陽炎機関が極秘に買収した新聞社は、イギリスのスコットランド新聞とアメリカのテキサス新聞の二社だ。
規模もそんなに大きい訳では無く、ちょっとした世論誘導に使われているが、効果はあまり大きくはない。
その二社の新聞社は、アジア周辺国家の風習や生活状況などの取材を昨年から始めていた。(日総新聞の企画を引き継いだ)
史実で朝鮮紀行を出したイザベラ・バード(ビショップ夫人)を含む複数の人に、写真を含めた取材を依頼した。
後世には失われる貴重な資料を、今のうちから写真で残しておうこうという取り組みだ。
各国の首都の様子から始まり、食生活、衛生環境、婚礼、子供を出産した女性の独特の服装、様々な風習、トイレ事情まで
細かく取材されている。良識ある人なら目を背けるような事も、事実として写真と解説付きで紹介されていた。
面子の為には平然と虚構をでっち上げたり、弱者を徹底的に攻撃するなどの、普通では絶対に馴染めない習慣もある。
ある国において、弱い立場の同国内の人間を搾取する有様は、列強の植民地からの搾取より凄まじいものがあった。
己の利益の為なら平然と同族を踏み躙る事など、実例や写真を交えて掲載されていた。
それらはイギリスとアメリカで『東アジア紀行』の名で発刊された。(勿論、この出版に日本が介入した事は知られていない)
今までアジアを詳細に紹介した本は無く、世界各地の大学の図書館に貴重な資料として各国語に翻訳されて世界中に広まっていった。
その出版物の大部分は中国大陸と朝鮮半島の事で占められていて、世界中に広まった事で後々に大きな影響を与えていった。
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九月十一日に史実通りに富岡製糸場は三井に払下げられた。
日本総合工業によって各種の新商品が開発され、そちらの方が輸出のメインとなっていた為に繊維業界はさほどは注目されていない。
とは言え、外貨を稼げる産業の一つだ。様々な効率改善の木製の機械が導入された事で、輸出額も増加していた。
そして次々に官営事業は民間に払い下げる傾向が強まっていく。
尚、淡月光の成長によって女性の労働環境は改善されていた為、『女工哀史』が現実になる事は無かった。
九月二十四日。速射砲を装備して、無煙火薬を使用する最初の帝国軍艦の吉野がイギリスで進水した。
日本は軍艦建造を列強に頼んでいた為、民間産業は発達していると評価されても、軍事力はまだまだ低いと世界から思われていた。
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オランダ領のスマトラ島には、最後の現地勢力の北部アチェ王国(イスラム王国)がある。
史実ならば徐々にオランダ軍に押されて消滅する運命だったが、今回は陽炎機関が秘かに武器と弾薬、食料を支援した為、
オランダ軍を押し返す勢いになっていた。
とは言え、陸上のみだ。制海権はオランダ軍にあり、両者の争いは容易に決着しなかった。
その日、まったく日本に関係無い人達が、物資を北部アチェ王国に運び込んでいた。
「金を貰ったから物資を此処に運んだが、これは北部アチェ王国に届くんだろう。オランダ軍にばれたら捕まるんじゃ無いのか?」
「当然だろう。お前はそんな事も知らずに運び屋をやってたのか?」
「げっ! 本当なのか? だからあんなに報酬が高いのか?」
「危険手当も入っている。それと届け出先の無人島に誰もいないからって、物資をネコババしようとは考えるな。
俺達の前の運び屋はそれをやって、海で死体で見つかったんだ。命が惜しけりゃ変な事は考えるな」
「そ、そんな事は先に言ってくれよ。オランダ軍に見つかっても駄目なんだろう。これじゃあ、やってられないぜ!」
「此処ほど良い稼ぎの仕事があればな。お前にだって食わせなくちゃ為らない子供がいるんだろ」
「そ、それはそうなんだけどさ。まったく誰が俺達の本当の雇い主なんだよ!?」
「それは知らん。積荷がイギリス製の銃と弾薬、それと食料だってのは知っているが、誰の指図かまでは知らん」
「最近は北部アチェ王国が頑張ってオランダ軍を押し返し始めたと聞くし、さっさと決着をつけて欲しいぜ」
極秘裏に日本が支援しているのを知っているのはスルタン(君主)であるムハンマド・ダウド・シャーと側近だけだ。
日本が北部アチェ王国を支援している事をオランダに知られると、色々と拙い。
その為に誰が北部アチェ王国に支援しているのかを、探られないように腐心していた。
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アメリカは原因不明の伝染病が流行っている西部地域と、太平洋側のワシントンとオレゴン州を完全に封鎖していた。
ペンシルべニアの油田地帯とデトロイトとシカゴを襲った女神の言った『この大陸の神が目覚めつつある』の言葉の為だった。
女神の言葉を疑った者もいたが、実際に今でも封鎖地域に入って、戻ってきた者はいない。
国土の約三分の一を占める広大な土地だが、これ以上刺激して被害を受けてはたまらないと反論する者は少数だった。
<<< ウィル様に作成して頂いた北米大陸地図(封鎖地域は白です) >>>
アメリカはデトロイトとシカゴの復旧を進める傍らで、東テキサス油田や南部の鉱山の開発を進めていた。
現在のアメリカ市民の意識は内側に向いており、以前のような活気は見られない。
その様子を新しい大統領は溜息をつきながら憂いていた。
「女神の襲撃を受けて国民の開拓意識は低下してしまった。国内の開発は順調だが、海外にも目を向けさせなくてはならない!」
「ですが大統領。ハワイ王国に我が国の軍艦を向けようものなら、どんな報復が来るかも予想がつきません。
それに海軍も絶対に従わないでしょう。ミッドウェー島とジョンストン島は女神の眷属の警告があって、所有権を放棄しました。
太平洋に我々の足掛かりがありません。それでも太平洋に進出するつもりですか!?」
「当然だ。ハワイ王国は避けるが、それ以外は我が国に対抗できる国は無い!
カリブ海を我が国の内海にして、太平洋に進出し、あのユーラシア大陸の東側に進出するのだ! あそこには大きな市場と資源がある。
ぐずぐずしていると、イギリスやフランス、ロシアにあそこの権益を全て持っていかれてしまうぞ!」
「で、ですが、西海岸から中国大陸は遠過ぎます!
