1897年

 日総新聞は理化学研究所の公式発表を掲載した新聞を出していた。


『理化学研究所の北垣代表は、定例の新年早々と新商品の発表を中止すると発表しました。

 新発表の内容を予測する賭け事が国内外で流行りだした事もあり、各所から苦情を受けたからです。

 理化学研究所は新分野の研究を止めた訳では無く、従来分野の改良と自然分野における研究に重点を移しています。

 特に砂漠緑化対策の品種の開発は画期的な内容であり、世界各地の砂漠の緑化に尽力したいと発言しています』


 あまりにマンネリした発表は理化学研究所もそうだが、ネタを考える方の負担にもなる。

 既に理化学研究所の技術開発力は世界に周知された事もあり、不謹慎な賭け事が蔓延し始めた事から正月明けの発表を中止していた。

 最初に【出雲】の砂漠や荒地に植えた品種は数世代に渡っての改良が行われており、効果を発揮していた。

 【出雲】の秘かに拡大した領土に少しずつ植えられ、緑地の境が国境線と化していた。

 まだコスト高で導入できる国は少ないだろうが、友好国には優先的に供給すると発表していた。


『東方ユダヤ共和国へのユダヤ人の移住は順調に進められ、既に人口は百二十万人を超えたと現地政府は発表しました。

 そして国防軍を本年中に創設すると発表しました。

 現地ではまだ兵器生産の体制が取られておらず、当面は同盟を結んだ日本から供与される見込みです。

 政府は東方ユダヤ共和国の国防軍の創設を、全面的に支援すると発表しました。

 尚、将来的にはハワイ王国軍を含めた三ヶ国による合同演習も行いたいと発言しています』


 中国を内陸部に封じ込め、ハワイ王国と東方ユダヤ共和国と軍事同盟を結んだ日本は、西太平洋全域に影響力を持つに至った。

 列強がいくら中国大陸に入り込もうと関知しない。通商の自由は保障してあり、列強の活動を妨げるものでは無い。

 そして今でも清国、東南アジア、アメリカ、インド、アフリカなどからダミー商社を通じて大量の資源を輸入している。

 それに加えて海底資源の採掘が出来るようになれば、大部分の資源を自給自足できる。

 この状態が維持できれば、他と争う必要は無い。タイ王国とは経済協力協定に留まり、軍事同盟は時期尚早と見送られた。


『台湾や海南島の開発は順調に進んでいます。ダムや水力発電所などが次々に建設され、現地の生活レベルの向上と食料生産基地と

 して機能するように期待が寄せられています。日本からの移住は増え続けていますが、現地とのトラブルは減少しつつあります。

 又、チャーン島、サイパンについても移住者は増え続けています。現地では幾つもの街が建設され、工場の稼動も始まっています。

 防衛用要塞や海軍基地も建設が進み、既に新型の艦艇が配備が進んでいると発表されています』


 現在、日本の資本で開発が進められている友好国は、ハワイ王国、東方ユダヤ共和国、タイ王国、オスマン帝国、エチオピア帝国だ。

 ハワイ王国、東方ユダヤ共和国は軍事同盟を結んだ事もあり、積極的に開発が進められている。

 タイ王国も経済協力協定が結ばれた事もあり、上記の二ヶ国に準じた扱いで開発が進められている。

 ベトナムはフランスの植民地という事で限定的な開発だ。

 そしてオスマン帝国とエチオピア帝国は、初期型の工作機械などの限定された支援に留まっている。

 どれもが将来の布石だ。この効果がどう出てくるか、予想できる人間は誰もいなかった。


『一昨年と比較して、昨年の日本海を経由した密入国の件数は倍以上に増えています。

 主に食料不足に陥った事が原因として推測されていますが、日本政府は宗主国である清国に密入国者を引き渡しています。

 国内の不法滞在者は一掃された模様ですが、売春行為を含めて国内の取締りを強化しています』


『船山群島の百年使用権を入札した各国と親睦を深める為に、船山島の迎賓館で政府主催のパーティが開かれました。

 挨拶で我が国は清国の内陸部に進出しない事を改めて表明し、清国との交易の拡大を希望すると発言しています。

 そして使用権を入札した各国と定期的に会合をする事を決定しました』


 日本は清国を尊重して、内陸部に進出しない立場を取っている。そして武器と消費財は輸出して、資源は輸入する。

 清国の工業力の向上には寄与せず、あくまで表面上の付き合いだけに限定する方針だった。

 不法入国や不法滞在には厳しく対処して、清国と李氏朝鮮の人間が日本国内に入り込まないように厳しく取り締まっていた。

 例外として、台湾や海南島の場合は従来の交流がある為に、本土よりは緩い規制だった。

 そして清国への進出を望む列強の邪魔はせず、逆に支援する方針も打ち出している。

 その日本の方針は列強の望むものだった為、日本と列強の関係は悪化する事無く友好関係を築いていた。


 日本は古くは中国と交流があった。遣隋使や遣唐使を派遣した事もある。仏教を含めた様々な文化は中国大陸から伝わった。

 そして大陸文化を導入して一定の成果を上げると、今度は中国大陸との交流を中止する方向に向かった。

