1902年
北京議定書が締結されて列強の清国侵略が進む中、イギリスは南アフリカでボーア戦争を継続中だった。
オーストラリアを完全に放棄し、ニュージーランドも失ったイギリスは、損失の穴埋めの為にも多くの権益を欲していた。
アメリカはフィリピンのサマル島の要塞化を推し進め、レイテ島とミンダナオ島に南フィリピン共和国を建国させた。
対して、他の地域は日本と東方ユダヤ共和国が主導したフィリピンが建国されている。
アメリカは貪欲に清国への進出を強め、ロシアは満州と朝鮮の支配を強化している。
そのアメリカとロシアの脅威に対抗し、イギリスのアジア権益を守る為に、昨年に日英同盟が結ばれていた。
戦乱の火種は尽きる事の無い情勢で、日総新聞は定例の新年早々の新聞発表を行っていた。
『理化学研究所の北垣代表は、血友病や白血病などの難病治療の研究を進めていると発表しました。
国内の患者を理化学研究所の病棟に移送し、試験的な治療が行われている模様です。
結果を出すには長い年月が掛かるそうですが、地道に研究を行うとしています。
また、昨年に受賞したノーベル賞ですが、今後は北欧との関係を強化していきたいと発言しました』
最近は理化学研究所の出番も少なくなってきた。研究成果がまったく上がっていない訳では無く、公に出来る内容では無くなった為だ。
史実では実現しなかったトリウム熔融塩炉の研究も進められている。
また、史実でアメリカの核開発に携わった優秀なユダヤ人は、東方ユダヤ共和国に移住した事で色々と状況が変わってきている。
海上栽培が可能な農作物は食糧事情の改善の切り札として研究が進められ、試験的に培養が進められる程度になっていた。
尚、昨年のノーベル賞の物理学賞と医学生理学賞を理化学研究所は授与しており、北垣は代表者として授賞式に招かれていた。
そして北欧における拠点構築などの工作を進めていた。
『昨年、清国は北京議定書に調印し、それに伴って列強の混成軍は北京から撤退しました。
しかし清国の駐兵権を得た事から、列強の清国進出は加速度がついています。
アメリカは江蘇省の連云港一帯を正式に領土として編入しましたが、その周囲にも支配を拡大させています。
ロシアは満州から撤退せずに逆に支配を強化しており、他の列強は反発を強めています。
またロシアは李氏朝鮮に積極的に関わり、民兵の訓練を行ったり、首都を漢城から平壌を移す計画を進めています。
東方ユダヤ共和国との国境では小さな争いが多発して、事態は深刻化しています。
尚、紫禁城の美術品と文化財を台湾の中華博物館に移送する件については現在進行中であり、春頃には完了する見込みです』
清国の首都である北京を占拠していた列強の混成軍は撤退した。しかし各地に分散して、逆に清国への侵略を拡大させていた。
北京議定書に各地の駐兵権を認めたので、列強にしてみれば当然の権利だ。
しかし清国の国民から見れば、侵略者が我が物顔で自分達の土地を奪っていくのだ。争いが起きないはずが無い。
反抗は無数に行われたが、装備の違いもあり、尽く鎮圧されて失敗に終わった。
特に日本が列強に売却した河川砲艦から行われる攻撃に、対抗する手段を清国の国民は持たなかった。
その為に、清国の国民の強い反感は列強と日本に向けられていた。
そんな中、ロシアは満州の支配を着実に推し進めていた。李氏朝鮮の支配もだ。
清国の治安が悪化していく中、美術品と文化財の保護に関しては多くの清国人は不満を抱えながらも渋々進めていた。
一方で、紫禁城の美術品と文化財を受け入れる台湾は活況に沸いていた。
中華博物館もそうだが、高度な技術を持つ技術集団が台湾に移住して、現地の人を交えた講習を行うようになっていた。
『昨年末にフィリピン政府と南フィリピン共和国が建国しましたが、日本政府は両国とも国交を結びました。
日本と東方ユダヤ共和国はフィリピンの支援を行い、アメリカは南フィリピン共和国の支援を行う事でアメリカ政府と同意しています。
フィリピンの近代化は進めますが、地理的な理由もあって農業生産の拡大に重点が置かれる計画です』
サマル島とレイテ島、ミンダナオ島はアメリカの勢力圏になる事が決定した。
日本としては台湾周辺や南シナ海の安全が確保されれば、アメリカがフィリピン南部を支配しても構わないと判断していた。
アメリカ側の不満を宥める意味もある。
インドネシアへの進出は警戒しているが、今のところは清国への進出に熱心で、その心配は無さそうだ。
清国の外洋の周囲を全て日本が領土に加えている事もあり、アメリカ船舶が沖縄近海を航行して連云港一帯と行き来している。
他の列強の船舶も、航行の自由を保障している事もあり、あまり問題視されてはいなかった。
『現在、太平洋各地で日本と同盟国や友好国によって開発が進められているのは、主にペルー、フィリピン、インドネシアです。
いずれも開発は今のところは順調で、大きな問題は発生していません。
インドネシアのリアウ島やシムルー島の基地化は進められており、付近を航行する船舶の安全確保が期待されています。
また、インドネシアの各島々への企業の進出が進み、日本からの移住者も年々増える一方です。
尚、今年にハワイ王国で開催される国際スポーツ競技会と武道大会の会場の準備は終了しており、
リリウオカラニ女王陛下は各国の参加者を歓迎すると発言しています』
国際的に混乱が増して不穏な空気は漂っているが、今のところは日本の勢力下の国々は生活が改善した事もあって平穏に発展している。
そんな中、オリンピックに招かれなかった不満を解消する為に、ハワイ王国でスポーツ競技会と武道大会が開催される事になった。
参加国は日本と関係を結んでいる各国だ。列強の植民地になっている国からの参加は無い。
ちなみにフィリピンと南フィリピン共和国は参加を表明している。
アフリカや中東からの船便では『白鯨』に襲われる危険があるという名目で、選手団の輸送は日総航空が行う事になっていた。
余談だが、この頃になると世界で唯一の民間航空会社である日総航空の所有する飛行船は、三十隻を超えていた。
日本と関係する各国の間に定期便を運航させており、客員輸送ではかなりの数になる。(欧米は除く)
客室乗務員も各国の若き女性を多く採用して、各地の女性の人気職業のトップになっていた。
『オスマン帝国の支援は主にアナトリア半島を中心に進められていますが、工業化は順調に進んでいます。