途中で中継港が必要ですが、ハワイとミッドウェー、ジョンストン島を失った我々はどうするのです?」
「国内の被害は大きいが致命傷では無いから、予定通りにスペインを下してカリブ海とフィリピン周辺を奪うんだ!
確かにフィリピンは遠いだろう。途中で中継港は建設できないのか?」
「ウェーク島は日本に編入されてしまい、適当な島がありません。
日本はあそこに補給施設を建設していますから、もしフィリピンに進出するのでしたらウェーク島を使うのがベストかと。
スペインを落としてグアムやフィリピンを手に入れたら、大陸への足掛かりとする事が出来ます」
「……日本に燃料や食料の補給を頼むのか。我が国に建設用重機を売ったり、ハワイとの交易を独占したり、まったく忌々しい奴らだ!
良かろう! フィリピンを落す時だけだ! 後は我々だけで中国大陸に進出すれば良い!」
アメリカの膨張政策は変わってはいなかった。ハワイ王国と封鎖地域は様子を見る事にしたが、以前の計画は遂行するつもりだ。
こうしてアメリカは秘かに、スペインとの戦争の準備を進めていた。
そしてイギリス植民地であるカナダの、ブリティッシュコロンビアとアルバータ、サスカチュワン州も完全閉鎖されていた。
そのアメリカとカナダ当局の動きを確認して、陣内はアメリカの西海岸近くのシェラネバダ山脈とロッキー山脈に挟まれた地域に
インディアンの街の建設を始めていた。
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日本がフランスとの仲介を務めて賠償金を立て替えた結果、タイ王国との結びつきが強化されて日本企業の進出が始まっていた。
手始めはチャーン島(面積:約217km2)の港湾施設と倉庫群、工場群の建設だ。
此処を物資集積所や工場拠点として使用して、タイ王国の開発を支援する。同時に豊富な食料や資源を輸入する。
日本総合工業にあまり余力は無い。そして財閥系企業はハワイ王国の開発に全力を注いでいる。
そこでタイ王国に本格的に進出したのは、主に渋沢の関係する企業群だった。
チャーン島は山が多い地形だが、その平野部に巨大な港湾施設と工場群の建設が始まった。(主に日本総合工業)
同時に貧困地域のコーラート台地の開発拠点の建設も進められた。(主に渋沢系列の企業)
その開発拠点が出来れば、日本から大型の建設用重機を持ち込んで水利工事を行って、農地の開拓を積極的に進める。
コーラート台地の開発拠点には、飛行船の離発着場も建設される。
現在は日本−ベトナム−出雲の遊覧飛行ルートがあり、其々に離発着場がある。それにタイ王国も加える予定だった。
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スマトラ島には北部アチェ王国が残っていたが、制圧されるのは時間の問題と思われていた。
だが、何故か武器や弾薬を豊富に所持した北部アチェ王国が、オランダ軍に反撃を始めた。
北部アチェ王国は艦艇を持っていないので制海権はオランダ軍が握っているが、内陸部では徐々に押され始めていた。
その日、沿岸の都市の酒場でオランダ軍の士官が愚痴を零していた。
「北部アチェ王国なんて直ぐに制圧できると思っていたが、内陸部では逆に押し返され始めた。どういう事だ!?」
「誰かが奴らを支援しているんだ。でなければ、奴らがあんなに武器や弾薬を持っているはずが無い!」
「偵察に行って瀕死で戻ってきた奴が、奴らはイギリス製の武器を持っていたと報告した。直ぐに死んだから確証は無いがな。
これから抗争は激化するだろうから、そうしたら奴らの武器も判明する。それから動けば良い」
「しかし、本当に奴らはイギリス製の武器を使っているんだろうか? 何故、イギリスが奴らを支援するんだ!?」
「此処の周囲はイギリスの勢力が強いからな。我々の植民地を奪おうって魂胆だろう。何処まで植民地を欲しがるんだ!?
まったく強欲な奴らだ!」
「おいおい。まだ証拠は無いんだ。憶測で物事を断定するのは控えておけ」
そして北部アチェ王国とオランダ植民地軍の戦闘は激化していった。
当然、オランダ側も負けているばかりでは無く、一部では優勢になって敵を撃退した事もある。
敵兵士の死体と一緒に回収されたのはイギリス軍の制式銃だった為、オランダ側とイギリス側の関係は徐々に悪化していった。
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現在のオーストラリアは大混乱していた。犯人不明の数々の襲撃事件が、この地に眠る神の目覚めと関係があると噂された為だ。
この地の神とはアボリジニの神だろう。そしてアボリジニを人間扱いせずに虐殺してきた彼らは、この地の神が目覚めたら
アメリカ以上の報復を受けるのでは無いかと恐れていた。
その為に内陸部の入植地は完全に放棄された。沿岸部の都市は残っているが、市民の動揺は収まらない。
一部の市民は近いニュージーランドに逃げ出している。
<<< ウィル様に作成して頂いたオーストラリア大陸地図(放棄地域は白です) >>>
このままではオーストラリアを放棄するしか無いと現地当局者は危惧したが、何も打てる手は無かった。
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天照機関の計画の下で対馬にユダヤ人用の住居が造られ、現在はそこに約四万人ものユダヤ人が住んでいた。
ロシアやドイツ、フランスなどで迫害されている彼らを日本は受け入れた。特にロシア出身者が多かった。
もっとも、彼らにただ飯を食わせる気は無い。働ける男達は日本各地で行われている道路や鉄道、港湾施設の建設作業に従事した。
主に重機を使用した工事現場だ。彼らに重機の操作方法を覚えて貰う目的もあったからだ。
対馬に残された女子供達も、周囲の清掃とかの簡単な仕事が宛がわれていた。
そんな状況で、ユダヤ教のラビ(宗教指導者)が外務省の官吏と一緒に、ユダヤ人が住んでいる住居を訪れていた。