 表面的な付き合いはあったが、民間交流は沖縄などの極一部を除いて行われていない。

 当時の施政者の判断だったのだろうが、正解だったのかも知れない。

 あまり発達していない当時の日本が中国と深く関われば、呑み込まれるだけだと判断したのだろう。

 実際に元寇などの中国側からの侵略もあり、中国との関係が良好だったのは一時期だけだった。

 一部の日本人は中国と古くから交流があったと考えている人達がいるが、実際には奈良時代と平安時代の初期だけだ。

 平安時代の初期に遣唐使は廃止され、明の時代に一部は民間交流はあったが政府間交流は実に約1000年間まともに無かった。

 そして関係が良好だった当時の王朝は既に存在しておらず、日本も中国も徐々に変質して独自の文化を築いていた。

 古来からの友好関係があったと発言する人もいるので、日総新聞は中国大陸に深入りしない関係こそ正常であると頻繁に報道していた。


 李氏朝鮮も同じだ。古くは交流もあり、朝鮮半島から日本に帰化した人もいる。

 しかし帰化人達の祖国は、今の朝鮮半島に住んでいる民族に滅ぼされた。つまり現在の朝鮮半島の住人と帰化人の関係は無い。

 地理的に近い事もあって最低限の交流はあったが、政府間の交流が親密だった事は無い。

 朱子学(儒教)が国教となって仏教が迫害された事もあり、半島の仏教文化財の多くは失われて文化的な類似点も少なくなっている。

 中国という大国に1000年以上も圧迫され、属国の扱いを受けてきた事で、独特の民族意識を持つに至っている。

 事大主義が蔓延しているのが良い例だ。彼らの自尊心を傷つける事無く、関係を絶つことが最善だと天照機関は判断していた。

 史実では日本の都合もあったが、朝鮮側でも工業化を望む人も居た。

 莫大な李氏朝鮮の借金を肩代わりして、膨大な予算を朝鮮半島の開発に注ぎ込んで怨みを買うような愚は今回は犯さない。

 滅亡するも繁栄するも、全ては彼らの裁量に委ねた。

 シベリア鉄道と沿海州の開発に多くの人達がロシアに売られて行ったが、それに日本が介入する事は無かった。

 内政干渉になる事でもあるし、李氏朝鮮には清国とロシアの兵士が進出しており、反乱を試みる国民を徹底的に取り締まっていた。

 それらの写真資料は、第三国の報道機関を使ってきっちりと残していた。


『皇室直轄領の【出雲】ですが、サバーハ家を貴族待遇で迎えて、領土を編入した事で人口と領地は増えました。

 オスマン帝国のバスラ州の荒地を農地として開拓している事もあり、人口は十二万人を超えましたが移住募集は引き続き行います。

 尚、帝国陸軍と帝国海軍の将兵が派遣され、現地で皇室直轄軍を設立中です。艦艇も現地で配備されつつあります』


 【出雲】の工業化は順調に進んでおり、オスマン帝国とエチオピア帝国に限定的な支援が出来るまでに成長していた。

 それでもまだ周辺の勢力と比較すると、【出雲】が小勢力である事は事実だ。

 元々のアラブ人や、移住してきたベトナムやタイ王国の人達を上手く纏めていくには、日本人が最大勢力である必要がある。

 編入した元サバーハ家の領土にいたアラブ人の生活の安定や信仰の自由は保障はしているので、現地の受けは良好だ。

 民族も宗教も違う彼らと対立する事はあるが、概ねは協調していけると思われていた。

 そして北部アチェ王国やエチオピア帝国、雲南省への工作の為に、イスラム教との関係を深めていた。

 尚、ファイラカ島の軍港施設の建設は終了していた。

 周辺に脅威となる海軍が存在しない事もあり、配備は軽巡洋艦『夷隅級』二隻、駆逐艦『高滝級』六隻、護衛艦『平沢級』十隻だ。

 状況の変化に応じて増やされるだろうが、今のところは周辺国に脅威と思われる軍拡を行う予定は無かった。

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 日総新聞は国内はもとより、海外にも進出し始めていた。

 とは言え、まだハワイ王国、東方ユダヤ共和国、清国の各租界、タイ王国、オスマン帝国ぐらいだ。

 そして日本のイメージ向上を図ると同時に、移民に関する考え方を含めて、各国の読者に微妙な影響を与え始めていた。

 清国の租界に住んでいる一部の人達の愛読紙となっている日総新聞の記事は、ある事を行っていた当事者を驚愕させていた。


「何てこった!? 今年の理化学研究所の新開発の発表は無いだと!? これじゃあ親の総取りじゃ無いか!」

「だから賭け事なんて嫌だと言ったんだ! 俺を巻き込んだ責任を取れよ!」

「そ、そんな事を言われても、お前も納得して賭けたんだろう! 今更、俺に責任を押し付けるなよ!

 自分で決断したのに相手に責任を押し付けるなんて、お前は朝鮮の両班か!?」

「いくら何でもそれは言い過ぎだろう! 言葉を取り消せ! 俺はそこまで堕ちた覚えは無い!」

「二人とも落ち着けよ。『東アジア紀行U』やマリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』で両班の愚行は広まっている。

