1899年
日総新聞は理化学研究所の公式発表を掲載した新聞を出していた。
『理化学研究所の北垣代表は、消炎鎮痛剤の一つで非ステロイド性抗炎症薬である『アスピリン』を開発したと発表しました。
鎮痛効果があり、かなり広範囲の用途が見込まれます。既に量産体制は整っており、量販を開始するとの事です。
それと国内外を対象にして、収穫量が二割程度増える改良をした種子を供給開始すると発表しました。
未開拓地の開発も進められていますが、品種改良を行った種子を使用する事により、各地の農作物の収穫量の向上が見込まれます。
尚、この種子は数が限られており、国内と同盟国、友好国を優先にして普及が進められる計画です。
理化学研究所は日本総合大学で科学技術や医療関係の人材育成を行っていますが、農業分野の人材育成を行う事も発表しました』
アスピリンは史実ではドイツのバイエル社から、本年の三月に発表された医薬品だ。
別に意地悪する事が目的では無いが、理化学研究所が先取りして発表してしまった。
尚、侘びの意味を含めて、バイエル社に生産協力協定を申し込んで、関係を深めるつもりだ。
まだまだ科学技術の改革を進める必要はあるが、理化学研究所は業界の先頭を走る事はせずにバックアップ役に回る方針にしていた。
要所は抑えるつもりなので、今回は医療分野と農業分野の発表を行った。
国内の食料自給率の改善もあるし、人口増加に対応する必要もある。友好国の食料生産量を増やす事は、メリットに間違い無い。
ベトナムやタイ王国は元からの食料輸出国だが、生産量をさらに上げる事で現地の経済に好影響を与えられる。
オスマン帝国やエチオピア帝国、イラン王国も同じだ。
官民の交流も活発化して、日本との通商は年を追うごとに増加の一途を辿っていた。
今年はフィリピンとペルーも、日本が開発の協力を行う対象に含まれていた。
『昨年のパリ条約により、日本はアメリカと共同してフィリピンの開発を進め、数年後を目処に独立させる事になりました。
日本総合工業は技術と資材面で協力する事を表明していますが人材が不足しており、フィリピンへ出向できる人を募集しています。
ペルーへの進出も決定して、そちらの人材も募集すると発表しました。
それとパラオは100年の租借契約を結んで、日本が開発を行う事になりました。
グアムに近い為に、そちらから支援が行われる予定になっています』
ハワイ王国には主に財閥系の企業が進出し、タイ王国には渋沢系列の企業が進出している。
日本総合工業は東方ユダヤ共和国やタイ王国のチャーン島、【出雲】、ロタ島に重点を置いて開発を行っている。
(オスマン帝国やエチオピア帝国、イラン王国には、【出雲】が支援を行っている)
台湾や海南島、サイパンやグアムは政府が主導して開発が進められていた。此処に来てフィリピンとペルーを開発する事が決定した。
まだ国内でさえ開発が終わっていない地域は多いが、政府間で取り決められた契約の為に、後伸ばしにできるはずが無い。
その為に、フィリピンとペルーの開発の人材を公募していた。
機材などのハードを輸出しても、それを運用するソフト(人材)が不足していれば、支援は成功しない。
日高工場や伊予北条工場が稼動し始めた事で地方の経済も活性化しているが、そちらの人材が育つには数年を待つ必要があった。
尚、フィリピンやペルーに関しては財閥にも進出要請が出されており、そちらの負担は少しは軽くなりそうな見込みだった。
『日本と同盟国・友好国は順調に経済発展しておりますが、周辺国では不穏な空気が漂っています。
李氏朝鮮では食料不足による暴動が何度も発生し、その度にロシア軍の支援を受けて鎮圧しています。
列強の進出が相次いで、それに対抗する為に税率を上げた清国でも数多くの暴動が発生しています。
東方ユダヤ共和国や日本海を経由して我が国に密入国する者が後を絶たず、関係者は警戒を強めています。
さらに清国の漁業関係者が日本の海域へ進入してくる事も頻繁に発生し、政府は厳重な抗議を清国政府に行いました』
東方ユダヤ共和国は年を経る毎に発展を続け、日本との交易は拡大を続けていた。
その北部に位置する李氏朝鮮は工業化は進まずに、慢性的な飢餓に悩まされていた。
日本とは国交は無く、清国とロシアが主な交易国(宗主国)となっているが、その二ヶ国とも李氏朝鮮の近代化を進めなかった。
生活苦から日本や東方ユダヤ共和国に密入国しようと試みる人間が多かったが、直ぐに捕まって強制送還されていった。
日本と東方ユダヤ共和国から見れば、国内の治安維持を最優先に考えていた事もあり、彼らを国内の労働力として使う気は無い。
短期的には効果が上がるかも知れないが、長期的には弊害の方が多い。密入国者が日本国内の居住を認められる事は無かった。
下関条約で得た鬱陵島と済州島には帝国海軍の基地が建設され、密入国者と不法操業を行っている漁船の取締りを徹底して行っていた。
清国では暴動が頻発していた。列強の相次ぐ進出と重税の為に、国民の不満がかなり溜まっていたからだ。
船山群島、台湾、澎湖諸島、海南島、東沙群島が日本の領土になった為に、漁民は今までは漁業ができた海域から締め出された。
残されたのは沿岸部だけだ。その為に死活問題だと言って、日本の海域に進出して拘束される問題が多発していた。
日本が中国を大陸に封じ込めて外洋への出口を塞いだのは、将来の海底資源や海洋資源の保護の為等の色々な理由があっての事だ。
将来で海洋への不法投棄が相次げば、海面から数メートル下までを遮断する万里の長城の海洋版とも言える遮断壁を建設する計画も
