1901年は二十世紀の最初の年だ。
史実では一月一日にオーストラリア連邦が成立したが、現在は完全に放棄されており史実とは異なった動きを見せていた。
ニュージーランドにしても完全に孤立した状態で、入植者は先住民の襲撃に遭って支配者から支配される立場へと変えつつあった。
史実で白豪主義者だった彼らに降りかかる運命は、過酷なものになりそうだ。これも因果応報というものだろう。
昨年に起きた義和団の乱は一段落したが、まだ列強の軍は北京を占領している。清国側の北京議定書の調印を待っている為だ。
世界は変動の時を迎えていた。そんな状態でも、日総新聞は事実を淡々と告げる記事を掲載していた。
『昨年の義和団の乱の件で、清国は北京議定書を受け入れました。
ですが、まだ正式調印は済まされておらず、我が軍も含めて列強の混成軍は北京を占拠したままです。
現地の治安は混成軍によって守られており、対馬に避難していた各国の民間人も北京に戻っています。
昨日、対馬に避難していた人達から正式な感謝状と贈り物が日本政府に送られました。
政府はこれを契機に、北京在住の列強各国と関係を深めています。
現在の清国は治安が乱れているので、列強の各軍は治安維持の目的で各地に駐留しています。
その中でアメリカは江蘇省の連云港一帯の支配を進め、ロシア帝国は満州全域の支配を進めております。
アメリカについては『門戸開放』の見地から、列強は連云港一帯の支配を認めています。
ですが、ロシアは沿海州を清国から得ている事から、すぐに撤収するべきだとの意見が多く出ています。
これについて、ロシア当局は時期を見ていると発表しました。
満州では要塞や工場、宮殿までもが建設されている模様で、今後のロシアの出方が注目されます。
北京議定書はまだ調印されていませんが、清王朝は貴重な美術品や文化財を台湾で管理する事に同意して、移転準備を進めています。
現在は台湾で『中華博物館』と各種学校や養成機関の施設建設が急いで進められており、移転は年末頃になると思われます』
現在の清国は首都北京を列強の混成軍によって占拠され、最高権力者である西太后が甥の光緒帝を連れて都落ちしていた。
纏め役の李鴻章は北京に居て、日本軍によって混成軍の略奪は阻止されたので、治安は何とか回復している。
しかし異国人によって首都を占拠されている清国人から見れば、気持ちの良いものでは無い。
既に民心は清王朝から離れており、治安の悪化は時間の問題だった。
その事を察したのか、命を助けられた光緒帝の愛妃珍妃は亡命を希望し、紫禁城の文化財と共に台湾に移住する事が決定していた。
清国内の駐留権を得た為に、各国軍が今まで以上に各地に進出し始めた。抵抗する人達は多いが、全ては武力制圧されてしまった。
日本が関わっているのは北京と上海のみで、列強と清国の争いが激化する前に船山群島に撤収する事を検討していた。
尚、台湾では大規模な施設の建設が相次いだ事から、活況に沸いていた。
『日本政府は台湾に中国の文化財の博物館を建設すると同時に、芸術大学や鑑定士養成学校を設立すると正式に発表しています。
それに付随する今後の展開ですが、日本各地の民間が保有する貴重な芸術品や文化財の鑑定を各地で行うと発表しました。
贋作の根絶と貴重な芸術品の保護が目的です。事前に申請すると、国が認めた鑑定士が無料で鑑定を行います。
高額判定が出た芸術品や文化財は、政府が買い上げて博物館に展示する事も検討中です。国民皆さんの参加をお待ちしています』
価値がある芸術品や文化財は、日本国内にも多く埋もれている。
明治維新の時に欧米に流出したものは多いが、それを遥かに上回る量が各地の民間で秘蔵されているのだ。
その真贋の判定を行い、本物なら管理方法も含めて資金援助も検討していた。
日本各地を回って開催されるこのイベントは、ラジオで放送されて各地域の娯楽を兼ねたイベントとして定着する。
かなり後になるが、『神に準ずる手を持つ男』と言われる贋作師が出現する契機にもなった。
『フィリピンの独立準備委員会は、本年中に独立宣言を行うと発表しました。
しかし、レイテ島とミンダナオ島は独立宣言に含まれていません。
これは現地の住民が我が国と東方ユダヤ共和国主導の開発では無く、アメリカ主導の開発を希望している関係からです。
独立準備委員会は現地に翻意を呼びかけていますが、両島でアメリカ寄りの別政府が独立宣言をする可能性を示唆しています。
アメリカはサマル島の開発を進めながらも、レイテ島とミンダナオ島、それに江蘇省の連云港一帯の開発を行っています。
この件に関して日本政府は現地の意向を重視して、フィリピンの分割を認める方向で調整を進めています』
アメリカは義和団の乱の間にもサマル島の要塞建設を継続し、一大拠点として運用を開始していた。
清国の江蘇省の連云港一帯への強引な進出もあった為に、フィリピンの中央部の島々の主導権は日本と東方ユダヤ共和国が握ったが、
サマル島に近いレイテ島とミンダナオ島はアメリカ主導の開発が進められていた。
こうしてフィリピンは日本と東方ユダヤ共和国寄りの政府と、アメリカ寄りの政府の二つが設立される事になる。
スペインの圧政時に大量のオランダ制式武器が持ち込まれており、分割の影響がどうなるか、それを予測できる人間は誰もいない。
『ペルーの開発はハワイ王国を拠点にして進められており、現地の施設建設は順調です。
日本人の移住者も千人を超えまして、現地との交流も進んでいます。
インドネシアの開発も本格化してきました。リアウ諸島やシムルー島に海軍基地と要塞を建設し始めた一方で、スマトラ島や
ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島、ニューギニア島に日本や東方ユダヤ共和国の各企業が進出しています。
インドネシアは広大であり、現地の開発には相当な年数が掛かるものと予想されています。
地理的な関係からタイ王国の工場群が、インドネシアの工業化に貢献している模様です。
尚、列強の一部の国ではインドネシアに対して機会均等の『門戸開放』を要求しましたが、現地政府は拒否しています。
以前の過酷な支配を行ったオランダの二の舞はさせないと、植民地を持つ列強の進出を拒んでいます。
マラッカ海峡の航行の安全は保障していますが、それ以外の海域には『白鯨』が多数出没しており、列強の進出は困難になっています』
ペルーの開発はイギリスやアメリカの権益を侵さないように、現地の人の教育や実地研修を行いながら、時間を掛けて進められていた。
第一次の住宅施設の建設は終了し、工場群の建設に取り掛かっている。
それを守る帝国海軍の基地も整備が進み、軽巡洋艦一隻と護衛艦三隻の小規模艦隊が常駐するようになっていた。
インドネシアの開発は時間を掛けて行うつもりだ。列強の強引な進出が懸念されたので、リアウ諸島とシムルー島に海軍基地の建設を