しかし、他の地方との格差が生じて、各地で不穏な動きも見せています。
工業化が軌道に乗ったイラン王国ですが昨年に油田が発見され、【出雲】と合弁会社を設立して油田の開発に努めています。
希望の光が見え出したイラン王国ですが、こちらもイギリスの権益拡大が進んだ為に、国民の不満は高まっています。
尚、両国とも【出雲】から軍の指導部隊が派遣されており、現地の動向に注目しています。
エチオピア帝国の工業化も順調に進み、【出雲】から派遣された農業開発も効果を出し始めているところです。
一時期は関係が悪化したイタリア王国ですが、今のところは小康状態を保っています』
史実では日露戦争の日本の勝利の後、イラン革命とオスマン帝国の青年革命が発生した。
しかし今回は自発的な革命を待っている余裕は無かった。現在の体制は両国とも腐敗が進み、近代化の妨げになると判断されている。
その為に史実の革命を前倒しにする事を天照機関は決定していた。勿論、リスクはあるがそれなりの手は打っていた。
尚、中東方面でイギリスは独立工作を進めていたが、日本との約束により数年間は現状維持とする事になった。
エチオピア帝国を巡ってイタリア王国との関係が悪化していたが、最近は妨害工作も少なくなってきている。
『南アフリカで行われているボーア戦争ですが、イギリス軍はボーア人のゲリラ攻撃を受けて甚大な被害を受けています。
しかしボーア人側の損害も多く、年内には終了するのではないかと推測されています。
尚、イギリス側はボーア人を強制収容所に入れて、かなりの死者を出したという報道もあり、他の列強からの批判が多くあります』
日本はイギリスと日英同盟を結んだ。しかし、それはアメリカとロシアの脅威に対抗する為であり、対象地域は中国と朝鮮半島だけだ。
イギリスは世界帝国だが、万能では無い。ボーア戦争で体力を削られているので、アジア方面に大規模な部隊を派遣するのは無理だ。
『白鯨』による輸送物資の被害もあり、史実では五月にボーア戦争は終結したが、今回は冬まで延びそうな気配だった。
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日総新聞は年を追うごとに売り上げ部数を増やしており、この頃になると日本最大の新聞社となっていた。
社内の一部門のラジオ放送局が国営化されて、日本帝国放送という名の独立機関となる事もあり、社会的な信用は増す一方だった。
今まで日総新聞が過激な記事を書いたのは、イエロージャーナリズムに染まった他の報道機関を叩く時だけだ。
読者向けには温和な記事を書いている事もあり、それは読者の傾向にも現れていた。
「ほう。今年は理化学研究所の発表があったが、完成したものでは無くて研究中の発表記事だ。しかも研究対象は血友病と白血病か。
ノーベル賞を受賞した事もあるし、気合が入っているのかな? あの難病に良く取り組む気になったな」
「どうかな? ダイナマイトを発明したノーベルが死の商人と悪評が立つ事を恐れて制定した賞だし、設立したばかりだから
そんなに権威があるものでも無い。しかし血友病と白血病の研究に取り組んでいるとは驚いたよ」
「いや、今の日本を見ているとそれだけじゃ無く、他にも隠している研究項目がありそうだ。あんまり油断はできないぞ」
「そうかも知れんな。今の日本は世界各地で各国の近代化に協力しているが、ロシアや李氏朝鮮という火種を抱えている。
あの日本がそこら辺を手抜きするとも思えん。やっぱり隠し玉はあると考えた方が良いだろうな」
「日本は武器弾薬を清国に輸出する代わりに資源を輸入しているが、上海の拠点も放棄して船山群島に引きこもっている。
しかし紫禁城の文化財の保護はしている。まったく日本は清国をどうしたいんだ? 手を切りたいのか、支援したいのかどっちだ?」
「資源と文化財は欲しいと思っているけど、国同士の関係は深めたくは無いと考えているじゃ無いのか。
清国各地に列強の進出が進んで、清国人の怨みは相当高まって列強や日本に向けられている。
特に漁業を禁じられた沿岸部の住民の怨みは凄いらしいぞ。とばっちりを受けたく無いと考えたんじゃ無いのか」
「あり得る。それにしてもアメリカとロシアの進出は凄まじいな。アメリカは南フィリピン共和国を手に入れ、清国にまで進出している。
ロシアは満州の地固めに躍起になって、李氏朝鮮にかなり梃入れしているようだしな。首都を無理やり移す計画を進めている。
シベリア鉄道もかなり建設が進んだらしいし、今年ぐらいに本格的に動くんじゃ無いのか?」
諸外国の視線は清国に向けられていた。最後のフロンティアと呼ばれた中国が、列強によって食い尽くされようとしている。
注目するのは当然だろう。さらに長年に渡って南下政策を掲げてきたロシアの動きも気になる。
昨年から東方ユダヤ共和国との国境で李氏朝鮮の民兵が挑発行為を繰り返している事もあり、今年に動きがあるのではと噂されていた。
朝鮮全土から集められた民兵は四十万人を超えている。慢性的な飢餓が流行っている事もあり、何時暴動が起きるか予測がつかない。
李氏朝鮮の首都を漢城から平壌に移す計画を進めており、こちらもしばらくは目を離せそうに無かった。
そして目敏い商人は、軍需物資の買占めを行っていた。
「フィリピンは日本とユダヤ側と、アメリカ側に分かれたか。結構揉めると思っていたんだが、あっさりと決まったな。どういう事だ?」
「日本とユダヤ人はアメリカ側と揉めるのを嫌い、アメリカとしても中国進出を進めたいんだろう。
フィリピンと中国を天秤に掛ければ、俺だって中国を取るさ。中国情勢が落ち着いたら、アメリカはフィリピンに取り掛かるだろう。
一応はインドネシアの利権をちらつかされているから、あんまし阿漕な真似はできないだろうけどな」
「中国と朝鮮を除いて太平洋周辺は落ち着いてきたという事か。まだオーストラリア、ニュージーランド周辺は『白鯨』の天下だ。
迂闊に近寄れないからな。イギリスもニューギニア方面への船便はトレス海峡を使わせずに、態々迂回しているくらいだ」
「あの『白鯨』は何匹いるんだ!? 北太平洋一帯は減ったが、南太平洋ではうじゃうじゃ居やがる。
それにインド洋や喜望峰辺りにも出没しているんだぞ。国の漁師の漁船が、まだ沈められたって報道もある。