陣内は考えていた。(済州島−船山群島−台湾−澎湖諸島−東沙群島−海南島)
李氏朝鮮と中国が渤海と黄海なら、何をしても構わない。しかし、東シナ海と南シナ海への進出は絶対に認めない。
交易は行うが、日本は清国の内陸部に進出しない。その代わりに中国の外洋進出も認める気は無かった。
『台湾や海南島、グアム、サイパン、チャーン島、【出雲】への移住者は依然として増加傾向にあります。
各地の開発が進む事で、受け入れ可能人口が増加した事も一因と判断されています。
最近ではオスマン帝国のバスラ州やエチオピア帝国、イラン王国にも日本人街が建設された事から、移住者は増えると予想されます。
今年はフィリピンとペルーへの移住者が増えると予想されていますが、国内の人口は移住者を除いても増加傾向を示しています』
昨年の日本を出国した移住者の数は約五万人にもなる。(台湾や海南島などの新たに編入された領土への移住者を含めると約二十万人)
子供の教育を無償化して、税制を優遇した事で国内の人口増加に拍車が掛かっていた。
その為に国内から多くの移住者が出ても、それでも人口は増加傾向を示している。
食料自給率が大きく改善された事も大きな要因の一つだ。人口が多い事は国力の増強につながる。
新たに得た領土に多くの日本人を送り込む事で、現地の日本化を進める計画は着実に進んでいた。
『昨年はドイツ、フランス、イギリスが清国から次々と各地の領土を租借して、列強の清国進出に加速度がついています。
台湾に面している福建省と浙江省(杭州以南)の不割譲を清国が宣言した事に対し、我が国は列強と同じような清国への進出は絶対に
しないと公式に発表しています。我が国は清国の大国としての立場を尊重しており、武器弾薬の供給を行うなどの協力を行っています』
列強が清国に進出する事に関して、日本は不干渉を表明していた。将来の中国分断を考えていた為に、秘かに支援した程だ。
日本は清国から資源を、過度に依存する事無く輸入できれば良いと考えていた。
列強とは違って資源を奪うのでは無く、武器と交換に輸入する。
交換レートは日本の有利な方に設定できた為、鉄鉱石やその他鉱物資源、希少金属類、ウランなど様々な資源を日本国内に運び込み、
列強のダミー商社経由で入手した分も含めると、膨大な量になっていた。
それに日本が資源を輸入しているのは清国だけでは無い。公式ルートではアメリカやタイ王国、中東からも資源を輸入している。
列強のダミー商社経由では、インドやベトナム、インドネシア、アフリカからも輸入している。
特に希少金属類やウラン資源はまだ誰も注目していない事もあり、安価な価格で世界中の資源をかき集めていた。
余談だが、史実では本年の一月にアメリカはウェーク島を領土に編入した。
しかしウェーク島は既に1891年に日本の領土に編入されており、中継基地として整備されていた。
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日総新聞の記事は国内は元より、海外にも配信されて大きな影響力を持つようになっていた。
掲載記事に特ダネが多い事もあるが、扇情的な記事を一切書かずに、淡々と事実だけを掲載し続けている事も大きく影響している。
公共マナーの向上や、言葉遣いを改めようとか、耳に痛い記事もあって、面白みを求める人達からは敬遠されていた。
他の新聞紙と比較すると面白みには欠けるが、その公平さと先見性は一部の読者からは高く評価されていた。
それとイエロージャーナリズムに染まった他の新聞社を徹底的に潰した事もあり、公明正大な記事を書く新聞社と信用を得ていた。
「ほう。理化学研究所は新年早々の新商品の発表を止めると言ったが、今年は抗炎症薬である『アスピリン』を出してきたか。
また、新年早々の新商品の発表を続けるつもりなのかな?」
「今回はたまたまだろう。それを信じて賭けを復活させる気は無いぞ。前回で懲りたからな」
「しかし、医療と農業か。他の分野はネタが尽きたのかな? そうなると、日本の快進撃もそろそろ打ち止めか?」
「安心するのはまだ早い。昨年のアメリカとスペインの講和の仲介をした時、日本は掌サイズの録音機を使ってアメリカを脅したらしい。
例のイエロージャーナリズムの記事を書いた記者の独り言をこっそりと録音して、講和会議の席上でアメリカに聞かせた。
つまり日本は発表していないだけで、まだまだ新商品を開発し続けていると考えた方が良い。油断するのは禁物だ」
「日本はイエロージャーナリズムを毛嫌いしているらしいな。自国の新聞社を何社か潰した程だ。
イエロージャーナリズムに染まった新聞社は厄介だが、上手く使えば昨年のアメリカのように開戦の口実にもできる。
アメリカは一時的には偏向報道を取り締まるだろうが、時間が経てば復活するだろう。
他の列強も上手く利用しているが、日本はそれを潰した。何を考えているんだろうか?」
「日本は国内でしきりに公衆道徳の向上や衛生管理を訴えている。面白みは無いが、長期的に考えれば国全体のモラルが向上する。
しかし、甘過ぎる考え方は時には足元を掬われる。今回のフィリピンの支援は、今までの常識ではあり得ない事だからな」
理化学研究所が抗炎症薬である『アスピリン』と、収穫量が増える種子を開発した事は比較的冷静に受け止められていた。
寧ろ、昨年の発表で新年早々の新製品発表を取り止めると発表したのに、今年は発表してきた事で意外に感じられていた。
それより昨年のアメリカとスペインの講和の仲介を行い、フィリピンの共同開発を正式発表した方が世界各国に大きな衝撃を与えた。
