日本は清国に兵を派遣する傍ら、国内改革や海外工作も行っていた。

 今回の義和団の乱は、国の存亡に関わる重大事では無いので当然の事だ。

 当事者は自らの生死に関わるので必死だろうが、一事だけに専念する程、国家という存在は甘くは無い。


 日本は当初から大規模選挙区制を導入し、一票の格差を最初から生じさせないような仕組みを採っていた。

 汚職した場合は本人の処罰は当然だが、選挙区に割り当てられる立候補者数を削減するなど、選んだ側の連帯責任も明確にしている。

 この当時は納税額によって選挙権の有無が決まっていた。つまり一定額以上の税を納めていない国民には選挙権が無い。

 今回の制度変更は直接国税が15円以上の人に選挙権があるという規定を、10円以上という形でハードルを下げた。

 しかし天照機関の方針としては、さらにハードルを下げても国税を納めていない国民の選挙権を認める気は無かった。


 産業促進住宅街は生活に困った人達を保護する役割がある。そこに入居すれば、少なくとも食事や住宅に困る事は無い。

 個々人の状態によっては、老人介護や街の清掃などの仕事が義務付けられるが、生きてはいける。

 少なくとも日本国内で餓死する事は無く、人としての最低限の生活は保障している。(自国民のみ。他国籍は特別許可が必要)

 しかし保護した上に、選挙権までも与えるつもりは無かった。

 それが嫌なら這い上がれば良いだけだ。過保護は人を堕落させる事を、天照機関のメンバーは良く知っていた。

 その為に国民を大切に考えても、手厚過ぎる保護は実行していない。国際社会もそうだが、世間に出れば荒波に揉まれる運命にある。

 手厚い保護で国民の向上心を失わせて、自ら国際競争力を弱めるような愚かな行為をする気は無かった。

 それは他国との関係にも言える事だ。

 友好を求める為に他国に甘い事を行い続けると、勘違いを起こす事は国家間でも有り得るのは史実が証明していた。

 その為に同盟国や友好国に支援はしても、甘過ぎると思われる事はしなかった。それはお互いの為でもあった。


 教育も同じだ。スポーツ導入を進めて団体行動の規律を学ばせているが、過保護な教育は許可しない。

 過保護な教育は子供を堕落させる。落ちこぼれが出ても、それに合わせるような教育を行う予定は無い。

 子供を不条理な暴力から守り、自由な発想を伸ばすような教育は必要だが、子供の権利を無制限に認める気も無い。

 史実では、子供の権利を過剰に守り過ぎた為に事なかれ主義が蔓延して、子供が教師に暴力を振るう事件が多発した。

 それと子供同士の差別が増えて、スクールカーストと呼ばれる格差が生まれて、学校崩壊に繋がった。

 まだ自我が確定していない子供の主張を無制限に認めた結果だ。これを防ぐ為に子供の安全は守るが、教師の権利と権威も守る。

 利己的な教師は懲戒免職を含む厳しい罰則がある代わりに、生徒への体罰はある程度は認めている。

 学校で思いやりやマナーを学ばせるのも大きなウエイトを占めているが、競争意識も合わせて学ばせる方針を採っていた。

 過保護な親が学校に怒鳴り込んできた場合は、馬鹿な親に厳しい制裁を加える事まで検討されていた。


 天照機関は民主主義を理想の体制とは考えていなかった。衆愚政治に為りかねない危険性が高かったからだ。

 史実でも二十一世紀になって民度が上がったと言われたが、それは公共マナーの分野であって、扇動に弱い面は十分に残っている。

 島国の特性かも知れないが、際限なく大衆の望むがままに進んでモラル崩壊を起こした実績もある。

 結局は何処かで規制を行わないと、各自が己の利益を求めて暴走するリスクが高い。専制政治もそうだが、民主政治も危険がある。

 だからこそ、皇室直属の特務機関【天照】を立ち上げ、独自の予算と特別権限を持つ事で国政に関与してきた。

 国内は開発が進んで生活が落ち着いてきた為に介入の頻度は減ってはいるが、海外工作は議会に任せられないと考えていた。

 国内政治なら衆愚政治でも良いだろう。間違いは己自身に返ってくる。馬鹿な要求を行った国民自身が被害を受ければ済む事だ。

 しかし外交ではミスが許されない事もある。そんなシビアな内容を、今の日本の政治家に求めるのは無理だと悟っていた。

 天照機関主導の政治では、今は良くとも将来的に独裁政治になる可能性が十分にある。

 その危険性を孕んでいるが、将来的にどのような政治体制が良いのかはまだ結論は出ていなかった。


 厳しい言い方をしたが、海外工作には適当で良いものもある。

 四月に予定されているパリ万国博覧会は日本政府が管理して、様々なアピールを諸外国に対して行っていた。

 ちなみに、陣内は一切関与していない。協力会社の理化学研究所と淡月光が出展しているが、その内容は全て部下に任せていた。

 さらに天照機関は二回目のオリンピック(パリ五輪)にアジアや中東、アフリカに呼び掛けが無い事から、独自に同盟国や友好国との

 関係を深める為にも、アジア・中東・アフリカ、南米を対象にした国際スポーツ競技会と武道大会を開催する準備を進めていた。

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 北京には八旗や北洋軍を含めて約四万人の兵力が集められていたが、相次ぐ連敗によって士気は地に落ちていた。

 その結果、八ヶ国混成軍は僅か一日で北京を陥落させた。上空に五隻の飛行船が居た事も、大きく影響しているだろう。

 この時代、戦争に敗れた方の末路は悲惨だ。ある程度の虐殺や略奪は行われるのが常だった。

 今回も列強の七ヶ国の混成軍が略奪に走ろうとした時、それを制止した兵士が居た。


「邪魔だ! そこを通せ!!」

「駄目だ! 紫禁城と周囲一帯の略奪は禁止すると総司令官の命令が出ているぞ! ここは通さん!!」


 篭城している公使館地域に日本は五百人の部隊を派遣していた。(陽炎機関のメンバー百人を含む)

