季節は梅雨。

 無線通信機が普及し始めたので、日総新聞はラジオ事業部を設立する事と、富士山の頂上に電波送信塔を建設する事を発表した。

 くどいようだが社内の事でもある為、他社ではまったく報道していない独占報道だった。

 1893年までに国内のラジオ放送体制を整えて、1894年には一般へのラジオ放送を開始する計画だ。

 既に安価なラジオ受信機の生産体制は勝浦工場で整えてある。(ある程度、普及すれば生産は協力会社に委託する)

 それと大出力の放送設備(電波中継設備も含む)もだ。それらを使って日総新聞のラジオ事業部が放送を行う。

 ラジオ放送は、まだ何処の国も行っていない。(史実では1920年から開始)

 それを一民間企業が世界に先駆けて行うと発表したが、普通は無理だと考えるだろう。

 だが、理化学研究所の関連会社という事を考慮すると、可能かも知れないと多くの人達は考えていた。

 それと富士山の頂上に電波送信塔を建設する計画は、多くの国民や諸外国まで驚かせていた。

 富士山は日本の最高峰であり、建設資材を運ぶ道は存在しない。

 その山頂に電波送信塔が建設できるのかという疑惑の視線が向けられた。

 多くの問い合わせがあったが日総新聞は時期を明言せず、許可は既に貰っていて、来年に試験放送を行う計画を発表していた。

 ラジオ事業部の目標は、日清戦争までに全国にラジオ放送網を構築する事だ。富士山の電波送信塔はその第一弾だった。

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 六月十八日。史実通りに ハワイ王国でマカダミアナッツの栽培が開始された。(原産はオーストラリア)

 現在のハワイ王国の経済状態は極めて悪く、アメリカへの併合が水面下で進められていた。

 そして陽炎機関は現地の不満分子を秘かに集めて、軍事訓練を行っていた。

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 陣内が協力会社に選んだのは財閥系企業だけでは無い。発展性を見込まれた独自の中小企業も多数あった。

 資本力が弱い彼らを、実業家の渋沢が資金面で支援している。

 その独立系の中小企業の経営者は、渋沢の主催したパーティーに出席して親睦を深めていた。


「うちの会社は風力発電機や新型の電灯を生産していますが、注文が多くて捌き切れません。

 工場も増設しましたが、追いつきませんから知り合いの会社に生産を一部委託しました」

「噂は聞いていますよ。社員も増えて、景気の良い話しじゃありませんか。

 私のところは香取線香を生産していますが、国内は元より海外からの引き合いが多いですな。

 出来れば海外に進出したいと考えていますが、何せ治安が悪いのと列強の植民地ですから何が起きるか分かりません。

 どうすれば良いか、悩んでいますよ」

「それは私も同じですよ。我が社は淡月光さんに納めている化粧品を生産していますが、海外からの引き合いが多くて悩みます。

 淡月光さんは最初から見越して進出先の現地企業に委託生産していますが、我々には出来ませんな」

「欧米に直接進出となると、二の足を踏んでしまいます。出来れば近いアジアに進出できれば良いのですが?」

「清国や朝鮮が近くて良いのですが、社会インフラが全然整っていません。

 それに、あちらの一般市民の生活状況や習慣を知ると、躊躇してしまいますな」

「おや、あなたも知っているのですか?」

「ええ。アジアの各国の民衆の生活環境や風習を事細かく写真入りで書かれていますからな。

 後々の事を考えると、少し遠くてもベトナムやタイあたりが良いのかも知れません」

「そうですな。インフラが整備されていないのが同じなら、協力的な関係を期待できる方が良い。

 最初は愛想が良くとも後々で問題が起きるなら、最初から関係を持たない方が無難ですね」


 三人の経営者が話し込んでいると、別の経営者が話の輪に入ってきた。


「私も混ぜていただけますかな。我が社はバイクや自動車を生産しています。

 バイクの売れ行きはかなり良いのですが、自動車は中々普及しません。やっぱり値段が高い事もあるのでしょう。

 ですが、数年先には日本総合工業さんから、農業用の車両の生産を委託される予定なのです。

 海外からの引き合いも多いから、私も海外進出を考えているんです。

 どうです、我々が一緒になって陣内さんと会食しながら海外の事で話をしませんか?」

「おお、それは良いですな。陣内社長とも最近は会っていない事だし、久しぶりに飲みたいものだ」

「最初は支援の代わりに株を二割持っていかれて、疑心暗鬼になった事もありましたが杞憂でしたな。

 あの新しい技術のお蔭で我が社は大幅に業績を上げて、規模を数倍に拡大できました。全ては陣内社長のお蔭です。

 私も久しぶりに会いたいですから参加させて下さい」

「石油が豊富に出回り始めた事から、我が社は石油ストーブの生産を始める予定なのです。

 陣内社長とその辺りを一度協議したいと考えていましたので、私も参加させて頂きますぞ」


 陣内と渋沢が技術や資金支援した業界は多岐に渡る。

 部品業界、電気業界、電機業界、製鉄業界、医療業界、造船業界、運輸業界、酒造業界、音楽業界、お菓子業界、映画業界、

 保険業界、石油業界、調味料業界、食品業界、自動車関連業界、水産業界、通信業界、薬品業界、時計業界、報道関係等だった。


 これらの業界の経営者全てと、同時に会食しても効果は低い。あまりに多過ぎて、細かい話など出来はしない。

 こうして分野ごとに其々の組織が出来上がっていき、やがては経済界を巻き込んだ組織が形成されていった。

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 昨年の年初に日本の領土に編入した島々の状況は様々だった。