まったく『白鯨』による被害額は天文学的数字になるぞ!」
「乱獲された鯨の神様が遣わしたって噂だけどな。ハワイ王国やインディアン、アボリジニの神がいるんだ。
神の祟りを受けても良いなら、頑張って『白鯨』を退治してみるんだな。残った財産は俺が貰ってやるよ」
「馬鹿言え。そんな事ができるか。あの日本だって『白鯨』を恐れて、ハワイで行われるスポーツ競技会や武道大会の選手の輸送に
飛行船を使っている。あの海域に接近禁止令を出しているくらいだ。そんな無謀な事をする奴は馬鹿だよ!」
「ハワイの国際スポーツ競技会と武道大会か。ハワイ王国の女神に痛い目に遭った欧米各国が参加する事は無い。
オリンピックに声を掛けなかった反発か。参加国は多くは無さそうだが、無視するのも危険だ。何か対応を考えないと」
「そうだな。今は日本の関係国のみの参加だが、放置しておくと日本の勢力が拡大する可能性もある。
時期を見てオリンピックに招待しないと、日本は臍を曲げたままになる。早めに手を打たないと拙い」
アジアは列強の草刈場と化していたが、日本の勢力範囲内は平穏に発展している。(ベトナムは除く)
大規模な飛行船部隊や新型海軍艦艇の配備を進めている事もあるが、列強は日本の実力を掴みきれないでいた。
地震を予知した巫女を戦争に使われて、痛い敗北など御免被ると考えていた。実力が無いのかも知れない。しかし、あるかも知れない。
近代化した日本が海外戦争で勝利したのは清国だけだが、列強の一部は日本に得体の知れないものを感じていた。
それがハワイで行われる事になった国際スポーツ競技会で、さらに強まった。
今まで欧米の主導で行われてきた世界的な流れに、真っ向から反対するものだ。
他のアジア各国ならオリンピックに参加させろと迫ってくるだろうが、日本は自国の勢力下で同じ様な大会を開催する事を選んだ。
このやり方は日本の自信を列強に感じさせる結果となっていた。
日本は嫌がらせの意味を込めて行った事だが、列強の一部は日本の挑戦の意思を感じていた。
「イラン王国で石油が発見されたが、【出雲】とイラン資本の合弁会社で開発が進められると決まった。
日本がケシム島やラーラク島を貰って、イラン王国の工業化に協力しているのは知っているけど、何か釈然としないな」
「ああ。他にも油田がある可能性はある。しかしラーラク島には【出雲】の要塞が建設されているし、強引に進出する訳にもいかない。
既に【出雲】艦隊がケシム島に駐留してる。それにイランに利権を多く持っているイギリスは、まだ南アフリカに掛かりっきりだ」
「そうなると【出雲】がイランの石油利権を握るのか。それは拙いぞ!」
「いや、【出雲】は合弁会社を設立してイランの石油開発を進めるが、出資比率は五分五分だ。
それに海外販売も欧米や日本の石油会社を通して行うと、正式に発表している。我々が石油採掘に関われないのは癪に障るが、
石油を独占する気は無いらしい。まったく、ただで石油が手に入るチャンスに態々現地人を絡ますなんぞ、日本人はお人好しなのか?」
「イランとの関係悪化を恐れたのかも知れん。何れにせよ、他に油田が見つかるかどうかで、今後の展開が変わる。
もしイランで次々に油田が見つかったなら、あそこは石油の宝庫だって事になる。他の列強が黙っていないぞ」
「ロシアが近いから気になるな。最近はイラン王国もそうだが、オスマン帝国でも不穏な空気があると聞く。
オスマン帝国の近代化を望まない国が、【出雲】との関係を崩そうと中間地域を独立させようと画策しているらしい。
どちらも【出雲】が絡んでいる。まったく、中東から目が離せない」
「そういや、【出雲】の南西の地域だが、最近はサウード王家を支援して国家を樹立させようとしているらしい。
砂漠と荒地しか無いところだが、広大な領域だ。あそこも沿岸部はオスマン帝国が支配している。一波乱あるんじゃ無いのか」
「【出雲】が背後の安全を確保する為に、砂漠の大地に友好国を建国させるか。あり得るな。しかし【出雲】が出来て、まだ十年だぞ。
たった十年でそこまで発展するものなのかよ。日本人の常識を疑うぜ」
「今はイギリスは南アフリカで戦争中だが、そろそろ決着がつくだろう。他の列強も色々と揉め事がある。
それが落ち着いたら、中東で一波乱があるかも知れん。注意しておいた方が良い」
イラン王国の石油採掘施設の建設は終わったが、まだ石油採掘はペースに乗ってはいない。
パイプラインの建設を含めて、準備する事は山ほどある。
そして世界的に有名なバクー油田が近くにある事から、他にも油田があるのではないかと列強の視線は中東に注がれ始めていた。
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日本は対ロシア戦争の準備を秘かに進めていた。東方ユダヤ共和国を建国させ、ロシアの脅威の防波堤とする事から始まった。
世界各地のユダヤ人が集まり、近代化された国防軍が用意できた。少数だが、飛行船や海軍艦艇も備えている。
李氏朝鮮の民兵なら、十分に単独で撃退してくれるだろう。しかし、その背後のロシア軍は油断のならない相手だ。
その為に海軍艦艇を一新して、陸軍も機械化された師団を整備した。膨大な軍需物資や建設資材、特殊車両も多数用意していた。
史実であれば軍事費の調達に苦労はしたが、今回は日本の経済が劇的に向上している為に、態々海外から資金調達する必要は無い。
陣内が天照基地を使用して裏技とも言える安価な価格で、色々な軍需物資を提供していた事が大きな要因だろう。
まだ準備は完璧とは言えないが、数ヶ月以内には最初に予定していた内容は整うところまで来ていた。
そんな中、天照機関のメンバーは今年の計画についての協議を行っていた。
「清国への列強の侵略が拡大している。河川砲艦を列強に売却している我々の言う台詞では無いだろうが、少々哀れだな。
それでも美術品と文化財を、台湾に運び込む作業は順調に進んでいる。史実と違って、本当に失われる可能性があるからな」
「言い方は悪いが、売却した河川砲艦の使い方にまで責任は持てんよ。こうなると分かっていたから、弁解はしないがな。
我々の立場として、列強を敵に回してまでも中国を助ける義務は無い。これも大国の運命と思って諦めて貰おう」
「御人好しに国家の運営は出来ぬ。我々は日本国民を守る義務はあるが、他国の国民までも守る義務は無い。