「おお! 子供達があんなに楽しそうに遊んでいるとは!? 日本の方々は我々に安住の地を与えて下さったのですね。
我々は欧州各地で迫害され続け、国家を持たぬ民族の悲哀さを肌身に感じて生きてきました。本当にありがたい事です」
「今は此処に約四万人のユダヤ人が生活していますが、年内までに約五万人まで増やす予定です。
それと働ける男達は、この対馬や日本各地の建設現場で働いて貰っています。日本としても彼らに助けられていますよ」
「自分がこういう事を言うのも何ですが、この対馬はそんなに大きくは無いでしょう。
こんなに我々を受け入れては食料を賄えますか? 日本は後で我々を追放する事は無いのですか?」
「この対馬だけの食料生産量では無理です。ですから諸外国から食料は輸入しています。
あなた方の受入を決めたのは上の人間なのですが、どんな目的なのか、将来的にどうするのかは我々は知らされていないのです。
明日、上の人間が此処に来ます。その時にあなた方とじっくり話したいと申しておりました。それまではお休み下さい」
「そうですか。分かりました。では、明日を楽しみにしております」
翌日、天照機関のメンバーの伊藤が現地に来て、ラビ(宗教指導者)と協議を行った。
日本は五万人のユダヤ人を受け入れて、各地の建設工事に従事してもらう計画を伝えた。女子供達の保護は当然行う。
そしてユダヤ人の実業家やロスチャイルド財閥への紹介をラビに依頼していた。
ラビとしても紹介するだけなら問題は無い。会う会わないは先方の決める事だ。
そして現時点では会う価値は無いとして、ロスチャイルド財閥は日本との面会を拒否した。
この内容は秘かにリークされ、諸外国に伝わった。
格好をつけてユダヤ人を保護したのは、日本がユダヤ資本を必要としているからだ。
タイ王国の賠償金をフランスに支払った為に資金不足に陥ったのでは無いかという噂が、諸外国に流れていった。
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日本各地の産業促進住宅街の第一期建設工事はほぼ終わって、場所によっては第二期の拡張工事が行われている場所もある。
それらの現場には日本人労働者に混じって、ユダヤ人労働者が働いていた。
建設用の重機は徐々に国内に広まっていて、かなり多くの人達が操作できるようになっている。
そんな中で、ユダヤ人への重機の操作方法の教育が重点的に行われていた。
そしてユダヤ人は受け入れてくれた日本に、協力する意思を見せていた。
肉が少ない食事に不満はあったが、日本人と同じメニューだし、仕事も重労働という訳では無い。
それよりも風力発電機や新型電灯、バイク、洗濯機、冷蔵庫を珍しそうに見ている事が多かった。
日本での普及率は高いが、まだ欧州での普及率は低い。
ラジオ受信機もそうだ。来年の正式開局の為に、各地の役所や交番、それに産業促進住宅街に普及型のラジオ受信機が置かれて、
定期的にニュースや音楽を流し始めていた。
富士山頂の電波送信塔から発信される電波を、各地で中継や増幅する施設の建設も相次いでいた。
北海道の産業促進住宅街は全部で五つある。
こちらは第二期の拡張工事がだいぶ進んでおり、多くのインディアンやアボリジニが暮らしていた。
基本的に彼らは狩猟民族であり、農耕は行わない。それに今まで工業化など考えた事も無かった。
だが、それでは困るとして、三十歳未満の人達は産業促進住宅街の中にある学校で色々な事を学んでいた。
そしてそれに納得していない人達も居た。
「何だってこんな面倒な事をしなくちゃならないんだ!? 獲物を狩って食べて寝る! それで良いじゃ無いか!
何で農業なんかする必要があるんだ!?」
「狩猟だけだと食料が不足するんだ。だから農業をする必要があるって何度も説明されたろ!
我々の居住区から白人は撤退した。まだ我々は戻れないが、何時か必ず戻るって誓っただろう!
俺達が今までの生活を続けて、工業化を進めないとまた迫害に遭ってしまう!
だから此処で勉強して、故郷に戻った時に俺達の国を立ち上げるんだ!」
「ハワイの女神が俺達の神が目覚めつつあると言ったんだろう!? 神が目覚めてくれれば、白人に天罰を加えてくれる。
それなら俺達が苦労して勉強する意味なんて、あるのかよ!?」
「そんな神頼みでどうする!? 俺達が頑張らないで神様が手を差し伸べてくれると思っているのか!?」
「そうだ! 冬でも暖かい住居や食べ物。それに服もだ。こんな生活を捨てて、前の生活に戻るのは嫌だ!」
「狩が上手くいった時は良いが、獲物が見つからない時は幼い子供も腹を空かせて泣いて困った事がある。あんな思いはもう嫌だ!
農業なんて出来ればしたくは無いが、子供の為なら我慢する!」
「それに子供達や幼子にも暖かい服を着せてやりたい。以前のような生活では、それも無理だ。俺は頑張って勉強するぞ!」
オーストラリアの方は、もうそろそろ入植者たちが全面撤退するかも知れないという状況になっていた。
入植者が全員去っても、イギリスにアボリジニが見つかれば問題になるだろう。帰還は時期を見るしか無かった。
出来ても沿岸部は無理で、内陸部にだったら何とか可能というレベルだ。
アメリカの状況も難しい。何しろ原因不明の伝染病が流行ったからこそ全面封鎖になったのだ。
もしインディアンが内陸部で生活している事が知られたら、神の目覚めを恐れて近づかなかった人間も立ち入る可能性がある。
アメリカの方も状況の変化を待つしか無かった。陸続きなので、オーストラリアより厄介だった。
それでも北米大陸ではシェラネバダ山脈とロッキー山脈に挟まれた内陸地域に、帰還した時に住む街の建設が始まっていた。
日本で保護されていた彼らはまだ故郷に戻れない事を悲しんでいたが、現地の状況を知るにつれて希望が湧いてきていた。
そして何時か故郷に戻った時の事を考えて、一刻も早く知識や経験を身に着けようと努力していた。