進める一方で、大型砲を備えた堅固な要塞の建設も進められていた。これが完成した時は容易にマラッカ海峡を封鎖できる。
それは欧州からアジアへの航路が絶たれるという事だ。
欧州の列強各国は警戒したが、『白鯨』の脅威と義和団の処理が完全に終わっていない事もあり、行動に移る事は無かった。
それにインドネシアは日本から飛行船十隻を購入して配備している。それは列強の進出に対する抑止力になっていた。
尚、一般には公表されないがタニンバル諸島(ニューギニア島とオーストラリア大陸の中間)も日本総合工業に譲られていた。
オーストラリア大陸の開発拠点や『白鯨』の補給・修理基地として最適な位置にある為、ここにも秘密基地の建設が始まっていた。
『オスマン帝国とエチオピア帝国の工業化は順調に進んでいます。イラン王国の工業化もやっと軌道に乗り始めました。
しかしオスマン帝国とイラン王国は、ロシア帝国の圧迫を受けています。
その為に現地からの要望で、【出雲】から両国に軍の指導部隊が派遣される事になりました。
両国の防衛力の強化の為に【出雲】から銃火器が輸出されていますが、今度は軍事面でも交流を深めて行くと発表がありました。
さらにエチオピア帝国についても、【出雲】から指導部隊の派遣が決定されています。
エチオピア帝国を巡って我が国とイタリア王国の関係が悪化しており、一部には懸念の声もあります』
地図を見るとオスマン帝国とイラン王国が、ロシア帝国と国境を接している事が分かる。
両国はロシア帝国との度重なる戦争で、領土を次々に失ってきた。クルミア半島もそうだし、有名なバクー油田もそうだ。
オスマン帝国とイラン王国は同じイスラム国家だが、仲が良いという事では無い。しかしロシアの脅威は両国とも感じている。
満州にまで進出したロシアを抑えないと、何れは中東もロシアの影響下に入ってしまう可能性がある。
その為に【出雲】を使って、オスマン帝国とイラン王国の防衛力を増強してきた。
両国の政府組織は腐敗して自ら改革を行う事はできないが、ロシアに侵略されればその機会も失われる。
軍の指導部隊を両国に派遣して、現地の青年士官と接触して改革の糸口を見出そうと計画された。
エチオピア帝国の工業化も軌道に乗った。後は時間を掛けて浸透させていけば良い。
同時にエチオピアに多数の農業用車両を持ち込み、現地の食糧生産を増やす試みも行われていた。
そして少数の青年協力隊をエチオピアの奥地に送り込み、井戸堀などの地道な協力も行なって、両国の友好を深めていた。
尚、【出雲】の艦隊戦力と航空戦力の増強も、同時に進められていた。
『南アフリカで行われているボーア戦争ですが、イギリス帝国はオレンジ自由国とトランスヴァール共和国の大部分を占拠しました。
しかしオレンジ自由国とトランスヴァール共和国は拠点防衛をせず、ゲリラ活動を行ってイギリス帝国に抵抗を続けています。
イギリス帝国はボーア人を強制収容所に隔離しました。多数の死者が出ているとの情報があり、各国が懸念を深めています』
武器弾薬や食料の輸送は『白鯨』によって妨害されていたが、致命的な被害は受けてはいない。
その為に史実以上にイギリス軍は被害を受けていたが、それでも優勢に軍を進めていた。
陣内はオレンジ自由国とトランスヴァール共和国を支援をする気は無く、イギリス軍の補給の邪魔をするだけに止めていた。
史実では来年の春まで戦闘は続いた。今回はもう少し長引かせるように、陣内は『白鯨』に指示を出していた。
『帝国海軍は新型艦艇の導入を進めており、旧式の艦艇を改造して売却する方針を発表しました。
河川砲艦としてタイ王国の防衛用に数隻を引き渡すと発表したところ、清国に進出している列強からの問い合わせが殺到しています。
黄河や長江に配備する計画らしく、帝国海軍は列強に協力すると表明しています』
旧式艦は石炭を使用しており、速度も遅い。激安価格で新型艦艇の普及が進む中、旧式艦の使い道に困っていた。
その為に改造工事を行って、タイ王国の河川砲艦として使用する事を考えた。それに列強が目をつけた。
清国各地に駐留権を得た今、独自の河川砲艦は清国の反乱を鎮圧するのに有効だ。
沿岸部ならともかく、奥地に大部隊を展開するのは経費も掛かる為、河川砲艦の艦隊を配備した方が安い。
本国から態々持ち込むのも大変だし、それならば近場の日本の旧式艦を買った方がメリットがある。
日本としても旧式艦の処分が進むし、利益にもなるので積極的に売却に同意した。
改造工事を行うのは財閥系の企業だ。ノウハウの取得にもなるし、これが上手くいけば追加の発注もあるからと乗り気だった。
河川砲艦で被害を受けるのは、配置される地域の人達だ。しかし、それは運用側の責任として日本政府は軍の決定に賛成した。
『今回の義和団の乱の原因の一つに、キリスト教会が布教を強引に推し進めた事があります。
四年前にドイツが膠州湾一帯を占拠したのは、ドイツ人宣教師が現地の人達の反感を買って殺害された事が発端でした。
徳川家康公が鎖国政策を行った理由の一つに、キリスト教宣教師が我が国の国民を奴隷として海外に連れて行った事が上げられます。
その当時に日本人らしき名前の奴隷が、欧米にいたという記録も発見されました。
我が国は信仰の自由を認めていますが、欧米の侵略の尖兵と化しているキリスト教は大きく問題視されています。
それと我が国で大多数の国民が信仰している神道と仏教を欧米に布教してはという、一部の意見も出ています』
喉もと過ぎれば熱さ忘れるという言葉がある。
ハワイ王国への十字軍が全滅し、ローマ教皇庁が女神ハウメアの強襲を受けたが、都合が悪い事を忘れ去った感が広まっていた。
たしかに末端の人達は善良だろうが、上層部は傲慢に自分達の正義を疑う事無く、布教を進めるのが正義だと思っている。
十人居れば、十人なりの考え方がある。それに貧しい人達にとって、無料で食事を与えてくれる教会の存在は有難いだろう。
しかし、今の日本は産業促進住宅街が普及した事もあり、食事に困るような貧困者は殆どいない。
その為に、他の友好国への影響も考えて、キリスト教会に警告を発する事にした。
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日総新聞はお堅い新聞社として一般に知られていた。事実を淡々と伝える姿勢や、過激な事を書かない事もあり、
読者には政治家や実業家、軍人などの堅実な職業の人達が多かった。
それは海外でも同じだった。そして日本の動向をいち早く掴むには、日総新聞を読めと言われるようになっていた。
「北京はまだ占領中か。清国が北京議定書に調印すれば引き上げるんだろうが、それを待たずに各国は駐留権を盾に
清国の各地に軍を進めて占拠地を拡大している。こりゃあ、清国も先が見えたな」
「ああ。共闘した義和団をあっさりと切り捨てた事もあって、民心は既に清王朝から離れている。