 彼らは事前に上から指示を出されており、北京陥落後は列強の略奪を防ごうと、紫禁城の文化遺産の保護を行っていた。

 史実では紫禁城の文化財の多くが海外に流出し、欧米の兵士では理解できない貴重な文化遺産の多くが失われた。

 貴重な文化遺産をみすみす失わせる訳にもいかないと、天照機関は工作を進めていた。

 しかし、主だった文化財の略奪は防げたが、周辺一帯までは手が回らなかった。

 その為に、混成軍の兵士による北京の婦女子への暴行や民家の略奪は行われ、その様子は第三国の記者に記録されていた。


 清朝の最高権力者の西太后は、甥の光緒帝を連れて北京を脱出していた。

 陽炎機関のメンバーが身の安全を保障したが、西太后は信じ切れなかったからだ。

 その代わりに、史実では光緒帝の愛妃珍妃が宦官によって井戸で殺害されたが、それは防いでいた。

 別に天照機関は西太后が恐れたように、珍妃を第二の西太后にする気は無い。単に目覚めが悪くなる程度の理由で助けただけだ。

 それに西太后と光緒帝が居なくても、清国側の交渉相手さえいれば良い。

 こうして北京はあっさりと列強の軍隊に占拠されたが、日本軍が見張っていた為に大規模な略奪は発生しなかった。

 この後、北京議定書が結ばれて清国が調印するまでの約一年間、北京は列強の軍隊に占拠されたままの状態になっていく。

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 北京周囲の騒乱とは別に、世界各地で色々な動きが活性化していた。


 ニュージーランドでは『白鯨』によって武器や弾薬の補給が絶たれ、現地の入植者は次々とマオリ族の襲撃に遭っていた。

 今まで彼らを騙して土地を奪って支配していた経緯があり、マオリ族は入植者に激しい憎悪を持っていた。

 その怨みを晴らす時だと、自らが傷つくのも恐れずにマオリ族は入植者に激しい攻撃を行っていた。

 数の上では入植者の方が多いが、銃を使えなく接近戦に弱い彼らは対抗する手段が無くて防戦一方になっていた。

 敗北すれば死。それだけでは済まずに大事な家族も、殺されるか慰み者にされて奴隷にされてしまう。

 嘗て彼らと先祖が行ってきた事だが、いざ自分と家族の身に降りかかるとなると必死になる。

 しかし文明の利器を使えなくなった入植者は、次々と数に劣るマオリ族に敗北を重ねていた。


 インドやアジア地区でも反乱が相次いでいた。イギリス帝国は南アフリカで戦争を行っており、中国では混乱が相次いでいた為だ。

 そしてフィリピンやインドネシアの独立に続けと、現地の革命勢力を勢いづけていた。

 しかし支配者である列強は強烈に弾圧した。現地の神とか祟りとか色々とあり、少なからず動揺していた部分はあったが、

 此処で甘い対応をすると後々まで混乱が長引くと予想していた事もある。

 各地の革命勢力は日本に支援を頼んだが、時期を待てと断られた。過酷な搾取を受け続ける現地の人達にとっては、独立は悲願だった。

 しかし、それは実現する事無く、呆気なく列強の軍によって粉砕されていった。


 中東でも動きはあった。貧しい地域の為に海外の注目度は低かったが、それでも当事者にとっては大きな変化だ。

 リヤドを奪還したサウード王家が、次々と各地の拠点を押さえていった。

 その原動力は【出雲】からの支援だ。トラックを使って、補給や機動力を増していた事も影響している。

 そして【出雲】はサウード王家との密約に基づき、西と南に国境線をさらに伸ばしていった。


ウィル様作成の地図(出雲周辺版)

 南アフリカでも動きはあった。増援の一部を『白鯨』によって失うなどの被害をイギリス軍は受けていたが、それでも他に支援が無い

 ボーア軍を追い詰めて、遂にオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンとトランスヴァール共和国の首都プレトリアを占領した。

 首都を落とされたからには、敵の降伏は時間の問題だろうと思われた。

 しかし、オレンジ自由国とトランスヴァール共和国の兵士、ボーア軍は新たな拠点を構築して、イギリス軍の補給と通信を絶つ

 ゲリラ戦法に切り替えていた。

 イギリス軍司令のホレイショ・キッチナーによりボーア人の強制収容所が置かれ、そこで数万人が死亡した。

 さらにイギリス軍は広大な農地や家屋を焼き払う焦土作戦を実行し、両者の反目はさらに広がっていた。

 イギリス軍はオレンジ自由国とトランスヴァール共和国の点を占拠したが、面を占拠した訳では無い。

 ボーア軍のゲリラ活動ができる下地は十分にあり、それがイギリス軍に多大な出血を強いていた。


 ある地域では多くの血が流れていたが、平和で活気に満ちていた地域もある。

 ハワイ王国、東方ユダヤ共和国、タイ王国が該当する。

 オスマン帝国、エチオピア帝国、イラン王国、フィリピン、ペルー、インドネシアは平和とは言い難いが、

 それでも大規模な混乱は発生せずに、徐々に近代化が進められていった。

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 清国の最高権力者である西太后は、甥の光緒帝を連れて都落ちしていた。西太后はアロー戦争の時にも都落ちしているので、二回目だ。

 その途中、西太后は『扶清滅洋』を掲げて清国を助けようとしていた義和団を弾圧する命令を出していた。

 つまり、今まで共闘していた義和団を切り捨てた。西太后にしてみれば、義和団はヤクザのように見えていたかも知れない。

 さらに『中華の物力を量りて、與国の歓心を結べ』と言って、金に糸目をつけずに列強と和議しろと、李鴻章に命令を出していた。

 要は自己保全を最優先にして、その為には国内の様々な権益や富を手放すのを許容した。

 日本人はどちらかと言うと、華々しく散る方に美学を感じ、しぶとく自らの権勢にしがみつくのを良しとしない風潮がある。

 しかし、文化が違えば常識も異なる。日本人が西太后の行為を糾弾するのは、内政干渉に近い行為だろう。

 日清戦争の時には前代未聞の海軍艦艇の敵前逃亡を行った清国、いや中国の常識は普通の国では理解できないのかも知れない。


 それでも今回の義和団の乱を、単純に欧米に反発した暴徒だと早合点するのは不公平だろう。

 それ程までに列強は傲慢に清国を食い物にして、現地の宗教を否定して横柄に振舞った。

 逆に言えば、そこまでされて怒り出さない人間などいないはずだ。彼らの起こした事は、彼らの立場では当然の事だ。

 事実、欧米のある人が『自分が清国人だったら、義和団に参加しただろう』と感想を述べている。

 しかし、時代は人道主義では無くて、帝国主義が全盛だ。彼らの主張が認められる事は無かった。

 さらに言えば、今は弱者で哀れに見えても、彼らが力を得れば横柄に振舞う事は史実から判明している。

 だからこそ、天照機関は彼らに救いの手を差し伸べる事は無かった。まずは日本が生き延びる事を最優先に考えていた。

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 北京は列強八ヶ国の混成軍によって占拠されていたが、平安を取り戻しつつあった。しかし依然として周辺で戦闘は続いていた。