 あれを読めば、同じように見られたく無いと思うのも当然さ。それより理化学研究所が新年の発表を取り止めたのは気になるな」

「あの義理堅い日本人が、態々習慣と化していた発表を止めるのは理由があるだろう。

 もしかして、昨年の大津波を予知した巫女が病床に臥せたのと関係があるんだろうか?」

「可能性はあるかも。それにしても日本はアジア以外にも、オスマン帝国やエチオピア帝国に支援を始めるとはな。

 開国して三十年も経っていないと言うのに、俺達に肩を並べて他国を支援するようになるとは油断できないな」

「【出雲】の開発は想像以上に順調に進んでいる。昨年はサバーハ家が支配していた地を併合して、領土を一気に増やした。

 現地のアラブ人とも上手くやって、工業化が進んでいる。イラン王国やオスマン帝国に消費財をかなり輸出しているからな。

 オスマン帝国とエチオピア帝国に供給する工作機械を製造できる工業力だ。

 小規模ながらも海軍を創設したし、このままだとペルシャ湾は【出雲】の内海になってしまうぞ」


 理化学研究所の新年の新発表の賭けは、清国の租界だけでは無く列強の本国でもかなり広まっていた。

 あまり良くない傾向でもあり、面倒になる前に定例の発表を中止したのだが、各国の博打好きの人々に大きな影響を与えていた。

 ちなみに、陽炎機関の息が掛かった組織が大儲けした事は、天照基地の存在と同じく特級の機密になっている。


 【出雲】の工場群では日本人を中心に、ベトナムやタイ王国から移住してきた人達や現地のアラブ人が働いている。

 生産された消費財は陸路ではバスラ州一帯に、海路ではイラン王国、オスマン帝国、エチオピア帝国以外にインドまで輸出されている。

 その海上輸送路を守る為に、【出雲】の海軍が設立された。淡月光の生産工場もあり、輸出量は右肩上がりだ。


「中東では【出雲】を中心にして、オスマン帝国、イラン王国、エチオピア帝国に手を伸ばしている。

 本国の方はハワイ王国と東方ユダヤ共和国と軍事同盟を結んで、台湾と海南島を手に入れたから西太平洋全域に影響を持つに至った。

 清国の内陸部に進出しないと宣言しているが、何時前言を撤回して大陸に進出するか不安だぜ」

「心配のし過ぎじゃ無いのか? 実際に清国の内陸部からは日本は完全に撤退して、沿岸部での交易に限定している。

 日本の奴らが清国に武器を売っているのは気に入らないが、船山群島の使用権を我々に売って艦隊駐留を認めている。

 実際に海賊による被害も減った事だし、海上輸送路の安全を確保してくれると言うなら心配する事は無いだろう」

「そうだな。これで日本が気が変わって中国大陸に進出しようものなら、列強の全てを敵に回す事になる。

 今の日本がそんな馬鹿な事をする筈が無い。それより【出雲】の動きが気になるな」

「ああ。オスマン帝国やエチオピア帝国の工業化が進められているのを知った各国が、【出雲】に色目を使い始めた。

 特にイラン王国がな。あそこはイギリスとロシアに圧迫されていて、国内も安定していない。

 イラン王国は国内の近代化を進めようとしているが、金が無いからイギリスに国内権益を売り渡しているくらいだ。

 ひょっとしたら領土を日本に渡す代わりに、オスマン帝国のように近代化を進めてくれと泣きつくんじゃ無いのか?」

「可能性はあるな。その場合はホルムズ海峡の要衝のケシム島が候補の筆頭だな。

 しかし、日本に中東やアフリカの工業化を進められると、侵略し難くなるから困った事になる」

「エチオピア帝国の工業化をイタリア王国が酷く警戒している。植民地を奪われてはたまらないと、日本に散々抗議しているからな。

 しかし日本は、エチオピア帝国への支援を中断する気配は無い。フランスは消極的だが日本寄りだ。

 ひょっとすると、イタリア王国と【出雲】の艦隊がアデン湾で衝突するかもな」

「エチオピア帝国の工業化は、フランスの植民地のジブチ経由で工作機械が運び込まれているから、可能性は十分にある。

 【出雲】には軽巡洋艦のイスミ級と駆逐艦のタカタキ級がある。戦争になれば、その性能も判明するな」


 数年前までは日本はアジアの新興国で、国力はまだまだ低いと看做されていた。

 それが欧米でさえ開発していない商品を次々に販売し始め、大国と思われていた清国に戦争で勝利した。

 その時の飛行船による首都空爆(被害はゼロ)は、各国に大きな衝撃を与えている。

 軍事的には三流国と思われていた日本だが、飛行船部隊を所有している事で軍事的にも一流国に肩を並べた。

 そして新しい『夷隅級』と『高滝級』、『平沢級』の配備を同盟国も含めて進めている。

 戦争をしなくても中東の領土を徐々に増やしている日本に対し、列強の一部は警戒を強めていた。


「東方ユダヤ共和国というロシアの防波堤が出来たから、日本は少し安心したのか?

 ハワイ王国やタイ王国の工業化に協力して、高圧的な態度は無いと聞く。

 植民地を手に入れればただで資源が手に入るというのに、律儀に資源を購入しているんだ。

 ひょっとして日本人は交易さえ出来れば、植民地は不要と考えているのか?」

「あり得る。朝鮮半島の南部を東方ユダヤ共和国に譲ったくらいだからな。【出雲】にしてもオスマン帝国からの購入だ。

 タイ王国のチャーン島は得たが、内陸部は開拓協力だからな。島々を抑えて交易路の安全を確保する事を優先させているようだな」

「あそこまでの技術を持っていれば、高値で製品が売れる。それで十分だと考えているのか?

 ベアリングや真空管や無線通信機も、日本の独占状態が続いているからな」

「そしてマリアナ諸島も得た。あそこを抑えれば、南太平洋全域に睨みが利く。グアムの長期の租借契約をスペインと結んだしな。

 何故か、グアムに進出している報道を控えている事に疑問を感じるがな。

 やはり日本が大陸に進出する事は無いと考えるべきだろう。それでも警戒はしておくがな」

「ロシアの様子はどうなのだ? 李氏朝鮮から鍾城と鏡源の鉱山採掘権、朝鮮北部の森林伐採権や関税権を得て、影響力を増している。

 それに奴隷を購入して、シベリア鉄道や沿海州の開発を進めているんだろう。ロシアと日本がぶつかる可能性は?」

「ロシアは不凍港を求めて南下政策を取っている。シベリア鉄道が完成すれば、兵力を極東に集めて満州や朝鮮に進出するだろう。

 その後は東方ユダヤ共和国に攻め入る筈だ。そうなったら軍事同盟を結んだ日本は参戦してくるな」

「時間の問題ってやつか。それにしてもロシアの植民地になったら朝鮮は消えてなくなるというのに、擦り寄る李氏朝鮮が哀れだな」

「あそこは中国の歴代王朝から1000年以上も属国として扱われていたから、事大主義に囚われている。

 俺達には理解できない考えだ。強い者に従うだけで生き延びられる程、時代は甘くないのに気がつかないんだろうな」

「清国は日本から輸入している武器を使って、無理やり国内を抑えているが、民衆が爆発するのは時間の問題だろう。

 最近はフィリピンもきな臭くなっている。オランダの東インド植民地やイギリスの植民地のオーストラリアは大混乱している。

 こうなってくると、フランスの植民地のベトナムの治安が良いのが不思議に感じるよ」

「あそこには淡月光のアジア最大の生産工場があるからな。それが大きく影響している。

 それと聞いた話だが、清国の雲南地方やチベットでもきな臭い動きがあるらしい。注意した方が良いぞ」


 朝鮮の国王である高宗は史実と同じく、国内の北部の鉱山採掘権、森林伐採権、関税権をロシアに売り渡していた。

 史実では日本がロシアの脅威を恐れて李氏朝鮮を独立させたのだが、彼らはロシアに接近していた。

 これらの事が併合の遠因になる。史実では日本は李氏朝鮮が売り払った各種の権利を買い戻したが、今回は何も介入はしなかった。

 清国の内陸部に進出しない事を態度で示す為にも、日本はロシアと李氏朝鮮の接近に何ら関与する事は無かった。

 日本の基本方針は海洋国家と定められている。

 その為に沿岸部や島々に進出するが、大陸の内陸部には進出しない方針を採り、それは各国に周知され始めていた。

 列強の利益と反するものでは無く、今のところ日本を敵対視している国は限られていた。

 それでも地政学的見地から、ロシアと日本の衝突は時間の問題と思われており、各国は暗躍を始めていた。


 尚、清国の雲南省は資源が豊富な地域であり、イギリスとフランスが虎視眈々と狙っている。

 そこに陽炎機関の秘かな支援を得た回族(イスラム教徒)の活動が活発化していた。

 彼らにしてみれば、故郷に帰りたいと思うのは自然の理だ。まだ反乱などの行動に移るには早いが、準備は着々と進められていた。

 チベットも同じだ。国籍不明の飛行船による空輸で、チベットの奥地に現地政府管轄の工場が建設され始めていた。

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 男は基本的に宴会が好きなものだ。全然飲めない人や、一人で飲むほうが良いと言う人を除いて、基本的に誘われて断る人は少ない。

