七月二十二日。
史実では数日間続いた大雨により信濃川の堤防の各所が決壊して、180平方キロメートルもの広大な土地が洪水被害に遭った。
横田切れと呼ばれる災害だ。
今回は事前に建設用重機を使って土手を嵩上げし、川底を掘り下げた事で何とか洪水は回避する事が出来た。
分水路の建設も進められており、数年のうちに完成する。
この分水路が完成すれば、さらに洪水の危険性は減ると見込まれていた。
八月三十一日には、三陸地震の誘発地震とみられる陸羽地震が発生した。
史実では死者209名を出した東北地方の最大規模の直下型地震だ。
今回は巫女の神託は無かったが、免震設計の建築が進んでいた事もあって、被害は史実の約二割に留まった。
巫女が大津波の神託を得た事で病床に臥している事は国民に知れ渡っていたので、この地震を予知できない事の不満は出なかった。
そして神頼みはあまり良くないという風潮が国民に浸透していく。これらの現象を列強の情報機関は事細かく分析をしていた。
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日本にある某列強の大使館の一室では、地震特集が掲載された新聞が山積みになっていた。
その新聞に目を通した数人の男達が、真剣な表情で話していた。
「八月の陸羽地震では巫女の神託は無かった。六月の大津波の時に力を使い果たして病床に臥せっているという事だが、どう思う?」
「日本の巫女も万能では無いと言う事だろう。六月の大津波の時は九州や四国、近畿に東海地方でも避難訓練を行っている。
予知の精度も悪いし、大きな予知をすると力を使い果たすというなら、そんなに心配する事は無いだろう」
「日本人も巫女に頼り過ぎては拙いと考えているらしい。そういえば本国の占い師はどうなった?
六月の日本の大津波の事を当てた奴はいたのか?」
「いや、遠過ぎて分からないと惚けられたよ。まったくあいつ等は口だけは達者だからな。
大金を支払ったのに、役立たずなんて最悪だ!」
「本国の占い師は全滅か。それでも日本は巫女を使って成果を出した。やはり本物は簡単には手に入らないか」
「日本だって過去に巫女が予言したって話は聞いた事が無い。やはり個人差はあるんだろうな。
地道に本物の占い師や魔女を探すしかあるまい。日本にだけ予言システムのメリットを受けさせる訳にはいかん」
「地震や津波を事前に予告した巫女は確かに凄いと思う。連続して予知が出来ないという制約はあるが、その効果は大きい。
しかし、どう考えても地震を予知した巫女と、日本の科学技術の発展と結びつかないんだ。お前達はどう思う?」
「……まさかと思うが、地震を予知した巫女とは別の存在が、理化学研究所に協力している可能性は無いか?」
「……あり得るな。類似性が無い事もある。そうなると理化学研究所か日本総合工業が別の巫女を抱えている可能性がある。
日本総合工業や理化学研究所に忍び込んだ工作員は誰も帰ってこないばかりか、彼らのものと思われる報復も受けている。
迂闊な工作は逆効果になるから注意しないと拙い」
「ここは彼らのホームグランドだし、隠密と呼ばれる歴史がある諜報機関がある事も分かった。
力ずくは無意味だという事は分かったし、この前のような報復なんて二度とごめんだからな。
それに正面きって日本総合工業と敵対すると、輸出が止められて本国の方に被害が出る可能性がある。穏便に行うさ」
他の列強も似たような結論となった。そして列強の注目は日本総合工業に集中していった。
とは言え、一般の見学コース以外の施設は厳重な機密区画とされて、その概要を知る事さえ出来ない。
地道に日本総合工業の職員の情報収集などが進められていた。
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日本総合工業の経営会議は定期的に行われていた。その中で地味な事業部は、規格管理事業部と国土管理事業部だ。
規格管理事業部は日本の統一規格の検査認定を行う部署であり、知名度は徐々に上がっていたが他と比べると地味な事に間違いは無い。
宣伝の効果もあって認定を受ける件数も増えて、それに伴って日本全体の品質向上に寄与している。
国土管理事業部は国内の文化や自然保護という業務の為に、取り扱う金額が大きい割には成果が目立たない部署だった。
政府と協力して国立公園の認定と古社寺保存法を制定して、国内の文化財や貴重な自然の保護を進めてきた。
廃仏毀釈で海外に流出した貴重な文化財を取り戻す事も仕事の一環で、各地の博物館の建設と維持を行っている。
さらに、貴重な文化財を管理している各地の神社や博物館に、消防設備や盗難防止設備を無償で供与していた。
民間所有の文化財の保護にも資金を提供して、日本文化の維持を行っていた。
本来は国立公園になるべきところも、私企業である日本総合工業が管理維持を行っている場所もある。
将来的には国に移す事も検討されているが、まだまだ日本全体が落ち着いていないので先送りされていた。
ちなみに日本総合工業の山林保有面積は、民間ではダントツで一位になっていた。
文化財や自然保護を進める一方で、日本各地の開発も同時に進めている。
主要道路は改修工事の事を考えて、幅に余裕を持たせていた。大動脈となるべきところは片側四車線道路が建設されている。
一時期は馬車ぐらいしか走っていなかったが、最近は物資輸送用のトラックやバス、バイクなどが増えてきた。
バイクをベースに開発された個人用乗用車の数も増えてきた。
それでもまだ全体から見ると普及率は低く、流通の主役は鉄道と海上輸送だった。
鉄道建設は重機が本格的に導入された事で、建設ペースが劇的に向上していた。港湾施設もだ。
流通機能の向上を目指す一方で、日本各地に工業団地が続々と建設され始めていた。
ハワイ王国、タイ王国、東方ユダヤ共和国の開発ラッシュも重なった事で、需要は激増している。
そして工業団地が日本各地に増えてくると、労働者も自然と集まってくる。
彼らの住宅の建設もまた増える。そして食料品や消費財を扱う大手の流通業者も集まってくる。
これらの場所は村規模から町規模になり、そして市の規模に発展していった。
医療や衛生管理の面も災害予防研究会、そして理化学研究所の協力によって進められている。
