1898年

 日総新聞は理化学研究所の公式発表を掲載した新聞を出していた。


『理化学研究所の北垣代表は、科学分野と医療分野の人材育成の為に日本総合大学を創設して、直接運営する事を発表しました。

 国内は元より同盟関係を結んでいるハワイ王国や、東方ユダヤ共和国からの留学も受付るそうです。

 さらにタイ王国、オスマン帝国、エチオピア帝国、イラン王国からも留学の申し込みが相次ぎ、検討を進めています。

 日本総合大学は理化学研究所の優れた技術陣の指導の下、近隣にある日本総合工業で実際に運用されている様々な機器を使用した

 実地研修も行う方針で、即戦力となる技術者の育成を目標としています』


 科学技術は万能では無いが、重要な事だ。そして科学万能主義に陥らさせない為にも、科学者の卵に倫理教育も行う。

 成果主義が進み過ぎて、結果が出せれば非人道的な事でも平気でやるようなマッドサイエンティストの誕生を未然に防ぐ意味もある。

 その為に学生のうちから技術勉強と同時に、道徳教育を行う事を決定した。

 医療分野も人材不足の状況の為に、独自の教育機関を設立した。象牙の塔に篭る事無く、開かれた医療体制を目指す為だった。

 さらに同盟国は元より、関係が良好な各国とも民間交流を進める為に、多くの留学生を受け入れる事にしていた。

 但し、費用は自己負担ないし出身先政府の負担を原則にしている。

 人材交流を進める為とはいえ、こちらから留学生に支援金を出すと、それ目当ての不法留学生が増えては困る。

 その為、留学生の身元保証は相手先の政府が行う。

 列強からも希望留学生が多いと予想されており、そちらにも門戸を開くつもりだった。

 しかしスパイには強い注意を払う。入学時にはその気は無くても、入学してからスパイ行動を行う可能性もある。

 それを防止する為に様々な監視体制を用意して、一度でも違法行為を行えば、二度と同じ国からの留学生は受け入れない。

 海外事業部が運営する各国の孤児院で優秀と判断された場合は、日本総合工業の育英会資金で留学させる事になっていた。

 孤児院で高度な教育を受けて日本文化に馴染んだ孤児は、将来有望な人材として優遇するつもりだ。

 尚、清国と李氏朝鮮から、日本総合工業の育英会資金を適用した留学生を受け入れるように要請が入ったが、

 国家関係が悪化している事を理由に留学が許可される事は無かった。


『日本総合工業は【出雲】で砂漠緑化を進めていますが、今回はイラン王国でも砂漠の緑化を進めると発表しました。

 同社は東方ユダヤ共和国、タイ王国、マリアナ諸島、【出雲】の開発に大きく関わっていますが、今回はケシム島やラーラク島の開発を

 行う関係から、イラン王国にも進出する計画を発表しました。北海道の日高工場や四国の伊予北条工場の稼動が開始され、国内で最大の

 企業グループとなって動向が注目されていますが、数年後を目処に各地の事業所を独立させる方針との事です』


 日本総合工業は設立されて約八年弱の新しい会社だが、急速に規模を拡大して今では日本最大手と呼べる規模になっていた。

 優秀な部下を使ってやり繰りしているが、陣内一人ではとても目が行き届かない。それに子供と遊ぶ時間も少なくなる。

 その為に各事業部と事業所を次々に独立させる。とは言え機密技術もあり、関係を切る訳では無い。

 グループ会社の一員になるという事だ。これからも新規建設工事が続く予想もあり、独自の建設会社を設立する事も考えている。

 尚、陣内は日本総合工業とグループ会社を何処までも大きくするつもりは無かった。

 多くの職員を抱えていると不況の時に困る。その時に備えて生産調整がし易いように、雇用を調整していた。

 まだまだ日本国内や海外領土の開発、それに同盟国や友好国の開発は続くが、何時かは停滞する。

 その時の用意を今から進めていた。余談だが、列強が海外に植民地を多く抱えようとするのは国内産業の保護の意味もある。

 大きくなり過ぎた恐竜は、生きていくのに大量の餌を必要とするのと同じだ。その愚を犯す気は陣内には無かった。

 『強い者が生き残るのではない。変化に適応した者が生き残る』 その真理に基づいた行動だった。


『昨年末に、日本総合工業の代表である陣内氏の子息の誘拐未遂事件が発生しました。

 同社の新入社員複数が犯人として逮捕されましたが、背後には国内の一部の華族と近隣国の某王族筋が関わっていると判明しました。

 これを受けて犯行教唆を行った華族は、爵位を剥奪される事が正式に決定しました。

 尚、近隣国の某王族筋は既に国交が断絶しており、国内組織の摘発に警察は全力を挙げています』


 事業に失敗して零落れた華族は現状の日本に不満を持っていた組織と協力して、陣内の子供を浚って身代金を得ようと企てた。

 そしてその動きは陣内寄りの別の華族の察知するところとなり、犯行は未然に防がれた。

 この事を知った皇居の主の怒りは凄まじいものがあった。口には出せないが、一つ間違えば初孫に危害が及んだ可能性があったからだ。

 そして犯行教唆を行った華族の爵位を剥奪される事が決定した。さらに国内の近隣国の組織の摘発に全力が注がれた。

 念の為に言っておくが、日本は外国人の受け入れを行っていない訳では無い。

 欧米の生まれでも、日本を気に入って永住を決めた人もいる。ハワイ王国は元々人口が少ないので日本に定住している人はいないが、

 対馬に住んでいるユダヤ人もいれば、千葉に移り住んできたタイ王国の人達もいる。

 そのうちにユダヤ人街やタイ人街を建設する計画もある。

 逆にハワイ王国やタイ王国、オスマン帝国やイラン王国に日本人街を建設する計画もあり、民間の交流は進んでいた。

 ただ民度の兼ね合いがあり、日本に定住されると色々と面倒な事になる国の人々の定住が認められる事は無かった。

 土地の取得についても、水源地や一定以上の面積の場合は、外国人に対して厳しい制限が掛けられていた。


『現在の衆議院の定数は100人ですが、現在は都道府県別の選挙区になっております。

 露骨な地元誘導を防ぐ為と将来の人口増加に伴う一票の格差を早期に是正する為に、地域ごとの選挙区に区分する事になりました。

 北海道、東北、関東、信越、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州、沖縄、台湾、海南島、マリアナ諸島の人口比で該当区の選出者数が

