皇居の年頭の行事が終わった後で、天照機関の二回目の新年会が行われていた。

 国内改革は順調に進んでいるが、今年は海外で大きな動きがある。その準備も済んでいた。

 日本が初めて本格的な海外工作を行う記念すべき年になる。出席者は期待に満ちた雰囲気で新年会に出ていた。


「昨年も国内改革は順調に進んだ。そして今年は海外で大きな変化があるし、我々にも大きく関わってくるだろう。

 その準備は出来ているが、待つというのは嫌なものだな」

「日本も海外工作が出来る程に成長した事を喜ぶべきなのか微妙なところだな。【出雲】の様子はどうなっている?」

「ファイラカ島の港湾施設の第一次工事は終了しました。軍港としてはまだ機能しませんが、物資集積所として使っています。

 沿岸部の港湾施設も完成し、軽工業工場群は約三割、重化学コンビナート群は約二割の完成度です。

 昨年の屋内農場の収穫が順調でしたので、昨年の末から屋内農場を約十倍に拡大する工事を行っています。

 これで食料の現地供給の目処が立ちましたので、移住を大々的に進めます。

 砂漠の緑化は微妙ですね。理化学研究所で開発した品種を使っていますが、効果は期待した程は出ていません。

 引き続き品種改良を進めると同時に、少しでも砂漠の緑化を進めます。海水の淡水化プラントも現地で増設工事を始めています」

「まだまだ【出雲】の開発に時間が掛かるが、仕方あるまい。周囲はイスラム勢力だから、協調しながら進めなくてはな。

 本題のハワイ王国の状況はどうだ? あれが今年の目玉だぞ」

「アメリカ勢力は着々と準備を進めていますが、我々も準備を整えています。

 現地の王党派勢力と接触して、秘かに軍事訓練を行った者は約三百人。武器もウェーク島から運び込んであります。

 当然ですが、日本が表立って彼らを支援する事は出来ませんので、極秘裏に支援する体制は整えてあります」

「切り札の準備も完了しています。それと後始末の方もです。特に後始末の方は国内の財閥グループに協力を支援します。

 資材も大量にウェーク島に運び込んであります」

「うむ。日本が初めて行う海外工作だ。少々緊張するな」

「緊張どころでは無い。あれが成功すれば世界は大きな衝撃を受ける。下手をすれば世界の勢力範囲が書き換わる可能性もある。

 我々に影響は少ないだろうが、高みの見物という訳にもいかぬ」

「主に被害を受けるのは欧米です。今までの自分本位の行動の反省になれば良いのですが、それは無理でしょう。

 インディアンとアボリジニの工作にも影響してきますから、被害範囲を何処までに留めるかはまだ検討が終わっていません」

「早急に済ませろ。彼らを滅ぼすのが目的では無い。警告を与えて反省を促すのが目的だ。無差別攻撃は認められぬぞ。

 彼らより弱い我々が警告を与えるのも違和感はあるが、今の世界の時流に訓戒も必要だからな。少しでも未来の被害を抑える為だ」

「それは承知しています。この極秘作戦に関しては、私が全面的に指揮をとります」

「うむ。陽炎機関は半蔵に直接指揮を執らせる。失敗の無いようにな」


 李氏朝鮮を廻って清国との関係が徐々に悪化しており、史実では来年に戦争が勃発する。

 本来なら戦争準備に全力を注ぐべきだが、周囲の環境は待ってはくれない。

 ハワイ王国がそうだ。今年の一月にもアメリカ軍主導のクーデターが発生して、史実ではハワイ王国は滅亡した。

 その回避計画を天照機関は進めてきた。当然の事だが、ハワイ王国には何も連絡はしていない。日本の単独計画だ。

 日本はハワイ王国を占拠する気は無い。国力が不足している事もあるが、太平洋の要衝に友好国があるのは何かと好都合だ。

 その為にハワイ王国存続の工作を進めていた。ハワイ王国に進出しているイギリスやアメリカは大きな被害を受けるだろうが、

 伝染病を持ち込んで先住民の多くを死亡させたり、土地を買い占めて搾取をしたりなどの行為の因果応報の時だと思っていた。


「ハワイ王国はそのくらいだな。後は日清戦争の準備を急げ。国内の産業基盤が出来つつある今なら大丈夫だろう。

 基礎工業力は十分とは言えないが、それでも以前とは比較にならない程に成長している」

「はい。海軍は輸送船しか用意できませんが、索敵は任せて下さい。敵艦隊の位置は無線で連絡します。

 陸軍は大量の物資輸送用のトラックと、自走砲を用意します」

「あの自走砲の評判は良いぞ。あれが大量にあれば、こちらの損害は少なくて敵軍を制圧できる。是非とも早く納入して貰いたい」

「物資輸送用のトラックが大量にあれば、前線で物資不足に悩まされる事は無くなる。助かるよ」

「自走砲とトラックは既に我が社と協力会社で生産に入っています。小火器は我が社が絡まなくても良いですよね」

「出来れば高性能タイプが欲しいが、あまり贅沢を言えないのは分かっている。自走砲だけでも助かる。

 それと飛行船だ。轟雷号と言ったな。飛行船の訓練を僻地で行っているが、空を自由に飛べるというのは素晴らしい。

 風が強いと流され易いという問題はあるが、それは運用で何とかするつもりだ」

「轟雷号で訓練を進めて下さい。今年中に最低でも五隻は追加建造します。それが来年の戦争の切り札になるでしょう。

 アメリカから秘かにヘリウムを運び込んでおり、既に二百隻分以上の在庫は確保してあります。

 ですが、そのうちにアメリカ政府にも知られるでしょう。第三国経由で誤魔化してありますが、輸出禁止になる可能性もあります。

 海底のヘリウムが眠っている場所は知ってはいるのですが、出来るだけアメリカの資源を使いたいと考えています」

「飛行船が使えれば偵察にも役立つし、色々と用途は多いからな。陸軍でも飛行船の部隊を編成する方向で動いている」

「理化学研究所が飛行船を開発したと発表した直後にデモ飛行を行います。轟天号は民生分野で、宣伝と輸送で使います。

 それで各国に飛行船の効果を周知して貰います。宜しいですね」

「ああ、任せる。それと対馬にユダヤ人保護区を設けたが、受入は何時から行うのだ?」

「あれか。現在は約二万人分の簡易住居を用意してあるが、年内中には五万人に拡大する。

 そろそろ外務省が極秘裏にユダヤ人組織と接触する。最近はユダヤ人が欧州から追放される動きが活発化している。

 北米大陸の内陸部が封鎖された事から、対馬に移住してくるユダヤ人も多いだろう」

「世界に進出するには各国のユダヤ人を味方につければ心強い。それに資金面でも期待できるだろうしな。

 彼らの迫害が強まっている今、支援の手を差し伸べる効果は高い。計画は成功するだろう」


 今年の海外工作の目玉はハワイ王国だ。翌年には日清戦争が迫っている今、その準備も怠る事は出来なかった。

 放浪民族だが世界各地に勢力を根付かせ、経済的には大勢力と言って良いユダヤ民族に天照機関は接触を始めていた。

 彼らの持つ経済力と人脈は軽視は出来ない。

 それを日本の為に使えればどれほどの効果が出るか、それを正確に見通せる者は誰も居なかった。

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 日総新聞は理化学研究所の公式発表を掲載した新聞を出していた。くどいようだが他社は報道していない独占スクープだ。