 硫黄列島は住居の建設が終わって、漁業や農地開拓を徐々に進めている。


 尖閣諸島は日の丸を掲げた灯台と緊急時の避難所の建設は終了している。

 現在のところ常駐している人間は無く、島に接近すると自動的に警報が鳴り、近くの軍部に連絡がいくような体制になっている。


 南鳥島(面積:1.51km2)の護岸工事、日の丸を掲げた灯台と緊急時の避難所の建設は終了している。

 日本総合工業の所有なので、島に接近してくるものを自動撮影したりする設備も設置してある。

 将来的には拡張する予定だが、それは第一次世界大戦後以降に計画されていた。


 ウェーク島(面積:6.5km2)はハワイへの補給基地として、最適な位置にある。

 灯台と住居の建設は既に終わり、今は港湾施設と倉庫の建設が進められていた。将来的には小規模な軍港として機能する予定だ。


 沖大東島(面積:1.147km2)は日の丸を掲げた灯台と緊急時の避難所の建設は終了している。緊急警報装置もだ。

 まだまだ余裕が無くて、開発は先に伸びそうな気配だった。陣内の個人所有地だが、小さい為に後回しにされていた。


 竹島(総面積:約0.23km2)の日の丸を掲げた灯台と緊急時の避難所の建設は終了している。

 現在のところ常駐する人間は無く、島に接近すると自動的に警報が鳴り、近くの軍部に連絡がいくような体制になっている。


 沖ノ鳥島(面積:約5.78km2)の護岸工事、日の丸を掲げた灯台と緊急時の避難所の建設は終了している。

 日本総合工業の所有なので、島に接近してくるものを自動撮影したりする設備も設置している。

 将来的には拡張する予定だが、それは第一次世界大戦後以降に計画されていた。


 今のところ、今年に運用が開始されるのはウェーク島だ。ハワイ王国に運び込む物資が、徐々に集約されていった。

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 富士山は休火山だ。前回の噴火は江戸時代だが、次の噴火の時期は未来の情報で分かっていた。

 危険はあるが日本で一番高い山の頂上というのは、気象観測や電波送信塔にとって都合が良い。

 問題は富士山の山頂まで、どうやって建設資材を運ぶかだ。道路も無く、普通に考えれば人力で運ぶしか無い。

 しかし、人力で運べる量など高が知れている。そんな方法を採れば、建設に何年掛かるか予想もつかない。


 そこで陣内は裏技を使った。深夜に大型輸送機で一気に大量の建設資材を富士山の山頂に運び込んだ。

 富士山の山頂付近は強い乱気流が発生しているが、反重力エンジンを装備している大型輸送機の障害にはならなかった。

 そして建設用ロボット十体を使って、三日間で基礎部分の工事を行った。

 平屋の基礎部分は五人分の住居や事務所、それに自家発電機と各種の大型の通信機器等が設置された。

 将来は気象観測を行う事も考慮している。


 そして基礎部分が完成した後、事前に組み立ておいた五十メートルごとの電波塔を、四日連続して深夜に山頂に持ち込んで組み上げた。

 史実の東京タワーのように展望台がある訳も無く、本当の鉄筋部分だけだ。(メンテナンス用の階段がある)

 その時の富士山頂には、陣内の睡眠教育を受けた技術者と十体の建設用ロボットしかいない。

 運びこむのは深夜でも、接続作業は日中に行った。こうして僅か一週間で富士山の山頂に、高さ二百メートルの電波塔は完成した。

 公式には、資材を運び込むのに三ヶ月かかり、その後の組み立てと接続工事も含めて半年で電波送信施設が完成した事になっている。

 だが、高さ三千メートルを超える山の山頂に高さ二百メートルの鉄塔を建設するというのは、建設史上初めての事だった。

 国内は元より諸外国からも取材が殺到したが、公式には人海戦術で行っただけと回答している。


 こうして長く『富士タワー』の愛称で親しまれる富士山の山頂の電波塔は完成した。

 史実の東京タワーを遥かに凌ぐ高さにあり、その電波の到達範囲は関東だけでは無く東海地域まで含まれる。

 そして日本各地への電波中継施設の建設も、少しずつ行われている。こうして、ラジオ放送の準備は進められていた。

 尚、富士タワーに関する記事は日総新聞の独占であり、これによって読者の数も増えていた。

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 数年前は暗い雰囲気だった大蔵省だが、昨年からは雰囲気が明るくなってきていた。

 今までは、資源を輸入したり技術を導入したりして、収入はあまり増えずに、支出が増える傾向があって大蔵省を悩ませてきた。

 しかし、三年前から新商品が続々と開発されて輸出が急増した結果、国内の景気も大きな刺激を受けて税収が大幅に増えていた。

 国の金庫を預かる大蔵省としては嬉しい限りだ。大蔵省の休憩所でも、その件に関する雑談が行われていた。


「従来の主力だった繊維製品の生産効率が上がって、輸出が増加している。それに加えて、電気や医療関係の製品輸出も急増している。

 淡月光の売り上げも凄まじい伸びを示しているしな。この傾向なら、今年の税収が昨年より増えるのは確実だ。

 来年の予算編成は楽ができるぞ」

「まあな。軍部の予算要求が控えめだから助かるよ。以前のように、予算を寄越せと怒鳴り込んでくる事も無い。

 でも、噂じゃ来年は軍部に多くの予算を振り分けるらしい。油断は禁物だ」

「最近は朝鮮半島を巡って、清国との関係が悪化しているからな。その対策で軍事予算が増額か。

 まだまだ予算を民生に振り向けたいんだが、国益を考えろと言われると反論も難しい。税収が上がった今なら尚更だ」

「昨年の濃尾地震の復興予算では、かなりの費用を持っていかれた。

 水利工事や治水工事予算は天照機関から別個に出ているから助かるが、何時まで続くのかな?」

「知らん。それにしても、今まで天照機関から出された予算は膨大な額になる。国家予算を遥かに超える額だ。

 天照機関はどこにそんな金を持っていたんだ!? その金が最初から自由に使えたら、もっと日本は変わっていただろう!」

「皇室の財産でも、あれほどの額は無理だろう。本当に、何処から持って来たんだ!?