これらの発展の原動力になっているのは、日本総合工業の勝浦工場だ。
原油を輸入する事無く、国内外に各種の石油を供給できる。これは長期に渡って、日本経済の発展に寄与する。
勝浦工場で生産される各種の工作機械や、農業用や建設用の車両(重機)は日本の発展に欠かせない。
製鉄所で生産される粗鋼は日本全国に供給され、日本の各産業の基礎を担っている。
造船所で建造される各種の船舶は、海運業務に必須のものだ。
勝浦工場より規模は劣るが、北海道の日高工場と四国の伊予北条工場の建設が進められていた。
一極集中を避ける為もあったが、この二つの工場が稼動を開始すれば地方の経済が活性すると考えられている。
急増する国内需要と海外需要を賄うためにも、二つの工場の建設は急ピッチで進められていた。
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<<< ウィル様に作成して頂いた日本近隣地図 >>>
季節は秋。東方ユダヤ共和国の建国が宣言されて九ヶ月が経過した。
各地の建設ペースはさらに上がっていた。これも日本から供給された大量の建設資材や、大型の重機があったからだ。
そして住宅の建設が進んだ事から、世界各地のユダヤ人の移住に拍車が掛かっていた。
農業は順調とは言い難い。時間が不足している事もあって、農地の開発が間に合わなかった。
来年の作付面積は今年の五倍以上になるだろうが、今年の収穫は国民全員を賄える量では無い。
その不足分は日本からの働き掛けもあって、ベトナムやタイ王国からの輸入で賄われている。
人口は既に百万人を突破して、建国の熱意は些かも衰える気配は無かった。
嘗ての祖国の地である中東のエルサレムに移住した人達も、東方ユダヤ共和国に再移住をしてくるくらいだ。
東方ユダヤ共和国の国民は、順風満帆な未来が待っていると確信していた。
東方ユダヤ共和国が順調に発展を遂げる事で、世界各国は色々な影響を受けていた。
史実では欧州で迫害を受けていたユダヤ人の多くは、未開の地を抱えるアメリカに移住をしていた。
だが、今回はアメリカの西部一帯がインディアンの神の祟りを恐れて封鎖された事と、自分達の祖国が建国された事で、
多くの人達は東方ユダヤ共和国に向かった。その結果、史実程はアメリカにユダヤ人の移住が進まなかった。
欧州も変化があった。史実では迫害を我慢して移住を躊躇っていたユダヤ人も、祖国があると知って移住をする人達が多く出ていた。
その中にはアインシュタインを含む、優れた科学者が多く含まれている。
欧州から資本と頭脳の流出が始まっていた。これは後々に大きな影響を与えていった。
東方ユダヤ共和国の建国は、周囲の国にも大きな影響を与えていた。
領土を提供してバックアップした日本とは軍事同盟を結んだ。これにより政府や軍、民間レベルの人材交流が進められた。
建設ラッシュに沸く東方ユダヤ共和国に大量の大型重機が日本から輸入されたが、操作できる者は限られていた。
その為に日本でも建設ラッシュは続いていたが、少なくない人数(重機を操作できる人達)が東方ユダヤ共和国に来ていた。
これ以外にも建設資材などの多くが日本から運び込まれた為、民間の交流も進む事になった。
東方ユダヤ共和国から見れば、日本は領土を用意して支援してくれる国だから、大多数の国民は好印象を持っている。
日本は史実と異なり、親日的な隣国を得られた。
一方、李氏朝鮮は大混乱が続いていた。何しろ今までは最大の貿易相手だった日本との国交が断絶したのだ。
交易もさる事ながら、南部を割譲した事で国内に飢餓が蔓延し始めていた。
国民の一部は東方ユダヤ共和国や日本への密入国を図ったが、成功した例は無い。
李氏朝鮮の全体が貧しく、名目的な宗主国である清国は特に支援してくれる訳では無い。
唯一、南部から強制退去させた国民を、ロシアに人身売買する事で得られる現金収入が頼りだった。
これが無ければ、餓死する国民が激増しただろう。(清国に中間マージンを取られている)
もっとも、人身売買で得られた資金の大半は朝鮮王宮で消費され、国民の食料輸入に使用された代金は一部に過ぎなかった。
こんな状況になった原因は日本と東方ユダヤ共和国にあると、李氏朝鮮の王宮は憎しみを募らせていた。
清国と東方ユダヤ共和国の関係は通常の交易のみだ。
黄海を挟んだ隣国同士だが今までの付き合いも無い為に、清国から食料や原材料を輸入するだけのドライな関係に留まっていた。
日本からの秘かなアドバイスもあった為に、人材交流が進む気配は無い。
東方ユダヤ共和国の国民は『東アジア紀行』を読んで、中国人から賄賂を受け取る事を拒むような風潮が広がっていた。
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アメリカはミズーリ川の西側の広大な地域を完全に封鎖したが、それでも資源が豊富な未開発の広大な地が広がっている。
<<< ウィル様に作成して頂いた北米大陸地図(封鎖地域は白です) >>>
ハワイ王国の女神の神罰を受けて挫折感を感じていたが、それでも東部や南部の開発を進めて豊かな社会を築き上げていた。
史実には及ばないが、アメリカは世界のトップレベルの国力を保有していた。
そんなアメリカにあって、封鎖されている地域は発展から取り残され、一般には無人の地であると思われていた。カナダ側も同じだ。
だが、西海岸近くのシェラネバダ山脈とロッキー山脈に挟まれた地域で、インディアンの居住区が広がっていった。
彼らは基本は狩猟民族だ。だが、従来の生活のままでは何時まで経っても、入植者に対抗できないと悟らされた。
人口差があり過ぎるので、短時間で勢力を築く事は無理だ。だが他の部族を吸収し、農耕を営みながらも工業化を徐々に進めていた。
街の人口は数万人に達しており、陣内からの支援もあって、生活レベルはアメリカの首都と同レベルを保っている。
ちなみに、日本に保護されたインディアン全員が帰還した訳では無い。
まだ日本で引き続き教育を受けているインディアンは千人を越える。農業、工業、軍事、その分野は多岐に及んだ。
彼らの強硬派は、インディアンを陥れ虐殺を行ってきた入植者に報復すべきだと強く訴えた。
そこにストップを掛けたのは陣内だった。
