スペインはマリアナ諸島と引き換えに、日本総合工業から五隻の飛行船を購入していた。(グアムは200年間の租借契約)
勝浦工場での訓練が終わると五隻の飛行船はスペイン本国に移され、改装工事を受けていた。
日本総合工業の出荷時は民間仕様の為に、スペイン軍独自の改装が施された。ただし全部では無い、三隻だけだ。
領土と引き換えに得た貴重な飛行船だ。全てを戦地に振り向ける事は無く、二隻は国威高揚の為に本国での運用が決められていた。
そして改装を受けた三隻の飛行船は反乱が続く植民地に派遣され、上空からゲリラへの威嚇・攻撃に使われ始めていた。
飛行船を撃ち落す兵器は列強でも開発されていない。植民地のゲリラに飛行船に対抗する手段は無かった。
飛行船の投入直後は、現地のゲリラに対して大きな効果をあげていた。
だが、スペイン王国の飛行船を邪魔に考えていた国もある。スペイン王国に戦争を仕掛けようと考えているアメリカだ。
そのアメリカ軍は現地の反抗勢力に、飛行船の弱点である着陸時に攻撃するように仕向けていた。
そしてスペイン王国の飛行船三隻は地上で破壊されて、スクラップにされてしまった。
水素ガスでは無くヘリウムを使っていた為に爆発はしなかったが、三隻もの飛行船が失われた。(人的損失はゼロ)
今のスペイン王国に、追加の飛行船を注文する財政的余裕は無い。植民地での飛行船の運用を諦めるしか無かった。
この事件は各国で報道され、飛行船の脆弱性を知らしめると共に、飛行船の運用方法の見直しを迫った。
特に日本から飛行船を一隻だけ購入し、それを解析して国産化を進めている列強への影響は大きかった。
又、スペイン王国に工作を行ったアメリカも被害を受けていた。
日本総合工業の飛行船を解析して、国産の三隻の飛行船(水素ガス仕様)をアメリカは建造した。
その試験飛行の先に選ばれたのが、原因不明の伝染病で封鎖されている地域だった。
地上は伝染病が蔓延していても、上空からならば大丈夫だろうと考えたからだ。
だが、高度千メートルでミズーリ川を越えようとした時、遥か彼方から飛んできた青白い光が三隻の飛行船を直撃した。
そして水素ガスに引火して、空中で大爆発を起こした。当然、百五十人もの乗組員は失われた。
これ以上、インディアンの神を刺激するのは拙いと、アメリカ政府は内陸部への封鎖をさらに強化した。
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史実では、本年の十月から富士山頂で気象観測が開始された。
だが、今の富士山頂には日総新聞が建設した電波送信塔があり、そこで観測業務も併せて行い、天気予報も行っていた。
その山頂には電波増幅施設(発電所も含む)、それと五人が寝泊り出来る宿舎もある。
燃料や食料を頂上まで運び込むのは、普通に考えたら多大な労力を必要とする。
何時も天照基地にある大型輸送機や【雪風】が使える訳では無い。それに一般市民に見つかる訳にはいかない。
そこで頂上付近から麓までのロープを敷設し、急勾配でも運用できるキャタピラを装備した荷物輸送用の特殊車両を運用していた。
これは施設管理を行う職員の為だけのはずだった。だが、何処にでも物好きな人間は居る。
日本一高い場所での宿泊を希望する者や、御来光を見たいと希望する者が増えて、宿舎を拡張して観光客を受け入れていた。
一泊で大手企業の社員の平均月給並みの費用が掛かったが、それでも観光客は徐々に増えていった。
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史実では本年の七月に李氏朝鮮の王妃である閔妃らはクーデターを起こして、親日派を追放して親露派を登用した。
日本によって独立を果たした李氏朝鮮だが、日本に靡く事をせずにロシアに接近した結果だ。
三国干渉で日本を退けたロシアを頼もしく思ったのかも知れない。そして十月の乙末の変で、閔妃は日本軍によって殺害された。
そこには復権を狙った興宣大院君(朝鮮国王:高宗の父)との確執があった。
権力の座から追放された興宣大院君は日本の力を使って、自らの権力を取り戻そうとした。
そして日本はそれに便乗して、李氏朝鮮に介入したのが史実だ。それから日本は朝鮮と深く関わる事になった。
だが、天照機関の介入により今回は朝鮮王宮の占拠は行われず、南部を割譲させて東方ユダヤ共和国を建国した。
その為、朝鮮国王である高宗と妻の閔妃は未だに健在であり、ロシアへの傾斜を強めていた。
既に高宗は国内の開明派(親日派)は全て処刑しており、朝鮮国内で開国を望む声は殆ど無い。
全羅道、慶尚道、忠清道を奪われたのは悔しいが、住民を強制で立ち退かせたので、日本に一泡吹かせられたと考えている。
北部に移住させた国民の一部を、清国経由でロシア帝国に販売して現金を得ているから、少しは贅沢が出来るようになった。
