、自分達が弱い事を声高に主張するのも恥ずかしいと考えた事も影響している。

 この事は、後世において植民地支配された国が独立する時の参考になっていた。

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 渋沢の系列の企業と、財閥系の企業は新たな領土となったサハリン、カムチャッカ半島、チュコート半島、アナディール高原、

 ユガギール高原の進出を望んだ。しかし広大過ぎて、冬には厳しい寒さが訪れる。簡単に進出できるものでは無い。

 その為に、まずはサハリンとカムチャッカの開発を優先して進め、それ以外は観測所などの小規模施設の建設に留まっていた。

 大軍を貼り付けておく訳にもいかず、最小限度の警備部隊しか常駐させていない。

 それでもヤクーツクやアナディル、チュコート半島などの要所に、基地建設を進めていた。

 使用できる季節が限定されているとはいえ、北極海航路が使えるようになれば欧州との交易も拡大できる。

 チュコート半島、アナディール高原、ユガギール高原の本格的な開発はしばらく後になるだろう。

 あくまで領有権を主張する程度の僅かな進出に留めていた。


 一方で中央シベリア高原とアルダン高原には、大型の重機が多数運び込まれて、大規模な開発が始まっていた。

 もっとも、中央シベリア高原は何時でも撤退できるような体制を取り、アルダン高原は鉄道を含む恒久的な開発体制が取られていた。

 また、中央シベリア高原の資源運搬用に、マガダンからヤクーツクをつなぐ鉄道建設も進められている。

 まだ技術が発達していないので、シベリアのような寒冷地に大勢の住民が住む事は困難だ。

 その為に居住地は地下に建設するなど、色々な工夫が凝らされている。

 ロシア革命の時に、全てを奪われる可能性もある。しかし、利益でロシアを誘導できる可能性もある。

 出来るだけ早く地下資源の採掘を軌道に乗せ、撤退可能な体制を取りながらも開発を進めるという奇妙な形で進められていった。


 満州は既にロシア帝国に正式に割譲され、工場群の復旧や住居の増設など大々的に建設工事が始まっていた。

 そして日本総合工業の職員とロシア人による油田採掘が、黒竜江省で行われていた。


「……何でこんなに簡単に油田が見つかるんだ!? これも日本の巫女の神託だと言うのか?」

「企業秘密なので詳細な事は言えませんが、地質調査をすれば高い確率で油田が分かるのですよ。

 油質はちょっと悪いですが、それでも埋蔵量は見込めそうですね。

 バクー油田の代わりに満州で石油を見つけると約束しましたが、これで大丈夫ですね?」

「……あ、ああ。本当にこの満州で石油が見つかった。じゃあ、中央シベリアやアルダン高原でも見つかるのか?」

「まだ調査中ですから、何とも言えません。

 中央シベリアとアルダン高原の資源は折半の約束ですが、この満州の油田は全てあなた達のものです。

 さて、私達は次に遼寧省に行かなくてはなりません。ここはあなた達に任せて宜しいですね?」

「ああ、感謝する。これで満州の開発は軌道に乗るだろう。まさに天の恵みだ!」


 陣内は大慶油田と遼河油田を採掘して、ロシア側に引き渡すつもりだ。

 この二つの油田があれば満州の開発はさらに進み、ロシアは満州を絶対に手放さなくなる。

 飛行船団と海軍の再建を行わなくてはならないロシアは、多大な費用を必要としている。

 ロシアからの信用を得る為もあるが、ロシアが国力をある程度は取り戻して貰わないと計画が狂う。

 最近は策謀がメインになってきているなと、陣内は自室で愚痴を零していた。

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(あとがき)

 これで四章は終了です。次回からは第五章:『イレギュラー発生』になります。(ちゃぶ台返しの事態が発生します)

 それと次章からフォーマットを少し変更します。

(2013.11.17 初版)
(2014. 3.30 改訂一版)