米西戦争が始まってからは陣内は自宅で監視体制をとり、会社業務の指示は自宅から行っていた。
衛星軌道上からの監視を行うには、設備が整った自宅か以前の日清戦争の時に使用した指揮車両が必要だったからだ。
真一(四歳)と香織(四歳)、真治(四歳)と遊びながら、美沙(一歳)の面倒を合間を縫ってみている。
沙織の出産は近く、楓も忙しい日々を送っていた。汎用アンドロイド一体を子守に回しているが、そろそろ限界に近い。
機密保持の関係から外部の人を雇う事は避けてきたが、そろそろ本格的に考える時期だと陣内は感じていた。
天照基地の織姫と直結する様々な機器は、自宅の地下室にあった。
その地下室で、陣内は皇居の指揮車両にいる大元帥と、TV電話回線で会話をしていた。
「アメリカ側からグアムの件の交渉の申し入れがありましたか。少々、思うことがあって今回のアメリカの失敗に付け入り、
フィリピン方面での行動方針を修正したいと考えています。明日の会合の時に詳細を説明します」
『うむ。今回の件は予想外の事だったからな。アメリカ側も相当慌てているようだ。何かとアメリカの譲歩を引き出し易くなっている。
細かい内容は明日の会合の時に聞こう。それにしてもグアムの被害が少なくて良かった』
「駐在部隊の迅速な反撃で被害が抑えられて助かりました。既に復旧は進められていて、被災者には私から見舞金を出しておきます。
それはそうと、フィリピンではスペイン軍の攻略に手間取っていますね。
太平洋艦隊の大部分を失い、フィリピンの革命軍も消極的な事から当然の事でしょうけど。
キューバ方面もアメリカ軍は梃子摺っていますから、こちらは好都合です」
『皇居にいながら現地の状況がすぐに分かるとは、反則している気分だぞ。
しかし機雷を装った艦隊殲滅攻撃は凄まじいな。真上からの映像だが、見ていて戦慄が走った程だ』
「事前に海底に誘導機雷を設置しておきましたからね。潜水艦が実用されていない現在、我々の攻撃だとは絶対に分からないでしょう。
それを上手く利用させて貰います。では明日の会合で」
『ちょっと待て! 真一達は連れてくるのだろうな!?』
「二週間前に皇居に連れていったばかりではありませんか? あまり頻繁だと周囲の目がありますから、御自重願いたいのですが?」
『そ、それは分かるが、少しくらいは良いでは無いか!』
「沙織の出産が近く、子供達は母親の側を離れたくは無いのですよ。出産までは我慢して下さい」
『そうだったな。仕方無い。今回は我慢しよう。それと懐剣を準備させておく。楽しみにしておけ』
社長業というのは、本来はかなり忙しい。しかし、徐々に業務を部下に移管させつつあったので、陣内の負荷は軽くなっていた。
そして天照機関や他の機密工作の方に、重点を置くようになっていた。(子供の世話も含まれる)
ちなみに子供部屋にはTVカメラが設置され、皇居の指揮車両で好きな時に子供部屋の様子が見れるようになっていた。
これも皇居の主からの強い要望だった。そして皇居にある指揮車両には、大元帥と皇太子殿下が度々出入りするのが目撃されていた。
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1894年に日本でラジオ放送が始まった。その当時は日総ラジオ放送の一局だけだったが、現在は三局に増えていた。
とは言え、二局は日総ラジオ放送の管轄で、残る一局は渋沢系列の企業の運営するラジオ局だった。
そして世界各地でも、ラジオ局の開設は進められていった。
詳細な報道は新聞の方が良いが、速報性や音声報道のメリットがラジオにはある。
初期の頃は日本総合工業から高価な放送設備を購入し、ある程度の技術がある国はリバースエンジニアリングで解析して二台目以降の
放送設備を国内で製造、そして順次に各国は国内のラジオ放送体制を整えていった。
受信機の方は協力会社の協力もあって、価格がさらに抑えられた事で国内外に急速に広まっていた。
ラジオによる放送内容はまちまちだ。気象情報やニュースもあれば、公衆道徳や衛生管理の向上の呼びかけもある。
子供向けの番組もあれば、落語まであり、さらには一般から公募した喉自慢大会まで開催されるようになっていた。
渋沢から紹介されたタイ王国の少女二人を陣内は引き取った。
しかし実績も無いのにいきなり自宅に住まわせる訳にもいかない。
そこでグループ会社の事務職で様子を見る事にしたのだが、その二人の美声にラジオ局が目をつけた。
試しに彼女達の歌をラジオで放送すると評判が良かった事もあり、彼女達は定期的にラジオに出演するようになった。
そして今では、タイの歌姫と呼ばれるようになっていた。
話は逸れたが、ラジオのメリットは速報性と広域性が上げられる。
その為に、日本を含む各国の施政者は、自国の都合が良いようにラジオ放送の内容に手を加えていた。
今行われているアメリカとスペインの戦いの事も、当然含まれる。
アメリカがいきなりグアムの日本施設を攻撃した事も報道され、その行く末に国内外は大きな関心を寄せていた。
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アメリカ艦隊がグアム(スペインの領土だが、現在は日本が租借中)の日本施設を攻撃し、アメリカが正式な謝罪と交渉を
申し込んできた事で、天照機関は緊急会合を開いていた。早期に結論を出す必要があったからだ。
「アメリカはグアムを攻撃した事を正式に謝罪してきた。賠償金を支払う予定がある事も伝えてきたが、我が国はどう対応するべきか?」
「グアムの被害が少なかった事もあるし、アメリカと争うのは拙い。交渉でアメリカの謝罪と賠償を引き出せれば良いのでは無いか?
この後にフィリピンでアメリカ軍を蟻地獄に引きずり込む予定だろう。今更、計画の変更をする必要は無い」
「ちょっと待って下さい。確かにアメリカをフィリピンに引きずり込み、補給を妨害して出血を誘う計画を進行中です。
ですがグアムを攻撃された事で、アメリカとスペインの講和の仲介を我が国が申し込んではどうでしょう?