日本への憎しみは無くならないが、自分達の地位が安定して贅沢が出来る事から、高宗と閔妃の機嫌は悪くは無かった。
その様子を王宮の兵士は顔色を悪くしながら見つめていた。
「南部地域を失って、今年の収穫は散々だった。国民の間じゃ飢餓が蔓延している。これからどうなるんだ?」
「知るかよ。国民を海外に売り払って現金収入が増えたって喜んでいるんだからな。この先、どうなる事やら」
「この前、五歳から六歳ぐらいの子供が『今は我慢して日本を引き入れるべきだ』っていきなり言って、王妃を怒らせたろう。
一族郎党、晒し首になっちまった。まったく高官の子供だって言うのに容赦無いよな」
「あれか。でもあの子供も何処かおかしかったぞ。
『我が国はこんなに貧乏な筈では無い』とか、『日本の文化と富を奪うべき』とか大声で言ってだろう。小さい子供の言う事じゃ無い」
「あの子供は以前から『山に木が無い』とか『独島は我が国のもの』だとか『日本海を東海に改名すべき』だとか言ってたらしい。
親も気味悪がっていたらしいぜ」
「可哀想に。最初から頭がおかしくなっていたんだろうな。まあ、この国に産まれた運命かもしれないが」
「昨年に反乱を起こした東学教団の奴らは、『斥倭斥化』(日本も開化も退ける)って言ってただろう。
でも食料が足らなくなって、日本に奪われた忠清道を略奪しようと攻め込んだ。だけどユダヤ人に皆殺しにされてしまった。
まったく、このままで本当に良いのか悩むよな」
「聞いた話だけど、日本は高宗陛下の希望通りに我が国が清国の属国である事を認めると言って、我々と関係を絶つつもりらしい。
交易関係も滅茶苦茶になるし、お先が真っ暗だよ」
「もう日本との関係は無いと考えた方が良いだろう。そして東方ユダヤ共和国が陸続きの隣国になるのか。
こちらの首都と国境線が近いから、何か問題があった時は大きな被害が出るぞ」
「そうは言っても、遷都する費用も無い。このまま惰性で生きていくしか無いのかもな」
「夜になると、忠清道や慶尚道の方で明かりが見えるらしい。こっちは王宮しか電灯は無いけど、あそこは違うんだろうな」
1890年の時点で、李氏朝鮮の全人口は約800万人だった。
だが、強制立ち退きに反抗した住民の虐殺や、ロシアに奴隷として国民を売った事で、現在の人口は約750万人になっていた。
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下関条約によって朝鮮半島の南部の全羅道、慶尚道、忠清道と、済州島、鬱陵島は日本に割譲された。
そして全羅道、慶尚道、忠清道は日本がバックアップして、『東方ユダヤ共和国』を建国する事を正式に発表していた。
季節は冬に差しかかろうとしていた。
現地の完全引渡しが済んで約八ヶ月だが、そこには約五十万ものユダヤ人が各国から集まって祖国の建国に従事している。
彼らの数は年を追うごとに増えていくだろう。住居や工場、農場などの施設の建設が続けられているが、まだまだ時間が掛かる。
集まった五十万人ものユダヤ人の半数は、プレハブ小屋に住んでいる。だが、その我慢ももうすぐ終わる。
世界各地のユダヤ人資産家の支援が、朝鮮半島の南部に集まってきている。
その支援の大半は、日本からの建設用資材や重機、食糧などの購入に使われる。
それらによって、色々な施設の建設が急ピッチで進められていた。
ちなみに発電所の発電機は全て日本製(60Hz)だ。それ以外にも多くの消費財が、一気に朝鮮半島南部に流れ込んでいた。
一年前には平屋の家しか無かった土地だが、今では高層建築物が見られるようになっていた。
農地の開拓も進んでいる。もっとも今年の収穫はゼロに近い。その為に、世界各地から大量の食料が集められていた。
その様子を『東方ユダヤ共和国』の首都に定められた『普州』のビルの中で、建国委員会のメンバーが感慨深げに見つめていた。
「巨済島と釜山は日本軍が占拠していた時から施設の建設が進められていたが、他はゼロからのスタートだった。
たった八ヶ月で、良くも此処まで建設が進んだものだ」
「何と言っても、我らが民族の二千年の悲願が叶う時だ。全員が喜んで働いてくれている。
それと世界各地の同胞の支援、日本の支援にも感謝しなくてはな」
「この地に祖国が建国されると聞いた時、自分の耳がおかしくなったかと疑ったよ。
何度も何度も聞き直して、やっと真実だと分かった時は涙を流した。おそらくこの地にいる全員が同じ思いなんだろうな」
「そうだな。まだ年内中は日本の領土の扱いだが、来年早々の建国宣言で、我らの祖国は誕生する。
まだ開発が終わっていない場所が大半だが、それでも祖国は誕生する。その時の喜びは一生忘れられないものになるだろう」
「まだ人口も少なくて、直ぐに独立国としてやっていけるという訳では無い。インフラや産業基盤の整備が急がれる。
それと国境警備隊を拡大して陸軍を創設して、海軍も創らなくてはならない。
この前のように、朝鮮の奴らが略奪にきたら撃退するしか無いんだ!
