日総新聞は理化学研究所の新製品発表を掲載した新聞を出していた。くどいようだが、他社は報道していない独占スクープだ。


『理化学研究所の北垣代表は、感染症を防ぐペニシリンを開発したと発表しました。

 これは画期的な発明であり、感染症によって死亡する負傷者の数を激減できると考えられています。

 尚、量産用製造装置と同時にペニシリンの量販も来週から始めると表明しています』


 完璧にマンネリ化した理化学研究所の発表だった。とは言え、感染症に効くペニシリンの開発は世界に驚きで迎えられていた。

 史実では1928年に開発され、戦争の時に多くの負傷者の命を救った実績がある。

 国内はもとより、海外からも多くの問い合わせや購入依頼が舞い込んで来る事になった。


『皇室は東方ユダヤ共和国の建国式典に出席する為、皇太子殿下を派遣する事を正式に発表しました。

 他にも政府閣僚や、民間からは日本総合工業の陣内社長も出席する事になっています。

 この建国式典の後に、我が国と軍事同盟が結ばれる予定です。ハワイ王国に引き続き、二ヶ国目になります。

 現在、東方ユダヤ共和国には世界各地からユダヤ人が集まってきていて、現在の人口は約五十万になっています。

 増加傾向は止まらず、推測では四百万人以上のユダヤ人が移住してくるのではと見込まれています。

 その為に住居の確保が最優先され、日本政府は建設資材や食料などの調達に最大限協力すると発表しました』


 東方ユダヤ共和国に渡した国土はそんなに大きくは無い。その国土に数百万人も住まわせるという事は、住居も考える必要があった。

 しかし農地を無視して、住居だけを建設する訳にはいかない。その為に、狭い国土を有効に使える高層建築物の建設が進められていた。

 それを隣国で軍事同盟を結ぶ日本が、大々的に支援する。

 東方ユダヤ共和国の建国後、日本は李氏朝鮮との国交を絶つ予定だ。

 これも『宗主国である清国を差し置いて、直接李氏朝鮮と国交を持つ事は出来ない』という理由に基づくものだ。

 日本が朝鮮半島に進出しようとしたのは安全保障の為だ。だが東方ユダヤ共和国が出来る事で、李氏朝鮮に関わる必要性は無くなった。

 それと李氏朝鮮と関係を持ち続けると彼らの自尊心を傷つける可能性が高い為に、早々に国交を断絶する事にしていた。

 交易の大半を占めていた日本との取引がゼロになった事で朝鮮側に大混乱が生じているが、日本側からしてみれば大した金額では無い。

 ハワイ王国、ベトナム、タイ王国、そして清国との交易量が右肩上がりの今、日本の実害はゼロだった。


『日本海を経由した不法入国者が増加した事もあって、政府は国内の不法滞在者の摘発に乗り出しました。

 不法入国と不法滞在で捕まった人は、彼らの祖国に強制返還されます。尚、彼らを匿った場合も重罪になります。

 一時的に彼らを収容する施設は済州島に建設されていますが、収容人員数が多くて今後をどうするかは検討中です』


 李氏朝鮮からの密入国者の多くは陸続きの東方ユダヤ共和国に向かったが、国境警備隊に阻まれて入国できた者はいなかった。

 そして沿岸部で船を用意できた場合は、日本海を渡って日本への密入国を図る者もいた。

 そんな密入国者も、衛星軌道からの監視から逃れる事は出来なかった。

 日本に近づく船があれば直ぐに鬱陵島の基地に連絡が届き、そこの艦艇が現場に向かう手筈になっている。

 日本国内の多くの不法滞在者は摘発され、祖国に強制返還されていった。

 ちなみに日本人が故意に匿った場合は、済州島で彼らの監視をする仕事を義務付けられ、前科という重荷を持つ事になる。


『新たに得た領土の船山群島ですが、政府は最大の面積を持つ船山島以外の島々の百年使用権を入札に掛けました。

 その入札に、欧米各国が熱心に応じています。現地は清国との交易の拠点として、急成長を遂げています。

 民間主導で開発が進められている台湾の治安も回復して、日本からの移民も増えて順調に発展中です。

 海南島も移民が増えていますが、こちらは農地の開拓と鉱山開発が主に行われており、現地住民との問題は徐々に沈静化しています。

 尚、南シナ海の各国の船舶の航行の安全の為に、中沙諸島と西沙諸島に灯台と緊急時の避難施設を建設したと海軍は発表しました』


 澎湖諸島と東沙群島は日本海軍によって基地化され、運用されていた。面積の関係もあって民間進出は規制されている。

 台湾と海南島はその大きさから、日本からの移住を積極的に進めて民間ベースで開発が進められていた。

 船山群島は上海・杭州・寧波に近い事から、欧米各国と共同開発するつもりで入札を行った。

 あまり独占し過ぎても他からの恨みを買ってしまう。所有権さえはっきりしていれば、使用権など問題では無いと考えられていた。

 寧ろ、船山群島の使用権を列強に渡す事で、日本の領有権を主張する後ろ盾にする思惑もあった。


 一方、下関条約には明記されていない島々へも、日本は秘かに進出していた。

 海南島の南東にある中沙諸島は複数の岩礁からなり、人が居住できる面積を有する陸地は無い。

 だが、漁業資源と海底資源が豊富な為に、将来を見込んで護岸工事を行って実効支配を進めていた。


 西沙諸島はベトナムに近いが、支配者であるフランスは何の行動も起こしていない。つまり所轄は不明だ。

 その為に日本はいち早く進出して、実効支配を進めた。位置的にも海南島から近く、不自然では無い。

 此処もそのまま住むには不便な為、護岸工事を行って施設の建設を行った。こちらも将来的な布石の一つだった。


 この海域には、領有が未定の島々はまだある。フィリピンのバラワン島の西側にある南沙諸島(スプラトリー諸島)だ。

 無人の為に進出しても文句を言われる筋合いは無いのだが、海南島からはかなり離れている事もあり、

 独占し過ぎても反発を買うだろうという事から、南沙諸島への進出は見送られていた。


『日本総合工業から借り上げたマリアナ諸島ですが、現地の人達とあまり問題を起こす事無く開発が進められています。

 日本から移住する人達も増えて工業化が進んでいますが、一部では観光地として開発すべきだという声もあがっています』


 飛行船五隻と引き換えに得たマリアナ諸島の所有権は、日本総合工業にある。(グアムは200年間のスペインからの租借)