限られた物資しか無いのなら日本国民を優先させるし、見返りの無い他国の支援を行う事は無い。
これが今の時代の常識だ。我々は基本的に善人では無いし、自国の民を守る為なら他国を犠牲にする覚悟はある」
「常識が変わった後世なら非難されるだろうが、今の時代なら問題は無いさ。
それにしても列強は本気で中国を支配するつもりなんだな。不満を抱えた住民の反発は、義和団の乱の時に悟ったと思っていたが」
「今のうちだけだ。そのうちに清国は滅び、中国人は一斉に蜂起するだろう。如何に列強でも、中国人全員相手に戦争はできない。
我々にも敵意が篭った視線が向けられているが、そのうちに全て列強に引き受けて貰わなくてはな」
「まだ各地の有力者や軍閥に武器弾薬は供給しているから、火種は尽きない。しかしアメリカも強引だな。あそこまでやるものなのか。
インディアンを虐殺した輩が指揮官を勤めているだけの事はある。それで精々、中国人の敵意を引き付けて貰いたい」
「中国人の若い女性を慰安婦として強制連行している。史実では正義感ぶった態度を取っていたが、実態は凄まじい。
史実のフランス上陸作戦の時には、フランス人女性に多くの暴行を働いたらしいからな。
既に第三国の新聞社を使って、写真や動画などの証拠も残してある。後で使う価値は十分にあるぞ」
「ロシアもだ。奴隷として売られた女達を、兵士の慰安婦にしているからな。こちらも証拠は残してある。
それより、ロシア軍の動向の方が要注意だ。
バイカル湖の周囲のシベリア鉄道も今年くらいに開通しそうだし、満州全域の支配を強化している。
将兵の住宅や重工業用の工場、軍需物資工場も完成しつつある。皇帝の別荘である宮殿もな。
李氏朝鮮の首都を移す計画を進めている事から、ロシアは本気でやるだろう。だが、その時がロシア帝国の敗北の始まりになる」
「ロシアの切り札は判明しています。その対抗兵器も準備済みですし、海軍の艦艇の配備も予定通りに進んでいます。
陸軍は四個師団を動員する予定で、寒冷地装備一式と膨大な建設資材を一緒に集約しています。
後は開戦のきっかけですが、やはり李氏朝鮮の民兵でしょうかね?」
「恐らくな。それが目的で四十万という前例の無い規模の民兵組織をロシアは編成したんだ。
後々の支配を進め易くする為に、先住民を減らすのは列強の常套手段だからな。ロシアの下についた李氏朝鮮が哀れだ」
既に開戦は秒読み段階に入っていると、出席メンバー全員が感じていた。
東方ユダヤ共和国への支援も含めて、準備は最終段階に入っている。李氏朝鮮とロシア帝国が相手でも、必ず勝てると判断していた。
そして戦争に勝った時は、同盟国である東方ユダヤ共和国の領土を拡張する。日本もだ。そして生活圏を拡大させる。
資源は有償で購入する事を基本としているが、それでも無料で資源が手に入るようになれば嬉しい事には違いない。
海底資源の採掘という切り札は持ってはいるが、出来るだけ温存する方針だった。
「中東の工作も順調に進んでいるようだな。列強と違ってイランの石油は現地と協力して行う事になったから、日本に好意的だ。
無血革命が上手く行けば、イランも安定するだろう。列強の侵略は、ラーラク島の要塞が阻止する。ペルシャ湾の安全の要だ」
「オスマン帝国の方も準備は進んでいます。ただ、史実のシリアとイラク地域で何やらきな臭い動きがあります。
イギリスとの約束で工作は行わないはずなのですが、別の列強が動いている可能性もあります。注意しておいた方が良いでしょう。
リビアについては現地の独立運動関係者に接触済みで、穏便に独立させる計画です。
エジプトはイギリスの影響が強い為に、イギリスの保護国とせざるを得ないでしょう。
紅海のアラビア半島の地域は、サウード王家に面倒を見て貰います。
史実では東トラキアの一部をギリシャに持っていかれましたが、今回はオスマン帝国、いやトルコに残る形になります。
トラキア海とエーゲ海の領土は、史実とだいぶ違った形になる予定です」
「イランの石油が複数発見されれば、一気に中東は世界の注目の的になる。サウジアラビアの建国を急がせた方が良いだろう。
オスマン帝国の領土と被る場所は交渉だな。現地の人間は大部分がアラブ人だ。オスマン帝国よりサウード王家につくだろう」
「イラン王国とオスマン帝国がどうなるかだな。今が一番危ない時期だ。派遣した指導部隊の指揮官に注意を促しておこう。
エチオピア帝国の方だが、今はイタリア王国とのトラブルは減少しているのだな」
「ああ。イタリア王国とは何れは決着をつけなくてはならないが、それはエチオピア帝国の国力がもう少し上がってからだ。
切り札を使えば【出雲】艦隊で勝てる自信はあるが、ロシアに手の内を見せたく無い。時期を待つべきだろう」
「ふむ。イラン王国とオスマン帝国で革命が成功すれば、腐敗が無くなるから大々的な支援が行える。
軍の弱体化も無いとなれば、ロシアに対抗する事も可能だ。報告では現地の部隊の錬度もかなり上がってきたらしい」
対ロシアとの戦いで要注意となるのが、イラン王国とオスマン帝国だ。
こちらの方の工作と準備も着々と進められていた。今までの支援もあって、両国の国民の日本に対する感情はかなり良い。
今回の油田の開発も地元にも利益を還元する事が最初から発表された事もあって、イラン国民の意識は高くなっていた。
問題はオスマン帝国だ。まだオスマン帝国は広大な領土を持っているが、その維持が困難になっている。
各地の独立の気風が高まっている事もあり、穏便にそしてオスマン帝国の影響力を残しながら独立できるかがネックになっていた。
誰しも、領土をみすみす手放すはずが無い。
しかし、維持が困難になった領土を切り離して、オスマン帝国を再生させないと拙い時期にきていた。
そうしないと第一次世界大戦の敗北で広大な領土を失い、本土であるアナトリア半島にも列強の手が伸びる。
だからこそ統治が困難な領土を放棄して、本土の開発を進める事が発展の鍵になる。
その決断ができる青年士官に【出雲】の諜報員は接触して、工作を進めていた。
「対ロシア戦の準備は着実に進んでいる。国内の経済も上昇続きで、友好国の近代化も順調だ。他の外交工作の進展はどうだ?」
「北欧に関してはノーベル賞の受賞を契機に、理化学研究所の職員をオーロラ研究をする名目で現地に赴任させています。