今までの常識では、アメリカと日本がフィリピンを分割統治するのが常道だった。
それが現地の意向を汲み取って、独立させるのは予想外だった。それも日本が提案したというのは、列強にも大きな衝撃だった。
ある面では甘いと断言できる処置だったが、イエロージャーナリズムを否定する姿勢は、一部の読者からは好感を持たれていた。
「日本があんな提案をして実行するとは思わなかった。
オスマン帝国やエチオピア帝国の工業化の支援を行っているが、あれは遠距離で実力的に無理だと判断したからだと思ってたよ。
それが日本の裏庭とも言える海域にあるフィリピンの独立に賛成するとは。
中国大陸に進出しないと明言した事もある。日本は侵略行為をする気が無いのか?」
「まだ最終判断はできないさ。しかし、公正な報道と公衆道徳の普及を図る日本か。
それにしてもアジアのような僻地に、我々が認められるような国家があるとは思わなかった。
『東アジア紀行』を読むと、日本がアジアの常識とかけ離れているのを実感するな」
「そこまで言うか? 『東アジア紀行』に李氏朝鮮や清国の様子が詳細に書かれていたが、あれをアジアの常識と呼ぶのは可哀想だろう。
寧ろ、日本が我々に近い存在だと考えた方が良い。それにしても平気で人を騙したり、嘘を正当化するっていうのは本当だった。
あそこへ赴任して戻ってきた知人が愚痴ってたよ。こうなると『苦力』として雇うのも考え物だな」
「その認識が最近は急速に広まり始めた。清国の租借地が増えて交流が進んだ事もあるが、『東アジア紀行』の世界的な普及もある。
何と言っても最後のフロンティアのアジアに世界は注目しているからな。それ以外にも多くのアジア関係の本が出版されている。
価格が抑えられている事もあるが、無償で各国の大学にも配布されたらしいからな」
「そのお陰でアジアの各国の風習や生活習慣、文化が広く世界に知られるようになった。眉を顰めるような内容が多かったがな。
俺達としては、現地の奴らの本性が事前に分かっただけでも助かるさ。
それにしてもロシアは李氏朝鮮に本格的に進出しているが、『東アジア紀行』を読んでいるのか?」
「あそこがそんな物を読んでいる訳が無いだろう。命令を出す奴らと割り切って、あいつ等の言い分を聞くはずも無い。
シベリア鉄道は李氏朝鮮の奴隷の屍で建設されていると噂されているくらいだからな」
「そして女はロシア兵の慰み者か。奴隷として売られた悲哀だな。まあ、植民地にされたところは、どこも似通ったものだ」
「所詮、近代化を進められなかった国の末路はそんなものさ。だからこそフィリピンの件は驚きだったよ」
「どうなるかは、まだ分からん。アメリカは圧倒的な物量でフィリピンを支援して、現地の勢力を引き付けているという話だ。
日本より多い支援で、現地への浸透を進めている。これが続くようだと、現地の政府は完全にアメリカ寄りになる」
フィリピンの独立準備委員会はフィリピン人が四人、アメリカ人が二人、日本人が二人、スペイン人が一人の九人で構成されていた。
そして講和が終わった直後からスペインの統治は廃止され、独立準備委員会の下でフィリピンの統治が行われるようになっていた。
日本は他の国で行ったように、現地の資本と協力して徐々にフィリピンの教育レベルの向上と工業化を進めるつもりだった。
台湾に近いルソン島とミンドロ島、カラミアン諸島、バラワン島を中心に支援を開始した。
しかしアメリカは違った。南部フィリピンに対して、サマル島を中心にして圧倒的な物量の支援を行い始めた。
もっとも、現地の工業化を進める内容では無く、要塞建設や広大な農地を買い上げて現地住民を雇うなどの即時的な内容だ。
今までスペインの圧政に苦しんできた現地住民から見れば、仕事と食事を保障してくれるアメリカに好意を抱き始めた。
独立準備委員会のフィリピン人指導者は、アメリカの真意は見通していた。しかし、現地の意見も無視できない。
そこで日本に支援の増加を求めたのだが、無理なものは無理と断られ、次第に南部のフィリピン人はアメリカ寄りになりつつあった。
「フィリピンはしばらくは様子見だな。
アメリカはフィリピンに莫大な資金を投入し始めたが、同時にオランダの東インド植民地にも進出を伺っている。
距離的に近いし物資の調達が容易なのは分かるが、度を過ぎたと思える程の接近ぶりだ。もしかしたら、もしかするかも知れん」
「フィリピン全土を手に入れられなかったから、東インド植民地を手に入れようと企むか。ありえるな。
それにしても日本はフィリピンとペルーにも手を出し始めた。我々の権益が侵害される可能性は無いのか?」
「我が国は元々フィリピンに権益を持っていなかったからな。しかし南米は違う。ペルーに我々は権益を持っている。
ペルーが強大化すると厄介だ。ペルーに関してはアメリカも日本を警戒しているし、今のうちから我々も注意していた方が良いだろう」
「日本から入手した情報によると、人材不足でフィリピンやペルーに派遣する人を募集しているらしい。
つまりハワイ王国やタイ王国、オスマン帝国やエチオピア帝国ほど急速な工業化は無いと思う。
多少の工業化は我々の利益にもなる。油断はできないが、あまり警戒し過ぎても拙い。それよりもロシアの南下を警戒する方が優先だ」
世界中の各国は、自国の利益を優先して行動をしていた。
この時代、全人類が幸せに暮らせる事を望む理想主義者は、存在しても実権は無い。国家が無償の好意を示す事などあり得ない。
その為に各国は他の国の動向に注意し、隙があれば戦いを厭わずに領地の拡大に勤しんでいた。
そのような国から見れば、植民地を態々独立させて費用の掛かる工業化を支援する日本は異端だ。
