実業家の渋沢は多くの会社の設立に関わっており、その人脈は日本のトップクラスと言える。
それらの多くの会社のトップの中から、選りすぐりの人達を陣内に送り込んで睡眠教育を受けさせていた。
その人達を自宅に集めて、渋沢は会議を開いていた。
「国内の改革は順調に進んでいる。懸案だった農村の建て直しも、農作業用車両の大量投入で進み出した。
不足分は海外からの輸入で補っているし、軽工業と重工業も順調に伸びている。後は数々の新商品の国内普及を待つだけだ。
時間が経つほどに我が国は発展していく。数年前には考えられなかった事だ」
「そう楽観して良い事では無いぞ。国内の産業が活性化して輸出は増加傾向にあるが、諸外国の脅威は残っている。
気を抜くと大きな落とし穴に嵌る危険性がある。特に【出雲】は日本が初めて得た海外領土だが、リスクも大きい。
気を引き締めて対応する必要があると思うが」
「そうだな。希望が見えてきたが、努力を怠る訳にはいかない。
日本総合工業が牽引役を務めてくれているが、他の中小企業の支援も行う必要がある。
何と言っても独占主義は拙いからな。幸いにも陣内代表は他の企業の発展に好意的な立場を取っている」
「国内改革も良いが、そろそろ海外展開も考えた方が良いだろう。幸いにも淡月光や他の新商品で、海外の評判は良いからな。
進出するなら今だろう」
「あれは日本総合工業がバックアップしたから出来た事だ。我々単独では無理だ。
それに我が国は災害が多い国だ。まだまだ国内の改善の余地はあるし、それを進める方が重要では無いのか?」
「ふむ。一週間後の早朝に濃尾地震が発生する。
政府から内示を受けて、被害が多いと予想される周囲の県の産業促進住宅街の倉庫に、大量の食料と毛布を運び込んだ。
後は全国で一斉に行われる避難訓練がどう影響するかだな」
「確か地震発生時刻は朝の六時半頃だったな。それで朝の六時から避難訓練を行うとは、少々わざと過ぎないか?」
「内密に聞いたら、天の啓示という形をとるらしい。一瞬呆れたが、陛下の御命令という形で納得させると言う事だ。
陛下の御威光が上がるし、反対する輩も少ないそうだしな。まあ、後はどう纏めるか見物させて貰おう」
「未来の事を知っているなど、口が裂けても言えんしな。陛下の御命令と言われれば、誰も逆らえん。
悪い事をする訳でも無いし、これで被災者の数は史実より激減する。問題はその後の再開発だ」
「我らもそうだが、財閥系の企業が【出雲】への入植用として大量の建設資材を手配済みだ。
それに再開発の計画が既に練られている。住宅地と工業団地を明確に区分し、道路なども二車線道路が整備される計画だ」
「産業促進住宅街の建物は免震設計だと聞く。この地震で効果が判れば、再建される建物は免震設計になるだろう。
そうなれば、全国にも波及する。費用は掛かるだろうが、しばらくの間は内需が下がる事は無い」
天照機関は濃尾地震の対策準備を進めていた。そして災害を逆手にとって、日本の改革をさらに進めるつもりだった。
***********************************
10月28日。早朝の6時38分にマグニチュード8以上の地震が、岐阜県本巣郡西根尾村を震源地として発生した。
典型的な直下型地震で、被害は近隣の県にも及んだ。史実では死者7273名、負傷者17175名、全壊家屋は14万2177戸。
震源地付近の山の木は全て倒れ、禿山になったという話が伝わっている。
だが、陛下の御命令によって全国で一斉に避難訓練が行われていたので、地震の被害はだいぶ抑えられた。
通達を無視して避難訓練をさぼった人達もいたが、大多数は消極的ながらも避難訓練に参加していた。
その時に地震が発生した。当然、参加した全員は屋外の避難場所に集まっている。
その結果、家屋倒壊で死亡した人は激減していた。そして予め配置してあった警察や軍が、直ぐに救助活動に入っていた。
救援物資は産業促進住宅街の倉庫に山積みされており、直ぐに使える状態にあった。
この地震で土蔵の被害は比較的軽かったが、古くからの建物や欧米の技術で造られた近代建築物はかなり壊れてしまった。
だが、天照機関が進めてきた産業促進住宅街の住宅や倉庫は、一部は破損したが倒壊した建築物は皆無だった。
公共施設の新規案件は免震構造である事を推奨していたが、普及は中々進んでいない。
この地震を受けて、一気に全国に免震設計の建設が進んでいった。
一部の政治家や新聞社は産業促進住宅街を予算の無駄使いと批判していた。
だが、この結果を受けて産業促進住宅街の価値が認められ、今までの批判を日総新聞から徹底的に追及されていた。
反省して態度を改めるのなら良いが、下手な言い訳をした政治家と新聞社に批判の嵐が吹き荒れた。
その結果、某政治家は次の選挙で落選し、某新聞社は読者離れが進んで廃業に追い込まれた。
そして災害が多い日本において、災害防止に関する予算の批判は少なくなっていく。