 清王朝から「拳匪」とか「団匪」と呼ばれて、反乱軍と認定された義和団の討伐戦が相次いでいたのだ。

 清国政府軍は元より、列強の進駐軍も討伐に加わった。

 ドイツからヴァルダーゼー元帥率いる数万人の兵力が増強されて連合国総司令官になると、北京周辺の掃討作戦を開始した。

 その回数は実に80回にも及んだ。しかし、この掃討作戦は連合軍にも多大な犠牲を強いた。

 いかに連合軍が装備で上回っても、義和団の抵抗は挫けなかった。それだけ彼らの列強に対する怨みが深いという事なのだろう。

 その結果、圧倒的な強さを見せ付けた連合軍だったが、占領地支配の困難さに気がついた。

 司令官ヴァルダーゼーの『列強の力を合わせたとしても、中国人の四分の一でも治めるのは困難であろう』という言葉に集約される。

 こうして列強の一部では、中国に進出するリスクを懸念する国が出てきていた。


 そんな苦悩を他所に、ロシアとアメリカの清国の進出は着実に進められていた。

 ロシアは満州を本気で支配するつもりで、拠点の構築に取り掛かっていた。

 少しでも早く、要塞や工場群、住宅群、皇帝用の宮殿を建設するようにと指示が出され、急ピッチで建設が進められていた。


 アメリカもフィリピンから増援を追加で送り込み、江蘇省の連云港一帯の支配を強化していた。

 何しろ陸軍将官の大半は、インディアの虐殺を行った猛者だ。

 フィリピンやインドネシアで戦い損ねた鬱憤を、現地で発散させているかのような苛烈な攻撃や虐殺が行われていた。

 そして現地の労働力を使って、要塞や工場などの建設を急ピッチで進めていた。


 清国の各地方は西太后の命令に従わずに、列強との戦端を開かなかった。その為に、被害は無い。

 そして西太后が列強に屈服したのを知ると、さっそく列強との関係改善に動いていた。


 尚、これらの列強の略奪や虐殺は、第三国の記者によって秘かに記録されていた。

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 北京議定書と呼ばれる、今回の清国と義和団の戦闘の事後処理に関する会議が行われた。

 今の北京は列強の混成軍が占拠している。最初から遠慮の無い高圧的な要求が、清国側に突きつけられた。


 最初は義和団に殺害されたドイツ公使と日本書記官に対する謝罪と賠償だ。これについては当然の事であり、あっさりと決定した。

 清国の武装解除や各列強が支配している沿岸部から北京へのルートの占領権も決定された。(日本は領土を持っていないので無関係)

 これは完全に清国の国権を無視した内容だが、列強は譲る気は無かった。

 一部は清国の警察権を奪う内容までも含まれている。しかし、今の清国に列強に抗議する力さえ無かった。

 この他には国内の排他的組織の不許可や、科挙試験の禁止など完全に内政干渉に相当するものが盛り込まれていた。


 最後に揉めたのは賠償金の金額だった。日本を除く列強が提示したのは、実に4億5000万両。

 年利4%として39年間の分割払いだが、利払いを含めると8億5000万両という膨大な金額になる。

 この時代の清王朝の年間予算が1億両未満である事を考えると、天文学的数字と言えるだろう。

 当然、清国は難色を示した。払えるはずが無いというのが本音だ。しかし列強は譲らなかった。

 そこに介入したのが日本だ。清国と義和団が犯した罪は許し難いものがあるが、過酷な支配を行った列強にも問題はあると提起した。

 列強は日本の反論に激高したが、日本も引き下がる訳にはいかない。他の手前もある。

 清国を擁護するのでは無く、植民地支配を進める列強の手法に問題があると痛烈に批判した。

 一度、会議は御破算に為り掛けたが、戦功第一の日本の発言を無視する訳にもいかずに、賠償金の金額は約四分の一に減額された。


 日本の発言は清国にとって天の救いと思える内容だ。まさか日本が清国寄りの発言をしてくれるとは思わなかった。

 そこに日本は付け込んだ。紫禁城とその周囲一帯にある貴重な文化財の保護についてだった。

 現在の清国に貴重な文化財を管理する能力は無く、補修が必要なものもある。しかし費用が捻出できずに放置されている。

 そう言って、可能な範囲で文化財の管理を日本に任せるように要求した。当然、所有権は清国にある。

 台湾に巨大な博物館を建設して、そこに紫禁城の文化財を展示する。管理者として清国は三十名の人員を派遣する。

 清国からの見学者の入国は無条件に認めるが、不法入国が一人でも発覚すれば、無条件入国は見直す条件だ。

 さらに美術品の修復技能や、現在において国宝級の腕を持っている職人を多く受け入れると提案した。


 李鴻章は悩んだ。紫禁城の貴重な国宝級の美術品や文化財を国外に持ち出す事を認めるなど、国辱ものだ。

 しかし現実は日本軍が連合軍の略奪を防いだからこそ、美術品や文化財が守られたという実績がある。

 それに現在の清国では、満足な管理もできない。所有権は清国にあると正式に発表し、見学は自由にできる。

 国内の高度な技術を持つ職人を多く受け入れるという事にも心を動かされた。そして結局は日本の提案を承諾した。


 紫禁城の貴重な美術品と文化財は、何としても保護したいと日本は考えていた。

 所有権は清国にあっても管理権は日本にある為に、移動は日本の同意が無いと出来ない。

 清国人の不法入国が増えるリスクはあるが、台湾に限定してある事と、一度でも発覚すれば制度を見直すという提案も通っている。

 何より貴重な職人が手に入る事は、将来的に産業を興す事も可能になる。

 他の列強は紫禁城の文化財にあまり興味を示さなかった為に、問題無く決定された。


 こうして減額はされたが巨額の賠償金と、清国における様々な権利を列強は手にした。

 一方、日本は賠償金を得たが、その大半を紫禁城の文化財の保護に当てる事を正式に表明していた。

 日本が列強の植民地支配に抗議したのが広まり、日本は文化財の保護や弱者救済に熱心という評判が立っていた。


 後日、日本は会議に出席した各国代表と個々に会談を行った。植民地支配に関してだ。

 あまりに過酷な搾取は、結果的に税収も伸びずに管理費や維持費だけが際限なく上昇するだけだと説明した。

 その時にベトナムの実例をあげた。

 ベトナムはフランスの植民地だが、日本の淡月光の工場によって経済が活性化してフランスの収入も結果的に増えている。

 出来るところと出来ないところがあるが、一考の余地はあるのでは無いかというものだ。

 友好国との関係もあるので、日本の立場を理解して欲しいと要請した。(李氏朝鮮や清国に関しては、無干渉方針を維持するとも説明)