このご時勢に日本を魔女裁判に掛ける訳にはいかなかったが、各国が警戒していたのも事実だった。
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日本国内において、勝浦工場と日高工場と伊予北条工場が国内産業の牽引役となって各産業が活性化していた。
開発が遅れていた地方にも、工場群が次々と建設されて好景気を呈していた。
しかし、如何せん近代化を始めてまだ日が浅く、人材が豊富とは言えない。
睡眠学習装置を使用すれば知識は得られるが、経験を得られる訳では無い。
元々、睡眠学習装置を多用する事は控えていた為、本当に人材不足でフィリピンやペルーの開発支援に支障が出かねない状況だった。
そこに思わぬ援軍が現れた。その件に関して、天照機関は緊急会合を開いていた。
「東方ユダヤ共和国が居住地域確保と優先的な食料輸出協定を結ぶ代わりに、日本に協力してフィリピンの開発支援を手伝う事になった。
アメリカに勝るとは言えんが、これで対抗する事はできるだろう」
「フィリピン以外にもペルーやプエルトリコ、モロッコの開発支援も申し出てくれています。
我々では手が届かなかったところも、ユダヤ人の協力があれば開発を進める事ができます。
ユダヤ人の世界ネットワークを使えば、豊富な人材が活用できる。
彼らとしても各地で迫害を受けていたから、我々と協力して居住圏を拡大したいと考えたのでしょう。
それにフィリピンの農業開発を進めれば、彼ら独自の食用輸入ルートを確保する事ができます」
「今回のユダヤ人の申し出は、我々もそうだが彼らにもメリットはあるという事だ。期待させて貰おう。
まあ、ユダヤ人のやり過ぎには注意を払わねば為らんな。現地の反感を買わないように、念押ししておこう。
しかしアメリカ人の物量信奉主義は凄まじいものがある。あそこまでの物資をフィリピンに持ち込むとは!」
「それが彼らの主義です。史実でも精神主義が蔓延した日本が敗れた最大の原因でもあります。
今の日本はアメリカに対抗できる国力はありませんが、同盟国と協力すれば何とかなると考えています」
国力に相応しく無いほど手を伸ばして苦境に陥った日本に、救いの手を差し伸べたのは東方ユダヤ共和国だ。
勿論、彼らも善意だけで支援を行う訳では無い。狭い国土に多くの人口を抱える彼らは、食料自給率という問題を抱えていた。
それをフィリピンに勢力を置くことで対応しようと考えた。ペルーやプエルトリコ、モロッコも自らの生存圏の拡大が目的だ。
それは日本の利害と一致する。ルソン島とミンドロ島は日本と東方ユダヤ共和国の勢力下だが、サマル島の南部地域はアメリカの進出が
激しく進み、最終的にはフィリピンの南部地域はアメリカの勢力下になりそうな気配だった。
それでも台湾防衛と南シナ海の安定を考えたら、一定の成果が出せる。そもそも、アメリカ相手に完勝しようとは考えてはいない。
日本人もだがユダヤ人にも異端者は居る。一部では問題も発生していた。
しかし、今のところは建国間もない時期であり、ロシアという強大な敵国がある為に両国の関係は良好だと言えるだろう。
「全てをアメリカ側に持っていかれないなら、フィリピンは現状で良い。後は現地住民の選択を尊重する事にしよう。
ペルーは共同で開発を進め、プエルトリコとモロッコは東方ユダヤ共和国に全面的に依頼する。それでスペインは納得するのか?」
「スペインもユダヤ人を嫌っているが、今回は日本の代理という事で開発を認める方向だ。何かあったら責任を取れと言う事だ。
もっとも口約束だから、何ら責任がある訳では無い」
「ユダヤ人は生存圏を拡大したいだけで、現地を乗っ取ろうとは考えまい。プエルトリコとモロッコは欧州から近い。
迫害から逃げ出すユダヤ人の居住地域としては、良い条件だ。欧州に拠点を持つユダヤ人ならば、開発は可能だろう。
まあ、やり過ぎて現地の反感を買わなければ良い。彼らにも生存圏を拡大する権利はあるのだからな」
「ペルーは大丈夫か? あそこにはアメリカとイギリスが進出している。
広大な土地を譲る事が進出の条件だが、そこだけに制限されても困る。我々が進出して、アメリカやイギリスと衝突する可能性は?」
「ペルー政府と交渉して、ピスコという都市の近くの沿岸部の広大な一画に、日本人街と工場地帯の建設を行います。
同時に、資源があると判明している未開発地域をペルー政府から有償で購入します。
現地の人を雇用して、現地資本を育成する方針を採りますから、衝突の危険性は低いと考えています」
日清戦争に勝利した次の目標は対ロシア戦争だ。その時に備えて国力の増強に専念したいが、外交環境がそれを許さない。
とは言え、将来的には日本に利益が出る事もあり、現地を搾取する事無く開発の支援を行う。
ハワイ王国、東方ユダヤ共和国、タイ王国は順調に工業化が進んでいる。
もっとも、ハワイ王国とタイ王国は自衛できれば良いという程度の工業化を目指していた。
オスマン帝国とエチオピア帝国、イラン王国も同じだ。こちらは別の思惑もあるが、まずは最初の目標を達成させる事が優先だ。
国内の産業を立ち上げ、自国内で色々な工業用品が生産できて、自国防衛の強化に繋がる支援が行われていた。
「海軍の拡張も順調に進んでいる。それと【出雲】もな。イタリア王国と衝突の可能性が高いと報告があったが、その後の状況は?」
「イタリア王国は人口が増え過ぎた為に、アメリカや植民地への移民を進めています。昨年は南イタリアで暴動が発生した程です。
日本がアメリカとスペインの仲介を行った事もあって、我々と衝突するのを避けようとする動きが見られます。