地震を予知したと思われる陛下の御命令に世間の視線が集まった。だが、陛下を深く追求できる人間など誰もいない。
諸外国の注目も集めたが、結局は惚け通した。その結果、陛下の威光がさらに高まる結果となっていた。
***********************************
数多くの童話や技術本を発刊している日総出版は、子供向けのSF小説やファンタジー小説の出版も始めていた。
どれもが皮肉が篭った内容で、史実のPTAなら絶対に批判されるだろうという内容が数多く含まれていた。
その一部を御紹介しよう。
魔法武士:大和武
才能に溢れた心優しい少年だ。文武に優れた才能を持ち、とある小国の跡取りだった。
優しい両親と可愛い妹に囲まれて、不自由ない生活を送っていた彼だが一つ問題があった。両親が異常なまでに彼を可愛がったのだ。
汚い事柄を教えようとはせず、理想や良い事だけを武に教え込んでいた。当然、悪い事をしても叱られたり体罰を受けた事は無い。
ある時、二人の異国の漂流者がその国に流れ着いた。一人は容姿と弁舌に優れており、あっという間に領主に気に入られた。
もう一人は醜い容貌をしており、口下手だった。少し気味悪がられたが、行く当ても無い事から掃除係りとして雇われていた。
容姿と弁舌に優れた男は文武に関する才能は無かった。人心掌握や経理、政治などの才能も無い。
唯一あるのは弁舌だけで、他の重臣を次々と弁舌によって貶め、そして排除していった。
やがてその小国は容姿と弁舌に優れた男によって衰退し、そして隣国に攻め込まれて滅亡した。
人の表面しか見ていなかった武の両親の領主夫妻は公開処刑され、可愛い妹は奴隷の身分に落とされた。
武は何とか逃げたが、顔に一生残る重傷を負った。
今まで大きな挫折をした事が無い武は逆境に弱く、呆然自失の状態になり、これから何をすべきかさえ判断できなかった。
これも今まで過保護な親が敷いたレールの上しか歩いてこなかった為だ。そして何度も自殺をしようと試みた。
そんな武を助けたのは、醜い容貌の口下手な掃除係りの男だった。醜い容貌の口下手な男は武を厳しく叱責し、そして導いた。
やがて武は秘めた魔法の才能を開花させ、受けた恩義を忘れる事の無かった男と一緒に国を再興する話だ。
旅するうちに色々な人と会い、時には絶世の美女の誘惑に負けそうになったり、裏切られたりもした。
絶望のどん底にあっても希望を失わなければ道は開ける。そして目的の為に卑劣な手段を使うと、その因果は自分に戻ってくる。
人間としての最低の矜持は守らなくては為らない。表面上の友愛に囚われて大義を見失うと、大きなものを失う。
画一的な平等主義は、見方を変えれば不平等主義になる。小数の意見を聞く事は必要だが、時には独断も必要だ。
そんな教訓が詰まっている小説だ。まだPTAと言う組織は無く、今のうちから様々な教訓を全国に広めるつもりだった。
魔法少女戦隊:アマテラス
三人ずつの仲良しのグループが三つ、合計九人が異世界に召喚された。
その世界は崩壊の危機にあり、それを回避するには幽閉された幼い女王を救出しなくてはならない。
三つのグループの少女を召喚した導師は、其々のグループに依頼した。
迷いながらも九人の少女は依頼を承諾した。何より、女王を救出しないと日本に戻れない。
その三つのグループはシンボルとなる色があった。赤と青と緑だ。
早速、三つのグループは幼い女王を救い出そうと、導師がつけてくれた道案内の可愛い動物と一緒に旅を始めた。
赤グループの女の子達は北を目指した。その途中に可愛い動物を保護した。だが、その可愛い動物は敵の魔王が送り込んだ魔獣だった。
旅の途中、赤グループの女の子達が気を許したと判断すると、可愛い動物は姿を魔獣に変えて少女達に襲い掛かった。
その中のリーダーの女の子は可愛い動物が魔獣だなんて信じられない。騙されているだけだと言って、攻撃されても反撃はしなかった。
何度も魔獣に呼びかけたが、魔獣が反応するはずも無い。そして一方的に倒されてしまった。
残る二人は導師が教えてくれた魔法を使おうと長い詠唱を唱えている間に、同じく魔獣に倒されてしまった。
そして三人は魔王が支配する国に連れて行かれて、慰み者にされてしまった。
青グループにも同じ魔王の部下が送り込まれた。そしてグループの一人が魔獣に捕まってしまった。
仲間を殺されたくなければ武器を捨てろという魔獣の脅迫に屈した残りの二人は、武器を捨てて三人とも捕まってしまった。
そして赤グループと同じく、魔王が支配する国に連れて行かれて、慰み者にされてしまった。
緑グループにも同じ魔王の部下が送り込まれた。そしてグループの一人が魔獣に捕まってしまった。
だが、脅迫に屈せずに重傷を負いながらも魔獣を倒して、仲間を助け出した。
外観だけを重視すると痛い目に遭う。安っぽい正義感に捕らわれて大義を見失うと、その因果は自分に跳ね返ってくる。
でも、仲間は大事にしないといけない。二律背反に悩みながらも成長していく少女達。