 新聞社の問い合わせは最近は減ったが、俺の方が聞きたいくらいだ!」

「あまり深入りしない方が良い。天照機関は皇室直属の特務機関だ。予算以外にも、陛下の勅命という形で様々な介入をし始めている。

 良い例が俺達の昇進だ。何でも他の省の実務経験が勤続年数の半分以上じゃ無いと、昇進できないような制度を考えているらしい。

 天照機関の事を探ろうとすると、田舎に飛ばされる事もあり得るんだからな」

「……何で他の省庁の勤続年数が、昇進の条件になるんだ!?」

「一つの省だけに長く務めていると、全体を見ないで省利だけを考えるようになるからだとさ。

 それと、事なかれ主義が蔓延するのを防ぎたいらしい。幕末の各藩もそうだったらしいから、二の舞は避けたいそうだ」

「はあ。そうなると、来年は俺は他に行く事になりそうだな」


 国内の景気は上がって、全体が良い方向に向かっていた。

 それでも問題を未然に防ごうと、天照機関は様々な改革を進めていた。

 その一つが官吏の昇進の条件に、他の省の実務を経験している事を加えるというものだった。

 一つの場所にだけ勤めていると、その方面には詳しくなるだろうが、他の分野には疎くなる。

 実務担当者なら良いだろうが、国全体の方向まで気を配る必要がある管理職(上級職)には許されない事だ。

 それ以外にも定期的に組織変更を行うなどして、組織硬直を防ぐには何が良いのかを秘かに話し合っていた。

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 陣内は沙織に好意を持っているし、沙織も陣内に好意を持っている。だからこそ深い関係になって、寝室を共にする関係になっていた。

 結婚は日清戦争の終了まで待ってくれという陣内の希望を沙織は承諾したので、今の二人は同棲している状態だった。

 陣内は協力会社や天照機関との会合が頻繁にあり、週の半分以上はそちらに関わっている。その残りは全て沙織と過ごしていた。

 沙織に不満はあったが仕事と言われれば反論も出来ず、偶に陣内が自宅に帰ってこなくても仕方の無い事と割り切っていた。

 陣内は此処に来るまでは、軽い人間不信に陥っていた普通の若い男だった。容姿も並みであり、そちらの方面の自信は無かった。

 そんな陣内は、今や日本のVIPの仲間入りを果たしていた。多少は浮かれていた面はあるだろう。

 その為、沙織の先輩の楓と関係が切れなかった。

 楓の日本平均を越える容姿とテクニックは魅力的だった。沙織の事を考えながらも、関係を続けていた。


 海外展開に関する打ち合わせを行うという名目で、淡月光の社長室で陣内は楓と会っていた。

 ちなみに淡月光の社長室の奥には、楓の個室も用意されている。そこのベットで二人は激しく汗をかいていた。


「真もだいぶ慣れてきたんじゃ無いの。最初の頃は体力だけが取り柄だったのに、最近は技も中々使えるようになってきたわ。

 これなら海外の女スパイにも負けないと思うわよ。あたしが言える筋じゃ無いけど、免許皆伝までもう少しよ」

「お褒めに預かって光栄だね。楓に負けっぱなしじゃ悔しいから、頑張って技を覚えたんだよ。他でも復習もしてたしね」

「……沙織も床技を覚えられて良いのかどうか悩むところね。ところで真は本気で沙織と結婚するの?

 沙織と結婚したら、あたしとは終わりかしら?」

「……沙織には日清戦争が終わるまでは待ってくれと言って、承諾は貰っている。結婚はその後のドタバタが終わってからさ。

 楓の事は正直言って迷っている。楓が嫌というんじゃ無くて、二股している罪悪感という奴だな。

 俺の生まれた時代は一夫一妻が常識だった。権力者は秘かに妾を持っていたかも知れないけど、俺は単なる若造だったしね。

 そんな俺が楓みたいな美女を拘束していて良いのかと思う時がある。だから楓の自由は縛りたくは無い。

 楓が他の男を選んだら悔し涙を流すだろうが、祝福はさせて貰う。楓を都合の良い女として見ているようで悪いかも知れないけどね」

「あたしは『くの一』よ。真とは違う世界で生きてきて、常識も違うわ。任務の為には命を捨てるのが常識の世界で生きてきたのよ。

 そのあたしが日の当たる場所に出れたばかりか、脚光を浴びる立場になるだなんて昔なら考えもしなかった事だわ。

 その事では本当に真に感謝しているのよ。それに会社を経営する事も面白いしね。だから、そんなに真が考え込む事じゃ無い」

「そうなると、当分はこのままの関係を続けられるという事で良いのか?」

「そうね。あたしも女だから偶には欲しくなる事があるもの。それを見ず知らずの男に身体を委ねるなんて、もう嫌だしね。

 その点、真なら身体の相性も良いみたいだし、ちょうど良い遊び相手だと思っているわよ。

 それに淡月光の事でも、真に頼まなくちゃいけない事もけっこうあるしね」


 二人の関係を知るのは極一部の人間だけだった。

 本人同士が納得している事と、日本の国策と一致する淡月光の成長の為に、二人を邪魔する者は居ない。

 何時までこの関係を続けられるかは不明だが、陣内と楓は問題とは考えてはいない。


「そう言えば、頼まれていたベトナムの件はフランス政府の許可を取ったよ。

 淡月光の工場を建設したいと打診したら、数日後には許可が下りた。

 おまけに通商の許可も貰えたから、ベトナムからの食料が輸入できるようになった」

「列強の現地生産が進みだしているから、そんなに急ぐ事も無かったんだけど。

 まあ、他からも進出要請が多いから、拠点は多い方が助かるわ。でも、それを口実に裏工作を進めるんでしょう」

「ああ。ベトナムの雇用を安定させて、通商を行って現地の経済を改善させる。そして日本の影響力を強める。

 その後は、中国の雲南省と広西省、それにチベット方面への足掛かりとしたい」

「それこそ、十年以上も先の計画よね。策士もいいところだわ。でも、あんまし目立つ事はしないでよ」

「分かっているよ。後でベトナムの民族衣装を買ってくるから、着てくれるかな」

「……たしかアオザイとか言ったわね。身体のラインがはっきり分かるのよね。まったくスケベなんだから」

「刺激になるから、それくらいは良いだろう。話は変わるけど、楓の使っている避妊方法は一般に広められないのか?」

「駄目よ! 床の実技で免許が取れないと、教えては駄目な事になっているの。

 女の身体のある経絡秘孔を突くんだけど、一定以上の技能が無いと危険なの。一般には広められないわ」

「もし、避妊薬が出来たら大ヒットするかな?」

「勿論よ! でも……まさか作れるの!?」

「ああ。まだ量産は出来ないけど、少量ならサンプルはある。今は織姫に頼んで成分を分析中だ。もう少しで結果が出る。

 遊郭でテストして、実績が出れば量産するつもりだ」

「凄いじゃ無い! その時は絶対に淡月光で扱わせて! 大ヒット商品になるわ!」

「評価には数年掛かる。それでも良ければ任せるよ。じゃあ、お礼の前払いでもう一回良いかな?」

「搾り取ったつもりだったけど、もう元気になったの!? 良いわ、『くの一』の秘奥義を味あわせてあげるわ!」


 楓と打ち合わせを終わった後は、料亭で渋沢と飲んで泊まって来ると沙織には伝えてある。

 もちろん、渋沢にはアリバイ作りは頼んである。大丈夫と考えた陣内は灯りを消して、全裸の楓に手を伸ばしていた。

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 日本総合工業の海外事業部が管理する孤児院は、順調に運営されていた。