イタリア王国との戦いは先延ばし出来そうです。エチオピアの開発も絡みますし、できる事なら対ロシア戦争後にしたいですね」
「エチオピア帝国の工業化は順調に進んでいて、現地では日本人街が建設された。
国内の工業化と合わせて、同盟国や友好国の工業化も同時に進めなくてはならん。苦労も多いが、成果も大きい。陣内、頼むぞ」
「責任重大ですね。まあ、他とも協力して上手くやります。アメリカに話を戻しますが、フィリピンに勢力を築き上げるのと同時に、
オランダの東インド植民地(インドネシア)にも進出を考えているようです。
ひょっとすると米比戦争の代わりに、米蘭戦争が発生する可能性もありますから、注意をした方が良いでしょう」
「フィリピンに駐在しているアメリカ陸軍の将官はインディアン虐殺に関わって、今は仕事が無くて戦いを望んでいるだろう。
可能性は高いと思った方が良い。それとイギリスがオーストラリア放棄を正式に決定した事が、どう影響してくるかだ」
「まずは資源と人口の多いインドや中国の利権を拡大させるように動くでしょう。それと秋にはアフリカ大陸でボーア戦争が始まります。
クエートがイギリスの保護国になるのを潰せた事ですし、今年のイギリスは受難続きになるでしょう」
「ロシアの南下を防ぐ為に、秘かに日英同盟の締結の話が持ち上がっているんだ。
あまりイギリスを追い詰めると拙い事になるかも知れんぞ。手加減しておいてくれ」
「それはイギリス帝国に対して失礼な物言いだ。かの帝国は世界の各地に植民地を持つ大帝国だ。
極東の島国である日本がイギリス帝国を気遣うなど、立場を考えろと言われても反論できん」
「くっくっくっ。確かにそうだな。確認するが、ボーア戦争には介入するのだな?」
「民間面では余力はまったくありませんが、軍事面となると話は違います。アボリジニが乗っている第二潜水艦隊が就役しました。
オーストラリア周辺の警戒と、南アメリカへのイギリスの増援を遮断する為に出撃させます。
それとオーストラリア周辺には『白鯨』五体を配備しています。今までの捕鯨の乱獲の報いを受けて貰いましょう。
第一潜水艦隊はオランダの東インド植民地で、オランダ艦隊を標的に攻撃を継続中です。
今年中には、北部アチェ王国によるスマトラ島の解放が出来そうです」
史実では本年の二月にオーストラリアの六つの植民地代表が集り、首都をキャンベラに置く事が決定された。(まだイギリス植民地)
しかし現実はアボリジニの神の仕業と噂される犯人不明の襲撃事件が相次いだ事で、オーストラリアの放棄が正式に決定された。
避難先は近くにあるニュージーランドだ。もっとも素直に撤退させるはずも無く、軍艦は機雷の餌食にするつもりだ。
完全に入植者がオーストラリアから撤退したなら、『白鯨』と第二潜水艦隊で封鎖する。
近寄る飛行船は衛星軌道上からの攻撃で全て叩き落す。そしてニュージーランドを完全に封鎖する計画も進んでいた。
史実のオーストラリアは、白豪主義と呼ばれる人種差別政策を取った。
だからこそ、アボリジニを支援して白豪主義国家が成立する前に潰す計画を立案して、やっと実現に漕ぎ着けた。
オーストラリアの内陸部にはアボリジニの街があり、徐々に拡大している。
農業や工業などアボリジニを文明に慣らさせる為に、外の紛争などまったく知らないかのように穏やかに運営されていた。
それはアメリカ内陸部のインディアンの街も同じ事だった。
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フィリピンは長きに渡るスペインの過酷な圧政の為に、国内の産業が殆ど無いに等しい状況だった。
そして日本が講和を仲介した事で、アメリカと日本が共同してフィリピンを支援して、独立させる事が決定した。
独立を悲願としていた革命軍にしてみれば肩透かしを食らったようなものだが、嬉しい事には変わりは無い。
嘗ての支配者だったスペイン人も残るが、今までのような搾取を受ける事は無い。
しかし昨年の中頃から始まったアメリカと日本の支援の違いに、革命主導者であるホセ・リサールは悩んでいた。
(スペインの長い搾取の為に、満足なインフラも無くて教育水準も低いままだ。我が国全体が貧しい。
日本と東方ユダヤ共和国はルソン島とミンドロ島を中心に我がフィリピンの開発を進めている。
日本人街やユダヤ人街が建設されていて、広大な未開発地域をユダヤ人に売却した事は良い。
それがフィリピンの工業化や発展に繋がるのだからな。しかし、時間が掛かるのが問題だ。
アメリカ人はサマル島を併合して、大々的に要塞建設と艦隊拠点の建設を進めている。
そしてサマル島の周辺の島の土地を買占め、現地の人を雇用して大規模菜園を営もうとしている。
確かに即効性のある政策だが、アメリカの方法では我が国の工業化は一向に進まない。逆にアメリカ支配が強まるだけだ。
とは言え、貧しい現地の人々に仕事を与えて、飢えないようにしているアメリカの手法も否定できない。
このままでは北部と南部の亀裂が深まる一方だ。最悪の場合はサマル島の周辺はアメリカ寄りの政府を樹立するかも知れない。
そんな事になってはフィリピン民族の悲劇だ! 何としても北部と南部の亀裂を抑えなくては!
一番の方法は日本と東方ユダヤ共和国の支援を増やして貰うのが一番だが、無理は言うなと断られた。
独立が出来るようになったのは日本の提案があったからだ。そういう意味では恩義はある。
しかし、民族分断の危機を見過ごす事もできん! シーボルト商会とは最近は連絡がつかないし、どうすれば良いんだ!?)