 不味い酒ならともかく、日本が好調で将来が楽しみだと言う時に、天照機関の新年会を断るメンバーは誰もいない。

 昨年から皇太子殿下がメンバーに加わった天照機関の新年会は、今年も皇居で行われていた。


「昨年は東方ユダヤ共和国の建国とエチオピア帝国との関係強化、それと【出雲】の領土拡大ができた。

 明治三陸地震の被害も少なく抑えられたし、新たに得た領土の開発も進んでいる。今年も上手くやりたいものだ」

「新しい『夷隅級』と『高滝級』、『平沢級』の配備も進みだした。これが一巡すれば国防も落ち着く。もう少しの我慢だな。

 国内総生産もまだまだ上昇傾向だし、一刻も早く列強に肩を並べたいものだ」

「今は同盟国と友好国、各地の開発で精一杯というところだが、北海道の日高工場や四国の伊予北条工場は今年に操業開始だ。

 その二工場が動き出せば、さらに弾みがついて開発は進むだろう。楽しみだよ」

「国内の工業化は欧米に追いつき始めているからな。各地の開発がさらに進めば、我が国を小国と侮る国は無くなるだろう。

 石油を自給自足できる体制があって、資源が順調に入ってくるなら、無理に植民地を得る必要性は無い」

「石油は国内消費分さえ賄えれば良いと考えていましたが、現在は同盟国であるハワイ王国と東方ユダヤ共和国にも輸出しています。

 計画が少し変わりましたが、勝浦工場の生産量を上げる事で対応しています。同盟の関係を深くする為にも、この方針は維持します」

「うむ。機材や設備もそうだが、エネルギーと資源も抑える事で彼らをコントロールできるからな。

 タイ王国やオスマン帝国、エチオピア帝国の様子はどうなのだ?」

「チャーン島とコーラート台地の開発は順調です。タイ王国との関係も良好で、チャーン島に我が国の艦隊の駐留が認められました。

 コーラート台地の穀物収穫量も右肩上がりです。当初の予定地域の開発が終わるのは十数年後でしょうが、それは焦らずに行います。

 オスマン帝国の工業化も順調です。【出雲】で研修を行っていますので、民間交流も進んでいます。

 ですが官僚腐敗や組織硬直が激しく、工業化の速度はあまり速くはありません。異民族を多く抱えている問題もありますからね。

 バスラ州への進出も加速して、上手い具合に我々への依存度を深めてくれています。

 今は少しずつ工業化を進めながら信頼関係を築くのと、我々の足場を強化する事を優先させています。

 エチオピア帝国への支援はイタリア王国の妨害工作がありますが、今のところは大きな問題にはなってはいません。

 数年のうちには武力衝突する可能性もあります。それとイラン王国から工業化の協力をして欲しいと打診があったそうですね?」

「ああ。あそこはイギリスとロシアに圧迫されて、かなり逼迫しているからな。

 我々がオスマン帝国やエチオピア帝国の工業化に協力しているのを見て、自分達もと考えたらしい。

 あそこを抑えられれば、ペルシャ湾はさらに安全になる。現在は交渉中だ」


 飛行船を開発した事もあり、清国に完勝した日本の国力は世界に認められつつある。

 そんな日本が武力侵略せずに関係を持った国々の工業化を支援している事は、従来の常識から考えればあり得ない事だった。

 その日本の動きを希望と感じた国々は多い。特に列強の圧迫を受けている国は、日本との接触を始めていた。

 その一つがイラン王国だった。ホルムズ海峡に面するイランに影響を持つ事ができれば、効果は大きい。

 その為に、日本も積極的に交渉を始めていた。


「上手くいけば、ケシム島が手に入る。そうなればペルシャ湾を我々の内海とする事ができるし、将来的にも役立つ。

 そうなると、インド洋にも拠点が欲しいところだな」

「マダガスカルはフランスの植民地にされて、インドを含む周辺はイギリスの勢力下だ。今はインド洋に手を出すべきでは無い。

 北部アチェ王国の反撃が上手くいけば、マラッカ海峡の要衝であるリアウ諸島が手に入る。

 イギリス帝国と争う訳にはいかない事を肝に銘じなくてはな」

「そのイギリスは船山群島の百年使用権を落札してくれて、中国大陸への干渉を強めている。アメリカもそうだ。

 そしてロシアの南下を恐れて、我が国の意向を確認してきている。

 上手くいけば、東方ユダヤ共和国を巻き込んだ三国同盟ができるかも知れん。イギリス帝国とは上手く付き合いたいものだ」

「オランダ王国とは表面的には友好関係にあるが、東インド植民地(インドネシア)に関して我々は北部アチェ王国を支援している。

 北部アチェ王国を秘かに支援しているのがイギリス帝国だと思わせる工作が成功して、両国の関係が徐々に悪化している。

 それにエチオピア帝国を巡っては、我が国とイタリア王国の関係が悪化し始めている。これ以上、敵対国を増やしたくは無いぞ」

「イギリスがオーストラリアを放棄するのは時間の問題だ。代わりにオランダの東インド植民地に進出しようとしていると噂を流した。

 今の状況からすると、ロシア帝国に対抗するのにイギリス帝国の力は不要だが、仲間は多い方が良い。

 ユダヤ人のイギリス世論の工作も順調に進んでいるし、イギリスの勢力下の地域への進出は注意する必要がある」

「イラン王国への支援も加減が必要だと言う事だな。そう言えば船山群島の使用権はアメリカとドイツにも落札されたな。

 そちらはどうなっている?」

「アメリカとドイツは船山群島の基地化を着々と進めている。アメリカは広大な内陸部をインディアンの神を恐れて完全封鎖したからな。

 国民の目を外に向けたい意向があるから、史実通りに来年にはスペイン王国に戦争を仕掛けるだろう。

 その準備も着々と進めているらしい。今のところは我が国との関係は良好だ。ウェーク島の給炭施設を使っているし、お得意様だ」

「内々で、マリアナ諸島の港の使用権が欲しいと言ってきたが断った。普通に使うには問題ないと答えておいたがな。

 やはり中国大陸に本格的に進出するのに、フィリピンは欲しいんだろう。蟻地獄が待っているとも知らないでな」

「フィリピンの革命勢力への支援は順調に進んでいる。もっとも今の歴史は、史実と乖離を始めている。

 来年にアメリカがスペインに戦争を仕掛けるという保証は無い。前倒しになる可能性もあるし、準備だけは進めている。

 ドイツの件だが、我々が陸軍の制度をドイツ式からイギリス式に変えた事で、一時期は関係が悪化した。

 それでも淡月光や飛行船の件もあって、最近はやっと良好な関係を持てるようになったがな。

 史実ではドイツは今年の十一月に清国の膠州湾を占領する。そちらの方面にも注意しておこう」


 この時代、列強は地政学的に要衝の島々を除いて、基本的には資源が眠る領土や人口が多い場所へ進出していた。

 地下資源や現地住民を搾取しての富の収奪が目的だったので当然の事だ。

 しかし今の日本は広大な海洋領域を抱えて海底資源の有効活用という隠し手がある為、通常の交易で資源が入手できれば、

 面倒な人口が多い場所へ進出する必要は無いと考えていた。その代わりに安全な通商路の確保が主眼になる。

 その為に、各地の要衝を得ようと画策していた。多数の敵軍に各個撃破される危険もあるが、平時においては役に立つ。

 列強と衝突しないようにと立案された戦略方針だ。列強のダミー商社の成果もあり、今のところは上手く機能している。

 そして列強同士を争わせ、漁夫の利を得るような方針で工作が進められていた。

 その為に、地理的要因からロシアとは対立し、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツとは友好関係を保ち、オランダとは友好関係を