『理化学研究所の北垣代表は、糖尿病患者用の治療薬の『インシュリン』を開発したと発表した。

 糖尿病を患っている患者は世界各国に多く存在するが、現在はその治療薬は無い。

 『インシュリン』は糖尿病を完治させるものでは無く、その症状を抑える治療薬だが、その期待は大きい。

 尚、この摂取には医者の診断が必要になるとされて、一般向けの販売は無く、主に医療機関向けの販売になる。


 さらに北垣代表は飛行船を開発し、既に一隻を建造してテスト飛行中だと発表した。

 轟天号と名づけられた飛行船は日本総合工業で建造され、明日にでも公開飛行を千葉で行う。

 船と比較すると大量の物資は運べないが、それでも人類が空を手に入れた記念すべきものだ。

 総員で約百五十名が乗り込めて最高速度は時速百キロを上回り、航続距離は数千キロにも及ぶという完全な実用機だ。

 日本総合工業は【出雲】への輸送手段に使用し、実績が上がってから観光用の運用も検討すると発表している。


 最後にラジオ放送用の大出力送信機と、安価なラジオ受信機の開発に成功したと発表した。

 このラジオ放送は富士山頂の電波送信塔を使用して行われる。今年中に試験を行い、来年から正式に放送を開始する。

 尚、普及を促進させる為に、安価なラジオ受信機は各地の公官庁施設や交番に無償で設置される』


 理化学研究所以外には、カッターナイフや果物皮むき器などの民生品が他の会社(日本総合工業の協力会社)で開発されたと発表した。

 電気の普及が進み、様々な家電製品も普及してきた。

 まだ電子レンジなどは時期的に早いと判断された為に、小道具系の普及を進める事にしていた。

 カッターナイフは昭和31年に日本で開発されたもので、便利グッズに相当する。

 果物皮むき器も主婦に喜ばれるだろう。国内では様々な販売ルートがあり、海外では主に淡月光の販売ルートを使う予定だった。

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 昨年と同じく正月休み明けの初日に理化学研究所から、新商品の発表があった事は諸外国の注目を集めていた。


「また今年も新年早々に新技術を発表か。糖尿病は医療関係だし、ラジオ放送は無線通信機の延長だろうから、まだ納得できる。

 しかし日本が飛行船を開発したとはどういう事なんだ!? 乗組員を除いても百人の客を乗せられるなんて完全な実用機じゃないか!」

「日本の現地駐在員が公開飛行の現場に行って試乗したが、全然揺れが無くて安定しているとの報告だ。

 どうやって浮かせているのかの詳細説明は無かったが、水素を使っているのかも知れん。

 しかし日本が飛行船を開発か。これで人類は空を自由に飛べるようになったが、主導権を日本に握られるのは拙い」

「日本に飛行船の購入を打診してみるか。それとトムソン部長は糖尿病の治療薬を早く手に入れろって煩いんだ。

 病院関係からも引っ切り無しに購入手配の依頼が来ている。さっそく日本と交渉してみるよ」

「良いだろう。ついでにカッターナイフと果物皮むき器の手配も頼む。うちの嫁が欲しがっているんだ」

「発電機や電灯から始まって、日本では新商品ラッシュ続きだ。他の国でも新発見は色々とあるが、日本はどこか異常だぞ。

 理化学研究所はそんなに優秀なブレーンを抱えているのか!?」

「代表と会った事はあるが、企業機密という事で教えてはくれなかったな。一部の設備を見せて貰ったが、最新鋭品揃いだったぞ」


 別に日本は新商品や新発見を独占している訳では無い。とは言え、日本の発表する新商品はどれも売れ筋のものであり、

 直ぐに量販が始められている事から、疑惑の視線が向けられていた。

 世界中に広まっているのは電気や医療関係ばかりでは無い。女性専用用品でも日本は一大販売網を築き上げつつあった。


「淡月光も何時の間にか、かなり浸透してしまった。同じような物の国産品はあるけど、品質は日本製の方が良いんだとさ。

 うちの嫁さんが言ってたよ。お茶や日本の工芸品を買いやがって」

「ちょっと前に日本から流出した美術品を持っていた奴が、淡月光が出回る前に売ってしまった事があったよ。

 ドゴール商会ってとこに売ったんだが、持ち続けていればもっと高く売れたかもと後悔していたな」

「最近はやたらと日本、日本と煩いよな。アメリカの内陸部で変な伝染病が大流行して、広大な地域が閉鎖された事は知ってるよな。

 インディアンの呪いだという噂が流れているし、イギリスの植民地のオーストラリアでは、原因不明の襲撃事件が多発している。

 まったく世界はどうしてしまったんだ!?」

「世も末なのかもな。政府の上層部が中国大陸の雲南地方に進出しようとして、タイ王国に工作を仕掛けるって噂が広まっている。

 今年は一波乱あるかも知れんぞ」

「あーあ。嫌だ嫌だ。今日は早く帰って酒でも飲んでやる」

「それも良いな。あんまり遅く帰ると食事がインスタントラーメンになるからな。俺はそこそこの時間に帰るよ」

「……ひとつ聞くが、何味が好みだ? ちなみに俺は豚骨味だが」

「……お前のとこもインスタントラーメンを食ってるのか? うちはさっぱり系の醤油味だぞ」


 手軽さと珍しさもあって、日本の食品文化も徐々に各国に浸透を始めていた。もっとも無理な宣伝はしていない。

 淡月光の店の隅にある販売コーナーに展示してあるものが、徐々に口コミで広がっていっただけだ。

 文化のゴリ押しなど恥ずべき行為という考えがあって、日本文化の宣伝は控えめに行われていた。

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 一月十四日。ハワイ王国のホノルルでサーストンらの呼びかけによって『公安委員会』なる組織が作られた。