日本は国内もそうだが、フィリピン以外に開発を進めている国が多くある。
その為、後発であるフィリピンの支援はどうしても他とは見劣りする内容になった。東方ユダヤ共和国でも建設ラッシュは続いている。
資金的な余裕はあるが、人材や機材という面からするとアメリカには見劣りする支援内容になってしまう。
今回の支援はフィリピンの自立を促して、工業化を進める事が主眼だ。貧しい人々を助けるのが主眼では無い。
日本としては台湾や海南島に近いフィリピンの安定を望んだが、国を傾けても支援する気は無かった。
東方ユダヤ共和国は自民族の生存圏の確保と、食料供給基地が欲しいという意図でフィリピンに進出した。
他にペルーやプエルトリコ、モロッコの開発にも加わった為に、支援の層が薄いという面はあった。
何より、まだ国内の開発も進行中で、世界のユダヤネットワークの支援があると言っても、支援の幅は限られてくる。
それでも地理的なメリットを生かして、ルソン島とミンドロ島、カラミアン諸島、バラワン島の主導権は握った。
しかし、その以外のフィリピン南部地域はアメリカ資本に主導権を握られてしまった。
アメリカはサマル島の要塞化を進める一方で、そこを拠点にしてオランダの東インド植民地(インドネシア)に進出を開始していた。
さらにサマル島を後方支援基地として、中国大陸や朝鮮半島北部への進出も伺っていた。
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ペルーは十六世紀までは、当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国の中心地だった。
しかしアステカ帝国を滅ぼし、マヤ系諸王国を占領したスペインによって占拠され、過酷な支配を受け続けた。
インカ帝国の最盛期の人口が約1600万人だったのが、十八世紀の末のペルーでは約108万人になってしまった。
それほどスペインは過酷な統治を行った。しかしフランス革命によりスペインの力が失われると、やっと独立の運びとなった。
しかし指導層は人口の約一割の白人だ。その後も近隣諸国との紛争を度々行い、敗北する事で国力を失いつつあった。
その貧窮した状態に付け込まれ、豊富な地下資源に注目したアメリカやイギリスの進出が進んでいる。
この時のペルーの権力者は文民のニコラス・デ・ピエロラ。日本が急速に工業化を進めると同時に、僅かな領土と引き換えに友好関係を
結んだ各国の工業化を進めているのを注目しており、今回はペルーの領土を日本に譲る事で国内の工業化を進める決断をしていた。
日本はアジアや中東、アフリカに進出していたが、南米はブラジルに民間の移民が進んでいるだけだった。
幸いにもブラジルの入植は天照機関から予算が出た事もあって、現地の開拓に成功しており、日本人街を拡大させつつあった。
しかし、あくまで民間移民だけだ。ブラジルの工業化には一切関わってはいない。(ブラジルの鉱山開発は行っている)
そこに来て、ペルーは一部の領土を譲る事で工業化を進める事を求めてきた。
南米に拠点を持たない日本としては願っても無い事だった。
史実では本年にペルーへの最初の移民団が出発した事もあって、正式にペルーの工業化を進める事になった。
しかしフィリピンと同じく、余力があまり無い。そこで東方ユダヤ共和国と協力して、ペルーの開発を行う。
ペルー政府から割譲された土地は、サン・ガヤン島を含む周囲の半島一帯だ。
大型の建設用重機と建設資材を満載して、ハワイ王国の港を出航した屋久島丸級(五万トン)の輸送船が沖合いに停泊していた。
「しかし何も無いところだな。此処にハワイ王国以上の工場地帯を建設しようと言うのか? こりゃあ一苦労するぞ!」
「ハワイ王国の工業化が一段落したんで、使っていた建設用重機を出来るだけ持ち込んだ。これがあれば早めに建設が進む。
この屋久島丸級の輸送船三隻が、ハワイ王国とピストン輸送を行うんだ。何とかなるだろう」
「ハワイ王国は本土からの支援で工業化が進み、ペルーはハワイ王国を拠点にして工業化を進めるか。何か皮肉っぽいな。
現地の人を雇用して開発を進めて、この国の工業化を進めるんだろう」
「ああ。ユダヤ人も協力してくれる。ペルーの地下資源は豊富だし、近いから輸送コストは安く済む。
アメリカやイギリスは多くの権益を握っているが、工業化は進めていない。そこが俺達の入り込む隙間って訳さ。
列強と揉め事は起こしたくは無いから、作業員にも徹底させておけ!」
「それは分かっているさ。アメリカとはフィリピンを巡って開発競争をしているが、清国に関しては友好的な関係にある。
イギリスも同じだ。あいつ等の権益を侵害しないように上手くやるさ」
「ユダヤ人はある程度は奴らにも顔が利くからな。万が一の時は仲介を頼める。心強いものだよ。
俺達日本人だけじゃ、少し不安だったからな」
今の日本に南米には伝は無い。【出雲】の時も頼れるところは無かったが、あの時は天照基地の総力を上げたから立ち上がった。
しかし今は日本の行動に、世界が注目している。この時代にあるはずの無い建設用ロボットを、大々的に使えるはずも無い。
だが、建設用重機が大量に普及したので、世界各地の同時並行開発が可能になってきていた。
それでも無限では無い。ハワイ王国の工業化がある程度順調に進み、余力が出来たから可能になったペルーの開発だった。
欧米各国に顔が利く東方ユダヤ共和国のフォローもあるので、何とかなるだろうと見込まれている。
予定では数年以内に譲られた領土に住宅街や工場群を建設して、現地の人達を雇用してペルーの工業化を進める。
既に日本国内ではペルーに持ち込む様々な設備機器の用意が始まっている。ペルーに派遣する軍の編成も進んでいる。
大兵力を派遣する訳では無く、現地の防衛が目的の部隊だ。それはペルー政府も事前に承認している。
そして譲られた土地の工業化が順調に進んだ暁には、日本とペルーは友好条約を結ぶ予定になっていた。
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プエルトリコはカリブ海の島で、史実では米西戦争でアメリカの領土になったが、今回はスペインの領土だ。
スペインの植民地支配は搾取する一方だったので、現地の産業と呼べるものは農業しか無い。
住民が自由を求めて反乱を繰り返し、やっと自治権を勝ち取ったところだが、経済的に自立できる目処は無い。
史実ではアメリカに併合されたが、豊かとは言えない地域だ。面積も大きくは無く、価値ある資源が産出する事も無い。