 十年単位で見直しされる事が決定しました。尚、【出雲】は皇室直轄領ですので、今回の選挙規程の変更には影響はありません。

 【出雲】でも執政者の選挙は行われています。皇室の最終承認が必要となりますが、今のところは問題は発生しておりません』


 将来的な布石だ。問題が無いと考えて同じ制度を長年使っていると、必ず見えないところから問題は発生する。

 その為に、選挙体制については二十年毎に、各省庁の編成や体制については四十年毎に必ず見直しを掛けるように法で定めていた。

 長期間を同じ組織で運営を行うと、国の為では無く所属する組織の利益の為に行動する輩が出てくるのを防ぐ為もある。

 専門職はともかく、総合職の場合は他省を渡り歩かないと昇進できない制度を導入していた。

 陸海軍もその対象に入っている。今は飛行船だけだが、十年以内には飛行機の部隊を編成する必要が出てくるだろう。

 その時に空軍を創設するかはまだ不明だが、今の組織で良いとは思えない。その為の布石だった。

 尚、外交に携わる人間は、天照機関が定める講習を受ける事を義務付ける事も決定されていた。

 いくら国民から選ばれた政治家だと言っても、海外の知識が碌に無くて安易な行動をされては、長期に渡る深刻な弊害が出る事もある。

 国民の公共マナーの改善が進められていたが、まだまだ利己主義者は多く、彼らは自分達の利益を最優先に考える。

 そんな利己主義者に選ばれた政治家が、内政に関わる事は仕方ないが外交にまで口を挟まれては堪らない。

 それに各国に赴任する外交官が独裁者タイプでは、横領などの問題も発生する。

 その為、睡眠学習を含めて色々な講義や性格テストを受ける事が、外交に携わる人間の必須項目になっていった。


『軍事同盟を結んでいるハワイ王国への移住は落ち着きを見せていますが、【出雲】や台湾、海南島、サイパンへの移住者は

 まだ増加傾向にあります。タイ王国から譲られたチャーン島も、開発が進むにつれて移住者は増加しています。

 東方ユダヤ共和国の人口が二百万人を超えた事もあり、今年も引き続き各国間の人の移動が活発になると予想されます』


 ハワイ王国は中継貿易拠点、農業、観光地として開発され、住みやすい事から現地に移住した日本人は十万人を超えていた。

 機械が次々に導入された事から、少数であってもハワイ王国の産業は維持できるような体制になっている。

 ちなみにハワイ王国の人々は女神がバックについている為に、以前と比べて高い矜持を身に付けていた。

 如何に日本から支援を受けて開発が進んでも、自負心を持って国を運営していた。まあ、当然の事だろう。

 日本としてもハワイ王国が独自性を保ちながら友好関係を築ければ良いとして、今まで通りの関係を続けるつもりだ。

 それでも不足した労働力の一部は、ベトナムやタイ王国からの移住で補っていた。


 東方ユダヤ共和国は世界各地からの移住が増加して、ついに人口が二百万人を突破した。

 未だに建設ラッシュが続いていて、多くの建設資材を発注して日本国内を潤している。

 国防軍も徐々に充実し始めた。海軍は沿岸警備のみで、国境侵犯が多い為に陸軍を優先して増強している。

 李氏朝鮮との関係が徐々に悪化している事が大きな理由だ。ロシアがバックについた為に、李氏朝鮮は強圧的な態度になっていた。


 ベトナムはフランスの植民地だが、淡月光の工場と日本との通商で緩やかながらも繁栄を始めていた。

 そして日本から【出雲】やハワイ王国、グアムやサイパンへの移住も継続して進んでいた。

 尚、グアムは租借地という事もあり、日本の進出が進んでいるという報道はあまり無い。

 スペインをあまり刺激したく無いという消極的な理由もあり、補給港として運用していない事もあって海外の認知度は低かった。

 その結果、グアムは従来通りにスペインが支配していると考えている人間が多くなってしまった。


 タイ王国はチャーン島の工場群が稼動し始めた事で、工業化の速度に拍車が掛かった。陸軍は国産の兵器で装備を一新して、

 海軍は日本から購入した軽巡洋艦の『夷隅級』と駆逐艦の『高滝級』、護衛艦の『平沢級』を配備している。

 コーラート台地の開発は順調に進んで、貧困地だったところが豊かな農村に変貌しつつある。


 【出雲】の開発は完全に軌道に乗った。殆どの工場群が完成して稼動をしている。

 工作機械が稼動しているところは中東に幾つかあるが、工作機械を生産できるのは中東では【出雲】だけだ。

 オスマン帝国、エチオピア帝国、イラン王国への支援の中心地でもある。

 日本からの移住も進み、ベトナムやタイ王国、それに近隣国から移り住む人が増えて人口は二十万人を突破した。

 その人口の約七割は日本からの移住者であり、皇室直轄領として繁栄し始めていた。

 最近はエチオピア帝国を巡ってイタリア王国との関係が徐々に悪化している為、海軍の拡張を進めている。


 オスマン帝国とエチオピア帝国は徐々に工業化の成果が出始めた。ある程度の部品の国産化が進んでいた。

 しかしオスマン帝国の官僚は腐敗しており、成果が出たのは民間部門だけだった。未だに政府レベルの交流は沈滞している。

 イラン王国についてはケシム島の開発を進めている最中であり、成果が出るのは早くても数年後だろうと予測されていた。


『理化学研究所の燃焼機関部門の責任者は、現在の石炭を使った機関では爆発する危険性がある事を具体例を添えて発表しました。

 積載燃料(石炭)の自然発火の危険性が高く、特に弾薬を積んだ軍艦の場合は大爆発する可能性があると警告しています。

 燃料効率の面からも、ディーゼル機関の導入を勧めています』


『昨年の末に、ドイツ帝国は宣教師を保護する為に清国の膠州湾一帯を占拠しました。現在は清国政府と交渉が続けられています。

 日本政府はドイツ帝国との友好は保ちたいが、今回のように清国政府の弁明も聞かないままの侵略行為は非常に遺憾だと表明しました。

 文明国であるならば、相手の主張に耳を傾けるべきだと訴えています。交渉の席でのドイツ帝国の良識に期待します』


 上記の二つの掲載記事はアメリカを強く意識した記事だ。もっともそれを勘ぐられないように昨年のドイツ帝国の暴挙を例にしていた。

 ドイツ帝国が膠州湾を占拠した事自体は最初から想定していた事であり、日本政府としては何の痛みも無い。

 関係を悪化させたく無い為に遺憾という表現に留めておいた。そして清国に一定の配慮をしているという意思表示にもなっている。

 史実では今年の三月に独清条約が調印され、ドイツ帝国は膠州湾を清より租借する。

 だが、清国の内陸部に進出する気が無い日本にとっては、どうでも良い事だった。いや、寧ろ好都合だと考えていた。

 それよりも、来月に発生するアメリカのスペイン工作への警告を行う方を重要視していた。

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 日総新聞は欧米各国の新聞社と提携して、相互にニュースを配信するようになっていた。

 直接進出する程のメリットは無く、現地駐在員を派遣するメリットも少ない。

 日本の情報を各国の新聞社に提供する事で、各国のニュースを手早く入手できた方がメリットがあると判断されたからだ。

 真偽の確認が出来ない為に鵜呑みにはできないが、それでも発信元を同時に掲載する事で問題は無いと判断された。

 この日総新聞の申し込みは、日本の情報を欲しがる各国の新聞社に歓迎された。

 そして日総新聞の記事が世界各地の新聞社によって報道される事になった。

 世界各国で日本の動向に注目する人が増えている事もあり、日総新聞と契約を結んだ新聞社の売り上げは増えていた。

 そんな新聞記事を読んだ人は興味深げに話し合っていた。


「ほう。日本の理化学研究所が大学を創設して運営するのか。発展途上国から山のような留学生が行くんじゃないのか?