 私企業で所有しても維持が困難という理由もあって、ロタ島は自社で開発を行うが、他は日本政府に貸していた。

 面積も大きくて、南太平洋に容易に進出できる位置にある。艦隊基地を建設するにも好都合だ。

 その為に、サイパンとグアムには海軍基地の建設が進められていた。同時に貴重な自然を持つ観光地としても開発される事になった。

 日本ではあり得ない自然に憧れて移住した人も多い。この時期、グアムやサイパンに移住する人の数は台湾や海南島を上回った。

 (グアムは租借地の為に、あまり大々的に日本が開発している事は報道していない)

 そしてロタ島の住民には補償金を支払って立ち退いて貰い、外部の立ち入りを一切禁止した。

 天照基地から様々な設備を運び込み、生産工場を含めた大規模な基地の建設を計画している。

 南鳥島や沖ノ島にも潜水艦基地を建設するが、補給基地という意味合いが強い。

 ロタ島の場合は、潜水艦隊の母港機能を含めた一大軍事拠点を建設する構想だ。

 秘かに軍施設の建設が進められたのは南方だけでは無い。将来を考えて、択捉島、利尻島、佐渡にも海軍施設の建設が進められていた。


『日本総合工業は急増する飛行船の輸送に対応する為、現在の事業部を独立させて『日総航空』という会社を設立する事を発表しました。

 現在の十隻の飛行船は国内便、ハワイ王国便、ベトナム便、タイ王国便、【出雲】便に使用されています。

 これに台湾、海南島、サイパン、チャーン島などの、各地への定期便を就航させる計画を発表しました』


 今のところ飛行船による定期便は、国内とアジアの友好国に限られていた。(ベトナムは工場がある為に例外)

 淡月光の商品の運搬の為に欧米に行く事はあっても、緊急時以外の人の輸送は行わなかった。

 これも万が一を考えた為だ。何かの事故があってからでは遅い。特に飛行船は風に弱いので、離陸時には十分に注意する必要がある。

 それに列強が続々と国産の飛行船を就役させている事から、幾ら欧米への定期便を望む声があっても許可を出さなかった。

 そして増大する輸送量に対応する為に、航空業務だけを行う会社を設立させた。

 サービスの向上を含め、輸送効率の改善を図る為だ。

 余談だが、飛行船の客室乗務員の募集をしたところ、若い女性の応募が殺到していた。

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 上海はアヘン戦争の時の南京条約により条約港として開港し、各国の租界が形成されて繁栄していた。

