季節は夏。まだボーア戦争は継続中で、イラン王国は王朝交代の混乱で、各地の反抗的な有力者の討伐が続いている。


ウィル様作成の地図(中東版)

 オスマン帝国はトルコ共和国として再出発したが、ドイツ寄りのヨルダン、シリア、イラクが出来た事もあって混乱が続いている。

 サウジアラビアの建国もそうだが、トルコ共和国の誕生は諸外国に大きな衝撃を与えていた。

 何しろ独裁者であるアブデュルハミト二世を追放して、共和制国家を建国したのだ。

 列強でも王政を布いている国は多く、まだまだ帝国主義全盛である時代では珍しい事だった。

 トルコ共和国の混乱に介入を考えた列強もあったが、【出雲】の支援もあって実行に移される事は無かった。

 サウジアラビアも同じだった。広大な領土を持つ国家だが、大部分が砂漠地帯で目立った資源も無い。人口も少なくて緑地も少ない。

 それでも紅海という欧州とインドやアジアを結ぶ要衝の地にある。

 列強は進出しようと工作したが、建国に多大な支援を行った【出雲】の存在は無視できなく、何れも失敗に終わっていた。

 【出雲】はバスラ州と近隣一帯という広大な領土を併合していた。トルコ新政府も納得済みの事だ。

 イラクというドイツ寄りの国家ができた為に、本国とバスラ州との陸上路を閉ざされた。

 飛び地で管理できるとは言えないし、元々【出雲】に依存していた地域だ。

 不良債権を処分する気持ちで【出雲】への併合を認めた。しかし無償では無い。トルコ共和国に大々的に支援を行う条件がついた。

 これに【出雲】も異存は無い。イラン王国の事もあり、友好的な立憲国家が近代化を進める事は十分に【出雲】のメリットになる。

 まだ清国の混乱も続いており、有益な資源が無いと考えられている中東に力を入れているのはドイツくらいだ。

 リビアを虎視眈々と狙っている列強は多いが、【出雲】とトルコ共和国が大々的に工業化を進めると発表した事もあり、

 今のところは介入してくる列強は無い。どうやら様子を見る事にしたようだ。

 この間に地盤固めを進めようと、イラン王国やトルコ共和国、サウジアラビアの国内の整備と不満分子の摘発が進められていた。

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 僅かな期間でイラン王国の王朝交代や、オスマン帝国の滅亡とトルコ共和国の建国、そしてヨルダン、シリア、イラク(南部は除く)の

 独立、バルカン諸国家の独立、エジプトのイギリス保護国化、リビアの独立、そしてサウジアラビアの建国が相次いだ。

 それらは中東とバルカン半島に集中している。

 イラン王国で油田は見つかったが、まだ他では発見されていない。

 列強は様々な国内問題を抱えている関係から、メリットがあまり無いと考えられている中東より清国の進出に熱心だった。

 ドイツは独立したばかりのヨルダン、シリア、イラクの支配に熱心に取り組んでいる。ある程度は落ち着いたら保護国にする予定だ。

 今はまだ中東の石油は大部分が発見されて無く、諸外国の注目度は低い。

 その隙に【出雲】はイランの石油開発を積極的に行い、バスラ州を手に入れた事で史実のイラクが保有していたルマイラ油田や

 西クルナ油田、そして西と南に砂漠の領土を拡張した事により史実のサウジアラビアが所有していたガワール油田にも手が届いた。

 ブルガリア王国を含むバルカン諸国家は独立したばかりであり、列強各国の視線を集めている。

 その為に、まだ混乱が残るイラン王国、トルコ共和国、サウジアラビアなどへの列強の手は伸びては来なかった。

 十二年前には此処まで上手く行くとは思っていなかった事もあり、天照機関のメンバーは全員が上機嫌で会議を行っていた。


「サウジアラビア王国は建国できた。これから膨大な投資が必要になるが、石油利権で回収が見込めるから投資としては安いものだ。

 何と言ってもガワール油田のエリアに進出できた事は大きい。それとバスラ州と近隣を併合できたから、多くの油田も手に入れた。

 イラクは別だが、隣国であるイラン王国とサウジアラビア王国と友好関係にあるのは、国防上でも有利になるからな。

 此処まで上手く行くとは想像もしていなかったな。最初は史実のクエートの油田だけでも手に入って喜んでいたのだがな」

「今のところは手に入れた油田の開発を行うつもりは無いが、持っているだけでも気分が違うな。

 勝浦工場と日高工場、伊予北条工場の生産する石油だけで、長期に渡って国内と東方ユダヤ共和国、ハワイ王国の消費が賄える。

 インドネシアの石油はタイ王国や他に外販している。同盟国や友好国の石油需要は賄えるから、無理に石油開発を進める必要は無い。

 寧ろ各国と友好関係を深める道具として、石油を使えば良い。石油代金が手に入れば、関係国の近代化も早く進むだろう」

「今のところはイスラム教とも上手く関係できている。サウジアラビア王国やイラン王国という友好国と国境を接しているのも助かる。

 ドイツ寄りのイラクの出方を伺う必要はあるが、あちらも体制固めに忙しいから時間的な余裕はある。

 他の列強は清国への進出に夢中で、中東に注意を払っている国は少ない。この貴重な時間を有効に使わせて貰おう」

「ああ。エジプトはイギリスの保護国になった。スエズ運河を守る為に、イギリスは軍を配備しているから大丈夫だ。

 しかし、リビアは史実ではイタリアに奪われた。エチオピアと同じく要注意だ」

「バスラ州と近隣を併合した事で、【出雲】の領土は一気に増えた。既に十分に国家と言えるレベルだ。

 友好的なアラブ人が多いから混乱も少ないし、農業の開拓を進めればさらに発展が見込める。日本人が最大勢力だから大丈夫だ。

 チグリス、ユーフラテス川の沿岸を得た事で、水利工事がし易くなるしな。

 日本からの移住をさらに進めて、陸軍の拡張を進める必要があるぞ。イラクと背後のドイツに備える事が必要だ」

「それもあるが、サウジアラビアとイランへの道路や鉄道の建設も進めなくてはな。

 石油パイプラインや送電線が鉄道と併設できるようにすれば、後の工事も楽になる。まだまだ落ち着かないが、先が楽しみだ。

 列強がバルカン半島や清国に関わっている最中に、我々は石油の宝庫である中東で足場を築かせて貰おう」

「砂漠の緑化と農業開発が第一だが、イランやサウジアラビアを独占すると列強の反発が強くなる。

 適当に列強の進出も許可する必要もあるだろう。もっとも植民地支配は許す気は無く、共存共栄する事が前提だがな」


 ドイツの工作によりヨルダン、シリア、イラクの三ヶ国が建国されるという予想外の事や、

 混乱に乗じてバルカン諸国が独立する事があったが、何とか上手く事を運ぶ事ができた。

 何より、バルカン半島のマケドニアを巡る勢力争いから撤退する事で、戦争に巻き込まれる可能性を低くする事ができた。

 トルコ共和国の国民は領土が減った事に不満げだが、ドイツ相手では力及ばないと諦めていた。(敵愾心は当然持っている)