現地とのパイプを作り、本格的な進出はこれからです。後は三ヵ月後にハワイ王国で行われる国際スポーツ競技会と武道大会ですね。
これで同盟国や友好国との関係を一層深めるつもりです。呼ばれない国は文句を言ってくるかも知れませんので、対応は御願いします」
「任せろ。それと今年に西インド諸島のフランスの植民地で火山が噴火して、死者が三万人を超える大惨事になるのだろう。
そちらはどうするのだ? フランスに恩を着せる良い機会だと思うが?」
「フランスはロシアと同盟を結んでいますが、ベトナムやエチオピアを巡っては我々と微妙な関係にあります。
タイ王国との仲介を行った事は苦々しく思っているので、ここら辺で恩を着せるのも良いでしょう。
史実ではフランスの参戦はありませんでしたが、少しゴマすりしておいた方が後々でも楽になります」
「任せる。台湾の中華博物館と関連機関の様子はどうだ?」
「紫禁城から全ての美術品と文化財を持ち込んだ訳では無いが、それでも数十万点にもなる膨大な量だ。
中国人の管理人や技術者集団の移住も順調で、今のところはトラブルは無い。
一部の愛好家が、早く中華博物館を開けと言ってくるくらいだ。日本各地で民間で秘蔵されていた芸術品の鑑定大会が
開催されている事もあって、国民の芸術品や文化財に対する意識は高くなっている。良い事だ」
天照機関は国政全般に関与している。
表向きは議会が国政を取り仕切っているのだが、予算不足や経験不足、知識不足の内容を天照機関が補う形になっている。
埋蔵金に裏付けられた豊富な資金をバックに、陛下から委託された特別権限を持って活動している。
その内容は外交工作だけでは無い。民間の意識向上も、業務対象になっていた。
「今日の会議はこんなところか。陣内はこの後に一緒に行くのだろうな?」
「はい。殿下の子供に会いに行く予定です」
「うむ。朕も行くぞ。付いて来い」
「陛下は内孫が可愛くて仕方の無いようですな。まあ、目出度い事です」
「しかも男子だ。お世継ぎが産まれたのだし、皇室も安泰だ。これでロシアに勝てば、日本の将来は約束されたも同然だ」
「おいおい、ロシアとお世継ぎを一緒にしてどうする。陣内という頼もしい外戚もいる事だし、そちらの方で安心するべきだろう」
「そうだな。明治、大正、そして昭和か。我らの命は何れは尽きる。しかし、その意思は子供に引き継がれる。
子は国の宝だ。しみじみと感じてしまうぞ」
昨年に今の皇太子殿下の子供が産まれた。順調に育てば、昭和天皇陛下になる方だ。
天照機関のメンバーは史実を知り、自分の死期も知っていた。(伊藤は史実では暗殺されたが、今回は無いので不明)
生あるものは何時かは滅ぶ。それは世の理だ。しかし、生き物であるからには死に怯える事も当然だった。
その為、睡眠教育で史実を知ると同時に、死の恐怖心を和らげる暗示も掛けられていた。(情報漏洩を防ぐ為の口外禁止も含む)
自分の死期を事前に知れば、錯乱して正常な行動を取れない可能性が高い。
一般の技術者や政治家に関しては、死期を悟られるような内容は教えていない。あくまで天照機関のメンバーだけだ。
今の皇太子殿下も同じだ。元々、病弱な身体であり、長期の激務に耐えられないと覚悟は決めていた。
それでも後を継ぐ人間がいるのと、いないのでは精神状態はまったく違う。
陣内という頼れる外戚の存在は、今後の展開において大いなる希望になると出席者全員が考えていた。
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一月二十五日。北海道の旭川でマイナス四十一度を記録した。日本の最低気温の記録だった。史実ではこの大寒波の時に、
八甲田山で雪中行軍を行っていた歩兵第五連隊の参加者210名のうちの199名が死亡するという大惨事があった。
しかし今回は違った。史実の情報があったので、防寒装備や携帯懐炉が隊員全員に支給されていた。
全員が無線通信機を装着し、スノーモービルを活用した雪中行軍が行われた。当然の事だが、死者はゼロだった。
これも対ロシア戦を意識した訓練だ。こうして着々と戦争の準備は進められていった。
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東方ユダヤ共和国の国境付近で、李氏朝鮮の民兵多数が「腹減った。食い物寄越せ」と日夜騒いでいた。
李氏朝鮮の食糧生産は減少傾向にあり、慢性的な飢餓が流行っている為だ。それとアヘン中毒による判断力低下も大きく関係している。
「泣く子は餅を一つ余計に貰える」と言う格言があり、「ごねた者勝ち」とか「大きな声を出せば優遇される」と考えているのだろう。
ロシア軍から供与された小銃を持って、東方ユダヤ共和国の国境警備隊を威嚇していた。
それは東方ユダヤ共和国の兵士に大きな負担となっていた。
如何に上からは脅しに過ぎないと言われも、連日しかも昼夜問わずでは精神的に負担が掛かる。
その様子は二十四時間中、撮影機で記録されていた。攻め込んだのに、攻め込まれたと平然と主張する相手だ。
嘘を百回言えば真実になると信じているらしいが、こうして記録情報を残しておけば言い逃れはできない。
後世において、対ロシア戦争の発端になった貴重な記録映像として残される事になる。
こうして、東方ユダヤ共和国の国境付近では緊張が高まっていった。
尚、東方ユダヤ共和国は国境線から二十キロ圏内に、民間施設の建設許可は出していない。居るのは国境警備隊と国防軍だけだ。
仮に攻め込まれても、被害を最小限度に止める為だった。そして地雷原も多く用意されている。
数年後に第三次防衛ラインと呼ばれる現在の国境には、緊迫した空気が漂っていた。
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ハワイ王国で、日本、東方ユダヤ共和国、タイ王国、フィリピン、南フィリピン共和国、インドネシア、ペルー、イラン王国、
オスマン帝国、エチオピア帝国から選手団が参加した国際スポーツ競技会が開催された。
各選手団は全員が日総航空の飛行船によって、ハワイに到着していた。
最初の試みだから、スムーズに事が進んだとは言い難い。スポーツと言っても、全ての分野が各国に普及している訳では無い。
まだまだ貧しい国もある。しかし、国際親善を深めるという目的の為、参加する事に意義があると大々的に報じられた。