 これはハワイ王国のクーデターの前触れなので、天照機関と陽炎機関はハワイ王国の組織に警戒するように指示していた。

 陣内は明日から極秘行動に入る予定だ。沙織を伴わない一人の行動で、しばらくは帰れない。

 本来なら陣内がする事では無いが、天照機関の直属メンバーだけが知っている極秘作戦だ。他人に任せる事は出来ない。

 由維と美香は今は引継ぎ中だが、来月から一ヶ月をかけて各地の産業促進住宅街の視察を行い、その後は日総新聞に勤務する。

 二人の部屋はそのままだが、会える回数が少なくなる。

 その日の夜は、久しぶりに四人で夕食を摂っていた。ちなみに食事は女性三人が作ったものだ。


「由維と美香も料理が上手になったな。沙織もうかうかしてられないんじゃ無いのか」

「えへへへ。もっと褒めて」

「そのうちに沙織さんを追い越してみせるわ。料理の腕もスタイルもね」

「へえ。言うじゃ無い。楽しみにしてるわよ」

「おいおい、俺は明日から極秘作戦に掛かりっきりになるんだぞ。これじゃあ留守を頼めないじゃ無いか。三人とも仲良くしてくれ」

「「「ごめんなさい」」」

「分かってくれれば良いさ。それより明日から俺は単独行動に入る。連絡が必要な時はメールにしてくれ。

 直ぐに連絡がつかない事もあるが、それは承知してくれ」

「はあ。陣内様がいない時に産業促進住宅街に一ヶ月間出張か。その後は日総新聞に勤務ね。

 そう言えばあたし達は何をするの? 事務仕事かしら?」

「そこら辺は青山君に任せてあるから、後で聞いといてくれ。知らない間柄じゃ無いし、ある程度は好き勝手言って良いぞ。

 あくまで目的は二人に青春を謳歌して貰う為だからな。将来性のある相手を見つけろよ」

「分かったわ。はあ、一時は陣内様の妾さんと考えた事もあったけど、やっぱり駄目だったか。残念」


 美香はそう言うと少し前屈みになって、少し笑いながら陣内を上目遣いで見つめた。

 ちなみに陣内の隣には沙織が座っており、真正面に美香が座っていた。ラフな室内着を着ていた美香が前屈みになった事で、

 最近の急成長著しい双胸の谷間が陣内の目に入って来た。最初の頃の沙織クラスの生育振りだ。

 沙織とはまた違った青い果実の色香に陣内は少し動揺して、慌てて咳をしていた。


「こら、美香。そんな格好をするんじゃ無い。下着をつけていないのが丸分かりだぞ」

「真さんは見ちゃ駄目です。美香も悪戯するんじゃありません。真さんがケダモノになると、あたしが大変なのよ」

「えへへへ。やっぱり駄目か。陣内様はやっぱり沙織さんが良いのね。これですっきりしたわ」

「えーーー。あたしはすっきりしてないよう。美香はずるい!」

「だったら由維もやれば良いじゃない。誰も止めないわよ」

「こらこら、そこで変な扇動をしないように。しばらくは顔を見れなくなるんだから、落ち着こうよ」

「じゃあ、最初で最後って事で四人で一緒にお風呂に入らない。あたしの成長ぶりを陣内様に見せておきたいの」

「あっ、それは良いかも。あたしも賛成!」

「真さん、断りますよね。いえ、絶対に駄目ですよ! まったく美香は変な事は言っちゃ駄目よ!」

「自分の理性が信じられなくなるから、丁重にお断りするよ。明日からの仕事もあるしな。

 しかし二人とも美人になったよ。沙織がいなかったら、さっきのやつで落ちていたかもな」


 最初に会った由維と美香は、両親を失って泣いていた子供だった。それがたった四年で見違えるように綺麗になっていた。

 その事を陣内はしみじみと思い出していた。そして二人が幸せになった時は、親代わりに準備をしてあげようと考えていた。


 かなり世界に介入しているので、数日ぐらいの時間の誤差が発生する可能性はある。その為に陣内は天照基地で待機する。

 下手をすると一ヶ月ぐらいは戻れなくなるかも知れない。留守中でも会社の運営は大丈夫なように手配はしてある。

 そして心身共にすっきりさせようと、夕食後に沙織と二人で大きな湯船に入っていた。

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 一月十六日。史実通りにホノルルライフルズで親米派のロリン・A・サーストンが主催する集会が行われていた。

 この集会で集まった市民(親米派)に王政の廃止と自由の獲得を訴えた。同時に米国軍艦ボストンに「ホノルルの非常事態を鑑み、

 アメリカ人の生命および財産の安全確保のため海兵隊の上陸を要請する」と連絡した。

 要は、親米的な政権を打ち立てる為のクーデターを起こしたのだ。

 それも自分で騒ぎを起こして、その非常事態の為にアメリカ海兵隊の出動を要請した。第三者から見れば、呆れるしか無い。

 ハワイ王国には親米派の閣僚が多く存在し、まともな軍隊など無いハワイ王国に抵抗する術は無いと思われていた。

 クーデターは成功すると、親米派の誰もが考えていた。

 だが、リリウオカラニ女王を幽閉しようとした市民やアメリカ軍の海兵隊(164名)は、予想外の抵抗を受けていた。


「何だ奴らは!? 何故ハワイの原住民が武装しているんだ!?」

「くそっ! 奴らは王宮に篭っているが、こちらは隠れるところは無い! これじゃあ全滅しかねないぞ!」

「こうなったら総力戦だ! ドールに連絡して傭兵を総動員しろ! それとウィルツ艦長に支援攻撃を要請だ!」


 王宮には少数の兵士しかいないはずだったが、何故か百人以上の銃を持った若者が強行にアメリカ海兵隊に抵抗した。

 遮蔽物に隠れながら攻撃してくるので、あっと言う間に海兵隊は劣勢に立たされていた。

 長い年月を掛けてハワイ王国の中に入り込み、土地を買い占めて勢力を築き上げた。

 これでクーデターが成功すれば、ハワイ王国はアメリカのものになる。ここで諦める訳にはいかなかった。

 だが、ハワイ王宮以外でも異変は発生していた。

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「私は女王から任命された大臣だぞ! その私に銃を向けるのか!? 下がれっ!」

「黙れ!! お前たちの計画したクーデターは失敗したんだ! 王宮は占拠されない! お前こそ覚悟しておけ!」

「クーデターが失敗だと!? そんな馬鹿な! いったい何が起きたと言うんだ!?」


「わ、私に銃を向けるという事が、どういう事か分からないのか!? お前達は職を失うんだぞ! 早く下がれっ!」

「今まで我々を搾取してきたお前に裁きの時が来たんだ! クーデターは失敗だ!