「入植者があなた達に行ってきた事は十分に非難されるべき内容で、あなた達が怒るのも当然です。
ですが、数十年後の未来の事を考えて下さい。依然として人口の差は埋まらないでしょう。
我々の助力で工業化を進めているとはいえ、彼らの数は圧倒的です。全面戦争になれば負けは確実です。
最新鋭の兵器を使って、彼ら入植者が全滅するまで戦いますか? 彼ら全員があなた達を迫害した訳では無いでしょう。
中にはあなた達の手助けをした人間もいるのです。憎む気持ちは分かりますが、何時までもそれに拘ると因果は戻ってきます。
どういう落とし所になるのか見えていませんが、将来的には入植者との和解が必要だと考えています。
過去の事に囚われて、未来を考えないと滅亡が待ってます。時期尚早なのは間違い無いですが、数十年後の事も考えておいて下さい」
憎しみに囚われて絶滅戦争をするならば、インディアンに未来は無い。
同族を虐殺された怨みはあるだろうが、何時までもそれに囚われては自滅するだけだと陣内は説いた。
納得する者もいれば、反発する者もいた。まだ生々しい記憶があるうちは、和解の糸口は見えないだろう。
まずアメリカ側が納得しない。アメリカ側を納得させるには、さらなる打撃が必要になる。
それに帝国主義全盛の時代に、力の差がある存在同士が共存できるはずが無い。世界に人道主義が広がるのを待つ必要がある。
インディアンに将来の和解を説きながらも、アメリカに次なるダメージを与える計画を陣内は秘かに進めていた。
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ハワイ王国が欧米各国との国交を断絶し、日本からの支援で改革を始めてから三年になる。
生粋のハワイ人は欧米から持ち込まれた伝染病で数を大きく減らしていた。それを補う為に、日本から大々的に移住が進められている。
財閥企業を中心に港湾施設、農地、各工場などの整備・建設が進められ、ハワイ王国は内需を賄える程度の工業力を手に入れていた。
輸出品は主に農作物だ。そして国家の収入は、農作物の代価と港湾施設の使用料が大部分を占める。
その立地条件から、ハワイ王国は日本と南米・アメリカとの交易中継拠点として栄え始めていた。
女神の神殿の建設も順調に進み、生粋のハワイ人達の生活状況の改善も進められた。
国内が落ち着きを取り戻した中、ハワイ王国は海軍を創設していた。
軽巡洋艦の『夷隅級』二隻と駆逐艦の『高滝級』六隻、護衛艦の『平沢級』十隻の沿岸警備隊レベルだったが、
ハワイ王国にとって初めての海軍になる。ノウハウが無い為に、教育は日本帝国海軍が行った。
ハワイ諸島は元より、アメリカが所有権を放棄したミッドウェー諸島やジョンストン島まで領海に含まれる。
そのハワイ王国海軍の存在は、国民に更なる誇りと自信を与えていた。
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清国は小国と思われていた日本に完敗して、その威信を下げていた。
国内の混乱がさらに進むと思われたが、日本から様々な武器を購入する事で国内の治安維持には成功を収めつつあった。
とは言え、列強の侵食は収まる気配は無く、多くの富が清国から流出していった。
そこに加えて東方ユダヤ共和国の建国は、微妙な影響を清国に与えていた。
「日本に戦争で負けてしまったが、意外に国内は乱れていない。これも日本から入ってくる武器のお陰か。
賠償金を支払う為に大増税をするかと思いきや、食料と資源の売却と李氏朝鮮の人身売買に加わる事で増税の額は少ない。
結構、清王朝もやるもんだな。この調子で列強各国にも対応してくれれば良いんだが」
「それは無理だろう。国内相手だから出来るんだ。列強の奴らの前に出ると、大人しい子猫みたいに縮こまっているさ。
それにしても東方ユダヤ共和国への輸出が激増している。お陰で現金収入が増えて助かるよ」
「あそこは出来たばかりで、食料生産が軌道に乗ってないからな。数年間はこのペースが続くだろう。
予想外の事だったが、我々にしてみれば救いになっているな」
「それでもあそこが安定したら、李氏朝鮮との間に問題が起きないか心配だ。朝鮮の奴らは日本人とユダヤ人を毛嫌いしているからな」
「日本人がユダヤ人に支援をしているから、戦争が起これば李氏朝鮮の負けは確実だろう。
ユダヤ人はもっと領土を広げたいと考えるだろうから、その可能性は高いんじゃないのか」
「李氏朝鮮は我が国を差し置いてロシアと接近している。ロシアが後ろ盾になればユダヤ人も行動を起こさないだろう。
逆にロシアが李氏朝鮮を使って、東方ユダヤ共和国を攻める可能性さえある」
「我が国に擦り寄っていた李氏朝鮮が、今度はロシアに接近か。事大主義者とはいえ、良くやるものだ」
「それが奴らの習性だからな。国民をロシアに売って、その代金で贅沢をしている。
まあ、中間マージンを取っている我が国も相当なものだがな」
「世の中、強い者が笑って、弱い者が泣くという真理は変わらない。あいつ等を信用する事無く、こちらの命令を聞かせれば良い。
李氏朝鮮の扱いは従来通りだし、今のところは何も動く事は無いだろう。
それより問題は日本だ。内陸部に進出しないのは宣言通りで良い事なんだが、外洋への出口を抑えられて困っている」
「多くの漁民が仕事を干されたからな。まあ、そちらは戦争に負けたから仕方ない事だ。
それより船山群島が予想以上に開発が進んで、物資の集積基地になっている。列強も使用権を獲得したから一斉に進出している」
「上海や寧波に近いからな。内陸部の資源や食料があそこに運び込まれている。警備艇もあるし、俺達では手が出せないな。
しばらくは国内の開発に力を注いで、国力をあげるしか無いな」
「外洋は日本に抑えられたが、それ以上の進出は無いから良いだろう。心配なのは満州だ。
李氏朝鮮の奴隷を使ってシベリア鉄道を建設しているんだ。あれが完成すれば、欧州のロシアの兵士が雪崩れ込んでくる。
そうなったら満州や朝鮮半島が占拠される可能性もある。あまり気を抜ける訳じゃない」
表面上は清国の治安は安定していた。列強の横暴はあるにせよ、国内の反乱は尽く鎮圧されて地方の軍閥も大人しかった。
それでも増税で、国民の不満は徐々に蓄積されていく。そしてロシアはアジア進出の為のシベリア鉄道の建設を着々と進めている。