 欧米の金融機関が次々に進出した事もあって、各国の人種が混じったアジア有数の国際都市だ。

 同時に各国の新聞社も進出している。日総新聞も上海に支店を置き、英字新聞を発刊している。

 そして日本の動向をいち早く報道する事が周知された為、上海の要人の愛読紙となっていた。


「ほう。今年の日本の新年早々の新開発品は、感染症を防ぐペニシリンの開発か。誰か当てた奴はいるのか?」

「……確かドイツの奴が張っていたな。くそっ! 他の奴らは電気関係と飛行船関係に賭けていたから、ドイツの奴の総取りだ!」

「裏で情報を入手したんじゃ無いのか? だから日本の今年の発明品は何かを当てようなんて、賭けをするのは嫌だったんだ。

 俺の金を返してくれ! 負けたのが嫁にばれたら折檻されちまう!」

「勝負の世界は厳しいのさ。諦めて金を払うんだな。それにしても日本は律儀だな。まさかここまで続けるとは思わなかったぞ」

「まったくだ。隠し玉を持っているのは知っているが、此処まで馬鹿正直にする事は無いだろうに。

 でも、感染症を防ぐ薬とは凄い事だ。絶対に手に入れると言って、医学関係者の目の色が変わってた」

「はあ。また大金を払って日本から設備や薬を手にいれなくちゃならないのか」

「それで死人が減ると思えば安いもんだろう。それにしても日本が此処までやり手だとは思わなかった。

 この上海に近い船山群島の一番大きな島に自分達の交易用の施設を建設したと思ったら、他の島は百年の使用権を入札に掛けやがった。

 上海に近い位置に基地を持ちたい各国が血眼になったから、入札価格がうなぎ上りに上昇してしまった」

「租界はあるけど、艦隊は無理だからな。あそこなら補給所を設ければ、良い基地になる。

 日本は警備用の小規模艦隊しか置かないつもりらしい。結局、大陸に出遅れたアメリカが必死になって落札したな」

「イギリスにも落とされた。まったく日本は大儲けだな。羨ましいぜ。

 それにしても東方ユダヤ共和国の建設ラッシュを受けて、建設資材の価格は上がっている。

 入札したイギリスやアメリカも、拠点の建設にかなり金が掛かるんじゃ無いのか?」

「イギリスはオーストラリアの内陸部から完全に撤退したろう。そこで失った権益を此処で取り戻したいんだろうな。

 アメリカも中国大陸に進出できれば、元が取れると考えている。まったく金持ち国家は贅沢で良いよな」


 日本は手に入れた船山群島の全てを使う気は無かった。

 中国を内陸部に封じ込めて、将来の大陸棚問題を発生しないようにすれば、後は大陸との交易が出来れば十分と考えていた。

 その為に不要な他の島々の百年の使用権を入札に掛け、列強の殆どの国家が参加した。

 大陸の権益を侵されたく無いイギリスと、進出が出遅れたが絶好の機会と考えたアメリカが値を吊り上げ、

 小さい島の使用権としては異例の高値がついていた。入札する事を考えた天照機関のメンバーは笑いが止まらない。


「明日は東方ユダヤ共和国の建国式典か。これでアジア情勢がどう変わるかだな」

「まだ人口は五十万と少ないが、続々と集まっているからな。最終的には数百万人は集まるだろう。

 そうなれば立派な国家だ。ユダヤ人の勤勉さと資本が融合した時、どうなるか分からんぞ」

「技術と資金はある。人口が多くなっても国土は狭いから、侵略を考えてもおかしくは無い。

 もっとも海洋面は日本が完全に抑えている。軍事同盟を結ぶ事だし、国土を用意してくれた日本に牙を向ける事は無いだろう。

 残るは陸続きの李氏朝鮮だ。まだまだ国家としての体裁が整っていないが、十年や二十年後はどうなるか分からん」

「以前の自分達の領土に住むユダヤ人を、李氏朝鮮は憎んでいるだろうからな。李氏朝鮮と東方ユダヤ共和国の戦争か。

 人口が増えて国力が上がっていけば、十分に考えられる。日本の支援もある以上、その時になったら勝敗は明らかだな」

「日本は李氏朝鮮と国交断絶をするらしい。宗主国である清国を差し置いて、李氏朝鮮と外交を行えないという理由でな。

 本音は協力者を尽く処刑されて、影響力を失った意趣返しというところだろう。

 中国大陸の内陸部へ進出しないと正式に宣言した以上、正面は東方ユダヤ共和国が戦って日本が空と海から支援するんだろうな」

「噂じゃ日本は『イスミ級』と呼ばれる軽巡洋艦と、『タカタキ級』と呼ばれる駆逐艦を多数配備するらしい。

 国内は元より、ハワイ王国やタイ王国、【出雲】へもな。そのうちに東方ユダヤ共和国にも配備されるだろう。

 武装は大した事は無いんだが、乗員が少なくて済むのと、使い勝手が良いらしい。配備数が増えると厄介だ」

「日本は日清戦争で得た領土は少なかったが、広大な海洋を手に入れた。飛行船を使ってマリアナ諸島も手に入れたしな。

 小さい国力の割には広大な領土を守らなくてはならないから、大変なんだろうな」


 今の日本が国力以上の領土を抱えていたのは事実だ。

 少ない人数で運用できる『夷隅級』と『高滝級』と『平沢級』は、日本海軍が喉から手が出る程欲しがった仕様を満たしている。

 海軍士官の養成に力を注いでいるが、人材は直ぐには育たないものだ。


「そういや、各国とも飛行船部隊の編成に力を注いでいるって聞いたけど、どうなっているんだ?」

「各国とも極秘に進めているらしいんだが、スペインの飛行船が地上で攻撃を受けてスクラップにされたろう。

 水素ガスを使ってる事もあって、前線への投入は及び腰だ。切り札として使うのは間違い無いが、不用意に使って失いたく無いらしい。

 だから堂々と使っているのは日本だけさ。もっとも日本軍は常時は隠して、民間の飛行船しか見ないがね」

「この上海も飛行ルートに入れて欲しいな。そうすれば、簡単に日本に観光に行けるんだがな。

 最近の日本は観光にも力を入れているらしいから、見所が結構ある。それに一度は噂の勝浦工場を見学してみたいな」

「無理だろう。日本は中国の内陸部に進出しない代わりに、中国人が日本国内に入り込む事を極端に嫌っている。

 朝鮮人もそうだが、この前は不法滞在者を一斉に摘発しただろう。だから中国大陸と日本の定期便は運行しないさ」

「何で駄目なんだろうな。奴らは安い賃金で扱き使えるから、使う方は楽で良いと思うんだが?」

「朝鮮人や中国人を安い賃金で使えるのは良いが、そのうち人が多くなって街が出来る。

 そうなったら、より良い生活を求めて、朝鮮や中国の肉親や親戚が押し寄せてくる。

 彼らの多くは自分さえ良ければと考える人間が多いから、受け入れた国の秩序や治安が乱れる原因になる。

 モラルが向上するまでは、国内に彼らの集団を受け入れるべきでは無いと日総新聞に書いてあった。

 目先の利益よりも長期的な視野での論説だ。俺も考えさせられたよ」

「……今が良くても、数十年後を見据えた対応か。本国に多くの中国人が来ているよな。大丈夫か?」

「一応、本国には日総新聞を送って、こういう懸念があると伝えておいた。

 安い労働力を当てにするのも良いが、後々の事も考えた方が良いと注意書きを添えてな」

「未来が分かれば楽で良いよな。中国人を使う事が良い事かを、占いで分からないのかな?」

「日本が発展して戦争に勝ち抜いた影には、巫女の存在があるのではと囁かれている。

 ここ数年は日本で大災害が起きる前には、必ず巫女の神託があると言う。本国も本腰を入れて、占い師を囲い込んだそうだ」

「へえ? 効果があるのかな?」

「それはこれからの実績次第だ。まったく科学と言ってる割には、占いやら魔術だのが幅を利かせてきた。変な時代になったよな」


 ハワイ王国に女神と眷属が降臨した事は、世界の多くの人達に影響を与えていた。

 さらに異常とも言える日本の発達や成果の影には、何らかの神秘的な力が関わったのでは無いかと関係者の間で囁かれていた。

 そして半信半疑ながらも、占い師や魔女組織を自国に取り込んだ。その結果がどうなるか、現時点で知る者は誰もいなかった。

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 東方ユダヤ共和国の建国式典は、首都に定められた普州(後で東方エルサレム市に変更)で行われていた。

 キリスト教徒から嫌われるユダヤ人だったが、その経済力は無視できない。

 それらの理由もあって、欧米各国は内心は隠して建国式典に参加していた。

 ちなみに清国は参加しているが、李氏朝鮮からの出席者は無かった。(招待されていない)

 そして欧米から参加した多くの人々は、まだ建設が続いている首都の様子に目を瞠った。


「数は少ないが発電所や高層住宅、工場や公園まである。これを一年足らずで此処まで建設したというのか?

 まったく驚いたな。あの『東アジア紀行』の写真と見比べると信じられんよ」

「日本から建設用の大型重機を多数持ち込んだからな。我が国へは小型の重機しか売らなかったくせに!

