朝鮮半島で甲午農民戦争の先駆けとなる農民の反乱が始まった為、天照機関は緊急会合を開いていた。

 出席者全員に焦りの色は無く、寧ろ期待感に溢れた表情をしていた。


「史実通りに朝鮮半島で農民の反乱が始まったか。国内の準備は出来ている。後は農民の反乱が拡大していくのを待つだけだ。

 現地の日本人に被害は無いのだろうな?」

「はい。事前に所在を確認するように努めていましたので、農民の反乱が起きてからは安全なところに避難させています。

 全羅道で発生した反乱は五月の末には朝鮮全土に波及します。それまでに民間人は全て朝鮮半島から引き上げます」

「そして六月には朝鮮が清国に反乱鎮圧の為に軍の派遣を要請し、我が国もそれに対抗する為に軍を派遣する。

 条約に基づいた派兵だから、後からあれこれ言われる筋合いでは無い。いよいよ始まるのだな」

「今の朝鮮半島はロシアと清国、それに我が国の三つ巴だ。

 イギリスなどの列強はロシアを警戒して清国と我が国の共同統治か、我が国の単独統治が望ましいと考えている。

 もっとも我が国を考えての事では無く、清国の権益を侵されたく無い列強の思惑だ。

 それでも我々は、ロシア以外の列強の消極的支援を得られるだけマシと言うものだ」

「史実通りに李氏朝鮮が清国に出兵を要請すると同時に、我が国も朝鮮に出兵する。そして大本営をこの東京に置く事にする。

 本来なら広島だろうが、通信機器が充実している今なら東京でも大丈夫だろう。準備は良いのだな?」

「勿論です。衛星通信機能を備えた指揮専用車両を用意しました。

 機密の塊ですから、此処にいるメンバーと睡眠教育を受けたメンバー以外の入室は認められません。

 リアルタイムで現地の情報が確認できます。今までの戦争の方式とはまったく違いますので、注意を御願いします」

「時代が変わったというより、イカサマをしているのに近いな。まあ、これで我が国が有利になる事は間違い無い。

 海軍の艦隊編成も終了しているし、陸軍も派遣部隊の準備は終わっている。軍需物資は対馬に集約してある。

 飛行船の補給基地も対馬に用意した。これで準備万端だな」


 五年前から秘かに進めていた計画だ。もっとも一次目標の為に、全力を出す訳では無い。無理をしない範囲で準備を整えた。

 これからも多くの戦争が発生する。その為にも、温存すべきものは秘匿するつもりだった。


「ラジオ放送は上手くいったようだな。各地の役場や交番には、野次馬がかなり集まったと聞いている。

 これなら世論誘導も順調に進むだろう。期待しているぞ」

「うむ。今は単なる農民の反乱だが、朝鮮全土に拡大するとは誰も考えていないだろう。

 そして戦況を逐次ラジオで放送すれば、国内も安定する。何しろ明治になって初めての対外戦争だからな」

「小国である我が国が、大国である清国に戦争を挑むのだ。国内が不安になるのも当然だ。

 恐らく諸外国も同じように考えるだろう。そこが付け目だ」

「私利に走るようですが、これを機会に日総新聞のシェアは一気に拡大できるでしょう。

 それと戦争になれば検閲が始まるかと思いますが、その辺りは出来るだけ穏便に御願いします」

「分かっている。だが、反戦機運が盛り上がるような報道は見過ごせないぞ。そこは譲れん」

「逆に煽るような記事が多くなると思いますがね。出来るだけ事実を淡々に報道するようにしておきます」

「それとイギリスやフランス、ドイツやアメリカに秘かに接触しておいた方が良いだろう。味方は出来るだけ多い方が良い。

 費用面では海外の支援は必要は無いが、ロシアを抑えて貰いたいからな」

「秘かに工作を行っている各国を、朝鮮に関しては味方につけるか。詐欺のような気もするが、これが本来の外交と言うものだ。

 ロシアの脅威を煽れば、我が国が清国と戦争する事を妨害する事は無いだろう。消極的支援で十分だ」


 まだまだ日本は発展途上の小国というイメージが強い。国土面積や人口を清国と比べれば、だいぶ見劣りするのは間違い無い。

 史実通りの戦力増強しか行わなかったので、陸軍兵力は日本側が約24万人に対して清国側は約63万人。

 海軍兵力は日本側が約6万トンに対し、清国側が約9万トンだ。陸海共に日本は清国に劣っている。

 その日本が清国に戦争を挑むのだ。他から足を引っ張られないようにする必要がある。

 こうして国内は元より、諸外国に対しての秘かな工作も進められていった。

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 朝鮮半島の南部の全羅道で発生した農民の反乱は、収束する気配は見せずに徐々に拡大していった。

 苛烈な搾取をされた農民は、餓死するよりも死を覚悟した反乱を選んだ。

 農民は生き延びる為に反乱を起こした。引けば死が待っている。それはまさに背水の陣だった。

 鎮圧すべき李氏朝鮮の軍隊は為す術も無く、農民の反乱は全土に及んだ。それは苛烈な搾取の証拠と言えるかも知れない。


 五月の末には農民の反乱は拡大して朝鮮全土に及んだ。こうなっては李氏朝鮮に打つ手は無い。

 そして政治的な影響力の強い清国に、農民の反乱を抑える為の出兵を要請した。

 清国としても属国の李氏朝鮮の要請に答える事は、今後の影響力を残す意味と、大国の面子を保持する意味でも有効と判断された。

 その結果、清国は李氏朝鮮を支援する為の出兵を決定した。

 1885年に日本と清国は天津条約を結んだ。その中には朝鮮出兵の事前通告及び、事態収拾後の即時撤兵が定められていた。

 その条約に基づいて、清国は日本に朝鮮に出兵する事を通知せざるを得なかった。

 そして日本も朝鮮半島の邦人と権益の保護の為、朝鮮半島に出兵する事を決定した。

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『こちらは日総ラジオ放送です。本日のニュースをお知らせします。