さらにイギリスはオーストラリアで失った権益を取り戻そうと、清国向けのアヘンの輸出を増やしていた。
これにより、清国内部で麻薬中毒者が以前より早いペースで増えていった。
今の中国大陸は嵐の前の静かさと呼べる状況と言えるかもしれない。
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今のベトナムはフランスの植民地だが、淡月光の工場が出来た事で史実とは違う流れになっていた。
本来は支配者たるフランスの威光に逆らえないはずだが、今の日本は飛行船を始めとした列強が脅威に感じる軍事力がある。
海南島が日本領となり、海軍基地も建設されて艦隊が配備された事から、フランス軍もあまり強い態度には出れない。
あまり過酷な搾取を行うと反乱が起こり、それに乗じて日本が侵略するのでは無いかと言う危惧もある。
フランスの東洋艦隊に掛かれば、日本の艦隊など殲滅できると考えているが、日本との交易が途絶えるのは拙いと判断している。
そう言った消極的理由から、フランスのベトナム統治は緩やかなものとなっていた。
淡月光の工場の経済効果で、現地の生活レベルは徐々に向上している。他の列強の支配が行われている植民地と比較すると雲泥の差だ。
これらの事から現地での日本の評判は極めて良く、他の日本企業の進出も望まれるようになっていた。
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タイ王国のコーラート台地の開拓は、渋沢系列の企業によって進められて大きな成果をあげ始めていた。
昨年は水利工事の成果は一部の地域しかなかったが、それが広範囲に及びだした。
まだ全体をカバーできる訳では無いが、改善の成果が出始めたのは現地の人にとっても嬉しい事に違いない。
それらの農地で収穫された穀物は、主に日本や東方ユダヤ共和国に輸出されている。
そして交易の中継拠点となるチャーン島(面積:約217km2)の開発もだいぶ進んだ。住宅街や工場群も出来ている。
リゾート地も兼ねて、日本からの移住が進んで人口は既に一万人を超えていた。
又、タイ王国に輸出している工作機械の技術研修所が設けられていて、民間の交流が進んでいた。
タイ王国側から見れば、国内の貧しい地域の開発に力を貸してくれて、国内の工業化を進めてくれる日本は得がたい存在だ。
さすがに軍事同盟は直ぐには無理だろうが、何らかの協定を結ぼうと両国政府は検討を進めていた。
その結果、チャーン島に日本海軍の艦艇が常駐するようになるのは来年の事だった。
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現在のフィリピンの支配者はスペイン王国であり、現地の人達はスペインの圧政に喘いでいた。
そして圧政に耐えかねたフィリピンの人達は立ち上がり、第一次革命が発生して混乱していた。
そのフィリピンに天照機関は今まで何の行動も起こしてこなかった。日清戦争に勝って、台湾を手に入れないと意味が無いからだ。
そして台湾や海南島の民間開発が徐々に進んで、日本人の移住が増えてくると行動を開始した。
日本総合工業の海外事業部は、列強のダミー商社を五つ管理している。
それらは、イギリス(チャーチル商会)、フランス(ドゴール商会)、オランダ(シーボルト商会)、ドイツ(ハインリッヒ商会)、
アメリカ(トルーマン商会)であり、各列強の植民地の未開発の鉱山を早々に入手するなどして、利益をあげていた。
特にアメリカのトルーマン商会は、東テキサス油田や金鉱開発で大きく規模を拡大していた。
今回、動いたのはオランダのシーボルト商会だ。オランダの植民地であるインドネシアを活動圏に持つ同社は、フィリピンに近い。
そのシーボルト商会は堂々とフィリピンの首都に進出し、現地のスペイン王国側との交易を行っていた。
シーボルト商会は小規模な商社だが、現地の革命勢力と接触していた。
そして最初に行ったのは、語学の天才と呼ばれてフィリピン革命に命を投げ出したホセ・リサールの保護だった。
史実であれば、今年の十二月末に彼は銃殺されてしまう。
スペイン軍に拘束されている彼を、現地の革命勢力に情報と武器を渡して救い出した。
そして以後はホセ・リサールを通じて、シーボルト商会は革命勢力に色々な支援を行う。
史実の米西戦争でスペインはアメリカに敗れて、フィリピンはアメリカの植民地になる。そしてその後に米比戦争が発生する。
その時の事前工作は徐々に進められていた。
尚、オランダ国籍のシーボルト商会は主にボルネオ島とジャワ島で活動していた。
北部アチェ王国を陽炎機関が支援して、スマトラ島が混乱するのが分かっていたからだ。
既にスマトラ島の約半分は北部アチェ王国の支配下にある。沿岸部でのオランダの優勢は揺らがなかったが、内陸部は押されていた。
シーボルト商会は本国から現地のオランダ軍に武器を運び、周辺各国からは食料を調達してきた。
そしてボルネオ島とジャワ島の鉱山を色々と開発して、その資源を日本を含む各国に輸出する事で利益をあげていた。
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イギリス国籍のチャーチル商会は主にカナダ、南アフリカ、インドで活動を行っていた。
大手資本の隙間を縫って各地の資源の売買を行って、利益をあげていた。
ちなみにオーストラリアとニュージーランドでは活動は行っていない。混乱するのが分かっていたからだ。
既にオーストラリアの内陸部全域と西海岸は完全に放棄し、残るはブリスベン、シドニー、メルボルンなどの東側の沿岸部だけだ。
その沿岸部も原因不明の襲撃事件が多発して、現地の治安は大きく乱れて完全撤退は時間の問題だと秘かに噂されていた。
そのオーストラリアの内陸部に、アボリジニの街が建設され始めていた。
彼らはインディアンと同じく狩猟民族だ。だが、このままでは発展から取り残されて衰退する運命にある。
それを感じた彼らは北海道の産業促進住宅街で、農業や工業の研修を受けてきた。
そして小規模ながらも近代的な街を建設していた。勿論、空輸による資材の搬入があって出来た事だ。
絶対に見つかる訳にはいかないので、徐々にしか開発できない。