アメリカ軍に大打撃を与える事はできませんが、それは次回のチャンスを待つ事もできます。
日本の国際的な信用も上がるし、現地の住民の被害も減らせる。それにこの機会にアメリカの報道機関を叩くのも良いかと思います」
「どういう内容だ? アメリカ軍の被害を与える以上に、日本に利益があるのか?」
陣内は参加メンバーに修正した計画を説明した。
説明を聞いた他の参加者から呻き声があがるなどの混乱はあったが、陣内の提案は天照機関で承認された。
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季節は夏。フィリピンではアメリカ軍と現地の革命軍が共同して、約一万人のスペイン軍を攻撃している。
そしてキューバでもまだ戦いは続いていた。
アメリカはスペイン海軍を壊滅させたが、それでも十万人を超えるスペイン陸軍は中々降伏しなかった。
主力だった遊撃艦隊が機雷によって壊滅したアメリカ軍は、再編に追われて中々全面攻撃に移れなかったからだ。
プエルトリコの攻略準備を進めているが、まだ発動されていない。
そんな状況の中、日本の呼びかけでアメリカとスペインの講和会議がパリで行われていた。
最初、アメリカは日本の仲介によるスペインとの戦争終結を望まなかった。
独力でスペインを圧倒し、スペインの領土を勝ち取るつもりだった。それだけの国力をアメリカは備えている。
しかしアメリカ側の問題で、中立国である日本の施設をアメリカ艦隊が攻撃して被害が出るという事件が発生した。
史実なら、アメリカは日本の仲介など完全に拒否しただろう。(史実なら、ハワイやウェーク島を補給基地として使えた為)
しかし今の日本は広大な海洋領土を有して、フィリピン攻略に日本の補給は必要不可欠なものとなっていた。
さらに、日本の飛行船部隊や配備された海軍の新型艦艇の戦闘能力が不明で、要注意な存在として認識されていた事も影響している。
その結果、アメリカは日本の講和の呼びかけに渋々応じたのだった。
スペインとしてみれば、日本の講和の呼びかけは渡りに船だ。
そもそも最初から戦意があった訳では無く、因縁をつけられて戦争を仕掛けられた。
負け戦が続いて状況を改善できる見込みも無い。戦いを続けるのは無意味であり、スペインはアメリカとの講和を強く望んでいた。
アメリカの全権代表とスペインの全権代表、そして日本の全権代表が一室に集まって、講和に関する会談を行っていた。
「日本の顔を立てて今回の会談を行う事になったが、仲介など不要だ! 我々は圧倒的に優位だし、スペインとは力ずくで決着をつける!
何と言っても、戦艦メインの報復は必ず行わなければならない!」
「ちょっと待ってくれ! 我々はアメリカと戦う気は無かったのだぞ! 戦艦メインにしても、あれが工作だという物証は無い!
事故という可能性もあるのに、いきなり宣戦布告してきたのはアメリカの方だ!」
「お二人とも落ち着いてください。戦艦メインの爆発の原因が不明なのは、確かでしょう。
つまりアメリカは確たる証拠も無いのに、スペインに宣戦布告を行ったと我が国は認識しています。
もっとも、アメリカが確実な証拠を握っているなら話は別です。証拠があれば提示していただきたい」
「……戦艦メインは海底に沈んでいる。物的な証拠は無いが、状況証拠はスペインだと示している!」
「だったら、我が国が戦艦メインを引き上げて、爆発の事故原因を調査しても良いですが?
我が国を信用できないのであれば、第三国に依頼して事故調査委員会を設立しても良い。
そして事故原因がはっきりするまで停戦というのはどうですか?」
「そ、そんな事は認められん! スペインが工作したに決まっているんだ!!」
「我が国が工作したというなら、はっきりとした証拠を出せと言っているのだ! 証拠も無くて戦争を仕掛けられたのは我が国だ!」
三者会談は紛糾していた。アメリカは確かな物証は無かったが、スペインに戦争を仕掛けた。
それが明白になれば、面子が潰れるのはアメリカだ。日本の提案など呑めるものでは無かった。
仮に引き上げ作業が行われるなら、実力で阻止しなければと内心で考えていた程だった。
日本としてもアメリカを追い詰め、対立する事が目的では無い。落としどころは用意していた。
「二人とも落ち着いて下さい。事故原因については堂々巡りになりそうですから、一先ずは置いておきましょう。
次の問題ですが、アメリカの報道機関は以前からスペインの暴虐を強く訴えていますね。
昨年には『アメリカ婦人を裸にするスペイン警察』という、ありもしない事件を捏造した記事を掲載した新聞社もありました。
こうした新聞社の捏造報道を、アメリカ政府はどう思われていますか?」
「……我が国は言論の自由を保障している。その記事が捏造かは知らんが、誰もが発言の自由は持っている!」
「我が国を誹謗中傷する捏造記事を放置しているのはアメリカだぞ! 改善を求める!!」
「スペイン代表は少し落ち着いて下さい。これでは話が進みませんから。
話を戻しますが、捏造記事でアメリカの世論がスペインとの開戦を望むようになったのは事実です。
後世で『捏造記事によって世論が望むからアメリカは戦争を行った』と評されても良いのですか? 歴史に残る汚点だと思いますが」
「……その記事が捏造だと言う証拠は無いだろう!」
「いえ、あります。我が国の日本総合工業は変わったものを次々に開発しています。
発表を止めて、販売のタイミングを図っている商品があるのですが、その一つがこの携帯型の音声録音器です。
手のひらサイズですが、人の会話なら約十分間の録音と再生ができます。これで面白い話をニューヨークの店で録音しましてね。
聞いてもらいましょうか」
その後に日本代表は機器の操作をして、ニューヨークの某店での捏造記事を書いた記者の独白を再生した。
この当時、人の声を録音できる機器など存在してない。その記者にしても、自分の発言が録音されるなど考えた事も無かっただろう。
その記者は捏造記事で読者が増えて、所属している新聞社の利益になり、収入が増えたと喜んでいる事を自慢げに語っていた。
そして馬鹿な大衆が欲しいのは真実では無く、虚構であっても刺激的な記事だと言い放っていた。
そこまで聞いたアメリカの全権代表の顔は真っ青になった。
まさか捏造記事を書いた記者の独白が、録音されているとは思ってもいなかった。これがラジオで放送されたら大問題になる。
(それができる機器を日本が開発した事を驚異に感じたが、その事に対する言及は無かった)
これが公になればアメリカの面子は丸潰れになり、対外的な信用も失墜して、国内的にも非常に拙い。
どうするべきか? アメリカ代表は咄嗟に日本代表の持つ音声録音器を奪うべきかを考えていた。
そんなアメリカ代表の動揺は、日本代表に簡単に悟られていた。
「これはコピーができます。オリジナルは別の場所に保存してありますよ。変な事は考えないで下さい。
さて、捏造記事を書いた新聞社をどうするか、アメリカ政府の見解を聞かせて頂きたい」
「……経営者と捏造記事を書いた記者に厳重注意をして、二度と再発しないようにさせる」