そこにきて列強が一斉に各地に軍を進めて占領地を増やした。日本の河川砲艦を使って、抵抗を粉砕しながらな。
今の清国に河川砲艦に対抗できる手段は無い。かなり内陸部まで河川砲艦は行けるから、占領地は拡大する一方だ。
アメリカは江蘇省の連云港一帯に要塞を建設しながら、占拠地を拡大させているし、ロシアも満州を固めている。
他の列強も乗り遅れないように必死になっている」
「そこに来て日本が河川砲艦を供給するのは良いな。態々本国から持ってくるのも大変だし、近場の日本に頼むに限る。
旧式だけど現地の奴らにしてみれば、圧倒的な戦力だ。反乱したくても無理だろう。
河川砲艦は海洋に出れば、荒波で運用は無理だから脅威にはならない。日本としても旧式艦艇の処分ができる。良く考えたよな」
「態々高価な艦船を河川という限定された場所で使うのは勿体無いと思っていたが、旧式艦艇でも清国人を抑えるには十分な戦力だ。
それにしても日本は本格的に清国から引き上げるみたいだな。
北京の公使館こそ残すが、上海からも撤退して船山群島に拠点を移し始めた。
紫禁城の文化財を台湾で保管すると言い出すし、何を考えているんだ?」
「中国文化に敬意を表するが、今の中国人とは関係を持ちたく無いと考えたんだろう。日総新聞の記事を読むと、それが分かる。
全員では無いけど大多数の人間は自分の事しか考えずに、己の利益の為なら平気で嘘をついたり裏切ったりしている。
あの『東アジア紀行』が各国に出回ったから、苦力としての需要も減っている。
フィリピンやインドネシアは華僑を露骨なまでに追い出しに掛かっているからな。それに追従している国は多いさ」
中国は広大で人口や資源も多く、欧米からは最後のフロンティアと呼ばれていた。
そして北京議定書を契機に、列強は一斉に各地に侵略を開始していた。しかし清国には対抗する手段は無かった。
寧ろ、日本製の河川砲艦によって、さらに列強の支配が進むと予測されていた。
その日本の行動は欧米各国からは奇異なものに見えていた。清国に関わらないかと思えば、紫禁城の文化財の保護を申し出る。
さらに清国の列強の支配を進める為の河川砲艦を用意すると言うのだ。
まあ、自国の権益が侵害されなければと、日本の清国への行動に疑念を持っても妨害工作をする国は存在しなかった。
「アメリカは強引に江蘇省の連云港一帯の占拠を認めさせ、今回の駐留権に乗じて占領地を拡大させている。
フィリピンのサマル島やレイテ島とミンダナオ島の支配も進めている。この分だと、フィリピンの南部は別の政権が樹立されるだろう。
さすがにアメリカの底力は凄まじいな」
「言い換えると、アメリカはレイテ島とミンダナオ島の支配を進めているが、清国への進出を優先してフィリピンのビサヤ諸島の開発は
日本とユダヤ人に任せてしまったんだ。如何にアメリカでも限界があるって事さ。
まあ、フィリピンよりも清国の方が将来的なメリットがあると考えたんだろうな」
「アメリカも日本から河川砲艦を輸入する方針らしい。それにしても不気味なのはロシアだ。
満州に居座って、都市や工場、宮殿までも建設を進めているという。清国が北京議定書に調印しても、絶対に撤退しないだろうな」
「満州に進出したロシアは、同時に李氏朝鮮との関係を深めている。最近じゃ、ロシアの指導で民兵組織が編成されたらしい。
そして隣国である東方ユダヤ共和国に圧力を掛け始めたと聞くからな。露骨に食料を寄越せと国境で叫んでいるらしい」
「奴らは馬鹿か? 東方ユダヤ共和国は各国の軍にいた奴らを中心とした正規軍があるんだぞ。
日本から大量の銃火器や大砲が供与された近代化している軍だ。しかも海軍艦艇や飛行船まで持っている。
そんな相手に民兵ごときが相手になる訳が無いだろうに! 皆殺しにされるのが目に見えているぞ!」
「あそこは奴隷売買で人口が減ったとは言っても、食糧生産量は低迷しているから慢性的な飢餓に悩まされている。
切羽詰った行動なんだろうが、そんな威嚇程度で食料が手に入ると考えている程、短慮なのかな?」
「さあな。しかしロシア軍が本格的に李氏朝鮮のバックアップをして、東方ユダヤ共和国に侵攻するなら話は別だ。
日本が勝ったのは清国だけだ。本当に日本がロシアに対抗できるのか疑わしい」
日本は飛行船や自走砲という列強でさえも開発していなかった最新兵器を次々に投入して、日清戦争に勝利した。
最近は世界各地に支援の手を伸ばし、海軍艦艇の更新を進めている。しかし、新型艦艇の実績は無い。
日本は最大級で5000トンクラスを主力にした配備を進めている。(戦艦と装甲巡洋艦は秘匿)
その為に、日本を用心すべきだという考え方と、日本など敵では無いという二つの考え方が世界に渦巻いていた。
巫女の存在も微妙に影響して、今のところは目障りに感じても日本に本格的に攻撃を仕掛ける国は無かった。
「ロシアが李氏朝鮮を完全に支配して、東方ユダヤ共和国に攻め入れば、日本の本当の実力が分かるさ。
噂じゃ、ロシアも大規模な飛行船部隊を編成していると言う。
日本が負ければロシアは本格的に南下を始めて、中国の利権を独占する可能性もある。まったく困ったもんだよ」
「日本が負ければペルーやハワイ王国、タイ王国、フィリピン、インドネシアにも影響は出る。それと中東やアフリカにもだな。
イギリスは南アフリカでボーア人相手に戦争中だ。ロシアの南下を防げるのは、今のところはアメリカぐらいか?」
「そうだな。しかしアメリカから中国は遠い。まだフィリピンや連云港一帯の開発が終わっていないから、どうなるか分からん。
それより日本に大型艦艇の配備や陸軍の増強を求めた方が良いよ」
「世界は戦乱に満ちているというのに、日本は陸軍を縮小してしまったからな。
まさか攻め込まないと表明すれば、戦いをしなくて済むなんて甘い考えを持っているんじゃ無いだろうな」
「主戦論を唱えた新聞社や大学教授を徹底的に叩いていたな。巻き添えを食らって、大学が潰れたくらいだ。
知識人を気取った輩が、不用意に国政に介入する事に厳しい警告をしている。言論統制を厳しくしているからな」
「そんな甘い考えを持っている国が、此処まで成功するはずが無い。主戦論を唱えた輩と一緒に、極端な平和主義者も排除している。
日本は中道を目指しているのかも知れん。同盟国や友好国を増やしているから、そちらの方向で対策を考えている可能性もある。
何れにせよ、今のアジアは全世界の注目の的だ。何があっても不思議じゃ無い」
日本の底は見えないが、正面装備だけを見れば軍事的に小規模というのが一般的に知られていた。
イギリスのボーア戦争の行く末が分からない今、世界は不安に揺れていた。
「それはそうと、日総新聞がキリスト教を批判するとは予想外だったな。
冷静な記事を書く新聞社だと思っていたが、昔に宣教師が日本人を奴隷で連れていったと捏造記事を書くとは思わなかったよ」
「馬鹿! お前はその記事を全部読んでいないのか!? 確かに現地で日本人の名簿が発見されたんだ!