やがて隠された魔神を探して、その異世界を救うという話だった。
まだまだ娯楽が少ない時代の為に、こういったファンタジー小説は多くの子供の心を掴んだ。
そして多くの子供に、様々な教訓を伝えていた。
これらのファンタジー小説のヒットにより、以前から計画されていた漫画の出版も本格的に検討されるようになっていた。
**********************************************************************
季節は秋。各地の農村では昨年までは見られなかった光景が広がっていた。
実った米を稲刈り機が収穫している。収穫された米は自動的に袋に入れられ、その様子を多くの農家の人達が熱心に見学していた。
田植えと同じだ。機械による自動化の威力を、認識させられていた。
近くの荒地ではトラクターが開墾を行っており、その周囲では建設用の重機が農業用水の工事を行っている。
そんな光景が日本のあちこちで見られるようになっていた。
***********************************
淡月光の販売店の従業員は、全て若い女性だ。試着の説明や色々な女性用品の使い方の説明を男が出来るはずも無く、当然の事だった。
海外の販売支店には日本女性が五〜六人派遣されているが、必ず一人は『くの一』が混じっていた。
男の日本人も派遣されているが、彼らは在庫や輸送の手配等の下支えであり、主役は若き女性だ。
だが、良い事ばかりでは無く、若い日本女性が現地の人に襲われる危険性もある。その為に、護身術を身につけた『くの一』が居る。
アメリカ支店の派遣された日本人女性二人が、少し疲れた表情で話し込んでいた。
「日本から派遣されたのはあたし達五人で、現地で採用した女の子は無しなのよ。これじゃあ完璧な人手不足よ。
早く現地の女の子を採用しないと駄目でしょ。応募はかなりあるんでしょう!」
「それは分かっているわよ。でも、現地の女の子を採用すると言っても、普通の女の子じゃ駄目なのよ。
ある程度は礼儀作法を身につけた娘じゃ無いとね。うちの商品に人気が出たから応募してくる娘は多いけど、接客には使えないわ。
本店に増員を頼んでいるけど、他の海外支店からの増員要請もあって直ぐには無理みたいね」
「売れるとは思っていたけど、ここまで大ヒットするとは思わなかったわ。このお店じゃ狭くて、そのうちにお客様から文句が出るわよ」
「とは言っても、店員を増員しないで店舗を拡大は出来ないわ。予約制にして混雑を防ぎましょう。接客の質を落としたくは無いの。
あたし達は日本の領事館員より顔が売れているのよ。下手な事は出来ないわ」
「はあ。親に繊維工場の女工として売られたあたしが、海外で有名人の仲間入りか。人生何があるか分からないわね。
これも陣内様のお蔭よね。外見はぱっとしない人だけど、大した人だわ」
「こっちの男性は表面上は優しいけど、ベットに入ると扱いが変わるのよ。注意しなさいね。
社長からはこっちで良い人が居れば結婚しても構わないと言ってたけど、本当にどうしようかしら?」
「まだ、日本人の扱いは低いからね。あたし達が丁重に扱われているのも、他で手に入れられない淡月光の支店を任されているからよ。
その看板を下ろしたら、どうなるか分かったもんじゃ無いわ」
「そうね。最近は品薄状態が続いて、冷や汗ものだったわよ。需要が多過ぎて、生産が追いつかないんでしょう。これから大丈夫なの?」
「日本からの輸入はこれ以上は増えないから、現地生産を増やすしか無いわよ。既に下着の生産は軌道に乗っているでしょう。
後は他の現地生産を立ち上げれば大丈夫よ。その為に支店長はあっちこっちと駆けずり回っているんでしょ」
「ビジネスチャンスが多いのは良いけど、良い男との出会いも欲しいわね。
このまま仕事漬けで年を取って、おばさんに為りたくは無いわ」
海外に派遣される彼女達は、全員が睡眠教育を受けて現地の言葉と習慣、それとマナーを身につけていた。
日本のイメージ向上を担う為だ。さらに販売店舗の一角には休憩所が設けられ、お茶や和菓子などの日本文化を紹介するエリアがある。
客の御婦人は、派遣された彼女達の振る舞いに感心し、そして徐々に日本文化についての理解を深めていく。
念の為に言っておくが、日本文化を紹介する時に、ごり押しはしていない。
良い文化や風習ならば、自然と受け入れられるはず。文化のごり押しなど恥ずべき行為という認識があったからだ。
それと見込みがある孤児がいれば、日本人老夫婦が経営する孤児院に預けたり、日本への移住を手配する等の副次的な業務もある。
こうして徐々に、欧米で日本全体のイメージ向上が進んでいった。
**********************************************************************
段々と肌寒く感じる季節になっていた。今年の初めに扇風機、洗濯機、冷蔵庫の新商品を販売した財閥当主は四人で会談していた。