そして未だに現地で未開の生活を営んでいる同族を保護して、生活圏を拡大する計画だ。
北海道の産業促進住宅街で、研修を受けているのは約五百人。
そしてオーストラリアの内陸部の彼らの街には、約三万人が生活していた。
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オスマン帝国は技術革新が遅れて国力は落ちていたが、まだ広大な領土を持つ大国だ。
そのオスマン帝国はアブデュルハミト二世の専制政治下にあったが、日本からの支援で国内の工業化を進めようとしていた。
首都近郊への進出は断られたが、国内の民族資本に初期型の工作機械を導入させている。
そしてオスマン帝国は少しずつだが、工業化が進んでいった。
「日本から導入している設備は順調に動いているそうだな。この調子で行けば、我が国の工業化が進められそうか?」
「はい。【出雲】の研修で操作方法をしっかりと覚えてきましたから、今では少しずつ部品の内製化が進み出しました。
この調子でいけば、海軍艦艇の修理も自前で出来る日が来るのは間違いありません」
「民間交流は【出雲】を中心に進んでいます。こうしてみると、あの地を日本に売却したのは正解だったかも知れません。
ただ、首都から【出雲】への陸路は厳しく、今のところは海上ルートが使われています。早く鉄道の建設を進めたいところですね」
「バスラ州の状況はどうだ? 日本に広大な荒地を売ったのだろう。開発は進んでいるのか?」
「大型の建設用重機を【出雲】から持ち込んで、チグリス川から水を引き込んだ水利工事を大々的に行っています。
現地から報告がありましたが、驚異的なスピードで建設は進められています。来年には成果が出始めるのではないかと言ってます。
上手くいけば、【出雲】と周辺地域の食料供給を全て賄えるでしょう。日本の開発力には驚かされます」
「大丈夫か? 日本は【出雲】の領土を広げたがっていると聞く。バスラ州を奪われる心配は無いのか?」
「クエート市のサバーハ家の内紛を【出雲】は上手く鎮圧しました。
サバーハ家を【出雲】の貴族扱いする事で、サバーハ家が治めていた地域全体を【出雲】に組み込みたいと申し出てきました。
一応は我が国を立てていますから、力ずくという事は無いでしょう」
「確かに我が国に無断で行った事では無いから、それは認めよう。元々、クエート市は経済的には【出雲】に組み込まれていたからな。
現地の住民に異議を唱える者は皆無だと聞く。あそこで我々が駄目だと言えば、日本からの支援が少なくなるかもしれなかったぞ」
「止めよ! 日本はハワイ王国やタイ王国への支援も行っていると聞く。そこで強引に権益を奪っているという話は聞かぬ。
イスラム教徒へも一定の配慮をしていると言うし、今は静観する。あまり騒ぐでは無い!
それよりも国内の工業化を少しでも進める事に努力せよ! 今は耐える時だ!」
クエート市のサバーハ家の兄弟喧嘩により、史実ではサバーハ家の当主と兄弟は死んでしまう。
そしてイギリスの支援を受けた者が、オスマン帝国から独立してイギリス寄りの国(クエート)を建国する。
それは分かっている事だったので、【出雲】は秘かに介入した。
クエート市は少なくない被害を受けたが、内紛は【出雲】の治安維持組織が鎮圧した。
今のサバーハ家に被害を受けたクエート市を復興させる力は無い。その為に、【出雲】に組み入れられる事に同意した。
組み入れる条件として、サバーハ家に恩給を与えて貴族待遇で迎えている。
その時のクエート市は名目上はオスマン帝国の支配下にあった。
だからこそ、サバーハ家の支配していた領土を【出雲】に組み入れて良いかとオスマン帝国にお伺いを立てた。
現状を考慮すれば、断れるはずが無いという見込みもあったからだ。
そしてオスマン帝国の承認を得て、【出雲】はサバーハ家の支配していた領土を吸収していた。
【出雲】の西と南の国境は不明確の為に、こっそりと拡大している。史実のクエートと、その西部や南部地域も領土になっていた。
人口は十二万人を超えたが約八割は日本人であり、治安は保たれていた。
「そう言えば、【出雲】はアフリカのエチオピア帝国に支援を開始したとの情報が入ってきました。
内陸国ですので、フランス領のジブチを経由しています。どうやらフランス政府の同意も取り付けたようですな」
「あそこには我々と同じイスラム教徒がいるから、その情報は知っている。資源と引き換えに武器や工作機械を輸入しているらしい。
その辺は我が国と同じだ。しかし、日本はアフリカにも手を伸ばし始めたのか。まったく油断できないぞ」
「そうは言うが、日本人が大挙してエチオピア帝国に向かったという話は聞いていない。
アフリカは人種も異なるし、日本としても進出し辛いのだろう。そうそう疑うものでは無いぞ」
「あそこはイタリアと争っていた。そのイタリアと反発しているフランスと手を組んだのか。
ベトナムの件と言い、日本はフランス側なのか?」
「それは早合点し過ぎというものだ。タイ王国とフランスが争った時は、日本はタイ王国側に立っている。
日本とアフリカは遠く離れているし、こちらも様子見で良かろう。
イスラム教徒がいるエチオピア帝国の国力が上がれば、我がオスマン帝国にとっても損は無い。
寧ろ、エチオピア帝国を支援する【出雲】を褒めても良い位だ」
日本がエチオピア帝国を支援し始めた事は、諸外国に知られていた。
正式に抗議したのはイタリア王国だが、対立しているフランスは日本の消極的な擁護に回った。
アフリカに広大な植民地を持つイギリスにとって、エチオピア帝国の国力増大は好ましいものでは無いが、今回は日本側についた。
裏では陣内からの依頼を受けたロスチャイルドの暗躍と、陽炎機関が運営するスコットランド新聞の報道も影響している。
こうして日本の支援は継続して行われ、エチオピア帝国はアフリカ最大の国力を持つようになる。
尚、ジブチを経由する【出雲】とエチオピア帝国との交易に、フランス国籍のダミー商社であるドゴール商会も加わっていた。
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忘れ去られたかのように思われる天照基地だったが、着々とその施設は整いだしていた。
建造ドッグや石油生成プラントも完成し、既に艦艇と潜水艦の建造を行っている。