 帝国主義全盛であり、人種差別が公然と行われている時代だ。

 日本の主張は全面的に受け入れられるものでは無いが、列強は日本の立場を少しは考慮すると答えただけに留まった。

 何と言っても今の日本と揉めることは出来るだけ避けたいと、列強も考え出していた事が大きく影響している。

 こうして日本は有色人種寄りの立場を明確にしたが、全ての有色人種に対して支援する事は無いという事も同時に態度に出していた。


ウィル様作成の地図(日本周辺版)

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 清国が敗北を受け入れて屈辱的な講和条件を呑むと、色々と大きな影響が出るようになっていった。


 まずは清国の為に蜂起した義和団を西太后が切り捨てた事が知れ渡ると、国民は清王朝に大きく落胆した。

 そればかりでは無い。国民の意識が『扶清滅洋』から、『掃清滅洋』(清を掃〔はら〕い洋を滅すべし)に切り替わった。

 その為、以前は自分が潰した西洋化を西太后が推し進めようと考えても、同調する人間は少数だった。

 その結果、清国の近代化は成功しないまま、終焉を迎える事になる。


 北京の公使館一帯の警察権を列強に渡したり、沿岸部から北京までの各拠点に駐兵権を認めた事で列強の清国支配が進み、

 住民との争いが激増していた。(日本は清国内部に租借地や領土を抱えていないので無関係)

 史実では日本も駐兵権を得た事が盧溝橋事件に繋がっていくのだが、今回は日本に駐兵権は無い。

 言い換えると、他の列強がそのような事件に巻き込まれるのだろうが、現時点で未来を見通せる者は誰もいない。


 賠償金は1億1000万両まで減額されたが、それでも今の清国にとって巨額な賠償金である事は間違い無い。

 それは国民への重税となって現れ、『掃清滅洋』の意識と共に、清王朝の滅亡へと繋がっていく。


 あまり表面上には出て来なかったが、清国内部において袁世凱の影響力が大きくなっていた。

 袁世凱は配下の新建陸軍を義和団の鎮圧に当てた為に、列強との争いの中で大きな損害を受ける事は無かった。

 他の競争相手が列強相手の戦争で甚大な被害を受けた事もあり、相対的に袁世凱の勢力が増していった。

 翌年に李鴻章が没する事で北洋大臣と直隷総督を引き継ぎ、北洋軍を立ち上げる事で、力をさらに伸ばしていった。

 ちなみに袁世凱は漢民族だ。清王朝は満州族の王朝だが、漢民族である袁世凱の勢力増大は何かを暗示しているのかも知れない。


 北京議定書により、清国は海外から武器弾薬やその原材料の輸入を停止させられた。

 それは清国に武器弾薬や消耗財を輸出して、資源を獲得してきた日本にとって大きな痛手だった。

 資源は他から入手できるが、清国との取引は旨味があったからだ。

 とは言え、二度と清国に武力を持たせたくは無いという列強の思惑も理解できる。

 そして列強との折衝の結果、清王朝では無く、列強と結びついた各地の有力者への武器の輸出は継続される事になった。

 従来よりは取引量は減るが、それでも全て無くなるよりは良い。

 こうして各地の有力者や軍閥との経済的な結びつきは、深まる傾向にあった。


 莫大な賠償金の減額を申し出て、紫禁城の文化財の保護を申し出た日本の評価は分かれていた。

 清国に武器を売ったのは日本の責任だとして、態々賠償金の減額を提案した日本を非難する声が列強には多かった。

 しかし、公使館地域の非戦闘員を真っ先に保護して、増援を送り込んだのは日本だ。

 飛行船を使った支援や、自走砲による遠距離射撃で混成軍の被害を極力抑えた事が公表されると、非難の声も小さくなっていった。

 列強で日本に好意的な評価を下した人間は、善良な人間で少数派に過ぎなかった。列強の大部分の人達は、渋々と納得した。


 そして当事者である清国内での評価も割れた。

 武器を清国に供与していたにも関わらず、日本が清国につかずに列強の立場になって参戦した事を批判する人間が多く居た。

 そんな彼らに、最初に日本の書記官を殺害したのは義和団だと説明すると、反論は無かった。

 賠償金の減額を日本が提案した事は、全般的に好意的に受け止められた。

 しかし紫禁城の美術品と文化財の管理権を持っていく事には大きな批判があった。まあ、当然の事だろう。

 だが紫禁城と周囲一帯を列強の略奪から守った事が知れ渡ると、批判の声も徐々に小さくなっていった。

 史実では日本軍は大量の馬蹄銀や玄米を鹵獲したが、それさえも今回は全て清国に渡された。

 所有権は清国にあり、何時でも見学は自由。そして管理は清国から選ばれた人間が行う事も、批判の声を小さくしていた。

 さらに高度な技能を持つ職人を受け入れると発表した事も、大きな反響があった。

 日本は清国からの民間人の移住を厳しく制限している。それが職人に限っても解除される事は驚きだった。

 今の清国は生き辛くなってきているから尚更だった。

 偽善かも知れないが、日本は清国全体には冷淡な態度を取りながらも、悪い評判は立たないように苦心していた。

 そして清国、いや中国人の敵意を日本では無く、他の列強に向けさせるように仕組んでいた。


 一方で、雲南省の周辺では回族の軍事訓練を行ったり、チベットの工業化を秘かに進めるなどの工作も行われていた。

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 義和団の乱が一段落して戦後処理もほぼ固まったので、天照機関は今後の対応について協議していた。