 お前たちの頼みの綱のアメリカ海兵隊は全滅する! お前こそ覚悟を決めろっ!」

「こんな事をしたらアメリカが全面介入してくるぞ! そうなればお前達は破滅だ! それが分からないのか!?」


「くそっ! 何で奴らはこんなにも武器を持っているんだ!? 奴らに武器が渡らないように管理していたはずなのに!?」

「愚痴を言ってる暇があったら反撃しろっ! このままじゃこっちが全滅するぞ!」

「あいつ等の持っている武器の方が射程が長いなんて、どういう事だ!? これは悪夢だ!?」


「た、助けて! 殺さないで! 御願い!!」

「ふん! 今まで親の影で威張り腐っていたお前が命乞いか。抵抗しなければ女子供の命は取らない。

 今日から俺達がハワイ王国の実権を取り戻すんだ! お前達は出て行く運命にある事を忘れるなっ!!」


 三百人ものハワイの若者は、一斉に蜂起した。全員が陽炎機関のメンバーから戦闘訓練を受けて、支給された銃を持っている。

 一部はハワイ王宮の防衛にあたり、残りはクーデターの首謀者ドールの傭兵と戦闘を繰り返した。

 そして一部は、親米派の閣僚と多くの地主を一斉に拘束していた。

 親米派にとって現地の若者の抵抗は、まったく予期しない事だった。そして頼みの綱のアメリカ海兵隊も全滅してしまった。

 残るは軍艦ボストンだけになっていた。

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 白々しい救援要請を受けて海兵隊を送り出した軍艦ボストンのウィルツ艦長は、海兵隊の全滅の報告に激怒していた。

 さらに現地の資産家や政治家が次々に拘束されている事を知ると、一刻の猶予も無いと判断した。


「くそったれ! ハワイ王国にはろくな戦力が無いって聞いていたのに、どういう事だ!?

 主砲準備! 暴徒を倒してアメリカ人を保護するんだ! 急げ!!」


 クーデターは簡単に成功するはずだった。その為に長い年月を掛けてハワイ王国の内部に入り込み、勢力を伸ばしてきた。

 それがこんなに簡単に失敗するなど認められない。

 だったらハワイ王宮も暴徒も全て抹殺しようと、軍艦ボストンの主砲が動き出した時に異変は起きた。

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 今回のクーデターの首謀者のサンフォード・ドールは、拘束されて王宮に連行される途中だった。

 抵抗したので頬を強く殴られた。

 今まで顎で使ってきたハワイの原住民が自分を拘束しているなど、ドールにとって屈辱だった。

 だが、アメリカとハワイ王国の国力差を知っているドールは、形勢逆転の機会を待っていた。

 連れて行かれる途中には港がある。そこで軍艦ボストンの砲塔が動き出したのを見ると、ドールは歓喜の表情を浮かべた。


(軍艦ボストンはまだ健在か! こいつ等を叩きのめして、私を早く解放してくれ!

 こいつ等は雇い主の私に無礼を働いたのだ! 復権した時は、全員を死刑にしてやる!!)


 軍艦ボストンの砲塔が火を噴こうとした瞬間、上空から五つの青白い光が突き刺さり、砲塔は砕け散った。

 そして内部の弾薬庫に引火したのか、軍艦ボストンは爆発を起こして海に沈んでしまった。

 ハワイの若者が持つ武器にそんな力は無い。

 いや、世界中探しても一瞬で軍艦を破壊するような光を発する兵器など存在しないはずだった。

 拘束された人達はもとより、武装蜂起したハワイの若者も全員が呆然とする中、港の上空に巨大な一人の女性の姿が浮かび上がった。

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 上空に浮かび上がった女性は薄っすらと透けて見えていたが、巨大な存在だった。全長は二十メートルくらいはあるだろう。

 ハワイの民族衣装を着こんでおり、容姿は絶世の美女と言うに相応しい。どこが人間離れした雰囲気を漂わせていた。

 上空の女性の周囲を赤、青、黄、ピンク、緑の五体の不気味な生物が、不気味な叫び声を出しながら浮いている。

 その威容に圧倒された周囲の人間は、呆気に取られて空を見上げるだけだった。その時、上空の女性の声が周囲に響いた。


『私はハウメア。大地を司る女神である。永い眠りについていたが、我が子孫の悲痛な叫びによって目覚めた。

 神聖なる大地が異教徒に穢されるのを見逃す訳にはいかぬ! 全ての異教徒は速やかにこの地を去れ! そして二度と踏み入るな!

 我が子孫達よ。私がお前達を見捨てる事は無い。安心せよ。だが、増長は控えよ。さすれば、我が恩恵は常にお前達にある!』


 ハウメアとはハワイ王国に古くから伝わる大地の女神の名前だ。

 その事に思い至ったハワイの多くの住民から、一斉に歓喜の声が響き渡った。ハワイ王宮にいたリリウオカラニ女王もだ。


「ハウメア様、ありがとうございます! これで我らの生活が守られます!」

「神が我らを見捨てる事は無かった! ハワイ王国は永遠だ!」

「ま、まさか本当に女神様がいらっしゃったとは!? 長生きはするもんじゃ」


 ハウメアを見て喜ぶ人間が居る一方で、絶望のどん底に叩き落された人間もいた。

 今回のクーデターに参加した人間を含めて、ハワイ王国の支配者になったと考えていた欧米出身の人間達だ。

 顔を真っ青にして、混乱した口調で喚きたてた。


「ま、まさかハワイ王国の女神が実在するなんて! 信じられない!?」

「オーマイゴット! これは悪夢だ! そうに決まっている!!」

「神よ! 我らが神よ! 神の子の私達をお救い下さい!」

「こ、こんな事ってある訳無いわ! 嘘よ! 嘘に決まっている! 信じられないわ!」


 一神教のキリスト教徒にとって、ハウメアの出現は大きな衝撃だった。

 何しろ神などというものは方便くらいに考えていなかった人間も多く、実在の神など容易に信じられる事では無かった。

 しかも自分達が信じる神で無く、征服したと思っていたハワイの土着の神が出現するなど、想定外の事だった。

 しかし現実には、軍艦ボストンはハウメアの眷属の攻撃で破壊されてしまった。

 この事実をどう解釈するのか? 拘束された人達を含めて、欧米出身の多くの人達は大混乱に陥った。


『私は無用の殺生は好まぬが、神聖な大地を穢した罰は与えねば為らん。お前達の長に直接罰を与える!