そして基地内部の工場で生産される各種の設備は、北海道の日高工場や四国の伊予北条工場、それにロタ島にも運び込まれていた。
それらの設備機器の生産に並行して以前から行われていたのが、海底資源の採掘施設の建設だ。
現状では海底資源を急いで採掘する必要は無いが、それでも備えがあった方が良い。
その為に三基の海底資源の採掘施設の建設が進められていた。自力航行が出来る機能を持ち、海底三千メートルまでの採掘が可能だ。
既に衛星軌道上に監視衛星と攻撃衛星を配備しており、レーダー施設や対空迎撃システム、海中迎撃システムも完成しつつある。
計画の一部変更はあったが、天照基地は完成型に近づいていた。
その天照基地に陣内は家族全員で来ていた。定期健診と慰安旅行を兼ねていた。
今は沙織と楓、それと三人の子供は基地内にあるプールで遊んでいる。その間に陣内は織姫と話していた。
「この地に来て七年か。ここまで順調に事が進むとは思っていなかったよ。これも影で織姫が支えてくれたお陰だ。感謝しているよ」
『マスターにお仕えするのが私の仕事ですから。しかし、マスターが三人の子供をつくるとは、最初は想像すら出来ませんでした』
「ま、まあ、俺も人見知りが激しい方だからな。本当にこの世界に来た時に、こうなるとは予想はしていなかったよ。
それにしても、今までは計画通りに事が進んだ。上手く行き過ぎて怖いくらいだよ」
『最初に太平洋の島々を日本の領土に編入して、勝浦工場を立ち上げました。
この時代の人から見れば、想像すら出来ない技術を使って建設された工場ですから、上手くいって当然です。
お陰で日本は史実より数十年も早いペースで開発が進んでいます。外交政策も今のところは順調ですしね』
日本国内の電気の普及は急速に進み、洗濯機や冷蔵庫等の民生品も普及してきた。それに伴って発電所も次々に増設された。
民生品もさることながら、勝浦工場の製鉄所で生産される粗鋼は各産業の源と言って良い。
流通機能が向上した事から、日本全国が発展し始めている。
海外の変化も大きい。ハワイ王国と東方ユダヤ共和国とは軍事同盟を結び、タイ王国とは何らかの協定を結ぼうとしている。
【出雲】の関係でオスマン帝国やエチオピア帝国との交流も進んでいる。
日本は孤立の道では無く、友好国との協調路線の道を歩み始めていた。
今のところ、日本の技術に対抗できる国家は無い。
ベアリングや発電機、真空管、無線通信機は各国で国内生産が始まっているが、コストと品質で日本の相手にはならない。
洗濯機や冷蔵庫なども同じく各国で生産が開始されたが、日本は性能を上げた次機種を販売した事から、さらに差がつき始めている。
資源も列強のダミー商社を通じて入手しており、他が知らない情報を元に開発を行っているから利益は出る一方だった。
「北海道の日高工場と四国の伊予北条工場が稼動を開始すれば、地方の活性化になるし、災害時のリスク回避にもなる。
来年には稼動を開始できそうだ。グアムとサイパンは政府主導で開発が進められているから、任せれば大丈夫だろう。
ロタ島はこちらの担当だな。採掘用ロボットと建設用ロボットを使って、一気に建設を進めなくてはな」
『今の調子だと海底資源の採掘施設は三年程度で完成しますが、当分は使わなくても大丈夫でしょう。
この天照基地も防衛施設の建設が進みましたから、難攻不落と言えます。
あとはロタ島に全力を注ぐべきでしょうね。そろそろ航空機の生産を始めますか?』
「まだ早い。反重力エンジンなんて製造は無理だから、最初はレシプロ機になるが、そうなると音で知られてしまうからな。
潜水艦や『白鯨』の方を優先させる。そういえば、自立制御タイプの制宙用戦闘機の修理の目処は? やっぱり無理か?」
『まだです。他に優先させるものがあるので、中々手をつけられません。もうしばらく時間を下さい』
「今の状態では急ぐ必要も無い。衛星軌道上の監視システムもあるから、何があっても大丈夫だろう。
飛行船があるから、堂々と内陸部に介入できる。それより潜水艦隊を早めに創設したい」
まだ潜水艦は実用化されていない。隠密性を持って攻撃側の正体が判明できない潜水艦隊を持つ事は、大きな意味がある。
広大な海洋を領有する日本にとって、将来的にも必須になる部隊だ。
既に天照基地で潜水艦の建造が秘かに進められている。来年には六隻を就役させる予定だ。
『白鯨』の方も生産は順調で、既に数は二十を超えていた。
これらを使って、列強本国と植民地の分断を行う。それと各地の紛争に秘かに介入する時にも使える。
衛星軌道上から粒子砲で攻撃すれば、どの国も反撃できずに滅びるしか無い。しかし、それを全面的に使う気は無かった。
それに全てを陣内が行っては、国民の成長は無い。あまりに過保護過ぎると弱体化が進んで、将来的には衰退する。
それは個人であっても国家であっても同じ事だと考えていた。
今のところは未来の技術を使って順調に進んでいる。順風満帆に見えるが、陣内には一つだけ懸念事項があった。
「今のところは順調だ。史実と今の歴史は乖離し始めたが、圧倒的な技術力があるから問題は見当たらない。
だが、俺と同じ時代の知識と魂を持った子供がいる。その子供が今後にどう影響してくると思う?」
『難しい質問ですね。前世の知識と人格、それと今の世界に生まれた時の環境によって左右されます。
如何に前世で優れた知識と人格を持っていても、技術格差があり過ぎて効果を発揮しません。
一般常識レベルの改善は出来るでしょうが、我々のように技術改革が出来るとは思えません。
それに転生という事は、以前と違う国や民族、さらには性別さえも違う可能性があります。
それらがどう影響してくるか、今はまったく予想が出来ません。それでも言うなら、今は大丈夫でしょう。
ですが、彼らが大人になる十年後以降に何らかの変化が出てくる可能性があります』
「陽炎機関に調査して貰ったが、日本にも転生者が居た事は確認できた。捨てられて死んでいたけどな。
まだ生き残っている可能性もある。建設が順調に進んでいる遊園地のアトラクションの【天照W】に反応してくれれば良いんだが。
ロスチャイルド財閥のリリアンだけが俺が会った転生者だが、他の転生者にも会ってみたいものだ」
『用心した方が良いでしょう。協力してくれるならともかく、敵対者になる可能性も十分にあります』