だから日総新聞はキリスト教の批判記事を書いたんだ! 今までキリスト教は一方的に布教を広げるだけだった。
しかし、ハワイの女神の襲撃に遭い、侵略の尖兵と化している事実が公表された今、かなり苦境に陥っているんだ!」
「はあ、そうなのか? だから、神道や仏教を欧米に布教させようという話もあるのか。
普通なら絶対に無理だと言いたいが、巫女の神託の件もある。本当にご利益があるなら、信者はあっと言う間に増えるぞ」
「こりゃ、ローマ教皇庁も黙っていないだろうな。絶対に日総新聞に何らかの圧力を掛けるだろう」
欧米はキリスト教を国教として、貧しい人達の救済を進める名目で宣教師を侵略先に送り込んで地盤を築き、勢力を拡大してきた。
カトリックとプロテスタントの対立はあるが、キリスト教が欧米各国に強い影響を持っている事は事実だ。
そのキリスト教を批判するなら、今までなら徹底的に潰される。
しかし、ハワイの女神の件以降、キリスト教の権威は欧米でこそ変わらなかったが、それ以外の国々では徐々に低下している。
それはローマ教皇庁にとって好ましい事態では無い。そしてローマ教皇庁は日総新聞に司教を派遣していた。
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「日本は信仰の自由を認めているのに、我がキリスト教を批判するのか!? 我々は日総新聞に抗議する!」
「我が国は基本的に言論の自由を認めています。戦国時代にキリスト教宣教師が、日本人を奴隷として海外に連れ出した証拠もある。
事実を書いただけです。それを批判というなら、逆に我々の方から謝罪を要求させて貰います!」
「何だと!? 日総新聞は我々と争うと言うのか!? 全世界のキリスト教徒が黙ってはいないぞ!」
「別に、そんな事で争うつもりはありませんよ。私は民間人ですが、神道の方にも顔は利きます。それとハワイ王国にもね。
ですから、日本の神道とハワイのハウメア教を欧州に広めようとする動きを支援します。
欧米ではキリスト教が国教でしょうが、信仰の自由はある。こちらがキリスト教のお膝元で布教をしても問題は無いでしょうね」
「ま、待て!? ハワイのハウメア教をローマで布教するだと!? そんな事が認められるか!」
「あなた達がキリスト教を広める権利を主張するなら、ハワイ王国もハウメア教を広める権利があると言わせて貰います。
ハワイ王国は欧州の各国と国交がありませんから、日本を経由して行く事になりますね。
ハウメア教の司祭が現地に行けば、眷族である『バハムート』も姿を現す事もあるでしょう。そうなったら、どうなりますかね?」
日総新聞の掲載記事を見て、ローマ教皇庁は日本にいる司祭に厳重な抗議を行うように命じていた。
キリスト教の威信が低下しているというのに、日総新聞のような信用が高い大新聞に批判記事を書かれてはたまらない。
強硬な抗議を行って、日総新聞に謝罪記事を掲載させるのが目的だった。
しかしキリスト教司祭の抗議を日総新聞の代表の青山は聞き流して、逆襲を行っていた。
キリスト教にとって、ハワイ王国のハウメアは鬼門だ。触れては為らない存在になっている。
そのハウメア教の司祭がローマ教皇庁のお膝元で布教を行っても信者は集まらないだろうが、眷属である『バハムート』に来られては
大パニックになる可能性もあり、キリスト教のさらなる権威失墜は避けられない。
古い資料を片っ端から引っ張り出して、奇跡の再現に務めているが、まだ成果は出ていない。
青山の話を聞いた司祭は顔を真っ青にしていた。
「そ、それは駄目だ! ハワイのハウメア教の布教など、断じて認められない! 分かった。抗議は取り消そう。
今の話は無かった事にして欲しい」
「そうはいきません。我々はローマ教皇庁の理不尽な抗議を受けたのです。教皇の正式な謝罪を求めます」
「何だと!? 教皇の謝罪だと!? そんな事が出来るか!?」
「ならば、ハワイのハウメア教の布教の準備は進めさせて貰いましょう。
日総新聞に理不尽な抗議を行った事に対する教皇の正式な謝罪が無い限り、我々の報道姿勢は変わりません!
個人的な発言なら言論の自由の範疇でしょうから、目くじらを立てるつもりはありません。ですが組織なら発言に責任が出てくる。
理不尽な抗議を行って、取り下げたからと言って済ますつもりはありません!」
後々の為に、理不尽な要求や抗議を行い、その後に取り下げただけで済ますような風潮を許す気は無かった。
言いっぱなしで逃げるのは許さない。言ったからには最後まで責任を取るような姿勢を、ローマ教皇庁に強硬に要求した。
あまりやり過ぎると問題が大きくなるだろうが、この程度の事なら大丈夫だろう。それくらいは青山でも判断していた。
結局、ハウメア教の司祭がローマに来るのを恐れて、教皇は日総新聞に不当な要求を行った事を公式に謝罪した。
さすがに『バハムート』を二度と見たくは無かったのだろう。
それにハウメア教の司祭が殺されるような事態になったら、ローマ教皇庁は徹底的な女神ハウメアの報復を受ける可能性がある。
欧米各国が植民地の獲得に使った手法を、自分達に向けて使われては堪らない。
そんな危険を冒す気は無く、早い時期に謝罪して事態の収拾に努めていた。
今回、日総新聞は女神ハウメアの威を借りた。そしてキリスト教の権威がさらに下がった。
そして日本に言い掛かりをつけると後が怖いという評判が、世界中に広まっていった。
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義和団の乱以降、清国への列強の進出が激増していた。
特にアメリカとロシアは大兵力を派遣して現地の植民地化を進めていたので、戦乱の種が尽きる事は無かった。
もっとも、河川砲艦を列強に売りつけている日本は、偉そうな事を言える立場では無い。
その日本は、着々と清国からの撤収準備を進めていた。紫禁城の文化財の保護もその一環だった。
その件は大勢に大きな影響を与えるものでは無いが、天照機関では重要議題として討議を行っていた。
「台湾の『中華博物館』と管理する中国人の受入れ施設、それに各教育機関の施設の建設は順調だ。
この分だと年内にも紫禁城の文化財の移転を開始できるだろう。対ロシア戦争前には終わる予定だ」
「文化財と美術品の管理の最高責任者に、光緒帝の愛妃珍妃が名乗り出た事は意外だったな。
光緒帝を見限ったのかも知れんが、これで文化財の移転に文句を言う輩は確実に減る。
我が国の文化に多大な影響を与えてくれたものもある。大事に保管させて貰おうか。