 築きつつも工作を行い、イタリアとは険悪な関係になりつつあるという複雑な外交状態になっていた。


「陣内。そう言えば真一と香織は何時、此処に連れてくるのだ。写真は見飽きた。早く孫を抱かせろ!」

「……陛下。先月も連れてきたばかりではありませんか? 沙織本人には事情を話していないのですよ。

 あまり頻繁に幼児を連れてきては周囲に疑いを持たれますし、少し時間を置かせて下さい。

 それより皇太子殿下の婚姻を進めた方が良いのではないですか?」

「うむむ。婚姻の方は既に考えてあるが、孫を抱きたいと考えては駄目だと申すか!?」

「ですから、真一と香織が陛下の孫だというのは公には出来ませんから、少し控えて下さいと申し上げているのです。

 先月は沙織と四人で来ましたが、あまり歓迎され過ぎも困るのですよ。少しは考えていただきたいのです!」

「陣内よ、そう陛下を責めるものでは無いぞ。初孫というのは可愛いものだからな。

 それより今は三人の子供持ちだな。増える予定はあるのか?」

「沙織の方は双子なので、まだ手が掛かりますから次は控えています。楓の方は二人目を妊娠中ですから、今年には産まれる予定です」

「ほお。それは目出度い事だ。陣内も大変だろうが、子供というのは直ぐに成長する。成長した子供は頼もしいぞ。

 陣内の持つ技術や資産の継承者になるのだからな。しっかりと教育するのだぞ」

「陣内。最近は遊郭に誘っても断るばかりよな。もう女遊びは止めたのか?」

「遊びが沙織や楓にばれた時の事が怖いですからね。その時は伊藤様が責任をとってくれますか?」

「……それは個人の問題だ。こっちに話を振るな」


 時間は人類全体に平等に過ぎていく。高貴な人や大金持ち、貧乏人、色々な人がいるが、時間だけは全員に平等だ。

 此処にいる天照機関のメンバーも同じだ。そして日清戦争の時に産まれた子供が今年には三歳になる。

 史実を知った参加メンバーは、自分の死期も知っている。

 悔いが残らないように、日本の為に全力で尽力する彼らを笑える存在は何処にも無かった。

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 日本総合工業は十隻の飛行船の管理と運営を、全額出資の子会社の日総航空に移管していた。

 そして昨年のうちに五隻を追加就役させて、国内と同盟国、そして友好国との航空路線で使用していた。

 飛行船を使った輸送は大量の物資を運ぶのには適さないが、人間ならば船より遥かに早く移動ができる。

 その恩恵に与れるのは日本と関係が深い同盟国と友好国だ。その事に列強から強い抗議があった。

 自分の国と世界各地の主要都市への航空路線の開設を、強く日総航空に求めていた。

 列強は日本総合工業から馬鹿高い飛行船を一隻だけ購入し、解析して独自仕様の飛行船を建造して所有している。

 だが、希少なヘリウムは入手困難の為、どの国の飛行船も爆発の危険がある水素ガスを使っている。

 危険のある飛行船に乗りたがる乗客は少なく、列強は日総航空に自国への進出を強く要請した。

 確かに欧米の主要国との航空路線を運営すれば、黒字にはなるだろう。だが、準備すべき内容も山ほどある。

 それに税関などの問題も加わり、まだ時期尚早と判断された。

 一方で【出雲】−オスマン帝国と【出雲】−エチオピア帝国の定期便が開設された。

 飛行船の航空路線だけで国家の方針が変わるはずも無いが、日本が友好国との航空路線を次々に開設した事から、

 日本との友好関係を進めようと考えた国があった事も事実だった。

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 昨年の六月十五日に明治三陸地震は発生し、大津波で各地は大きな被害を受けていた。

 しかし人的被害は少なく、不動産などの被害が主だった。高台の産業促進住宅街に食料や建築資材を用意していた事もあり、

 避難者はさほどは生活に困る事無く過ごしていた。それでも不満を持つ者は無くならなかった。


「何で先祖代々の土地を政府に売って、こんな高台に住まなくちゃ駄目なんだよ!? 港からは遠いし不便に決まっているだろう!」

「だから津波が来た時の為だって何度も言っているだろう! 今回は巫女様のお陰で被害は少なくて済んだが、数十年後や百年以上も

 先まで今の巫女様が居る訳じゃ無いんだ! 今のうちに沿岸部から住居を移設する政府の計画なんだ!」

「それにしたって、土地を売らなきゃ高台の住居に住めないってのはどういう事だよ! 両方に家を持ったって良いだろう!」

「贅沢を言うな! 従来の沿岸部に港と加工工場は復興させるが、万が一の避難経路を造るのに一度全部を再開発しなくちゃ駄目なんだ!

 自宅は津波に流されて、今はこの簡易住宅に住まわせてもらっているんだぞ。

 それに政府の資金で俺達の家を造ってくれるって言うのに、それ以上の贅沢を言うつもりなのか!?」

「そ、そうは言っても先祖代々の土地と交換だなんて嫌だ!」

「だったら、数十年後に大津波が来た時、また財産も一緒に流されても良いと言うのか!? 将来の為なんだよ! 納得しろ!」


 大津波による人的被害は最小限に抑えられたが、家や家財道具を失った人は多かった。

 災害予防研究会は将来の事も考慮して、住民の生活の場は高台に移し、従来の沿岸部は港と工場だけのエリアに留めようとしていた。

 沿岸部から高台への避難ルートも複数用意して、万が一の時は速やかに避難できるようにと考えた。

 防波堤は造るが、自然に絶対は無い。自然に逆らうのでは無く、自然を受け入れて共存する事を目指していた。

 仕事場と住宅が離れると不便になるが、万が一の時に財産を失うよりは良い。

 港や工場なら再建すれば済む事だと、割り切っていた。

 強制的に沿岸部の土地を全て買い上げて、代わりに高台に避難民の住宅を提供する事で、再建計画は進められていた。

 既に多くの建設用の大型重機は被害地に入り、壊れた住宅の撤去作業に取り掛かっている。

 そして数年後には、一風変わった街並みが東北地方の沿岸部で多く見られる事になっていく。


 日総新聞によってモラル向上の運動が続けられていたが、三陸地震の大津波による被害を受けて、運動に一掃拍車が掛かった。

 避難活動の時には助け合うべきで、争う時では無い。

 天災による他人の不幸を嘲笑う行為は天に唾する行為だと、思いやりの精神を持つべきだと多くの人に周知され始めていた。

 しかし、度を過ぎた過保護は被災を受けた人の自立を損なうものだとして、その辺りはバランスを保つ事が重要だと締め括られていた。

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 史実では、下関条約によって独立した李氏朝鮮は、国号を韓に変えて大韓帝国が成立した。