「清国については予想通りの展開になったな。列強は一段と清国の中に入り込んだ。特にアメリカとロシアだな。

 今後、彼らがどう中国人と関わっていくかが楽しみだよ」

「ロシアは満州を、アメリカは江蘇省の連云港一帯を支配し始めた。どちらも要塞や工場を建設し始めているし、撤退しないだろう。

 その結果、義和団のような反乱が再び起きるだろうな。史実で日本が苦しんだ道を歩もうとしている」

「ロシアはシベリア鉄道をバイカル湖を除いて開通させたから、満州に欧州から兵力を送り込んでいる。

 義和団もそうだが、やはり史実と歴史が乖離し始めた。注意が必要だな」

「二〜三年が勝負どころだろう。ロシアやアメリカの暴走を、イギリスが警戒している。史実より早く同盟締結があるかも知れん。

 もっとも、イギリスと本当に同盟を結んで良いものか、まだ結論は出ていないからな」

「今ならイギリスの手を借りなくても、ロシアに勝てる。

 それに同盟を結ぶという事は、第一次世界大戦に日本が巻き込まれる。同盟を結ぶのは良いが、内容は吟味しないと拙いだろう」

「今回の北京議定書で、日本は領土欲が無い公正な国だという評判が広がった。これを今後の拡張に結び付けたいものだ」

「それもあるが、紫禁城の美術品と文化財保護の件は大きく日本の評価を改善させている。

 我が軍が略奪を行わなかったばかりか、略奪を制止した事も世界に知られているからな。

 こういう評価は得がたいものだ。今後の外交政策に大きく影響してくる」


 今回の義和団の乱に日本が派遣した兵数は少なかったが、飛行船や自走砲を用いた事で戦功は第一という評価を得ていた。

 最大兵力を派遣したアメリカは不満だったが、事実なので反論できない。

 そのアメリカは強引に『門戸開放』を主張して、他の列強に江蘇省の連云港一帯の領有を認めさせていた。

 一方、戦功第一の日本が得た利益は表面上は少なかった。

 しかし、紫禁城の美術品と文化財の保護の件は、後々で大きな影響力を持つだろうと考えられていた。

 文化財泥棒の汚名を被りたくは無い為、紫禁城の財宝をネコババする気はまったく無い。

 しかし、史実の故宮博物館に相当する『中華博物館』を台湾に建設し、そこに紫禁城の文化財を展示する事は大きなメリットがある。

 日本国内における文化研究の推進や、観光名所としての発展が見込まれている。

 さらには高度な技術を持つ職人を受け入れる事で、彼らの技術を日本国内に継承するメリットもある。

 近代化とは工業化だけでは無い。音楽や美術、このような工芸分野の発展も必要と考えられていた。

 それに諸外国の日本の評価を高めるという効果もある。別に有色人種の盟主になる気はまったく無いが、

 列強の横暴を告発し、植民地支配される側に立った発言は日本の評価を高める役割を果たしている。


「今回の義和団の乱で得た利益は大きくは無いが、諸外国から得られた信用は大きい。

 台湾に『中華博物館』を建設して、紫禁城の文化財を展示する事は色々と今後に役立つだろう。

 国内の工芸技術も向上するだろうし、先が楽しみだよ」

「同盟国や友好国も、今回の日本の行動を高く評価しています。今後に関係を深める為にもかなり良い結果になりました。

 ですが、我が国と協力関係を結んでいないところでは、評価は下がりますけどね」

「それは仕方の無い事だ。我が国は支援の手を差し伸べるところと、差し伸べないところを明確に区分している。

 支援が無い国にしてみれば、多少は恨みたくもなるだろうな。特に清国と李氏朝鮮はな」

「中華主義や事大主義が無ければ、支援を行えたのだがな。支援をして今のうちから教育改革を進めれば、将来の友好国になれた。

 しかし中華主義や事大主義を消し去るという事は、今の上層部や権力層にいる人間を全て粛清しなくては為らない。

 現実的には無理だから改善する見込みは無く、関係を遮断する方針に決定した。先祖の因果とはいえ、哀れなものだ」

「そこまで日本が支援する義理も無い。それこそ、内政干渉だと言われて反発されるだけだ。

 経済関係が深まると、問題が起きた時の被害は大きい。だったら、最初から関係が無い方が良い。

 聖徳太子や福沢老の示したように、彼らとは関わらない方が賢明だろう」

「どの国も自国に都合が良い歴史解釈をしている。それは我が国も例外では無い。

 そして中華主義や事大主義を消し去るという行為は、彼らの権利を奪うという事だからな。

 結局は各民族の独自性を尊重するしか無い。変に介入して怨みを買うと、後々の大きな問題となるからな」

「将来に問題となる国家と友好を深める意味は無い。それより遠くても、将来的なメリットがある国家と友好を深めた方が良い。

 信頼できる同盟国や友好国を増やせば、我が国の国際発言力は強化できる。その準備は着々と進んでいる」


 隣国が信頼できる国の方が好ましいのは間違いない。

 しかし事大主義を信奉する国家では、何時裏切られるか分かったものでは無い。

 だからこそ、東方ユダヤ共和国を朝鮮半島の南部に建国した。

 完全に信用するには時期尚早だろうが、契約を重んじるユダヤ人が進んで裏切る事は無いだろうと考えたからだ。

 そして今の清国は支援を受けたいから腰は低いが、中華主義の信奉者である彼らが力を得れば、周囲を威圧するのは間違い無い。