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日総出版は童話や技術本、女性週刊誌、SF小説、ファンタジー小説など色々な方面の本を出版していた。
国民を意識誘導する傍らで、教訓に富んだ本を普及させるのが目的だった。
学校や病院の待合所などに無償で置くなど、赤字経営は覚悟の上で普及に努めている。
色々な教訓混じりの小説に混じって、最近はアクションものとかも増えてきた。
特に五人の戦隊もの(色は五色)は、子供に人気が出始めていた。この戦隊物はハワイの五体の眷属『バハムート』から来ている。
一応、目晦ましとして原作者は某ハワイ王国の人という事になっている。
そして国内は元より、海外にも翻訳されて広まっていった。
後日になるが、その由来を知ったアメリカ人の大人の中には、その小説本を地面に叩きつける人も居たらしい。
これらの出版物は、由維と美香が深く関わっていた。(日総新聞から出向)
二人は周囲の大人から見れば、まだまだ子供だ。
子供なのだが陣内のフォローをしてきた事から、以前は日総出版の親会社の日総新聞の青山社長と同じ会議に出席した事がある。
日総出版の社長とも面識があり、以前は仕事を依頼された事がある関係だ。他の社員からしてみれば、使い難い事は間違い無い。
仕事の面白さを感じていた由維と美香は、出会いと青春の輝きを求めていたのに、何時しか他の社員に指示を出すようになっていた。
まだ若い由維と美香がその部署の仕切り役になってしまい、他の若い男から敬遠されていた。
このまま日本の改革が進んで行っても、何処かで頭打ちになると陣内は考えていた。
色々な発明や開発には自由な発想が必要になる。このままでは国民に自由な発想は育ち難くなる。
それがあるから、様々なSF小説やファンタジー小説の出版を進めていた。
民主主義を推し進めれば、自然と各自の権利が確立されて自由な発想は増えていく。
それは分かっていたが、時代背景がそれを許さなかった。それに民主主義は完璧な制度では無く、弊害も多いのだ。
だから姑息なようだが、色々な考え方がある事を世間に周知させようと努力していた。
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ハワイ王国は欧米各国との関係を絶ち、日本とだけ国交を保つ方針を示した。
そして日本政府の肝いりで財閥系の多くの企業がハワイ王国に進出し、色々な施設の建設を行っていた。
その中で一際目立つのが、王宮に隣接した場所に建設されている女神ハウメアと五体の眷属『バハムート』を祭る神殿だ。
彼らにして見れば、女神ハウメアと五体の眷属は欧米の帰化人のクーデターを防いでくれた救世主なのだ。
裏の事は天照機関の最高メンバーしか知らないので、女神を崇拝して神殿を建設するのも自然の流れかも知れない。
欧米の帰化人が買い占めた土地の多くは生粋のハワイ王国の人達に与えられ、日本から持ち込まれた農業用車両を使って
開発が進められていた。それと軽工業用の各種工場の建設も進められた。
だが、ハワイ王国は面積と人口などの要因があって、重工業分野の開発は抑えられていた。
リゾート地としても開発が進められているが、欧米の人達は絶対に近寄らないので、客は日本人ぐらいになるだろうと思われていた。
飛行船の離発着場も建設されていて、将来は観光地としての環境整備を行っていた。
ハワイの生粋の人達は、欧米の帰化人が持ち込んだ疫病によって人口を大きく減らしている。
だからこそ中国や日本からの移住者によって不足した労働力を賄っていたが、欧米の帰化人と一緒に中国人もこの地を去った。
その為にさらに労働力が不足し、その温暖な気候などの理由もあって日本からの移住者は激増していた。
そんな状況を、リリウオカラニ女王は複雑な目で見つめていた。
(ハワイ王国を乗っ取ろうとした輩はハウメア様のお力で追い払えた。でも、我が国の人口は減り過ぎたわ。
日本からの移住者が増えて、やがては日本に乗っ取られてしまうのかしら? まだ分からないわね。
私が願うのはハワイの民の幸せ。それが日本と協力して実現できれば、私は王位には拘らない。
それとも前王が日本に提案したように、連邦制を考える時が来たのかも知れないわ)
ハワイ王国が日本とだけ国交を保った事に対して、現地の資産を失ったイギリスとアメリカは日本に対して文句を言っては来なかった。
万が一にも、再びハウメアの襲撃などされたくは無かったからだ。
それに欧米以外にハワイ王国と交易できる力を持っている国など日本ぐらいしか無い。
そして日本から移住者が激増した事に、ハワイ王国の一部ではそれを憂う声も聞かれたが、それが大きな声になる事は無かった。
日本からの移住者が嘗ての欧米の帰化人と同じような事をした時は、再び女神が降臨して下さると多くのハワイの国民は信じていた。
ローマ教皇庁の計画した現代版十字軍は失敗に終わった。しかしローマ教皇庁の強硬派が諦めた訳では無かった。
表立って無理ならば隠れて行おうと、配下の暗殺部隊を秘かにハワイ王国に派遣した。
今まで背教者やキリスト教に害を為すと判断されてきた人々を、影で葬り去ってきた部隊だ。
しかし、彼らを乗せた船がハワイ王国に到着する事は無く、『バハムート』によって海の藻屑となって消え去っていた。
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淡月光のベトナム工場はまだ全部は完成していないが、一部の工場は操業を始めていた。
日本から輸送されてくるか、現地で生産される素材を、現地で雇用した若い女性従業員が手作業で組み上げてゆく。
まだ雇った女性達は三百人程度だったが、順調に生産は増えていた。
順調に見えたベトナム工場だが、その工場長室では責任者の寺島夫婦が口論していた。
「この広告は何なの!? 二十五歳未満の未婚の女性に対して、【出雲】で働かないかって何を考えているのよ!?