「それでは不足ですね。何も我が国のように捏造記事を書いた新聞社を潰せとは言いませんが、厳しいペナルティを与えて貰わないと。
アメリカは大国です。一部の金目当ての記者や経営者によって、国家方針が歪められるのは好ましくはありません。
友好な関係を築きたいと考えている我が国にとって、看過できない内容です。
それともアメリカは我が国のような小国の希望を聞き入れる度量はありませんか?」
日本は基本的に言論の自由は認めていたが、報道機関に関しては厳しい規則を設けていた。
捏造記事を書いた新聞社や記者には、厳しい処罰を行う法律(報道規制法)を制定させていた。
記者は二度と同じ職業にはつけなくなり、内容の捏造度やそれによる被害の範囲によっては新聞社が潰される事もある。
日総新聞は法律の制定前でも、偏向報道を行っていた新聞社を何社か潰していたが、イタチゴッコの為に法で制限する事にしていた。
個人同士であれば、異なる意見も良い。議論の最中であれば、恣意的な発言も交渉術として認められる。
しかし、世論に影響を与えるラジオ放送や新聞報道については、捏造や偏向報道を一切認めない方針を採っていた。
同じ事をアメリカに求める気は無かった。
しかし将来を考えて、アメリカに巣食うイエロージャーナリズムに染まった新聞社を、この機会に潰す計画を陣内は立てていた。
アメリカ代表は自国の政府指導層がスペインとの開戦を望んでいた事は、当然であるが知っていた。本人もそうだからだ。
しかし建前は、世論に押されて開戦を決意したというスタンスを取っていた。
その為、アメリカの新聞社が捏造記事を書いて世論を煽って、開戦に繋がったと世界に認知されるのは非常に拙かった。
しかし物証は日本に握られている。これはどうあっても日本を懐柔するしか手段は残されていないとアメリカ代表は考えていた。
今の日本代表の発言を聞くと、鵜呑みにはできないが日本はアメリカとの友好関係を築きたいという。
アメリカ代表は落としどころを探る為に、日本代表の出方を探った。
「……では日本の要求を聞きたい。出来る事と出来ない事はあるが、まずは日本の要求を聞いてから判断させて貰おう」
「二度と捏造記事を書いた記事が出回らないように、国内の制度改革を進めて下さい。
内政干渉と言われるかも知れませんが、アメリカには大国に相応しい度量を示してもらい、公明正大な方針を維持していただきたい」
「それは直ぐに約束できる事では無い。帰国してから検討する必要がある。
如何に全権を持っているとはいえ、それは戦争の終結に関してだけだ。
国内の改革は基本的に権限には含まれていない。今は検討するとしか言えない」
「それで結構です。我が国はアメリカの大国としての器を見せていただきたいだけですから。
さて、少々、私の独り言を聞いて下さい。
我々はアメリカが中国大陸に進出を考えていて、その中継拠点としてフィリピンを欲しがっていると分析しています。
ああ、反論は良いです。日本は中国大陸の内陸部に進出する気は一切ありません。船山群島の借用権を入札に掛けたくらいです。
アメリカが中国大陸に進出したいと考えるならば、我が国は協力する意思があります。ただ、西太平洋の海域の安全は譲れません。
これが前提です。そしてこれから言う事が我が国が考えた停戦内容です」
そう言って日本代表はアメリカ代表とスペイン代表に、天照機関で承認された講和内容を説明した。
アメリカとスペインは即時停戦し、スペインはフィリピンの独立を承認する。
その時、スペインは宗主国として権益を残せるようにし、アメリカにはフィリピンの太平洋側のサマル島を割譲する。
さらにフィリピンの独立準備委員会にはアメリカ代表と日本代表を組み入れ、アメリカと日本がフィリピンの近代化を支援する。
スペインは宗主国としての面子を立てて権益を残し、アメリカには一部と言えど中継基地になる領土を進呈する。
日本は近隣諸国の騒乱を望まないので近代化の支援をするが、それはアメリカと共同で行うというものだ。
キューバはアメリカに割譲するが、まだ攻略が始まっていないプエルトリコはスペイン領として残す。
スペインが根本的な改革を行わなければ、いずれアメリカの手に渡るだろうが、取り敢えずはこの条件で講和する。
アメリカにもスペインにも配慮した内容だ。しかし、このような会議では本当に欲深さが出てくる。
日本は二国に配慮した提案をしたが、アメリカからみれば得られる領土が少なく、被害の大きさから納得できる内容では無い。
スペインとしても領土を失うのは出来るだけ避けたいから、日本の提案に直ぐに首を縦に振る事は無かった。
それらを纏めるのが仲介役の器量だ。アメリカ側には捏造記事を書いた新聞社を犠牲にして、国内を納得させろと迫り、
スペイン側には今までの圧政のツケが出てきた報いで、この停戦状況を呑まなければ、カリブ海とフィリピンの権益は全て失われると
脅迫した。
さらに日本はこれを機にスペインの統治能力の無さを槍玉にあげ、グアムを租借から日本政府への割譲に変更するように求めた。
喧嘩両成敗では無いが、三者とも痛みを伴い、それなりの僅かなメリットがある講和内容だった。
(フィリピンの革命勢力にしてみればサマル島は失うが、独立できる。これで納得して貰う方針だ)
これに同意しなければ、アメリカは日本の補給無しでフィリピン攻略を進めなくては成らなくなる。
しかしこの講和内容を承諾すれば、これ以上の被害が出る事無くフィリピンのサマル島が手に入る。
フィリピン全土から比較すると小さいが、中国進出の拠点には十分な大きな島だ。
そしてスペインはこれに同意しなければ、フィリピンとキューバ、プエルトリコを失う羽目になる。
だったらフィリピンの権益とプエルトリコが残った方が良いのは間違い無い。
日本はフィリピンへの支援を約束させられたが、近隣諸国の安定は望むものであり、提案したからには実行する気はあった。
利益と言われると、グアムが租借から割譲に変わるだけだ。
「……良いだろう。アメリカはその条件を呑もう。確認するが、フィリピンの独立準備委員会には我が国の人間が含まれるのだな」
「それは勿論です。しかし我が国も入ります。日本はフィリピン人を搾取しようとは思っていませんから、その辺りは考えてください。
アメリカが所有するサマル島も、あまり過酷な搾取が続けば住民は近隣に逃げ出しますよ。その辺りは注意して下さい」
「……良いだろう。異論は無い。スペインはどうだ?」
「……日本代表は我々がプエルトリコを失う可能性に言及したが、本当にそう考えているのか?」
「スペインの統治が上手く行っていないから、混乱が発生する訳ですよね。上手く住民を統治すれば良いだけの話です。
今回はこれで事が収まるかも知れませんが、圧政を止めなければ混乱はまた発生するでしょう。
その時にアメリカに占拠されても日本は関知しません。何と言っても我が国から遠いカリブ海の事ですからね。
その辺りは後でアメリカ代表とじっくり話し合って下さい」
「待ってくれ! 日本は各国に支援を行って工業化を進めているな。モロッコとプエルトリコにも進出できないか?」
「はあ? 我々にカリブ海や西アフリカにまで進出しろと!?