 それが分かっているからこそ、自分の首を絞めるような事をする気は無かった。

 現在の日本は世界の荒波に翻弄されるだけの存在では無い。

 荒波を防ぐ防波堤を用意して、さらに荒波の中を自由に動き回る力を持っていた。


「海軍の艦艇の数が揃ってきて、厚みが増してきた。『夷隅級』『高滝級』『平沢級』は素晴らしい艦だ。

 しかも極秘裏に訓練を行っている『神威級』と『風沢級』は【出雲】の分を含めて四隻ずつにまで増えた。

 これも激安価格で用意してくれた陣内君のお陰だ。感謝しているよ」

「……こんな情勢ですから利益を度外視して協力はしますが、あまりに過激な値引き要求は勘弁して下さい。

 この前、うちが海軍に卸している価格と海外に販売している価格の差を知った海軍将官が目の色を変えて、知り合いの業者を介して

 売ってくれないかと談判しに来た時は困りました。うちが海軍に卸している価格は赤字覚悟なんですからね。

 それに海軍への販売価格が公になると、外交問題になる可能性もあります。十分に注意して下さい!」

「す、すまん。海軍には厳重に注意しておく。しかし、他で利益は出ているんだろう?」

「陸軍や海軍に納めた飛行船は、艦艇と同じく赤字です。列強に売った時は巨利が出ましたけどね。

 しかし、ロタ島やチャーン島、ケシム島とラーラク島、今はリアウ諸島とシムルー島の開発に巨額の費用が掛かるんです。

 列強のダミー商社の利益の一部を回していますが、あまり無理な要求は控えて貰いたいですね。

 国内外の孤児院や産業促進住宅街の維持費も支援しているんです。そこら辺も考えていただけませんか?」

「……すまん」

「日本総合工業には武器弾薬や、燃料の価格も協力して貰っている。フィリピンの革命組織や北部アチェ王国の武器も陣内君の手配だ。

 それに潜水艦隊と『白鯨』の管理もだな。潜水艦隊は第三部隊からこちらの管轄になったが、第一と第二部隊は陣内君の管理のままだ。

 あまり無理を言うものではない。世界の流れが史実と乖離し始めたから、注意が必要なんだぞ。

 コスト意識が高まるのは結構だが、限度を弁えるように。

 これ以上、陣内君の仕事を増やして陛下の可愛い孫が不満を溜めるようになったら、とばっちりが何処に行くのかを考えるんだな」

「!! わ、分かった」

「アメリカで初の潜水艦が史実より早く就役したそうだな。シベリア鉄道も史実より早く建設が進んでいる。

 この分だとロシアとの開戦も早まる可能性がある。少しでも早く、我々は準備しなくてはならない!」


 日本は領土欲が無い訳では無い。人口の多い中国への進出は最初から考えなかったが、過疎地は別だ。

 今の日本なら地球上の何処でも開発は可能だ。ただ、外聞もあって今は控えているだけだ。

 これから対ロシア戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こるだろう。

 これらの戦争において領土の拡張も検討され、その準備も進められていた。

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 今回の義和団の乱の結果について、大半の国民は悪くも無く、良くも無くと判断していた。

 列強は様々な権利を獲得したが、日本は賠償金だけだ。しかし、その事に文句をつける国民は少数だった。

 賠償金の金額が大きかった事もあるが、日総新聞や日総出版が繰り返して大陸の狩猟民族の生活習慣や風習を伝えていた為だ。

 度重なる報道は、日本の国民に中国大陸に進出するリスクを十分に認識させていた。

 しかし、不利益を被る人達もいる。主に財閥系企業に関係する人達だ。

 清国に輸出する武器の総数が減って減益が予想されている。地方への武器輸出は続けられるが、それでも総量で減る事は間違いない。

 しかし一般国民にあまり影響は無かった為に、大きく問題視される事は無かった。


 それより一部の人間には、紫禁城の貴重な美術品と文化財を台湾に建設する博物館で保管するという発表の方が注目された。

 何と言っても中国歴代王朝の秘宝ともいうべき歴史的な美術品と文化財が、自由に見学できるようになる。

 一部の美術愛好家にとっては朗報だ。

 さらに『良い仕事してますねぇ』というくらいの鑑定家を育てる機関を、台湾に設立する事が正式に発表された。

 これにより台湾は工業化も進める一方で、芸術の都としても発展していった。

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 イギリスは世界に覇を唱える世界帝国だが、それでも限界はある。

 義和団の乱は比較的短期間で終了したが、南アフリカの金やダイヤモンドの鉱山権利を巡るボーア戦争は未だに続いていた。

 現地に約二十三万人もの大軍を投入して敵の首都を占拠したのだが、敵はゲリラ活動に切り替えてイギリス軍の出血を強いている。

 これはイギリスにとって予想外の出来事だった。継続的な補給が必要になるが、『白鯨』の為に失われる船舶が増えているのだ。

 この件について、イギリス帝国の上層部は対応に悩んでいた。


「ボーア軍がゲリラ活動に切り替えるとはな。これでは何時になったら制圧できるか、まるで予測できん!