 高齢の現地の人に協力(洗脳)して貰い、名目上は現地の人間の善意の経営だ。

 協力者が亡くなったところもあって、その場合は遺志を受け継いだ老夫婦(隠密)が孤児院の経営を受け継いでいた。

 孤児の数が三十人を越えた孤児院もある。

 そして教育はかなり濃い内容で、孤児は希望すれば、大学並みの教育を受ける事ができる。

 列強の孤児院はともかく、植民地の孤児院ならば将来は現地の指導層になり得る教育内容だった。

 親しんで貰おうと、孤児院には多くの日本に関する資料がある。食事や文化など、様々な分野に渡っている。

 そして一部の孤児院では天才と評価された子供もいて、本人が希望すれば日本に行けるシステムになっていた。

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 勝浦工場は建設中の建物もあれば、大勢の作業員が働いている工場もある。

 その中で、かなり大きい工場が一つ、稼働を始めていた。それは飛行船の製造工場だった。

 目標としては、年末までには試作の飛行船を造る。何しろ長期計画に組み込まれた事なので、遅れる事は許されない。

 そして飛行船工場は当初の計画通りに、飛行船の建造を始めていた。

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 北米大陸の西部地域に原因不明の伝染病が発生した為、アメリカは該当地域を封鎖地域に指定していた。

 原因不明の伝染病はミズーリ川を越えて広がらなかったが、西部全域に拡大していた。

 太平洋側のワシントン州とオレゴン州も完全に封鎖された。それでも一攫千金を目論む荒くれ者が、封鎖地域に入り込む事はある。

 だが、彼らが封鎖地域から帰ってくる事は無かった。その結果、原因不明の伝染病はインディアンの呪いと噂されていた。



   <<< ウィル様に作成して頂いた北米大陸地図(封鎖地域は白です) >>>

ウィル様作成の地図(北米版)
 そして西部地域から逃げ出した人達は、失われた富を取り返す為に、東テキサス油田に殺到していた。

 その結果、現地は急ピッチで開発が進められていた。それには、西部を放棄せざるを得なかった悔しさがあったかも知れない。

 その様子をアメリカの財界のメンバーは、複雑な視線で見つめていた。


「あんなところに巨大油田が眠っていたとはな。貧乏人が焦って進出しているが、金が無いから設備が用意できない。

 滑稽な事だな。まあ、荷役として使えるから構わんがな」

「石油が見つかった周囲は、広大な牧場が広がっている。そちらでも石油が出るかも知れん。

 早めに土地を買った方が得策だろう」

「これ以上、スタンダード・オイルを大きくするつもりか? 独占し過ぎると周囲の反感を買うだけだぞ。

 ペンシルベニアの原油産出量が減少しているから、他の油田を確保したいという気持ちは分かるがな」

「広大な西部地域が封鎖されたが、テキサス州で巨大油田が見つかったから少しは穴埋め出来る。

 原因不明の伝染病も、そのうちに治療法が確立されるだろう。やはり神の恩恵なのかもな」

「少々、不審に思わぬか? 西部地域が封鎖された後に、間髪入れずにテキサス州で巨大油田が見つかるなど都合が良過ぎる。

 何者かの作為を感じる。皆はどうだ?」

「考え過ぎでは無いか? 偶然の一致という事も考えられる。それに東テキサス油田を見つけたのは普通の民間人だぞ。

 石油を担保に銀行から巨額の融資を受けて、慌てて設備を導入している」

「そうだな。周囲からも原油が採れているが、どの業者も事前に準備していた形跡が無いのは調べがついている。

 作為というが、考え過ぎだ。西部の開拓を中断されたが、国内で巨大油田が見つかった事を喜んでも良いだろう」

「これで開拓精神が失われる事は無くなるだろう。本当に神の思し召しかも知れぬな。

 カリブ海と太平洋進出は、予定通りに行われるだろう」

「手始めにハワイ王国。続いてスペインか。予定通りだな」

「ああ。既にハワイ王国を占拠する準備は整っている。スペインの方は準備を進めておく必要があるがな」


 アメリカの指導層にとって、広大な西部地域の開拓中止は想定外の事だった。

 約四十万もの国民を失って開拓精神が損なわれるかも知れないと危惧したが、それは東テキサス油田の発見で帳消しされた。

 こうして原因不明の伝染病の研究は続けられ、カリブ海と太平洋への進出計画は進められていった。


 尚、東テキサス油田の産出地域の約三分の二は、ダミー商社によって名義を分散して取得されていた。

 陣内は東テキサス油田の富を独占する気は無かった。独占すると、ダミー商社が疑われて長期計画に支障が出てしまう。

 だからと言って、石油を産出する地を素直に他者に譲る気は無く、価格を吊り上げた後で土地の大半を売り払った。

 その売却益は莫大な額になり、そして残る土地からは原油を掘り出して、富を得ていく。

 その利益は他からの各種の原材料の調達や、未発見の鉱山などの買占めに使われていった。


 一例としてはヘリウムだ。地球では希少であるヘリウムが、アメリカのグレートプレーンズ地下に埋蔵されている事は分かっていた。

 史実では1903年にカンザス州のデクスターで、石油掘削のボーリングを行った時にヘリウムが採取された。

 今回は、それらをダミー商社が採取して、秘かに大量のヘリウムを第三国を経由して日本に持ち込んでいた。

 ヘリウムは埋蔵場所が限定されており、希少価値がある。それに飛行船に使う予定もある。

 こうして北米にあるヘリウムは、合衆国政府が存在を知らぬまま、日本によって大量に使われ始めていた。

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 イギリス政府からの命令で、インドに駐留していた艦隊はオーストラリアに向かった。