 まったく日本は何を考えているんだ!? 絶対に不公平だ!」

「あの時は在庫が無くて、太平洋を渡って運べる大型船が少なかったから、あのサイズの重機を輸出させて貰ったのですよ。

 貴国が早く復旧したいだろうと考えての事でしたが、逆に恨まれるとは。貴国の依頼を断った方が良かったのですか?」

「……失礼した。さっきの言葉は取り消します。日本には感謝しています」

「いえいえ。分かっていただければ、それで十分ですよ。我が国はアメリカと友好関係を保ちたいと考えていますので」

「……街並みを見るとロシア風だったり、ドイツ風だったりと色々だな。しかし、こうも短期間で良くも建設できたものだ。

 区画整理もきちんとなされている。さぞかし有能な建築家が設計したんだろうな」

「まだバラック小屋も見られるが、それでも昨日泊まったホテルは丁寧な造りで、設備は本国と同じレベルだ。

 この建国式典の会場を見れば、ユダヤ人の情熱が伝わってくるよ。入り口で可愛い女の子に花を渡されたしな」

「二千年以上も国を持たない民族だったからな。祖国を持つのは悲願だったんだろう。

 俺達には分からない感覚さ。本国から移住するユダヤ人は増える一方だろう。少しは本国も住み易くなるかも知れん。

 そして此処と日本がどう関係していくかで、大きな影響が出てくるだろうな」

「日本からは政府代表以外にも、皇室のプリンスや日本総合工業の陣内代表も招かれている。

 記者団の数も多いな。やはり緊密な関係になるのは間違い無いだろう」

「日本の政府代表やプリンスとは会話できたが、陣内代表はガードが固くて無理だったな。やはり噂通りに人間嫌いなのか」

「それにしては、皇室のプリンスと笑顔で話していたな。民間企業の社長に過ぎないが、影響力は無視できないからな。

 この機会に面識を持ちたかったが」

「この式典の後に、ロスチャイルド財閥主催のパーティが開かれる。その時に陣内代表も出るそうだ。

 その時がチャンスかも知れんな。是非とも関係を深めて、技術提携を結びたいものだ」


 建国式典の会場で招かれた人達が待っていると、幾つもの花火(日本製)が連続して打ち上げられた。

 そして壇上で暫定大統領のアルカライ氏が、民族の悲願だった祖国の建国を宣言した。

 すると周囲から凄まじい歓声が沸きあがった。それだけ熱望していたという事だろう。この感覚は彼らにしか理解できない。

 各国から派遣されてきた記者団が、次々にカメラで撮影を行っている。

 そんな中で壇上のアルカライ暫定大統領が、日本との軍事同盟について言及していた。


「世界各地から同胞が続々と集まりつつあります。ですが、現時点ではまだ非力な我が国であります。

 しかし、我々は孤独では無い! この地を譲ってくれた大日本帝国と軍事同盟を結ぶ事を正式に発表します。

 我々は二千年もの長きの間、色々な迫害を受けてきました。ですが、孤独では無いのです!

 御覧下さい! 我々は大日本帝国という大事な友人を得る事ができたのです!」


 アルカライ暫定大統領が発言した後、胴体部分に大きな日章旗が描かれた飛行船二十隻が、列を作って建国式典の上空に飛来した。

 世界初の飛行船によるデモンストレーション飛行だ。十隻が整然と一列に並び、それが二列の編隊になっている。

 全て飛行船は、日本の国旗と東方ユダヤ共和国の国旗を掲げている。

 それを見せ付けるように、式典の会場の上空を低空でゆっくりと移動していった。


「……見事な飛行船の編隊だな。祖国の飛行船部隊は単独行動は出来るが、あそこまでの編隊行動は無理だ。

 さすがは世界で最初に飛行船を実用化させた日本だな。運用技術でも我々の先を行っている」

「あれほど見事に飛行船を操縦できれば、ピンポイントの爆撃も可能だろうな。

 戻ったら、飛行船部隊の操縦訓練を行うように進言しよう。何時までも日本に遅れをとる訳にはいかない」

「日清戦争の時の日本軍は十二隻の飛行船だったはずだ。それが今では二十隻か。

 やはり我々も数を揃えないと拙いな。戻ったら忙しくなりそうだ」

「安全面を考えると、ヘリウムを使った日本製が良い。この前はドイツで水素ガスに引火して爆発事故が起きたそうだしな」

「そうは言ってもヘリウムは希少だし、日本から購入するとなると財政的に厳しい。

 やはり水素ガスの安全面を進める方が経済的だ。何とか陣内社長の意見を聞きたいものだ」

「日本は手持ちの飛行船全てを、この式典の為に派遣したのか。裏返せば、それだけ重要視していると言う事だ。

 それを見せ付ける為に飛行船のデモンストレーション飛行をするとは、嫌味な奴らだな」


 建国式典など滅多にあるものでは無い。そして各国の代表が集まれば、立派な外交の場となる。

 そして皇太子殿下にとっては外交デビューの場となった。

 建国式典後のロスチャイルド財閥が主催したパーティの席で、皇太子殿下と陣内は注目の的になっていた。


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ウィル様作成の地図(日本周辺版)
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 東方ユダヤ共和国の建国式典が新年早々に行われたので、天照機関のメンバーもその対応に追われていた。