勝敗は二の次で、まずは全力を出し切り、己の力を試す事が重要だと言われていた為に、参加者全員がリラックスしていた。
これが終わった後は、主要スポンサーである日本総合工業の寄付で大宴会が行われる。
一部は宴会が楽しみで参加した者もいた。国際親善が目的だから、それも良いだろう。
欧米がオリンピックでアジアや中東、アフリカを除け者にするなら、こちらも自由にするだけだと嫌がらせを込めた大会だった。
そしてスポーツ競技会が終わった後は、武道大会が開催された。各国に色々な種類の武道はあるが、この大会では無手が原則だ。
速度を重視する武道や、衣類を着る事が前提の武道もある。まずは各国の武道の紹介を兼ねた大会だった。
全てのプログラムが終わるまでの二週間、馬鹿騒ぎをしながら大会の内容は各国にラジオ中継されていた。
大会終了後の親睦会でも色々な問題はあったが、何とか国際親善を深める結果となった。まあ、成功した部類に入るだろう。
初めての試みという事もあって、問題は色々とあったが、それは二回目に繋がる。
後でスポーツ競技会はオリンピックに合流するが、ハワイで独自に行われるハワイカップと呼ばれる武道大会は継続されていく。
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現在のイラン王国はガージャール朝によって支配されている。
軍事力は各部族勢力の提供する兵力に依存していた為に、中央の統制力は弱かった。
対外的にはロシアとイギリスとの戦いに敗れて領土を失い、各地の有力者は独立傾向を露にして中央への税を滞らせていた。
同じイスラム教国家であるオスマン帝国とも国境を接しており、過去に何度も戦ってきた。
まさに内憂外患に悩まされている典型的な国家だ。だからこそ【出雲】が介入できる余地があった。
そしてホルムズ海峡の要衝であるケシム島とラーラク島と交換に、【出雲】に工業化の支援を要請した。
イギリスに多くの国内権益を握られ、国内改革が一向に進まないイランにとって、領土と引き換えに工業化が進むのなら安いものだ。
そして【出雲】がイラン王国に支援を開始してから約五年が経過し、国内の工業化が着実に進んできた。
国軍も各地の有力者の武力に頼る事無く、直轄軍を【出雲】から供与された銃火器で装備させて、厳しい訓練を行っている。
国威が回復傾向にある中、石油が見つかるという朗報もあった。
これでガージャール朝が再興すると喜んでいるシャー(王)に、凶報が舞い込んできた。
「何だと、革命が起きたと言うのか!? 直ちに鎮圧せよ!」
「だ、駄目です。親衛隊は革命側についており、この宮殿は革命軍によって包囲されています」
「何たる事だ! 脱出するぞ! 【出雲】に支援を求めるのだ。必ず革命軍の奴らに報復して見せる!!」
「その革命軍を率いているのは、【出雲】からの指導部隊と親交があった士官達です。
素直に降伏すれば、シャー(王)を貴族として迎えると彼らは言っています。どういたしますか?」
「ふん。降伏すれば貴族として迎えるだと!? そんな事を信用するとでも思っているのか。戯言に過ぎん!!」
「し、しかし、【出雲】の指導部隊の責任者も連名で降伏を勧告しています。今までとは違うのでは無いでしょうか?」
「何だと!? この革命は【出雲】の手引きなのか!?」
「そこまでは分かりません。ですが日本には、古代に降伏した敵を神として祭った逸話があります。
今までの我々の常識では降伏した者は皆殺しが原則ですが、日本人は違います。一度話し合ってみてはどうでしょうか?」
「……分かった。革命軍の責任者を通せ。直接話す!」
シャー(王)の前に進み出たのは青年士官と【出雲】の指導部隊の責任者だった。
憲法を制定しないままの改革は挫折し、このままではイギリスとロシアの草刈場と化すと二人はシャー(王)を説得した。
石油が見つかったのは幸運であり、これを契機に国内経済を立て直す。その為には今のシャー(王)では駄目だから退位を要求した。
そして日本の故事に倣って、退位後は貴族として遇する事も約束した。
親衛隊を含めたシャー(王)の直轄軍は、目の前の青年士官の手にある。各地の有力者も期待できない。
頼みの綱と考えた【出雲】からも見放された。既に逆転の手は無いと、シャー(王)は悟って肩を落とした。
こうしてイランの無血革命(後世名:立憲革命)は成功し、イランは立憲君主国家として再生する。
尚、議会の開催はかなり後になる。まだ国民の意識が向上していない状態で、民主主義など運営できるはずも無い。
世界に共通する理だが、教育のない民主主義は無意味だ。扇動に乗せられ易い国民が多くては、民主主義など運用できるはずも無い。
その為、この時代のイランのような未発展国家には、どうしてもシャー(王)のような強制力が必要になる。
小田原評定のように、長々と議論をしている暇は無い。今は迅速な行動が求められている。
そして新たにシャー(王)に就いた青年士官は、国内の制度や組織を纏めながら、各地の反抗的な有力者の討伐を進めていった。
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五月の中旬。フランス政府の上層部は、困惑した表情で話し合っていた。
「マルティニーク島のプレー火山の噴火は本当だったな。日本からの警告が無ければ、死者は三万人を超えただろう。
予知を信じられずに避難しなかった約五千人は全員が死亡だが、避難した二万五千人以上が助かった。日本に借りができたな」
「先月はグアテマラで大地震があると、日本から警告があった。現地は信じられずに準備もしなかったから、死者二千名の被害を出した。
それがあったから、今回の火山噴火の警告があった時に、多くの住民が避難したんだ。信じずに避難しなかった奴は自業自得だ。
しかし問題は、日本が何故中米の地震を警告してきたかだ。以前にインドの大地震をイギリスに予告して、被害を抑えた事実はある。
今回は我がフランスに警告だ。何の意図があると思う?」
「単純に善意からでは無いだろうな。我が国が露仏同盟を結んでいるから、ロシアとの戦いの時の牽制の為だ。
日英同盟を結んだが、イギリスはボーア戦争にかかりきりだし、我が国の参戦を警戒しているのだろう」
「十分にありえるな。それにしても日本とは複雑な関係になってしまったな。明治維新の時は我が国の多くの技術者が日本に行った。