 上手く行けば自分のスキルがアップするし、帰国すれば自国の為にもなる事だしな」

「うちの子供を送り込みたいぐらいだな。でも留学生には厳しい審査があるらしいし、同盟国や友好国を優先させるってさ。

 それにしても、日本で数年間も生活できるのか? 科学技術はそこそこでも、生活レベルは低いんだろう」

「いや、聞いた話だと我々とあまり変わらないレベルだ。しかも留学生の場合は寮に入る事が原則らしい。

 寮のパンフレットを見たが、部屋は狭いが全室に洗濯機と冷蔵庫を標準装備だとさ。しかもトイレは水洗だ。

 こちらのホテル並みの装備だぞ。俺が住みたいくらいだよ」

「欧米からも受け入れるが、狭き門らしいな。日本総合工業で実地研修を受けたい気持ちもあるが、俺じゃあ駄目だろうな」

「砂漠の緑化が出来る品種を開発するんだからな。是非ともその秘密を知りたいものだよ。

 それにしても日本は戦争もせずに領土を次々に拡大している。去年はイラン王国だ。今年は何処に進出するんだろう?」

「新しく得た領土の開発がまだ終わっていないから、今年は無いだろう。台湾に海南島、マリアナ諸島か。西太平洋を抑えられたな。

 それにイラン王国のケシム島を得た事から、ペルシャ湾に大きな影響力を持った。まあ、あんな僻地に頼まれても行きたくは無いがな」

「我々だったら現地の人間を扱き使うが、日本人は移住して汗水垂らす。彼らの考え方なんだろうが、我々とは違うな。

 しかし手広くやっている。十年前には日本人が中東に街を造るだなんて、想像さえ出来なかったぜ」

「それを言えば、僅か数年で何も無かった荒地を工作機械を生産できるまでの工場群を建設した方が驚きだ。

 しかもそれを拠点にして、オスマン帝国やエチオピア帝国、イラン王国にまで手を伸ばしているからな」

「飛行船を開発した国だけの事はある。我が国や各国でも飛行船部隊は持っているが、ヘリウムを使った飛行船は日本だけだ。

 戦闘能力は未知数だが新型の巡洋艦や駆逐艦を配備し始めたし、今は日本と争わない方が利口かな」


 今のところ、日本が戦争を行ったのは清国と李氏朝鮮だけだ。

 他とは戦争はしておらず、列強との協調路線を採りながらも領土を次々に拡大している。その手腕に列強は警戒を強めていた。

 もっとも列強とは違って大陸に入り込まずに、各地の島々の所有を優先させている事から、衝突する可能性は低いと思われていた。

 船山群島の使用権を入札に掛けたり、海上輸送路の安全確保に努めた事が効いているかも知れない。


「我が国はウェーク島やマリアナ諸島の港湾施設を使ったり、船山群島の使用権を入札して要塞建設を日本に頼んだりして、今のところは

 良好な関係を保っている。淡月光の製品や日本総合工業の重機などの日本製品がかなり流通しているから、国内の日本人も増えた。

 一目で中国人と見分けられないのは困るがな。それより世論のスペインへの敵意は異常だよ。

 マリアナ諸島で高い金を払って補給するなら、さっさとスペイン領のグアムを占拠しろって意見まである」

「部数を伸ばしたい新聞社が過激な記事を書いている。しかし読者である我々は、その真偽が確認できないんだ。

 まったく、上院議員までスペインと戦争するべきだって言っているんだぜ。やってられないよ!」

「スペインとの戦争は、我が国の景気を強く刺激する事は間違い無い。

 それに広大な内陸部を封鎖した事で、国民の開拓精神が萎縮しているが、スペインに勝利すれば精神的な復活も可能だ。

 やっぱり国民が誇りと自信を持つ事は重要だからな。気落ちしていたんじゃ、景気も回復しないさ。

 戦争になれば我が国の勝利は間違いないという予測もあるし、戦争をする事はメリットだらけだ。

 他の国も建前と本音を使い分けているんだ。我が国だけが利益を追求しちゃ駄目だって法律は無いぞ」

「それは分かるが、あまり阿漕な事をすると後が怖いんだよ。落ち目のスペインに負けるはずが無いのは分かる。

 しかし、その後に泥沼に入りそうで怖いんだ」

「勝つ事が全てだ。勝てば全てが正当化される。世の中は弱肉強食が世の理だ。理想だけを言っていると他国に負けるだけだぞ。

 植民地の連中が悲惨な生活を送っている最大の理由は弱いからだ! だったら俺は奴らを踏み躙っても勝者になる!」

「でも、ハワイ王国を乗っ取ろうとして女神の制裁を受けて、デトロイトとシカゴは破壊されたんだ。

 同じような事が起きないと保証できるか? インディアンの神を恐れている俺達だぞ。あまり増長しない方が良いと思うんだが」

「…………」


 今のアメリカは、目の前に美味しい餌がぶら下った飢えた狼だった。

 イエロージャーナリズムによって国民のスペインへの戦意は高揚し、戦争を歓迎する風潮が強まっていた。

 それはアメリカ政府の思惑と一致しており、着々と準備が進められていた。軍備を比較すると負ける要素が無いから尚更だ。

 しかし、勝てば全てが正当化されると思われては困ると考えていた組織もある。日本の天照機関だ。

 そしてアメリカが欲を出してスペインと戦争を始めたら、泥沼に引きずり込もうと工作を進めていた。

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 勝浦工場に続いて日高工場と伊予北条工場、それに他社の重工業関係の工場が操業を開始した事で日本国内の開発に拍車が掛かった。