そしてこの機会を利用して、台湾に芸術都市を築き上げようとは考えたものだな」
「工業化だけが近代化ではありませんからね。私は美術品の真贋の見極めはできませんが、美術品が心を潤してくれる事は知っています。
出来るだけ、その環境を整えたいと考えただけです。同盟国や友好国の美術品保護も進めて貰っていますからね。
平和になったら、美術品の大規模展示会を開くのも良いですね」
「時間は掛かるが、台湾が芸術都市として発展するのは良い事だ。本土の芸術も大きな影響を受けるだろうし、産業の発展にも繋がる。
産業の発展と言えば、河川砲艦も我が国の建艦技術の向上に寄与する。老朽艦の処分も行えるから一石二鳥だな」
「河川砲艦によって、列強の支配が進む清国が哀れだな。旧式な艦艇であっても、彼らは一方的に蹂躙されるだけだ。
その責任は運用する列強にある。我が国が責任を感じる事では無いな」
「我が国は積極的に列強に売り込んだ訳では無い。タイ王国の防衛用に河川砲艦を供与すると発表したら、列強が飛び付いてきたんだ。
あそこまで需要があるなら、良い外貨稼ぎにもなる。我々は正義の味方では無いから、この際は儲けさせて貰おう」
「話を戻すが、台湾に『中華博物館』を建設して中国の職人や管理人を受け入れるのは良いが、不法入国を認める訳にはいかない。
受入れ用の施設と、他の市街へ抜け出さないように取り締まる準備も進めておくべきだな」
「ああ。不法入国者に住み着かれて困るからな。個人的な交友まで取り締まる気は無いが、積極的に民間交流を進める気も無い。
各国で苦力として雇われた中国人の送還が始まっている。これで史実の中華街の何割かは消えるだろう。
世界各地の中華街が少なくなれば、治安の乱れも最小限に出来るし、中国の代弁を行う勢力を事前に潰せる。
それと職人や管理人に再教育を実施する。悪癖や悪慣習を無くしてくれれば、受入れられる余地は十分にある。
これも将来を見越した布石だな」
紫禁城の文化財を台湾で管理する事は、将来に渡って大きな文化的影響を及ぼすと考えられていた。
しかし、中国人の不法入国は見過ごす事はできない。その対策を事前に準備していた。
文化レベルの違いは時間を掛けて慣らせば何とかなる。しかし幼少の頃から身に付けた常識は、すぐに改まるものでは無い。
衛生環境や公衆道徳を変えるには、多大な費用と長い時間が掛かる。
日総新聞や日総出版が公共マナーの向上運動に取り組んでいるが、まだまだ日本人の公共マナーも褒められたものでは無いのだ。
日本にメリットがあるならともかく、招かざる客が居座って国内の治安悪化に繋がるような真似をさせるつもりは無かった。
「そういえば、国内で保護していた孫文はどうなった? 確か皿洗いの仕事をしていたと聞いているが?」
「昨年に恵州で挙兵したが失敗して、今はアメリカに滞在中だ。その孫文の同志の二人を、こちらに引き入れている。
彼らには福建省で組織造りを行って貰う予定だ。秘かに資金援助もしている。
革命に乗じて福建省と浙江省を独立させる事は、何かと我が国とって都合が良いからな。まあ、失敗しても構わないが」
「ふむ。しばらく清国は混乱続きになるだろう。早めに紫禁城の文化財を台湾に移して、撤退を進めたいものだ。
まだまだフィリピンやインドネシア、ペルー、中東で忙しいんだ。あまり中国に手は回せないからな」
「フィリピンでのアメリカの影響力は少し弱まったが、レイテ島とミンダナオ島は手放さなかった。仕方あるまい。
後は現地の独立準備委員会で調整して貰うしか無いだろう。
我々としてはルソン島、ミンドロ島、カラミアン諸島、バラワン島が抑えられれば、南シナ海への影響力は確保できる。
ユダヤ人も食料生産基地として開発を進めているが、問題は無いだろう。パラオは今のところは順調だしな」
「インドネシアのリアウ諸島とシムルー島を得た事で、マラッカ海峡は抑えられるしインド洋にも進出できる。
広過ぎるから、艦隊の配備に頭が痛いところだ。その上で、タニンバル諸島には秘密基地を建設か。
よくもここまで勢力を広げられたものだ。十年前には想像もしなかった事だよ」
「ああ。日本近海は南方方面は抑えられたし、南シナ海、インド洋、アラビア海にも進出した。
南米のペルーにも拠点を構築しつつある。やっと海洋帝国と言えるレベルになったな」
「中東の工作は継続中だ。
サウジアラビアの建国は前倒しになりそうだし、ロシアに対抗する為のオスマン帝国とイラン王国の強化は進められている。
もっとも政府組織が腐敗しきっているから、早く革命を起こして組織を刷新しないと本格支援が出来ないのが悩みの種だ。
まあ、今はロシアの南下を防ぐのが最優先だ」
今の日本は北方を除いて、周辺海域に勢力を伸ばしていた。これも入念な下準備のお蔭だが、安心して良い状況には無い。
最大の懸念はロシア帝国だ。強大な陸軍と海軍を有して、南下政策を進めている。
オスマン帝国やイラン王国の領土を次々に侵略していたロシアだが、列強の妨害もあって今はアジア方面に力を入れている。
天照機関としては想定内の事でもあり、望むところなのだが、やはり準備は怠る訳にはいかなかった。
「イラン王国で石油が見つかるのは、史実では今年だ。それを見越してケシム島には大型の石油精製プラントを建設中だ。
誰にも気づかれていないから良いだろうが、本当に見つかったらパイプラインを含めて大規模な施設の建設をしなくてはならない」
「その建設資材も準備できています。史実ではイギリスに油田の権利を持っていかれてイランの人々の生活は楽になりませんでしたが、
今回は利益は折半する形で進めて、地元に還元します。彼らも自分達の利益になると分かれば、協力はしてくれるでしょう」
「イギリスはボーア戦争に苦戦している。ゲリラ戦になったから当然なんだろうが、まだまだ鎮圧に時間は掛かるだろう。
今回は史実よりも長引かせて、イギリスの出血を強いる計画だ。それは今のところは上手く行っている。
そのイギリスが、オスマン帝国のアラブ人が多く住む地域を独立させて保護国にしようと画策しているのが判明した。
以前はクエートの建国を画策したが、今回は別のところだ。まったく、油断ならない相手だよ。その対応の準備も進める必要がある」
「サウジアラビアの建国を急がせた方が良いだろうな。【出雲】の生産は順調に拡大していて、支援物資の供給は問題無い。
あそこの海上艦隊も飛行部隊も順調に増強している。人目があるから、『神威級』と『風沢級』の訓練不足が懸念材料だ。