 本日の正午、日本政府は農民の反乱が続いている朝鮮半島への出兵を発表しました。

 尚、この出兵は清国の朝鮮出兵に対応したものであり、朝鮮半島の邦人の保護を目的としています。

 現地での農民の反乱は全土に及び、その鎮圧も視野に入れていると発表しています』


 四月から始まったラジオ放送は、各地の役所や交番に行けば無料で聞ける。

 その速報性からも多くの国民の関心を引き出して、資金的に余裕がある人は次々にラジオ受信機を購入し始めていた。


「このラジオ放送ってのは大したもんだな。正午に発表した事をもう報道しているんだからな」

「各地に電波中継基地を置いたから全国に発信できるそうだ。詳しくは新聞を読まなくちゃ分からないけど、大まかにはラジオで十分だ。

 雨の日は聞けないから自宅にラジオ受信機を置きたいけど、まだまだ買うと高いからな」

「村長さんは買ったって言ってたな。雨の日は村長さんの家に行こうか」

「そりゃ良い。噂じゃ朝鮮で清国と戦争になるかも知れんって言ってたしな。やっぱり気になる」

「外国との戦争だなんて、初めてじゃ無いのか。しかも相手はあの中国だぞ。日本が勝てるか心配だぜ。

 なんと言っても過去には中国から色々な文化が伝来しているし、歴史ある大国だ。人口だって、あちらが圧倒的だろう」

「日総新聞が以前に中国特集をやっていたけど、今の中国の王朝は満州の出身で、以前に日本に文化を伝えた国は滅んだって言ってたぞ。

 確かに大国で侮る事は出来ないけど、以前の文化はかなり廃れて、習慣や道徳が以前とは全然違っているってな」

「ああ、それか。俺も見た事があるぞ。その後には朝鮮半島の特集もやってたよな。あんな風習をやっているなんて、びっくりしたよ。

 それでも下手に支援しようものなら、現地の自尊心を踏み躙る事になるから注意が必要だって書いてあったな。

 そんな国に支援の軍隊を出す必要があるのかよ? 放置すりゃあ良いんだ!」

「日本に一番近い国だ。隣国だからと言って無理に仲良くする必要は無いけど、必要最低限の付き合いは必要だって書いてあったぜ。

 今回もそのケースじゃ無いのか? あんな風習があるくらいだから、俺としては積極的に関係を深める必要は無いと思うぜ」


 日本が朝鮮を巡って清国と戦争になるのでは無いかという噂は秘かに広まっていた。清国の脅威を訴える新聞社があったのは事実だ。

 しかし日総新聞は冷静な報道に徹していたので、国民が不安に駆られて騒ぐ事は無かった。

 そして朝鮮を巡る清国と日本の動きを、諸外国も注目していた。


「清国と日本が動いたか。ロシアの南下を食い止める為には、朝鮮の近代化を進めた方が良いのは自明の理だ。

 日本の国力は低いから清国に任せたいが、そうなると朝鮮の近代化は進まない。両国の共同統治がベストかな?」

「清国と比較すると日本の国力は下だ。清国は面子を重んじる国だから、自分の属国を格下の国と共同統治だなんて認めないだろう。

 提案はしてみるが、駄目だろうな」

「しかし清国と日本が戦争になったら、日本の勝ち目は無いだろう。そして日本の技術が清国に渡るのは拙い。

 最近の日本が開発した色々な技術は、我が国でも欲しいくらいだからな。軍の分析はどうなっている?」

「兵力は圧倒的に清国の方が多い。しかし全軍を一度に投入できるはずも無いし、判断に迷っているところだ。

 海軍の所有する艦艇の性能と物量は、清国が優位だ。だけど軍隊の錬度は日本の方が高い。

 それと不明瞭事項もあって、中々最終判断が下せないのさ」

「不明瞭事項? 何の事だ?」

「飛行船だ。日本は世界で唯一の実用飛行船を運用している。一隻しか無いが、戦争となれば飛行船は徴発されるだろう。

 上空から敵陣を偵察すれば、簡単に相手の弱い箇所に攻撃を集中できる。無線通信機が実用化されたから情報伝達も簡単に済む。

 そうなると陸戦の結果にどう影響するか、まだ判断がつかないんだ」

「高が一隻の飛行船だろ? 過大評価じゃ無いのか?」

「我が国はまだ飛行船を運用していないから、机上だけの想定だ。具体的な事は実際にやってみないと分からない。

 それに日本が飛行船を隠匿している可能性もある。秘かに数隻もの飛行船を就役させていたら、形勢は大きく変わる」

「ふむ。敵陣の様子を攻撃前に知れば、確かに勝てる確率は上がるな。そうなると、先が読めんか。

 そう言えば、朝鮮にちょっかいを掛けている白熊はどうしている? 漁夫の利を占める絶好の機会だぞ」

「日本に出兵を止めるように連絡したらしいが、そこまでだ。まだ準備が出来ていないとして、今回は高みの見物らしい」

「アメリカは国内問題に掛かりっきりだし、距離があり過ぎるから介入は無いな。フランスも余力は無い。

 そして我が国もオーストラリアやインドの問題があるから、大規模な介入は出来ない。そうなると清国と日本の一騎打ちか」

「昔じゃあるまいし、今時の戦争で一騎打ちなんて言葉は使わないぞ。だけど今は日本に注目が集まっているのは事実だ」


 最近の日本の開発した数々の発明や新発見に、世界は注目していた。

 日本は民生品分野では目覚しいものがあったが、軍艦は海外に注文しているので軍事的には三流国家と見做されていた。

 その三流国家が、列強に負け続けとは言え大国である清国との戦争になるのは、また別の意味で注目を集めていた。

 日本が開発した真空管の電気増幅機能は、色々な分野に応用が利いて年々需要は右肩上がりだ。

 某国が日本に真空管の特許を買い取ろうと申し込んだという噂もある。

 欧州で厄介者扱いされているユダヤ人を引き取り始めた事も、列強の関心を惹いていた。

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 沙織は陣内の秘書を完全に引退して、今は自宅で出産の準備に取り掛かっていた。