 しかし短期間で日本国内全ての開発できる訳では無い。『ローマは一日にして成らず』だ。

 狭い場所(点)だけを考えれば短期間で済むだろうが、日本全体(面)を考えた場合はまだまだ開発に時間を要する。

 新たに得た領土の開発もある。それに同盟国や友好国の開発も進める必要がある。ロシアの脅威に備える準備をしなくてはならない。

 そのような理由から数年間は積極的な行動はせず、国内外の開発に努めるというのが天照機関の基本方針だった。

 しかし、タイミングを逸すると後で倍になって因果が跳ね返ってくる事もある。その判断が難しいところだ。

 そのような状況下、天照機関のメンバーは一月の中旬に遅めの新年会を開いていた。


「国内でも地方の開発が進んでいないところが多い。特に東北と北海道周辺だな。将来の事を含めて千島列島と佐渡の開発も必要だ。

 それに台湾や海南島、マリアナ諸島も開発を進める必要がある。同盟国や友好国の開発も手を抜けない。

 まったく開発するところが多過ぎるぞ。何とかならないものか?」

「無理を言うな。こればかりは時間が絶対に必要なのだ。しかし開発が一段落した時は、我が国は列強と肩を並べる。

 それまでの我慢だ。何よりロシアの脅威に備えなくてはならん」

「本当にしばらくは大人しくしたいのだがな。しかしエチオピア帝国を巡ってイタリア王国との関係は悪化するし、備えは必要だ。

 それと『米西戦争』が、来月の事件を元に発生する。何と言っても史実ではアメリカの飛躍の契機になった戦争だ。

 放置しておく訳にもいかぬ。図に乗れば何処までも増長する国柄だからな。我が国の将来も考えて、痛い教訓を覚えて貰おう」

「策略を用いても勝てば官軍というのは一理あるのですが、あそこは加減というものを知りませんからね。

 ハワイの女神の件では痛い目を見たというのに、懲りない連中です。まあ、アメリカを泥沼に引きずり込む準備は出来ています」

「フィリピンに進出させて、アメリカの出血を誘うのは良い。史実のベトナム戦争の再現だ。しかし、日本は表面は友好国として振舞う。

 本当に問題は無いんだろうな? もし我が国がフィリピンを秘かに支援していたと判明しようものなら大騒ぎになる。

 今の我が国はアメリカと正面から戦う力は無いし、外交的にも不利になる。信義的にも立場は悪化してしまうぞ」

「勿論です。この時期にアメリカと正面対決する気はありません。気の弱い自分としては、影でこそこそと動かせて貰います」

「どこが気が弱いだ? まったく最近の陣内は人を使う事が上手くなったな。最初の頃とは大違いだ。

 まあそれは良い。フィリピンの革命勢力と接触して、上手くコントロールできるんだろうな?」

「東インド植民地(インドネシア)を失いかけているオランダが、フィリピンに進出する為に支援するという形を採っています。

 既に2万丁の小銃と2500万発の銃弾。爆薬や医療物資に食料、その他諸々の物資をフィリピンに運び込んであります。

 現地のスペイン軍にも察知されていませんし、今のスペイン軍と戦っても勝てる物量です。まあ、陸上だけですが。

 全部がオランダ正規軍が使用しているタイプです。スペインやアメリカが革命軍を調べても日本が関与しているとは分かりません。

 フィリピンには少々酷ですが、まずはアメリカと協力してスペインと戦い、その後は彼らを騙したアメリカと戦って貰います。

 我々が全面的に革命軍を支援する余裕は無いですし、する義理も無い。自国の独立は彼らの努力次第です。

 アメリカの増援はインディアンが阻止します。彼らはアメリカ兵に怨恨がありますから戦意も高く、戦果は期待できるでしょう。

 そしてアメリカが補給を求めて日本に要求してくるなら、高値で物資を売るだけですよ」


 シーボルト商会を経由して、フィリピンの革命勢力とはコンタクトが取れている。勿論、日本の名前は伏せてある。

 実際に武器や弾薬、食料を受け取っていた彼らはシーボルト商会の勧めに従って、一時的にスペイン軍への攻撃を停止していた。

 インディアンが乗り込んだ第一潜水艦隊は二手に分かれて、一隻はフィリピン近海に、残り二隻はキューバ近海に待機している。

 長期に渡って迫害を受け続けていたインディアンのアメリカ兵への怨みは深い。その時になれば、容赦無い攻撃が行われるだろう。

 もっとも、絶対に暴走しないように潜水艦の乗組員全員に強い暗示を掛けてはいる。


「フィリピン方面の準備は万全という事だな。カリブ海方面はどうするのだ?」

「あそこには伝も無く、そこまで手が回りません。何しろアメリカ本土に近いですからね。

 現地の人には気の毒かと思いますが、何も支援はしません。

 スペイン艦隊を破った後に、機雷を装った潜水艦の攻撃でアメリカ艦隊に打撃を与える程度です。

 艦隊を失ったアメリカ軍は一時的に混乱するでしょうし、時間稼ぎ程度ですね」

「何しろ遠過ぎるし、アメリカのお膝元だから仕方あるまい。

 それはそうと、アメリカから言い掛かりをつけられたスペインが、我が国に支援を申し込んできたらどうする?

 表面上はアメリカともスペインとも友好関係だ。どうすべきか?」

「戦艦の爆発の原因が、燃料である石炭の自然発火による可能性があるかもと言う程度しか出来ないだろうな。

 その為に日総新聞で記事を掲載したんだ。勢いに乗るアメリカの反感を買ってまで、落ち目のスペインを擁護する必要は無い」

「それが妥当だろうな。スペインがフィリピンの独立を認めるならともかく、強欲な彼らがそんな事をするとは思えない。

 もっとも、我々が偉そうに言える立場では無いがな。善人に大きな組織を纏められないと言うが、我々も曲者揃いだからな」

「スペインは本国に虎の子の飛行船二隻を持っていますが、アメリカとの関係が悪化すれば現地に派遣する事もありえます。

 アメリカは本土に三十隻の水素ガスを使用した飛行船部隊を持っていますので、必ず現地に出撃させるでしょう。

 その飛行船部隊は衛星軌道上から常時監視していますから、途中で全て攻撃衛星で撃墜します」

「ふう。日本にいながらアメリカの詳細を知る事が出来るか。今更ながらイカサマをしている気分だな。

 しかしアメリカの増援を断ち切る事は重要だ。そちらの方面は陣内に頼むぞ」

「お任せ下さい。ちょっと待って下さい。織姫からの緊急連絡が入りました。……分かった。引き続きカリブ海方面の監視を続けてくれ。

 今、織姫から連絡が入りましたが、ハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦メインが爆発して沈没しました」

「ちょっと待て! 来月の発生予定の筈では無いのか!?」

「そうです。我々が介入した為に、今の歴史は史実と乖離し始めた事が、これではっきりとした訳です」


 八年前から秘かに介入して、日清戦争は史実と大幅に変わった結果となった。

 色々な商品を史実に先行して販売している事もあり、史実とは違った事になるだろうとは考えていた。

 天災は変わらないかも知れないが、人為的な行動については史実の情報は信用できなくなると天照機関のメンバーは実感した。

 悔いは無い。歴史改変は日本の為に行っている。そして良い方向に向かっていると分かっている事もある。

 今の歴史が史実と変わった事で、色々と困難な場面も出てくるだろうが、それに対応できる力はあると各メンバーは信じていた。

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 現在のスペイン王国はアフリカ、フィリピン、カリブ海に植民地を有していたが、どこも反乱が発生していた。