 しかし今回は李氏朝鮮は清国の属国のままだったので、そのような事は無かった。

 日本とは国交が断絶されて、李氏朝鮮の経済は大打撃を受けていた。

 宗主国である清国の財政は厳しく、援助する余裕など無い。仮に余裕があったところで、属国に支援物資を送る事は無かっただろう。

 国境を接する東方ユダヤ共和国と国交はあったが、経済交流は無いに等しい。

 それどころか、李氏朝鮮側から頻繁に国境侵犯を起こしている事から、両国間の関係も険悪化していた。

 史実では日本が返済した莫大な借金も、今の李氏朝鮮の大きな負担になっている。

 北部の鉱山採掘権と森林伐採権、関税権をロシアに売り払ってもまだ資金は不足しているので、南部から強制移住させた国民の多くを

 清国経由でロシアに奴隷として売り払い、それで得た資金で何とか財政をやり繰りしている。

 表面上は清国を宗主国として仰ぎながらも、秘かにロシアとの関係を深めている。

 清国側もそれは分かっているが、ロシアと対立するのを避けていた。その為に李氏朝鮮内部では清国派とロシア派が抗争を続けている。

 嘗ては開明派である日本寄りの派閥もあったが、国王である高宗の指示で大部分が処刑されてしまった。


 列強の新聞社は『東アジア紀行U』を出版し、マリ・ニコル・アントン・ダブリュイの書いた『朝鮮事情』でも李氏朝鮮の実情は

 世界に広まった。それにより、地理的要因以外で朝鮮に進出を考える人達は極端に減っていた。

 混乱が続く李氏朝鮮に積極的に投資するような国家は無く、工業化は進まずに国民は不衛生な環境での生活を強いられている。

 貴族階級である両班の搾取は止む気配は無く、第二次産業の育つ気配すら無い。

 日本が完全に撤退したのでハングル語の普及は全然進まず、識字率は低迷したままだ。

 国内の農業も非効率的なまま続けられ、国民には飢餓が蔓延している。

 シベリア鉄道やウラジオストック周辺の開発を行う為の奴隷売買は、年々増加の一途を辿っている。

 劣悪な労働環境の中で働いている奴隷の血と汗で、シベリア鉄道の建設は進められていた。

 食料不足と現金収入の目的もあって、李氏朝鮮は奴隷売買に積極的であり、国内の人口は減少傾向が続いている。

 1890年の時点で人口は約800万人だったが、僅か七年で100万人も減って、現在の李氏朝鮮の人口は約700万人だ。

 隣国の東方ユダヤ共和国の人口が120万人を超えて、さらに増加傾向にあるのとまったく逆の現象だった。

 そんな李氏朝鮮の東方ユダヤ共和国との国境線には、ユダヤの紋章をつけた飛行船が飛ぶようになり、

 沿海州の付近ではロシアの国旗をつけた飛行船が多数飛ぶようになっていた。

 どの国家も支援の手を差し伸べず、李氏朝鮮の運命は彼らの自主努力に委ねられていた。

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 李氏朝鮮の貧窮が深まる一方で、隣国の東方ユダヤ共和国は日本の支援もあって発展を続けていた。

 大型の建設用の重機が多数用いられ、農地や住宅、工場などが次々に完成していった。

 世界各地のユダヤ人資本家からの資金援助もあって、国家としての体制が急速に整備されていく。

 学校組織、警察組織、会社組織、法律組織等の様々な分野の組織が拡大し、それが機能し始めていた。

 ユダヤ教徒という共通項目があるが、言語も人種も異なっている人は多い。

 それでもやっと得た祖国を発展させるのだという意識は高く、ユダヤ人は団結して国家建設に勤めていた。


 やっと待望されていた国防軍が創設された。まだ工場群が完全に立ち上がっていないので、大部分の武器や兵装は日本からの供与だ。

 黄海と日本海側の沿岸警備を行う海軍も日本からの艦艇の供与で設立されたが、主力は陸軍になる。

 東方ユダヤ共和国は日本と軍事同盟を結ぶ事により、海上面の安全保障は完全に日本に委ねていた。

 その代わり、国境線を接する李氏朝鮮とその背後のロシア帝国に備える為に、陸軍の強化が重要視された。

 各国軍に所属していたユダヤ人を主軸に陸軍は設立され、その規模は年を追うごとに拡大していった。

 他国が欲しがるヘリウムガスを使用した飛行船も三隻が日本から供与されて、国境の警備に当たっていた。

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 アフリカの南東部にあるエチオピア帝国は内陸国だ。昨年は三年間続いていたイタリア王国との戦争に決着がついたところだ。

 そのエチオピア帝国はイタリア王国の植民地であるエリトリアとソマリア、それとイタリア王国と対立するフランスの植民地のジブチに

 海洋への出口は塞がれている。そしてイタリア王国とフランスは対立状態にある事から、フランスは日本に協力的な立場だ。

 イタリア王国を牽制する意味もあって、フランスはジブチを経由したエチオピア帝国への物資輸送を許可していた。

 そのジブチには、武器や工作機械を満載した輸送船が【出雲】の艦隊の護衛を受けながら、引っ切り無しに入港していた。

 帰りにはエチオピア帝国の資源や食料を積んでいる。


 【出雲】から運ばれる工作機械はエチオピア帝国の工業力を高め、国力の増強になるものだ。

 それらは持っているだけでは何の役にも立たない。有効に使って初めて効果が出てくる。

 そして【出雲】ではオスマン帝国やエチオピア帝国の研修生を受け入れて、各種の工作機械の操作方法の講習を行っている。

 今までアフリカに日本人は殆ど進出していなかったが、ちらほらとエチオピア帝国にも姿が見られるようになってきていた。


「日本人のお陰で武器の内製化ができる目処が立ったし、国内で消費財の生産が始められるかも知れん。

 そうなれば我がエチオピア帝国はイタリアの脅威に自力で対抗できるようになるし、アフリカ最大の国になる事も出来るだろう」

「列強は我々に武器を売っても、工作機械などの工業力の向上になるものは売らなかったからな。そこが日本が他とは違うところだ。

 技術研修を受けた研修生が戻ってくれば、我々は欧米に対抗できる国力を持てるだろう」

「我々黒人は白人から人間として見做されていないからな。イタリア王国に勝利したのは画期的な事だ。

 全世界の黒人の希望になっているんだ。この調子で進みたいよ」

「あの飛行船で【出雲】に一日と掛からずに行けるのは驚いたな。日本は飛行船を売ってはくれないのか?