遠過ぎますし、今の我々は開発すべき多くの領土と同盟国や友好国がありますから、そんな余力はありません。
それにプエルトリコは現地の自治を認めているのでしょう。そちらの確認をする方が優先ですよ」
「それは我々が行う。しかしこのままではプエルトリコは発展せずに、遠からず我々の権益も失われる。
だから日本に協力を頼みたいのだ! パラオについても相談させてくれ!」
「……この講和の後でゆっくりと話し合いましょう。ですが、我が国は極東の小国なのです。あまり過大評価をされては困ります。
ああ、そうだ。この講和が済んでも、フィリピンは少し厄介な事が起きるかも知れません。注意した方が良いでしょう」
「フィリピンで厄介な事? 独立した上で、何か別の問題が発生すると言うのか?」
「オランダの介入ですよ。フィリピン革命軍がオランダ製の武器で武装しているのは、我が国でも確認できています。
アメリカもスペインも確認していると思います。どうやら東インド植民地(インドネシア)を失いかけているから、
フィリピンに介入してきた可能性があります。今後も注意した方が良いでしょうね」
「……その情報は知っている。確かにオランダには注意が必要だな」
「我々からフィリピンを奪おうとしていたのか。確かに油断はできぬ」
アメリカとスペインに対して硬軟両方を合わせた交渉術で、何とか講和に漕ぎ着けた。
日本にフィリピン開発という負担は掛かるが、それでも将来のメリットになる。
まあ、プエルトリコとモロッコの方は進出する気は無く、天照機関に報告はするが実行に移される事は無いだろう。
地理的な面からパラオへの進出は可能性はあるが、それも天照機関の判定待ちになる。
当初の計画では、アメリカをフィリピンに引きずり込んで消耗戦を行わせる予定だった。史実のベトナム戦争の再現を目論んでいた。
だが、フィリピンの被害も大きいだろうし、仲介する事で日本の国際的信用も高まるといった理由から計画は変更された。
そして何時かはインドネシア全域の解放を狙う日本は、アメリカとスペインにオランダを警戒するように仕向ける事もできた。
上等とも言える結果に、日本代表は意気揚々として帰国の途についていた。
史実では十二月に和平条約が結ばれたが、今回は四ヶ月も早く行われた。
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アメリカとスペインの戦争に終止符が打たれたが、アメリカ国内世論はかなり批判的だった。
スペイン人の暴虐を止めさせるという大義名分を掲げ、戦艦メインを騙まし討ちされた敵討ちを行う為に戦争に突入したのだが、
アメリカ海軍の太平洋艦隊とカリブ海艦隊の主力を失うという大被害を受けてしまった。艦艇もそうだが、多くの人員が失われている。
そんな被害を被ったのに、得られたのはフィリピンのサマル島とキューバだけだ。
受けた被害の割りに得られた利益は少ないと、世論の批判は政府に向けられた。
しかし、スペインに対する報道が捏造だらけだった事が徐々に広まるにつれ、批判の声は小さくなっていった。
スペインが植民地の搾取を行っていたのは事実だが、『アメリカ婦人を裸にするスペイン警察』など何処にも証拠が無いと報道された。
戦艦メインの爆発にしても工作によるものでは無く、事故の可能性が言及されるにつれ、政府への批判は収まっていった。
要はスペインと戦えと熱狂的に煽った国民は、新聞社の捏造記事に騙されたと気がついた。
そうなると捏造記事に煽られた自分達が悪い事など忘れて、新たに得た領土をどうするべきかと言う議論に変わっていった。
アメリカの法律で報道機関の規制が入る事は無かった。
しかし、捏造記事や過激な戦意を煽る記事を掲載した新聞社の読者離れは進み、次々に倒産していった。
まだ良識がある新聞社やテキサス新聞(陽炎機関の運営)が、捏造記事を書いた新聞各社を徹底的に追求していった為だ。
また、オランダがフィリピンに進出を目論んでいるらしいとの噂が流れて、国民のオランダへの感情が徐々に悪化していた。
一方、スペインの世論も厳しかった。いかに仕掛けられた戦争とはいえ、フィリピンとキューバを失ったのだ。
フィリピンの権益は残るとは言え、独立が決められた為に従来のように強制的な税の取立ては不可能になる。
プエルトリコは反乱が相次ぐので自治を認めており、それでも何時かは独立の機運が高まるだろうと予測されていた。
以前は栄華を誇ったスペイン帝国だが、今のスペインに嘗ての栄光は無い。
秘かにプエルトリコとモロッコの開発を日本に依頼して断られた事も噂され、スペイン王家の威信を下げていた。
さらにオランダがフィリピンに進出を図っていた事も報道されて、国民のオランダへの感情は徐々に悪化していった。
日本はアメリカとスペインの調停が上手くいった事で安堵していた。
一応、その二国との関係は良好であり、アメリカとは共同でフィリピンの開発を行う事が決定した。
日本の支出も多いだろうが、これでフィリピンの国内が安定してくれれば、南シナ海は安定する。
それに将来の大事な友好国になりえる可能性がある。アメリカの出方次第もあるが、フィリピンの開発が順調に進む事を願っていた。
プエルトリコとモロッコの開発支援要請は正式に断った。フィリピンの開発を進める事が優先であり、余力が無いのは事実だ。
それに大西洋に進出するには時期的にも早過ぎる。今、進出しては列強の争いに巻き込まれる事は必須だ。
パラオはスペインの権益は残しながらも、100年の租借契約を結んで日本が開発する事になっていた。
フィリピンの現地の革命勢力は戸惑っていた。
独立できるのは嬉しいのだが自分達を抜かして決められたので、肩透かしを食らった気分だ。
それにサマル島はアメリカに奪われてしまう。全フィリピンの独立を目指していた彼らにとって、悔しい事には変わりは無い。
しかし現実的に考えて、スペイン軍を追い出すにもかなりの犠牲を要するだろう。
その犠牲が無しに独立ができるのは良いことには違いない。他の列強の植民地から見ると、贅沢に感じられるだろう。
アメリカと日本の紐付きになるが、それでも自分達の政治が可能になる。
今までの日本のやり方を知っているので、今よりはだいぶマシになるだろうと現地では考えられていた。
秘かに支援してくれたシーボルト商会からの説得もあり、フィリピンの革命勢力はサマル島のアメリカへの譲渡に同意していた。
アメリカとスペイン、フィリピンの革命勢力、そして日本。四者とも痛みを伴うがメリットもあって、この結果を受け入れた。
日本は損の方が多いように各国からは見られ、パークナム事件に続く二回目の戦争仲介は、日本の国際的信用を高める結果になった。
しかし、この結末を快く思っていない別の勢力もあった。
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アメリカとスペインの講和は、世界に驚きをもって迎えられていた。