スペイン領のままで自治を続けても、何時かは経済的に破綻する事は明らかだった。
そして今回、経済的に行き詰まりを見せているプエルトリコに、ユダヤ資本が大々的に介入する事になった。
今までもプエルトリコに、少数のユダヤ人は住んでいた。
しかし、少数民族であり宗教も異なる事から、迫害を恐れて目立たないようにしていた。
今回、日本という保証人をつけてユダヤ資本によるプエルトリコの開発が行われる事になった。
プエルトリコはカリブ海にあり、日本や【出雲】からは遠い。しかし、欧州からは近い。
自らの生活圏の拡大を望むユダヤ人にとって、十分にメリットはあると判断されていた。
それでも条件は多かった。多少の土地の取得は構わないが、現地の人との共存共栄を目指すというものだ。
スペインの権益も守る事も含まれる。スペイン側としては現地の開発が進んでも、権益を失ったのでは意味が無い。
【出雲】から工作機械を含む色々な設備機器を輸出する事になり、手配が始まっていった。
ユダヤ人街が建設され、未開拓地も【出雲】からの建設用重機やトラクターによって次々に開拓されていく。
そして十年後には、近隣諸国に工業製品を輸出できるようになるまで発展していった。
モロッコも似たようなものだ。現在のスペインの国力では現地の工業化を進める事はできなかった。
その為にユダヤ資本の手を借りて、モロッコの開発が進められた。
ユダヤ人にも土地の購入の権利が認められ、生活圏の拡大になるならと積極的に動いていた。
しかし問題もあった。モロッコではイスラム教の影響が大きく、ユダヤ教とは関係が悪かった。
そのような理由もあり、スペインはモロッコのユダヤ人による開発を認めたが、その進捗速度は他と比べて遅かった。
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オランダの東インド植民地は、大混乱の状態にあった。
マラッカ海峡に面するスマトラ島が、とうとう北部アチェ王国によってオランダから解放された。
その原動力となったのは、天照基地で製造されたイギリスの制式銃だ。(イギリスが秘かに支援していると思わせる為)
日本が北部アチェ王国を支援しているのを知るのは、北部アチェ王国でもトップの一握りだけだ。
彼らはスマトラ島の内陸部を全て制圧し、沿岸部からもオランダ軍を叩き出した。
しかし北部アチェ王国は、オランダ軍に対抗できる艦隊は持ってはいない。そこで支援したのが第一潜水艦隊だった。
沿岸の北部アチェ王国軍を攻撃しようとしたオランダ艦隊に、誘導機雷を使って大きな被害を与えていた。
これでオランダ派遣艦隊は全体の約三割を失った。その報を聞いた他の東インド植民地の住民も意気が上がった。
各地で反乱の兆しが見え始め、フィリピンに駐留しているアメリカ艦隊が付近を航行するようになり、オランダ軍を悩ませていた。
「……スマトラ島がイスラム教徒の奴らに奪われてしまった。残ったところも反乱が起きる可能性が高い。
艦砲で叩こうと思ったが、機雷でやられる始末だ。イスラム教徒の奴らは、何時から機雷を持っているんだ?」
「奴らはイギリス軍の制式銃で武装しているからな。機雷もイギリス軍が横流ししたんじゃ無いのか?
東インド植民地の艦隊の約三割が失われた。スマトラ島の陸上戦で被害が大きいから、兵士の数も少なくなった。
これじゃあ、他の島で革命運動が起きたら鎮圧できないぞ!」
「フィリピンに駐留しているアメリカ艦隊が、ボルネオ島やセレベス島の周囲に出没している。
まだサマル島の要塞建設やミンダナオ島の掌握が終わっていないというのに、気が短い奴らだ!」
「フィリピンの北部は日本とユダヤ人に抑えられたから、フィリピンの南半分だけじゃ足らないって、こっちにまで進出するつもりか!?
まったく欲深い奴らだ! あんなに広い国土を持っているんだから、それで満足しろって言うんだ!」
「おい、アメリカを牽制するのに日本を上手く使えないか?
フィリピンの北部と南部を争うようにできれば、アメリカの圧力を減らせる! 何とか工作を進められないか?」
「駄目だ。フィリピンの独立準備委員会でアメリカと日本は頻繁に接触しているが、対立する様子は無いらしい。
どうやら双方とも、フィリピンを分割する事になっても仕方が無いと考えているみたいだ。
アメリカも国内に多くのユダヤ人を抱えているから、日本−ユダヤ連合とはあまり事を構えたくは無いだろう。
それにアメリカは船山群島の拠点を中心に、中国にも進出を図っている。
イギリス、ドイツ、ロシア、イタリア、フランスの五ヶ国に、清国の『門戸開放』を要求して、日本は反対はしなかった。
船山群島のアメリカ軍施設の建設に協力したくらいだから、押さえ役を日本に期待するのは無理だ」
日本と東方ユダヤ共和国はフィリピンの北部側(バラワン島も含む)を主に開発し、アメリカはサマル島周辺の開発を進めていた。
フィリピンの指導者層の人達から見ると、国家の分断政策が進んでいるように映り、危機感を持つようになっていた。
しかし貧しい人達から見ると、支援してくれるところに擦り寄るのは当然の事だった。
日本も東方ユダヤ共和国もアメリカも、フィリピン人の為を思って支援をしている訳では無い。
あくまで自国の利益の為に、フィリピンに支援を行っている。
暗黙の了解の下、日本とアメリカはフィリピンにおいて、奇妙な友好関係を築いていた。
さらに、アメリカの清国への進出を支援している事もあって、今のところは両国は友好関係を保っていた。
スマトラ島をアチェ王国に奪還され、弱体化しているオランダの東インド植民地への進出を、アメリカは狙っていた。
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ニュージーランドは入植者がやってくるまでは、先住民族マオリが部族間で争いながら暮らしていた。
そして白人は殺傷力の高いマスケット銃を始めとして、様々な病気までもニュージーランドに持ち込んだ。
対立する部族に武器を売りつけ、ニュージーランドの土地を入手し始めた。
混乱する現地のマオリの首長を集めて「イギリスはこの地を侵略しようとする外国勢力からマオリを保護する用意があるが、
イギリス領土以外ではその権威が及ばない。一同がこの条約に署名することを希望している」という要求をマオリ首長に行った。
侵略者が他の侵略者を出汁にして、現地の侵略を進めたのだ。結局、列強のパワーゲームの犠牲になった訳だ。