「昨年のうちから大量にストックしておいた扇風機、洗濯機、冷蔵庫の在庫はゼロで、工場で生産されると直ぐに出荷だ。
売れるとは思っていたが、ここまで大ヒットするとは思わなかった。特に輸出が激増している」
「うちにも入れたが、あれは良い物だからな。その影響を受けて電力会社は慌てて大型発電機の導入を進めている。
そしてバイクや農作業、建設用の特殊車両の普及が進みだしたから、石油の需要が段々と増えている。
石油の輸入は増えていないがな。今じゃ国内の石油の大部分を勝浦工場に頼っている」
「まさに陣内効果だな。この分だと、思った以上に早く国内の改革が進む」
「勝浦工場に刺激されて、各地で製油所、製鉄所、造船所が建設される動きがある。波及効果は凄まじい。
他の財閥も目の色を変えて、日本総合工業と関係を持とうと動いている」
「我が社の輸送船の機関を新型に変えたら、速度が増して燃費が改善した。
改造した船の数は少ないが、これから増やしていけば欧米の運輸会社に十分に対抗できる。
【出雲】への輸送も激増中だ。来年が楽しみだよ」
「こちらも新しい鉱山の場所を教えて貰い、効率の良い採掘方法を指導して貰ったから採取量は増加している。
もっとも、環境汚染が酷いと手厳しい指摘も受けた。今は改善に取り組んでいるところだ。
公害訴訟沙汰になったら、協力関係は打ち切りだと言われたからな。仕方あるまい」
「個人収入が増えたから、銀行預金も増えている。各企業との取引も増加傾向にあるし、金融面でも効果は出始めている。
天照機関の管理する資金がどれだけあるかは知らんが、あそこの一存で大きく経済が変わるな」
「少々癪だが、今のところは陣内に従っていた方が利口だろう。
中東の石油利権に今から手を打とうと考えて政府と内密に交渉したが、【出雲】の運営が軌道に乗るまでは待てと言われた。
まさかオスマン帝国と国交を樹立する時に、領土を購入するとは夢にも思わなかったぞ。
確かにまだ知られていない石油資源を抑えるには良い方法だ。後は【出雲】の開発が軌道に乗るのを待つしか無い」
「【出雲】と言えば、うちの会社の船で荷物を日本から運んでいるが、量が少ないんだ。
そして海外の数社の商社から、膨大な量の資材が【出雲】に運びこまれている。あれは陣内の手配なんだろう。
列強の商社にまで手が回るとは、抜け目の無い奴だ」
「それを言ったら淡月光の商品の運搬もだ。国内も需要が急増しているが、海外からは国内の十倍以上の注文が来ているそうだ。
高速商船を使ってピストン輸送している。それでも追いつかなくて海外では協力会社に生産を委託している。
女の専用商品だと馬鹿にしていたが、売上高を見ると考えを改めなくてはならんな」
「うちの娘もあそこの商品を愛用している。聞いたら一度使ったら止められないそうだ。
そうなると、今後も受注は増える一方だな。あそこに食い込みたいが、陣内の反感を買うのも拙い。どうするかだな」
「もう少し様子を見るしかあるまい。それに今の新商品は、いずれ機能を上げた新商品が列強で開発されるだろう。
その前に自前で新しい商品を開発しなければ、我々は開発競争に負けて市場を失う。リバースエンジニアリングと言ったな。
別の分野の開拓も良いが、今の市場を守る事も重要だ。気を抜くと、あっという間に追い抜かれるぞ」
新技術や新商品が発表・販売されてから十ヶ月しか経っていないが、その効果を実感した財閥の当主四人が会談していた。
どの商品でも言える事だが、何れは分解して解析され、さらに機能を向上させた商品が開発されるのは歴史が証明している。
特許で抑えた部分があっても、さらに新しい技術を開発して別の特許をとれば問題無い。
現在の商品が馬鹿売れしても、それが何時までも続く保証など何処にも無い。
今の売り上げに胡坐をかいて、開発競争に遅れた会社は潰れる運命にある。それは財閥の当主も分かっていた。
民生品を生産している財閥は、世界を相手取った開発競争を覚悟して、その対応を今から進めていた。
***********************************
現在の日本の道路は、殆ど馬車が使っている。将来を見越して最初から二車線道路にしたところもあるが、使用状況は極めて悪い。
(道路は出来る限り直線か、なだらかな曲線で建設している。高速道路を含めて拡張の余地を残してあるので、かなり幅広)
それと、偶にバイクが通行する程度だ。そんな状況だが、日本総合工業の協力会社で、国産自動車の試作が完成していた。
もっとも、自動車と言ってもバイクのエンジンをそのまま使用し、四輪にして屋根と荷台をつけただけの如何にも質素な作りだ。
史実では1908年のT型フォードで価格が下がった為に、大衆に自動車が普及した。
そのT型フォードにも及ばない作りだが、まずは国内に普及させる事が先だとして、国産自動車の開発が進められていた。
エンジン出力も低く、荷物も大量には載せられない。だが、疲れずに好きな目的地に行けるメリットはある。