 まだ引退するのは早いと沙織は思っていたが、秘書役は重労働の為に陣内が強引に決めてしまった。

 今は安定期に入っており、特にする事は無い。お腹の子供の為にゆったりとした音楽を聞きながら、妊娠中の注意事項の説明を

 以前の『くの一』の時の師匠から、楓と一緒に受けていた。


「……と言う事だよ。今は二人とも安定期だから、少しぐらいは運動しても良いが、過激な運動は控えるんだよ。

 特に沙織。旦那が望んでも駄目だから、寝るところは別にするんだよ」

「えーーー!? 真さんとの寝室から移れって言うんですか?」

「そういう事さ。どの道、最近は大本営に行く事が多くて、ろくに戻ってこれないんだろう。

 何かあったらあたしが面倒を見るんだから、あたしの部屋の近くにしな。どうせ部屋は空いているんだろう」

「そ、それはそうですけど、偶には真さんが帰ってくる時にサービスしておかないと不安ですよ。浮気されたらどうするんですか!?」

「だから駄目だって言ったろう! 楓も一緒だよ。旦那がいくら望んでも断りな! 口も胸も使用禁止だ!」

「最近は胸が大きくなってるのよね。はあ、分かりましたよ。素直に従いますよ。師匠の命令ですもんね」


 楓には肉親がいない。その為、同じ妊婦の沙織と一緒にした方が良いからという理由で、陣内が自宅に連れてきた。

 沙織と楓の二人の師匠が、面倒を見てくれるから安心だ。残る問題は、沙織と楓の関係だった。

 楓は陣内との関係を疑われるような事をした記憶は無かったが、その点は沙織の方が鋭かった。

 あっという間にばれてしまった。だが、正妻の座は譲れないが、あっさりと楓とお腹の子供の事を認めてしまった。

 修羅場を覚悟していた陣内だったが、沙織の許しを得た事で心の中で安堵の溜息をついていた。

 もっとも、沙織からはこれ以上は絶対に増やさないように太い釘を挿されている。

 ともあれ、二人の妊婦は以前の職場の先輩と後輩の関係という事もあって、良好な関係になっていた。

 陽炎機関から派遣された小雪(二人の師匠)に、沙織も楓も逆らえなかった事が影響していたかも知れない。

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『こちらは日総ラジオ放送です。本日のニュースをお知らせします。

 日総新聞は存在が噂されていた皇室の巫女様と会う事が出来ました。

 仕切りがあって御尊顔は拝見できなかったのですが、貴重な話をお聞きしました。

 1891年の濃尾地震の時は神様の啓示を受けた巫女様ですが、何やら今月に悪い事が起きそうだとの事でした。

 あの時ほどの大災害は無いとの事ですが、リスナーの皆様は御注意下さい』


 六月二十日に東京湾北部でマグニチュード七クラスの地震が発生した。(明治東京地震)

 史実でもあまり被害は出なかったが、皇室の巫女が予言したという事で少しずつ国内で噂が広まっていった。

 そして諸外国でも皇室の巫女の存在に、注目が集まりつつあった。

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 現在は朝鮮半島に清国と日本は軍を派遣している。緊張が高まっていたので、清国との戦争が発生する可能性は十分にある。

 それらを指揮する為に、参謀本部に大本営が置かれていた。陛下や軍上層部は、大本営で報告を受けて命令を下すのが普通だ。

 今回、参謀本部の敷地内に大型コンテナを積んだ大型車両が三台並んで、そこに陛下や軍上層部の面々が頻繁に出入りしていた。

 その大型車両は皇室の機密という理由で、普通の将校は中に入る事どころか、近寄る事さえ許可されなかった。

 その事で不満を持った青年将校が密談をしていた。


「あの三台の大型車両が勝手に敷地内に置かれて、陛下達が出入りしているが、俺達は駄目だと言う。

 ここは参謀本部だぞ! 俺達を蔑ろにして許されると思っているのか!?」

「陛下の勅命だぞ。諦めろ! あの大型車両の周囲は、宮内庁配下の隠密が警護しているんだ。

 あそこから戻った陛下達から、色々と俺達の知らない情報を教えられている。

 推測だが、あれは現地と直接連絡を取れるような通信機があるんじゃ無いのか?」

「まさか!? 今の無線通信機であそこまで離れている場所とは交信できないぞ!」

「あの大型車両を持ち込んだ時に、スーツ姿の若い男が陛下達と親しげに話していたろう。

 その若い男は日本総合工業の社長の陣内だ。あの無線通信機を開発した理化学研究所の親会社の代表だ。

 そんな男が持ち込んだ大型車両だ。そのくらいの装備はあるんじゃ無いのか」

「……白い大きなお椀のようなものが車の上に取り付けられているし、その可能性はあるかもな。

 だとしたら凄い事だ! ここから現地の情報が直ぐに分かるって事だぞ!」

「だから、その可能性があるって言っているんだ。それに日本総合工業は飛行船を建造した会社だ。

 陸軍や海軍の最上層部に顔が利き、新しい兵器も納入している。とにかく今は騒ぐな! 下手に騒ぐと大目玉を喰らうぞ!」


 参謀本部の将校からすると、自分達のテリトリーに大型車が駐車して、陛下達が頻繁に出入りしているのは気に入らない事だろう。

 自分が大型車両に入れないから尚更だ。人間誰しも、無視されたり軽く扱われると不満を抱く。当然の事だった。

 だが、衛星通信が出来るという事は将校達にも知られる訳にはいかず、指揮車両に出入り出来るメンバーは厳選されていた。

 そして指揮車両では現地と直接通信が出来るだけで無く、衛星軌道上から撮影された情報も見る事が出来た。

 現地の映像を見ながら、陣内達は今後の対応について話し合っていた。


「史実通りに、清国は反乱の共同討伐と朝鮮内政の共同改革を拒否したか。そして李氏朝鮮も自らの改革を拒んだ。

 史実では痺れを切らして朝鮮王宮を占拠して大院君を立てたが、今回は無い。内政干渉になるし、彼らの意見を尊重しなくてはな。

 今までの状況は国内や諸外国に報道されているのだな?」

「はい。国内は元より諸外国でも日本の行ってきた事は詳細に報道されています。

 今のところは諸外国は我が国に対して好意的です。駐清英国公使の仲介を、清国が拒否したのも効いています。

 これから、清国の派遣軍と我が国の派遣軍の間で、軍事衝突が起きます。それが戦争に発展していきます。

 それと我が国の派兵目的が、公使館と邦人の保護から朝鮮の国政改革に変わった事については、何処も突っ込んではいません」

「此処まで来ると、建前と本音の違いを気にする者はいないか。

 朝鮮王宮の反応はどうだ? あそこには数は少ないが近代式の軍隊があったな」

「我が国からの内政改革要求を拒否した後は、農民の反乱の鎮圧は清国に要請するから日本は撤退するように連絡が入りました。

 派遣部隊は近くに布陣していますので、何かありましたら直ぐに連絡が入ります」

「うむ。軍需物資は対馬に集約してあるし、それを運ぶ輸送船も大丈夫だ。増援を送り込む手筈も整っている。準備は万全だな。

 後は清国が増援の艦隊を派遣するタイミングだ。史実では宣戦布告する前に会戦が起きたが、今回は事前に行いたいものだ」

「ちょっと待って下さい! 清国側の艦隊の出航を確認しました!