しばらくは日本に依存せざるを得ないが、何とかこの国を守り、そして発展させて見せる!」
「暫定大統領はアルカライ氏に内定しているが、来年中には選挙を行って正式な代表を選びたい。我らが祖国の繁栄が約束されたのだ!」
「喜ぶのは良いが、まだまだ問題が多い事を思い出せ。
今年は農地の開拓を優先に行って、一切の作付けをしていないから食料は全て輸入した。来年は必ず農作を成功させなくてはならない。
そして植林も問題だ。何せ大部分の山の木は切られていて、大雨が降ったら洪水になりかねないんだ」
「まったく、よくもまあ此処まで杜撰に管理していたよな。使えるものは殆ど無かったし、後世に残すべき文化財は殆ど無い。
此処に来る前に『東アジア紀行』を読んだが、まさか本当だとは思わなかったよ」
「それも李氏朝鮮の王家の方針なんだろうな。噂では国民をロシアに奴隷として売って、シベリア鉄道の建設に従事させているらしい。
俺達を公然と追放したロシアだ。シベリア鉄道が開通したら、満州や朝鮮に進出してくる。その次は俺達が目標になるだろう」
「それまでには自衛できる軍隊を創らなくては。祖国の建国を喜ぶ気持ちは当然あるが、皆も気を引き締めよう!」
東方ユダヤ共和国の建国の準備は順調に進んでいた。そしてロシアの脅威が忍び寄ってきている事を、彼らはしっかりと自覚していた。
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北海道には五つの産業促進住宅街があって、そこにはインディアンとアボリジニが住んでいた。
彼らはそこで農耕や工業関係の知識と技術を学びながら、故郷への帰還を夢見ていた。
一部の人間は軍事訓練を受けて、故郷の解放の為に頑張っていた。
そして今年は少し変化が生じていた。
アメリカ政府とカナダ当局(イギリスの植民地)が、伝染病から隔離する名目で封鎖を一層強化した為に、帰還が徐々に始まっていた。
絶対にアメリカやカナダ側から見えないような奥地に、小規模な街の建設を進めていた。
人口も多くは無い為に、直ぐにアメリカに対抗できるような国家を建国できるはずも無い。
ひっそりと、だが確実にインディアンは故郷に戻って、その生活基盤を整えていた。
オーストラリアでも帰還作業は始まっていた。
現在、入植者は内陸部からは完全に撤退して、西海岸も完全に放棄した。
残るはブリスベン、シドニー、メルボルンなどの東側の沿岸都市だけだ。そこも治安が悪化して、放棄が秘かに検討されている。
そんな状況の中、アボリジニは内陸部にインディアンと同じように小規模な街の建設を始めていた。
北米大陸の内陸部とオーストラリアの内陸部の開発は、陽炎機関のバックアップがあり、資材面では天照基地が協力していた。
既に衛星軌道には監視衛星だけで無く、攻撃衛星までも配備されている。
破壊力は大きい訳では無いが、海上の艦艇を破壊する程度は十分に可能だ。
上空からの監視の目もあり、インディアンやアボリジニの住む場所に近づこうとする組織は事前に排除される運命だった。
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日清戦争は無事に終わったが、新たに得た領土の開発や東方ユダヤ共和国の建国の協力など、仕事は山積みだ。
さらにグアムを含むマリアナ諸島の開発が加わった。(グアムは租借地なので、他とは若干違う開発計画)
それにハワイ王国やベトナム北部(民間ベースのみ)、タイ王国、【出雲】の開発も手を抜けない。
辛うじて【出雲】の開発が順調に進み、現地の工場が稼動を開始しているので、少しは手を抜けるのが救いだろう。
まだまだハワイ王国やタイ王国の開発は途上だ。
そんな中、天照機関のメンバーは集まって会合を開いていた。ちなみに、特注の大型炬燵を囲んで行われている。
「今年の目玉は『東方ユダヤ共和国』の建国準備、グアムを含むマリアナ諸島を得た事。それと不平等条約の改正が出来た事だ。
特に不平等条約の改正が出来た時は、外務省の上級職員が全員集まって祝杯をあげたそうだ」
「李氏朝鮮側からの不法入国は絶えないそうだが、東方ユダヤ共和国の住宅や工場群などの建設や、農地の開拓は順調だそうだ。
これも陣内のところから、多くの農作業用車両や建設用の重機を出した為だと感謝されたぞ。
来年早々の建国式典には、皇太子殿下と一緒に陣内も招かれているのだったな」
「ええ。もう来月ですからね。準備は大丈夫ですよ。建国式典の後に軍事同盟締結を行うのですが、それに私も同席します。
軍の方からも出られると聞いていますが、何処まで支援するのですか?」
「世界各地から人が集まってきているが、まだ五十万人程度だ。これから住宅の整備が進めば、さらに移住して来る人は増える。
そんな彼らが軍を組織し、自国を守れるようになるまでだな。最低でも五年は掛かるだろう。
まずは陸軍を整備して、次が海軍だ。それが順調に進めば飛行船部隊も欲しがるだろうな」
「海軍に『高滝級』の高速駆逐艦三隻と『平沢級』の護衛艦六隻が納入されたが、評判はかなり良い。
それを聞いた東方ユダヤ共和国の関係者が欲しがっている。そちらも頼みたい。
それと『神威級』と『風沢級』、『夷隅級』はまだかね? 高滝級の出来栄えを知った担当者から矢の催促だ」
「『夷隅級』は来年の春までには二隻を納入します。それと『神威級』と『風沢級』はまだ待って下さい。
来年中に二隻は完成しますが、納入は時期を見ます。何と言っても『神威級』と『風沢級』はまだ列強には知られたくはありません」
「それは分かっている。このペースで五年間も建造に専念してくれれば、大艦隊が編成できる。そうなれば一安心というものだ。
そのうちに【出雲】にも配備するんだろう?」
「あそこにはうちの造船所がありますからね。やっと完成しましたから、向こうで建造する事にしました。