未開の人達を自らの臣下に加える事により、文明の恩恵を授けようと真剣に考えていたイギリス人は多かった。
後世から見ると傲慢過ぎる考え方だが、当時の欧米の主流な考え方だとも言える。だからこそ、平気で搾取や迫害が出来る。
結局、白人がやって来て六十年も経過しないうちに、ニュージーランドの南島のマオリの所有する土地は1%以下になってしまった。
自給自足の生活を長らく続け、自由経済など分からない現地の人達は、生活に困ると僅かな金と引き換えに土地を手放した結果だ。
当然、マオリ族はイギリスへの隷属化に危機感を抱いて反乱を起こしたが、敗北して残った土地も没収された。
マオリにとってイギリスと戦う事は自らの土地を守る自衛的なものだったが、反乱民のレッテルを貼られて先祖伝来の土地を失った。
その後もイギリスの統治は順調に進み、イギリス直轄領から自治領に移行していた。
史実の1899年の時点で、ニュージーランドの人口の約62%がイギリス人移民で占められており、本年に南アフリカで発生する
第二次ボーア戦争に自主的に参加するなど、イギリス本国への傾斜が強かった。
しかし、今回は史実と異なる。オーストラリアを放棄した人達が、ニュージーランドに逃げてきた。
その為、ニュージーランドの人口は激増し、治安の悪化が進行していた。
自治政府上層部は顔を悪くしながら、打開策を巡って討議を重ねていた。
「オーストラリアとタスマニアから逃げ出した奴らの為に、ニュージーランドは人が溢れかえっている。
このままでは、治安も悪化して食料不足が起きるぞ。何とか奴らを、ニューギニアかインドに送れないのか?」
「駄目だ! 周囲の海域を航行すると、『白鯨』が襲撃してくるんだ。
ペナンやインドの艦隊も『白鯨』に沈められた。食料を輸入する事も、人を送る事もできない。まったく手詰まりなんだ!」
「何てこった! メルヴィルの小説が現実化したと言うのか!?」
「本国は飛行船を回そうとしてくれたが、インド洋で消息を絶った。海でも多くの艦艇が失われた。
南アフリカの情勢がきな臭いし、これ以上の支援は無理だと通告された。俺達は見殺しにされるらしい」
「しかし『白鯨』が実在して、軍艦までも襲うなんて信じられない!?」
「目撃者も居るし、本当だ。しかも一匹だけじゃ無い。ペナンの艦隊を沈めた時は、三匹の『白鯨』が目撃されているんだ」
「……俺達が鯨を無節操に殺したから、その報復をしていると言うのか!? そんな事を信じろと言うのか!?」
「ハワイ王国には女神が降臨して、アメリカに報復したんだ。だったら『白鯨』がいても不思議じゃ無いだろう。
我がイギリス艦隊以外にオランダ艦隊、フランス艦隊、ドイツ艦隊、アメリカ艦隊も被害を受けているという情報もある」
「……七年前に日本が捕鯨を控えるべきだと言った事があるが、その時に素直に聞いていれば今回の事態を防げたと思うか?」
「……日本には数々の地震を予知した巫女がいる。インドの地震も予知したくらいだからな。あり得ると思う」
「……何てこった。アボリジニの神の祟りに続いて、今度は『白鯨』だと。神は俺達を見捨てたのか!?」
「最近は国内の工場に不審な爆発事故が相次いでいる。三日前は軍の弾薬貯蔵庫が大爆発した。
マオリ族の反乱も最近は多くなってきている。このまま外部から物資が入ってこないと、弾薬は尽きる。
そうなったら、俺達は丸腰でマオリ族と戦わなくてはならなくなる。そうなったら……」
「人口は既に俺達の方が多いが、マオリ族は戦闘に慣れているからな。銃を失った俺達が勝てる可能性は低いってか!?
冗談じゃ無い! 今更、マオリ族の奴隷に成れるか!? こうなったら、今からでもマオリ族を殲滅するべきだ!」
『白鯨』は天照基地で秘かに製造された海中秘密兵器だ。
大型の鯨の形をしているが表層は特殊金属で装甲され、並みの軍艦なら一撃で艦底をぶち破る事が出来る。
簡易な自立行動制御が可能な機能を持ち、天照基地からの遠隔指示でオーストラリア、ニュージーランドの周囲を遊弋している。
空からの進入は攻撃衛星によって防いで、この地域に誰も入らせない。
『白鯨』を使ったのは、鯨の乱獲を行った欧米に対する強烈な『嫌味』だ。『バハムート』と同じく、見られる事を前提にした兵器だ。
そして『白鯨』は追加製造され、アメリカ西海岸、大西洋、インド洋など主に欧米の漁船や軍艦を対象に攻撃活動を行った。
オーストラリアとニュージーランドの付近の海域には、アボリジニが運営する第二潜水艦隊が配備され、封鎖を完璧に行っていた。
さらに日本で訓練を受けたアボリジニの戦士は、秘かにマオリ族と接触して武器と弾薬を供給し始めていた。
日本としてはオーストラリアとニュージーランドまで進出する気は無いが、イギリス帝国の支配下のままだと何かと不都合だ。
力こそ正義が真理の時代、それを実践して利益を貪った者が零落れた時は報いを受けるのが当然だろうと、
ニュージーランドの支配権をマオリ族に戻そうとする計画は動いていた。
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日本国内は活況に沸いていた。この時期、世界各地を見渡すと不況が多くて、その為に侵略行為に走る国家は多い。
しかし日本の場合は次々に新商品を開発して輸出し、外貨を稼いでいた。それに同盟国や友好国の開発特需もある。
それらの理由から、ここ十年間は日本に不況という文字は存在していない。
しかし経済というのは予測不可能な面もあり、今は右肩上がりの日本経済も何時かは不況に突入する。
その為に、必要以上の設備投資は行わずに、人員も必要以上には増やさない。
フィリピンとペルーの支援において人材不足が発生しているのだが、基本方針を改める気は無かった。
日本の産業の基本部分は日本総合工業が抑えたが、それ以外の分野は協力関係を結んだ関係会社に任せていた。
最近は新興の会社も次々に設立され、色々な分野の産業が拡大している。(主な企業には資金援助を含めて、株式を取得している)
史実では今年に、日本を代表する電気関係会社と菓子業界の大手が設立された。
今回はかなり前倒しに設立されていたので、現時点で主要会社は出揃ったと言えるだろう。
国内の道路や鉄道が整備されたので流通機能が向上し、路線バスや個人用バイクや自家用車(バイクもどき)が出回っている。
同盟国や友好国からの留学生が増えて、大学付近には留学生街ができる程だ。
彼ら留学生によって各国の文化や風習が日本に広まり、民間の交流が進み出していた。
(2013. 6.30 初版)
(2014. 3. 9 改訂一版)