 それと仁川の混成第九旅団が李氏朝鮮の奇襲を受けて現在は防戦中! 至急、海軍に支援攻撃を命じて下さい!」

「何だと!? 分かった。直ぐに指示する!」


 史実では改革を頑なに拒んだ朝鮮王宮を日本軍が占拠して大院君を立てたが、今回は何もしなかった。

 李氏朝鮮は政治的には清国寄りで、日本の派兵を歓迎していない。寧ろ、日本の派遣軍を撤退させるように求めている。

 その為、清国からの増援の情報が入ると、李氏朝鮮は日本軍に奇襲を仕掛けていた。

 もっとも部隊の規模の違いもあり、決定的な致命傷にはならなかった。若干の被害を受けたが朝鮮側の奇襲を退けていた。

 そしてこの事件は十四人の従軍記者によって、国内外に報道された。歴史は史実と違う歩みを始めていた。

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 国内外の報道機関は、派遣した日本の部隊が朝鮮の部隊によって奇襲され、被害を受けた事を報道していた。

 真意を確認しようと日本政府が李氏朝鮮に派遣した使者は殺されて、事態は決定的になっていた。

 李氏朝鮮側は単独で日本に対抗できずとも、清国の増援が来れば日本軍に勝利する事を疑ってはいなかった。

 そして良い機会だとばかりに、日本の使者を殺害した後は、国内の日本寄りの開明派の粛清を始めていった。

 その様子は金玉均の晒し首の写真と共に、世界に発信された。

 そして朝鮮の改革を求めた日本は逆に攻撃を受けた事で、世界中からの同情を集めていた。


 日本の国内世論は沸騰した。李氏朝鮮の改革を求めたが、逆に奇襲を受けたからだ。

 政府レベルでは何も支援はしていなかったが、民間ではハングル語を普及させようとした民間人も居た。(両班の妨害で失敗)

 恩を仇で返す行為だと、李氏朝鮮に非難が殺到した。もっとも、これは日本から見た考え方だ。

 李氏朝鮮側からすると、完全なお節介で内政干渉に相当する。国家の尊厳を脅かす不当な行為に見えている。

 客観的に見るとロシアの脅威が迫っている。そんな状況で近代化をせずに、鎖国が出来ると考える李氏朝鮮の肩を持つ国は少ない。

 それと朝鮮が暴挙に及んだのが、清国からの援軍を期待した為という情報が伝わると、清国への非難も強まっていた。

 そして翌日、李氏朝鮮と清国に対して宣戦布告が行われた。

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 初めての海外戦争と言う事もあって、国内は挙国一致体制になっていた。

 政治的な争いは全て中断され、緊急予算も速やかに可決された。

 戦争に否定的な考えを持つ人は少なからず居るが、戦争が決まった後に妨害するような愚か者はこの時点では皆無だった。
 既に清国と李氏朝鮮に居た日本人は軍によって保護されて、全員が日本に送り届けられていた。

 そして日本国内の朝鮮人と中国人の全員に、強制退去命令が出されていた。日本から出国した彼らは、二度と戻る事は無かった。


 伊東中将の連合艦隊は、清国の増援部隊を攻撃する為に佐世保を出航した。

 被害を受けた仁川の混成第九旅団の増援も急遽派遣された。これに同調して、飛行船部隊も秘かに行動を開始していた。

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 小国である日本が清国と李氏朝鮮に宣戦を布告をした事は、諸外国で大きく報じられていた。


「最初は清国が日本に宣戦を布告すると思っていたが、予想とは逆になったな。さて、これからどうなるか」

「清国の属国の朝鮮を取り込もうとして、袖にされたから逆切れしているだけだろ。

 戦力を比較すれば日本の負けは決定している。今のうちに日本占領の艦隊を派遣した方が良くは無いか」

「日本に資源は殆ど無いが、あの技術を清国に独占させる訳にはいかないからな。

 少し様子を見て、日本が劣勢になったら艦隊を出す事にしよう。口実は今から考えておく」

「それにしても、朝鮮から攻撃を受けた仁川の部隊が反撃に移らないのはどういう事だ? そんなに被害が大きかったんだろうか?」

「増援を待って攻勢を掛けるつもりだろう。李氏朝鮮の王宮は、清国の増援が少しでも早く来るように祈っているんじゃ無いのか」

「宣戦布告もしないで奇襲攻撃か。しかも失敗するとは情けないな。

 国内の反体制派をあんな残虐な方法で処刑しているくらいだから、我々とは考え方が違うんだな」

「ああ、金玉均の晒し首が平然と放置されているのも驚いたが、本当に生きた人間を切り刻んで処刑しているんだな。

 あの東アジア紀行の記事は眉唾物と思って読んだが、本当にあったとは驚きだ。やっぱりあそこと清国は我々とは違うな」

「以前の中国では仇の墓を暴いて、鞭を打ったいう故事があったくらいだからな。

 敵には容赦せずに、どんな手段を用いても叩きのめすのが風習になっていると言う。

 慈悲という言葉を何処かに置き忘れてしまったのかも知れない。

 アヘン戦争の時に感じた事だが、理性が感じられる中国人は皆無じゃ無いけど小数だ。奴らを従わせるのは圧倒的な力しか無い。

 あまり話し合いは期待しない方が良いぞ。その属国も同じような考え方らしいがな」

「話が逸れたな。今のところは日本からの輸出に変わりは無く、資金援助の要請も無い。しばらく静観させて貰おうか」

「そうそう、また日本人がロスチャイルド財閥に接触しているらしい。二度目も拒否されたらしいが」

「ほう。かなり輸出をしているから金を貯めていると思っていたが、やはり軍資金が心配になったのか。泣きついてくるのが楽しみだよ」


 清国と日本の戦争は、列強にとっては他人事だ。日本が勝つ事は無いだろうが、清国が勝ち過ぎても困る。

 どのタイミングで介入するかを秘かに考え始めていた。

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 李氏朝鮮の王宮は大混乱していた。

 現在の国王である高宗と王妃の閔妃は、1884年の甲申政変で清国に助けられた事から完全に清国寄りだ。

 日本が要求してくる清国からの独立や国内改革など、迷惑でしか無い。とは言え、独力では日本に対抗する力は無い。

 全土に及んだ農民の反乱の為に、首都の近くに清国と日本の軍隊が出兵してきた。そして、日本は改革を求めてきたが断っていた。

 日本軍が朝鮮王宮を占拠して高宗と閔妃を処刑するかもという噂を耳にし、清国の援軍が派遣されたのを知ると決断した。

 このまま日本軍の言う事を聞く気は無く、清国の増援に呼応して日本軍に大損害を与えられれば自分達の勝利だと確信した。

 そして仁川に居る日本の派兵部隊への攻撃を命じたのだが、無様な失敗をした。

 日本軍に与えた被害より、自軍の被害の方が遥かに大きい。これでは王宮の防衛にも支障が出てしまう。

 そして日本は李氏朝鮮にも宣戦を布告して、仁川に増援を派遣した情報も入っている。

 何時、朝鮮王宮が報復攻撃を受けるか、清国の増援はまだなのかと高宗と閔妃は不安な日々を過ごしていた。

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 朝鮮を巡って日本との関係が徐々に悪化していく中、清国政府は戦争に至っても止むを得ないと考えていた。