これでワイパーなどの特許を先に抑えるつもりだ。
また大量生産体制は整ってはいない。最初の数年は資産家だけの購入だろうと考えられていた。
***********************************
ペルシャ湾の奥地の【出雲】にも冬は訪れていた。
【出雲】は元々が満足な産業も無い人口希薄地帯だ。そこに陣内は膨大な量の建設資材を、ダミー商社を経由して運び込んでいた。
ファイラカ島は大規模な港湾施設の建設が始まっていた。そして将来的な軍港の機能も予定している。
そして【出雲】の沿岸部に大規模な港湾施設を造り、隣接する地域にを製鉄所を含めたコンビナート地帯とする計画だ。
手始めに約千人分の簡易住居を設置して、火力発電所(地下に2000万KWの核融合炉発電施設)と多数の風力発電機を設置した。
そして天照基地に使う予定だった海水の淡水化プラントを、緊急処置として【出雲】に持ち込んだ。
これらの建設工事には採掘用ロボットと建設用ロボットが使われていたので、今のところは計画は遅れてはいない。
砂漠の緑化には、理化学研究所で開発された高温と乾燥に強い品種を使う。
中東で水は貴重品だ。その為に一部は屋内農園によって、水分の無駄な蒸発を防ぐ試みも為されている。
これらは来年の春を目標に準備が進められていた。【出雲】は原材料を輸入に頼らないといけないが、重工業と食料自給率を上げて
万が一でも日本との輸送ルートを遮断されても、自活できる体制にする。
食料自給率の最後の切り札は、海上で栽培が可能な品種の開発だ。これが出来れば状況は激変する。
まだ研究中の段階だが、長期計画に組み入れられていた。
これらの【出雲】の入植責任者は二名。山下邦彦は皇室から派遣され、田中誠司は日本総合工業から派遣された。
山下は主に周辺各国との調整を行い、田中は【出雲】の開発を進めるという二人の共同指導体制で進められている。
静かな夜、二人は簡易住居の一室で酒を飲みながら会話していた。
「イスタンブールとバスラのオスマン帝国の担当者に挨拶してきたが、袖の下を要求されたよ。やっぱり規律が緩んでいる。
嘗ては栄華を誇ったオスマン帝国も、滅びの時を迎えていると実感したよ」
「官吏の汚職は何処の国にもあるが、進み過ぎると国は滅ぶ。
山下がオスマン帝国の挨拶に行っている時、俺はクエートのサバーハ家に挨拶してきた。袖の下を要求されたのはこちらも同じだ。
さらに悪い事に、売却金には土地を立ち退いた住民への補償金が含まれていたんだが、支払われていなかった。
文句を言ったら、支配者としては当然だと言われたよ。止む無く、陣内代表に許可を取って直接住民に補償金を渡した。
土地を追われた彼らには感謝されたが、何となく虚無感を覚えたよ」
「まあな。この地域では人権なんて言っても通用しない。強者だけが自分の主張を言えるんだ。
まあ、住民の反感を買う訳にもいかないからな。余計な出費だったが、仕方あるまい」
「何れは【出雲】をこの地域の牽引役が務まるまで発展させて見せる。そうなれば、擦り寄ってくるのはあちらだからな。
十年は掛かるだろう。地下の原油を使えば、あっという間に開発できるんだが、残念だ」
「おいおい。地下の原油を今掘り出したら、【出雲】が潰される危険性があるのは知ってるだろう。今は我慢する時だ」
「分かっているさ。本来、この時代にあるはずの無い核融合炉や未来の技術を使って開発するんだ。
それに砂漠の緑化や、荒地に農作物が育った時の事を考えるだけでワクワクする。しかも将来的には海上で農作物を作る予定とはな」
「日中は我々が建設作業を行うが、夜間は陣内代表が派遣してくれた建設用ロボットで一気に工事を進めている。
普通なら十年は掛かる建設を、二年ほどで行う予定だ。まったく裏技も良いところだな」
「そうでもしなければ、【出雲】は立ち上がらずに時代の波に呑み込まれて終わるだけだ。
日本総合工業が電力と出雲工廠、コンビナートなどの基本部分を全て抑えてくれるから安心だ。
他は財閥系と渋沢系の企業が立ち上げる。【出雲】は天照機関の予算を使ったので、皇室の直轄領の扱いになる。
煩い規制も無いし、官吏の干渉も無い。何かとやり易くて助かるよ」
「まだまだ開発の日々が続くが、そのうちに軍備を整えなくては為らない。こちらに配属される軍隊はどういう扱いになるんだ?」
「皇室の直轄領だから陸軍と海軍は表立っては配属されないだろう。恐らくは直轄領軍として皇室の独自の戦力になる。
もっとも、この地域は周囲が全部イスラム教の勢力だ。問題をこちらから起こす気は無いから、自衛できるだけの戦力で十分だ」
「しかし、他の列強が攻めてきたらどうする? 自衛軍だけじゃ不安だぞ」
「その時は返り討ちにするだけだ。数年後には此処に軍艦や潜水艦を配備する。
もう少ししたら衛星軌道上からの監視体制を整えるから、【出雲】に近づく前に撃沈するだけだ」
「まったく、陣内代表のお蔭だな。話は変わるが陣内代表と筆頭秘書の沙織嬢がくっついたというのは聞いているか?」