 そして無事に式典が終わり、一息ついたところで恒例の新年会が行われていた。尚、今年からメンバーが一名追加になっていた。


「無事に東方ユダヤ共和国が建国できた。軍事同盟を結んで日本の存在を示せたし、殿下の社交界デビューにもなりましたな。

 密約を結んだから、将来に渡る懸念も無い。それに継続的に世界のユダヤネットワークの資金が日本に流れ込んでくる。

 まったくもって、結構な事です。今年も上手く行く事を願っています」

「まったくだ。殿下が各国語を流暢に話していた事に、各国の代表は驚いていましたな。我々も鼻が高いと言うものですぞ」

「これも義兄上のお陰です。睡眠教育を受けて勉強させて貰いましたから」

「建国式典の時の対応は及第点をやれるが、お前はまだ一人前には成っておらん。増長する事無く、精進する事だ。

 この天照機関の会合に出席するのは認めるが、しばらくは発言は控えよ。お前にはまだ経験が足りん。

 君主たるものに何が必要なのか、この会合を通じて帝王学を学ぶのだ」

「はい。まだ自分が若輩者である事は承知しています。将来の為の勉強をさせていただきます」


 未来の皇居の主となる現皇太子殿下は、睡眠学習を受けて未来の事を知り、そして天照機関のメンバーに加わった。

 ちなみに沙織の素性の事も伝えられ、陣内の事を義兄上と呼ぶようになっている。

 病弱で親から引き離されて寂しい幼少時代を過ごした皇太子殿下にとって、頼りになる親族として陣内は慕われた。


「今年は海外で大きな動きは無い。しばらくは内政に専念するべきだな」

「海外と言えば、第一次エチオピア戦争の終結となる『アドワの戦い』が三月に発生するのだったな。

 アフリカは何の工作もしてこなかったが、どうするのだ?」

「イタリア王国がエチオピア帝国を植民地化しようとして始めた戦争か。

 放置しておいてもエチオピア帝国が勝利を収めるのだろう。工作の必要はあるまい」

「イタリア王国が負けるのは良い。アフリカの植民地化を進める他の列強への面当てになるからな。

 問題は勝ったエチオピア帝国だ。増長したとは言わんが、列強とアフリカ各地を分割する立場に回った。

 それに第二次エチオピア戦争ではイタリアに敗れて植民地にされる。だったら、何らかの工作をした方が良いだろう」

「うむ。歴史のある国だし、アフリカで初めて欧米の軍隊を跳ね除けた事で権威が高まるだろう。

 上手く国力を上げられれば、地域の安定にもつながる。あまり小さい国家が多くては欧米に対抗する事も出来ん。

 この際、エチオピアを支援してアフリカ全体の治安維持を担わせた方が、将来的なメリットにもなる」

「それもそうだな。【出雲】であれば距離的にも近い。資源と交換に武器と工作機械を輸出するか。

 上手くいけば、紅海とアデン湾に影響力を持つ事ができるようになる。欧州とアジアを繋ぐ要衝だからな」

「あちらの出方次第だな。イタリア王国に勝った後に会談を申し込み、こちらの申し出を受ければ支援を行う。

 増長して我々の申し出を鼻で笑うようなら、無視すれば良いだけの事だ。

 我々は正義の味方では無い。世界の警察官を気取るつもりは無く、我が国の国益を優先させるだけだ」

「アフリカは遠いからな。我々が直接介入する訳にもいかん。出来て武器供給と工業化の支援ぐらいだ。それで十分だろう」


 この時代、戦争が無かった年は殆ど無い。力ある国家は少しでも植民地を増やそうと、弱者を食い物にしようとしていた。

 如何に自国だけで独立を守ろうと考えても、侵略者に力が及ばなければ意味が無い。力こそ正義の真理がまかり通る時代だ。

 だからこそ日本は力をつける為に、新たに得た領土の開発を急ぐ必要があった。

 【出雲】は落ち着いたが、台湾、海南島、グアム、サイパンに移住者や様々な設備を送り込んで工業化を進めていた。

 それにハワイ王国、タイ王国、東方ユダヤ共和国の近代化も支援している。

 今の日本は拡張した領土の維持が精一杯で、積極的に海外へ派兵する余裕など無かった。

 とは言え、将来的なメリットがあると判断された場合は、開発支援を行うつもりだった。

 こうしてアフリカ最古の歴史を持つエチオピア帝国へ、支援を行う事で天照機関のメンバーは合意した。

 尚、本年の八月には、フランスは保護国の扱いだったマダガスカルの植民地化を宣言する。

 既にフランスの勢力が浸透しているとあって、こちらは何もしない事が決定されていた。

 何の見返りも無しに他国を支援する国家は、古今東西を探しても存在しない。あくまで自国の利益の追求が世界の真理だった。


 本年はクエートで政変が発生する。オスマン帝国のバスラ州の一部でしか無いクエートだが、そこはサバーハ家が治めていた。

 現在の当主の弟は兄弟仲が悪くて、インドに滞在していた。その弟はイギリスから支援を受けた形跡があり、本年中に兄弟を殺害して

 首長に就任したのが史実だ。だが、今のクエートの南部には【出雲】がある。

 クエートの混乱を望まない天照機関は、未然に兄弟間の殺し合いが起きないように秘かに手配していた。

 史実では日本はクエートから恩を受けている。若干ではあるが、恩返しのつもりの工作だった。


「海外工作に関してだが、今年の四月に第一回目のオリンピックがギリシャで開催される。

 招かれていないし、まだ黎明期だから焦る必要も無いだろうが、今のうちから方策を考えておかねばな」

「子供の教育は無償にして義務化した。学校でスポーツに親しませ、健全な精神と肉体の育成を図るようには仕向けている。

 実利を考えて集団スポーツを優先させてある。個人競技も徐々に普及が進んでいる。そう心配する事はあるまい」

「オリンピックが本格的に広まるまでには十年以上の月日が掛かる。こちらも今のうちから手は打ってある。

 だが、将来的にはオリンピック委員会にも手を伸ばさなくてはな。買収工作に弱い委員会など、害毒だからな」

「それは先の話だ。今年は国内で大きな災害が発生する。そちらの対策の方が急務だ」

「史実で二万人以上の被害を出した明治三陸大津波は、五年前の濃尾地震を遥かに上回る被害だ。確か六月だったな。

 災害予防研究会から事前準備は進めていると連絡が入っているが、事前警告をどうするかが問題だ」

「あまり巫女に依存されては困るが、今度も警告を出さざるを得ないだろう。昨年の会合で決定した通りだ」

「それは分かっている。国民を避難させるのは当然だ。事前に財産等を持ち出させるかを確認したい」

「人は当然助ける。不動産は最初から諦めていた。だが、持ち出し可能な貴重な文化財が失われるのは痛いな。

 そこまでは考えなかったな」

「公共施設に管理されている物は我々の権限で移動できるでしょう。後は秘かに噂を流させて、自主的に退避させる形にしましょう。

 諸外国から我が国の巫女は注目されていますが、あまりにあからさまな事は避けた方が無難です」

「仕方あるまい。災害後の復旧計画も準備が進められているし、出来るだけ国民を保護する方針とせよ」


 これで天照機関の定例の新年の会合は終了した。これから場所を変えて、本当の新年会が始まる。

 初めて会合に出席した皇太子殿下は、会議の内容に圧倒されていた。

 史実は知った。そして現在が史実とかなり違っている事も知った。だが、まだまだ日本は列強と比較すると国力不足だと認識していた。

 だが、日本は知略を駆使して世界に挑んでいるのだと、頼もしさを感じていた。

 皇太子殿下は新年会の席で今後の抱負を述べられ、他の参加者から酒を勧められ顔を真っ赤にしていた。

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 第一次エチオピア戦争は史実通りに、イタリア王国が敗れてエチオピア帝国が勝利した。

 これはアフリカの黒人国家が、欧米の先進国に勝利した画期的な出来事だった。

 それはアフリカ各地で迫害される黒人に、大きな希望を与えていた。


 そのエチオピア帝国にもイスラム教徒は存在する。

 その伝を使って【出雲】の皇室側責任者である山下邦彦は、飛行船に乗ってエチオピア帝国の王宮に来ていた。


「……ほう。では日本は我々と交易をしたいと言うのか? 我々の工業化を進めて武器も含めて販売したいと? その意図は何だ?