「それは分かっている。前世で日本を敵対視した国で生きていたなら、絶対に分かり合える事は無い。
敵愾心を剥き出しにして、目の敵にされるだろう。どうするかは、その時に考える。既に天照機関にも報告済みだ」
今のところは転生者が何人いるかも分かっていない。しかし、まだ幼い事から影響は無いと考えられていた。
しかし十年後は違う。転生者も十六歳にもなれば、それなりの前世の知識を使いだすだろう。
それが日本にどう影響してくるかだ。既に日本は列強に認められつつあり、その発言を列強は無視できなくなっている。
そんな状況を覆せるはずも無いだろうが、用心は怠らない陣内だった。
ちなみに、ロスチャイルド財閥のハリーとリリアンとは定期的に会う事になっている。
秘密の共有者という意味もあり、彼らとの親密度は増す一方だった。
陣内が織姫とこれからの方策を話し合っていると、ふと入り口のドアが開いて水着姿の幼い女の子がパタパタと走り寄って来た。
「お父しゃん、抱っこ!」
「香織は良く此処が分かったな。偉いぞ」
「エヘヘ」
陣内は二歳になる愛娘の香織を優しく抱き上げた。沙織達とプールで遊んでいたはずなのだが、自分を探しにきたのだろう。
織姫との会話の時は真剣な表情だったが、香織を抱き上げた時は顔が崩れていた。何処までも子供には甘い陣内だった。
織姫との打ち合わせを切り上げて、陣内は家族全員が遊んでいるプールに香織を抱きながら向かって行った。
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下関条約で日本は清国の内陸部に一切進出しない事になっている。それは清国が存続する限り、有効な契約だ。
そして日本にとって中国大陸の勢力が一つに纏まっていると、問題が大きくなるのは自明の理だった。
中華主義を信奉する彼らは、必ず周辺地域に進出する。それを防ぐ為に、下関条約で中国の外洋への出口は塞いだ。
そして内陸部で二つ以上の勢力が争うなら、彼らの視線は外には向けられずに中国大陸の内側に向けられる。
その中国分断を行うのが、天照機関の基本方針になっていた。
満州方面は色々と複雑な要因が組み合わさっているので、計画だけで実際の行動は何も起こしていない。
しかし、南部は違う。ベトナムに隣接する雲南の地は資源が豊富で、イギリスやフランスも進出の機会を伺っている。
そしてイスラム教徒である回族が居るが、漢民族とのトラブルも多い。
1853年に起こったパンゼーの乱では、100万人もの回族が死亡して、生き残った回族は周辺国に逃れていた。
史実のビルマ、タイ、ラオスの中国系回族の先祖だ。
周辺国に逃げ延びた回族は、故郷である雲南への帰還を望んでいた。
その彼らと陽炎機関は秘かに接触し、資金や武器を支援し始めた。ベトナムとタイ王国の二つのルートを使用している。
イギリスやフランスに知られると拙い為、接触は秘かに行われていた。
将来的には貴州、広西、雲南の地に、各民族単位の国家を樹立が出来ればと考えている。
アフリカでは弱小国家を出来るだけ少なくして、現地の国家の国力を上げようと画策しているが、中国では逆に弱小国家を増やして
国力を下げる方針を採っている。その為に、広西の民族組織にも接触を始めていた。
雲南のさらに奥には、広大な山岳地帯を抱えるチベットがある。地下資源も豊富で将来性は豊かな地だ。
陸上ルートで支援するにも距離があり、インドを擁するイギリスなら何とかなるだろうが、日本では難しい。
そこで雲南ルートの開拓に成功した陽炎機関は、そこから少数のメンバーをチベットに派遣して接触を開始した。
秘境と呼ぶに相応しい地にも、日本の成功は伝わっていた。チベット仏教を信仰している事からキリスト教徒の入国を厳しく制限して、
宗主国として振舞う清国を快く思っていない彼らは日本の申し出を快諾した。そしてチベットと日本との間に秘密協定が結ばれた。
遠いチベットの秘境に飛行船の離発着場が建設され、様々な機材や武器などが運び込まれていった。
下関条約は清国の内陸部に進出しないという内容だ。雲南は確かに清国に含まれるから、まだ進出しない。
しかしチベットは違う。諸外国の認識は清国の属国だが、チベットは清国に従属しているという意識は無かった。(ネパールに朝貢)
それでも見つからないに越した事は無い。その為に、日本からの支援は秘かに行われ始めていた。
世界に少数民族は多い。民族単位の国を次々に建国しても、小国にしか為らない。
小国だと資本の蓄積は難しく、産業の発展は困難になる。経済や技術を発展させるには資本の集約が必要なのだ。
例外としては他の国が欲しがる希少資源を持っているか、他の国が多額の投資を行った場合は発展するかも知れない。
短期的な視野に立って少数民族の国家を樹立させても、団栗の背比べ状態になり、国力は低迷する。
そして列強が欲しがる物(資源、立地条件等)を持っている場合、国家の独立を保てる訳が無い。
名目さえ立てば容易く列強は侵略を開始する。名目が無ければ、理不尽とも言える言いがかりをつけて侵略する。
そういう観点に立ち、一時的には隣国の搾取や弾圧に遭っても、長期的な視野では現地の人にも恩恵はあるだろうとの考えから、
アフリカや東南アジアの各国への工作が進められていた。だが、中国には別の視野からの工作が行われていた。
この時代、理想に準じて国を傾けるような事をする国は無い。何処も自国が生き延びるのに必死になっていた。
それは日本も同じだ。しかし覇権主義全盛であっても、一抹の人情は忘れないようにと一部の国家を除いて考えていた。
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転生者達は六歳になっていた。彼ら転生者は、この時代に馴染めなければ生きていけない。
それほど常識と生活環境が乖離していた。実際にあまりに劣悪過ぎる環境で病気や栄養失調で死んでいった子供も多い。
本人の自覚と才能、そして家族の理解などの恵まれた環境にある子供だけが生き延びていた。
そして得られる情報も段々と増えてくる彼らは、前世の記憶と違う今を分析し始めていた。
(ハワイはアメリカの領土だったはずだが、女神が降臨して独立を保っているなんて絶対におかしい!