イランで石油が見つかれば、列強が中東に目を向けるだろうからな。早いうちに、手を打っておく方が良い」
「オーストラリアとニュージーランドは失われた。その失われた権益を取り戻そうと、イギリスは必死なんだろう。
長期的な視野に立てばイギリスの力を削ぐ事も必要だが、削ぎ過ぎても拙い。難しいところだが、何とか調整しなくてはな。
そのイギリスから同盟締結の話が申し込まれた。史実より早いが、話を進めるつもりだ」
「ほう。史実とは情勢も違うし、内容を吟味しないとな。日本はあまり敵を作らないようにしてきたが、ゼロでは無い。
ロシアと戦っている時に、背中を撃たれないように気をつける事が必要だ」
「その件で外務省と陸軍、海軍を交えて打ち合わせを行おう。李氏朝鮮の民兵が、しきりに挑発行為を繰り返している。
対ロシア戦争が早まる可能性もあるから、早急に進めるべきだろう」
「李氏朝鮮の民兵は何とでもなるが、ロシア軍まで出動するような騒ぎになっては困るからな。
あと一年あれば、何とか準備は完了する。東方ユダヤ共和国にも自重するように伝えておく」
史実では日英同盟を結んだが、実際にロシアと戦ったのは日本だけだ。
イギリスはボーア戦争の影響もあって、情報を送ってくれるなどの補助的な役割に留まった。
それでも日本が、当時の世界最大の帝国であるイギリスと同盟を結んだ意義は大きい。
『栄光ある孤立』という外交政策を続けてきたイギリスが、有色人種国家と初の同盟を結んだ事は世界各国に大きな衝撃を与えた。
今回、実質的な効果は少なくても、諸外国に与える心理的な影響を考慮して同盟を結ぶ計画だった。
今の日本はハワイ王国と東方ユダヤ共和国と、軍事同盟を結んでいる。少なくとも国際外交上で、孤立するリスクは低い。
タイ王国、フィリピン、インドネシア、オスマン帝国、エチオピア帝国、イラン王国も日本寄りの立場になるだろう。
侵攻可能な陸軍の部隊は八個師団に抑えたが、海兵隊は逆に増強している。
海上艦隊や飛行船部隊の拡張も順調に進んでいる。さらに、寒冷地仕様の各装備の普及も進められている。
占領後の速やかな拠点構築の為の、様々な資材や重機の手配も対ロシア戦争を目標に進められていた。
ロシアは他の列強が驚愕するような大部隊の編成を、秘かに西シベリアで進めている。
しかし、それは衛星軌道上からの監視によって日本に筒抜けになっていた。
天照機関はそのロシアの秘密部隊への対抗策も、秘かに準備していた。
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東方ユダヤ共和国は朝鮮半島の南部の全羅道、慶尚道、忠清道に建国されていた。
首都は普州と呼ばれていた場所であり、今はエルサレム市と名称は変えられていた。
日本の支援と世界各地のユダヤネットワークを通して集められる資金は、何も無かった土地を近代的な都市に造り替えていた。
建国して約五年が経過した。世界各地から移住してきたユダヤ人は増え続け、人口は300万人に近づいている。
近隣のフィリピンやプエルトリコ、モロッコに移住した人達を含めれば、さらに多くなる。
そんなユダヤ人は主に宗教的な理由から、世界各地で迫害に遭ってきていた。しかし、東方ユダヤ共和国ではそんな迫害は無い。
ここは彼らの祖国なのだ。二千年以上も放浪の生活を続けてきた彼らにとって、祖国は二度と失われてはいけないものだ。
その大事な祖国に危機が迫りつつあった。その件について、最高会議は連日の協議を行っていた。
「李氏朝鮮の民兵の挑発行為は止まないか。国境の警備は万全なんだろうな?」
「鉄条網を国境線に張り巡らして、奴らの進入を防いでいます。既に国境の道路は完全に封鎖して、人の出入りはゼロです。
しかし、夜でも甲高い雄叫びが聞こえてきますので、国境警備の兵士に疲れが溜まっています」
「民兵の要求は食料を寄越せか。我が国に奴らを支援する義理がある訳でも無く、良くそんな事が言えるものだ。
あの『東アジア紀行』や『朝鮮事情』に書かれていた通りの民族性のようだ。一度でも奴らの要求を呑むと、際限無くたかられる。
やはり断固として、拒否するしか無い。万が一もあるから、軍の動員準備も進めてくれ」
「日本からは自重するように要請が来ています。ロシア軍が出てくると厄介な事になるから、最低でも一年は待ってくれと。
ロシアも準備を進めていますが、我々も日本も着々と準備を進めています。今は戦いを避ける方が良いでしょう」
「国境線の各地には、重機関銃や各種の大砲が設置してある。奴らが攻め込んでくれば、撃退するだけだ。
とは言え、全面戦争にはまだ準備不足だ。何とか耐えないとな」
東方ユダヤ共和国は欧米各国のユダヤ人が移住して建国された。その中には軍人も居る。そんな彼らを中心に国防軍が設立されていた。
海上艦艇や飛行船部隊もあるが、主力は陸軍だった。最近は武器の国産化に成功したが、まだ大半は日本から供与されている。
連日の訓練もあり、彼らの錬度と士気は高い。李氏朝鮮には勝てるだろうが、背後に控えているロシア軍は脅威だ。
そのロシアに負ければ国は失われて、虐殺される可能性もある。
彼らの護国の意思は極めて高い。李氏朝鮮から見れば土地を奪われたのだが、それは正当な条約で行われた結果だ。
その事について、李氏朝鮮の肩を持つ国家は存在しない。
東方ユダヤ共和国は李氏朝鮮とロシアの圧迫を受け始めていたが、単独で迎撃するつもりは無い。
軍事同盟を結んだ日本は参戦する事を約束し、その準備も進めていた。
「国内の工業化は軌道に乗ったが、まだまだ不足している。それに農作物の収穫も少ない。
フィリピンやベトナム、タイ王国から輸入があるから何とかなっているが、海上輸送の安全性を確保できているからこそだ。
そこは日本に全面的に依存するしか無い」
「清国は混乱続きで、食料の生産も落ちているからな。日本は制海権の確保は約束してくれた。
後は陸戦で李氏朝鮮とロシアを、どう撃退するかだ。幸いにも弾薬は豊富にあるし、引き付けて撃破するしか無い」
「李氏朝鮮は飢餓が蔓延しているから、口減らしに無謀な突撃をしてくる可能性もある。アヘンを使っているという噂も聞く。
対人地雷もそうだが、早めに日本が開発した気化弾を入手したいものだ。それがあれば、一気に敵兵士を減らせる」
「李氏朝鮮とロシアという難敵が立ち塞がっているが、勝てば我が国の生活圏が拡大できる。
災い転じて福と成すとは、この事だ。その為にも敗北は許されん!」
「まだイスミ級が三隻しか無いが、列強の艦艇とも対等以上に戦えると海軍士官は話していた。