 あれがあれば、列強とはいえ我々を侵略しようとは考えなくなるだろう」

「一定以上の工業力が無ければ、飛行船のメンテナンスは無理だ。今は時期尚早だと断られたよ。

 逆を言えば、我々が発展すれば飛行船を所有できるという事だ。

 確かに日本から導入した工作機械の操作を覚えている段階で、欲張っても仕方が無い。今は我慢の時だろう」

「そうだな。今は国内の工業化を進めて、イタリアが攻めてきても撃退できるだけの力を蓄えるのが優先だ。

 しかし、日本は手広くやっているな。我が国も日本と同盟を結べば、いざと言う時は助けてくれるのか?」

「日本は資源を輸入する代わりに、我が国の工業化に協力してくれている。

 列強は資源の代わりに武器しか売ってくれなかったからな。これで我が国の工業化が進めば、周辺国を制圧できるさ」

「一番怖いのはイタリアだな。昨年は何とか勝ったが、次に戦えばどうなるか分からん。

 何しろ海への出口が無いのは痛い。日本の飛行船による空輸で少数の物資は入ってくるが、やはり港は欲しい」

「イタリアと仲の悪いフランスが消極的ながらも協力的だからジブチが使えるが、何時までも続く保証は無い。

 我々がエリトリアとソマリアを攻める時は、日本も協力する秘密協定を結んでいる。

 成功した時はアデン湾と紅海側の沿岸部の二ヶ所を日本に割譲しなくてはならないが、安いものだな」

「列強のように全てを奪う訳では無いからな。今までの日本のやり方を見ていると、内陸には進出しないで沿岸部だけを抑えている。

 海上輸送路の安全確保がメインなんだろう。我々としても割譲した領土に日本の艦隊が駐留してくれれば安心だよ」


 天照機関は皇室直轄領である【出雲】を使って、エチオピア帝国の工業化を進めていた。

 目的はアフリカ東部地域の安定だ。将来的に列強に分割支配されるよりは、同じ黒人に支配された方が良いだろうと考えたからだ。

 ベトナムの件もあってフランスと事を構える訳にはいかなく、当面の目標はイタリア王国の植民地のエリトリアとソマリアになる。

 エチオピア帝国の工業化が進み、【出雲】の艦隊の整備が進めばイタリア王国の植民地を奪えるだろう。

 アラビア海に影響力を持つ為にはソコトラ島が欲しいが、今の支配者はイギリス帝国なので争う訳にもいかず、工作すらもしていない。

 そこで目をつけたのがアフリカの角と呼ばれる史実のソマリアだ。

 ソコトラ島に近いカルーラ周辺に海軍基地が建設できれば、アデン湾全域とアラビア海に影響力を持つ事ができる。

 さらにエリトリア側の紅海に面するダラク諸島を手に入れれば、紅海全域に影響力を持つ事ができる。

 各個撃破される危険性はあるが、海上の治安維持の為にも各地に海軍基地を所有する事は大きな意味があった。

 天照機関とエチオピア帝国の双方の利害が一致した為、【出雲】はエチオピア帝国の工業化に協力していた。


 エチオピア帝国の工業化は、イタリア王国にとって大きな問題となっていた。イタリアと日本は遠く、あまり深い関係は無い。

 しかし、前年まで戦争を行っていたエチオピア帝国の国力強化は、イタリア王国にとって容易に認められるものでは無い。

 植民地であるエリトリアとソマリアが失われる危険性もある。

 その為にジブチに入港する【出雲】の輸送船を妨害しようとしたが、【出雲】の駐留艦隊によって防がれてしまった。

 現在のところ【出雲】の艦隊は小規模だったが、配備されたばかりの新造艦であり、その戦闘能力はまだ未知数だ。

 それに【出雲】に配備されている十隻の飛行船は、イタリア王国にとって脅威だった。

 もし日本と戦端を開けば、飛行船による首都爆撃もありえる。その為に【出雲】の輸送船の妨害工作程度に留まっていた。

 外交手段で【出雲】の行動を制止したかったが、今のイタリア王国は日本へ圧力を掛ける手段は存在しなかった。


「【出雲】は中東やアフリカの工業化の源だな。あそこで艦船や色々な工作機械、設備までも生産できる。

 オスマン帝国やイラン王国が接近するのも理解できるな」

「ああ。我が国の研修生が【出雲】に行っているが、オスマン帝国やイラン王国の研修生も多いという報告がある。

 イスラム教の我々にも配慮をしてくれているというし、敵にするよりは仲間にするべき相手だな」

「イタリア艦隊が我が国への輸入を妨害しようとしたらしいが、【出雲】の艦隊に追い払われたと聞く。

 エリトリアとソマリアを得た時は、我が国も海軍を創設したいものだ。その時も日本に協力して貰わなくてはな」

「その時の為にも【出雲】に輸出する資源は格安価格にしているんだ。お互い様ってやつだな。

 それにしてもイラン王国と【出雲】が急接近しているな。消費財の輸出先としての関係はあったが、最近は多過ぎる。

 こうなるとイラン王国も我々のように、日本と協力して国内の工業化を進めるつもりなのだろうな」

「そうなるとイラン王国が差し出すのは、ケシム島か。人口も少ないし、一番イランにとっては損失が少ないだろうな」

「あそこはイギリスが進出している。どうなるか見物だな」


 【出雲】とイラン王国は、水面下で交渉を進めていた。あまりイギリスを刺激したくは無いが、ロシアに北部を脅かされている

 イラン王国を支援する事はイギリスのメリットにもなるとして、工業化を進める計画だ。

 そして得るのはホルムズ海峡のケシム島だ。史実の二十世紀にはタンカーが行き交う要衝だが、今は長閑な海域だった。

 諸外国の注目度も低く、早めに入手できれば将来に渡って継続的な影響力が行使できる。

 そしてイラン王国を支援する中継拠点として、ケシム島とラーラク島を【出雲】に割譲する事で両者は合意した。

 あまりイギリスの権益を侵さないように注意を払いながら、イラン王国の工業化が徐々に進められる事になった。


 後日、イギリス帝国に根回しを行った日本政府は、イラン王国との開発協定を正式に発表した。

 ケシム島とラーラク島が皇室直轄領の【出雲】の領土に編入され、【出雲】はイラン王国の工業化に協力するという内容だ。

 日本にしてみれば、タイ王国、オスマン帝国、エチオピア帝国に続く開発協力であり、国内の世論は冷静だった。

 諸外国も大半は冷静に受け止めていた。根回しを受けたイギリスもだ。

 しかし、南下政策を取りイラン王国の北部にまで進出しているロシアに取って、日本によるイラン王国の開発は好ましくは無い。

 その事により、ロシアはシベリア鉄道の建設ピッチを早めていた。

 そして他の列強の進出に悩まされる世界各地の弱小国は、日本への接触を強めていった。