 それにまだトルコ共和国の国内は混乱している。周辺国にまで関わる余裕は無かった。

 【出雲】からの支援が強化される事が正式に発表されたのでトルコ国内の治安は安定し、不満分子の摘発も順調に進んでいる。

 トルコからイラン国内を通って、【出雲】を経由してサウジアラビア王国に到達する『中東横断鉄道』の建設が発表された事もある。

 多くの領土は失ったが経済発展の見込みは十分にあるだろうと、トルコ共和国の国民の表情は明るかった。

 イランとしても『中東横断鉄道』の価値は大きい。支線になるが、首都であるテヘランを通じて国内の主要都市が結ばれる。

 サウジアラビアは建国したてで、まともなインフラ施設は無い。それを【出雲】が鉄道を建設してくれると言うのだ。

 様々な消費財や必要な機材、それに大量の飲料水も大部分が【出雲】からの供給になる。

 それと地中海に面するリビアの近代化も急務だ。何とか現地の人と協力しながら国を守る準備を進めていた。


「【出雲】の周辺で政変が相次いだが、何とか良い方向に持ち込めた。

 ドイツの出方を見極める必要はあるが、必要以上のトラブルは避けなくてはな。イランとトルコの国内状況はどうだ?」

「イランは王朝交代で、トルコは専制主義から共和制への変更です。かなり混乱しています。

 ですが【出雲】が支援を強化すると発表した事で、混乱は最小限に抑えられています。

 抵抗する勢力も多いですが、一年以内には全て平定できるでしょう。そうなれば実戦訓練を積んだ強力な軍隊を持てます。

 あの計画に何とか間に合うかも知れません。武器弾薬の供給は継続して行います」

「ふむ。そちらは順調か。エチオピア帝国の方も問題無いと聞いている。イタリア王国も最近は妨害工作を減らしているようだしな。

 ボーア戦争も『白鯨』の妨害工作を中止したから、年内の決着は間違い無いだろう。あまりイギリスの力を削ぎ過ぎても問題だからな。

 バルカン半島ではマケドニアを巡って、各国が領有を主張して列強の注目を集めているから、我々の工作の邪魔をする可能性は低い。

 そうなれば、後はロシア帝国との決着をつけるだけだ。朝鮮半島が導火線になるだろうが、現地の状況はどうだ?」

「挑発行為は相変らずだ。その様子はちゃんとビデオで撮影している。それと、気になるのは今年の農作物の収穫だ。

 冷夏とまでは言わんが、今年は我が国の収穫量は例年と比べて落ちている。朝鮮半島でも同じ状況だ。

 我が国の場合はベトナムやフィリピン、タイ王国から輸入で不足分を補えるが、李氏朝鮮は資金不足だから何処からも輸入できまい。

 秋の収穫の時に食糧不足になって、暴発する危険性は十分にある。東方ユダヤ共和国も厳戒態勢を布いている」

「まずは李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国が開戦して、なし崩し的にロシアが参戦か。予定より早過ぎる。

 まだ準備が全ては終わってはいない。今の歴史が史実と乖離を始めた事は分かっていたが、一年以上も前倒しになるとは想定外だ」

「本格的な戦争に突入するかは不明だ。思ったより中東での手配に時間が掛かってしまったからな。

 一応、アジア方面の準備はあと数ヶ月程度で完了する。まだ手遅れになった訳では無い」


ウィル様作成の地図(日本周辺版)

 何度も言うが、今の日本の最優先課題は対ロシア戦争だ。

 満州を支配して南下政策を取るロシアの脅威に対抗する事が何よりも優先される。

 その準備は周到に行われていた。しかし史実と歴史が乖離を始めたと言っても、数ヶ月程度だろうと見込んだ事が間違いだった。

 李氏朝鮮の貧窮は切羽詰ったものになっており、その暴発が対ロシア戦に繋がる事は間違い無い。

 出来れば全面衝突は来年の春以降まで待って欲しいというのが、天照機関の切実な願いだった。


「紫禁城の文化財は台湾の『中華博物館』に持ち込んだ。個人所有のものは無理だったが、それでも数十万点にもなる。

 高度な技術を持った職人や管理者も、台湾の生活に馴染んだようだ。教育機関や養成機関の立ち上げも今のところは順調だ。

 しかし、清国は我が国への敵意を深めている。我が国に理解があるのは一部の人間だけだ。

 北京議定書の時は賠償金を減額したというのに、中国大陸に進出している列強と同じくらい憎まれるとは割りに合わない」

「武器を売りつけて資源を持っていくんだ。しかも清国の民衆を苦しめている河川砲艦を列強に販売している。

 ましてや自国の国宝とも言える貴重な美術品と文化財を持ち出したんだ。同じ黄色人種で、嘗ては文化を伝えた日本にだ。

 いつの間にか追い越されて立場が逆転したから、日本を憎まなければ、やってられないのだろう。

 もっとも、これは彼らの立場の考えだ。我々は中国に温情を与えたが、大多数の中国人に理解される事は無いだろう」

「李氏朝鮮もそうだが、清国も国民の再教育を行えば近代化できるかも知れない。

 だが、内政干渉になるし、彼らの自尊心を傷つける。膨大な資金と長い時間が必要だが、そんな余裕は我が国には無い。

 精々が台湾に移住してきた技術者集団に再教育を試みて、上手くいけば将来に分割建国する福建省あたりに実行するぐらいだ。

 我々が彼らを助ける義務は無く、それで駄目なら諦めるしか無い。一方的な支援など、する気も無い。

 宣伝工作が上手く行って、世界各地から送還される中国人が増えてきた。

 既に同盟国や友好国からは、全ての中国勢力(華僑)は叩き出した。李氏朝鮮に至っては無視できるレベルの進出しか無い。

 これで将来の華僑による各国での政治工作の危険は無い。欧米への工作も順調に進み出している」

「史実では露清密約があって日露戦争に参戦しようとしたらしいが、今回も日英同盟がある。清国の参戦は無いだろう。

 しかし、清国の我が国への感情が悪化するのを見過ごすのも拙いな。無関心が一番助かるんだが」

「同じアジア人という事で、白人より憎み易いんだろうな。

 これから列強の清国進出は拡大する一方だから、放置しておいても清国人の怨みは列強に向けられる。

 我々は無関心の立場を貫き通すだけだ。雲南やチベット、モンゴルの工作は進めておこう」

「話を戻すが、李氏朝鮮の首都を漢城から平壌に移す計画は、ロシアの主導で進められている。

 そのロシアは李氏朝鮮の戦える男を民兵として徴集して、病人や老人、女子供を平壌に移送させた。

 李氏朝鮮の人口を減らして、同時に東方ユダヤ共和国に負担を強いるつもりだろう。ロシアの準備は着々と進んでいる」


 史実では、清国は露清密約によって日露戦争に参戦しようとしたが、結局は日英同盟の為に参戦する事は無かった。

 今回も同じく、日英同盟があるので清国の参戦は無いと判断している。問題は李氏朝鮮だ。

 民兵による人海戦術で損害を省みずに、東方ユダヤ共和国に強襲を仕掛けるだろうと思われている。

 東方ユダヤ共和国に多大な負担を掛けて、李氏朝鮮の人口を減らす一石二鳥のやり方だ。将来の半島支配の布石もあるのだろう。

 そして李氏朝鮮の民兵が根こそぎ倒されて、東方ユダヤ共和国の軍が疲弊した時にロシア軍が出撃してくると予測されている。

 その対策は講じてあるが、机上の空論になる可能性もある。天照機関のメンバーは朝鮮半島の動向を注視していた。

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 列強の一部で地下鉄の普及が進みだしていた。地下鉄の工事は大変だが、地上に制限される事無くルートが自由に選定できる。