 現在の清国を取り巻く情勢は厳しい。列強との戦争に尽く敗北して、多くの属国を奪われたばかりか本国も侵されていた。

 面子を重んじる彼らにとって、小国の日本に属国の朝鮮を奪われるなどあってはならない事だった。

 共同統治を認めれば、自分達と日本が同格だと認める事になってしまう。それは清国にとって耐え難い事だ。

 その小癪な日本との戦争に勝利すれば、欧米が注目する技術が手に入る。日本の技術があれば、欧米に追いつけるかも知れない。

 それは列強に侵食されつつも何時かは反撃をと考える彼らにとって、かなりの誘惑になっていた。

 そして清国の最高権力者である西太后は、日本軍を撃退して、日本を占拠するように厳かに命じていた。

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 帝国陸軍と帝国海軍は清国と李氏朝鮮に正式に宣戦布告した事で、慌しく動いていた。

 そして事態の急変を受けて、天照機関も緊急会合を開いていた。


「まさか李氏朝鮮が公然と反旗を翻すとはな。これで歴史は史実と変わってしまった」

「反旗と言うが、元々彼らは清国寄りの立場だ。

 今までは我らに怯えて文句を言えなかったが、清国という虎の衣を借りてやっと本音を言っただけだ。

 史実では迅速に朝鮮王宮を占拠したから、反旗を翻す前に行動を封じた。今回は李氏朝鮮の自主性に任せた結果だ。

 まあ、予想しなかった我々にも非はある。被害を受けた仁川の部隊には悪い事をしてしまったな」

「だが、これで公然と李氏朝鮮と決別できる。後で彼らが我々の申し出を受けなかった事を後悔しても遅い。

 後は最後まで突き進むだけだ。仁川の部隊の被害は少ない。援軍が到着すれば、直ぐにでも攻勢に入れる」

「李氏朝鮮に決定的な打撃を与えるのは止めておけ。彼らは生き残らせて、その責任を取らせる。

 攻撃してきたら反撃するのは構わんが、こちらから積極的な攻撃は控えよ。今は清国への攻撃に全力を傾ける!」

「承知しております。清国の援軍の艦隊は衛星軌道からの情報で位置は判明して、伊東中将の連合艦隊に連絡済みです。

 史実通りに豊島沖で撃滅します。仁川の部隊は被害を受けましたが、十分に戦えます。援軍の到着と共に牙山の清国軍を攻撃します。

 現地の自走砲も無事ですし、既に轟雷号は現地の敵軍を補足していますので、問題はありません」

「明治になって初めての対外戦争と言う事もあって、挙国一致で戦争に挑めます。

 既に臨時予算は速やかに可決され、国内に動揺は広がってはいません。大丈夫です」

「今のところは諸外国が介入してくる気配は無い。ここで一気に清国を叩き、我が国の立場を確立させる!」


 今までの天照機関の介入の結果、歴史と史実が乖離し始めたと出席メンバーは感じていた。

 だが、とにかく今は日清戦争に勝利する事が重要だと気合を入れ、其々の仕事に取り掛かっていった。

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 史実の豊島沖は正式な宣戦布告前の七月二十五日に発生した。だが、今回は宣戦布告を済ませた状態で、海戦は始まった。

 日本側が「吉野」「秋津洲」「浪速」の三艦に対し、清国側も「済遠」「広乙」「操江」の三艦の小規模な海戦だった。

 その海域の遥か上空には高性能無線通信機を搭載した飛行船:轟光号が浮遊していた。

 衛星軌道上から確認された清国艦隊を補足した後は、轟光号が帝国海軍の第一遊撃隊に細かい指示を行った。

 史実と変わらぬ武装の下で行われた海戦は「済遠」「広乙」商船の「高陞号」を撃沈し、「操江」を鹵獲する事で史実通りに終わった。

 観戦武官も乗り込んだ海戦だったが、遥か上空の飛行船や高性能無線通信機の存在は彼らに知られる事は無かった。

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 史実の成歓の戦いの戦いは、七月二十九日に行われた。清国軍は約四千名。それを混成第九旅団が攻撃を担当した。

 そこで初めて自走砲が実戦投入された。

 轟雷号は敵陣の様子を上空から監視しており、それを混成第九旅団に連絡して突撃前の事前砲撃を行った。

 清国軍にしてみれば、戦場に大砲があるのは当然の事だが、何故こうも正確な砲撃が出来るのかが分からなかった。

 結局、清国軍は日本軍に満足な抵抗も出来ずに、約五百名の損害を出して平壌に撤退していった。

 そして従軍記者は、車両に大砲を組み込んだ自走砲を日本軍が実戦で使用した事を大々的に報道していた。

 此処でも飛行船の存在が知られる事は無かった。

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 七月の末には、混成第九旅団の騎兵隊の偵察で、平壌に清国軍約一万が集結している情報が大本営に届けられた。

 それは衛星軌道上からの監視で判明していたが、それを明かす事無く静かに報告を受けていた。

 既に第一師団と第五師団は平壌に向かっている。史実では食料不足に悩まされたが、今回は大量の軍需物資と輸送手段は確保してある。

 いざ戦争が始まれば、史実のようにタイミングを待たずに、出来るだけ攻めるつもりだ。


 日本軍が清国軍を蹴散らしていく有様を、高宗と閔妃は恐怖しながら見つめていた。

 清国軍が日本軍を撃退してくれるだろうと期待して、仁川の混成第九旅団に奇襲を掛けたが失敗した。

 日本軍の矛先が、何時自分達に向けられるか、それを恐れていた。

 まだ日本軍は自分達を攻撃していないが、それが続く保証は何処にも無い。何度も使者を日本軍に出したが、全て追い払われた。

 実権を失って返り咲きを狙っている大院君も日本軍に使者を出したが、面会も出来ずに追い払われた。

 正面が駄目なら裏からと、多くの慰安婦が送り込まれて来たが、仁川の指揮官は直ぐに追い返していた。(来た証拠は残してある)

 仁川にはまだ日本軍が居座り、済州島と巨済島と鬱陵島、それに対馬に近い釜山は日本軍に占拠された情報も入ってきた。

 首都である漢城は被害を受けていない。逃げ出したいところだが、逃げ出す先が無い。

 日本軍がまだ攻撃をしていないと言う事は、自分達を殺すつもりは無いのではと淡い期待を抱きながら不安に耐えていた。

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 史実では九月の中旬に行われた平壌の戦いだが、今回は日本軍が積極的に動いた為に八月の中旬に行われた。