日本は秘かに大型艦の配備も進めているそうだが、何時公開するのか楽しみだよ」
「その件は我が国にさえ秘密だからな。しかし秘密兵器だけでは無く、ロシア包囲網を構築しようとは日本も遠大な作戦を立案する。
上手くいけば、我々は勝利を掴める。その時のロシア皇帝の驚きの顔を見てみたいな」
普通に考えれば、建国したばかりの東方ユダヤ共和国が、ロシア帝国に勝てるはずが無い。
それは近代化を始めて僅か三十年の日本も同じ事だ。しかし、日本は陣内という隠し札があった。
史実の情報と未来の技術を駆使して、対ロシア戦争に勝つ準備を進めていた。
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アメリカは米西戦争(1898年)の後、フィリピンのサマル島を領有し、レイテ島とミンダナオ島に影響力を強めていた。
そして義和団の乱に乗じて清国の江蘇省の連云港一帯を領有して、その周囲の支配を着々と進めていた。
上海に近い船山群島に要塞や海軍基地を持っているとはいえ、本国からはかなり遠い。
本来ならハワイを領有して太平洋全域に影響力を持つ予定だったが、それは女神という予測不可能な存在によって粉砕された。
その結果、フィリピンや清国への航路はどうしてもハワイ王国を大きく迂回して、途中で補給をせざるを得なかった。
その補給地点はウェーク島やマリアナ諸島。つまり日本の領有している島々が、アメリカのフィリピンや清国進出を支えていた。
日本のウェーク島やマリアナ諸島、もしくはドイツ領のミクロネシアを狙っていたが、まだ時期尚早として行動に移す事は無かった。
燃料の節約の為にハワイに近い航路を取って、『バハムート』に攻撃される商船もあった。
アメリカはハワイの女神の眷属によって若干の被害を受けながらも、フィリピンと清国に膨大な物資と軍を送り込んでいた。
それは西部の広大な領域を封鎖して、開拓者精神の衰えた国民を励ます効果があった。
そんな経緯もあって、大きな市場を求めて太平洋を西進して行った。
それは天照機関にとって想定済みの事であり、不測の事態を懸念しながらもアメリカを中国大陸に引きずりこもうとしていた。
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ロシア帝国は単一国家としては世界最大の面積を誇る大帝国だ。(イギリスは植民地を含めるとロシアよりも広い)
しかし大半は氷と雪に覆われた大地であり、その為に不凍港を求めて長年に渡って南下政策を採っていた。
そしてそれは実現しつつあった。満州の地を占拠して、李氏朝鮮を半ば手に入れた。
この後、朝鮮半島を全て手に入れ、日本を占領すれば太平洋への道が開ける。
地球儀を見ながら、ロシア皇帝のニコライ二世は今後の事を考えていた。
(シベリア鉄道はバイカル湖を除いて開通して、満州は我が手に入った。そこの工業化を進めて、支配を永続的なものにする。
そして朝鮮半島の全てを手に入れる。その後は日本を占領すれば、高度な技術と太平洋が手に入る。
皇太子時代に訪れた、あの日本が我が物となる。理化学研究所の北垣が『満州の地は我を待っている』と言っていたな。
まさに、その通りになる。日本を占領した時には、北垣は引き立ててやろう。
そして淡月光の川中は『満州に我が家族と行った時に、悩みは解消される』とも言っていた。あれはどういう意味だ?
我だけが行くのならともかく、后や子供が未開の満州の地に行く事などあり得ぬ。まあ良い。今は満州の支配を確立させる事が優先だ。
李氏朝鮮の奴らを使って、まずはユダヤ人を滅ぼす! 日本はそれからだ。
今は嫌がらせ程度だが、満州の工業化が進んだ時が決戦の時だ。
フフッ。日本が技術的に優れていようとも、圧倒的な物量の前では何の意味も成さない事を教えてやる!)
アメリカの江蘇省の連云港一帯の領有は『門戸解放』と言う名目から、不承不承だったが他の列強は認めていた。
しかしロシアの満州領有を、列強は認めなかった。これこそロシアに対する理不尽な仕打ちでは無いかとニコライ二世は考えていた。
それならば実力で奪うのみだ。その為に満州の開発を、ロシアは着々と進めていた。
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やっと北京議定書に清国が調印した後、列強の混成軍は北京から撤退していた。
日本軍が略奪を厳しく取り締まった為に、北京はあまり荒らされていなかったが、人心は荒廃していた。
清王朝の最高権力者である西太后は甥の光緒帝と連れて、未だに都落ちをしている。
さらに清王朝の為に列強と戦った義和団を、反乱分子と決め付けて弾圧を行っていた。これでは民心が安定するはずが無い。
列強の兵士が支配者のように北京の街を徘徊していた事もあり、清王朝の権威は地に落ちていた。
清国は北京議定書で駐兵権を認めた為、列強の軍は次々に支配地を広げていた。(日本を除く)
列強に抵抗しようにも清国側には満足な武器は無く、蹂躙されて終わりだった。
そんな状況に絶望を感じていた清国人だったが、さらなる衝撃が襲いかかった。河川砲艦の出現だ。
まだ配備された数は少数だが、搭載する砲による攻撃は圧倒的だった。何も対抗できずに、ただ反乱分子は攻撃を受けるのみだった。
こうして住民の絶望を糧にして、列強の清国支配は拡大していった。
そんな中、一部の知識層に属する清国人は、複雑な気持ちで日本を見ていた。
日本は日清戦争に勝利して、下関条約で清国の内陸部に進出しないと宣言した。
台湾や海南島を奪われたが、内陸部に進出しないのは好意的に評価ができる。
今回の義和団の乱において、書記官を殺されて清国から名指しで宣戦布告されたのだから、戦うのは仕方が無い事だった。
しかし紫禁城の美術品と文化財を、台湾に持って行くとはどういう事なのか!? 確かに紫禁城の略奪は日本軍によって防がれた。
日本軍による物資の横領も略奪も無かったのは評価できるが、中国が誇る美術品と文化財を国外に持ち出すとはどういう事だ!?
今の清国では保管、管理する事はできないと言われては反論はできないが、感情が納得しなかった人は多い。
それに光緒帝の愛妃珍妃が、文化財の管理の最高責任者になったという事実が、複雑に絡んでいた。
愛妃である珍妃が西太后に殺されそうになって、日本軍によって助けられた事は知れ渡っている。
珍妃は清王朝を見限って日本についたのか? 清王朝に殉じる価値が無いと判断したのか?