 我が眷属たる五体の『バハムート』の力をとくと見るが良い!』


 そう上空に浮かんだ女神の声が響き渡ると、五体の『バハムート』はクーデターの首謀者五人を足で掴んだ。


「何をする!? 放してくれ!」

「やめろ! 私を誰だと思っているんだ! 後で後悔するぞ!」

「痛い! 爪が肩に食い込んで痛いんだ! 止めてくれ!!」

「か、神よ! 我らが神よ! 助けて下さい!!」

「悪夢なら早く覚めてくれ! こんな事を信じろと言うのか!?」


 人間の些細な抵抗などまったく気にせずに、『バハムート』五体は足に首謀者五人を掴んだまま、静かに浮かび上がった。


『こやつ等の長に警告を与えた後は、私は再び戻ってくる。だが、お前達が私に依存しても困るゆえ、姿を現す事は無い。

 私はお前達を静かに見守っている。お前達の繁栄を願っているぞ』


 次の瞬間に上空の女神の姿は消え、そして五体の『バハムート』は高度を上げて最大速度で東に向かった。

 その進行方向は北米大陸だった。

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 ハワイ王国のクーデターが失敗した事は、海底ケーブルを使ってホワイトハウスに通報されていた。

 失敗する要因は無かった筈なのに失敗した。ハリソン大統領は執務室の机を大きく叩いていた。


「ハワイ王国のクーデターが失敗しただと!? お前達は絶対に成功すると言ったでは無いか!

 それに軍艦ボストンが一瞬で破壊されたとか、ハワイに女神が出たとか何を言っているんだ!? 本当の事を報告したまえ!」

「じ、情報が錯綜していて、まだ詳細な内容を把握していないのです。

 ハワイ王国から通報してきた男は電話中に射殺されたようでして、まったく現地の情報が掴めません。

 女神やドラゴンが出現したとか、意味不明の事を言ってましたが、どういう事かは不明です!」

「ドラゴンだと!? そいつは昼間から夢でも見ているのか!? まったく我が軍は腰抜け揃いになってしまったのか!?」

「大統領、落ち着いて下さい! 確かに女神やドラゴンが出現したなど信じられませんが、ハワイ王国と連絡が取れないのは事実です。

 何か容易ならざる事が発生していると思われます」

「ふん! 容易ならざる事? 内陸部の伝染病の原因さえも掴めなかったのに、君達に何が出来ると言うのだ!?

 これでは次の選挙……なんだ、獣の叫び声のようなものが聞こえた気がしたのだが……」


 次の瞬間、大きな音と共に大統領執務室の壁が砕け散り、大統領と側近は咄嗟に自分の頭を壁の破片から庇っていた。

 そして衝撃が収まると、室内には五人の男の血塗れ死体がある事に気がついた。


「な、何だ、この死体は!? どういう事だ!? 説明しろ!」

「だ、大統領。外を……外を見て下さい!」

「外を? 何だと言うんだ!? ……何だあれは!?」


 ハリソン大統領は視線を外に向けると、そこには全長二十メートルもの大きな女性の姿が空中に浮かび上がっていた。

 その周囲には、色が違う五体のドラゴンらしいものが浮いている。

 それを見た大統領は顔を真っ赤にして口をパクパクさせるだけで、声は一切出てこなかった。

 女性の大きさもそうだが、空中に浮かんでいるなどあり得ない。ましてやドラゴンが本当にいるなど信じられない!

 ハリソン大統領がパニックに陥ったのを見て、空中に浮かんでいる女性は微かに口を歪めて澄んだ声を響かせた。


『我が名はハウメア。ハワイの大地を司る女神である。我が子孫の悲痛な叫び声で長き眠りから覚め、此処に居る。

 神聖な我が大地は、そこな男達によって穢された。お前はそこな男達の長であろう。よって警告する。

 二度と我が神聖な大地に近づくな! 近づけば我の制裁が下ると心得よ!』

「……そ、そんな馬鹿な!? 神が実在するだなんて、これは夢だ! 悪夢に決まっている!?」

『ほう。我を夢だと申すか。ならば我の事を忘れぬように、この五体の眷属『バハムート』で思い知らせてくれよう!

 何、安心するが良い。お前に直接は罰は与えぬ。この大陸に眠る神と、遥か南西の大陸の神は目覚めつつある。

 私がお前に罰を与えるのは、この大陸の神に対して礼を欠く事になる故な。

 しかし、お前が大切に思っているものを叩き壊してくれよう! 我を侮辱した報いを思い知るが良い!』


 ハウメアと名乗った女神は、ホワイトハウスの使用人や付近の住民、新聞記者など多くの人々に目撃された。

 そして目撃した全員がハウメアと名乗った女神の声を聞き、呆然と立ち尽くしていた。

 それはそうだろう。神など実在しないと思っていたが、本当は居たのだ。しかも自分が信じる神では無く、ハワイの神なのだ。

 見聞きした全員が白昼夢を見ていると信じたがった。だが、そんな事をハウメアと名乗った存在は許す気は無かった。


『お前達の信じる神は他の神の存在を認めておらぬようだが、そんな器量の小さい神など我の敵では無い!

 まったく他の神を認めぬなど傲慢だとは思わぬのか? そんな愚かな行為をお前達はやってきたのだ。

 お前達が愚かな教義に従って、我の子孫を迫害した罪は軽くは無い! 天罰を受けるが良い!』


 そう言って、空中に浮かんでいた女神の姿は消え、五体のドラゴンは不気味な叫び声をあげながら移動を開始した。

 その移動先はペンシルべニアの油田地帯、工業都市のデトロイトやシカゴだった。

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 ハワイ王国のクーデターが失敗して、首謀者のドール達の遺体がホワイトハウスに投げ込まれた翌日、