国力から比較するとアメリカの圧勝になると予想されていた。それが日本の仲介によって、痛み分けとも言える結果になった。
弱肉強食の帝国主義全盛の時代だ。今回のような中途半端な結果に終わるというのは極めて珍しい。
しかも日本はアメリカと協力して、フィリピンの近代化を進めると正式に発表していた。
ハワイ王国やタイ王国、オスマン帝国、エチオピア帝国を見れば、フィリピンの未来が予想できる。
(イラン王国はまだ成果が出ていないから除外)
しかし、他人の幸福を喜ぶ人間だけが居る訳では無い。
李氏朝鮮の国王である高宗は、今回のアメリカとスペインの戦争の顛末を聞いて考え込んでいた。
日清戦争の時に日本と対立して、結局は従来の宗主国である清国側について参戦し、そして敗れた。
その結果、半島南部の領土を日本に奪われて、今はそこに東方ユダヤ共和国が建国されている。
日本は李氏朝鮮と隣国関係にあったが、まったく関係の無かったユダヤ人の国を創る事で、隣国関係を解消させた。
李氏朝鮮の宗主国は清国だと日本は認め、国交を断った。お陰で国内経済は滅茶苦茶になり、今でもその影響は残っている。
南部を失った為に、慢性的な飢餓が国内に蔓延している。
国内利権と国民を労働力としてロシアに売却しているが、未だに膨大な借金を抱えて国の財政は厳しい。
ロシアに売られていく国民は増える一方で、人口は減少傾向が続き、最近では税の収入も減少している。
このままで本当に良いのか? 隣国である東方ユダヤ共和国が、日本の支援を受けて発展していく様子は知っている。
自分達は道を誤ったのだろうか? しかし、今となっては日本と再び関係を結ぶ事は不可能に近い。
それほど日本との関係は悪化している。隣国である東方ユダヤ共和国も国境を厳しく閉鎖して、交易など殆ど無い。
自分達の生き残る道は、ロシアの力を利用して隣国である東方ユダヤ共和国の富を奪うしか無いと高宗は考えていた。
清国の西太后は日清戦争後の日本、そして同盟国と友好国の発展を知り、内心で激怒していた。
日本は同盟国や友好国に工作機械を次々に輸出して、その国の工業化を進めている。
国内でさえ開発が終わっていないだろうに、海外にまで工業化の支援を行うとは日本の国力を見誤ったかと後悔している。
清国の内陸部に日本は進出しないと宣言した。
当時は列強の面当てに歓迎した宣言だが、言い換えれば日本は清国の近代化に協力しないと言ったのだ。
事実、日本は武器や弾薬などを輸出する代わりに、国内の資源をごっそりと持ち出している。
しかも売るのは陸軍用の兵器だけで、艦艇や飛行船などの高度な技術を必要とする兵器は売らないと断られている。
今の清国にとっては国内の治安を維持する為にも、日本からの武器と弾薬の輸入は必要だ。
列強に対抗できる武器を売ってくれなくても、国内向けには有効なので日本からの輸入を止める事はできない。
西太后はそこが面白くは無い。大国である清が、日本の掌の上で転がされるような感覚を受けていた。
日本は清の資源だけを欲しがり、内陸部に進出してくる気配は一切無い。それどころか列強の清国進出を歓迎している節さえある。
付き合い方を改める事が必要だろうが、どれが最善なのかは西太后には判断できなかった。
税率を上げた事で、国内の不満が高まっている。列強の国内進出は徐々に進み、清国は力不足で止める事はできない。
どうすれば清国の威光を再び取り戻せるのかを、西太后は秘かに考え続けていた。
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アメリカとスペインの講和は、オランダでも報道されていた。その講和後の各国のオランダへの風評も、知れ渡っていた。
その結果、オランダ政府の上層部は疲れた表情で塞ぎこんでいた。
オランダがフィリピンの侵略を秘かに進めているという噂が流れ、アメリカやスペインとの外交関係が徐々に悪化した。
身に覚えが無い事もあり、無実を訴えたが、実際にフィリピン革命軍で使用されている武器はオランダ正規軍と同じものであり、
そう言われると反論する術が無かった。調査隊を送り込もうとしたら、あっさりと拒否されてしまった。
「こっちはイギリスが秘かに支援している北部アチェ王国の反撃を受けて、スマトラ島を放棄する寸前なんだぞ!
しかもボルネオ島やジャワ島でも反乱が起きそうなんだ。フィリピンなんかに手を出せるか!」
「こっちがスマトラ島を失いそうだから、俺達がフィリピンを手に入れようと思われているんだろう。
まったく、オーストラリアを失いかけているイギリス野郎と一緒にするなって!」
「外交上は非常に拙い。何しろイギリスとアメリカ、スペインとの関係が険悪化している。
スペインなんかどうでも良いけど、今のイギリスとアメリカと敵対するのは絶対に拙い。何とか関係を改善しないと」
「そうは言っても良い方法なんかあるのか? 今の俺達に出来る事なんか無いぞ。
下手にフィリピンと交易しようものなら疑われるし、かと言って支援する余裕も無いんだ」
「それは分かるが、放置しておく事だけは絶対に拙い。何とか知恵を絞らないと」
「アメリカが得た領土はフィリピンのサマル島だけだ。一つぐらい東インド植民地の島を買わないかと持ちかけてみるか?」
「馬鹿を言え! アメリカに媚びてどうする! それにそんな事をしたら、足元を見られるだけだ。それこそ骨の髄まで吸われるぞ!」
「それが普通なんだけどな。今回みたいな中途半端な講和が結ばれるなんて予想外だよ。やはり主因は仲介した日本か?」
「そうみたいだな。我々とは違う考え方だ。東洋の神秘かも知れん。もしくは仏教の影響かもな。何れにせよ、最近の日本は要注意だ。
ハワイ王国や東方ユダヤ共和国、タイ王国にオスマンやエチオピア、イランまで手を伸ばしている」
「日本が江戸時代に鎖国していた時に交易していたのは我が国だけだったが、その日本が此処まで発展するとは想像すらしていなかった。
これはどういう事なんだろうな?」
「やはり巷で噂の巫女の存在が影響しているのかも知れん。最近の日本の急発展は異常過ぎるからな」
「日本との関係を深めておいた方が、我が国のメリットになるか。上手いこと日本を利用できないかを検討してみる事にしよう」
オランダ本国は小さく、周囲には列強が犇いているので、対抗するにも植民地から富を吸い上げる必要に迫られていた。
しかし現実にはスマトラ島は生き残っていた北部アチェ王国に大部分が奪回され、残った領土も不穏な空気が漂っている。
搾取を止めれば良いのだが、本国が生き残る為には富が必要なので、方針は変えられない。
これも帝国主義時代ならではの葛藤かも知れない。一度、その盤上に上がったからには、降りる事は滅亡を意味していた。
そして強かなオランダ人は諦めずに、台頭してきた日本を利用する事を考え始めていた。
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今回のアメリカとスペインの講和を、イギリスは複雑な視線で見つめていた。