 その為に地下鉄が導入されているのは欧米でも大都市だけだ。その地下鉄だが、日本でも工事は進められていた。

 その工事現場には、欧米では見られない異様な大型車両があった。地下工事専用のドリル車両だ。

 勝浦工場で製造されたドリル車両は、従来の手掘りや採掘機など到底及ばない効率で、地下トンネルを掘り進む事ができる。

 将来的な避難所としての運用も見込んでおり、東京の地下に大規模な地下鉄ネットワークの建設が進められていた。

 また、道路用や鉄道のトンネル工事も盛んに進められている。

 当然の事だが山を迂回するより、トンネルを掘って直線コースを確保できた方が好ましい。

 こうして勝浦工場で製造されたドリル装備の採掘機は、運用ノウハウの取得の意味を含めて日本各地で大量に運用されていた。

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 李氏朝鮮の国王である高宗と王妃の閔妃は、大きな悩みを抱えていた。今の方針が本当に正しいのか、疑念を消せないのだ。

 戦えると判断された男はロシア軍によって強制徴集され、民兵として組織されていた。

 そしてロシア製の武器を持たされて、東方ユダヤ共和国の国境付近で軍事訓練を受けている。その総数は四十万人を超えている。

 高宗も首都である漢城から平壌に移された。その平壌に壮健な男の姿は少なく、病人か老人、女子供が大部分だ。

 山に木々は無いから水害は慢性化し、荒地が増えて経験豊富な農業労働者の数も減少する一方だった。

 その為に食料不足は恒常化して、国民に食料は行き届かない。

 さらに今年は不作であり、秋以降は飢餓が蔓延する可能性が高いと報告されていた。


 こんな筈では無かった。日本が進める近代化を拒否して、宗主国である清国に従う道を高宗と閔妃は選んだ。

 過去の事を考えれば小さな島国である日本より、国境を接して千年以上も朝貢を行ってきた大国である清国に従うのは当然だった。

 そして以後の状況の変化で清国よりロシアの方が強いと判断して、宗主国を清国からロシアに変えた。これも事大主義の為せる業だ。

 今までは事大主義を貫くことで多くの苦労と屈辱はあったが、何とか国を保ってきた。

 しかし、ロシアに従うようになってからは国の人口は減少の一途を辿って、将来が危ぶまれる危機的状況になりつつあった。


(清国からロシア帝国に鞍替えしたが、本当にこれで良かったのか? 人口は減る一方で、遷都まで命じられるとは。

 このままだと国が成り立たなくなる可能性もある。とは言ってもロシア帝国に逆らう事など出来はしない。

 やはりロシア帝国が東方ユダヤ共和国と日本を征服するまで、耐え忍ぶしか無いだろう。

 そうなれば、我々はロシア帝国の忠臣として権勢を振るう事ができる。上手くすれば以前の宗主国である清国の上に立てるかも知れん。

 最近は奴隷販売の収入も少なくなっているが、もう少しの我慢だ。我が民族が栄光を掴むのはもう直ぐだ!)


 識字率も低い李氏朝鮮の人間は、ロシアにとっては価値が無い。逆に将来に統治する時の邪魔になる。

 最終的に朝鮮半島全てと日本を手に入れようと狙っているロシアは、李氏朝鮮を使い潰す事に痛痒を感じていない。

 そんな事も理解できずに、事大主義の呪縛から逃れられない高宗と閔妃だった。

 尚、一縷の望みを託してアメリカに派遣した李承晩の事は、隠れ独立派の独断の為に高宗と閔妃には知らされていなかった。

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 イタリア王国はドイツとオーストリアと三国同盟を結んでいて、欧州の強国の一つに数えられる。

 半島という立地条件もあって、地中海に大きな影響力を持っている。それに陸海軍もそれなりに揃えている。

 そのイタリア王国は人口増加問題に悩んでいた。あまり広くは無い国土に人口が増え過ぎた為に、食料不足問題が顕在化した。

 これを解消するには住民を移住させるしか無い。史実でアメリカにイタリア移民が多かったのも、このような理由がある。

 映画のゴッドファーザーに関係する抗争の歴史背景を考えると、意外な事実に行き着くものだ。

 しかしアメリカは広大な西部が原因不明の伝染病(インディアンの神の祟り)で封鎖された事もあり、移民の受入ペースは遅い。

 その為に植民地を獲得して、そこにイタリア国民を移住させるという手段しか残されていなかった。

 イタリア王国がエリトリアとソマリアを植民地化して、エチオピア帝国に攻め入ろうと失敗した背景には切実な人口問題があった。

 そのエチオピア帝国の攻略はフランスの妨害により失敗して、今では【出雲】の支援によって以前より工業化は進んでいる。

 以前よりエチオピア帝国の国力は増していたのだが、イタリア王国は攻略を諦めた訳では無い。

 今のエチオピア帝国を支えているのは【出雲】だ。リビアも背後には【出雲】の影がある。

 その【出雲】を潰せばエチオピアとリビアが手に入ると、イタリア王国の上層部は密談を重ねていた。


「エチオピアは【出雲】の支援によって工業化を加速させている。叩くなら今しか無い。

 このまま放置すると、逆にエリトリアとソマリアがエチオピアに攻められる可能性があるぞ」

「それは分かっている。しかし【出雲】の存在が邪魔なのだ。確かに艦隊戦力は少なく、陸軍は皆無に近い。

 しかし多数の飛行船部隊を所有しているんだ。はっきり言って、強いのか弱いのは判断がつきかねる。

 それに日本の本国の出方も注意する必要がある。日本から真空管やベアリング、無線通信機の輸入が止まると少し厄介だ」

「日本からの輸入が停止するのは厄介だが、深刻な問題でも無い。品質や性能に劣るが、国内生産や他からの輸入で補える。

 淡月光の製品も国内生産が進んでいるから、問題は無い。

 しかしエチオピアを攻略するのに【出雲】を叩く必要があるが、日本の本国の出方が問題なのだ。

 遠隔地という事もあるから、艦隊を派遣するのも一苦労だろうが、油断は出来ぬ。隠し玉を持っている可能性もあるからな。

 やはりロシアと日本の開戦を待って、【出雲】を落とすべきだ」

「ああ。李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国が戦闘状態に突入するのは時間の問題だ。そうなればロシアと日本は参戦するだろう。