「俺も又聞きだけどな。来年早々に【出雲】に来る予定だろう。その時も一緒だろうから、はっきりするさ」
現在の入植者は約二百人。これで作物の育成に成功すれば、一気に入植者を増やす計画だ。
その結果は来年の収穫の時に判明する。その為の準備に手間を惜しまずに働く二人だった。
**********************************************************************
アメリカの内陸部(主にインディアン居住地域の周辺)で異変が起こっていた。
内陸部に住む人達や家畜に、原因不明の疫病が広がった。一切の治療は効果は無く、肌が崩れ落ち、苦しみながら死んでいった。
その現象は北アメリカ大陸の内陸部から、カナダ西部も含めて徐々に拡大し始めていた。
インディアン居住区から総勢約二千人ものインディアンの姿が無くなったが、政府関係者が気がつく事は無かった。
***********************************
オーストラリアの内陸部(アボリジニ居住地域の周辺)で異変が起こっていた。
アボリジニを虐殺して入植してきた人達が、次々に犯人不明の襲撃で死亡していった。
死者を調べると、銃撃の痕はある。だが、銃弾が何処にも見当たらない。しかも銃撃した人間を目撃した者もいない。
そして内陸部から入植者の姿が少しずつ消えていった。
アボリジニ居住地域から総勢約千人ものアボリジニの姿が無くなったが、政府関係者が気がつく事は無かった。
1901年にオーストラリア連邦が出来る前、イギリスが直接統治していた時代の事だった。
***********************************
日本帝国陸軍の佐官や士官には不満があった。
最近の日本国内の改革は目覚しい程進んでいるのが実感できたが、国防が蔑ろにされていると強く感じていた。
清国やロシアの脅威は依然としてある。それなのに日本各地の要塞建設を中止したり等の事態が続いていたからだ。
そう言った不満を口にしていた彼らを集め、軍事演習が行われようとしていた。
そして集まった彼らは、今まで見た事の無い兵器を目にして、小声で話し始めていた。
「おい、あれは何だ!? 知っているか?」
「俺が知る訳無いだろう。下には車輪がついているから自動車に類するものだろう。それが大砲を積んでいるとはどういう事だ?」
「まさか、あのまま砲撃できるのか!? それなら機動力は数倍に上がるぞ!」
「それを俺達に見せつけようと言うのか? やっぱり文句を言って正解だったな」
「こら! 私語は慎め!! これが自走砲と呼ばれる兵器だ。今までなら馬で運ばなくてはならなかったが、これは自らが動く砲台だ。
しかもエンジンがついているから、歩兵より速く移動できる! この意味する事が分からん貴様らではあるまい!」
その後の砲撃演習で、陣内の用意した自走砲は威力を余す事無く披露した。
まだレーダー射撃システムは搭載できないが、今まで馬で砲台を引かなくてはならなかった事を考えると雲泥の機動力だ。
しかも陣内はサービスで、輸送用の大型トラック三台も同時に納入していた。
これが大量にあれば、敵軍を蹴散らす事も可能だと集まった軍人に知らしめていた。まだ時期が満ちていないから、今はこれだけだ。
だが、二年以内には大量生産体制を必ず整えるとの上官の言葉に、集まった軍人は大きな歓声を上げていた。
***********************************
勝浦工場の造船所に、不満を持っている帝国海軍の士官が集められた。そして完成間近の二万トンの高速輸送船が披露された。
「で、でかい。これを本当に国内で建造したと言うのか!?」
「最終段階にあるのは分かるだろう。あと二週間ほどで完成して、我が帝国海軍に納入される。しかも激安価格でだ!」
「……何だ、その激安価格というのは?」
「何と相場の五割引だぞ! これがあれば国内の各拠点への補給も早く出来るし、万が一の場合でも海外への物資輸送も可能だ。
今は国内の民生分野を優先させるから輸送船しか建造できないが、五年以内にはちゃんと国産の戦闘艦を建造すると約束してくれた。
これでも貴様等は不平不満を言うつもりか!?」
激安価格で売ってくれるのが輸送船というのは不満だったが、それでも国内でこの大きさの艦船を建造できる事が分かれば、
不安は少なくなる。こうして帝国海軍の軍人の不満を、少しは和らげる事が出来たのだった。
***********************************
日本と【出雲】は遠く離れ、裏技の空路を使わなければ海路しか輸送手段は無く、インド洋や狭いマラッカ海峡を通る必要がある。
そのマラッカ海峡はマレー半島(イギリス支配)とスマトラ島(オランダ支配)に挟まれ、その狭さは安全な海上輸送路を確保する上で
懸念となるものだった。現時点でのイギリスは強大な世界帝国であり、その支配が揺らぐ気配さえ無い。