アメリカがスペインとの開戦を望んでいたのは知っていた。しかしイギリスの権益を侵すものでは無いから放置していた。
清国にアメリカが進出してくるならイギリスの権益に影響してくるだろうが、今はまだその時では無いと考えていた。
スペインは既に没落した国だ。戦争をすれば容易に勝てるが、大義名分が無いとさすがに開戦はできない。
フィリピンは資源が豊富という訳では無く、それなら清国の方がイギリスの利益になると考えて重要視していなかった。
イギリス帝国は全世界に広大な領土を抱える世界帝国だ。
あまり些細な事に熱心な訳では無い。それより得た権益を守る為に、色々な工作も秘かに行っている。
今のところのイギリスの相手は、世界を舞台にグレートゲームを繰り広げているロシア帝国だ。
欧州方面はクリミア戦争に介入し、中東ではイラン王国の南北に勢力を競い合っている。そして今の問題は東アジア方面だ。
ロシアは奴隷を使って、急ピッチでシベリア鉄道の建設を進めている。
これが完成すれば、西の兵力を迅速に東に展開する事も可能だ。
そして満州を占拠すれば、南下してイギリスの勢力圏に進出してくる事は間違いないと考えられていた。
イギリス本国から見ると、中国大陸は遠い。小規模ならともかく、大兵力を展開するには難がある。
そこで考えられていたのが、東方ユダヤ共和国と日本をロシアの防波堤にする事だ。
日本は東方ユダヤ共和国をロシアの防波堤に考えていたが、イギリスはその二国を防波堤にと考えていた。
最近の日本の発展は凄まじいものがあり、海外への進出速度やその手法はイギリスにとっても驚異だった。
今回はアメリカとスペインの戦争の仲介役を見事に務めた。既に発展途上国とは呼べないとイギリス政府首脳部は考えていた。
カナダの西部を伝染病の為に封鎖して、オーストラリアを失ったイギリス帝国にとって、これ以上の権益の喪失は認められない。
何とかしてロシアの脅威から自国の権益を守ろうと、日本と東方ユダヤ共和国を引きずり込もうと画策していた。
日本の国力が増加している事は認めるが、まだまだ外交は甘いと判断していた事も影響している。
自分達だったらフィリピンへの支援など行わずに、植民地支配を行うだろう。
それにスペインから申し込んだプエルトリコとモロッコへの進出を断るはずが無い。美味しい餌を見過ごすような甘い事はしない。
それを断った日本は自国の限界を知っており、フィリピンへの支援を決めた日本は非情な決断が出来ないのだろうと推測していた。
最近はオランダとの関係も徐々に険悪化している。ここでアジア方面の番犬を探すのも悪くは無いと考えていた。
フランスとドイツ、ロシアも似たような日本の診断を行っていた。
フィリピンが誰の所有物になろうと、自国の権益が侵害されないなら構わない。
アメリカが本格的に中国大陸に進出してくるなら大きな問題になるだろうが、今はその時では無い。
ただ、日本が戦争の仲介役を務めたのは二回目であり、アメリカ相手にこんな渋い結果を承諾させた手腕は侮れないと評価されていた。
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日本が積極的に支援を行っているハワイ王国、東方ユダヤ共和国、タイ王国でも今回の日本の仲介は高く評価されていた。
逆に日本がフィリピンの過酷な支配に参加していたら、評価は下がっただろう。
そういう意味でも日本が決定した方針は、一部では甘いと評価されても同盟国や友好国の間では好評だった。
それは日本が制限した支援を行っているオスマン帝国、エチオピア帝国、イラン王国でも同じ評価が下されていた。
工業化の速度は日本の本国に近い三ヶ国には劣るが、それでも着実に進んでいる。
本国からの直接支援と【出雲】からの支援の違いという事で納得して貰っている。
工業化もそうだが、軍事力の整備にも【出雲】は一役買っていた。主に陸軍の兵器がメインだ。
今のオスマン帝国に海上戦力や航空戦力を与えると、後々拙い事になる可能性が高い。
エチオピア帝国は内陸部であり、イラン王国についても海上からの侵略はケシム島とラーラク島で抑えるつもりだ。
飛行船は列強しか所有していない最新兵器という事もあって、そこら辺の軍事バランスには気を使っていた。
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以前に新聞社を経営していた資産家の殺人事件がアメリカで発生したが、犯人は直ぐに逮捕された。
犯人は少し前まで戦争を行っていたスペイン国籍の人間であり、その後の取調べが進むにつれて驚くべき事実が判明していた。
動機は怨恨だ。捏造記事により戦争が発生し、その為に犯人の父親や兄が死んだ為の報復が動機だった。
犯人が若い女性という事もあり、この事件はアメリカで大々的に報道され、捏造記事に関わった関係者を震え上がらせる結果になった。
その後も捏造記事に関わった記者が殺害される事件が相次ぎ、アメリカはスペイン国籍の人間の入国を制限する事になった程だ。
所属する新聞社の利益の為に捏造記事を書いた報いは、己の命で支払う事になった。
そのような報道が良識が残っている他の新聞社を中心にして行われ、アメリカ国民に対しての警告が行われた。
犯人である若い女性への同情が集まり、そして捏造記事で利益を貪った事が知れ渡った人間は国内の厳しい視線に晒された。
一過性の事件であり、アメリカの上層部は過激な報道機関を全て潰すつもりは無い。
ほとぼりが冷めれば、また過激な報道機関が復活するが、今は時期が悪かった。
その為にアメリカ国内で一時的に、イエロージャーナリズムに対する魔女狩りに似た摘発行為が頻繁に行われた。
それらの動きに、陽炎機関が関わっている事を知るアメリカ人はいなかった。
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今回の米西戦争の結末は、アメリカ政府にとって満足するものでは無かった。それは財界も同じだ。
特に財界のメンバーから見ると、満足な市場も得られず、道具の一つだった複数の新聞社が潰された。
だが、それで諦める程、財界の人間は単純では無い。今後をどうするか、一部の財界人は集まって会議を開いていた。
「海軍が大きな被害を受けた割には、得られたのはフィリピンの島の一つとキューバだけだ。
採算が取れないぞ。まったく交渉を行った政府も不甲斐ない!」
「そう言うな。捏造記事を書いた記者の言葉が、日本によって証拠として録音されているんだ。
噂だけならまだしも、あれがラジオ放送で世界に流れては、アメリカの信用は失墜する。ここは我慢するべきだ」
「潰れた新聞社は片手では足りないんだぞ。上手く世論を誘導できなくなるし、まったく今回は旨味が無い。
どこで利益を回収するかを検討中だ」
「それを言ったら、グアムが租借地である事を忘れて、日本の施設に攻撃を加えた馬鹿共の責任もある。
あれが無かったら、日本が介入してくる事も無かっただろう」