 衛星軌道上からの偵察情報で陣内はそれを知ったが、現地に伝えるだけで何もしなかった。

 まだ艦隊を殲滅する兵器を準備していないし、正面きってイギリス帝国を攻撃するなど愚の骨頂だと考えたからだ。

 そのような理由から、インド駐留艦隊は妨害を受ける事無く、オーストラリアに到着していた。

 艦隊の到着の少し前から都市部への攻撃を控えた為、結局は襲撃犯人を見つけ出す事は出来なかった。

 そして艦隊司令部は調査隊を編成し、内陸部に向かわせた。

 その調査隊の進行先には、陣内の連絡を受けたゲリラ兵士の三チームが罠を仕掛けて待ち構えていた。

 そしてインド駐留艦隊の兵士約千五百人は、誰から攻撃を受けているのかも分からぬまま全滅してしまった。

 その事は、イギリス政府中枢に大きな衝撃を与えていた。

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 天照基地の建設はあまり進んでいなかった。採掘用ロボットや建設用ロボットが、【出雲】に出払っていたからだ。

 とは言え、全然進まない訳では無い。

 織姫の直轄する自動ロボットや汎用アンドロイドによって、重水素採取装置と海水に含まれる鉱石採取装置が完成していた。

 これの完成により核融合炉の燃料の心配は無くなり、海水に含まれる各種の鉱石を取り出す事で今まで調達し難い素材も量は少ないが

 入手可能になっていた。これによって、天照基地の生産能力は格段に上昇していた。


 そんな天照基地で、【出雲】に設置する各種の工作機械や自動製造装置の製造が行われていたが、それだけでは無い。

 インディアンとアボリジニ向けには様々な補給物資が、北部アチェ王国向けにはイギリス製と同じ銃と弾薬が生産されていた。

 北部アチェ王国向けの武器は、現在のイギリス軍が使用しているものをコピーしたものだ。

 もっと高性能な武器を生産できるが、オランダに誤認させたい為もあって、敢えてイギリス軍と同じ物を生産して供給していた。

 そして効果は徐々に出始めており、北部アチェ王国はオランダ軍を押し返し始めていた。

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 季節は夏。日本各地の農村では、相変わらず農業用の水利工事や治水工事が行われていた。

 そしてトラクターを始めとする様々な農業用特殊車両の普及が進み、各地の農村は大きく変化していた。

 従来は田植えや稲刈りの時は大勢の人手が必要だったが、機械化された為に人手は少なくて済むようになった。

 トラクターを使った荒地の開墾も盛んに行われ、日本全体の耕作面積は徐々に拡大している。

 とは言え、問題が無い訳では無い。稲の間に雑草が繁殖すると、収穫量は減ってしまう。

 それらは自動化される事無く、農家の負担になっていた。

 そして多くの小作人が、建設現場や工場勤務に転職していく傾向は変わらない。つまり農村からの人口流出に歯止めが掛からない。

 そこで農協は一計を案じた。付近の子供達にアルバイトを呼びかけて、農家に協力させたのだ。

 また、産業促進住宅街の比較的時間に余裕がある御婦人に、手伝いの募集を掛けていた。

 一時期は労働者不足が懸念され、最悪の場合は海外から呼ぼうかという意見があったが、何とか農村の労働力は確保できた。

 日陰で休んでいる三人の農夫は、お茶を飲みながら雑談していた。


「機械が入って楽できると思ったが、やっぱり草取りなんかは無理だっぺな」

「ああ。子供達の手伝いがあったから何とかなったが、やっぱり人手は必要だわな」

「完全に機械に任せる方が無理だって。やっぱり米には愛情を注がなくちゃ育たねえ」

「それに機械と言っても田んぼが広いと時間が掛かるしな。稲刈りの時はどうすんべ?」

「農協の人から聞いたけど、今の機械は初期型なんだと。数年経つともっと大型の機械が出てくるって言ってたぞ」

「ほんとか? でも値段が馬鹿っ高いんだろうなあ」

「農協で買って、貸し出してくれれば良いさ。はあ、やっぱり楽して農家は出来ねえだな」

「隣村の田吾作みてえにバイクを使った商売を始めるのも良いかもしんねえ。でもおらには無理だべ」

「田んぼを手放すのも一つの手だな。どっかの会社がまとめて買って、社員が農家の真似をしているとこともあるとさ」

「へえ? 社員が農家の真似? あんまし農業を簡単に考えねえ方が良いと思うがな」

「昔ながらのやり方もある。そういや、この前に農協の人が来て、爺ちゃん婆ちゃんに昔の事を聞いてたな」


 機械は万能では無い。昔ながらの良いやり方もある。機械化が進むと失われる手法も、今ならまだ多く残っている。

 そういう観点から、農協の職員は各地の老人から農業のノウハウを聞き出していた。

 そして後日、日総出版から日本の国土に合った農業教本が出版された。

 余談だが、理化学研究所は人体に影響が少ない農薬の開発にも取り組んでいた。

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 日本各地で道路工事や鉄道工事、それに港湾施設の改修工事が相次いでおり、建設会社が次々に設立されていた。

 今までは人海戦術で工事を進めるしか方法が無かったが、昨年に販売を開始した建設用の重機は工事現場を大きく変えていた。

 掘削機、ローラー、ダンプ、シャベルカーは、導入前と比較すると作業効率を一変させた。

 勿論、直ぐに全国に普及する訳では無い。導入するにも資金は必要だ。(建設用重機の購入には、渋沢系列の銀行が低金利で融資)