 状況の変化を受けて、【出雲】は海軍力の増強を決定した。

 周辺国家に強大な海軍力を持つ国家は無く、不用意に周囲への圧迫と取られる海軍力を持つ事を躊躇っていたが、

 イラン王国のケシム島とラーラク島を得て、エチオピア帝国への物資輸送路の安全を確保する為の艦隊の拡張を始めた。

 軽巡洋艦『夷隅級』二隻と駆逐艦『高滝級』六隻、護衛艦『平沢級』十隻の艦隊を、一気に二倍にする計画を立てていた。

 それでも一万トンを超える戦艦を所有する列強には、あまり脅威とは映らない。

 しかし、『夷隅級』は実質的には一万トンを超える戦艦と対等に戦える能力を持っていた。

 何より砲の速射性と高速性は他に類を見ない。如何に大きな大砲を持っていても、当たらなければ意味は無い。

 逆に砲が小さくても短期間に大量の砲弾を撃てる方が優位なのは、日清戦争の会戦で証明されていた。

 そして『夷隅級』と『高滝級』、『平沢級』には、この時代の平均を遥かに超える光学自動照準装置が組み入れられていた。

 公式にはスペックを落として発表している事もあり、列強は新しい艦艇の戦闘力を読み切れないでいた。

 そのツケを一番最初に払うのは誰になるのか、その事は誰もまだ分からなかった。


ウィル様作成の地図(中東版)
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 現在のインド全土はイギリス帝国の支配下にあった。

 国土は広大で地下資源は豊富、農業生産量や人口も多く、まさにイギリス帝国にとって『金のなる木』だった。

 イギリス人は現地の身分制度を上手く利用して、インド支配を行っている。飴と鞭の使い方が非常に上手だ。

 それでも反乱は絶える事は無く、インド総督府のイギリス人を悩ませる事が多かった。

 六月十二日にインドのアッサム州でマグニチュード8.3の巨大地震が発生した。史実では1500人以上が亡くなった地震である。

 そして翌日、インド総督府で秘かな会議が行われていた。


「日本から勧告があった通りに、アッサム州で巨大地震が起きた。占い師や魔女は何と言っていたのだ?」

「本国の方は遠過ぎて分からないと言っていた。現地の占い師に聞いたが、そんな事はありえないと言っていた。

 しかし、日本政府の勧告通りに巨大地震は発生した。一応、現地には通告しておいたから被害はかなり抑えられた。

 事前に対策していなかったら、被害者数は十倍以上にはなったろう。現地の住民も我々に感謝しているくらいだ。

 さて、地震が発生すると事前に予告してきた日本の真意を、どう捉えるかだな」

「日本は我々の勢力下であるイラン王国でも動き始めた。我々に敵対するものでは無いと暗に示したのでは無いか?

 たしか日本の巫女は昨年の三陸地震津波を予知して病床に臥せったと聞いていたが、あれから一年だ。復活したのだろう」

「そうだな。最近の日本の国内はかなり近代化が進み、友好国が増えてきているが、我がイギリス帝国と敵対はしない方針を採ったか。

 まあ当然の事だろうな。しかし日本の巫女の力はインドにまで及ぶか。流石と言うしかないな」

「まったくだ。本国の占い師や魔女は当てにならん。一度、本人に直接会ってみたいものだ」

「日本の巫女は皇室の最高機密らしいから無理だ。何度も外交ルートを経由して正式に申し込んだが、断られている。

 しかし、爪の垢でも煎じて本国の占い師や魔女に飲ませてやりたいくらいだよ。金ばっかり使って碌な結果を出さないからな」

「イラン王国に関しては、日本の行動は我々の権益を侵害するまではいっていない。エチオピア帝国もそうだ。

 中国大陸については船山群島の借地権を入札に掛けたように、本当に大陸に進出するつもりは無いらしい。

 今のところは日本となら上手くやっていけるだろう。ロシアの南下を抑える為にも、日本と何らかの協定を結んだ方が良い」

「李氏朝鮮の奴隷を使って、シベリア鉄道を急ピッチで建設している。あれが完成すると確かに拙い。

 下手をすると満州どころか、中国全土がロシアに奪われてしまうぞ」

「だからロシアを抑えるのに日本を利用するんだ。ロシアが南下すれば、日本はそれに対抗しようとするだろう。

 東方ユダヤ共和国を建国させたのも、ロシアの脅威を恐れての事だからな。そこに我々が少し協力するだけで、両者は戦ってくれる」

「日本は新しい艦艇を配備し始めたな。イスミ級とタカタキ級と言ったな。あれの性能はどうなのだ?」

「……正直言ってまだ不明だ。まだ何処とも戦闘した事は無いからな。

 しかし速射砲を装備して、石油エンジンを使用しているらしいから、従来の艦艇よりも航続性も速度も上だろう。

 軽視できる存在では無い。乗員が少なくて済み、友好国にも輸出している。やはり警戒すべき艦艇だ」

「こっちもプライドがあるから、日本から艦艇を輸入する訳にもいかない。東方ユダヤ共和国経由で、艦艇の情報を入手しよう。

 それにしても日本がここまでやり手になるとは、十年前には全然思わなかったぞ」

「日本はイラン王国へ進出する時、我が国の意向を確認してきた。つまり我々の権益を侵害する気は無いという事だろう。

 そうだとすると、日本と何らかの協定を結んだ方が我が国の利益になるかも知れぬ」

「少し検討してみよう。オーストラリア放棄が決定され、我が国は大きな権益を失った。代わりに中国の大陸の富を得なくてはならん。

 オランダが東インド植民地について我が国に言い掛かりをつけてきたから、東アジアに影響力を持つ日本を味方につけた方が良い。

 最近はアメリカも何やら画策している様子だからな。警戒しておいた方が良い」

「入札して得た船山群島に堅固な要塞を建設している。一番大きな島を有する日本は交易施設だけだと言うのに、えらい違いだ。

 アメリカは中国大陸への進出が遅れたから、機会を狙っているんだろう。注意しておこう」


 アメリカは中国進出の拠点として、船山群島の島の一つに要塞を急ピッチで建設していた。

 地理的な関係もあって、日本は要塞建設に全面的に協力していた。

 金払いが良いという事と、アメリカとは当面は協力関係を築いた方が良いという判断があったからだ。

 日本から大型の建設用重機が多く運ばれて建設が進んでいた。

 多数の艦艇が入港できる港湾施設や、砲台も有する本格的な要塞だ。

 日本が民間交易用の施設しか建設していないのと比較すると異様に見える。

 アメリカは国民の目を海外に向けさせる為に、海外進出を加速させようとしていた。


ウィル様作成の地図(オーストラリア版)
(2013. 6.16 初版)
(2014. 3. 9 改訂一版)