 ハリソン大統領は会議室で各地の被害を聞いて悲鳴をあげていた。


「ペンシルべニア周辺の複数の油田と、デトロイトやシカゴが壊滅だと!? 嘘だと言ってくれ!」

「……事実です。ペンシルべニア周辺の油田地帯は現在も火災が起きていて、消火の目処は立っておりません。

 デトロイトやシカゴの工場地帯はほぼ全滅で、復旧には長い年月が掛かると見込まれます。

 国内には無事な油田や工業都市は数多く残っていますが、我がアメリカ合衆国が大きな被害を受けた事に間違いはありません。

 我が国が成立してから、外敵による初めての被害です」

「それがハワイの女神によって齎されたと言うのか!? 何と言う皮肉だ! ……それであの五人の遺体の身元は分かったのか?」

「ハワイでクーデターを進めていたサンフォード・ドールに間違いありません。他の四人もハワイで工作を進めていた人間です。

 海底ケーブルの電話の話が真実だとすると、あのハワイの女神は約一時間でハワイからワシントンまで来た事になります」

「……何と言うだ。まさか本当にハワイに神が存在するとは!? ……それで国民の反応はどうなっている!?」

「軍を出して治安維持に努めています。幸いと言っては何ですが、あの女神の報復は限定されたものでした。

 生産施設やインフラ施設の被害は大きいですが、人的損失は約二万人に抑えられています。

 その大部分が眷属と呼んでいた『バハムート』に、攻撃を試みた陸軍の被害です。

 民間の被害は最小限に抑えられています。復旧には長い年月と莫大な予算が必要になるでしょうが、再建は可能です。

 それと陸軍の被害は大きいですが、海軍は五隻の損失だけです。周辺国へは今まで通りで問題ありません」


 ハウメアと名乗った女神の眷属の『バハムート』の攻撃は、まずはペンシルべニア周辺の油田地帯に行われた。

 上空からの粒子砲の攻撃を防ぐ手段など無く、原油を掘り出す井戸や貯蔵施設は徹底的に破壊された。

 さらには油田に引火したので大規模な火災が発生して、手が付けられない有様だった。

 次の攻撃はデトロイトに行われた。

 市民には目もくれず、主要な工場、燃料貯蔵庫、発電所などの産業施設に対して徹底的な破壊が行われた。

 近くにいた陸軍が必死になって抵抗したが、そもそも対空兵器が存在していない。

 何も効果は出ずに、ただ『バハムート』に蹂躙されるだけだった。

 幸いだったのは、工場地帯は大きな被害を受けたが、住宅地域の被害は皆無だった事だろう。

 それは最後に攻撃が行われたシカゴも同じだった。

 アメリカの工業地帯は、東部の五大湖の周辺に位置している。

 その中の特に大きいデトロイトとシカゴの工場地帯の壊滅は、アメリカの国力に大きく影響した。

 他の無事な工場地帯は多くあるが、被害が甚大である事に間違いは無かった。


 当然だが市民はパニックに陥った。アメリカ合衆国が成立してから、内戦を別にすれば本土が外敵から攻撃を受けた事は無い。

 しかも敵は不気味なドラゴンの姿をしていて、上空から青白い光で攻撃してくる。軍は必死に防衛に努めたが、逆に殲滅された。

 自分達を守れないというのは、市民のパニックを引き起こすには十分だった。

 その不気味なドラゴンの攻撃は、一般市民には向けられず、主に工場などの施設に行われた。

 確かに物理的な損失は甚大だが、人的被害は少ない。その為、比較的早い時間に、市民のパニックは収まっていた。


「陸軍の被害は甚大だが、再建できない程では無い。それに海軍の被害は軽微。

 ペンシルべニア周辺の油田とデトロイトとシカゴが失われたが、市民の被害は比較的軽微で再建は十分に可能だと言う事か?」

「はい。現在も油田は炎上中なので、どれ程の量を失ったかは不明です。しかし、我々には東テキサス油田があります。

 そちらの開発を最優先で進めれば、ペンシルべニア周辺の油田の損失は埋められるでしょう。

 デトロイトとシカゴを失ったのは痛いですが、他に無事な工業地帯はありますので、そちらで穴埋めは可能です。

 問題は我々の神が貶められて愚かと言われた事で、市民の間に動揺が広がっている事です。

 各新聞社が女神の話した事を報道し始め、その女神の天罰によってペンシルべニア油田とデトロイトとシカゴを失いました。

 市民は我々が常々主張していた『明白な天命』の根拠を見失い、このままでは国内開発にも支障が出かねません。由々しき問題です」

「……そうか。あの女神は『この大陸に眠る神と、遥か南西の大陸の神は目覚めつつある』と言っていたな。

 内陸部の原因不明の伝染病は、この地に眠るインディアンの神が目覚めつつある前兆だと思うかね?」

「それは何とも判断しかねます。ですが、イエロージャーナリズムに染まった新聞社が飛びつきそうなネタですね。

 あの女神の言葉は、多くの市民に広まっています。市民の間にその噂が広まるのは時間の問題かと思われます」

「我々がインディアンを迫害し、土地を奪って内陸部に押し込めた事で、インディアンの神が目覚めると言うのか!?

 ハワイ王国の女神で、これだけの被害があったんだ。インディアンの神が目覚めたら、こんな被害では済まない可能性もあるのだな」

「……それにお答えする事は出来ません」

「……そうだな。それとハワイ王国はどうなった? 現地の帰化人は全滅したのか?」

「ハワイ王国から連絡が入りました。今回のクーデターによって、我々白人の所有する財産と土地は全て没収。

 全員を追放処置にすると言ってきました。我々に追放者を引き取るように求めています。

 それと追放者を引き取る船の入港は認めるが、それ以外のものは一切ハワイ王国に近づくなと通達してきました。

 イギリスも同じです。あちらは日本から船を出して、ハワイ王国のイギリス人を保護するらしいです」

「あれだけハワイ王国に投資したのに、全ての財産を没収されて追放か。そして二度と入って来るなか。

 くそっ! 女神がバックについたから、態度がでかくなってるのか!?」

「まさか神が実在するなど、誰も本気では思わなかったでしょう。ましてやその神の力を、我々はまざまざと見せ付けられたのです。

 あのハワイの女神が本気ならば、アメリカ合衆国は全滅していた可能性さえあります。

 やはり神の逆鱗に触れるような事は控えた方が良いかと」

「……今は油田火災の鎮火。それと国内の治安維持と復興を最優先だ。それと閣僚を集める準備をしてくれ。

 三日後に会議を開く。インディアン問題を解決しないと、我が国が滅ぶ危険性もある。早急に対応を考えなくては為らん!」


 この地に欧州から白人が入植したのは、十四世紀からだ。風土病やインディアンなどの多くの問題があったが、次々に克服してきた。

 神から命じられた『明白な天命』という大義を掲げて、この大陸の開拓を行ってきた。

 内戦もあったが、努力すれば報われるという信念の元、国民全体が一丸となって努力してきた。

 だが、内陸部の原因不明の伝染病で躓き、ハワイ王国の工作は土着の神の所為で失敗して、今まで投資してきた財産を全て失った。

 自分達の信じる神が否定され、大義を失った国民をどう指導していけば良いのか、ハリソン大統領は悩んでいた。

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 ハワイの女神の眷属に攻撃を受けてから一週間後、被害地は落ち着きを取り戻していた。