 それでも今までは手が付けられなかった険しい自然条件のところも、重機を使う事で開発の手が広がっていった。

 自然保護の観点から、開発しない地域は決まっている。完璧は無理としても、可能な限り自然と調和した開発が進められていた。

 ある工事現場で、監督が視察に来た役人と話していた。


「ここの工事現場はもう直ぐ終わるな。やっぱり建設用重機が導入された事で、だいぶ作業時間が早くなったのか?」

「そうですね。今までは人手を使ってやっていた作業も、機械なら時間が短く済みます。それに作業員の疲れも少ないですしね。

 工事の全てを機械が出来る訳ではありませんが、やっぱりあると助かります。

 それに作業者の大部分は、産業促進住宅街の人達です。

 工事に従事するようになって三年も経ちますから、かなり慣れてきました。それによる効果もあります」

「ふむ。関係部署に聞いてきたが、今の重機は輸出を考慮した初期型だそうだ。

 もう少しすると海外に輸出を始めるが、それと同期して今より大型の重機を国内に販売すると言っていた。

 そうなったら、君の会社でも導入するかね?」

「それは値段次第です。低金利の融資を受けられると言っても、やっぱり高過ぎると尻込みしますよ。

 どれだけ大型化するかは知りませんが、採算に合うか合わないかです」

「それもそうだな。それにしても、今の日本は何処に行っても工事だらけだ。

 道は広がって鉄道の整備もだいぶ進んだ。産業促進住宅街を中心に、周辺が大きくなっている地域もある」

「そうですね。この工事の前は、産業促進住宅街と県庁のある街を結ぶ道路工事でした。

 産業促進住宅街は貧乏人の住むところって陰口もありますが、立派な街だと思いますよ。

 何より活気がある。これを上手く使わない手は無いでしょうね」

「天照機関という皇室の直属の機関から、特別に予算が出ているからな。けっこう整備も進み易い」

「陛下の御威光も上がるでしょうな。それに産業促進住宅街の労働力を見込んで、工場が進出する話も聞いてます」

「それは私も聞いている。それと子供が遊ぶ遊園地なるものを各地に建設する計画があると聞く。

 既に都市部に近い土地が購入されている。そうなると、まだまだ国内で工事が途切れる事は無いな」

「ありがたい事です。仕事が多く入れば入るほど、あいつらの給料を上がられますからね」

「それで景気が刺激されるか。まったく上も良く考えるもんだな」


 今の日本は建設ラッシュに沸いていた。それが景気を上向かせ、良い方向の循環サイクルとなっている。

 それと産業促進住宅街は殆どが第一期の計画が終了し、第二期の建設に取り掛かっているところが多かった。

 第一期は緊急避難的なところがあるが、第二期は居住人口を増やして公園やプール、運動施設などの慰安・スポーツ施設の充実を図る。

 つまり第二期の産業促進住宅街は、これからの模範となる街を目指して建設が進められていた。

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 南大東島(約30.6km2)は天照基地のある北大東島の近くにあり、登記上は陣内の個人所有地となっている。

 今の南大東島には日の丸を付けた施設があるだけで、まったく開発は行われてはいなかった。

 将来的には大規模軍事施設を建設する計画だが、今は他に優先する事があって工事着手の目処は立っていない。

 島の周囲は広範囲に渡って有人の島は無く、兵器の試験には絶好の場所と言える。

 その南大東島の上空に、鮮やかな色の西洋のドラゴンらしきものが五体、静かに浮いていた。

 昨年に陣内が織姫に指示して製造させた『バハムート』だ。全長は二十メートル。

 反重力ユニットを体内に組み込んで、動力炉と小型の粒子砲、それに超音波を使用した強制睡眠装置を内蔵している。

 稼働時間は約五十時間で、最大速度はマッハ十(時速約一万キロ)にも達する。この時代では無敵の兵器と言えるだろう。

 冷静に見ると原色に近い赤と青と黄とピンクと緑の五色であり、その事で頭痛がする人間がいるかも知れない。


 五体の『バハムート』は飛行速度試験を行った後、口から粒子砲の青白い光を放って、南大東島の大地を抉り取っていた。

 『バハムート』が内蔵する粒子砲は、広域破壊兵器では無く貫通兵器だ。隕石迎撃用の小出力の粒子砲を組み込んだ。

 しかし小出力と言っても、その破壊力はこの時代の如何なる艦船でも耐えられない。

 現時点で空を飛行する兵器を人類は所有していない。そして対空兵器も存在していない。

 この『バハムート』の力が解放される時、その攻撃対象は抗う事さえ出来ずに、ただ蹂躙される運命が待っている。

 同じく二体の『白鯨』の性能試験も無事に終わり、陣内に引き渡されていた。


 この『バハムート』を破壊目的で使えば、時間は掛かるが世界を滅ぼす事も可能だろう。だが、そんな事をする気は無かった。

 陣内の目的は世界の滅亡では無く、繁栄だ。もっとも、日本とその味方だけという制限はあるが。

 この『バハムート』と『白鯨』の使用対象は如何なる組織なのだろうか? それを知るのは天照機関のメンバーだけだった。

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 この時代のフランスはナポレオンによる帝政が終わり、第三共和政が布かれていた。

 独仏戦争に敗北して領土をドイツに奪われ、多額の賠償金を課せられたフランスは、海外の植民地の獲得に積極的だった。

 (選挙制を採用している共和制だったが、植民地を増やして搾取するのに積極的だった。これがこの時代の常識だ)

 ドイツに敗北はしたが、この時期のフランスはイギリスに次ぐ規模の植民地を持っていた。その一つがベトナムだ。

 そのベトナムに、日本が進出したいと申し込んできた。普通ならフランスの植民地に、日本の進出を認めるはずが無い。

 しかし、女性専用用品の生産工場の建設という理由の為、フランス国内からも多くの賛意が集まってきた。(主に女性達)