オランダは海上帝国として君臨したが、三度に渡る英蘭戦争で大きな打撃を受け、フランス革命後は世界覇権をイギリスに奪われた。
その弱体化したオランダを救ったのが、東インド植民地(インドネシア)だった。
イギリスにとってインドが宝であるように、オランダにとってインドネシアが宝だ。
現地の人の食料となる稲や麦の栽培を禁止し、欧州への輸出用の高級作物の栽培を強制して、莫大な利益をあげた。
その結果、現地で多数の餓死者を出したが、反抗する現地の人達をオランダ軍は徹底的に弾圧した。
余談だが、二十一世紀になってもオランダは当時の過酷な植民地支配について、謝罪はしていない。(1945年以降の分のみ)
そのオランダ領のスマトラ島では、最後の現地勢力の北部アチェ王国(イスラム王国)が残っていた。
史実ではアチェ戦争(1873年〜1914年)で滅んだが、まだ健在だ。
その北部アチェ王国に、天照機関は一切の伝手は無かった。だが、【出雲】から立ち退いた人達に個別に補償をした事から、
クエートに住むイスラムの宗教指導者の仲介で、北部アチェ王国のスルタン(君主)と接触する事が出来た。
日本はスマトラ島を支配する意思は無く、アチェ王国との通常の交易を望んだ。
そしてオランダの侵略を防ぐ為に極秘裏に食料と武器の支援を行い、スマトラ島の解放が為った時は、交易路の安全を守る為の
基地建設の用地としてリアウ諸島(マラッカ海峡の要衝)の割譲を要求し、スルタン(君主)は承諾した。
(武器以外に蚊帳と香取線香の大量供与の打診があったので、それも了承)
そして有望な若者二十名を日本に連れて来ている。彼らの訓練を行って、武器や食料の支援を行う。
繰り返し言うが、今の日本に表立って諸外国と戦う力は無い。だが、秘かな支援は出来る。
こうして、天照機関は徐々に対外工作を進めていった。
***********************************
この時代のロシアはアレクサンドル三世が統治している。革命勢力を弾圧して、専制政治を行っていた。
今年の五月に日本に立ち寄ったニコライ皇太子は、暴漢に襲われたが怪我は無かった。
その時にビタミン剤の製造装置と無線通信機を献上され、さらに後からは新型の扇風機や洗濯機、冷蔵庫も送られてきた。
これらの新しい商品を次々に開発する日本に興味を抱き、ニコライ皇太子は腹心の部下に日本の調査を命じていた。
「今までの日本が開発した新商品は、全て理化学研究所が絡んでいます。
それに今年に入って日本は、農業用の車と建設用の重機を続々と販売して国内に普及させています。
日本に行って見てきましたが、素晴らしいものですね。我が国に輸入したいです」
「ふむ。日本で理化学研究所の北垣代表とは会っているが、そんな人物には見えなかったな。それで日本全体の状況はどうだ?」
「色々な新商品を輸出している事や、様々な民生品が普及し出した事で国内の経済は活性化しています。
電気や石油が段々と使われるようになって、農業生産力も上がる傾向にあります。ですが、軍事面は今までと変わりません」
「……我が国が攻め入れば、日本を占領できるか?」
「シベリア鉄道を完成させて、ウラジオストック周囲の開発を進め、極東艦隊を充実させる必要があります。
日本は小国ですから、本気になれば簡単な事です。今は国内が疲弊していますので、時期を見る必要があります」
「良かろう。シベリア鉄道の建設を急がせろ! それとウラジオストック周囲の開発も進めるのだ。
資源に乏しい国だと聞いていたが、こんな新商品を開発するとは興味深い。出来れば手に入れたい。
今年の初めに各地の島々を領土に編入した事や中東の地に領土を得た事から、拡大に転じたかと思ったが違ったようだ。
それと話は変わるが、国内に女性専用用品を売る日本の会社が進出してきたろう。評判はどうだ?」
「かなり繁盛している模様です。国内の貴族の婦女達は、こぞって其処の支店に足を運んでいます。平民には高嶺の花ですが。
国内の企業に生産を委託していますから、我が国のメリットになっていると言って良いでしょう。
現在の我が国は日本から発電機を含めた色々な商品を輸入して、貿易収支は赤字になっています。
まだ金額は少ないですが、この傾向が続けば将来的には無視できなくなります。その前に手を打つべきです」
ロシアの農奴解放は為されていたが、まだまだ貴族階級が幅を利かせていた。
そしてロシア皇帝は莫大な資産を持ち、全土に君臨している支配者だった。
不凍港を求めて南下政策を取っており、少し前はクリミア戦争に敗れたので、今は国力の回復に努めていた。
そしてロシアの南下政策はアジアに向けられようとしていた。
尚、ロシアの資源がダミー商社によって第三国に輸出され、それが最終的に日本に届いている事は誰も知る事は無かった。
***********************************
現在のドイツ帝国はヴィルヘルム二世の治世下にあり、帝国主義を全面に打ち出して国力の増強に努めていた。