 輸送用のトラックによって、兵糧と弾薬は大量に確保してある。

 そして衛星軌道上からの監視データに基づいて、上空の轟雷号からの細かい指示で日本軍は自走砲による徹底した砲撃を行った。

 大砲はこの時代の平均的なものだ。それが車両に搭載されて、高速で移動できるとなると話は違ってくる。

 今までは大砲は馬で引いていたので移動速度が遅く、進軍に間に合わない事もあったが、それが解消された。

 しかも砲撃が正確なので、尚更清国軍にとっては脅威だった。

 前線に投入できた自走砲の数は限られているが、それでも真っ先に清国軍の大砲陣地を攻撃した。

 そして、浮き足立った場所に歩兵の突撃を掛けて清国軍を撹乱した。

 日本軍にも少なくない損害は出たが、それ以上に清国軍に大きな被害を与えて平壌を占拠した。

 住民の一部は日本軍に反抗する者もいた。抵抗する者達は日本軍によって捕らえられ、一箇所に纏められるだけに止められた。

 尚、清国軍が平壌に駐留している時、慰安婦関係の詳細な記録情報が取られていたが、まだ公開される事は無かった。


 済州島と巨済島と鬱陵島は、日本軍によって占拠されていた。住民の一部が頑強に抵抗した為、全員を朝鮮半島に移送した。

 念の為に言っておくが、虐殺は発生していない。抵抗したので怪我をした住民はいたが、民間人に死者は出ていない。

 戦争中でもあり民間人の被害を防止するという名目もあって、島民全員を移送した事は問題にはならなかった。

 釜山でも民間人の抵抗に会っていた。だが、沿岸部だけの占領に止めたので、こちらも事態は沈静化していった。

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 史実では九月十七日に黄海海戦行われていた。

 史実と異なり、清国側が日本の占拠を考えている事もあって、清国艦隊は積極的に日本艦隊の索敵に努めていた。

 この時代はレーダーなど無く、目視確認しか索敵の手段は無い。その為に、通報艦という艦種が存在する。

 だが、簡単に日本艦隊が見つかる訳でも無く、清国の北洋艦隊の丁汝昌提督は内心で焦っていた。

 日本近海までの出撃は可能だ。だが、不用意に遠征すると補給の隙をつかれる可能性がある。

 その為、自国の制海権下で日本の主力艦隊を撃滅してから遠征する腹積もりだった。

 度々言うが、この時代に敵艦隊の位置を補足するのは容易な事では無い。だが、日本は衛星軌道からの目と飛行船があった。

 これにより北洋艦隊の位置は日本側に筒抜けだ。だが乗艦している観戦武官の目を誤魔化す為に、何度も偽の出撃を行ってきた。

 そして平壌の戦いに日本側が勝利すると、頃合と判断して出撃した。

 日本側は第一遊撃艦隊:坪井少将率いる「吉野」「高千穂」「秋津洲」「浪速」、連合艦隊本隊:伊藤中将率いる「松島」「千代田」

 「厳島」「橋立」「比叡」「扶桑」の全部で十隻。

 対する清国は北洋艦隊:丁汝昌提督率いる「定遠」「鎮遠」「楊威」「超勇」「靖遠」「来遠」「経遠」「致遠」「広甲」「済遠」

 「平遠」「広丙」「福龍」の十三隻だ。

 隻数でも単艦の性能でも日本側が劣っている。だが、情報という表面には出ない武器を日本は持っている。

 そして観戦武官には遭遇戦に見えるような形で、黄海海戦は始まった。

 日本側の被害は大きかったが、機動性と速射性に勝る日本海軍は、清国の北洋艦隊に勝利を収めた。

 昨年に開発された下瀬火薬も効果があったのだろう。


 そしてこの海戦では、北洋艦隊の「済遠」と「広甲」が艦ごと戦闘海域から逃げ出した。

 近代の海戦において、唯一の軍艦敵前逃亡事件だ。他の艦艇は尽く撃沈するか、鹵獲していた。

 特に以前は日本海軍の恐怖の対象だった「定遠」「鎮遠」の鹵獲は大きな成果だった。


 敵前逃亡した「広甲」は座礁して放棄され、残るは「済遠」のみだ。

 これで北洋艦隊の根拠地である威海衛を攻撃する事無く、制海権を日本側が握った。


 この海戦は観戦武官によって各国に報告され、艦隊の機動性と速射砲を主体とした砲撃戦術の有効性が世界に広まった。

 尚、史上初の軍艦の敵前逃亡事件も同時に報道されて、各国の嘲笑を誘った。そして今回も飛行船の秘密を知られる事は無かった。

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 七月に清国と李氏朝鮮に日本が宣戦布告してから、まだ二ヶ月。