 その隙を狙って【出雲】を落とせば良い。そうなればペルシャ湾一帯とエチオピアが手に入る。【出雲】の工業力もな。

 それとリビアを占領する事が出来れば、我がイタリアが地中海に覇を唱えられる」

「【出雲】はバスラ州一帯を手に入れた。あそこは水利事業がかなり進んで、豊かな穀倉地帯と化している。メリットは十分にある。

 ロシア相手に戦争を行っている日本に、【出雲】を支援する余裕など無いはずだ。それに日英同盟の発動範囲は中国と朝鮮だけだ。

 我々がイギリスと戦う事にはならないから安心だ」

「そして【出雲】とエチオピア帝国に侵攻して占領する。そうなれば、今の我が国の危機は回避される。

 エリトリアとソマリアには駐留部隊を派遣してあるが、ロシアと日本が戦争を始めたら追加派遣をする必要があるな。

 リビアについてはエチオピアと【出雲】を片付けてからでも遅くは無い。今の我が国なら同時二方面への侵攻も可能だろう」

「既に武器弾薬の集約や兵の訓練を進めている。あまり大々的に動くと警戒されるから、こっそりとだがな。

 我々の面子もある。二度とアフリカの原住民に負ける訳にはいかない。次は必ず勝つんだ!」


 人口問題という切実な問題を抱えたイタリア王国にとって、植民地拡大は重要な問題だった。

 この場合、エチオピアの意思は関係無い。あくまで自国の都合が優先される。

 それは帝国主義全盛の今、欧米で普通に考えられる思考パターンだ。

 イタリア王国以外の他の国も、同じ様な事を考えて実行するだろう。その結果がどうであれ、全ては自国に跳ね返ってくる。

 エチオピアと【出雲】、リビアを手に入れようと画策しているイタリア王国が、どんな運命を辿るかを知る人間は誰もいなかった。

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 第一回目のノーベル賞の物理学賞と医学生理学賞は、理化学研究所の北垣代表が受賞していた。昨年の事だった。

 そしてこれを契機に、北欧の地で工作を進める事にしていた。

 一つは現地との人脈作りを兼ねて、オーロラ観測を名目に現地に観測所を建設した。

 それと連絡所としてストックホルムに理化学研究所の出張所を開設した。

 現地としても、数々の新発明で名高い理化学研究所との交流を深める事に異存は無い。

 派遣されたメンバーは十名と小規模だったが、現地の政府や研究者、それに民間企業と交流を始めていた。


 さらに理化学研究所はヤンマイエン島(面積:373km2)に大規模な研究施設を建設する同意を現地政府に取り付けていた。

 ヤンマイエン島はノルウェーの猟師が活動していたが、永住では無く一時的な滞在に過ぎない。

 その酷寒の地では農業生産はできず、本来は人が住むべきところでは無い。その為に正式に何処にも編入されていない。

 (史実では第一次世界大戦後にノルウェーに管理権が与えられ、法的に領土に組み込まれたのは1930年)

 将来的には、北極海経由の北欧との中継交易拠点としての運用が考えられている。将来の領有の為に、実績造りの為の研究施設だった。

 通告無しでも何とかなるだろうが、不要な警戒を招く必要は無いだろうと現地政府の同意を取っていた。

 北欧とは将来的にも友好関係を築くつもりなので、強引な事をする気は無かった。


 尚、ヤンマイエン島より北極に近いスヴァールバル諸島に、陣内は秘かに施設を建設していた。

 現在は『白鯨』によってスヴァールバル諸島は完全に封鎖されて、近寄る船は存在しない。

 将来的な北極海の海底資源や漁業資源の確保、それと潜水艦基地としての運用が主目的だった。

 スヴァールバル諸島を抑える事によりロシアの全域に、ヤンマイエン島を抑える事で北海や欧州に影響力を持とうとしている。

 こうして日本の北欧への工作は秘かに進められていた。

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 李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の国境はかなり長いが、それでも交通という面を考えると往来できる場所は限定されてくる。

 国境線には鉄条網が張り巡らされており、容易には進入できないようになってはいるが、食料を求める密入国者は絶える事が無い。

 そして殆ど整備されていない主要道路毎に、東方ユダヤ共和国の国境警備隊が配置されている。

 国境の李氏朝鮮側で、数万の民兵が食料を寄越せと大声で挑発行為を続けていた。(二十四時間のビデオ撮影は行われている)

 連日のしかも夜にも行われる挑発行為は、東方ユダヤ共和国の国境警備隊に大きな負荷を掛けていた。


「まったく食料不足だというのに、よくもあんなに声が出せるもんだ。大声を出したら余計に腹が減る事も分からないのか?

 噂じゃロシアからアヘンを回されて、民兵に投与されているという話だ。判断力が低下しているのか?」

「こっちを脅かせば、食料が手に入るかもと考えているんだろう。ロシアの威を借りて、偉くなったつもりか。

 瀬戸際戦術が通用するのは臆病者だけだ。攻めてくるなら早くしろって言うんだ。逆に叩きのめしてやる!」

「おいおい、こっちから挑発するのは止めておけよ。日本から色々な兵器が来ているけど、俺達国境警備隊だけじゃあ支えきれない。

 奴ら民兵の総数は四十万を超えているんだ。奴らが攻めてきたら俺達は後退して、国防軍に迎撃して貰う作戦だ。

 仕掛けも十分に用意してあるし、ビデオは常時撮影している。奴らが先に攻め込んできたら、返り討ちの運命だ」

「国境から二十キロ圏内は民間施設が無くて良かったよ。攻め込んで来たら、奴らの屍で埋まる事になるからな。

 ある程度は引き付けるが、国境十キロが限界だ。それ以上は絶対に阻むんだ!」

「後方五キロの地点に、既に国防軍が警戒態勢で待機しているから心強い。

 ちょっと待て! 監視所からの緊急連絡だ! 何かあったのか?」


 国境線から少し離れたところに国境警備隊の詰め所が置かれていたが、そこに監視所からの緊急連絡が入ってきた。


『こちらは第22監視所。奴らは食料を奪い合って暴動を始めた。一部は鉄条網を突き破って国境を越えてきた。

 後続もこちらに向かってきている。恐らくは三万人は下らないだろう。こちらは予定通りに撤退するぞ』

「分かった。ビデオ撮影は問題無いな。これで奴らが最初に攻め込んだ証拠が残る! おい、急いで俺たちも撤退準備だ!