「攻撃を命令した馬鹿な艦長は反撃を受けて戦死した。海軍上層部も人員を入れ替えたし、同じ問題が起きる事は無いだろう。
それより今回得た領土を使って、いかに利益を拡大するかだ」
「フィリピンの独立準備委員会には我々のメンバーを送り込める。
そこで上手く現地の奴らをコントロールして、我々が有利なように事を運ぶ方向にすれば良いだろう。
日本と対等というのが癪に障るがな。キューバは我々の完全管理下になるから良い。
プエルトリコも南米と同じように徐々に経済支配を進めれば良い。今回の成果は少ないが、計画が挫折した訳では無い」
「南米と言えば、ペルー政府が日本と接触を始めたとの報告がある。日本が他と同じくペルーの工業化を進めると、後々厄介だぞ」
「自国の近隣を押さえ始め、中東やアフリカ、そして今度は南米にも手を伸ばすか。ますますもって日本を警戒するべきだろうな。
今回のフィリピンの開発で、日本人の性格や技術力を見極める必要がある」
「色々な商品を次々に開発して、隠している技術もあるだろう。あそこの巫女の存在も気懸かりだ。
先端技術を持ち、外交手腕も侮れないものはあるが、全体の国力は我が国には及ばない。
正面きって対抗する国力は無いから、我が国への配慮は行っている。敵対視するより、上手く利用する事を考えた方が良い。
話を戻すが、フィリピンはスペインの過酷な搾取で、原住民の生活はかなり貧窮している。
我々が大量の物資を支援して、現地の奴らを引き付けて日本との乖離を狙う。我々に従う現地政府を別に樹立させても良いだろう」
「ふむ。我が国の圧倒的な国力をフィリピンと日本に見せつけ、その後に我々の支配を強めるか。
一時的にフィリピンに資金を投下しなくてはならないが、長期的に考えれば原資は回収できる。
中国大陸への進出は予定通りに進めるが、サマル島はオランダの東インド植民地に手を出せる位置にあるな」
「オランダか。フィリピンを得ようと動いていたな。零落れた国の癖に、広大な海外領土を持っている。
あそこの混乱に乗じて進出できれば、フィリピン全土を手に入れられなくなっても、お釣りが来る。良い手かも知れんな」
「オランダの東インド植民地を手に入れ、中国にも進出すれば良い。
フィリピンの計画は狂ったが、日本との国力差を見せ付けて現地の奴らを引き込めれば、計画の修正は十分に可能だ」
アメリカは日本を油断できない存在として見ていたが、まだ国力比では圧倒的な差があると判断していた。
その日本と同格でフィリピンの開発を行う事に忸怩たる思いもあったが、それは封印した。
日本を上回る物資を投入して差別化を図り、現地政府を自国側に引きずり込めれば、後はアメリカの自由にできる。
それにサマル島に一大拠点を建設して、中国大陸やインドネシアへの進出の足掛かりにしようと計画を進めていた。
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一連のゴタゴタはあったが、何とか事態は落ち着きを取り戻していた。
そして今後の方針を確認しようと、天照機関は会合を開いていた。
「アメリカと共同してフィリピンの近代化を進めるのか。しかしアメリカが素直にフィリピンを支援をするのか?
史実ではフィリピンの抵抗勢力約60万人を殺して、植民地支配を進めたのだろう」
「建前では共同で支援するとは言いましたが、アメリカは自国の企業を有利なように持っていくでしょうね。
それでも良いではありませんか。フィリピンの近代化を進められます。そして行き過ぎた搾取は地元の反感を買うだけです。
そうなれば権益を失う羽目になり、それを防ごうと介入した時こそ、史実のベトナム戦が行われる事になります」
「一度はアメリカに配慮したという事か。これで行動が改まれば良し、変わらなかったら泥沼が待っているか。
些かフィリピン人を道具扱いしているようで、少し悪い気がするが」
「他の過酷な搾取を受けている植民地から見たら、血を流さずに独立が手に入るのだから、棚から牡丹餅のようなものだぞ。
しかし痛みを伴わない独立は、勘違いして傲慢になる可能性もある。史実でもそういう国があったと聞く。
試されているのはアメリカだけでは無く、フィリピンの住民もそうだ。
武器を背景に強圧的に出てくれば、我々は撤退するだけだ。その時はフィリピン人に深い後悔をして貰う」
「今回はフィリピンの被害を抑えるのと、アメリカの被害も抑えると言った甘い決断です。
ですが、これを日本が提案して実行した事に意味があります。
諸外国は日本を甘いと判断する国と、情け深い国と判断する国に別れるでしょう。そして日本の評価も良い方向に向かいます」
「それは貴重な財産だ。甘い判断でも国を滅ぼすような危険な賭けをした訳では無い。隣人の善意を期待しただけだからな。
仮に裏切られても傷は浅い。そして二度と甘い判断をしないように気をつければ良い事だ。
そして隣人の善意を踏み躙った者達は、その報いを受けるだけだ」
「最悪の場合ですがね。良い具合に進む可能性もありますが、警戒は怠らないようにしておきます。
パラオ(面積:458km2)の方は官吏を派遣して、グアムを使って慌てずに開発を進めます。
あそこ小さいですからアメリカも手を出して来ないでしょう。開発を急ぐ必要はありません」
今回の天照機関の決断は、アメリカとフィリピンの善意に期待するところが大きい。そして失敗の可能性もある。
しかし、今回のような提案と実行を行ったという諸外国の評価は、貴重なものであると判断されていた。
失敗してもリスクは低く、その場合の挽回策も用意してある。取り敢えずは会談を積み重ねて、フィリピンの近代化を行う。
何も時間が迫っている訳では無く、ゆっくりと時間を掛けて行えば良いと考えられていた。
日本を甘い国と考える国も出てくるだろうが、その時は深い後悔をして貰うつもりだった。
「米西戦争の真っ最中でも、我が国はグアムで被害を受けた以外は平穏だったな。順調に進んでいるのかね?」
「今のところは大丈夫です。新たに得た領土や同盟国、友好国の開発は順調です。エチオピア帝国やイラン王国の工業化が進むのは
まだ先の話ですが、武器を大量に搬入しましたので防衛力の強化は進められました。
それより、イタリア王国の反発が日増しに大きくなっているのが問題です。来年辺りに、紛争が起きる危険性もあります」
「寧ろ、現状ではそれを望んでいるのだろう。
エチオピア帝国を大きくするのと我々が勢力を伸ばすには、イタリア王国と対決する必要があるからな」
「その為にも【出雲】の艦隊の拡張は現在も続けています。ケシム島とラーラク島の施設の建設も順調です。
数年後ならエチオピア帝国と協力して、イタリア王国の植民地を奪えますよ」
「本格的に戦うのはエチオピア帝国だ。今までの怨恨もあるから、彼らの戦意も高いだろう。
我々はそのおすそ分けをいただくと言う事だな」
「イタリア海軍は完全に我々が抑えますし、イタリア陸軍は飛行船を使った爆撃で対応します。