 嘗ては南米大陸に広大な植民地を有していたが次々と独立され、零落れた国と列強からは陰口を叩かれていた。

 その残った植民地の反乱を収めようと領土と交換に得た飛行船を投入したが、三隻とも地上で破壊されてしまった。

 スペインは現地の過酷な搾取を続けながらも、何とか植民地の反乱を食い止めようと努力してきた。

 そんなスペインが国力で遥かに上回るアメリカに戦争を仕掛けるはずが無い。そもそも勝てる見込みなど、まったく無かった。


 だが、ハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦メインが爆発・沈没して266名の乗員を失った事は、アメリカの世論に大きな火を投じていた。

 (余談だが、史実では八名の日本人のコックとボーイが含まれていた。しかし、ハワイ併合が無い今回は日本人は含まれてはいない)

 日総新聞が事前に石炭の自然引火の可能性と爆薬を積んだ軍艦の危険性に言及していたが、そんなものは一顧だにされない。

 イエロージャーナリズムに染まったアメリカの新聞社は、スペイン人の卑劣な工作が原因であると主張した。

 『メインを思い出せ! くたばれスペイン!』という過激で好戦的なスローガンが繰り返され、アメリカ国民の感情を強く刺激した。

 スペインは身に覚えが無い事なので、事故だと主張した。日本も控えめながらスペインを擁護したが、アメリカは聞かなかった。

 数年前から工作してきた成果を出す時であり、都合よくイエロージャーナリズムに踊らされた世論がスペインとの開戦を望んでいた。


 スペインはアメリカと戦って勝てる見込みは無く、身に覚えの無い事なので極力開戦を避けようと努力はした。しかし無駄だった。

 アメリカはスペインと戦い、そして勝利したいのだ。その勝利は国民に誇りと自信を与え、スペインの植民地が手に入る。

 スペインとの戦争はアメリカの国益に直結する。まさに帝国主義全盛時代ならではの行動と言えるだろう。

 嘗てインカ帝国やアステカ帝国を滅ぼして、スペインは莫大な財宝を手に入れて、一時期は世界に覇を唱えた。

 逆らう現地の住民を尽く虐殺し、非道な行いを平気でやってきた。その時の先祖の因果が返って来ているのかも知れない。


 そしてアメリカは世論の後押しもあり、連邦議会はスペインとの開戦を決定した。

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 日本国内は比較的落ち着いていた。

 各地や海外で次々と開発が続けられ、地方であっても改革の恩恵を受けて生活レベルが向上したと実感できるようになっていた。

 電気の普及はさらに進み、様々な電化製品が一般家庭に置かれるようになっている。

 ラジオの普及も進み、様々な海外の商品も店頭に並ぶようになった。海外ではきな臭い空気が漂っていたが、今の日本は平和だった。

 そんな中、陣内は渋沢と勝浦工場の社長室で話し合っていた。


「日高工場と伊予北条工場が動き出した事で、地方の経済も引っ張られて活性化している。これも陣内君のお陰だよ。感謝している」

「止めて下さい。こちらも都合が良かったから、先生の提案に乗っただけです。

 それにまだランクダウンした工場群を各地に建設する計画もあるんです。そちらの方の手配も進めて下さい」

「ああ、承知している。国内最大級の勝浦工場、日高工場、伊予北条工場があり、さらに各地に工場を建設すれば国内の開発が進む。

 各地の有力者は、大きな工場を誘致できれば地元が潤う事は知っているから協力的だよ。今は用地の購入を進めているところだ。

 しかし、海外領土の方もあるから陣内君は大変だろう。大丈夫かね?」

「まあ、何とか。優秀な部下もいますし、いずれは独立させると言ってますから、彼らの意欲は高いですよ。

 チャーン島の開発は一段落しましたから、今はロタ島とケシム島、ラーラク島の開発がメインですね。

 それが終われば再び国内の開発に取り掛かります。まあ一度に全部は無理ですから、順番です」

「私の系列資本でタイ王国の開発を進めているが、チャーン島の工場群には世話になっているからな。

 それにしてもケシム島とラーラク島はペルシャ湾の要衝だし、イラン王国の近代化に欠かせないのは分かるが、

 ロタ島はリゾート地として開発していると聞いているぞ。そんなに時間が掛かるものなのか?」

「……まあ、その辺りは機密もありますので、あまり聞かないで欲しいですね」

「ああ、そういう事か。グアムやサイパンには海軍基地が建設されているが、君の独自の軍も必要だろうしな。

 南太平洋全域に進出できる要衝だ。聞いて悪かった。それにしても、アメリカはスペインと戦争をする事を決めたようだな。

 今日来たのは、タイ王国の開発を進めている我々に悪影響が出ないかを聞こうと思ってな」

「心配かけて申し訳ありません。ですが大丈夫です。アメリカ海軍とスペイン海軍の戦闘はフィリピン近海で行われます。

 海南島の艦隊で海上警備を行いますので、民間に影響は出ないはずです。安心して下さい」

「そうか。それを聞きたかった。それはそうと話は変わるが、中国方面でも列強の動きは加速しているが大丈夫なのかね?」


 アメリカの対スペイン工作は史実と差異が発生していたが、今のところは中国大陸では史実通りに推移していた。

 三月六日。独清条約が調印されて、ドイツ帝国は占拠していた膠州湾を清より租借した。

 三月二十七日。ロシア帝国が遼東半島の一部を清から租借した。

 五月にはフランスが広州湾を清より租借し、七月にはイギリス帝国が九龍半島と威海衛を清から租借した。


 相次ぐ列強の清国への進出に対して日本は警戒を強め、清国と協議を行った。(内心では日本は、ほくそ笑んでいる)

 そして清国は福建省と浙江省(杭州以南)の不割譲を宣言した。(史実では福建省のみを不割譲を宣言)