 その間に陸上では成歓と平壌で戦いが行われ、海上では豊島沖と黄海で海戦が行われた。

 成歓と豊島沖は小規模な戦いだが、平壌と黄海の戦いは大規模と言って良いだろう。

 そして黄海海戦では、清国の主力の北洋艦隊を撃滅して、制海権を手に入れた。

 それらは従軍記者や観戦武官によって、国内外で大々的に報道されていた。


 日本中が歓喜に湧いていた。初めての対外戦争である事と、相手が清国という大国の為に、やはり不安を感じていた国民は多かった。

 しかも同時に李氏朝鮮まで敵にしている。本当に大丈夫なのかと言う声も多かった。

 だが蓋を開けてみれば連戦連勝だ。喜ぶのは当然だろう。

 そして各新聞社では、朝鮮全土を直ぐに占拠しろだろか、早く中国本土を占拠すべきだとか威勢の良い報道が増え出した。

 どこぞの大学教授の意見として、日本軍の大々的な大陸への侵攻を強行に主張していた。

 しかし、日総新聞と日総ラジオ放送は冷静な対応を国民に呼びかけていた。

 戦争に勝つ事は出来るだろう。敵地を占拠する事は出来るだろう。

 だが、敵意に満ちている領土を継続して支配する事が出来るのかと、冷静に国民に問いかけていた。

 冷静に日本の国力を分析し、国力以上の事を求めるべきでは無いと他の新聞社に論陣を張っていた。


「日本が戦争に勝っているんだろう! 何で、あっちの領土を占拠しちゃ拙いんだ? 列強だってやっている事じゃ無いか!?」

「そうだ、そうだ! 勝った者が正しいんだ! 俺達は朝鮮や清国の土地を奪う権利があるんだ!」

「一時的には占拠できても、それを維持するのが今の日本の国力だと困難だって言っているんだ。

 朝鮮はまだしも、中国は日本以上に人が多いんだぞ。それに負けて支配されれば恨みに思うだろう。

 そんなところを日本がずっと支配できると思ってんのか!? 毎日恨みがましい視線で見られちゃ、うんざりするぞ」

「じゃあ、どうすんだよ! 戦争に勝っても領土が増えないんじゃ損だろう!」

「それは上が考えるだろう。上だって馬鹿じゃ無い。無理しない範囲で利益を得るだろうさ。

 最初は勝てるか分からない清国相手の戦争に連戦連勝だ。それぐらいは政府に期待しても良いだろう」

「……まあ言われてみれば、そうだよな。それに戦っているのは軍人さん達だしな」

「日総新聞に書かれていたけど、今の我が国はハワイ王国やタイ王国に支援しているし、【出雲】もあるんだ。

 そちらの開発が終わっていないと言うのに、広大な未開発の領土を得ても手が回らない。

 国内だって、まだまだ開発が必要なところが多くあるんだ。今の日本に必要なのは資源だって書いてあった。

 だったら朝鮮や中国から資源を格安で手に入れるとか、色々と手はあるんじゃ無いかってさ」

「……そうだな。今の日本にはまだまだ未開発のところがあるんだよな。ハワイや南米にも結構良い条件で移住できる。

 今は無理して敵の領土を奪う必要は無いのか」

「要所は日本の領土にすると思うがな。まあ、それは頭の良い偉いさん達が考えるだろう」


 日本国内で連戦連勝の報道が為された結果、多くの国民が熱狂した。

 義勇兵で出兵したいと申し出た若者も多かったが、訓練していない者は逆に足手まといになると勅命が出された程だ。

 だが、日総新聞の冷静な記事で、落ち着いた人も多かった。

 日本国内はそんな状況だったが、諸外国はこの日清戦争を驚きの目で見つめていた。


「おい、このレポートを作った奴は左遷しておけ! 次の戦争の時には最前線に送るんだ!」

「落ち着けよ。単純な兵力じゃ清国の優位は確かだったんだからさ。俺も此処まで日本が圧勝するとは思っても無かったよ。

 しかも車両に大砲を搭載して、機動力を増した自走砲って新兵器を使ってやがる。

 それに大型のトラックを使って、大量の食料や弾薬を前線に運んでいる。

 今まで日本は民生分野しか新商品を出して来なかったが、軍事分野でも準備を進めていたんだ。

 俺達は日本に一本してやられたんだよ。素直にそれを認めろよ」

「……くそっ! 何が清国に占拠されるくらいなら、我が国が艦隊を出して日本を占拠するだ! 予定が狂ったぞ!

 ああ、忌々しい!! これからどうすりゃ良いんだ!?」

「日本は清国艦隊を破って制海権を得たが、陸戦はまだ朝鮮半島の内部だけだ。しかも占領地を増やさずに島々の占拠を進めている。

 今の日本軍が占拠しているのは島を除けば釜山と仁川だけで、平壌からは撤退しちまった。

 今後の陸戦の結果を待った方が良いんじゃ無いのか? まだ陸軍の兵数で言えば、清国の方が優位だからさ」

「まあな。日本は自らの国力の限界を知って、陸地の占拠を躊躇っている可能性もある。まだ最終判断は出来ないか。

 しかし清国の海軍も不甲斐ない! 軍艦の敵前逃亡なんて前代未聞だぞ!? まったく海軍将兵の面汚しが!!」

「だから落ち着けって! それがあそこの民族性だと思うしか無いさ。あの『東アジア紀行』にも書いてあったろう。

 この件は世界に広まっているから、清国海軍の権威は地に堕ちたな」

「後は人数だけは多い清国陸軍がどこまで抵抗できるかで、この戦争の決着がつく。

 まあ良い。軍艦の機動力と速射性が重要だと分かっただけでも、今後の参考になる」

「大きな大砲を持っていても、敵に当たらなくては意味が無い。それに大きな大砲を一発撃つよりは、小さくても多く撃った方が優位か。

 冷静に考えれば道理なんだけど、何でこんな簡単な事に誰も気がつかなかったんだろうな」

「だからこそ、実戦による戦訓は重要と言う事だ。さっそく海軍に戦術の検討を求めておく」


 日本の快勝は諸外国に驚きの目で見られていた。僅か開戦して二ヶ月で小国の日本が大国の清国に決定的な勝利を収めた。

 既に制海権を得た日本は、清国の重要な沿岸拠点を好きなタイミングで攻撃できる。

 平壌を落とした部隊は既に撤退しており、今後の日本と清国の陸軍の戦いに注目が集まっていた。

 そして清国が大敗して権益を日本に侵されるようになっても困るとして、イギリスは仲介の準備を進めていた。

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 季節はまだ夏で、暑い日が続いていた。そんな中、財閥当主が集まって、今後の事を話し合っていた。