しかも面接者があなたですって!? まさか現地の女の子に手をだしたり、酷い事をしようとか考えてるんじゃ無いでしょうね!?」
「何だよ大声だして、みっともない。【出雲】の開発が順調に進んで日本からの移住は増えたが、大部分が男なんだ。
だから女性が不足しているから応募を出しただけだ。陣内会長からの指示さ。
あそこに若い女性が行ったら口説かれるだろうが、それに応じるかは本人の自由だろう。
嫌なら飛行船の定期便で無料で戻れると広告に書いてあるじゃ無いか。勘違いするなよ」
「あ、あら、本当に書いてあるわ。……おほほほ。あたしも目が悪くなったのかしらねえ」
「誤魔化しても駄目だぞ。まったく亭主を信用していないのかよ。お前には十分満足しているって言うのに!」
「ご、ごめんなさい! お詫びに今晩はタイの民族衣装を着てサービスするから許して、お願い!」
「……タイの民族衣装がやっときたのか。どうせ明日は休みだし、今夜は寝かせないぞ!」
「あたしもそろそろ子供が欲しいわね。看護婦さんの制服も手に入れたけど、どっちが良い?」
……夫婦当人同士が納得している趣味に、第三者があれこれ言うのは野暮というものだ。
まあ、それはさておき、【出雲】の女性不足を解消しようと、タイ王国とベトナムで独身女性の募集が掛けられたのは事実だ。
もちろん強制は無い。まあ、女不足の【出雲】に行ったら、若い男からの誘いは絶対にあるだろう。
現地で当人同士が納得して結婚する事を暗に期待した計画だが、誰も不幸になる事は無いだろうと進められていた。
もっとも、あまりに応募が多過ぎて若い女性の数が少なくなると、今度はベトナムの若い男の不満も出てくる。
微妙な匙加減を求められている寺島だった。
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日本各地の農村は、一部を除いて広い農業面積を持つ場所は多くは無い。
段々畑などもあって、効率的な農業を出来るところは限られている。
そんな農村にも小型の農作業用車両が徐々に普及して、農家の負担の軽減と効率改善になっていた。
だが、開拓が始まっている北海道は違った。人口希薄地域という事もあり、広大な平野が広がっている。
トウモロコシや小麦などの農作物を植えたり、牧畜業を営む人達もいる。そんな彼らに小型の農業用車両では物足りない。
そこで北海道には大型の農作業用車両が大々的に導入された。これがあれば、ちまちまと畑を耕したり、収穫をする事も無い。
大型の機械で一気に作業が進められる。
寒冷地に強い耐性を持つ品種も改良が進められて、日本の農作物の収穫量は徐々に上がっていった。
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勝浦工場では重化学事業部と造船事業部の第二期拡張工事が進められており、活況を呈していた。
構内には勝浦工場で製造された電車が走り、外部との連絡用の外房線には協力会社で製造された蒸気機関車が走っている。
最近では各種の車両の普及が進んでいるので、それに伴って重油やガソリンの需要が増えて、引っ切り無しに油槽船が出入りしている。
造船所では来年に備えて、高速タイプの輸送船が次々に建造されている。又、一部の工場では自走砲を製造している。
真空管やラジオ放送設備などの生産も盛んであり、構内の電車は貨物車を連結して引っ切り無しに動いていた。
そんな勝浦工場の内陸部で、巨大な飛行船五隻が同時に建造されていた。轟光、轟風、轟撃、轟鳳、轟虎だ。
五隻が並んでいるのを見ながら、陣内は沙織と飛行船の事を話していた。
「これ全部が軍に納入か。今の遊覧飛行の込み具合から考えると、一隻だけでもうちで使いたいな。軍に大盤振る舞いし過ぎたか」
「これからハワイ便やベトナム、タイ王国便も増えてきます。出来ればあと三隻ぐらいは欲しいですよ」
「来年の建造分はうちで使う事にしよう。列強から売ってくれと圧力が掛かりだしたからな。少し頭が痛い」
「列強との交渉は海外事業部に頑張って貰いましょう。本当にベトナムやタイ王国から【出雲】に出稼ぎする女の子が多いっていう
情報が入っているんですから、一隻だけじゃ直ぐにパンクしちゃいますよ」
「分かってる。とは言え来年はあれだけだからな。軍の焦りも少しは分かる。難しい問題だよ」
現在の運用している飛行船は二隻で、轟雷は陸軍が北海道で極秘訓練を行っている。
残る一隻の轟天は、日本総合工業が国内と世界の遊覧飛行に使っていた。(世間一般には轟天しか飛行船は無いと思われている)
この五隻は年内中に全て軍に引き渡される。こうして来年に向けての準備は着々と進められていた。
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日本帝国陸軍と帝国海軍も、来年に向けての準備を着々と進めていた。
陸軍は主に飛行船と自走砲の訓練に加えて、物資の輸送部隊の充実を図っていた。
これも豊富な燃料と、協力会社で製造した大型トラックのお陰だ。
保存食料や弾薬などの軍需物資の集約も順調だ。今年の一月に開発された下瀬火薬も量産に入っていた。
一方、海軍にはあまり恩恵は無い。陣内が昨年に用意したのは二万トンの高速輸送船だけだ。
今年中には追加の納入はあるだろうが、戦闘艦は無理だと言われて諦めた。
その代わりに、高性能の無線機が各艦艇に秘かに取り付けられていた。
各国の観戦武官にも見つからないように、念をいれて隠してある。
陣内の用意した衛星軌道上からの監視の目から逃げる事は出来ない。
目標の位置さえ事前に判明していれば、色々な有利な戦法も取る事ができる。こうして軍部の準備も整えられていた。
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某料亭で渋沢と陣内は密談をしていた。
「今年はハワイ王国のあれで世界は大騒ぎになったな。アメリカは大きな被害を受けて、ハワイ王国から撤退した。
欧米の各国も信じる神を貶められて、少しは大人しくなったようだ。本当に少しだけだがな。
そしてハワイ王国は日本とだけ国交を結んだ。
タイ王国のパークナム事件も日本が仲介した事で、あそこに恩義が売れたし関係も深まった。
それに日本が仲介した事で、我が国の国際的な信用が高まった。陣内君の筋書き通りになったと言う事か」
「はて、何の事でしょう。ハワイ王国に関しては私は何も関与していませんよ。
タイ王国の事も意見は出しましたが、決定したのは天照機関です。私をそんな陰謀家のように言われるのは心外ですね」
「嫌味を言っているのでは無いさ。逆に褒めているんだ。
ハワイ王国の女神の事は驚いたが、あれが出来るのは君ぐらいだろう。
私が教えてもらったのは百年くらいの社会動向だが、それ以降の科学ではあれくらいは出来るんだろう。
機密事項だろうから、それ以上は聞かない事にするさ。
話は変わるが、タイ王国の方は私の関連企業がメインで進めて良いのかね? 日本総合工業はチャーン島にしか進出しないのか?」
「まだまだ国内の工業化を進めないといけないですし、来年のあれがあります。ですからチャーン島の施設の建設が限界ですよ。
勝浦工場の第二期の拡張工事が終わったら、用地を確保して貰った北海道と四国の工場建設に取り掛かります。
【出雲】の開発も手は抜けませんし、タイ王国の開発は渋沢先生に任せます」
「分かった。当面はタイ王国の農業改革に重点を置くが、工業化も協力を求められているんだ。少しは君に協力して欲しいな」
「具体的には?」
「まず東北部のコーラート台地の開発用に大型の建設用重機が欲しい。できるだけ多くだ。
それに工業化を進める為に、工作機械を輸出したい。勿論、日本総合工業にも何らかの利権は用意させてもらうがね」
「……大型の建設用重機は国内でも需要が多くて品薄ですが、何とか都合をつけましょう。
小型タイプなら協力会社で生産していますので、そちらを回します。
工作機械も初期型の普及用なら、万が一にも他国に渡っても大丈夫でしょうから協力します。それで利権とは何ですか?」
「コーラート台地にも地下資源は眠っているからな。それを優先的に供給するようにするさ。
それとタイ王国の女性は日本人と見間違うほど似ているし、美人も多い。淡月光の良い拠点になるだろう」
「チャーン島の所有権は天照機関にあって、我が社はあそこに中継拠点を築くつもりなんですよ。
分かりました。それでお願いします。それと良い人材がいたら【出雲】に送り込みたいですしね」
「今もタイ王国から若い女性が募集に応じて【出雲】に大勢が向かっていると聞いているぞ。まったく手広くやっているな。
それに、飛行船の遊覧飛行は大人気じゃ無いか。女子供達が大騒ぎしているのは知っているが、私も乗ってみたいくらいだぞ」
「試乗の時には都合が悪かったんですよね。分かりました。
後で時間の都合がつく日時を連絡いただけましたら、チケットは私の方で用意しておきます」
「良いのか? ならば【出雲】便を頼む。やはり一度は見ておきたいからな。それと話は変わるが、来年の準備は順調なのかね?