 清国の外洋の出口を抑えているが、それでも台湾の対岸を列強に支配されると何かと問題になる。

 広東省はイギリス帝国の進出が進んでいる事から、日本側は清国に要求する事を事前に断念していた。

 渋沢は睡眠教育によって史実を知ってはいるが、それでも不安になる。当然の事だろうが、陣内は笑いながら答えた。


「海上航行の安全は、最優先で確保します。確かに中国大陸の内陸部で抗争は進むでしょうが、我々はそれに関知しません。

 列強と清国には好きにやってくれと言うだけですよ」

「それが最初からの基本方針だったからな。しかし事態が此処まで進むと、やはり不安になる」

「それは当然の事でしょうが、我々を信用して下さい。列強と清国の抗争が深まると、清国の資源輸入が滞る事はあるでしょう。

 しかしダミー商社を通じて、他からも資源は輸入できます。現在もタイ王国やインドネシア、南米、アフリカからも輸入しています。

 それに我が国への資源の輸出が出来なければ、清国は武器を輸入できなくなるから必死になりますよ。

 もっとも最近は『夷隅級』を売れと交渉を申し込んで来ていますがね。

 ですが、沿岸部の防衛なら大型砲の方が好都合だろうと、今はそちらの売り込みを掛けているところです」

「うーーむ。陣内君は相当なやり手だな。列強に対抗する為に武器を欲しがっている清国に売り込むとはな。

 しかも艦艇では無くて、大砲を売り込むか。確かに沿岸警備なら大砲で十分だが、膨大な数が必要だろう」

「だから良いんですよ。彼らに海軍艦艇を売ったら、我々に砲を向けてくる可能性や他に転売する危険性もありますからね。

 それに拠点防衛なら、大型砲の方が良いのは間違いありません」

「分かった。列強の艦艇が東シナ海や南シナ海を航行する頻度は高くなるだろうが、我々民間の航行の安全は守られるのだな。

 それはそうと昨年にまた子供が産まれて大変そうだな。人手は足りているのかね?」

「上の三人の子供もまだ目が離せないんですけど、それに加えて乳幼児ですからね。沙織も妊娠して今はてんてこ舞いです」

「美人の奥さんが二人もいるんだから、少しは我慢しなくてはな。それはそうと、お手伝いは必要じゃないかね?」

「信頼のおける人であれば欲しいですね。ですが面倒はごめんですよ。以前に子供の誘拐未遂事件がありましたからね」

「タイ王国の女性に興味は無いかね?」

「? どういう意味ですか?」

「コーラート台地の水利工事を進めて、現地の収穫量は劇的に伸びた。全体からみれば少ない地域だが、地元から感謝をされてね。

 これから数十年と長い年月を掛けて開発を進める為にも、末永い友好関係を築きたいと先方から申し出てきた。

 最初は断ったんだが、身寄りも無くて日本に憧れている三人の女性を預けたいと言っているんだ。

 三人とも十代の半ばで、かなり美人だぞ。日本語もしっかりと話せる。子供の世話役にどうかね?」

「……自分には二人の妻と子供がいるんですよ。しかも子供は四人で一人は昨年に産まれたばかりです。

 そんな状況で若い女性を置けるはずが無いでしょう。お断りします」

「だからお手伝いにどうかと思ったんだがな。三人とも君の好きな豊満な身体をしているし、敬虔な仏教徒だ。

 優しい性格だし、かなりの美人だぞ。写真を見てみないか?」

「……今、持っているんですか?」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 そう言うと渋沢は鞄から三枚の写真を取り出して、陣内に見せていた。

 子供がまだ幼くて手が掛かるので、陣内が家庭内で浮いているという噂を聞いていた為、断るはずが無いと踏んでいた。

 その時の渋沢は、内心で笑いを必死になって堪えていた。

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 アメリカは議会の承認を得られたので、直ぐに行動に入った。

 まずは国内の飛行船部隊に命令を下し、十隻をフィリピン方面に、十隻をキューバ方面に出撃させた。

 そして上海に待機していたアメリカ太平洋艦隊に、フィリピンのスペイン艦隊を撃滅するように命令を出した。

 そしてアメリカ大西洋艦隊には、キューバのスペイン艦隊を撃滅するように命令を出した。

 戦力比は圧倒的であり、アメリカの勝利は間違いないと国民の大部分は考えていた。

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 一番最初に動き出したのは、アメリカの東部のバージニア州で編成されていた飛行船部隊だ。

 全部で三十隻であり、十隻単位の編隊運動が可能なような訓練を行っていた。

 第一飛行船部隊はキューバに、第二飛行船部隊はフィリピンに向かう事になった。第三飛行船部隊は予備戦力として待機だ。

 主力は海上艦隊だが、空に飛行船があるだけでも十分な威圧になる。それに敵陣の様子を空から偵察できる。

 爆弾投下の機構はあるが、再装着にはこのバージニア州の基地まで戻って来る必要がある為に、空からの爆撃は慎重に行う必要がある。

 人員は一隻あたり三十名。できるだけ要員を減らして、その代わりに爆弾を搭載できる構造になっている。

 キューバに向かった第一飛行船部隊の中で、乗組員が意気高揚として話していた。


「やっと俺達の出番だ。スペインは二隻の飛行船を持っているが、本国に隠しているんだろう。

 戦場に派遣してくるはずも無いし、恐れるものは何も無い。この船に搭載している爆弾をスペイン軍の頭上に落としてやるさ」

「厳しい訓練をしたからな。でも、風向きや強さで命中率は変わってくる。あまり効果は出ないかもな」

「高度を下げれば命中率は上がるけど、そうすると地上からの攻撃が当たる事がある。水素ガスに引火したら一巻の終わりだからな。

 運用には注意する必要があるんだ」

「スペイン軍が専用の対空砲を持っていないのは判明している。そう心配する事は無いさ。

 それより第二飛行船部隊は遥々フィリピンまで行かなくちゃならないんだ。距離もあるし、大変だよな」

「西部の封鎖地域の上空を通ると拙いから、大きく迂回するルートを取る必要があるんだ。まったく忌々しい!」

「仕方無いだろう。試作の飛行船を飛ばしたら、ミズーリ川の上空付近で爆発したんだ。あれで三隻の飛行船を失った。

 同じ事を繰り返さない事が重要だ。気持ちは分かるが、あそこに近寄るべきじゃ無い」

「分かっているさ。このムカつく気持ちはスペインの奴らに叩きつけてやるよ!」

「おい、先頭の旗艦から発光信号だ。この先に雷雲あり。高度を上げろってさ」

「この飛行船に雷が落ちたら一発で爆発するからな。早めに逃げなきゃ」


 アメリカはヘリウムを探していたが、まだ入手できなかった。その為に水素ガスを使った飛行船を使わざるを得なかった。

 引火すればすぐに爆発する危険な飛行船だが、空を自由に移動できるという大きなメリットがあったので止む無く運用している。

 そして運用には万全の注意を払っていた。船内に火気の元になるものは厳禁。タバコなどは絶対に認められない。

 地上の補給の時も、近くに消防施設があるところで行っていた。

 飛行している時の一番の危険は落雷だ。雷が直撃すれば、一発で大爆発を起こす。空中で爆発されては、乗組員の全員死亡は確定だ。

 そんな常識が徹底しているので、雷雲を避けるのは当然の事だった。

 しかし、アメリカの第一飛行船部隊は、衛星軌道上からの監視の目から逃げる事はできなかった。

 十隻の飛行船が雷雲の上空を飛行していると、遥か上空から粒子砲の青白い光が直撃して十個の大きな爆発が発生した。

 その結果、第一飛行船部隊は落雷の事故で消失と、アメリカ軍の記録に残された。


 一方、第二飛行船部隊は封鎖地域を迂回しながら、北米大陸を西に横断して太平洋に出ていた。

 今のところは雷雲などの障害は無く、飛行は順調だった。


「おい、このルートだとハワイ王国の近くを通るぞ。拙くないか?」

「あんまり迂回し過ぎるとフィリピンに到着するのが遅れるんだ。かなり離れているから、大丈夫だろう。

 インディアンの神は飛行船を撃ち落したけど、ハワイの女神にできるのかな?」

「おいおい、女神を侮るような言動は止めろ! 何をされるか分からないぞ! 俺を巻き添えにするなよ!」

「怖がり過ぎだって! お前も心配性だよな。空は雲一つ無い快晴で……何か小さい黒いものが見える! こちらに近づいて来るぞ!」

「ま、まさか!? あれはデトロイトとシカゴを破壊したバハムートだ!? 早く逃げろ!」

「逃げろって、向こうの方が速いから逃げられるわけが無いだろう! うああああ光が!!」


 ハワイの南の海域で第二飛行船部隊の十隻は消息を絶った。

 全乗組員が死亡したのだろうと判断されたが、奇跡的に上昇気流に助けられて乗員二名は日本の漁船に救助された。

 下半身不随の重症だったが、あの事故で生き残ったのは奇跡だとしてアメリカに送り届けられた。


 余談だが、史実では本年にハワイはアメリカに併合された。しかし今回は独立を守り続けていた。

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 香港を出港したジョージ・デューイ提督率いるアメリカ太平洋艦隊(巡洋艦四隻、砲艦二隻)は、