 オランダ人の血を引くだけあって、忌々しい奴らだ!」

「戦争のルールも弁えない輩には困ったものだ。早々と降伏すれば良いものを、ゲリラになってまで抵抗するとはな。

 海上輸送路の被害は人員が約二万名と補給物資が多数か。これでは金やダイヤモンド鉱山の権利を得ても採算が取れるか怪しいぞ」

「そうは言っても、我がイギリス帝国がボーア軍に二度も敗れる事があっては為らぬ。ここまで来ると面子の問題にもなる。

 他の植民地支配の箍を緩めさせない為にも、必ず勝利する必要がある!」

「幸いにも義和団の乱は短期間で決着がついた。賠償金が少ない事に不満はあるが、清国での権益も拡張できたから良しとするか。

 それにしても分からんのは日本だ。清国の内陸部に進出しないから、関与するのを嫌がっていたかと思えば、兵士数こそ少なかったが、

 飛行船や自走砲などの最新兵器を投入して、戦功第一の評価を得ている。篭城していた非戦闘員を真っ先に救出したのも評価できる。

 新聞社を使って清国に関わるなと国民を誘導しておきながら、土壇場で賠償金の減額という救いの手を差し伸べている。

 美術品と文化財の保護を申し出た事もだ。しかし李氏朝鮮を含めて清国人の国内居住を公式には認めていなかった。

 日本は清国を嫌っていたのでは無かったのか? どういう事なんだ?」


 イギリスを始めとして、各列強は日本の行動を怪しんでいた。清国に進出しないかと思えば、支援の手も差し伸べる。

 欧米の考え方では今の日本の行動を理解する事はできなかった。

 唯一、清国の貴重な美術品と文化財の保護を申し出た事は、かなりの賛同者があったのも事実だった。


「日本は植民地の過酷な搾取を止めて、穏やかな統治に切り替えるべきだとベトナムの例を出してきた。

 ベトナムは日本からの工場の進出によって経済規模が拡大して、フランスの収入増につながったとな。

 しかし、あそこは例外だ。植民地を甘やかすと反乱に繋がるだけだ。日本は有色人種の盟主になろうとしているのか!?」

「いや、それは無いだろう。日本は支援する国と、支援しない国を明確に区分している。

 実際に李氏朝鮮や清国については、以後は関与しないと非公式に表明している。

 しかし、我々の支配を当てこすった事は間違い無い。恐らく、今の友好国に対するポーズだろう」

「うむ。イラン王国やペルーの近代化に支援はしているが、我が国の権益を侵そうとしない事は評価できる。

 インドはまったくのノータッチだ。恐らくは自分たちの分というものを理解しているのだろう。

 マラッカ海峡の要衝のリアウ諸島に要塞を建設しているが、我々の船舶の航行の自由は保障すると言っているくらいだ」

「オスマン帝国やエチオピア帝国、イラン王国の軍備を拡張しているのは、少々気になるがな。

 それはそうと、日本が同盟国や友好国と共同で国際スポーツ競技会と武道大会を開催しようとしているらしい」

「国際スポーツ競技会と武道大会だと? それは初耳だ。どういう事だ?」

「二回目のオリンピックがフランスで開かれたが、招かれなかった事で自分達で開催しようという目論みらしい。

 まあ、有色人種が何処まで出来るか見ものだがな」

「その程度は好き勝手にやらせれば良い。それより日本と同盟を結ぶべきかを判断しなくては為らん。

 紫禁城の篭城の時に、かなり日本軍に助けられたから、現地の評判は良い。今後をどうするかだ」

「以前から飛行船を含めた日本の技術には注目していた。今回は略奪を一切しなかった事は、かなり評価ができるだろう。

 日本が西太平洋全域を抑えている事もあるし、今の我が国はボーア戦争の為に余力は無い。

 ロシアやアメリカが我が国の権益を侵さないように、現地に近い日本を使って保険をかけておくべきだろう」


 史実でもボーア戦争が継続中という事と、義和団の乱が日英同盟の締結の契機になった。

 今回は少し前から日本の技術に注目していた事もあり、イギリス側で同盟締結の動きが加速していた。

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 ロシアは義和団の乱に乗じて満州全域を占拠して、各施設の建設を進めるなどして支配を強めていた。

 以前にロシアは沿海州を清国から得ている事から、北京議定書の会議の時に満州からの撤退要求が他の列強から出されていた。

 表面上は承諾したが、ロシアは満州から撤退する気は無く、奴隷と日本製の建設用重機を使って工事を進めていた。


 アメリカは念願の清国への進出の足掛かりとなる領土を、江蘇省の連云港一帯に得た事で大喜びしていた。

 本来なら火事場泥棒のような行為を認められるはずが無いが、『門戸開放』を盾に強引に領土の領有を各国に認めさせたのだ。

 フィリピンのサマル島の要塞や海軍基地は、まだ完成には時間が掛かる。

 しかし、フィリピンと清国を比較すると、清国の方が人口も多いし資源も豊富だ。

 将来的なメリットは清国側の方が大きいと、開発のウェイトを清国側に傾けていた。

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 今回の義和団の乱は清国への列強の侵略を加速させ、清国の没落を大いに世界に知らしめる結果となってしまった。

 実際に清国内部において民心が清王朝から離れていったので、滅亡へのカウントダウンを始めたと言えるだろう。


 そして各国では色々な捉え方があった。

 欧米の各国はチャンスに乗り遅れたとか、もっとやり様があったのではとかの感想を持った人間が多かった。

 賠償金を日本の提案で減額した事も、どこか批判的な考え方をしている方が多い。

 だが植民地の人間は違う。嘗ては周辺に多数の属国を抱えた大国である清国の没落に肩を落とした人間も多かった。

 そんな人間にとっても、日本の行動は奇怪なものに感じられた。

 日本は李氏朝鮮との関係を絶ち、清国とも限定的な付き合い方をしていた。

 各国は多くの中国人労働者を苦力として国内に雇っていたが、日本では一切無い。土地の取得も厳しく制限されている。

 日本は清国に悪い感情を持っているのではと囁かれていたが、今回の北京議定書では清国に支援の手を差し伸べた。

 そればかりか、列強に対して過酷な搾取を改めるように公式の席で発言まで行った。

 それは各地の植民地の搾取に苦しむ人達にとっては朗報だった。しかし、日本は自分達に直接支援をしてくれる訳では無い。

 一部の国では日本に出向いて支援を要請したが、断られた事もある。

 それに日本が列強に対して物を言える立場であっても、列強に勝利した訳では無い。

 義和団の乱では戦功第一と認められたが、それでも日本が列強と戦争になったら勝てる保証は無いと考える人は多かった。

 今回の件で世界で日本の評価が高まったのは事実だ。しかし、一抹の不安を抱えている人達もいたのだった。

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 清国で義和団の乱が発生して世界中の注目が集まっていたが、それに関係する事無く事態が進んでいるところも多い。