 日本が世界各地に進出している事は知っている。そして最近は清という大国に勝った事もな。列強が欲しがる技術を持っている。

 お前が乗ってきたあの飛行船もだな。その遠い地の日本が、何故我々と交易を望む?」

「知っての通り、我々はペルシャ湾の奥に【出雲】という領土を持っています。そこからエチオピアは近いですよ。

 最初から申し上げておきますが、我々は貴国に領土的な野心を持っていません。

 我々の考えは、イタリア王国に勝利したエチオピア帝国をさらに強化して、この地域を安定させようというものです。

 勿論、代価はいただきます。貴国に取っても損は無いと思いますが?」

「……それを素直に信じろと言うのか? 今の時代、口車に乗って国を傾けたところは山ほどある。

 日本が我が国に野心を持っていないなど、容易に信じられるものでは無い。

 それにこの地域を安定と言うが、それが日本に何の役に立つ? 今の時代に無償の好意などあり得ない。日本の真意は何だ!?」

「我が国は極東にあり【出雲】はペルシャ湾にあります。地中海や欧州と交易を行うには、紅海、そしてアデン湾の安定は必須です。

 周囲のエリトリアとソマリアはイタリア王国の植民地になって、貴国が内陸部であるのは承知しています。

 イタリア王国を退けたのは、フランスの植民地であるジブチを経由して武器を揃える事が出来たからだという事も知っています。

 フランスはイタリアと対立していますからね。フランス側としてもイタリアの失敗は歓迎した事でしょう。

 将来的に貴国がエリトリアとソマリアを領有し、発展させる事がこの地域の安定になると我々は考えています」


 単純に民族主義的な立場から考えれば、誰しも侵略者など好まない。帰ってくれと願うのが当然だ。

 だが、この時代はそんな理屈は許されない。力こそ正義の道理がまかり通る時代だからだ。

 幾ら現地の人達が貧しくても自由な生活を望んでも、力のある先進国が欲しがればそれを避ける事など出来ない。

 出来るのはエチオピア帝国のように欧米の技術を導入して、国力を強化してきた国だけ。

 それでも侵略者が現地を発達させれば良い。短期的には搾取されるだろうが、長期的にみれば恩恵に与る事ができる。

 しかし史実のアフリカの歴史を知ると、侵略者は現地を搾取する事だけを考えて発展させる事は何も考えていないと断言できる。

 欧米の人達が自ら入植した国ならともかく、現地の住民が居る場合は、植民地で発展した国など皆無だと言って良い。

 二十一世紀のソマリアは以前はイタリアの植民地だったが、独立後も産業は発達せずに最貧国の一つになっている。

 別の視点から見れば、欧州の白人がアフリカの黒人の生活向上を考えると思う方が間違いかも知れない。

 それでも隣国であり同じ黒人が支配するのなら、短期的には駄目でも長期的には治安は安定すると思われていた。

 確実な保証は無い。あくまで感情優先の推測でしか無い。それでも現状よりはマシだろうと、エチオピア支援の計画は発動された。


 この時代は技術が遅れている事が罪とまでは言わないが、支配されて当然という常識がまかり通っていた。

 欧米の各国は植民地を発展させる事など考えず、搾取する事のみを考えた。

 進んだ文化の恩恵を与えるという理屈もあったが、自分達の利益を最優先して考えた事は間違いない。

 それから考えると、隣国を併合して膨大な資金を投資した史実の日本政府は、実にお人好しに見える。

 多数の犯罪者を取り締まり、悪習を廃絶させる為の指導を弾圧と後世で非難され、延々と謝罪と賠償を要求されたのでは立場が無い。

 天照機関は史実の過ちを繰り返さないよう、国家の方針に介入していった。


 結局、エチオピア皇帝は山下の提案を承諾した。

 日本の目的はエチオピアの資源だけで、エチオピアからしてみれば工業化を進める事が出来る。

 交易港はフランスの植民地であるジブチを使用する必要がある。

 イタリアと対立しているフランス政府は許可するだろうと、エチオピア帝国と日本の双方からフランスに働きかけをする事になった。

 そしてイタリアの植民地であるエリトリアとソマリアを、将来は占領統治する事で双方は合意していた。


 現在のイタリアは人口問題に悩んでいた。人口が増え過ぎた為に、アフリカへの移住を積極的に進めていた。

 イタリア側からすると、植民地を拡大するのは必要に迫られたからという言い訳も成立する。

 まだ化学肥料や農作業車両が普及しておらず、農作物の収穫量は低い為に多くの人口を養う事は不可能だ。

 結局、力あるものは弱者を踏み躙っても、己の勢力拡大に勤しんでいた。

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 史実通りに第一回目の夏季オリンピックがギリシャのアテネで行われた。

 これは古代オリンピックに感銘したピエール・ド・クーベルタン男爵により提唱されたもので、参加は国単位では無く個人単位だ。

 参加者は欧米に限られており、女子の参加が無いなどの制限も多かった。

 一位には銀メダル、二位には銅メダルが贈られるなど、まだまだ黎明期という事もあって盛況な大会とは呼べない。

 しかし、国家を超えたスポーツの祭典として徐々に拡大されて広まっていく。


 そこで優秀する事は他の国家から注目される。つまり国威高揚の一つの手段にもなる。

 その為に日本は全国の学校にスポーツの導入を進めていた。

 そこには陣内の寄付金によって、かなりの部分が賄われていた。

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 アメリカのヘンリー・フォードが、自作の四輪自動車の試作に成功した。

 後でフォード社を立ち上げるが、まだ無名のエンジニアだった彼に、海外事業部のダミー商社であるトルーマン商会が

 秘かに資金援助をしている事を知るのは極僅かの人間だけだった。

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 今の日本は世界の注目を集めていた。そして各国の情報機関は、多数の諜報員を日本に派遣していた。