正直に言えば、対ロシア戦争の前に手札を晒したくないという気持ちもありますけどね」
「その程度の手札であれば問題はあるまい。それよりアラビア海と紅海の要衝を手に入れられれば戦略の幅が広がる」
「まだまだ開発に努めていたいのだがな。イタリア側が望むなら仕方あるまい」
「イギリス帝国はオーストラリア放棄を正式に決定したし、オランダの東インド植民地でもスマトラ島の解放は近い。
来年は米比戦争(アメリカとフィリピン間の戦争)が起きぬ代わりに、他で大きな戦争が起きる可能性もあるかも知れぬ。
南米も動きがありそうだし、油断しない事だ」
既に天照機関の介入で、史実とはかなり変わってきている。今回のアメリカとスペインの戦争の仲介を日本が行ったのも大きい。
自ら動いて歴史を変えた訳だが、出席者に後悔の色は無い。結果的に日本に良い方向になると信じているからだ。
その因果は不明だが、南米のペルー政府から進出要請が日本に届けられていた。
ブラジルに日本人の移住者はいるが、あくまで農業がメインの民間移住だけだ。
南米でも工業化を進めておくと、何かと都合が良い事もあって日本政府は進出の検討を秘かに進めていた。
ペルー政府が提示してきたのは、首都であるリマの南方にあるピスコという都市の近くの沿岸部に進出しないかという内容だ。
今までとは違い、島では無く大陸の沿岸部なので慎重に検討を進めている。
「ペルーへの進出は基本的には行う。しかし、他の友好国と同じという訳では無い。
現地の工業化は進めるが、何時でも撤退が可能な体制を取る。何と言っても遠過ぎる事が最大の理由だ」
「あそこの周辺に、我々の独自領土を確保できれば良いのですが、適当な場所がありません。
大陸の沿岸だと、現地の紛争に巻き込まれる危険性もありますから。しかし現地の資源は魅力ですから、できる範囲でという事ですね」
「現在、支援を行っているのは工業化だけでは無く、日本文化の普及も進めている。
支援をしている国だけでは無く、ある程度の交友がある国には続々と日本人街が建設されているからな。
そちらの方は順調だと聞くが、現地の道徳の確認も行っているだろう。そちらの結果はどうだ?」
「大部分の民族に言える事ですが、恩を受ければ恩で返すのが一般的です。
現在の支援を行っている各国の道徳普及はまだまだですが、『衣食足りて礼節を知る』というのは何処も同じです。
貧困層はともかく、富裕層では極一部を除いては後々で『たかられる』ような事態は起きないでしょう。
もっとも、そんな事になったら見捨てるだけですが。まあ、日本国内の道徳普及もまだまだですし、慌てる必要は無いでしょう」
「それならば良い。相手国の道徳教育に口を挿むなど内政干渉にもなるし、あまりしたい事では無いからな。
お人好し過ぎても困るが、常に対人関係を警戒する社会でも困る。その按配に悩んでいるくらいだからな」
史実の経験から、相手を支援しても感謝されずに、逆に怨みを買う事が無いように各国の支援は慎重に行われていた。
相互に利益がある事が前提だが、後々に面倒な事にならないよう、支援の傍らで各国の道徳状態の確認を行っていた。
問題があるなら日本人街を中心にして、各国の道徳教育に裏から支援をするつもりだった。これも永い友好関係を考えていた為だ。
そして日本国内の道徳教育やマナー教育を進めていたが、二律背反の悩みもあった。
簡単に相手を信用して騙されないようにしたいが、かと言って常に相手を警戒するようでは円滑な社会など運営できない。
基本的には同国や同盟国、友好国の人達には善意を基礎にし、その他の国の人達にはある程度の警戒が必要だと呼びかける程度だ。
敵対国であっても、善意の人は存在する。そのような人とは友好関係を築く事が望ましいのは言うまでも無い。
民族独自の風習や考え方により、自己の利益の為ならば平然と嘘をついて相手を裏切るような人間とは最初から関係しない方が良い。
重苦しい雰囲気を変える為に、陣内は子供ネタを話題にした。
「そう言えば『真樹』の出産祝いをいただきまして、この場をお借りしてお礼を申し上げます」
「陣内よ。写真は貰ったが、『真樹』を早く此処に連れてくるのだぞ!」
「陛下。産まれたばかりの乳飲み子は無理というものです。三人目の孫で可愛いのは分かりますが、我慢して下さい」
「では義兄上、私が行ってみたいのですが良いでしょうか? 可愛い甥を直に見たいのです!」
「皇室の方が軽々しく一般人の住宅に来るのもどうかと思いますが……まあ考えてみましょう。ですが、三ヶ月は待って下さい。
首が据わらないと駄目ですからね」
「はい! 御願いします!」
「陣内もこれで五人の子供持ちか。以前とは違う貫禄を身に付けてきたな」
「まったくだ。最初に会った時から比べると、段違いだな」
「あれから約十年経ちましたからね。私も経験を積んだという事ですよ」
「十年か。それにしても陣内はあまり老けぬな。これも未来の技術の為なのか?」
「ええ。未来では身体改造を受けるのが一般的でしたからね。もっとも、個人差もありますから何年とは言えませんが」
「まだまだ若いのだし、子供はまだ作るのだろうな?」
「こればかりは沙織と楓と相談しませんと。少し時間を置いてからかも知れません」
死んでいく命もあれば、産まれてくる命もある。そして産まれてきた子供はその環境で生きていく運命にある。
列強の貴族と植民地の貧乏人の子供も、産まれた時は違いは無い。しかし、その環境の差によって今後の人生が大きく左右される。
陣内は幼い五人の子供を脳裏に思い浮かべ、その将来に幸がある事を静かに祈っていた。
一部の人達から見れば人の運命や命を玩ぶ悪魔のような存在に見える天照機関も、個々をみれば唯の人に過ぎない。
陣内がこの世界に来て、十年が経過しようとしている。この先に何があるのか、唯の人である陣内に未来を見通す事はできなかった。
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(あとがき)
アメリカがグアムを奇襲したのは史実の通りです。
今回は租借地という設定で、日本の施設に被害が出てしまい、仲介を申し出る形となりました。
グアムに日本の施設があるという事を大々的に報じないなどの理由があるにせよ、かなり強引な設定だと思いますが納得して下さい。
(歴史の修正力と思って下さい)
これで史実の米比戦争は無くなりました。ですが、不満を溜め込んでいる人達も多いです。
さて、1899年は何が起きるでしょうか?
(2013. 6.23 初版)
(2014. 3. 9 改訂一版)
管理人の感想
アメリカのマスコミもかなり粛清されたようですね。多少はアメリカにも良い影響がでるでしょうか。
まぁ短期的に見ると、アメリカはかなりの損失を被っているように見えますが(笑)。
あと史実とは乖離してきましたが、これがどう日露戦争に影響するかが問題ですね。
むしろこれだけ変ってくると第一次世界大戦などの史実のビックイベントも大きく変化しそうですね。