日本語に翻訳された『東アジア紀行』を読んだが、来年の準備だなと気がついたよ。
いささか露骨過ぎる表現もあったが、後世に残したい資料だ。あれがあれば、だいぶ日本の主張が通り易くなるだろう」
「それが目的です。日本が介入する前の状態を第三者が記録して発表したものですから、それが真実になります。
世界各国でも珍しがられて、研究室や大学にも大量に配布されていますから、言い逃れは出来ません。
彼らの逃げ道を塞いだだけです」
「辛辣だな。軍の方も大丈夫なんだろう」
「勿論です。機密ですから、如何に渋沢先生とは言っても教えられませんが」
来年の戦争には自走砲や飛行船が投入される予定で、軍は訓練を行っていた。だが、どちらも一般には公開されてはいない。
飛行船は多くの市民を遊覧飛行で乗せているので、空飛ぶ客船だと思われていた。
こういうものは、使い方一つで大きな影響が与えられる。その事を一般市民は後で知る事になるのだった。
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日本の横浜には外国人商人が大勢いる。
特に最近の日本は異常なほど発展しており、日本の製品が求められる事が多くなったので、多くの商人が集まっていた。
そんな彼らもクリスマスの習慣は忘れない。それは生活の一部と化している。
ハワイの女神がローマ教皇庁を襲撃して自分達の神を貶めた事があったが、身についた習慣というのは容易には変えられない。
そしてクリスマスを終えた各国の商人は親睦と情報交換を兼ねて、ある商館の一室で酒を飲み交わしていた。
「今年は一月から大事件があったが、何とか無事に年を越せそうだな。まったくあんな事が起きるなんて、想像さえした事は無かったよ」
「ハワイ王国の女神の事か。アメリカが大きな被害を受けて、大量の物資を売り込めるだろうと思って買い占めたが、
結局はアメリカ国内だけで済ましてしまった。おかげで大損したぞ。まったく誰が責任を取ってくれるんだ!?」
「アメリカの弱みに付け込もうとした自業自得だろう。精々後悔するんだな。
それよりローマ教皇庁を襲撃されても、思ったほどは影響が少なかったのが幸いだ。
まさか神なんてものが実在するなんて、誰も想像しなかったし、しかも我々の神が否定されてしまったんだからな。
多くの信者が暴動ぐらい起こすのかと思ったよ」
「自分に直接被害が無ければ、都合の悪い事は誰でも直ぐに忘れたがるものさ。
アメリカやオーストラリアの神が目覚めつつあるという事だが、他の神は目覚める気配は無い。実在するかさえ疑わしい。
自分に影響が無ければ、今までと同じことをするのが人間だよ。触らぬ神に祟り無しという諺もある」
「俺はデトロイトとシカゴを見てきたが、凄まじい破壊の後だったよ。あれが女神の天罰というなら、二度と関わりたくは無い」
「アメリカとカナダはインディアンが多く住んでいた内陸部を完全に封鎖した。
国土の三分の一を封鎖したのに、デトロイトとシカゴの復旧は急ピッチで進められている。さすがはアメリカだな。
それに比べてカナダは勢いが衰退していて、オーストラリアは全員が逃げ出しそうな気配だ。イギリスもとうとう落ち目になったか」
「何を言う。オランダこそスマトラ島の先住民から反撃を受けて、被害が甚大だと聞く。それに他の島でも反乱が相次いでいるんだろう。
オランダが東インド植民地を放棄するのは何時なんだ?」
「その反乱している先住民にイギリス製の武器が渡っているんだ。それが無ければあんな奴らは一蹴してやるさ。
こそこそと奴らに武器を支援しやがって、イギリスは我がオランダと全面戦争するつもりなのか?」
「心外だな。我が国の兵器が優秀だから、何処かの輩が横流ししたんだろう。
我が国がスマトラ島の先住民たちを支援している直接的な証拠はあるのか?」
スマトラ島の現地勢力が反撃を開始し、オランダ軍が押されている情報はかなり知れ渡っていた。
しかも現地勢力にイギリス製の武器と弾薬が大量に使われているという情報もある。
イギリス政府もこの噂を聞きつけて調査を始めたが、芳しい成果はあがっていない。
その為にイギリスとオランダの関係が徐々に悪化しており、商人同士でも言い争う程になっていた。
「おいおい、ここは親睦を深める場だ。喧嘩は控えてくれないか」
「まったくだ。今年は何となく嫌な年だったんだ。最後でも気まずくしたくは無い」
「我々にとっては良い年とは言えなかったが、この日本は順調そのものだな」
「認めたくは無いがな。例年のごとく新年早々に新商品を発表した。糖尿病の治療薬は馬鹿売れだし、飛行船も大人気だ。
我が国は飛行船を売って欲しいと交渉したが、まだ安全の検証が済んでいないと断られた。
遊覧飛行をしているくせに、何が安全の検証が済んでいないだ! 早く二隻目を建造しろよな!」
「俺も乗ってみたが、ほとんど振動は無くて、本当に空飛ぶ豪華客船だよ。
船と違って最短コースを取れるし、速度も出るから移動が楽だ。本当に俺の商会でも一隻ぐらいは欲しいもんだ」
「今までの新商品もまだまだ売れている。特にあの真空管は他ではまだ作れないから、大きな利益が出ているんだろうな。
まったく羨ましい限りだよ」
「それを言ったらハワイ王国と唯一国交を結んでいる。