 日本の発展の秘密を探る為、あわよくば隠している技術を手に入れられれば尚更良い。

 そう考えて諜報員を日本に派遣した各国だが、最初は気軽に考えていた節があった。

 科学技術や占い技術は進んでいても、防諜技術など低いと甘く見ていた。

 だが、日本は古来から忍者などによって諜報活動が盛んだった為、一部の面では欧米すら及ばぬ技術を持っていた。

 さらに陣内の知識や科学技術によって強化されており、この時代の欧米の諜報員の想像できないレベルに達していた。

 各国の諜報機関は日本の防諜技術の高さを、大きな被害を蒙ることで知る事になった。


 理化学研究所に忍び込んだ諜報員が戻ってくる事は無かった。

 表から接触をした諜報員も、一定以上の深入りは出来ない。皇室の機密である巫女にも接触は出来ない。

 多くの犠牲を払って、日本の発展の秘密は勝浦工場にあると判断した彼らだが、内陸部の機密工場地域へは一切入れない。

 正面から頼んでも断られ、深夜に不法侵入した諜報員は戻って来ない。そして非合法活動を行ったところへは、秘かな報復が行われた。

 あまりの被害の大きさに各国の情報機関は方針を改め、非合法の情報収集を止めてまっとうな手段での情報収集に切り替えていた。

 その彼らは日本各地での異変を察知して、その裏に何があるかを探っていた。


「九州と四国の太平洋側で、大規模な津波の避難訓練が行われたのが二日前。そして近畿と東海地方の避難訓練が昨日。

 そして今日は関東と東北の太平洋側で避難訓練が行われる。やはり、何かあると判断するべきだろう」

「沿岸部の文化財や美術品が、高台に運び込まれているそうだ。やはり皇室の巫女の神託があったと考えるべきだろう。

 これほど大掛かりな避難訓練を行うとは、確証が無ければ出来ない事だ」

「それにしても広範囲だな。これが巫女の神託だとすると、あまり予知の精度は高くないかも知れん。

 そうなると、日本の巫女の予言もそう恐れる事は無いだろう」

「それは早合点かも知れないぞ。我々を混乱させるつもりか、国民に緊張感を持たせようと考えている可能性もある。

 まだ結論を出すには早い。それより本国には伝えたな。囲い込んだ占い師や魔女が予言できるかを判断する絶好の機会だ」

「あいつ等は抽象的な事しか言わないからな。日本の巫女が予言した事が出来なければ、用は無い。

 高い金を払って雇ったが、効果が無ければさっさと放り出したい!」

「ちょっと待て! それって日本が巫女の予言で動いていると認める事だぞ! それこそ早合点過ぎないか?」

「今更、何を言う? 今までの地震や災害の事前活動から、日本が予言システムを本格的に導入しているのは間違いない。

 今回はその検証を行う絶好の機会だ。それすらも信じられないというなら、日本が短期間で発展した理由が他にあると言うのか!?」

「い、いや、それは……」

「だったら黙っていろ! 日本にだけ予言のメリットを受けさせる訳にはいかないんだ!

 他国の情報機関も日本の予言に注目して、情報を集めている。我が国だけ立ち遅れる訳にはいかない!」

「まだ新聞やラジオ放送は、予言の事には何も言及していない。それでも日本政府の命令で、ここまで広域の避難訓練が行われたんだ。

 日本軍の飛行船も上空で待機していたそうだから、日本は本気だろう。この機会に予言の精度や範囲を出来るだけ絞り込むんだ!」


 この頃になると、日本が巫女の力を利用して成功を収めてきたという噂が、欧米の情報機関で信じられるようになっていた。

 ハワイ王国の女神の降臨で神秘の力の存在を確信した彼らは、日本の成功の影に巫女の存在があると推測した。

 度重なる災害の前の警告もあったが、発展途上国の日本に科学力で負けたとは認められないという心理も大きく影響している。

 天照機関の初期の会合で決定されたように、世界に徐々に神秘主義が広まっていった。

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 六月十五日の避難訓練は、関東と東北の太平洋側で夕刻に行われる。その後は炊き出し訓練が予定されて、午後の九時に解散する。

 それは勝浦工場も含まれていた。午後の五時。まだ明るい時間帯に、勝浦工場の全域に緊急警報が鳴り響いた。


『大津波発生! 沿岸部の職員は内陸部まで避難を開始せよ! 繰り返す、大津波発生! 沿岸部の職員は急いで内陸部まで避難せよ!

 沿岸部の避難が終了後、施設維持部は造船事業部地域の隔壁を順次閉鎖! 港湾施設から重化学事業部地域の防波ゲートを閉鎖せよ!』


 勝浦工場は太平洋側に面しており、万が一の時は津波が来襲する。

 それを防ぐ為に港湾施設の外周に、高さ二十五メートルの防波堤を建設している。それでも津波が乗り越えてくる危険性はあった。

 沿岸部の高台は高さを増してあるが、港湾施設から内陸部に続くところは完全な平地部分で工場内の鉄道が通っている。

 そこに津波が雪崩れ込めば、内陸部の工場地域も大被害を受ける。それを防ぐ為に建設されたのが、巨大な防波ゲートだった。

 高台に挟まれた内陸部と沿岸部を切り離すべく、収納された厚さ五メートル、高さ五十メートルの巨大な防波ゲートが動き出した。

 低音を響かせながら動き出した防波ゲートが閉まると、完全に内陸部の工場群は津波から保護される。

 それらを見ていた日本総合工業の職員は、大きな歓声をあげていた。


「す、凄え! あんな大きなものが動くのか!?」

「避難訓練なんて面倒だと思っていたけど、防波ゲートが動くのを見れただけでも良かったな」

「上空には飛行船が待機して、救助訓練も行うんだ。これも見ものだぞ!」

「その後は炊き出し訓練か。何でも各地の名産品を使った炊き出しだからな。楽しみだよ」

「九州から始まった避難訓練も今日で終わりだ。何も無くて良かったよ。それに美味い酒も用意されている。

 避難訓練を行わない日本海側の奴らは残念だったな」

「うちは会社単位で避難訓練を行ったけど、他は自治体単位で避難訓練を行うんだろう。

 この後の炊き出し訓練の費用は、全部が国の負担だと聞いている。金の無駄遣いじゃ無いのか?」

「避難訓練と一緒に、地域の親睦会をやると思えば良いだろう。そこまで杓子定規に考えると肩がこるぞ」


 勝浦工場の避難活動は問題無く行われ、その様子を陣内は本社ビルの社長室で見つめていた。

 その社長室には秘書の二人もいて、今後の事を話していた。


「避難訓練自体は問題無く終わって一安心だ。防波ゲートも定期的に動作確認をした方が良いしな。

 問題はこれからだ。東北の方の避難訓練は順調に進んでいるようだな」

「はい。大津波警報システムの動作確認も無事に済んでいます。

 今回の避難訓練は寝たきりの病人も含めていますが、混乱は起きていないようです。

 既に軍の飛行船は上空に待機。撮影準備も済ませてあります」

「今回は貴重品の持ち出し訓練を含めていますし、事前に文化財などは高台に移動させてあります。

 被害は最小限度に抑えられるでしょう。沿岸部の街は全て津波に流されますが、こればかりはどうしようもありません」

「それについては高台に住宅が建設できるように、事前に資材の手配は済んでいる。用地の確保を含めてな。

 復興計画も災害予防研究会が立ててあるから、速やかに進むだろう。濃尾地震の後の復興のように順調に進めたいものだ」

「幼い子供や病人も含めた避難訓練には異議も出ましたが、あと一時間で発生する津波の被害を知れば反論も無くなるでしょう。

 ですが、諸外国にこの避難訓練がどう判断されるかが心配です」

「今まで地震を事前に予告した事は知れ渡っている。彼らは情報を集めているようだが、好きにさせておけば良い。

 それが彼らを更なる混乱に誘導する。今の我々は未曾有の災害から国民を守る事だけを気にしていれば良い」


 あからさまかも知れないが、事前に避難訓練を行って、その後に炊き出し訓練を行う事を考えたのは陣内だ。

 地震発生が午後の七時半頃という事もあり、多くの世帯は夕食の時間だ。

 だから避難訓練に参加した人達を家に戻さずに、一箇所に纏めておくのに好都合な言い訳を用意した。

 災害に遭う住民全員の住宅は用意できないが、毛布や食料は予め準備してある。

 その後の復旧活動の準備も済んでいる。こうした事前準備の為に、史実では二万人以上も亡くなった大津波の被害者は一桁に留まった。

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 明治三陸地震による大津波は北海道、青森、岩手、宮城県に及んだ。岩手県では海抜三十八メートルの地点まで津波が押し寄せた。