もっともあそこは皇室直轄領ですから、どんな組織にするかはこれから考えないと。まったく仕事が山積みですよ」
日清戦争の前までは、日本は列強に艦艇の建造を依頼していた。だからこそ、三流国と評価されてきた。
敢えてそう評価されるように仕向けた事もあるが、日清戦争が終わってからは列強に艦艇の建造を頼む事は無くなった。
勝浦工場の造船所と天照基地の建造ドックによって、一気に国内の艦艇を総入れ替えする気で建造に取り組んでいる。
しかもガスタービン機関を装備するなど、今までの艦艇とは一線を画す性能を持っている。
特に『神威級』と『風沢級』が知られたら、史実のドレッドノートの時と同じ騒ぎが起きるだろう。出来るだけ秘匿した方が良い。
『夷隅級』と『高滝級』、『平沢級』は国内外に普及させる予定で、ハワイ王国と東方ユダヤ共和国にも供与する計画がある。
しかし、『神威級』と『風沢級』は国外に出す気は無かった。
「下関条約で得た領土、それにグアムとマリアナ諸島の状況はどうだ? それと東方ユダヤ共和国は?」
「海上の監視拠点となる鬱陵島と済州島は、軍港の建設を始めています。特に済州島は大きい事から、収容所も建設しています。
船山群島は主に清国との交易の拠点として港湾施設の整備を進めています。澎湖諸島と東沙群島は軍施設だけです。
台湾と海南島は民間ベースで開発を進めていますが、陸軍と海軍も進出します。
現地の清国側の勢力は、大陸に帰しました。混乱はありますが、農業と工業分野の開発は順調に進んでいます。
それとハワイ王国の方も大丈夫です。発電所や工場などの建設も進み、一部は稼動を開始しました。
原材料は輸入しなくてはなりませんが、現地で生産できる品種もかなり増えています。
タイ王国のコーラート台地の開拓も順調に進んでいます。
最初に予定した開発が終えるまで十年以上は掛かりますが、徐々に効果が出ています。
チャーン島(面積:約217km2)の港湾施設は稼動を開始して、タイ王国との交易の中継基地になっています。
そのうちに海軍の軍港を整備する必要があるでしょう。そちらは外務省と協力して、同意を取り付けて下さい。
グアムとマリアナ諸島も大規模な開発に取り掛かりました。何と言っても南太平洋の要衝ですからね。
現地住民と上手くやる事もありますが、日本からの移住を進めて、いずれは同化させるつもりです。
もっともグアムは租借地ですが、民間及び艦隊根拠地、それに将来の航空拠点として大々的に開発を進めます。
ただ、ロタ島(面積:85.38km2)だけは我が社で開発を進めます。住民を立ち退かせて、秘密基地を建設します。
最後になりますが、東方ユダヤ共和国への支援は順調です。何と言っても彼らの建国の熱意は高いですからね。
何れにせよ、新たに得た領土の開発が効果を出すまでは時間が掛かります。最低でも数年は待って下さい」
「ふむ。領土は広がったが、それを守るにも一苦労だな。中国を内陸部に閉じ込めたのは良いが、我が国の海上防衛ラインは広い。
軍部の進出は今のペースで良いが、台湾と海南島、チャーン島、それにグアムとマリアナ諸島には日本からの移住を進める必要がある。
ハワイ王国と【出雲】と併せて、しばらくは移住ラッシュが続くな。そろそろ、南米の移住のペースは落とした方が良いだろう」
「そうだな。南米は資金援助した事もあって、現地の開拓は順調に進んでいる。後は政府が後押ししなくても大丈夫だろう。
あのまま行けば、現地に溶け込んで日本との橋渡し役になってくれるだろうからな。
それにしても数十万もの日本人が海外に移住したか。これでは何時になっても本国の人口は増えてくれないぞ」
「ハワイ王国と【出雲】への移住は落ち着きつつある。他も一時的には移住は増えるだろうが、ある程度になれば落ち着く。
それに現地で人口を増やしてくれれば良い。今は大きな動きをしないで、待つ時期に入ったという事だ」
「その待つ時期でもやる事は山ほどある。国内改革を進めながらも、海外工作は進めなくてはな」
淡月光の成功で諸外国への知名度を上げて、各国の女性を味方につけた。
従来の女性専用用品に加えて、数種類の性病の治療薬と避妊薬を販売品に加えた事で、売上も倍増していた。
国内の各企業は新商品を次々に販売して、貿易収支を大幅に改善させている。同時に日本国内の開発と改革を進めている。
外交工作を進める事で、日本の信用度を上げて友好国を増やした。(ハワイ王国、タイ王国)
日清戦争に勝利した事で李氏朝鮮と清国との関係を清算し、東方ユダヤ共和国を立ち上げた。
今はまだ人口は少ないが、将来は有望な同盟国を創り上げ、李氏朝鮮との関係を絶ち、清国を大陸に封じ込めた。
そして得た領土を開発する事で資源が得られ、同時に海上の要衝を抑える事で、海上輸送路の安全確保と国際発言力の強化を狙う。
国内の改革も順調に進んでおり、外交関係も今のところは良好だ。孤立では無く、協調と自立の道を着々と進んでいる。
だが、何時までも順調な訳が無い。特に日本は災害が多い為に、色々な問題を抱えている。
「災害予防研究会から報告があった件だが、どうするべきかだな。
国民の命は守るべきだが、予言に国民が過度に依存されては困る。バランスが難しい」
「啓蒙活動は続けているが、我が国は長い封建社会の為に上に従順というか、付和雷同する人間が多い。
島国という立地条件もあるから、お人好しが多くて、騙され易い。そういう意味では百年経っても、民度はあまり変わらない。
それに上への依存体質が深まっても困る。さて、どうしたものか」
「史実では、大津波で二万人以上の国民が亡くなっている。
沿岸部の住民に津波の恐怖を知って貰う啓蒙活動は行っているが、実際に避難できるかは何とも言えない。
今回も勅命を出すべきだろう。しかし毎回だと、天災の時は何でも事前に予告してくれると安心されても困る。
今回の予言の後は、巫女に負担が掛かって病床に伏せるというシナリオはどうだ?」