中には日本に住み着いた者もいて、裕福な暮らしをしている。十年前ぐらいを境に、めっきり技術指導の話は無くなったがな。
タイ王国とのパークナム事件の時は余計な仲介しやがって、我々は領土を手に入れ損ねた。
ベトナムについては、日本は工場を進出させて現地の経済を活性化させたから、我が国の実入りが増えた。
エチオピア帝国に関しては我が国と対立しているイタリア王国の牽制の為に、ジブチを日本に使わせている。まったく何て関係だよ」
「今でも日本から真空管を始めとした色々な電気製品や医薬品を輸入している。
国産化はできたが、まだまだ品質や価格で日本に太刀打ちは出来ない。本当に複雑な関係になってしまったな」
「露仏同盟があるから、我がフランスも参戦した方が良いだろう。ロシアに日本の技術を独占させる訳にはいかない」
「日本の軍事力が正確に把握できていない。飛行船部隊は確かに世界最高だろう。海軍は新型艦艇を配備しているが、小型に過ぎない。
しかも実戦経験は無い。陸軍は縮小したから脅威にはならない。同盟国である東方ユダヤ共和国を当てにしているのか?」
「この件は他とも協議を行おう。最近の日本の拡張は異常だ。我々の権益を侵害するものあるし、掣肘する事も考えた方が良い。
リスクとメリットを天秤に掛けるんだ。上手くいけばフィリピンとインドネシアが手に入るかも知れん」
フランスはロシアと露仏同盟を結び、シベリア鉄道の建設の出資を行うなどの深い関係にあった。
日本とは外交で時には対立、時には消極的な協力関係、経済的には日本製品に依存が深まる傾向にある。
文化的には淡月光の支店を中心に、女性限定で日本文化の浸透が進んでいる。
日本が潰れると困る事が多いが、日本を手に入れられれば利益も大きい。
こうしてフランス政府の上層部は、日本に対する対応を協議していった。
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どんな国でも支配者層と下層の人達では、生活や知識、考え方が異なるのは良くある事だ。
李氏朝鮮では両班が碌な統治もしないで住民を搾取し続けており、その格差が酷かったと言えるだろう。
人減らしと東方ユダヤ共和国の疲弊を誘う為に集められた民兵は、基本的に農民などの下層の人達で構成されている。
碌な教育を受けていない彼らは、声高に東方ユダヤ共和国に食料を要求していた。
普通に考えて敵対国に食料を寄越せと主張しても、実現するはずが無い。
しかし、満足な教育を受けておらず、上官から命令を受けた彼らは従うしか無かった。
アヘンを投与された者は率先して動いていた為、多くの民兵が引きずられて行動に加わっていた。
両班と呼ばれる上層部の人間は下層の人間から搾取をしていたが、ある程度の知識を有して世界の常識も知っていた。
彼らは声高に要求するだけでは、普通なら望みは叶えられないと知っていた。(ごねて望みが叶うのなら、同じ手を何度も使うだろう)
それでもユダヤ人の疲弊を誘う為にも、無駄と分かっている事を民兵に行わせていた。
現在の李氏朝鮮は親露派で固められ、親清派や親日派は尽く粛清されていた。
そして何処にも与さない独立派もあったが、そのメンバーの多くは監獄に収容されていた。
そんな状態だったが、ロシアの命令で遷都を進める李氏朝鮮にとって、監獄の維持も困難になっていた。
その為、収容している独立派の有効活用が検討された。
ある者は民兵組織に編入させられ、ある者は一縷の望みを託してアメリカに派遣される事が決定していた。
李氏朝鮮は貧しい国だが各国と外交を結んでいて、少数だが海外に移住している人達もいる。
1882年に李氏朝鮮はアメリカと朝米修好通商条約を結んだ。それの第一条には「第三国が締約国の一方を抑圧的に扱う時、
締約国の他方は事態の通知をうけて、円満な解決のため周旋を行なう」という文言がある。
李氏朝鮮の上層部の大部分は親露派になっているが、隠れた独立派も少数だが存在している。
そんな彼らは遷都の混乱に乗じて、アメリカへ支援要請の使者を派遣する事に成功した。
その使者の名は「李承晩」と言う。黄海道平山郡の没落両班の家に生まれで、太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の16代の末裔だ。
現在は二十七歳。独立協会に参加していたが、親露派政権が高宗皇帝に讒言した為に逮捕されて、拷問を受けながら獄中にいた。
何故、李承晩がアメリカ大統領への使者に選ばれたかは不明だ。
しかし、彼がアメリカに使者として派遣された事が、史実と同じく朝鮮半島に大きな影響を与える事になっていく。
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史実のボーア戦争(イギリス対オレンジ自由国とトランスバール共和国)は、五月の末にフェリーニヒング条約が締結されて終結した。
しかし、今回は『白鯨』による海上輸送路への襲撃が度重なった為に、イギリス側の優位は揺らがなかったが中々決着がつかなかった。
それでも徐々にボーア人を追い詰めている。この分だと秋か冬には終結するだろうという見込みだった。
膨大な被害を出していたが、イギリスの面子と欲が絡まった戦争の為に、勝つまで止める気は無い。
戦争の被害は世界に覇を唱えるイギリス帝国にも大きな影響を与えており、それが対ロシア戦争に微妙に影響してくるのだった。
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オスマン帝国は技術革新が遅れた為に『欧州の瀕死の病人』と陰口を叩かれていたが、今は少し様子が変わってきた。
【出雲】製の様々な工作機械や建設用重機、農業用車両が大量に導入されて、徐々に工業化が進んで農業生産量も上がっていた。
艦艇の修理や簡単な工業製品を国内で生産できるようになりつつあった。それに伴い、貿易収支も改善の傾向が見られ始めていた。
民間主導で工場群が次々と建設されて、国民の生活レベルは少しずつだが向上している。
但し、首都を含むアナトリア半島一帯だけだ。他の異民族の住む領土では以前と変わらない生活が続けられていた。
そのオスマン帝国はアブデュルハミト二世による専制政治が行われている。