もっともハワイ王国に資源がある訳でも無いし、太平洋の中継港ぐらいにしか使えないがな」
「それでもアメリカや南米との交易の窓口に使えるだろう。何でもハワイ王国に海軍をつくるらしいが、日本海軍が協力するんだと。
まだまだ実力不足の日本海軍の協力だなんて、笑っちまうけどな」
「しかし、フランスとタイ王国の戦争に日本が介入してきたのは驚いたな。軍事的には三流国の日本がしゃしゃり出てくるんだからな。
しかもフランスへの賠償金を立て替えたとは、そんなに日本は儲かっていたのか?」
「あれだけの新商品を輸出しているからな。各国はまだ開発に成功していないという事は、しばらくは日本の輸出が止まる事は無い。
最低でも数年は日本の輸出が増え続ける事は確実だろうな。特にあの真空管の特許が大きい」
「あれがあれば、かなりの稼ぎがあるからな。噂だけど、何処かの国が日本に真空管の特許と製造設備を売れと交渉しているらしい」
「へえ? 何処の国だ?」
「いや、噂だけで何処とは聞いていない。何処か落ち目の国だろうがな」
「ちょっと待て。羽振りが良さそうな日本だが、内実は違うのかも知れん。日本が数万人のユダヤ人を受け入れたのは知っているだろう。
それでラビにロスチャイルド財閥を紹介してくれと頼んだが、ロスチャイルドの方から面会を断ったらしい。
憶測だが、フランスへ賠償金を支払ったから金に困って、ロスチャイルド財閥の資金を当てにしたんじゃ無いのか?」
「ほお、初耳だな。しかし事実だとすれば、辻褄が合うな。
日本は国内改革を初めとして、【出雲】やハワイ王国、タイ王国でも開発を行っているから、資金不足になった可能性は十分にある。
やはり身の程を弁えていない三流国か」
「フランスとの仲介を行って評判が上がった日本が不平等条約の改正に動き始めたと聞くが、そんな事では当分は無理だろうな。
まだまだ軍艦を海外に発注しているくらいだからな。日本は民間用の輸送船を造っていれば十分だよ」
自走砲や飛行船の訓練は秘かに行われており、日本が戦争の準備を進めている事は極秘にされていた。
民生用の新商品を次々に開発した事は諸外国に認められていたが、それでも国家の基幹となる戦艦を海外に頼んでいるようでは
まだまだ三流国という評価だった。
ハワイの女神が降臨してアメリカとローマ教皇庁に被害を与えた事で、欧米各国は占い師とか魔女組織への接触を再び始めていた。
時代は科学技術が広まっているが、秘かに神秘主義も浸透しつつあった。
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東アジア紀行はイギリスとアメリカの新聞社(陽炎機関が買収)が出版した本だ。
主に中国大陸や朝鮮半島の様子が細かく取材されて、各国語に翻訳されて世界中に配布していた。
李氏朝鮮の王宮も取材の中に含まれていた。そして取材させて貰ったお礼として、翻訳された東アジア紀行が届けられた。
その内容を見て、閔妃は激怒していた。
李氏朝鮮の王宮内の写真撮影も許可したのだが、清国と比較して異様に劣っている。
取材者の感想に『李氏朝鮮では服の色は基本は白で、染める技術が普及していない』などのコメントもある。
首都の不衛生な状態や、二階建ての建築物が無いなど克明に記録してある。
現在の朝鮮の文化財の状態なども細かく記載されていた。それと貧しい一般市民の様子も写真つきで紹介されていた。
閔妃は翻訳された東アジア紀行を投げ捨て、白い服を着ている女官に焼き捨てるように命令していた。
現在の李氏朝鮮は政治的には清国に大きく偏っていた。開国を求めた独立党が、清国に従属する事大党に敗れた為だった。
だが、経済的には日本の方が影響は大きく、日清修好条規の為に軍事的には日本も朝鮮に干渉しえる立場にあった。
そして支配者層の両班は有能とは言い難く、民衆から搾取ばかりして国の発展に何も寄与していない。
列強の植民地支配を上回る搾取を行っているので、一般民衆の不満は極限に近づきつつあった。
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清国は広大な中国大陸を支配しているが、完全に時代に乗り遅れて政府の人材は枯渇していた。
民間では列強との交流もあって現実を理解している人も居たが、清国の政府や皇帝は現実を理解していると言えるだろうか?
列強が様々な清国の権益を奪い、清国は瀕死の病人、いや棺桶に片足を踏み入れている状態と言っていいだろう。
政府が力を失いつつある中で、力を溜めているのは各地の財閥だった。
「今年もあまり変化は無かったな。このまま列強の支配が強まっていくだけなのか!?
アヘンの流入は増える一方で、我々の富が海外に吸い出されていく。早く何とかしないと、国が滅んでしまうぞ」
「清王朝は当てには出来んし、我々だけで列強に対抗する事は不可能だ。何としても奴らの力を取り込まなくては無理だ」
「日本から色々な商品を購入しようとしたが、あっさりと断ってきた。まったく何様だと思っているんだ!?
態々金を出して商品を買ってやろうと言うのに、恩知らずどもが!」
「過去には我々に媚を売った連中だが、恩を忘れて一人勝ちしているなど、断じて認められん!