「ふむ。国民の為に力を使って寝込んだという形を取るか。それなら国民の自立を促せるな。
大きな災害時は何とかするが、あまり小さい災害まで予言を当てにされても困るからな。
不測の事態でも自発的な行動を取れるように仕向けるべきだし、来年の大津波だけはそうするべきだろう」
「一応確認だが、既に歴史は変わりつつある。本当に大津波は起きるのだろうな?」
「こればかりは何とも。各地に地震計を設置して衛星軌道上からの監視体制を整えていますが、起きる保証は何処にもありません。
ただ、人為的な事象と違って自然災害ですから、起きるかもとしか言えません」
「勅命で避難命令を出して、外れても構わない。巫女の予言の権威が落ちるかも知れんが、国民を失うリスクを考えれば安いものだ」
「はっ。ではそのように。しかし、巫女の予言は一度だけで、誘発地震の時は無しで宜しいですか」
「止むを得ぬな。ただし、現地の地震対策は進めるようにせよ」
「そう言えば、陣内から教えられた史実の情報で、生活保護者という者達がおったな。
本当に病気で働けないなら仕方ないが、制度があるからと言って勤労意欲を失われても困る。
手厚く保護すると衰退が始まる。それは個人であっても民族であっても同じという事だな」
「史実では行き過ぎた平等教育の為に、学校教育が一時麻痺したのだろう。馬鹿な親達が権利を主張し過ぎて教育現場を荒廃させた。
衛生環境も同じで、行き過ぎた衛生管理の為に病弱な人間が増えてしまった。何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』か」
「今は産業促進住宅街があるからな。孤児院と老人ホーム、それと生活保護の機能を兼ねている。
維持費は掛かるが、史実のように個別に金を渡すより余程経済的だ。それに孤児や老人の世話の仕事も用意されている。
この時代は生活保護という観念は無い。将来的にも産業促進住宅街の存在だけで十分だろう」
「生活の面倒を見て貰って、遊んで暮らすなど認める訳にはいかぬ。『働かざる者食うべからず』は世の真理だ。
病人ならともかく、健常者を遊ばせる程余裕がある訳でも無い。仕事が無いなら、こちらから与えるだけだ。
清掃や老人の世話の仕事をやって貰おう! 老人には知恵を後世に残して貰う仕事もあるゆえ、大切に扱わねばな」
「あまり権利意識を高くし過ぎると、史実のアメリカのような訴訟社会になってしまうからな。
外国人の受入を進めているから、ある程度は仕方ないだろうが、バランスを取って国内のマナーや意識を高めたいものだ」
「話を戻すが、大津波後の対応の準備も進んでいるのだろうな?」
「はい。災害予防研究会の検討の結果、今回の大津波の後は高台に住居を移動させ、沿岸部は倉庫や加工工場などの施設にします。
防波堤を築いても、人間は自然には勝てません。上手く自然と共生するような計画です。
百年以上も後に、再び大津波は発生します。その時にも有効な対策を今から準備しておきます」
「うむ。国民があってこそ国家は成立する。しっかりと対策を頼むぞ」
天災を事前に予告して、被害を少なくするのは短期的に見れば大きな成果が出るだろう。
だが、それは国民の依存体質を進める要因にもなる。手厚すぎる保護は人間を弱体化させる。
史実の実例で天照機関のメンバー全員が身に染みて知っていた。長期的な視野で、来年の災害対策が進められていた。
陣内と沙織の子供の真一と香織は、ヨチヨチ歩きが出来るようになっていた。
それを知った皇居の主は、孫を抱きたいから秘かに連れて来いと陣内に強く迫っていた。
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オスマン帝国は未だに多くの領土を持つイスラムの大国だ。
しかし技術革新が遅れて、『欧羅巴の瀕死の病人』と呼ばれる程、国力が落ちていた。
色々な多民族を統治しているので、治安維持が困難なのも大きな要因の一つだ。
同じイスラム教徒と言えども、民族が異なれば扱いが難しいという事だろう。
そして長きに渡る組織は硬直し、汚職が進む温床にもなっていた。
そのオスマン帝国は日本に注目していた。
新しい技術を次々に開発し、何も無かったペルシャ湾の奥地に近代的な都市を短期間で立ち上げた。
海水淡水化プラントを建設して水不足に対応し、欧米に肩を並べる工場群を数年で建設したのは驚異だった。
さらに屋内式の農場を建設する事で食料の現地生産を可能とし、砂漠の緑化も進めている。
既に日本からの移住者は十万人を越えて、まだまだ増加傾向を見せている。最終的には百万人を越えるかもと噂されていた。
領土も境界が不明確な西と南を徐々に拡大して、既に小国と言える国土を持ち、その工業力はオスマン帝国を凌いでいる。
その日本の力に学びたいと、オスマン帝国は多くの留学生を日本に向かわせた。
日本としてもオスマン帝国との関係は保ちたいと考えているので、留学生は快く引き受けていた。
だが、領土を割譲するからオスマン帝国の首都付近に進出しないかと、話を持ちかけられた時は困惑した。
オスマン帝国と交易を行って関係を深めていたが、同時に今のオスマン帝国は維持できないとも考えていた。
多くの民族を抱えて矛盾も多い。技術も遅れていて、制度は硬直して汚職が進んでいる。
史実通りに、第一次世界大戦で多くの領土を失うのは避けられないと判断していた。
その後に建国されるトルコ共和国なら、大々的に支援するのは問題無い。
だが、維持が困難になってきているオスマン帝国と関係を深め過ぎては問題が多くなる。
しかも首都であるイスタンブールの近郊の領土を割譲されては、第一次世界大戦の時に巻き込まれるのは必須だ。
現在のオスマン帝国の支配者はアブデュルハミト二世で、過酷な専制政治を行っている。