 多大な被害はあったが、何とかペンシルべニア油田の火災は鎮火された。それとデトロイトとシカゴの瓦礫の撤去が始まっていた。

 これ以上はハワイの女神による攻撃は無いと、政府から正式に発表された事で表面上は市民は安堵していた。

 それでも自分達の神を愚かとハワイの女神が発言した事は多くの新聞社が報道しており、それは市民の内面を少しずつ蝕んでいた。

 信者にとって、キリスト教は幼少の頃から生活に溶け込んでいる。多神教とは違って、一神教はその傾向が強い。

 その幼少の頃から叩き込まれた常識が、ハワイの土着の神によって完全に否定された。信心深い人ほど、衝撃は大きかった。

 それでも人間は生きていかねば為らない。それが生物としての本能だ。

 ハワイの女神を白昼夢と思いたかったが、油田とデトロイトとシカゴの破壊は事実として認めざるを得なかった。

 アメリカの教会指導部は、神は信者の心の中にあるという抽象的な表現をして、市民の動揺を収めようと努力していた。


 現在、アメリカ大陸の広大な内陸部は現在封鎖されており、その封鎖は一層強化される事が決定していた。

 今までは単純なバリケードがあるだけで、無法者が中に入り込む事はあった。(戻ってはこなかったが)

 だが、今回の件の後には要所要所に監視所が設けられ、不法侵入者を厳しく取り締まるようになっていた。

 さらに内陸部以外のインディアンに対して、迫害や土地の追い出しなどの行為が政府の通達で禁止された。



   <<< ウィル様に作成して頂いた北米大陸地図(封鎖地域は白です) >>>

ウィル様作成の地図(北米版)


 アメリカ合衆国の上層部は復旧を急ぐ傍らで、全市民に活動目標を示そうと秘かに工作を開始していた。

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 ハワイ王国のクーデターの発生と失敗、それと合衆国本土がハワイの女神の天罰を受けた事は、各国の新聞社から一斉に報道された。

 現地の白人が反逆罪で全財産を没収されて追放処置になった事は、女神の存在と共に全世界に知れ渡った。

 ハワイ王国の工作の失敗もそうだが、ハワイに女神が実在した事は世界各国に大きな衝撃を与えていた。

 世界各地に色々な宗教はある。だが、どの宗教も実在の神が降臨したところは無い。

 神の存在を信じる者がいても、実際に姿を現して力を奮うなどと考えていた人間は皆無だろう。

 それがハワイでは女神が降臨して、王国を滅亡から救った。

 しかもアメリカ大統領府を襲撃して、ペンシルべニア油田とデトロイトとシカゴを破壊した事は大きな衝撃だった。

 神が実在して、その保護する民を守るべく力を奮った。そして女神の前では人間の力など、何も役には立たないと悟らされた。


 さらに北米大陸の古来の神と、その遥か南西の大陸の神が目覚めつつあるという情報は、列強を震撼させていた。

 現在の世界は帝国主義が蔓延し、植民地の住民を迫害しながら富を収奪している。

 それらの各植民地の神が目覚めて、今回のアメリカのように報復される危険性に気がついたからだ。

 勿論、他の現地の神が目覚める徴候は一切無い。無いが、そう考えるだけで信心深い人達の行動を掣肘するには十分だった。

 各国の指導層は大部分が現実主義者で、神の存在を容易に信じる人達では無い。

 だが、一般市民には信心深い人達も多く、その行動の足枷となっていった。

 そしてこの事件は、各植民地の住民には出来るだけ伏せられた。それでも徐々に広まっていったが。


 今回のハワイ王国のクーデター失敗で一番の被害を受けたのはアメリカだが、二番目に被害を受けたのはイギリスだ。

 クーデター前のハワイ王国は、アメリカを筆頭にイギリスの勢力と、最初から住んでいた生粋のハワイ人の三つ巴だった。

 今回、異教徒は全員去れと女神が命令した事で、クーデターに参加していないイギリス人も財産を没収されて追放された。

 本音ではハワイ王国に厳重抗議をしたいが、相手が女神ではそれも出来ない。

 下手に抗議しようものなら、イギリスが直接報復される危険性もある。触らぬ神に祟り無しで、結局は泣き寝入りしか無かった。

 それに現地のイギリス人は直接女神と眷属を見ていた事もあって、一刻も早くハワイから脱出したがっていた。

 ハワイ王国に輸送船は無く、アメリカ人の場合はアメリカ西海岸から輸送船が出たが、イギリス人の場合は日本が船を準備して

 香港まで送り届ける事になった。これは日本側が申し出たもので、イギリス帝国に貸しを一つ作った事になる。

 イギリス帝国の苦難は、ハワイ王国の財産の喪失だけでは無かった。合衆国の遥か南西の大陸とはオーストラリア大陸の事だ。

 そのオーストラリア大陸で神が目覚めつつあるという情報は、現地で発生している襲撃事件と関係があるのでは無いかと囁かれた。

 つまり、原因不明の襲撃事件は現地の神が目覚める前兆では無いかと危惧された。

 こうしてイギリス帝国は対処に悩んでいた。


 今回のハワイ王国の女神の降臨で、他の列強は直接的な被害は受けてはいない。

 しかし、神の存在が架空のものでは無いと知れ渡った為、これからの活動方針に修正が加えられた。

 そして信じる神の器量が小さいと貶められた事で、ローマ教皇庁は激怒していた。

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 ハワイ王国は第一次産業しか無い。それも今までは全土の約七割が、欧米の帰化人に専有されていた。

 だが、女神の命令によって、欧米の帰化人は全財産を没収されて追放されてしまった。

 それらの土地や財産は全てハワイ王室が接収して、今後の対応の為に連日王宮内で会議が行われていた。


「ハウメア様のおかげで、我々は滅亡の危機を回避できた。

 だが、我が国の産業は大部分がアメリカとイギリスに握られていて、満足な産業は無い。発電所も工場も船も無いのだ!