 それと後方の国防軍に、李氏朝鮮の民兵が攻め込んできたと緊急連絡だ!」


 国境から二キロ地帯には何も無い。しかし、そこから約一キロの幅の地域には対人地雷が多数設置されている。

 しかも中には爆発した時に、細かな破片を周囲に撒き散らす散弾式の地雷も多くある。これも範囲攻撃用の兵器の一つだ。

 その地雷原に幾つものグループに別れた民兵が突入し、次々に地雷に引っかかっていった。

 しかし、逃げ帰ろうにも後続の部隊が後ろから迫っている。立ち止まれば後続の部隊に押し潰される。

 パニックに襲われた先頭グループに出来たのは前進する事だけだった。しかし地雷原を突破できた者はいない。

 先頭グループの犠牲の下で、後続の部隊は地雷原を無理やり突破していた。

 突っ込んでくる民兵はアヘンで正常な判断が出来なくなり、東方ユダヤ共和国の物資を奪って腹を満たす事しか頭に無い。

 そんな民兵に、鉄条網で守られた陣地から機関銃の一斉攻撃が行われた。

 機関銃は少し前から実用化されていたが、今回の国防軍が使ったのは日本で製造された軽量で新型のタイプだった。

 鉄条網で足止めされて機関銃の銃撃を浴び、何の抵抗も出来ずに次々と民兵は倒れていった。

 その日の李氏朝鮮の民兵の損失は約二万人。一方、東方ユダヤ共和国側の損失は一桁に抑えられた。


 堅固な陣地を鉄条網で守り、大砲や機関銃で待ち構えている防衛線を、小銃を装備した民兵の突撃だけで落とせるはずも無い。

 しかしこの戦いを契機に、他の地域でも一斉に李氏朝鮮の民兵の突撃が始まった。

 アヘンによって判断力を奪われて、陣地の向こうに豊富な食料があると唆されては、突撃するしか道は無い。

 こうして後世で『環ロシア戦争』と呼ばれる戦争が始まった。この時点で戦っているのは李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国だけだ。

 宣戦布告を行わないまま始められた戦争は、時間と共に規模を拡大させていた。

 季節は冬を迎えようとしている。この先どうなるか、誰も未来を予見できる人間は居なかった。

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 李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の戦いは、注目を集めていた事もあって全世界に一斉に報道された。

 そして宣戦布告もしないで攻め込んできたと、東方ユダヤ共和国は激しく李氏朝鮮を非難した。

 ビデオという確かな証拠も残っている。李氏朝鮮は事実と違うと主張したが、それを信じる国家は無かった。

 世界中に張り巡らせてあるユダヤネットワークを使った宣伝戦は、ユダヤ側の完勝と言えるだろう。

 それとロシアの動向にも各国の視線が向けられていた。シベリア鉄道は全線が開通して、ロシアは兵力を満州に集結させつつある。

 しかし冬が間近に迫っている事もあり、これから本格的に軍を動かすには問題も多かった。

 李氏朝鮮の民兵は、戦争が始まってからは突撃を繰り返している。その為に被害は増大する一方だった。

 李氏朝鮮の背後にはロシア帝国があり、東方ユダヤ共和国の後方には日本が居る事を全世界は知っている。

 今行われている戦争は代理戦争のようなもので、ロシアと日本がいつ開戦するかを固唾を呑んで各国は見守っていた。

 そんな状況で、天照機関の緊急会合が行われていた。


「李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の戦争が始まったか。予想よりだいぶ早い。まだこちらの準備は完全には終わっていないのだろう」

「ああ。冬を迎えるから、ロシアの参戦は春になるだろう。李氏朝鮮の暴発が秋の収穫不足の為だから皮肉だな。

 春までロシアの参戦が延びるなら、我々の準備も万全とは言えないが、ある程度は揃えられる。

 李氏朝鮮だけなら東方ユダヤ共和国で迎撃は可能だから、我々の参戦はロシアの参戦に合わせる」

「我々の参戦タイミングについては、東方ユダヤ共和国の上層部も納得している。武器弾薬の供給も今のところは問題無い。

 ロシアが李氏朝鮮の口減らしを考えているなら、しばらくは二国間の戦争を行わせて様子を見るだろう。

 飛行船部隊と海上艦隊の動向に注意をする必要はあるが、慌てる事は無い」

「李氏朝鮮は初日に約二万人の大損害を出して、それからも連日の無謀な突撃を繰り返して被害を増大させている。

 食料が不足しているとは言え、本当に口減らし目的の突撃なら哀れだな。我々としては時間が稼げるのがメリットだ」

「今のペースが春まで続けば、李氏朝鮮の被害は数十万になるだろう。集めた民兵全てを磨り潰す事になる。

 奴隷売買で労働人口が減っている状態で、数十万もの働き手を失うのは致命傷だ。まあ、彼らが選んだ道だから同情はしないがな。

 最初からの予定通りに、身の丈にあった国になって貰う。これもロシアを宗主国に選んだ因果だ」

「今は一対一。春になれば二対二の戦争になる訳だ。今回も日英同盟があるから、露清密約があっても清国の参戦は無いだろう。

 それでも史実では、満州を占拠したロシアに清国は協力しようとした訳だな。まったく何を考えていたんだか」

「泥棒に追い金を与えるようなものだ。まあ良い。

 ボーア戦争はもう直ぐ終わるがイギリスは消耗しきっているし、ドイツは中東に専念している。

 バルカン半島の混乱は他の列強の注目を集めている。

 フランスやアメリカも植民地の問題や、清国への進出で忙しいから関与してくる事は無いだろう。

 他の列強が動き出す前にリビアの近代化を進めておく必要があるが、それは【出雲】の担当だ。

 我々としては、ロシアに専念できるのは助かる」

「ロシアに勝てば北方の安全も確保できる。そうなったら、しばらくは国内の整備に専念するさ。

 第一次世界大戦が起こるかは不明だが、新たな領土は不要になる。ドイツの言葉を借りれば、生存圏が確保できるという事だ」


 史実では、日本は朝鮮半島を絶対防衛圏として近代化をして、満州に進出しようと動いていた。

 その為に南下政策を取るロシアと衝突した。今回は攻められた東方ユダヤ共和国の支援を行う形で、参戦を予定している。

 満州に進出する気は無いが、北方のロシア領土を切り取る計画がある。

 災い転じて福と為すという事でも無いが、ロシアの行動を逆手に取った壮大な計画を進めていた。

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 東方ユダヤ共和国は李氏朝鮮の侵攻を受ける立場だ。

 逆侵攻はしないで、まずは李氏朝鮮の民兵の突撃を防ぐ事に徹していた。

 堅固な防御陣地を構築しているので、迎撃戦の方が自国の損害も少なく、李氏朝鮮の損害を大きく出来る。

 武器弾薬や色々な兵器類、食料や医薬品は日本や関係国から入ってきているので、継戦能力に不安は無かった。

 季節が冬に入った事もあって、この時期に積極的に動く事は控えていた。自国の損害が軽微な事から、兵士の士気も高い。

 強いて言えば、防衛陣地の前の民兵の死体の数が多過ぎる事が悩みの種だった。

 定期的に片付けられているが、それでも気分が良いものでは無い。それは少しずつ東方ユダヤ共和国の兵士の精神を蝕んでいた。

 楽な防衛戦は春の訪れと共に終わりを迎えるだろう。その時には、ロシア帝国と日本が参戦すると末端の兵士までも知っていた。

 その前座となる戦いだ。既に李氏朝鮮の損害は十万人を超えている。

 冬だと言うのに碌な服も無く、小銃だけを持って突撃してくる民兵に同情はしたが、容赦する事は無かった。

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 ロシア帝国は満州全体を占拠し、ハルビンにロシア風の都市を建設して支配を強化していた。