専制政治だからこそ【出雲】の地の売却に同意したのだろうが、国民の不満も高まっている為に関わり過ぎても危険だ。
改革を進めているが、効果は出てこない。民族資本が育ち始めていて、専制に抵触しない範囲で新聞の刊行が拡大されている。
要は専制政治から民主主義への過渡期なのだ。
それらの理由から、天照機関は首都イスタンブール近郊への進出の話は断った。
それでも民間交流は進めようと、現地の民族資本へ初期型の工作機械を輸出して、工業力の強化の支援を行っている。
さらにバスラ方面の広大な土地を購入し、水利工事を行って広大な農地の開拓を進める事で現地の経済発展に協力している。
国家間に義理人情は不要だ。それでも義理堅い国民気質は貴重なものと考えられ、天照機関はオスマン帝国への配慮を示していた。
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史実ではハワイ王家は取り潰されてアメリカに併合された。だが、今回はハワイ王国は独立を保っていた。
これも降臨した女神のお陰だ。欧米勢力は女神の報復を恐れて、一切ハワイ王国に近づく事は無かった。
中国人は女神が降臨した時に欧米の入植者と一緒に退去した事から、残っている外国人の大部分は日本人だった。
そして日本の支援によって、ハワイ王国の開発が大々的に進められていた。(主に財閥系企業が進めている)
以前は単一作物しか栽培されていなかったが、今は色々な作物を栽培している。
日本から重機が輸入され、農地の開拓や工場などの建設が進められている。女神を祭る宮殿の建設も順調だ。
そんな中、ハワイ王国は日本と軍事同盟を結んだ。
欧米の入植者が持ち込んだ伝染病で、多くの国民を失って労働力が不足している。
それを補ったのが日本からの移住者だ。史実では欧米の資本家に扱き使われたが、今は日本資本の下で働いている。
ハワイ王国は独立国の体裁は整えていたが、実力は小国レベルに過ぎない。
しかしハワイ王国の国民は、実際に女神が降臨して自分達の危機を救ってくれた事から、大いなる誇りを持っていた。
日本の支援は受けるが、膝を屈する気は無いという矜持を持つに至った。
国を纏めるのに国民が祖国に誇りを持つ事が、どんなに有効かが分かる良い実例だ。生活はまだ貧しくても、表情に活気がある。
進出した日本企業は政府からはハワイ王国で問題を起こさないようにと、厳しく言い渡されている。
そんな事情から、今のところはハワイ王国と日本の関係は良好だった。
アメリカが放棄したミッドウェー島とジョンストン島を正式に領土に編入して、海軍を設立する準備を進めている。
積極的に世界に打って出るのは無理だが、攻め込まれたら徹底的に反撃するような気概を国民が持つようになった。
そんな国民の様子を、王宮のリリウオカラニ女王は穏やかな表情で見つめていた。
(今のところは日本との共存共栄は順調に進んでいる。でも、以前の入植者が持ち込んだ伝染病で、国民は減り過ぎてしまった。
これで国として保つ事が出来るのかしら。女神様の恩恵で欧米の魔の手からは逃れられたけど、徐々に衰退していく可能性もある。
日本の支援で時間を稼いで、人口が増えるのを待てれば復活の見込みはあるでしょう。
軍事同盟を結んだし、日本は我が国を侵略する気は無いと思って大丈夫だわ。
この時代、滅多に他国の善意なんか信用できないけど、今のところは我が国と日本の利害は一致している。
しばらくはこの状態が続いて、国民が幸せを実感してくれると良いのだけれど)
搾取をしていた欧米の入植者は、全員が財産を没収されてハワイ王国から追放されていた。
そして元々の土地を取り戻したハワイの国民は、日本企業と協力して国家の再建を目指していた。
今のところは順調だ。万が一、欧米が攻め込んで来ても、女神様が守ってくれると信じている。
日本も女神様を恐れて、自分達に攻撃的な態度を取る事は無いだろう。
そして日本から艦艇の供与を受けて、ハワイ王国の海軍が創設されようとしていた。
小型艦艇による警備程度の能力しか無いが、それで十分だと多くのハワイ王国の国民は考えていた。
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タイ王国は日本と協定を結んで、雨量が少なく農作物が育ちにくい東北部のコーラート台地の開発を進めていた。
日本から最新鋭の大型の重機を大量に運び込み、大きな貯水池を造り、農業用水路の整備を行った。
1893年から始められた工事は一定の成果をあげて、今年の収穫は大幅にアップしていた。
今まで貧困に苦しんできた住民にとって、大いなる福音と言える。
その報告を受けたタイ王宮では、今後の対応についての協議が行われていた。
「コーラート台地の水利工事が上手くいって、農作物の収穫が大幅に増えた。これも日本のお陰だ。
現地に行って見てきたが、大きな建設用重機が短時間に深い貯水池を掘る様子は圧巻だったぞ」
「日本が最新の大型重機を持ち込んでくれたからな。この調子で水利工事を拡大してくれれば、東北部の貧困地帯は無くなる。
今年は日本に貸し付けた地域だけの成果だが、現在は他の地域でも水利工事は進められている。来年が楽しみだ」
「まったくだ。コーラート台地の開拓以外にも、日本から工作機械を輸入して国内の工業化を徐々に進めている。
ある程度の簡単な部品なら、国内で生産できるようになった。継続して日本から工作機械の輸入を進める計画だ」
「良い事ばかりでは無いぞ。コーラート台地の開発が進み、国内の工業化が進んだのは喜ばしい事だ。
だが、大量の食料や資源が日本に運び込まれている。若い女性が【出雲】に出稼ぎに行って、戻って来ないという話も聞いている。
チャーン島(面積:約217km2)にしても、日本は大々的に開発を進めている。本当にチャーン島を渡して良かったのか?
日本が我が国を侵略する危険は無いと、本当に言い切れるのか!?