 結局、日本の進出を認可して、その事に関する関連部署の調整が行われていた。


「淡月光のベトナム工場は、結局は認可せざるを得なかったか」

「仕方あるまい。有力政治家の奥方や国内企業の圧力があったんだ。ハノイの中心部は避けて沿岸部に工場を建設する計画だ。

 確かハイフォンだったな。現地の人間を多く雇用すると言うが、我々に影響は少ないのでは無いのか?」

「そうとも言えん。原材料の採取という名目で、北部の丘陵地帯の開発権利と通商認可も持っていきやがった。

 こっちが断れないのを見越しているんだ。まったく抜け目の無い奴らだ」

「北部の丘陵地帯は未開発地域だし、本当に有益な資源があるのかも疑わしい。

 それより通商許可を出したのは拙かったのでは無いか? 現地の自立を促す事にも為りかねんぞ?」

「仕方あるまい。上からは日本に協力しろと指示が出ているし、工場進出と通商の許可はセットだと言われれば駄目だとも言えん」

「日本は大量の食糧を輸入しているからな。それでベトナムに目を付けたのだろう。

 だが、淡月光の工場監査を定期的にやれば良いだろう。それで変な事を見つければ、直ぐに追い出せる」

「……淡月光の工場監査はやるつもりは無いぞ」

「何故だ!? それは我々の権利だろう!」

「お偉い方の奥方からは、我々が触った商品など使いたくないから、生産現場への立ち入りは認めないと厳しい通告が来ている。

 それに工場の従業員は殆どが女だ。そんな女の園に踏み込めるものか! どうしてもやりたいのなら、お前がやるんだな」

「今の我が国は日本から発電機やベアリングを始めとして、ビタミン剤の製造装置や真空管、無線通信機を輸入している。

 淡月光と揉めると、そちらの輸入に支障が出かねない。問題を起こす訳にはいかないぞ」

「むうう。だったら淡月光には何も手出しが出来ないのか!?」

「女に手出しをすればしっぺ返しがあるが、男は別だ。淡月光の工場に出入りする男達を監視していれば、問題は無かろう」


 この当時、植民地支配しているところは、支配している国の商人を優先して権益を与えている。

 ベトナムの場合はフランスの商人が殆どを独占している。そこに日本が割り込んできた。

 確かに淡月光の生産工場だけなら問題は無いだろう。だが、北部の丘陵地帯の開発権利と通商許可を出してしまった。

 ベトナムを支配するフランス側は、日本を厳しく監視する事で合意していた。

 それは日本も承知の上だ。そしてダミー商社を使って、何とか目立たないように工作を進めていた。

 余談だが、ベトナムから日本への輸出品は米とアオザイ(女性用の民族衣装)が大部分だった。

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 イギリスは世界に覇を唱える帝国だ。しかし、完璧な存在では無い。

 世界各地の植民地でトラブルが発生して、それはイギリス帝国にとって大きな負担になっていた。

 北米大陸の原因不明の伝染病ではカナダが被害を受け、オーストラリアでは内陸部に踏み込んだインド駐留艦隊に

 大きな被害が出た事はイギリスにとって大きな問題となっていた。


「インド駐留艦隊の兵士約千五百人が、オーストラリア内陸部で全滅か。一人も生きて帰らなかったとはどういう事だ!?」

「分からん。期日を過ぎても戻った来なかったから偵察隊を出したのだが、彼らも戻って来なかった。全滅したとしか思えん。

 偵察隊には無線通信機を持たせてあるが、その応答も無い」

「内陸部の入植地は全滅に近く、現地では動揺が広がっている。このままでは拙い。何とか手を打たなくてはな」

「千五百人が全滅したのだぞ! どうするつもりだ!? まさか人海戦術で、次は一万人の兵士を投入しろと言うのか!?」

「何も一万人もの兵士を投入する必要は無い。小グループに分けて、それぞれに無線通信機を持たせて状況を逐次連絡し合う。

 まずは敵が何なのかを見極めないと何も出来ない」

「……そうだな。では罪人を特赦させて偵察役をやらせるとしよう。捕まえてあるアボリジニを使うのも良い。

 このままでは現地の動揺が拡大して、ニュージーランドに逃げ出す輩も出て来る可能性がある。対応は早い方が良い」

「そうだな。オーストラリアはその方向で良いだろう。後の問題はカナダだ。アメリカの出方はどうだ?」

「医療関係者は病原菌の特定に務めたが、その医療関係者にも伝染病が発生した。その為に、調査は中止だ。

 ミズーリ川の東側には不思議と伝染病が発生しないから、現在は封鎖に留めている。ワシントン州とオレゴン州は完全に封鎖された。

 そんな状態で、東テキサス油田が見つかったろう。今じゃ、そこの開発に掛かりっきりだ。しばらくは、西部開拓は中断だろうな」

「……原因を特定できないか。本当にインディアンの呪いじゃ無いかと疑いたくもなるな。……日本に頼んでみるか?」

「日本だと? 何でそこに、日本が出て来る?」

「最近の日本は医療関係にも力を入れているらしい。それに失敗して日本人が死んでも構わないだろう。

 駄目で元々、成功すれば儲けものという奴だ。どうだ?」

「それは良いかもな。よし、早速打診してみよう。見返りは現地の鉱山の一つでもくれてやれば良いだろう」

「あんまし阿漕な真似はするなよ。日本が拗ねて真空管や無線通信機の輸出を渋るようじゃ困るからな。出来るだけ穏便にな」


 イギリスは発電機や真空管などの多くの新商品の開発に努めていたが、まだ成功していない。

 その為に、日本との通商に支障が出ては困る。とは言え、カナダに関しての打開策は見えてこない。

 藁をも縋る思いで国内の魔女組織との接触を試みたが、良い結果は出ていない。

 だったら、地震を予知して数々の医療分野の発見や発明を行った日本に、やらせてみようという意見が大半を占めていた。

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 【出雲】の入植が始まって約一年。各施設の建設はまだまだ終わっていなかったが、以前と比べると大分様変わりしていた。

 ファイラカ島は軍港として使う予定だが、現在のところは港湾施設や倉庫群、宿舎などの建設がメインで進められている。

 造船所や軍事工廠の建設はかなり後になる。(潜水艦ドックも同じ)


 史実のクエートの南部にある【出雲】の沿岸部には巨大な港湾施設が建設され、建設資材を積んだ輸送船が頻繁に入港している。

 その港の周囲には、日本総合工業によって重化学コンビナート群が建設されていた。(天照基地からの設備の搬入は、約半分が終了)