 交易すら我々独自では出来ない。征服されるのを避ける為に欧米との関係を絶つ事も一つの選択肢だが、我が国単独では何も出来ない。

 ハウメア様は依存するなと仰られた。我々は自分達の努力で未来を切り開かなくてはならない」

「追い出された奴らの財産と土地は我々に戻ってきた。これで我々は元の生活に戻れる。

 もう欧米とは関係を持たずに静かに生きていけば良い。我々にはハウメア様が居る。欧米も二度と手出しはしないだろう」

「ちょっと待て! この時代に何処の国とも関係せずに鎖国をすると言うのか!?

 電気の便利さを知り、電灯の明るさを知った我々に以前の原始的な生活に戻れと言うのか!?

 病人が出ても治療する薬さえ、国内では生産できないんだぞ!

 それに我がハワイ王国は太平洋の要衝だ。確かに欧米の手出しは無いだろうが、鎖国は許される状況には無い!」

「それでは再び欧米と関係を持とうと言うのか!? 確かに奴らの力は強大だ。だが詐欺紛いの事を平気でするからな。

 そんな奴らと関係を持つ必要は無い!」

「ちょっとお待ち下さい。我々三百人の兵士に訓練を施して、武器を供与してくれた人達がいます。

 その人達に協力を申し込んではどうでしょうか?」


 紛糾する会議の中、それまで口を閉ざしていた若者が発言した。武器を持ち、立ち上がった三百人の若者のリーダーだった。

 王宮を襲撃しようとしたアメリカ海兵隊を全滅させ、欧米の帰化人を拘束、そして彼らに雇われた傭兵を全滅させた功績は大きい。

 それでも女王陛下と各閣僚の発言が相次ぐ中で沈黙を守っていたが、此処で恩人を売り込もうと口を開いた。

 ハワイの混乱はまだ続いており、彼ら蜂起した三百人の待遇さえ決まってはいない。

 詳細な事情は聞いていなかったが、それでも功労者という事で会議に呼ばれていた。その功労者の発言に他の出席者は注目した。


「詳しい事情を聞いていなかったが、君達三百人の武器は何処から手に入れたのだ? まさか君達も紐付きだったとはな」

「そんな言い方は無いだろう。彼らが居なかったら王宮はアメリカ海兵隊に占拠されていた。

 ハウメア様の降臨はあったが、彼らの功績を無視すべきでは無い。では聞くが、君達を援助してくれたのは誰なのかね?」

「日本人です。政府の人間では無いですが、内意を受けていると聞いています。

 ただ、絶対に日本からの支援だと分からないようにしてくれと、念押しされました。

 日本としては、我々の蜂起が失敗してもアメリカと対立する訳にはいかなかったのでしょう。

 我々の蜂起が成功しても、上には報告しなくて良い。日本としてはハワイ王国の独自性が守られるだけで十分だと言ってました。

 彼ら日本人なら、我々に協力してくれるはずです。日本と関係を結ぶ方針では駄目なのですか?」

「日本だと!? 君達に支援していたのは日本だったのか!?」

「以前に日本に協力を要請したが、アメリカと対立する事は出来ないと断られた。日本人の移民だけは進められたが。

 その日本が支援してくれたと言うのか? しかも秘密裏に!?」

「日本はアメリカの太平洋進出を抑えたかったから、我々を支援したのでしょう。

 まさかハウメア様が降臨なさるとは夢にも思っていませんでしたが、日本とは今のところ利害が一致するのでは無いでしょうか?」

「検討の余地は十分にあるな。最近の日本の工業化は凄まじい勢いで進められている。

 日本に協力して貰えれば、ハワイ王国の開発も進むだろう。陛下、どうでしょうか」

「我が国を秘かに日本が支援してくれた恩義は、忘れてはなりません。

 アメリカへの建前もあるでしょうから、日本と秘かに接触して下さい。そしてハワイ王国の近代化の協力を打診しなさい」


 こうして日本はアメリカの顔をある程度は立てながら、ハワイ王国との連携を深めていく事になった。

 それは【出雲】に続く大開発だ。資源も技術も無い国を、経済的に自立させなくてはならない。

 欧米の入植者が持ち込んだ疫病によってハワイ王国の人口は激減しているから、日本からの移住者を募る必要もあるだろう。

 様々な分野の人達や会社が必要になってくる。そしてそれらは主に財閥系の会社が主導して進める予定だ。

 日本としては太平洋の要衝にあるハワイがアメリカの手に渡らなければ良いと考えて、ハワイ王国の独自性を守る事を尊重していた。


 ハウメアと名乗った女神とその眷属の五体の『バハムート』の正体は、天照機関の最高機密に指定された。

 睡眠教育を受けた人間なら推測可能だが、強烈な暗示によって第三者に伝える事は出来ない。つまり機密情報が漏れる事は無かった。

 そしてハワイ王国の人達はハウメアを崇拝し、欧米各国はハウメアを破滅を齎す神として恐れていた。

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 ローマ教皇庁は全カトリック教徒の総本山だ。プロテスタントとは対立しているが、キリスト教の総本山と言い換えても良い。

 そのローマ教皇庁は、アメリカ合衆国がハワイの土着の神に天罰を受けた事で大混乱していた。

 アメリカ本土の被害はさほどは気にしていない。女神の言葉で、自分達の信じる神が貶められた為に大混乱していた。

 全世界に多数の信者を抱える総本山だ。その教えが愚かだとか器量が小さいなどと言われて、混乱しないはずが無い。

 しかも発言した相手は、異教徒の土着の女神だ。

 中世では十字軍を編成してイスラム世界に攻め込んだ事もあるローマ教皇庁だが、今は嘗ての権勢は無い。

 無いが、信じる神を侮辱されて素直に黙っている存在でも無かった。何より放置すれば、さらに威信が下がると考えられている。


 世界各地の信者にも動揺が広がっていた。此処で各地の信者の動揺を鎮めて、以前の権勢を取り戻そうとローマ教皇庁は列強の各国に

 ハワイ王国の討伐を要請していた。それは嘗て行われた十字軍の再来となるものだった。

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(あとがき)

 色々と辛辣な事を書いていますが、現在のキリスト教に恨みがある訳ではありません。(昔は教会に行った事もあります)

 ですが過去のキリスト教が、欧米の帝国主義の尖兵だったのは事実でしょう。十字軍の事もあります。

 過去の事を現代にうだうだと蒸し返すつもりはありませんが、当時であればこんな対応もありかと思って書きました。

 まあ、現在とは別物と思ってお読み下さい。

(2013. 5.25 初版)
(2014. 2.23 改訂一版)