フランスとの仲介をしてくれて賠償金を立て替えてくれた恩義はあるが、日本を盲信すると痛い目を見るのでは無いか?」
「我が国から食料や資源が輸出されるのは正当な取引だ。金が無いから、輸入している工作機械の代金だから仕方あるまい。
国内の若い女性が【出雲】から戻ってこないと言うが、現地で日本人と結婚したから当然の事だ。
飛行船便で子供と一緒に里帰りした女性の事は、現地でも噂になっている。自発的に戻ったそうだし、問題では無い。
チャーン島に日本は巨大な港湾施設や工場群を建設して、我が国との交易の拠点としている。
農地を開拓して住居を建設して、日本からの移住を進めているが、人口差があるから大した問題では無い。
日本からチャーン島に艦隊を派遣する同意を求められているが、軽巡洋艦と駆逐艦が主力の小規模艦隊だ。
我が国を侵略するつもりなら、手間が掛かるコーラート台地の開発しないだろうし、飛行船部隊を王宮の上空に飛ばすだけで十分だ」
「日本を盲信する気は無いが、恩義もある事だし、少しは信用して良いだろう。通常の交易で我が国の工業化が進められれば十分だ。
艦隊にしても、我が国の防衛の一翼を担ってくれると考えれば良いのではないか?」
「日本はハワイ王国も支援しているが、あそことの関係は良好だ。ベトナムは民間進出のみだが、かなり発展している。
それに清国との戦争に勝利したが、内陸部へ進出しないと宣言した。あまり領土拡張は考えていないように感じられる。
そう危険視する事も無かろう。こちらが最初から警戒すると、相手も不愉快に感じる。気をつけた方が良いぞ。
今の我々は日本を頼りに工業化を進めて、自立するしか道は残されていないのだ」
タイ王国の改革は徐々に進められていた。しかし、一部の人間から見れば、日本の進出は急過ぎた。
警戒する声もあったが、今のところは問題になるような事では無いとの意見が大勢を占め、日本と良好な関係が続く事になる。
尚、史実のラオス北部がタイ王国の影響下に留まった事から、その地域を通じて雲南省やチベットへの工作ルートの開拓が進められ、
秘かに現地の勢力との接触が始まっていた。
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ベトナムに進出している日本企業は淡月光だけだ。フランスの支配下にある事もあって、女性専用用品を扱う淡月光だけが認められた。
そしてベトナムの農作物や地下資源の通商の認可、それと原材料の採取という名目で北部の丘陵地帯の権利を得ていた。
全てが淡月光の現地法人によって進められている。
もっとも北部の丘陵地帯の開発は、フランス側の嫌がらせであまり進んではいなかった。
生産工場があるハイフォンは、淡月光による経済効果で少しずつ様相が変わっていた。
淡月光が適正価格で食料や資源を買い付ける為に、多くの商人がハイフォンに進出して、現地の経済を潤していた。
さらにベトナム工場はアジア近隣への輸出も行っていた為に、かなりの大規模工場に成長していた。
欧米では現地生産を行っているが、他のアジア地区ではそうもいかない。それにアジアにも欧米の御婦人は大勢いる。
インドやインドネシア、フィリピンにベトナム工場で生産された商品が輸出されていた。(清国と朝鮮は含まれていない)
そこに雇用される現地の女性の存在は無視できない。
通勤できない女性の為の宿舎も用意され、千人を越える女性が工場の付近に住んでいる。
ベトナムの平均給与以上の収入を得ている彼女達の購買力は、現地の経済を刺激するには十分だった。
そして【出雲】への出稼ぎもある。ベトナムで働くより遥かに高額な待遇は、多くの若い女性を【出雲】に向かわせた。
現地の男からは差別だという抗議の声があがった程だ。【出雲】で結婚して、戻って来ない女性の数も増えている。
ハイフォンの経済発展は、ハノイなどの他の都市にも徐々に波及し始めていた。
尚、タイ王国とは別に、ベトナム北部からの雲南省やチベットへの工作ルートの開拓も並行して進められていた。
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陣内(二十九歳)の子供は全員で三人だ。
沙織(二十四歳)との子供は『真一』と『香織』の双子。そして楓(二十九歳)との子供は『真治』だ。
同じ日に産まれた三人の子供は一歳になった。大きな病気をする訳でも無く、順調に育っていた。
まだ夜泣きが収まる気配は無いが、よちよち歩きを始めて、片言の言葉を話すようになっていた。
自宅に住む構成も少しは変わった。妊娠が判明してから、沙織と楓の昔の師匠である真崎小雪(年齢不詳)が増えた。
そして美香(二十歳)が日総新聞の代表である青山(四十一歳)と結婚した。
由維(十八歳)は沖田という海軍士官と付き合い始めた。結婚も時間の問題だろうと言われている。
そして天照基地から、汎用人型アンドロイド一体が子守として常駐していた。
外は雪が舞っていたが、自宅は全館暖房で暖かい。子供三人が寝ているのを確認して、陣内と沙織、楓の三人はリビングに居た。
「三人ともやっと寝たか。まったく子育ては疲れるもんだな」
「真さんは仕事だって逃げられるけど、母親は絶対に逃げられないんですからね。ちゃんと今まで通りに手伝って下さいね」
「そういう事。お風呂は任せるから宜しく」
「……三人を俺一人でお風呂に入れてたら、お湯で上せちゃうよ。勘弁してくれ」
「ふふふ。師匠と由維に少しは手伝って貰いましょうね。それにしても美香はあっさりと結婚したけど、大丈夫かしら」
「青山は奥さんを亡くして二度目の結婚だ。大丈夫だろう。亭主関白かは知らんが」
「噂じゃ、美香の方が青山さんを尻に敷いていると聞く。勝気な美香だけど、上手くやっているんだろうな」
北海道の日高工場や四国の伊予北条工場の建設も進みだし、新たに得た領土の開発の仕事があるので陣内はかなり忙しかった。
それでも小まめに自宅に帰り、三人の子供の面倒を見ている陣内だった。周りからは、親馬鹿と噂されている。
「そういや、ロタ島に別荘を造るって本当なの?」
「ああ。あそこは完全にうちの所有だからな。個人の別荘も造るが、社員用の慰安施設も造る計画だ。勿論、プールつきだぞ」
「飛行船の定期便を使えば、その日のうちに着けるわよね。子供達が大きくなったら行ってみたいわ」