 ハワイにも約九メートルの津波が押し寄せるなど、まさに未曾有の大災害だった。

 しかし大津波の避難訓練が行われ、その後の炊き出し訓練の時に地震が発生した為、人的被害は一桁に抑えられた。

 だが大津波が発生する日に、偶然に津波の避難訓練が行われたという言い訳を信じる国民は誰も居なかった。

 これまでも数々の地震を事前に予告した皇室の巫女の存在を、誰もが脳裏に思い浮かべた。

 諸外国も注目する中、国会でも質疑応答が行われた程だ。

 だが、避難訓練が皇室の巫女の神託という事と、巫女は力を使って病床にあるとだけ発表して、後は政府は沈黙を守った。

 日総新聞も日総ラジオ放送も政府の援護に回り、巫女の神託の追及は次第に落ち着いていった。


「三陸大津波の被害が抑えられたのは巫女様のお陰だが、その巫女様は神託を得る為に力を使って病床に臥しているそうじゃ無いか。

 何とかお元気になって貰いたいもんだな」

「まったくだ。五年前の濃尾地震の時も巫女様の神託で被害は抑えられた。今じゃ、かなり立派な街並みが出来上がっている。

 現地の人は巫女様の神社を造ろうって頑張っているらしいからな」

「日総新聞に津波の後の写真が掲載されていたが、凄まじい被害だよ。あれで死亡者が一桁だなんて信じられない」

「巫女様のお告げを信用しなかった奴と、避難訓練で空いた家屋に泥棒に入った奴が死んだらしいな。

 まったく自業自得って事さ。それにしても巫女様が病床に臥せるとは大丈夫なのか?」

「ちょっと心配だよな。日総新聞は巫女様に依存する事無く、俺達が自立して頑張る必要があるって言ってた。

 それが巫女様の負担を軽くするんだったら、俺達が頑張るしか無いんだ!」

「そうだよな。海外に出れば巫女様の力も及ばないだろうし、俺達の力で頑張るしかないんだろうな」


 巫女が病床に臥せた事を報道したので、日本国民の巫女への依存は抑えられる傾向となった。

 もはや巫女の神託を疑う国民は皆無と言って良い。多くの人達を救った巫女は、国民の間では信仰の対象になりつつあった。

 そして大津波の前に避難訓練を行った事は、諸外国に予知の確実性を知らしめた。


 余談だが、ハワイ王国にも津波に警戒するようにと日本政府からの連絡が届いた為、被害が出る事は無かった。

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 勝浦工場で建造された軽巡洋艦『夷隅級』二隻、高速駆逐艦『高滝級』二隻、護衛艦六隻は、明日に帝国海軍に納入される。

 見学用の造船所では無く、第二期拡張工事で自動化された建造ドックで建造された。

 この時代の常識を覆すような建造期間で完成された計十隻の外見は、従来の艦艇と比較するとかなりシンプルだ。

 一見すると頼りなく見える十隻も、そのスペックを知る人間からしてみれば頼もしく感じる。

 天照機関のメンバーと帝国海軍の最上層部の人間が、建造ドックにある艦艇を見学していた。


「これで我が国に国産の戦闘艦が普及する。艦砲はこれで我慢するしか無いが、その速射性と高速航行能力は頼もしい限りだ。

 敵の大型艦に対抗するのは難しいかも知れんが、この艦艇が普及すれば大幅に我が海軍の戦闘能力は上昇する」

「航続距離も長いし、最高速度が32ノットと言うのも良い。列強の何処も実用化していないガス・タービンエンジンのお陰だ。

 乗員の数が少なくて済むのも助かる。これで軽巡洋艦と駆逐艦、護衛艦の小規模艦隊を各地に配備したいものだ」

「まだ電子装備は付けられませんが、高性能無線通信機を備えて、自動化を可能な限り進めています。

 従来の石炭のように人力で炉に燃料を入れる手間も掛かりませんしね。将来的な改装の余地は残してあります。

 輸出仕様はエンジンをディーゼルエンジンにして、最高速度を落として燃費は良くするエコ仕様にします」

「まずは国内だが、ハワイ王国からは早めに海軍を創設したいと申し込まれているからな。

 第二期建造分はハワイ王国に輸出する計画だ。この調子でどんどん建造を進めてくれ」

「艦隊決戦用の艦は『神威級』と『風沢級』の完成を待つ必要があるからな。

 しかし『夷隅級』があれば立派に支援も出来るし、現状の列強の主力艦にもある程度は対応できる。

 我が国は広大な海洋を持っているから、早めに配備を進めたい」

「そういえば【出雲】はどうするのだ? あちらもそろそろ配備しないと拙いだろう」

「造船所は完成して輸送船を建造しています。今の輸送船の建造が終わった時点で、『夷隅級』以下の戦闘艦の建造を開始します。

 乗組員がいませんので、そこは帝国海軍から派遣してもらう形になります」

「あそこは皇室直轄領だからな。単純に海軍から派遣という訳にもいかん。現地の皇室直轄軍に移籍という形になるだろう。

 家族の移住を含めて本人の同意を取る必要があるが、施設も整ってきたから募集をかければ応募も多いだろう。任せておけ」

「引渡しは明日か。これの性能を見た士官の驚く顔が楽しみだよ」

「ああ。国産の戦闘艦なんて、本当に使えるのかと疑問視していた奴らが多かったからな。

 主砲こそ小さいが、その速射性と高速性は従来の艦艇を圧倒している。試用期間の間に何人が驚いて卒倒するか賭けないか?」


 睡眠教育を行えば、短期間で『夷隅級』と『高滝級』と『平沢級』を乗りこなす事が出来るだろう。

 しかし、あまり睡眠教育自体を広めたく無い事と、苦労をしないと経験が身につかないという理由で取り止めになっていた。

 従来の艦艇とは一線を画す『夷隅級』『高滝級』『平沢級』は驚きを持って受け入れられ、全国に配備が進んでいった。

(2013. 6.09 初版)
(2013. 6.16 改訂一版)
(2014. 3. 2 改訂二版)