 既に住居や工場群、皇帝用の宮殿までも建設している。

 工場は稼動を開始しており、そこで生産された銃火器や弾薬は朝鮮半島に送られていた。

 ロシアの極東総司令部もハルビンに置かれていた。その極東総司令部では、朝鮮半島の戦闘の分析が行われていた。


「ふむ。予定通りに李氏朝鮮の民兵の被害が増大しているか。構わん。

 突撃を繰り返して、東方ユダヤ共和国に圧力を加え続けろと、現地には指示を出しておけ」

「はっ。小銃を持った民兵に近代戦術を使える東方ユダヤ共和国の防衛線を突破できるとは思えませんが、

 人口を減らすことは将来的なメリットになりますからな。現地司令部にはそう伝えます。

 それはそうと、我がロシア帝国軍の出番は春を待たなくてはなりそうですな」

「仕方あるまい。満州はサンクトペテルブルクよりはましだが、それでも積雪は多い。この時期に行軍するなど自殺行為だからな。

 春を待って大攻勢を掛ける。その時は飛行船部隊と海軍を使って、一気に東方ユダヤ共和国と日本を潰す。

 そうなれば日本の技術と富、それに太平洋への出口が手に入る。

 やっとシベリア鉄道が開通して欧州からの増強が容易になった。イギリスがボーア戦争で消耗している今がチャンスだ」

「日本はイギリスと同盟を結んでいますが、イギリスが参戦する事は無いでしょう。

 例の計画も進行中です。上手く行けば、日本の包囲網が形成できます」


 ロシアの欧州方面の南下政策は他の列強の妨害を受けた為に、今は領土拡張する地域をアジアに移していた。

 そして清国の隙に付け込んで満州を一気に占領して、地歩を着々と固めていた。既に李氏朝鮮はロシアの傘下に入っていた。

 残るは東方ユダヤ共和国と日本だ。その両国とも対ロシアの準備を進めている事は知っているが、ロシアも対日本の工作を進めている。

 日本は最初に飛行船を実用化して、新型の海軍艦艇の導入を進めている。日本の科学技術は高いだろうが、少数に過ぎない。

 一般論だが、多少の性能差があっても、戦場で圧倒的な物量差は覆せない。

 その事を深い後悔と共に日本に思い知らせてやろうと、ロシアの極東司令官は考えていた。

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 イギリス帝国は世界に覇を唱える世界帝国だ。南アフリカで戦争を継続中でも、極東の戦争に注意を払っていた。

 今は李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の二国間の戦争だが、季節が変わればロシアと日本が参戦すると予想されているので当然の事だ。

 ボーア戦争は当初の予想以上に長引いて、イギリス帝国の損害も大きくなっていた。

 これも『白鯨』による妨害で補給に支障が出たからだ。『白鯨』に沈められた船舶の被害も膨大なものになる。

 正直に言って、極東の戦争にイギリスが介入できる余力は無い。日英同盟を結んだが、名前倒れになりそうな状況だ。

 東方ユダヤ共和国と協力してロシアと李氏朝鮮と戦うので、イギリスの参戦は不要だと日本から内々で伝えられた。

 それでも日本が敗れてロシアに占領される危険性があるなら、保護という名目でイギリスが日本を占拠する計画も立案されている。

 清国にある膨大な権益が侵害される事と、日本の技術と工業力がロシアに奪われる事を、イギリスは何よりも恐れていた。

 オーストラリアとニュージーランドを失い、カナダの広大な西部も失った今、ボーア戦争の痛手を癒す為に清国の権益は必須のものだ。

 他の植民地の反乱も頻繁に発生している。イギリス帝国の上層部は、日本がロシア相手に引き分け程度に終わる事を期待していた。


 フランスと日本の関係は微妙だった。

 タイ王国に関しては日本に領土拡張を妨害され、ベトナムやエチオピア帝国については消極的な協力関係にある。

 そして今年は西インド諸島のマルティニーク島のプレー火山が噴火すると事前警告を受けて、被害を少なくする事が出来た。

 その点では日本に借りがある。一方で、フランスはロシアと露仏同盟を結んでいる。

 奴隷の血と汗によって建設されたシベリア鉄道の資金は、フランスから出資されたものが多い。

 今回のロシアの満州進出はまだ良い。その先に予定されているロシアと日本の戦争が起きるのは誰の目にも明らかだ。

 その時にフランスは選択を迫られる。中立を保つか、ロシア側に立って参戦するかだ。

 日本はイギリスと日英同盟を結んでおり、三ヶ国以上の敵国があった場合に自動的にイギリスが参戦する事になっている。

 しかし、イギリスはボーア戦争で手痛い被害を受けており、アジアに派兵する余裕は無いと判断されていた。

 日本と戦うと、色々な面で問題が出てくる。しかし、日本を占領した時の利益は大きい。

 フランス政府は損得勘定をしながら、何が一番フランスの為になるのかを協議していた。


 アメリカはロシアと日本の戦争に介入する気は無かった。

 念願の中国大陸に領土を獲得し、それを拡大して利益を上げる事に夢中になっていたからだ。南フィリピンの開発もある。

 今の船舶の主な燃料は石炭であり、その補給に日本のウェーク島やマリアナ諸島を使っている。

 その為、日本がロシアに敗北して占領される事態になるなら、事前にウェーク島とマリアナ諸島を占拠する計画も立案されていた。

 これらの要因から、アメリカは事態が変わるまで静観しようと決めていた。


 ドイツ帝国は1888年に即位したヴィルヘルム二世によって、ビスマルクの方針から転換して積極的な海外進出を行っていた。

 清国への進出もそうだし、オスマン帝国からヨルダン、シリア、イラクの三ヶ国を独立させたのもその一環だ。

 今まではオスマン帝国に若干の支援はしていたが、【出雲】の影響力が大きくなった事もあって早急に実利を求めていた。

 その結果、オスマン帝国、いやトルコ共和国との関係は悪化したが、中東の三ヶ国を自国の勢力下に加えられた。

 ドイツはその中東の三ヶ国の支配に全力を注いでいた。清国の領土拡張も進めているが、今のところは中東の地盤確保の方が急務だ。

 オスマン帝国はトルコ共和国に名前を変えて、イラン王国と【出雲】を経由してサウジアラビアに至る『中東横断鉄道』の建設を始めて

 結びつきを強化している。今のところはヨルダン、シリア、イラクの三ヶ国を得た事で満足しており、他の工作を行う予定は無い。

 しかし、その準備は怠ってはいないドイツ帝国だった。

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 【出雲】はペルシャ湾の最奥に位置し、史実のクエートやイラクのバスラ州と近隣一帯、そしてサウジアラビアの一部を領有し、