 スペイン艦隊(巡洋艦六隻、砲艦一隻)を撃滅しようとフィリピンのマニラ湾に向かった。

 スペイン側はアメリカの攻撃がある事を察知して、マニラ湾に機雷を設置して沿岸砲の支援が得られる場所に陣取った。

 しかしスペイン艦隊はいずれもアメリカ艦隊と比べると小型で装甲が無く、艦砲の口径や射程でも劣っていた。

 二番目に大きい巡洋艦は木造だった程だ。植民地の人達から圧倒的な戦力に見えても、アメリカから見れば非力な存在だった。


 ただ、アメリカ側にも不安があった。補給艦が無く、砲弾の数に限りがあった。

 頼みの綱とまでは言わないが、飛行船の偵察を待ってから突入したいが、今の時点で連絡がまったく取れない。

 そこでデューイ提督は強硬手段を選択した。

 六隻のアメリカ艦隊はスペイン側の沿岸砲の攻撃を受けながらも反撃する事無く、スペイン艦隊に接近していった。

 そして射程に入ると艦長に「グリッドレイ、準備でき次第、撃ってよし」との簡潔な指示をデューイ提督は出した。


 アメリカ艦隊の砲撃を受けたスペイン艦隊の被害は、拡大する一方だった。

 碌な装甲が無い上に、アメリカに対して決定的に打撃力で劣っている。沿岸砲の援護はあるが、ろくな被害を与えていない。

 こうしてアメリカ艦隊が攻撃を開始した六時間後、スペイン艦隊の全艦は撃沈、炎上、又は鹵獲防止の為に自沈して壊滅した。

 アメリカ艦隊側に沈没艦は無く、負傷者は七名のみで、完勝したと言えるだろう。

 旗艦オリンピア(巡洋艦:5870t)のデューイ提督は上機嫌だった。


「はっはっはっ。我が艦隊は殆ど被害を受けずにスペイン艦隊を壊滅させたぞ! これが我がアメリカ合衆国の力だ!

 さて、次はスペイン陸軍が相手だな。一万人以上とは少し厄介だ。最初の予定通りに現地の革命勢力を上手く使うしか無いな」

「そうですな。フィリピン革命運動の指導者は、エミリオ・アギナルドだと分かっています。

 彼らにしてみれば、我々は圧政者のスペイン軍を撃破した救世主です。我々の申し出を素直に受け入れるでしょう」

「そのスペイン軍を退けた後は、本国から陸軍を派遣する必要がある。本国は既に準備を済ませているがな。

 我々海軍は陸軍の為に露払いをやる」

「本国から派遣される部隊は約二万人規模と聞いています。

 スペイン軍を追い出した後は、我々だけでフィリピンを制圧ができるでしょう。

 何しろ、今までフィリピン人を弾圧していたスペイン人に我々は完勝したのですから」

「はっはっ。そういう事だ。早速、エミリオ・アギナルドに会う準備を進めろ!」


 デューイ提督が上機嫌で命令した時、いきなり付近を航行している他の艦が爆発した。

 それも一隻だけでは無い。次々に爆発し、そして瞬時に沈没していった。


「な、何が起こった!? どういう事だ!? おい、早く確認しろ!」

「……提督。ボルチモアを含む五艦は全て轟沈です。機雷に接触したと思われます。残ったのは我が艦だけです」

「機雷だと!? 機雷で一瞬にして僚艦が沈没したというのか!? そんな馬鹿な!? そんな事を信じろと言うのか!?」

「……何処からも砲撃の形跡は無く、各艦は下から爆発していますので間違いは無いでしょう。

 本国に何と連絡したら良いのか!? ……提督、スペイン陸軍はどうされますか? 友軍が来るまで待機でしょうか?」

「まだ我が艦が残っている。エミリオ・アギナルドに会うのは予定通りだ。急げ!」


 デューイ提督は激怒しており、顔は真っ赤になっていた。

 スペイン艦隊に完勝したのに、機雷によって大部分の艦を失うのは予想外だった。

 完勝した事で油断した報いなのか? デューイ提督の怒りはスペイン軍に向けられていた。


 アメリカ太平洋艦隊を攻撃したのは、インディアンが乗り込んでいる第一潜水艦隊の一隻だ。

 この時代、潜水艦は実用化されておらず、海中から攻撃できるのは機雷ぐらいしか無いと思われていた。

 実際に使ったのは無航跡魚雷では無く、自動移動能力を持った誘導機雷だ。

 アメリカ艦隊の移動推測位置に予め海底に敷設していて、無線誘導によって海底から切り離されて目標にゆっくりと向かった。

 その威力は一万トンクラスの戦艦でも沈める事が可能だ。僅か数千トンクラスの巡洋艦なら一瞬で轟沈する。

 アメリカ艦隊への攻撃に成功した潜水艦は、その姿を誰にも見られる事無く、艦隊本拠地のロタ島に進路を変更していた。

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 ホワイトハウスは五年前にハワイの女神の襲撃を受けたが、損害は軽微だったのですぐに修理されていた。

 その大統領執務室で、マッキンレー大統領は厳しい表情で報告を受けていた。


「マニラ湾でスペイン艦隊に完勝したが、その後に機雷で五隻を失ったというのか?

 アメリカ海軍とはそれほどまでに間抜けが揃っているかね?

 フロリダ上空では落雷で十隻の飛行船を、ハワイ王国の南方では女神の眷属によって十隻の飛行船が失われた。

 生き残ったのは下半身不随の重傷の二人だけで、日本の漁船に助けられたそうだ。

 多額の費用をつぎ込んで訓練を行ってきたが、あっさりと失われた。

 スペイン軍に勝っても、こんなに被害が大きいのでは話にならん! 海軍はどう責任を取るつもりだ!?」

「……申し訳ありません。ですが、現在はフィリピン革命軍と協力してスペイン軍を追い詰めています。

 我々の想像以上にフィリピン革命軍の武器は豊富で、スペイン軍の降伏は時間の問題です。

 取り急ぎ、準備してあった兵士約二万人を派遣しました。派遣部隊の到着前にマニラが革命軍に占拠されると厄介な事になります。

 我々がフィリピンの統治権を得る為に、必ずマニラを押さえます。確かに被害は予想以上ですが、対スペイン戦は順調です」

「……予想以上にフィリピン革命軍が手強いという事か。派遣部隊は二万で足りるのかね?