「まさか此処まで日本が圧勝するとは、開戦前は想像すらしていなかったぞ」

「まあな。新聞報道では陸戦では自走砲が有効だと書いて、海戦では下瀬火薬が役に立ったと書いてある。

 だが、それだけでは無いな。ハワイの女神のように陣内が裏で動いたんだろう。でなければ、あそこまで圧倒的な勝利は無理だ」

「陣内から教えられた史実では、日本は清国に勝っていた。そう勘ぐる事もあるまい。

 我々は軍が勝利した後の果実を拾えば良い。あそこまで勝利したからには、かなりの領土が手に入るだろう。

 さっそく建設資材を追加で手配しておいたぞ」

「抜け目の無い奴だな。まだ領土が増えると決まった訳ではあるまい」

「今の占領地は済州島と巨済島と鬱陵島、それに釜山と仁川だ。

 李氏朝鮮の方から奇襲を仕掛けた事から、間違い無く占領中の領土は割譲させるだろう。問題は何処まで増えるかだ。

 それと清国の領土もな。史実では三国干渉があったから遼東半島は諦めるだろうが、他に何処を取るかだな。台湾は間違いないだろう」

「それは今後の戦況次第だな。しかし清国との戦争だと言うのに、国内はあまり変わらない。

 民需が圧迫されて品不足になると思って買い占めたものがあるが、値上がりしないから大損したよ」

「輸出も従来通りに行われている。史実では、戦争が始まってから慌てて船を購入したが、今回は事前に建造して用意してある。

 軍需物資も事前に備蓄しているから、慌てて海外から調達する必要は無い。その為に足元を見られた高い買い物をしなくて済む。

 寧ろ日本が負けたら商品が入って来なくなると判断した諸外国からの注文が増えて、輸出が急増したくらいだからな。

 まったく、以前は考えられなかった事だ」

「日本総合工業の飛行船も四隻が追加されて、五隻が相変わらず世界各地への遊覧飛行を続けている。

 戦争にも投入されずに、何を考えているんだか? 物資輸送にも使われているが、陣内が何を考えているか読めんな」


 戦争は民需を圧迫する。本来は民生品を生産する工場も、戦争となれば軍需品を生産せざるを得ない。

 だが事前に大量の軍需物資を溜め込んでいた事と、無闇に戦場を拡大しない事から軍需物資の消費は押さえられていた。

 この調子でいけば、史実と違って年内中には決着がつくだろうと当主は予想していた。


「そう言えば、以前に天照機関が面会を申し込んで断れたロスチャイルド財閥だが、今回はあちらから接触してきたらしい」

「ほう、初耳だな。それで面会は決まったのか。我々でさえ会えないような巨大財閥だからな。

 もし会える機会があれば、同行させて貰いたいものだ」

「いや、今は戦争中だからと断ったらしい。天照機関は戦争が始まってからも積極的にユダヤ人の移住を進めている。

 対馬以外に沖縄でも受入れ始めた。既に総数は八万人に達している。それでユダヤ人社会から圧力が掛かったらしい」

「ロスチャイルド財閥は巨大だが、同じユダヤ人から総スカンを食らうと拙いと判断した訳か。

 さて面会を断れたあちらが、どう出てくるか楽しみだな」

「今の日本は資金面では余裕があるはずだ。戦費調達の為にロスチャイルド財閥と接触する必要は無い。

 となると別の目的だろう。タイ王国か【出雲】への工作の為かも知れん」

「いや、今の戦争で得る領土の開発に莫大な資金が必要になるだろう。その事前準備かも知れんぞ。

 まあ、憶測に過ぎない。今は状況を見定めさせて貰うとしよう」

「そう言えば、陣内のところに女を送り込もうとした件はどうなった? 上手く行っているのか?」

「ああ、秘書に手を出して妊娠させた陣内が、欲求不満になるのを見越して、女を送り込もうとした件か。

 結局は接触の機会が無かった。戦争が始まってから、陣内は殆ど大本営に居る。

 自分の会社や協力会社へは電話応対で済ませている。殺気立った大本営にいる陣内に、そんな工作をする余裕は無いと諦めたよ」


 今まで、日清戦争は順調に推移していた。実際の結果から判断しても間違いない。

 だが、当事者の苦労と言うのは何時の時代にも周囲からは理解されないものだ。畑違いの人間なら尚更の事だった。

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 夏は終わり掛けていたが、まだ暑い日は続いていた。

 陣内は殆ど帰って来ず、沙織と楓、それに小雪(二人の師匠)、由維と美香が交代で自宅で待機していた。

 もう沙織と楓は臨月に入っており、来月には出産する。

 それに備えて勝浦工場に勤務している女医さんも、近くに待機しているような徹底振りだった。

 沙織と楓はほぼ同時期に出産するかも知れないと言われて、自分のお腹を優しく擦りながら二人仲良く話し合っていた。


「来月にはこの子が産まれてくるのよね。楽しみだわ。男の子かしら? それとも女の子かしら?」

「真に頼めばお腹の子の性別は分かるんだろうけど、それじゃあ楽しみが無いわよね。産まれてからのお楽しみで良いじゃ無い。

 それにしても真は全然帰って来ないわね。子供の名前も考えて欲しいのに、薄情者よね!」

「まあ戦争中ですからね。昨日の連絡では来月は戻ってこれそうだって、秘書の中山さんから連絡がありましたよ」

「本当に? 戦争だって言うのに戻って来れる余裕があるのかしら? でも出産の時に居なかったら一生文句を言ってやるわよ」

「まあまあ、男の人の仕事は大事ですからね。もっとも仕事が忙しいからって、家庭を顧みない人は困りますけど。

 でも真さんはかなり準備してくれた方だと思いますよ。その点は認めてあげましょうよ」

「まあね。子供用のベットや衣類、紙オムツから玩具まで良く揃えたわよね。それに師匠を派遣して貰ったから、何かと助かるわ。

 それに万が一に備えて近くに女医さんも居るんでしょ。まだまだ女医さんが少ないって言うのに、良く確保できたわね」

「ふふ。あたしたちの裸を他の男の人に見せたくなかったんでしょ。真さんはそういうところは可愛いですから」

「はあ。沙織も言うようになっわね。昔を思うと信じられないわ」

「人は成長するんですよ。楓さんもそうですけど、真さんもあたしも。そしてお腹の子供もね」


 楓は『くの一』としては沙織の先輩だ。だが、家庭という面から見ると、沙織の方が正妻という事で立てていた。

 沙織から見ると楓は先輩であり、陣内に色々な事を教えてくれた為に、自分も良い思いをした事はある。

 正妻の座を認めてくれたからには恩義もある楓を邪険にする事も無く、二人の関係は良好だった。


「今のうちからオムツの交換になれておかなくちゃね」

「あら、淡月光の商品だから楓さんは十分に慣れているんじゃ無いですか?」

「商品だから触ったけど、本当に使った事は無いわよ。そうだ! 真にも育児に協力して貰って、オムツ交換をして貰いましょう!」

「えーー!? 真さんにオムツ交換させるんですか?」

「そうよ! 可愛い我が子の世話をするのは当然よ! お風呂も頼むのも良いわね」

「……もしかして、急遽お風呂のリフォームを入れたのはその為?」

「そうよ。段差をつけたお風呂で赤ちゃんも入れやすいでしょ。何なら真と赤ちゃんの三人で一緒に入っても良いしね」

「……何だかそのシチュエーションだと、真さんの視線が赤ちゃんよりあたしに向けられそうなんですけど?」

「聞いた話だと、男の人って授乳に興味があるみたいだからね。もしかして飲みたいって言われるのかしら?」


 戦争は国家の一大事で、男にとっては重要な事だと普通は思われている。

 だが女性、特に妊娠中の女性にとっては、戦争よりお腹の子供の方が重要だ。

 それは性別の差と言うか、自分のお腹に赤ん坊を宿す女性にしか分からない感覚だ。

 そして来月の出産を控えて準備は着々と進められていた。そして陣内の書斎の机には、淡月光の紙オムツ交換手順書が置かれていた。

(2013. 6. 1 初版)
(2014. 3. 2 改訂一版)