 十分に国家と言える領土を有していた。砂漠の緑化は少しずつ進んでおり、バスラ州一帯は豊かな穀倉地帯になりつつある。

 さらに、イラン王国から譲渡されたケシム島とラーラク島という飛び地の領土も持っている。

 欧米の標準を遥かに超える効率化された工場群を持ち、【出雲】だけで無く近隣諸国の工業化の支援を行っていた。

 その突出した工業力を背景に、近隣諸国への影響力も増加の一途を辿っていた。

 本年に起こったイラン王国の王朝交代、トルコ共和国の建国、サウジアラビアの建国、リビアの独立、その全てに関わっていた。

 だが、ヨルダン、シリア、イラク、バルカン諸国家の独立は想定外の事だった。しかし、そちらに介入する余力は無かった。

 対ロシア戦争が迫っているので、【出雲】と関係が深い各国への支援の方が優先される。

 特にリビアは独立はさせたが、近代化はこれからだ。列強が手出しをしてくるまでに防衛体制を整える必要がある。

 それらの事に関して、皇室代表の山下邦彦と日本総合工業代表の田中誠司が話し合っていた。


「こんなに一気に独立や建国騒ぎが起きるとはな。多少は用意していたとはいえ、生産工場は目の回るような忙しさだ」

「イラン王国は予定通りだったんだが、ドイツの三ヶ国の独立工作は予定外の事だったよ。お蔭で、こちらも大混乱してしまった。

 それでもバスラ州と近隣州を併合して、領土が拡張できた。イラン王国と国境を接する事になったから、少しはやり易くなる。

 サウジアラビアも紅海に面した旧オスマン帝国領土を吸収して、史実より小さいが建国する事ができた。

 イラン王国を通ってトルコ共和国に接続する『中東横断鉄道』を発表したお陰で、各国とも大きな希望を持つ事ができた。

 リビアの問題はあるが、中東方面の支配体制は落ち着き始めたと見て良いだろう」

「イラン王国は反抗的な各地の有力者の討伐を進めている。武器弾薬の供給や近代化は、完成したケシム島の工場群がフォローしている。

 石油の採掘も順調で、そのうちに石油売却代金で近代化の速度は上がるだろう。

 サウジアラビアは【出雲】が近代化に協力する。『中東横断鉄道』は【出雲】−リヤドと【出雲】−テヘランを優先して進める。

 問題はトルコ共和国とリビアの近代化だ。海上輸送も限界があるからな。

 トルコ共和国とエチオピア帝国も、十分な工業化にはまだ時間が必要だ。しばらくは綱渡り状態が続くぞ」

「史実でトルコ共和国は第一次世界大戦に敗れて大幅に国土が削られたが、今回は自発的な革命だ。だから、史実より領土は広い。

 今は交渉中だが、エーゲ海に面するドデカネス諸島を譲り受けて、そこに工場群を建設して進出するのを検討中だ。

 あそこを抑えれば、エーゲ海やクレタ海、地中海にも影響を与えられる。

 リビアの近代化にも好都合だ。トルコ共和国の盾にもなるからな」

「おいおい、あの周辺は古代から多くの人が住んでいるんだ。簡単に【出雲】に割譲なんて出来るのか? 地元民と揉めるのは嫌だぞ」

「別にドデカネス諸島の全部が欲しい訳じゃ無い。軍需工場を含んだ工場群、それと軍港と要塞の建設ができれば良い。

 立ち退きが必要な場合もあるだろうが、賠償金を支払えば済む事だ。俺だって、現地の人の怨みを買いたく無いからな」

「やっとケシム島の工場群の操業が軌道に乗ったと思ったら、今度はエーゲ海に進出かよ。

 インドネシアの開発が終わっていないけど、陣内代表に支援を御願いしなくちゃならないな」


 日本周辺や太平洋全域、インド洋方面(シムルー島)は、現在も陣内が指揮して開発を進めていた。

 【出雲】は最初は陣内が指揮を執っていたが、軌道に乗ると田中に権限を任せていた。

 ケシム島やラーラク島の施設建設は陣内が承認したが、計画立案と実行は田中が行った。

 中東やアフリカ周辺の業務は、山下と田中が行う事が決められていた。しかし、力不足の場合は陣内を頼るしか方法は無かった。


 今の中東の情勢は政治的な混乱が相次いでいたので、非常に脆かった。

 その為、関係国の工業化を進めて、早く住民の生活を安定させる事が求められていた。

 その切り札が『中東横断鉄道』だった。

 ケシム島の工場を使い、バンダレ・アッバースからテヘランに至るルートと、バンダレ・アッバースから【出雲】至るルートの建設を、

 そして【出雲】の工業力で【出雲】からリヤド、ジッダに至るルートと、【出雲】からイラン国内のザーグロス山脈沿いを経由して

 トルコ共和国のイスタンブールにまで繋ぐ路線を建設するという壮大な計画だ。

 完成した暁にはトルコ共和国とイラン王国、【出雲】、サウジアラビアが一本の鉄道で繋がる。

 莫大な資金が必要になるだろうが、それは天照機関の運営資金を充てるつもりだ。

 現地住民の雇用を促進する効果もあり、多大な費用の見返りに莫大な経済効果があると見込まれていた。


 エーゲ海のドデカネス諸島はギリシャ圏の人々が住む島々だが、現在はトルコ共和国の領土だ。クレタ島も同じだ。

 その為に賠償金を支払ってドデカネス諸島のギリシャ圏の人々をクレタ島に移住させて、クレタ島を独立させようと考えていた。

 史実では1911年のイタリア・トルコ戦争の時にドデカネス諸島をイタリアに奪われ、その後にギリシャ領に編入されている。

 クレタ島にしても、住民の大部分がギリシャ圏の為に、後日にギリシャ領に編入されている。

 ならば、今のうちからギリシャ圏の人々をクレタ島に集めて、トルコの権益を残したまま独立させた方が良い。

 ドデカネス諸島をトルコの盾とした方が、メリットがあると考えた結果だった。(キプロスはイギリスが統治権を持っている)