でも本当にハワイの女神がいるんだったら、この世界は俺が生きていた世界とは違うって事なのか!?
ミズーリ川の西側が完全に封鎖されたのはインディアンの神の祟りを恐れてだって、小父さん達は話していたよな。
オーストラリアからも現地の神を恐れて逃げ出す人が多くて、放棄する寸前らしいとも言っていた。
近所の占い師のお婆さんは、政府の役人に丁重に連れていかれたという噂もある。この世界には神や魔法があるんだろうか?
それなら努力すれば、俺も魔法を使えるのかな? どうすれば魔法を覚えられるんだ!?)
(日本が東方ユダヤ共和国を建国して、中東に領土を持つなんて絶対におかしい!
そうだとすると、日本には俺と同じ転生者がいて、歴史に介入しているのか!?
可能性はある。今の俺は子供で外国にも行けないが、大きくなったら絶対にこの南米から日本に行ってやる!)
(飛行船の技術を日本が開発するなんて、あり得ない事よね。
それ以外にも色々と新商品を出しているし、やっぱりあたしと同じ転生者が日本にいる可能性は高いわね。いえ、絶対に居るわね。
噂では日本のテーマパークに【天照W】のアトラクションが出来ると聞いたわ。その名前が出るって事は絶対に間違いないわ。
大きくなったら日本に行って、その人と会ってみたいわね。そうすればこんな貧乏な生活から逃げ出せるわ)
(この中国を内陸部に封じ込めたか。インド連合の生まれとしては良い事と言えるが、実際にこの国に生まれた者としては拙いな。
こうなると日本に転生者が居ると判断して間違い無い。
ここ福建省は台湾と近い。今は無理だが、大人になったら台湾に行くのもありだな。
どうにかして日本の中枢部の人間と話し合ってみたいものだ)
(ヨーロッパ連合生まれのあたしが、インディアンの女の子に生まれ変わるとは何て皮肉なのかしら。
しかしアメリカ共和国の昔って、こんな酷い事を平気で行って建国されたなんて全然知らなかったわ。
でも、日本の支援で北海道で保護されて、そして故郷であるロッキー山脈に戻ってきた。
あの大型輸送機は間違いなくあたしが生きていた時代のもの。それに粒子砲やレーダー設備もある。
そうだとすると、魂だけでは無くて装備も持ち込んだ人間が日本に居る。
変な目で見られたく無かったから黙っていたけど、そろそろ日本と接触した方が良いわね。
元は白人だったけど、今はインディアンのあたし。アメリカの入植者と対立はあまりしたくは無いわね)
(まったく人種が違うだけで、ヨーロッパ連合の奴らは現地の人達を搾取や弾圧をしていたんだな。
それにしても日本の会社がハイフォンにあるから、だいぶ様子が変わってきた。
前世はともかく、今の俺はベトナム人だからな。この国を大事に思うのは当然の事だ。
もうちょっと大きくなったら、淡月光の工場に行って偉い人を会ってみたいな)
(日本人だった俺が何でインドに転生したんだ? しかもこんな文明が遅れた時代にさ。飯は不味いし量も少ない。
イギリスの奴らは横暴で、片っ端から食料を持っていきやがる! このままじゃあ、インドは滅んでしまうぞ!
噂じゃ日本で信じられないような出来事が起きていると言ってたな。日本人と接触する機会を待つしか無いだろうな)
(何でユダヤ人の俺が、こんな名前に生まれ変わったんだよ。理不尽だ! 神はいないのか!?
噂じゃ日本が次々に新製品を開発しているそうだ。何処かおかしい。今のうちから情報収集を進めておこう。
転生者と言っても、誰も信じない。だから、大人になるまでは我慢するしか無いんだ)
(日帝の奴らは上手くやっているそうだが、俺達の生活はなんなんだ! こんな臭いものを食えって言うのかよ!?
あいつ等は俺達の下の存在じゃなきゃ駄目なんだ! それが今の日本は世界の一流国の仲間入りだと!? 絶対に認められん!
最近は食料も少なくなって、みんなが殺気立ってきている。このままじゃ、俺も売られてしまうかも知れない。
噂じゃ、ロシアに売られたら死ぬまで働かされるって話だし、女は強制慰安婦の運命だ。
絶対に嫌だ! 生き延びて、日帝の奴らに復讐してやる! そして俺達が日帝の奴らを支配してやる!)
(陣内さんも中々のやり手よね。宇宙船が壊れて使えるのは備品とコンピュータだけと言ってたけど、本当かしら。
細かく聞こうとすると、話をそらされるしね。それでもあたし達には友好的だから助かるけど。
それにしても今の日本は海洋帝国を目指しているのかしら? サイパンを開発すれば、ミクロネシアにも手が届く。
どこまで広げるつもりかしら? うちの国は領土を広げるとしたら、北の李氏朝鮮を攻めるしか無い。
その準備も着々と進んでいる。ロシアの出方次第だけど、あの計画が発動されるのは間違い無いわね。
こうなると陣内さんとパイプを深める必要があるわ。……十年後のあたしは十六歳か。貰ってくれるかしら?)
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(あとがき)
第二章:日清戦争編はこれで終了。第三章は世界変動編(1897-1901)になります。
色々と感想をいただきまして、ありがとうございます。
布石を色々と散りばめた分、回収が大変です。最後までどれくらい掛かるか、自分でも分かっていません。
まあ、気長にお付き合いしていただければ幸いです。
(2013. 6. 9 初版)
(2014. 3. 2 改訂一版)
管理人の感想
投稿、ありがとうございました。
神秘主義が流行るとは……オカルトが重視されそうな世界ですね。
しかし圧倒的なまでの力をもつ陣内さんに対抗できる勢力が現れるのだろうか……。
いっそのこと、本来は歴史の闇に消えた本物のオカルトが今回の一件で姿を現したら面白そうな気もしますが。
超科学VS魔術(本物)……某禁書を思い出しました(苦笑)。
さて次回は世界変動編。ロシアも動きそうですし、どうなることやら。