 万が一でも、我が軍がフィリピン人に負けたとあっては笑い者になってしまうぞ」

「今のところは問題無いと判断しています。彼らは海上戦力を持っていませんし、補給が続く可能性は低いと思われます。

 気になる点としては、彼らの武器は全てオランダ正規軍の使用しているものでした。

 どうやらオランダの東インド植民地の混乱から、武器が横流しされたと思われます。それと増員の準備は進めておきます」

「……ふむ。フィリピンの方は五隻の艦艇を失ったが、まあ順調に進んでいるという事か。キューバ方面はどうなった?」

「はい。今回のスペイン戦に対し、我々は五個艦隊を編成して現在はサンチャゴ・デ・キューバ港を包囲しております。

 スペイン軍は約十万人以上と見られていますが、我々はラフ・ライダーズ(荒馬乗り隊)連隊を含む約一万七千を上陸させています。

 陸上での戦闘は我が国の勝利に終わり、要所であるサン・ホアン高地は我が軍の占領下にあります。

 スペイン艦隊は既に湾内に封鎖してありますので、我々の勝利は時間の問題だと思われます」

「フィリピンではスペイン艦隊に勝利した後に艦を失った。キューバでは十分に注意するようにな。こんな無様な報告は聞きたくない!」

「はっ。承知しております」


 その時、大統領補佐官がいきなりドアを開けて入室してきた。表情は青ざめており、慌てて大統領に報告を始めた。


「キューバ海戦の報告が入ってきました。

 艦隊戦では我が方が圧倒的優位で、脱出を図るスペイン艦隊(巡洋艦六隻と駆逐艦二隻)を撃沈(自沈も含む)させましたが、

 その後に機雷に接触したらしく、遊撃艦隊の主力である戦艦四隻と巡洋艦一隻、砲艦二隻を全て失いました。

 シュレー提督も巻き込まれて死亡した模様です」

「何だと!? それは本当なのか!? またしても機雷による被害だと言うのか!?」

「そんなまさか!? スペイン軍は戦艦を一発で沈められる機雷を開発していたと言うのか!?」

「艦隊を失ったスペイン軍は残余の艦艇で抵抗を続けていますが、降伏は時間の問題だと報告が入ってきました。

 現地でも大きな衝撃を受けていますので、プエルトリコへの攻略は予定よりは遅れるとの事です」

「くそっ! 受けなくて良い被害を受けてしまったのか!? まったく役立たず共が!

 こうなったら一刻も早くキューバとプエルトリコの攻略を急げ! 現地に早く指示しろ!!」

「は、はい。それと……」

「それと? まだ何かあると言うのか!?」

「は、はい。非常に言い難いのですが、巡洋艦チャールストンと輸送船三隻の艦隊がグアムを砲撃しました。

 日本の民間施設に被害を与えましたが、沿岸砲の反撃を受けて巡洋艦チャールストンは大破。

 艦隊乗組員と輸送船に乗船していた陸戦隊員は、全員が日本軍の捕虜になっています。

 日本政府からは厳重な抗議があり、説明を求めています! 現地の日本総合工業の施設や従業員が被害を受けた事から、

 アメリカとの交易を中止するのでは無いかとの噂が飛び交い、現在のウォール街はパニックになっています!」

「何でグアムに日本の民間施設があるんだ? グアムを攻略するのは当初からの予定だったのだろう?

 それに失敗したという事なのか? 何故、日本政府が抗議してくるんだ?」

「グアムはスペイン領ですが、日本が200年間の租借契約を結んでいます。

 極秘という訳では無かったのですが、立ち入りを禁止されて報道も無かった事から見落としていました。

 マリアナ諸島は確かに作戦計画書から外されていたのですが……

 巡洋艦チャールストンは作戦計画書に従って、グアムを攻略しようとしたらしいのです」

「……何たる事だ。グアムはスペインの領土だから、作戦計画書から削除されなかったと言うのか!? 

 何たる怠慢!! 表向きはスペインの領土であっても、日本が進出しているのを知らなかったでは済まされないぞ!?」

「……大統領、日本には何と説明しますか? それともこの機会に日本とも……」

「駄目だ! フィリピンをこれから本格攻略しようとする時に、日本と戦争をする訳にはいかん!

 勘違いした事にして、とにかく謝罪しろ! 賠償金も渡すんだ! 急げ!!」


 マッキンレー大統領は頭を抱えて、執務机に伏せてしまった。

 確かに以前はスペインとの戦争の時にグアムも攻略する計画だったので、その作戦計画書は存在していた。

 三年前はスティーヴン・グロバー・クリーブランドが大統領だった時だ。

 マッキンレーはクリーブランドを心の中で罵ったが、事態がそれで変わる訳では無い。

 他にも指示を出そうとマッキンレーは気を取り直して、電話を取り上げた。


 巡洋艦チャールストンは二年前に予備役になり、今度の戦争の為に現役復帰を行った。

 そして艦長が大西洋方面から回されてアジアの知識に乏しく、海軍の作戦計画書の修正のミスなどが重なった事件だった。

 グアムの港湾施設の使用は以前から拒否されて、アメリカが補給を行っていたのはウェーク島とサイパンの施設だった事も影響した。

 乗組員の何人かは異議を唱えたが、作戦計画書を信じた艦長は抗命罪で拘束してしまったので、グアムへの攻撃は行われた。


 まさかアメリカ艦隊がグアムを攻撃してくるとは、日本側としても予想外だった。

 史実で、アメリカ艦隊がグアムを奇襲して占拠した事は知っている。

 しかし租借契約を結んで表面上はスペイン王国の領土でも、実際の統治権は日本にあるグアムを攻撃するとは思わなかった。

 艦隊が近づいてきているのは察知していたが、燃料と食料、それに飲料水の補給を求めていると思ったのだ。

 日本総合工業の施設の一部が破壊され、民間人で八人が死亡した。

 アメリカの攻撃に気がついた帝国海軍の反撃により、巡洋艦チャールストンは大破して艦長以下ブリッジにいた士官は全員が死亡した。

 この予想外の事態だったが、天照機関はアメリカのミスに徹底的に付け入る事を検討し始めていた。


 余談だが、攻撃を受けても反撃しないというのは、この時代なら臆病者の烙印を押される。

 そして相手に付け込まれる原因となる。グアムの駐留部隊に臆病者はいなかった。

(2013. 6.23 初版)
(2013. 6.30 改訂一版)
(2014. 3. 9 改訂二版)