政治体制は老朽化して官僚の腐敗は進み、同じイスラム教徒でも異民族を支配するのは困難になりつつあった。
支配される側の異民族の不満が溜まり、反乱が相次いだ。各地に自治権を与えるなどしていたが、それも限界に近づいていた。
史実では第一世界大戦で敗戦国になったオスマン帝国は、トルコ共和国として再生した。同時に広大な領土が失われた。
未だに立憲政治が行われていない為に政府の腐敗が進んで、一部の青年士官が危機感を抱いている。
【出雲】による支援で生活が改善された為に、首都近郊の国民の【出雲】に対する感情は良好だ。(それ以外は殆ど無関心)
そんな状況の中、【出雲】は危機感を持っている青年士官に接触して、革命の前倒しを計画していた。
イラン王国と同じく、無血革命を起こす予定だ。イギリスが史実のシリアやイラクの独立を狙っていたが、それは事前に制止を掛けた。
青年革命によって統治が困難な各地は、オスマン帝国の影響を色濃く残して独立させようとしている中、思いもよらぬ事件が発生した。
「各地で一斉に現地の不満分子が蜂起しただと!? それは本当か!?」
「は、はい。バグダットやベイルート、ダマスカスでアラブ人が一斉に動き出しました。既に現地の駐留軍は敗走中です。
現地の自治組織の施設も襲撃に遭って炎上中です。どうやら周到に計画されていた模様です」
「イギリスは数年は中東での工作を中止する事に同意したはずだ。約束を破ったというのか!?」
「い、いえ。どうやらドイツが動いていたようです。地中海のキプロス周辺にドイツの艦艇が複数確認されています。
オスマン帝国軍を威嚇しつつ、革命側を支援する動きを見せています!」
「ドイツが動いていたと言うのか!? 何故その兆候を察知できなかった!?」
史実のヨルダン、シリア、イラク(南部は除く)に住むアラブ人が、支配者であるオスマン帝国に対して独立しようと動き出した。
イギリスが工作していたのは知っていた。だから日英同盟の時に工作を止めるように交渉して、イギリスは承諾した。
【出雲】は大規模な諜報組織を持っている訳では無く、衛星軌道上からの監視が主な手段だ。
イギリスが工作を中止した事に安堵して、現地の監視の目を緩めた為にドイツの行動は察知できなかった。
史実でもドイツはバクダット鉄道の建設を申し出るなど、何かと中東に進出したがっていた。
最終的に今回の革命が発生した地域は穏便に独立させるつもりだった。それをドイツに先に手を打たれてしまった。
だが、致命傷では無い。この為にドイツの工作を上手く使って、【出雲】の工作を進める事を急遽決定した。
幸いにもバスラ州とその近隣の州は【出雲】に依存して、関係も良好の為に革命騒ぎとはならなかった。
しかしアナトリア半島への陸上路は、ドイツ寄りの独立政府に握られた。
陸上の離れ小島と化したバスラ州とその一帯の領土を、【出雲】は領土に編入する工作を開始していた。
さらにサウジアラビアの建国に向けて動き出していたサウード王家に対し、本国と切り離された紅海側の領土を編入するよう連絡した。
(史実のヒジャーズ王国が建国される事は無くなった)
そしてリビアはオスマン帝国の影響を色濃く残して独立する運びとなった。(エジプトはイギリスの保護国)
バルカン半島でも動きはあった。
オーストリアの支援を受けて、ブルガリア王国(ブルガリアとマケドニア)とアルバニアなどのバルカン諸国家が一斉に独立した。
尚、マケドニアをブルガリアに所属させる事で、周辺各国の視線をブルガリアに集める思惑もあって、独立に干渉する事は無かった。
一応、エーゲ海に面するロドピ山脈一帯は何とかオスマン帝国に残す工作は成功した。(アルメニアは自治領)
こうして中東やバルカン半島の広大な領土を、オスマン帝国は僅かな時間で失っていた。
それでも、史実の第一次世界大戦に敗北した後の領土と比べると、まだ残された国土は広い。
他の地域の革命騒ぎがこれ以上広がらないように手を打つ一方で、青年士官を支援してオスマン帝国でも青年革命を行わせた。
これによりオスマン帝国はトルコ共和国として生まれ変わり、立憲国家として再生していく。
尚、革命後は共和制を取る為に、貴族階級は存在しない。
その為にアブデュルハミト二世は【出雲】に亡命して、貴族として遇される事になっていた。
ドイツが工作して革命を起こさせた地域は、ヨルダン、シリア、イラク(バスラ州とその隣接する州は除く)として独立した。
それを真っ先に承認したのはドイツだった。新生したトルコ共和国は承認こそしなかったが、敵対行動を取る事も無かった。
革命を起こして国内が混乱しているのはトルコ共和国も同じだ。独立した地域に干渉するより、国内の治安維持の方が優先だった。
そして【出雲】の手早い支援もあり、混乱は最小限に抑えられた。
ドイツの行動はイギリスやフランスの上を行くもので、苦々しいが諸外国にも受け入れられた。
アフリカ大陸にあるリビアは【出雲】の支援で独立したが、トルコの影響は大きく残している。
トルコ本国が革命騒ぎになっている中、【出雲】から派遣されたメンバーが現地の混乱を最小限に抑える事で独立を進めていた。
統治し難い各地を手放す事により、トルコ共和国は身軽になって近代化の道を歩む事になる。
これらの混乱に紛れてサウード王家は旧オスマン帝国の紅海側の領土を手に入れ、アラビア半島の大半を支配下に置いた。
そして史実より遥かに早く、サウジアラビア王国を建国した。領土はアラビア半島の大部分だが、その殆どは砂漠が占めている。
その為に列強の注目はあまり引かなかった。そして日本を含むイスラム系国家の大半が、サウジアラビアの建国を承認した。
【出雲】との関係は深く、近代国家の建設に向けてサウジアラビアは動き始めていた。
一方の【出雲】は、バスラ州と近隣州を併合する事により領土面積は一気に増えた。
イラクというドイツ寄りの国家と、友好国であるイラン王国とサウジアラビア王国と国境を接する事になった。
今後、イラクがどのような方針を採るのか、今は誰も分からない。
そしてリビアの独立は、時期尚早とも言えた。リビアとイタリア王国は、地中海を挟んだ隣国だ。
まだ独立したてで、まともな工業力も軍事力も無い。
だが、【出雲】からの武器弾薬の供与により、何とか独立を守る体制だけは整えようとしていた。
(2013.10. 6 初版)
(2014. 3.23 改訂一版)