 地下を掘れば直ぐにでも石油が入手できる事は分かってはいるが、態々他から輸入している。これも地下資源の存在を隠す為だ。

 そして港湾施設や工場群から少し離れた沿岸部には、巨大な海水の淡水化プラントがある。

 飲み水にも事欠く現地では、この淡水化プラントが命綱だ。飲料用には逆浸透式を、農業用には蒸留式の二種類を採用している。

 膨大な電力が必要になるが、それを供給しているのは火力発電所の地下に設置された核融合炉(最大2000万KW)だった。


 少し内陸部に入ると、居住区がある。現在は約二千人分の住居が用意されていて、段階を踏んで拡張する。

 将来的には数十万人規模の居住区を建設する計画だ。その為に個人宅は基本は認められておらず、集合住宅が基本になっていた。

 それと隣接して農業地区がある。

 試験的に乾燥に強い耐性を持つ穀物の種子を撒き、淡水化プラントの水をスプリンクラーで定期的に散水している。

 それと屋内式の農場もある。こちらは簡易のビニールハウスの拡大版で蒸発する水を回収して再利用している。

 どちらも今年の春から稼動を開始している。荒地の方の収穫量は低めだが、屋内式の農場の収穫量は期待できる。

 秋の収穫を待って、結果が出れば屋内式の農場をさらに拡大する計画だった。


 さらに内陸部入ると荒地と砂漠だけになる。そこには理化学研究所で開発された乾燥に強い植物が植えられていた。

 砂漠の緑化の為だ。ここで成功すれば、他の砂漠にも適応できる。そうなれば、諸外国から引き合いがくるだろう。

 いきなり荒地と砂漠の全域を緑化できる訳も無く、徐々に進める計画を組んでいる。

 この当時、【出雲】の北側のクエート市とは明確な国境線が引かれていたが、西と南は不明確だった。

 よって西はカイスーマ付近まで、南はサッファニヤーまで秘かに国境線を拡大する事を考えている。

 まだ開拓が始まったばかりで、周辺の国家との関係は定まってはいない。

 イスラム圏のど真ん中という事もあって、友好を基本方針としている。

 オスマン帝国とは昨年に国交を結び、発電機や新型電灯を含んだ様々な新商品の輸出を始めている。

 クエート市のサバーハ家はオスマン帝国の支配下にあり、史実のサウジアラビアの首都リヤドはラシ−ド家が支配している。

 その【出雲】に陣内と沙織は視察に訪れた。そして現地の責任者の山下邦彦と田中誠司と、打ち合わせを行っていた。


「かなり建設が進んできましたね。この分だと一部の工場は来年から操業を始められるでしょう。

 秋の収穫が順調なら一気に農場を拡大して、食料自給が可能な形に持ち込めますね」

「はい。各施設の建設は色々な支援をいただいているので順調です。ですが、少々問題も発生しています」

「問題? どんな問題ですか?」

「クエート市のサバーハ家からの要望なのですが、飲料水を融通してくれというものです。

 まだまだ立ち上げの最中なので、何処まで彼らの要望に応えたものか悩んでいるのです」

「最初から甘い顔をしていると舐められる可能性もありますからね。……国境線のこちら側に水の給水場所を設けましょう。

 取りにくれば、一般市民に水を配れるようにして下さい。ドサクサに紛れて、国境線を少し北側に伸ばしても文句は出ないでしょう。

 来年以降は人工真珠の生産が軌道に乗って、クエート市民の生活は打撃を受けます。

 此処は我々の領土ですが、元から住んでいた住民から見れば異端者です。

 あまり諍いは起こしたくはありませんから、出来るだけ協調路線を取って下さい。

 それと余裕が出来てからで良いですから、数千人規模の収容施設と礼拝所も建設して下さい。それと食事にも気をつけて下さい。

 我々は彼らと上手く付き合って、信頼を得なければならない宿命なのです」

「……分かりました。国境線を北に移動する条件で、水を供給する交渉をします。

 それとサウード家と接触に成功しました。私の護衛の銃が気に入ったらしく、欲しがったので渡しておきました。

 これからも定期的に会います。何と言っても将来のサウジアラビア建国の父ですからね」

「【出雲】の西と南は砂漠と荒れ地の人口希薄地帯です。少しぐらい強引に国境を広げても、文句を言ってくるところは無いでしょう。

 周辺の住民とのトラブルは困りますが、タイミングを見て可能な限り拡大して下さい。緑化を進めれば、逆に歓迎される。

 オスマン帝国との交易は順調に進んでいますので、誰も今の【出雲】に手出しをしてくる事は無いでしょう」


 まだまだ【出雲】は立ち上がっていないので、発言権など無いに等しい。

 【出雲】が立ち上がって自給自足の体制が整えられ、周辺国家と対等に付き合えるまでは忍耐の日々が続くだろう。

 当初の見込みでは約十年だ。数年後にはある程度は形になるが、砂漠緑化や農場拡大を含むと十年は最低掛かると見積もられていた。


「【出雲】の開発に全力を尽くします。ですが、支援は御願いします」

「勿論です。ディーゼルエンジン装備の二万トン級の輸送船が就役しましたから、日本からも大っぴらに物資を運び込めます。

 輸送体制は随時拡大させますから、補給は任せて下さい」

「御願いします。それと陣内代表はこれからどうされます? 日本に戻られるのですか?」

「いえ。沙織と一緒にオスマン帝国の首都と欧州を一周してから帰ります。やはり一度は自分の目で確認したい事もありますしね」

「はあ、新婚旅行ですか? 羨ましいですな」

「そんな嫌だ、新婚さんだなんて恥かしい!」

「沙織……ちょっと静かにしてくれ」

「……ごめんなさい」

「まあ、似たようなものですけどね。幸いにも私の顔は売れていませんから、秘かに視察が出来ます。

 今後の対応も考えたいですしね」


 陣内は残してきた由維と美香の顔を思い浮かべた。仕事が忙し過ぎてストレスが溜まった二人に休暇をあげて、元気が戻っていた。

 だが、前回に引き続いて陣内と沙織が長期出張だと、また二人に負担が掛かる。

 緊急時には連絡が来るだろうが、二人の事を考えると早めに戻った方が良いだろうと陣内は考えていた。

(2013. 5.25 初版)
(2014. 2.23 改訂一版)