「そうね。たまには南国で遊んでみたいわ。子供を産んで崩れた体型も、元通りになったから水着も着れるわ」
「別荘と言えば、ロタ島以外にタイ王国のチャーン島にも造る計画がある。チャーン島のかなり広い土地を貰う事になったからな。
そうすれば、タイ王国の観光も出来る。まあ、二年は待って欲しいが」
「来週は北海道の日高、その次は四国の伊予北条に出張ね。言っておくけど、浮気は許さないわよ」
「まあまあ、楓さん。まさかあたし達がいるのに、そんな事は真さんはしませんよ。ねっ、そうでしょう」
「ああ、勿論だよ」
「そういう訳ですから、陽炎機関の護衛は無しにして下さいね。秘書の中山さんの同行は認めます。スペインのような事は駄目ですから」
飛行船の売却交渉にスペインに行った時の事を沙織は知っていて、陣内に揺さぶりを掛けていた。
あの時は三人の子供の夜泣きが激しく、沙織と楓に殆ど構って貰えなかった。
スペインでは護衛の『くの一』と熱い夜を過ごしたのだが、その事を沙織と楓は知らないはずだったのだが……
陣内は背中に冷たいものを感じたが、知らぬ振りを押し通した。
「ああ。話は変わるけど、遊園地の出し物は以前に話したもので良いと思うか?」
「そうね。今の技術じゃあんまり派手なものは無理でしょうし、あの程度で良いんじゃ無いの。
観覧車にジェットコースター、それとお化け屋敷ね。ああ、川下りで水飛沫を浴びるのも良いわね。夏限定だけど」
「それより【天照W】なんて出し物を使って、転生者を呼び寄せるって期待できるの?」
「駄目元ってやつさ。陽炎機関に調べて貰ったが、日本にも気味悪がられて親から捨てられた子供がいたらしい。
何人の魂がこの世界に来たのか分からない以上、転生者を探す努力を続ける必要があるんだ」
「真さんは以前に言ってましたけど、未来の知識があるだけじゃ、あんまり脅威にはならないんですよね。
そこまで神経質になる必要は無いと思いますけど」
「未来の技術と今の技術は差があり過ぎるから、まともに応用なんて出来ない。細かい歴史を覚えている人だなんて、いないからな。
敵に回っても大きな影響は無い。だけど味方にすれば、頼もしい右腕になる可能性もある」
「確かにね。まあ人柄によるんでしょうけど、こればかりは相手を見ないとね」
未来の知識を持っていても、この時代では役に立たない事が多い。
電子部品が無い時代に、最先端のソフトウエアの知識を持っていても宝の持ち腐れだ。
時代の流れとか大まかな分野には関われるだろうが、その程度であれば邪魔にはならない。
しかし、こちらに敵意を持っているなら話は別だ。その時は非情に徹して、処理するつもりだった。
「それにしても皇室からやたらと贈り物を頂いているけど、本当にお返ししなくて良いのかしら?」
「あ、ああ。自分で言うのも何だが、日本の為に頑張っているから貰っているんだ。そんなに気にする事じゃ無い。
なあ、楓もそう思うだろう?」
「え、ええ。そうね。沙織は考え過ぎよ。そんな事を考えるより、今は子供達の事を考えなくちゃ」
沙織の素性を陣内と楓は知っていたが、本人には知らせてはいない。これも皇居の主の意向だからだ。
その為に、たまに沙織が皇室絡みの話題を振ると、陣内と楓は話題をすぐに逸らす事にしていた。
今後はどうなるか、まだ分からない。しかし今は皇居の主の意向を大切にしようと考えていた。
陣内は家族を持てた事を、嬉しく思っていた。そして家庭の平和を守る為に、沙織と楓をお風呂に誘った。
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日総出版はSFやファンタジー小説、童話を出版して、そこに色々な教訓になる事柄を子供達に覚えて貰おうとしていた。
無料で学校の図書館や病院の待合所に置いた効果もあり、多くの子供達が読むようになっていた。
そして次第に本格的な内容の本も出版するようになり、大人の読者も増えていた。
識字率が高い日本ならではの現象だ。しかし、大人に対する普及度はいまいち低い。
それに文字嫌いの人間は何処にでも居るので、全体から見れば小説による影響はまだまだ低かった。
そこで陣内は奥の手を使う事にした。文字と絵のコンビネーションによる教育材料を用意する事にした。漫画の事だ。
勝浦工場ではリプログラムされた制御コンピュータが自動製造ラインを稼動しているが、コンピュータの負荷は軽い。
その制御コンピュータに、画風がまったく違う八つのタイプの漫画を秘かに描かせた。
陣内の生まれた時代では、漫画のテクニックはほぼ完成された領域に達していたが、この時代はまだ普及が進んでいない。
絵心がある人間に未来のテクニックを習得させるのは時間が掛かるからと、負荷に余裕がある制御コンピュータに漫画を描かせた。
制御コンピュータに漫画を描かせるとは、ある意味で究極の無駄使いと言える。
しかし、遊ばせておくよりはと、漫画を普及させる為に使い始めた。
将来的には映画館でアニメを放送しても良いが、まだ時期尚早という事で漫画のみを普及の対象にしている。
時代が時代なので、あまり急進的な事は出来ない。
その為に時代劇やスポ根物、ファンタジー物、少女漫画などの多数の白黒漫画が一斉に発売された。(カラーは数年後を予定)
娯楽用とは別に、漫画を使った技術教本も数多く出版されて、漫画に興味は無くても技術者に好まれる本のシリーズが揃えられた。
特に色々な製品や材料の製造手順を絵入りで書いた『物造り全書』は、大ヒット商品となっていった。
この漫画を使った技術教本は、文字を各国語に代えるだけで容易に現地の人にも理解が出来るとして、急速に普及していった。
こうして日本は、漫画発祥国として広く世界に認知される事になっていく。
そして世界各国においても、独自の画風を持つ漫画作家が多数出てくるのだった。
(2013. 6. 1 初版)
(2014. 3. 2 改訂一版)
管理人の感想
日清戦争は完勝。そして清(中華)は封じ込められたようですが、次は露が相手になりそうですね。
相変わらず朝鮮が余計なことをしていますが……自分達が相手にしているのが、自分達からすれば神に匹敵する力を
持っていることを知ったらどう思うことやら。
未来人の魂を持つ子供達も動き始めるようですし、色々と情勢に影響していきそうです。