それらの事情が複雑に絡み合い、一部の人は日本に対して悪感情を、一部の人は感謝の念を向けていた。
さらに列強が使用している河川砲艦を日本が売却している事を知ると、日本に憎悪の視線を向ける人達が増えてきた。
渤海や黄海は問題無いが、東シナ海や南シナ海の漁業は全面的に禁じられ、不法操業を行った漁船には厳しい取締りが待っていた。
これらが事態を複雑化させていく要因になるのだが、未来の事を見通せる人間は誰もいなかった。
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渋沢栄一は六十を超えたが、まだ現役で多くの企業の経営に関与し、政治にも関わっている。
陣内とは十年以上の付き合いだ。二人は珍しく、最初に会った料亭で酒を飲み交わしていた。
「陣内君と最初に酒を飲み交わしたのは、十二年も前の事か。あれからだいぶ変わったな。ああ、良い方向にだぞ。
日本全体が発展して、今では他の国の支援を行えるまでに発展した。これも君のお陰だよ。感謝している」
「恥ずかしいですから止めて下さい。それにしても十二年前に、この料亭で初めて会ったのでしたね。
まだ残っているとは思いませんでしたよ。あの時は沙織と三人でしたね」
「その沙織君は君の嫁さんになって、子供が三人もいるんだ。時間の流れは早いものだな。
今でも沙織君の奇抜な姿(バニーガール)は忘れられない。系列のバーで導入したら大人気だったよ。近々、海外進出も考えている」
「はは。そんな事もありましたねえ。すっかり忘れていましたよ。渋沢先生から洋物の写真集の追加を頼まれた事もありましたね。
時に渋沢先生はまだ現役ですか?」
「何を言うか! 現役に決まっているだろう! まだまだ若いもんには負けん! 確かに体力は衰えたが、気力はまだ十分だ。
とは言え、最近は日本にいるより海外を飛び回る事が多くてな。時差ぼけが多くなってきている」
「渋沢先生に協力して貰っているのはタイ王国、フィリピン、インドネシアでしたね。良く考えると、時差があまり無いと思いますが?」
「はっはっはっ。そこは聞き流してくれ。それにしても、日本は国際色が豊かになったな。
気軽に海外に飛行船で行けるし、日本国内に外国人街が建設されて、アジア各国や中東やアフリカ、南米の人までが居るときた。
最近は欧州から日本に移住して来た人も多い。美人が多くて、目移りして困るわい」
「……渋沢先生のお気に入りは、何処の国の女の子ですか?」
「ほお、そうくるか。タイ王国の女性は気立てが良いぞ。前に紹介してやったのに、歌手として使うなんて勿体無い。
タイの歌姫と呼ばれて人気が出るのは結構だが、最近はフィリピンやインドネシアの歌もラジオで流れているな。
中東やアフリカ、欧州の歌もだ。陣内君も手広くやっているものだ」
「芸能関係は全て部下に任せてあります。しかし、芸能人だからと言って増長しないように深い釘は挿してあります。
芸人は人の心を和ませる役割を持っていますが、生産に寄与する訳では無い。客の稼いだ金を貰って、生活しているんです。
その事を弁えずに増長した瞬間に、問答無用で潰すと警告してあります。
碌な知識も無い口が達者の輩が、本当に能力のある人達より偉そうにするなんて耐えられない事ですからね」
「十二年前には無かった貫禄がついてきたな。国内の道徳や色々な規制の普及に、陣内君が努力してきた事は知っている。
お陰で国民の道徳心は向上して、それでも向上心は失わないようになっている。
日本が未だに工作機械や真空管分野、様々な分野でトップを独走しているのは陣内君の努力の成果だな」
子供の義務教育を推し進め、税制面で優遇処置を取った事により人口増加の傾向は著しかった。
これらの人口増加が効果が出てくるのは十年後以降になるだろう。そして人口増加に伴って、教育や娯楽の充実が求められていた。
まだTVは無い為に、ラジオがメインだ。落語や歌などの番組を増やして、人心安定に努めていた。
そして国内だけで無く各国の美声持ちを多く採用して、各地を巡業して国際交流を深めていた。
尚、芸術品の鑑定大会も娯楽の一環として考えていた。
日本はベアリングやネジ等の基礎部品を安定した品質で大量に供給し、真空管や無線通信機等の各分野でトップを維持していた。
しかし列強はリバースエンジニアリングを行って、日本が初期に発表した各種の電気製品や真空管を製造する事に成功した。
普通であれば、後は資本や人口の勝負となり、日本は零落れて列強が強まっていくだろう。
しかし列強が何時までも日本製品を使うはずが無く、何時かは開発して国産化を進めるだろうと予測していた。
その為に時期を見込んで、次々に性能を上げた改良品を市場に投入した。
扇風機や洗濯機、冷蔵庫、空調機等の製品は次々に改良された品種が販売されて、列強の台頭を防いでいた。
真空管にしても初期のタイプ以外に、改良品が投入されて、無線通信機の性能も向上してきた。
トランジスタは出来る限り、普及は進めない方針だ。
様々な商品や技術を日本が率先して発表した事により、世界全体で技術革新が加速されている。
史実だと1903年にライト兄弟によって飛行機が開発されたが、今の様子では来年くらいに実現化する見込みだった。
あまりに早過ぎる技術革新は、手に負えなくなる可能性を秘めていた。
「日本の国力から言って、世界のトップを走るのは正直言って辛いですよ。ある程度の市場を確保したら、今度は守りに入ります。
新商品の開発についても、列強を抑える為に協力会社や財閥に無理を御願いしていますが、何れは力尽きるでしょう。
五年か十年後ぐらいには、列強の新興企業の台頭は避けられないでしょうね。それでも良いと思います。
日本が確たる勢力を築いた後で共存共栄の道を図らなければ、何れは対立を生んで戦争に至ります」
「ふむ。科学技術と社会運営を連結して考えるか。それも先々を見通しているから出来る事だな。
一介の技術者では、そんな事まで気を回すのは無理だ。技術者で思い出したが、スウェーデン王国でノーベル賞が創設されたな。
それに理化学研究所が選ばれたと聞くが、まだ回答をしていないそうだな。どうするつもりだ?」
「代表の北垣君に行って貰います。先方からは研究途中のレポートの提出を求められましたが、断ったから揉めていたんです。
彼らが欧米を優先する事無く、日本の研究内容を選んだ事は、此方から見ても評価できます。
今まで北欧に工作はしてませんが、良い機会です。これを機に北欧の足場を作っていきます」
「ほう。そんな事があったのか。それにしてもノーベル賞の受賞に乗じて、北欧の工作を進めるか。
君も抜け目の無い奴だな。……それはそうと北欧の女性は肌が白くて、美人が多いと聞く。興味は無いか?」
「……渋沢先生も元気ですね。良いでしょう。偶には一緒に行って観光でもしてきますか。
渋沢先生が同行するなら、沙織と楓も文句を言う事は無いでしょう」
「……しっかりと嫁の尻に引かれているんだな」
陣内と渋沢は日本総合工業の代表専用の飛行船を使って、北欧に視察に行く事になった。
現地で美女とのアバンチュールを期待した二人だが、沙織と楓は甘くは無かった。
一番下の真樹は三歳になって、上の子供は七歳になっている。そして家族全員で、北欧に観光旅行する事になってしまった。
子供は大はしゃぎだったが、陣内と渋沢はどこか肩を落としていた。
(2013. 7.21 初版)
(2014. 3.16 改訂一版)