 別にドデカネス諸島の全てが必要な訳では無いが、名目上でも【出雲】の領土だとやり易くなる。

 残った住民を搾取するつもりも無く、工場の労働者として期待している。

 教育施設も併せて建設すれば、トルコ共和国やリビアの近代化に弾みがつくだろうと計画されていた。


「イラン王国とトルコ共和国は政変は起きたが、内乱が起きた訳では無い。若干の軍隊の消耗はあるけど、国防上は問題は無いさ。

 それより、リビアの開発を優先したい。他で忙しいのは分かるが、あそこを放置すると列強の手が伸びてくる」

「リビアはイタリア王国と目と鼻の先だ。そして隣のチュニジアやアルジェリアは、フランスの植民地だ。

 列強が虎視眈々と狙っているのは知っているよ。早く自力で国を守れるようにして貰いたいもんだ。そうなりゃ、こっちの負担が減る」

「強圧的な支配を行えば、必ず反発が来るのは列強も分かっているはずなんだがな。目先の利益に目が眩んでいるんだろう。

 こちらとしては正当な取引で資源が入ってくれば、それで十分だ。やたらと現地の人達と揉め事を起こしたくは無い」

「今は良いけど、世界全体で技術レベルが上がったら、爆弾テロが増えるからな。

 取り敢えずは【出雲】で生産した発電機や建設用重機、農業用車両をあるだけ出す。

 研修生を受け入れるから、そっちの交渉は頼む。『中東横断鉄道』もあるけど、サウジアラビアの開発計画を練るんで忙しいんだ」


 【出雲】はその地理的条件から、中東、アフリカ方面への支援の重要拠点だ。

 自分のところは何とかなっているが、サウジアラビアの開発はこれからが本番を迎える。

 それにリビアの開発も加わる。将来的な事を考えると、手を抜いて良い内容では無い。

 しかし仕事が多過ぎるのも事実だ。リビアの件は、成長してきた部下に任せようと田中は考えていた。


 全世界を相手に日本人だけでやり遂げようなど自惚れる気は無く、出来るだけ協力者を集めて集団で世界に対抗しようとしていた。

 日本と【出雲】を中心にして、どの列強にも属さない勢力が立ち上がろうとしていた。

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 現在の清国は義和団の乱の後遺症もあって、各地で治安は乱れていた。

 外国の軍隊に国内の駐兵権を認めたのだ。列強が欲しがる地下資源を豊富に有している事から、現地との衝突が相次いでいた。

 近代化された列強の強さを知った西太后は国内改革を進めようとしたが、義和団を切り捨てた事から民心は清王朝から離れていた。


 列強の相次ぐ侵略に遭っても尚、清国は大国であろうとした。その一つが露清密約だった。

 ロシア帝国に満州を占拠されていたが、清国はロシアと密約を結んでいた。

 対象は東方ユダヤ共和国と日本だ。ロシアは東方ユダヤ共和国と日本を征服する事を目指していたが、それは清国も同じだった。

 船山群島や台湾、海南島を日本に奪われて、清国は外洋への出口を塞がれている。

 それらを取り戻して沖縄諸島を手に入れ、日本の技術を奪えば国が復活するだろうという野望を抱いていた。

 北京議定書で日本が賠償金を減額させた事など関係は無い。国の存亡を掛けた駆け引きなのだ。

 日本に恩義を感じるより、自分達の国益を満たす方を優先している。

 史実では二ヶ国以上と戦争になった時にイギリスの参戦義務が生じる日英同盟によって、清国が参戦する事は無かった。

 今回のイギリスの参戦義務は、日本が三ヶ国以上と戦った時だ。そこに抜け道を探して、清国は参戦しようと計画を進めていた。

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 朝鮮半島で李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の戦争が続いていたが、それは世界の大勢に影響は無い。

 世界各地では以前と変わらない状況が続いていた。とは言っても、少しずつ変わっているところもある。


 ペルーはハワイ王国の支援の下で、工業化が徐々に進み出していた。

 フィリピンやインドネシアの工業化も徐々に進みだし、現地の住民の生活は少しずつ改善していった。

 日本は戦争の準備を進めていたが、民需生産を止めて戦時体制に移行した訳では無い。

 経済関係は以前と変わらない活況を見せていた。それは東方ユダヤ共和国も同じだ。

 前線に近い場所からの避難は進められていたが、南部沿岸の工場地帯は以前と同じ民需品の生産を行っている。

 タイ王国もフィリピンやインドネシアへの開発支援を行う一方で、国内の開発もかなり進んできていた。


 悲惨なのは李氏朝鮮だろう。

 首都は漢城から平壌にロシアの命令で移され、国内の働き盛りの男は次々に東方ユダヤ共和国との戦いに駆り出されている。

 口減らしの意味もあるのだろうが、働き盛りの男手を多数失うのは国にとって大きな損失だ。

 既に東方ユダヤ共和国の国境を越えて、その先で失われた人命は十五万人を超えている。

 しかし今の李氏朝鮮に、宗主国であるロシア帝国の命令を拒否する事はできなかった。


 年末になり、南アフリカで行われていたボーア戦争がやっと終結した。

 その結果、ボーア人の国家であるオレンジ自由国とトランスヴァール共和国は消滅して、イギリスの植民地として併合された。

 これにより現地の金やダイヤモンド鉱山の権利は、イギリスが所有する事になった。

 しかし、イギリスが支払った対価は膨大なものだった。輸送船の被害や直接戦闘による被害もさることながら、

 ボーア人に対して行った様々な非人道的行為(強制収容所や焦土作戦)によって、国際的な批判を浴びていた。

 それに加えて、史実よりも長引いたボーア戦争はイギリスの体力をかなり消耗させていた。

 この影響がどう出るか、それを予測できた人間は誰もいなかった。

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 李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の戦争は、日本国内で大きく報じられていた。

 東方ユダヤ共和国は日本と軍事同盟を結んでおり、李氏朝鮮の背後にはロシア帝国が控えている事は誰もが知っている。

 季節的な理由もあって、朝鮮半島で行われている戦争は前座に過ぎない。

 雪解けを待ってロシア帝国が参戦してくると、しきりに各新聞社が報道を繰り返していた。


 そんな状況だったが、国民の表情は明るかった。現在の朝鮮半島の戦況が、東方ユダヤ共和国の圧倒的優位にあると報道された為だ。

 ロシア帝国の脅威は以前から叫ばれていたが、その対応は着々と進めていると報道された事もあり、不安になる国民は少数だった。

 各地の『夷隅級』を主力とする警備艦隊も活発に行動を開始し、予備艦隊も動員が行われている。

 そして切り札の戦艦『神威級』六隻と装甲巡洋艦『風沢級』六隻の日本連合艦隊と、戦艦『神威級』二隻と装甲巡洋艦『風沢級』二隻の

 【出雲】艦隊の慣熟訓練も進んで何時でも出撃できる状況にある。

 史実のドレッドノート級に準じた神威級と風沢級は、まだ秘匿されている。

 公開された時の各国の衝撃は、どれほどのものになるのだろうか。

 ロシア帝国が太平洋艦隊を史実より増強している事は察知している。

 しかし、神威級と風沢級の威力を知る海軍関係者は、ロシアに必ず勝てると確信していた。

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(あとがき)

 いよいよロシアとの戦争に突入します。

 まだ6章が終わっていませんが、4章を先に公開する事にします。(後で書き直しする事には……ならない筈です)

(2013.10. 6 初版)
(2013.10.13 改訂一版)
(2014. 3.23 改訂二版)