まったく我が国の古来の神が目覚めてはくれぬのか? そうしたら、欧米の奴らや日本に天罰を下してくれるだろう」
「古来の神と言っても、今の清王朝は満州族だからな。漢族の神が助けてくれる訳が無かろう。
そもそも神頼みをするなど馬鹿げた事だ。確かにハワイの女神の件は驚いたが、他の地域で神が目覚めたとは聞かぬ。
そんなものを当てにする程、我らは落ちぶれてはいない」
「やはり時間を掛けて列強の中に入り込み、奴らの技術を取り入れるしか手は無いのか?」
「今のところはな。アメリカに渡った奴らの一部は、封鎖地域に入って伝染病にやられたらしいが、まだ残りは十分に居る。
それに欧州も残っている。そちらに期待するしかあるまい。それと国内の欧米の奴らに賄賂を渡して、技術を得るのも一つの手だ」
「それにしても癪に障るのは日本だ。ハワイ王国と唯一の国交を結んで、太平洋の中継港を手に入れた。
中東の【出雲】やベトナム、タイ王国にまで進出の手を伸ばしている。そんな余力があれば、我が国に貢げば良いんだ!」
「最近は例の『東アジア紀行』で、我々や朝鮮半島の慣習が世界に知られ始めてしまった。
あまり我々の悪評が広まると、秘かな拡大戦略にも支障が出るぞ。少し注意した方が良い」
「注意すると言っても、配下でも無い奴らに命令できる訳が無い。
それより朝鮮半島の無能な両班の搾取が進んで、平民どもの不満が溜まって爆発寸前という報告が入ってきている。
そちらを注意した方が良いかも知れん」
清国と朝鮮半島は陸続きの為に、情報も入り易い。中国各地の財閥は、朝鮮の危険な兆候を掴んでいた。
そして翌年にやはりと言う思いをする事になるのだった。
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第五回目の日本総合工業の忘年会の翌日は、陣内は家でゆっくりしていた。
由維と美香は日総新聞に移籍になったが、そこから子会社の日総出版に出向している。
平日はその近隣に住んでいるが、週末は勝浦の陣内のところに帰ってくる。
沙織は二人の為の食事を鼻歌を歌いながら作っていた。最近はやたらと機嫌が良いのだが、昨日の忘年会は一滴の酒も飲まなかった。
酒は好きなはずなのに不思議だと思っていると、由維と美香が帰ってきた。
「ただいま!」 「はあ、やっぱりこっちの方が落ち着くわ!」
「おかえり。今は沙織が食事を作っているから、待ってくれ。それにしても日総出版じゃあ、由維と美香が仕切っていると聞いてるぞ。
お淑やかにして出会いを求めて行ったのに、社員の男達を顎で使ってどうするんだ? また職場を変えるのか?」
「ううん。あそこは覇気がある社員はいないけど、仕事が気にいったからしばらくは居るわ。
それにしても翻訳版の『東アジア紀行』を出版したけど、かなりの反響よ。これで国内工作は進むわよね」
「まったく、そこまで由維と美香は頑張らなくても良いからな。それより良い男を捜すんだろう。スポーツでもやったらどうだ?」
「今は仕事が面白くなったから、そっちを優先させるわよ。行かず後家にはならないように努力するけどさ」
「そうそう。楓さんみたいに格好良く仕事するのも良いけど、やっぱり女の幸せは欲しいもんね」
由維と美香は勝浦工場の仕事が忙しくて不満を抱えていたが、職場が変わった事で仕事への情熱を燃やしていた。
二人はまだ若いし、そのうちに相手が見つかるだろうと陣内はそれ以上の小言は止める事にした。
その時、料理が出来たらしく沙織が台所から運んできた。
そして陣内と由維と美香の三人が居る事を確認すると、顔に満面の笑みを湛えながら衝撃的な事実を告げていた。
「真さん。昨日は忘年会だったから言いそびれたけど、今は二ヶ月なの。夏頃には家族が増えるから宜しくね」
「えっ、沙織さん、それっておめでたなの!?」
「凄い! おめでとうございます!」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 沙織は薬を飲んでいたんじゃ無かったのか!?
「ああ、あれね。ちょっと忙しくて飲むのを忘れちゃった時があったの。えへっ」
陣内は頭をハンマーで殴られたような強い衝撃を感じていた。身に覚えが無いとは言わない。寧ろあり過ぎる。
だが、来年には日清戦争が発生するので、沙織との結婚は終了後の二年後と思って動いてきた。
今のままではちょうど戦争勃発する頃に、赤ん坊が産まれる。
いや、嬉しいのは間違い無い。だけど何も国家の大イベントに合わせなくてもという思いは強い。
あまりの衝撃に頭の中が真っ白になって、しばらくはまともに考えられなくなってしまった陣内だった。
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陣内と一緒にこの時代にやって来た魂を持った幼児(三歳)は1893年末の時点で、28名が生き延びていた。
前世の記憶を持っていて、今の自分の境遇に発狂した者もいる。まだ記憶が戻っていない幼児もいる。
幼児ではあり得ない言葉を口走って、親から敬遠されて捨てられた子供もいる。
利口な幼児であれば、まだ忍耐の時と感じて我慢するだろう。その我慢が出来ない幼児は次々に消え去っていった。
彼らが今後の歴史にどう関与してくるのか、今は誰も分からなかった。
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(あとがき)
第一章:日本改革編はこれで終了。第二章は日清戦争編になります。
読み返すと自分でも辛辣な事を書いていると思います。しかし、現代と違って当時は別の考え方が主流でした。
今と違う常識に支配されていた時代に沿った、自分なりの考え方を書きました。
過去の資料を読み返すと、当時には今では信じられないような事が平気で行われていました。
それらを言いたい為に、拙作を書き始めたようなものです。最終的には平和な時代も書くつもりです。
しかし、それは安易に得られるものでは無く、それに至る経緯を暇潰し小説として楽しんでいただければ幸いです。
(2013. 5.25 初版)
(2014. 2.23 改訂一版)
管理人の感想
投稿お疲れ様でした。
キリスト教の権威が低下していますね……十字軍は大敗するし、ローマも攻撃されるしと踏んだり蹴ったりと言えます。
アメリカとオーストラリアも低迷中。まぁ先住民殺して国を作った人間達ですから、そこまで同情はしませんが(笑)。
さて次はいよいよ日清戦争。清国をどのような方法で降すのか非常に楽しみです。
……まぁあの国は清王朝が滅んでも、また別の王朝が復活して日本に迷惑をかけてきそうですが。