 ハワイ王国は人口が少ない為に世界に対する影響力は少ないが、あの位置に友好的な独立国があるという事が日本にとって重要なのだ。

 日本はハワイ王国の独立を守り、アメリカの太平洋進出を防ぐ為に、最大限の協力を行ってきた。

 近代化を推し進め、ハワイ王国が独立国としてやっていけるように支援した。

 国力はまだ小さいが、海軍を中心にした国軍はそれなりの規模に拡大しつつある。

 最近はペルーの開発にハワイ王国の工場群が貢献している事で、経済が活性化していた。


 二千年以上も放浪生活を続けてきたユダヤ人にとって、祖国を持つという事は悲願だった。そしてやっと祖国を建国できた。

 彼らは祖国を失う事を恐れて必死になる。そのユダヤ人の自己防衛本能は、日本にとってロシアの南下を防ぐ為に必須のものだ。

 だからこそ、東方ユダヤ共和国に最大限の支援を行ってきた。せっかく得た同盟国を使い捨てにする気はない。

 食料自給率は低いままだが、工場群が稼動をした事で工業化が進んでいる。

 既に十万人規模の国防軍を設立して、厳しい訓練を行って有事に備える体制を整えていた。


 タイ王国はイギリスとフランスが緩衝地帯として残す事に合意した為に、列強の争いに巻き込まれる可能性は低かった。

 しかし、その立地条件から食料供給基地と地域大国として影響力を持つようになれば、日本の負担が減るだろう。

 その為、日本はタイ王国の農業や工業の開発に支援を行ってきた。

 それはフィリピンやインドネシアに開発に、大きな影響を与えている。国軍の整備も進みだし、海軍艦艇の導入も進んでいる。

 数年後を目処に、日本と軍事同盟を結ぼうという動きもあった。


 フィリピンと台湾は近く、日本にとって隣国である事は間違い無い。

 その隣国が穏やかな発展を遂げて、友好関係を結ぶ事ができれば地域の安定につながる。

 最初はアメリカの出血を強いる為に利用しようとしたが、アメリカ側の失敗に付け込む事で方針を変換した。

 過去の経緯があるので、アメリカの勢力がサマル島を中心とした周辺に及んでいるのは仕方の無い事だと割り切っている。

 東方ユダヤ共和国を含んだ支援を行う事で、食料供給や地域安定に大きな影響を発揮する事を期待している。

 やっと国内の統治組織が動くようになり、来年辺りに独立を宣言する方向で計画を進めていた。


 ペルーは太平洋を挟んだ南米にあり、ハワイ王国の工業力を当てにした支援を行っている。

 別に南米に本格的に進出する気は無いが、地域安定に繋がる事とハワイ王国の原材料供給基地として機能する事を期待している。

 最近は農業用車両の輸出も増加して、近い将来には食料生産が激増する可能性が囁かれていた。

 ペルーは近隣諸国との争いが多い。その為に、国軍の強化も徐々に進められていた。


 インドネシアは広大な領土と多くの人口、豊かな資源を持っているから、大国に為れる潜在力を持っている。

 以前から支援を行っていた北部アチェ王国の組織をベースとして、国家を建設していた。

 ただ、日本はインドネシアを建国するに当たって、少数民族の保護についても考慮するように要望を出していた。

 少数民族を迫害して独立騒ぎになり、小国が乱立しては地域の安定は望めない。だからこそ、少数民族の保護に気を使うように求めた。

 マラッカ海峡の要衝であるリアウ諸島やシムルー島、その他の島々を日本に譲る事でインドネシアは近代化を進めようとしていた。

 今のところは『白鯨』が徘徊している為に、列強がインドネシアに触手を伸ばしてくる可能性は低い。

 それに日本総合工業から領土と引き換えに購入した飛行船十隻は、それなりの抑止力になっていた。

 オランダの過酷な支配から解放され、やっと手に入れた安寧の時だ。急がずに近代化を進める計画を立てていた。


 【出雲】は最初は史実のクエートの半分程度の領土しか無かった。

 砂漠の緑化をしながら少しずつ国境線を西と南に拡大させ、現在の領土は九州以上の面積を所有するに至った。

 その領土に列強にも無い工場群を建設し、工業力では中東全体の近代化の牽引役を務める程まで成長している。

 ファイラカ島、ケシム島、ラーラク島を所有して、海軍力を整備したのでペルシャ湾全域に大きな影響力を持つようになった。

 今のところ、中東には主だった産業も資源も無いので、列強の注目度は低い。その為に【出雲】は近隣への経済支配を進めていた。

 オスマン帝国のバスラ州の荒地を農地として開拓し、さらには工場も進出させてバスラ州との経済的な結びつきを強化している。

 内政は議会政治で統治しているが、皇室直轄領の為に制限もある。住民の生活レベルは良好なので、不満を持つ人は少ない。

 まだ人口が少ない為に、陸軍の規模は小さい。しかし、海上輸送路を守る為に海軍の拡張に力を注いでいた。


 現在の日本の同盟国や友好国の中で、一番付き合いが古いのがオスマン帝国だ。

 【出雲】が立ち上がってからオスマン帝国への支援は本格化している。しかし民間支援が主であり、政府間交流は進んでいない。

 これもオスマン帝国の制度が疲弊し、各地で汚職や地方の反乱が相次いだ為だった。

 現在の日本の支援は、瀕死の病人に栄養剤を与えるだけで、抜本的な対策には為らないという声もある。

 そして【出雲】の上層部は民間交流は進めながら、軍の若手士官との接触も行っていた。

 さらに方針を若干修正して、オスマン帝国の軍備を拡張させようと、自走砲や小型艦艇の売却を進めていた。


 エチオピア帝国は内陸国であり、【出雲】から物資を運び込むのはフランスの植民地のジブチを経由していた。

 タイ王国との講和仲介やベトナムの件とか色々とあるが、日本とフランスの関係は良くも無く、悪くも無くと言ったところだ。

 フランスはイタリア王国と関係が悪い為に、エチオピア帝国の近代化を黙認しており、消極的な協力を行っていた。

 【出雲】からエチオピア帝国に様々な工作機械や武器弾薬、自走砲等の兵器も運び込まれている。

 一時期はイタリア王国と険悪な関係になって戦争に突入する可能性もあったが、イタリア側が自制する事で危機を回避している。

 しかし、将来的にはイタリア王国と一戦交える必要があると判断されており、その準備は着々と進められていた。


ウィル様作成の地図(エチオピア周辺版)

 イラン王国はイギリス帝国とロシア帝国からの圧迫を受けていた。そこに【出雲】が支援を始めた。

 勿論、イギリス帝国の権益を侵すような事はせず、ケシム島に巨大な工場群と海軍基地を建設し、ラーラク島に要塞を建設していた。

 そしてイラン王国の近代化を徐々に進めている。支援が始まって三年経過し、やっと効果が出始めたところだ。

 オスマン帝国と同じく、陸軍用の銃火器の配備を進めてイラン国軍の強化に努めていた。

 尚、ケシム島とラーラク島を【出雲】に割譲した事から、海軍より陸軍の強化を優先させている。


 日本は義和団の乱に兵を派遣したが少数だった。日本は陸軍の編成を少数に止めて、海軍を拡張する方針を採っていた。

 これも大陸に深入りするのを避ける為だ。しかし、島嶼戦を考えて海兵隊は増強している。

 そして帝国海軍は『神威級』の五番艦である『狩振』を就役させていた。天照基地で建造された戦艦だ。

 史実ではまだ海外に発注されていたが、現在は日本の艦艇は全て国産に切り替わっている。

 その実力はまだ諸外国には知られていない。その姿を見られただけでも大騒ぎになるのが確実な為、南大東島で極秘訓練を行っている。

 対ロシア戦争までに各地域の警備艦隊を除いて、戦艦『神威級』六隻、装甲巡洋艦『風沢級』六隻、軽巡洋艦『夷隅級』十八隻、

 駆逐艦『高滝級』二十四隻、護衛艦『平沢級』四十隻という大艦隊と、潜水艦隊を五個艦隊十五隻を用意する計画を進めていた。

 尚、【出雲】海軍は別に編成される。

 日本総合工業の激安価格によって、史実より遥かに少ない予算で艦隊が揃えられる事に海軍関係者は狂喜していた。

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(あとがき)

 義和団の乱に始まって、そして終わった年でした。ロシアとアメリカを本格的に引きずり込みましたけど、どうなるか?

 中々、頭の中で各勢力の同時行動を考えるのも疲れますね。


(2013. 7.14 初版)
(2013. 7.21 改訂一版)
(2014. 3.16 改訂二版)



 管理人の感想
清王朝崩壊開始ですね。まぁとりあえず中国人から無意味な、そして余計な恨みを買わないことはいいことです。後が面倒ですからね。
アメリカとロシアが本格的に大陸に進出……日露戦争をしたらさぞや面白いことになりそうですね。
しかしそれだけ艦を大安売りしたら、外部に漏れて大騒ぎになりそうな気もしますが……例え発表しなくても国家予算の規模と揃える艦の数を
考えると明らかに不自然ですし、不審に思う人間は居ると思います。
どちらにせよ、面白いことになりそうですね。