イギリスに遅れたが産業革命を進めて、世界に進出するドイツにとって科学技術は最重要項目になっていた。
そんな状況で、日本が数々の発見や発明を行った事に注目していた。
そして日本に関する報告がヴィルヘルム二世に行われていた。
「では日本が開発した数々の商品は、我が国でも生産できると言うのだな?」
「はい。技術的に目新しいものはありません。
ただ大量に生産すると品質のばらつきが生じますので、大規模な工場の設備を整える事が必要になります。
概算で五年は掛かります。それまでは日本から輸入するしか手はありません」
「ふむ、五年か。良かろう、直ぐに我が国で生産できるように手筈を整えよ! 応用開発はどうだ?」
「はい。真空管を使った応用開発は順調に進んでいます。もっとも大量の真空管の輸入が必要になりますが」
「仕方あるまい。時間を区切れば我慢できる。早々に結果を出すように技術者に通達しておけ!」
「はっ。無線通信機も我が国の技術陣に掛かれば、性能向上も短時間で可能です。それと少々お耳に入れたい事がございます。
淡月光という日本の企業が我が国に進出しておりまして、国内各地の工場と頻繁に連絡を取っています。
何をしようとしているか分かりませんが、現在は部下に命じて調査中です。数日あれば詳細を報告できます」
「……お前は淡月光が何を扱っている会社か知らなかったのか?」
「はい。何やら店内が見えないような造りになっているとか。頻繁に貴婦人が出入りしていると聞いています。
もしや反乱の準備「もう良い! お前の家族にでも聞いてみろ!」 ……陛下? どういう意味でしょうか?」
「あの淡月光は女性専用用品を扱っている会社だ。商品を我が国で生産するから協力して欲しいと、周囲からの嘆願も聞いている。
余計な詮索は無用だ。男があの会社に絡んだら、軽蔑の視線で睨まれるぞ。捨て置く事だ」
「日本陸軍は我が国に師事していたのですが、最近は方針を変えた事で、日本との関係が浅くなっています。
その為に情報の収集ルートの幾つかが使えなくなってしまいました。誠に申し訳ありませんでした」
「日本が軍の方針を変えたか……日本の軍備状況の確認をしておけ!」
ドイツにとって、世界に覇を唱えているイギリスは邪魔な存在だ。
そして追いついて追い越すには、更なる工業力と科学技術が必要になる。ヴィルヘルム二世は日本に可能性を見出していた。
今年の始めに日本海や太平洋の島々を領土に編入した事や【出雲】を得た事から、日本に注目していた。
軍事力は低いままだが、日本の技術力を得れればドイツの国力の増強になるだろう。それに中国への進出の足掛かりにもなる。
ヴィルヘルム二世は日本に興味を惹かれ始めていた。
***********************************
現在のアメリカは南北戦争の傷を癒しながらも、辺境開発(インディアン居住区)を進めていた。
だが、少し前から西部地区に異変が続けて発生して、政府を慌てさせていた。
「西部地域で原因不明の疫病が多発しているだと!? どういう事なんだ!?」
「だから原因は不明なんだ! 調査に行った騎兵隊や医師も身体に異常が起きて、全員が死亡してしまった。
噂は広まって、西部地域から逃げ帰ってくる入植者が増える可能性もある。早めに手を打たなくては!」
「では、どうする? 良い案はあるのか?」
「取り敢えずは、完全防備の服を用意して現地に医者を向かわせる。原因を特定しない事には何も対応できん」
「まあ、そうだな。まったく日本を含めた海外情勢が急激に変わったのに、こんな内患で悩まされるとは!?」
「海外情勢? そんなの放置しておけ! 足元を固めなくては海外進出も出来んぞ!」
アメリカはカリブ海や太平洋に進出を目論んでおり、着々と準備を進めていた。
それが此処にきて国内に原因不明の疫病が流行りだした。放置できる事では無い。
こうして西部地域に大規模な部隊と医師団が派遣される事が決定した。
尚、アメリカ南部地域の資源がダミー商社によって第三国に輸出され、それが日本に届いている事は誰も知る事は無かった。
***********************************
イギリスはヴィクトリア女王が君臨し、地球の全陸地面積の約四分の一、世界人口の約四分の一を支配する史上最大の世界帝国だ。
そして植民地のオーストラリアに異変が発生しており、それは本国政府にも連絡が届いていた。
「南半球の流刑地からの情報だが、少し前から先住民の居住区近くに住んでいる入植者が次々に殺されているらしい。
慌てた現地は、数百人規模の討伐隊を出すらしいな」
「ほう。先住民が反撃してきたというのか? それでも数百人規模の討伐隊が出れば、一網打尽に出来るだろう」
「そういう事だ。これは結果待ちだな。話は変わるが、アメリカの内陸部で原因不明の疫病が流行し出したという情報がある。
しばらくは近づかない方が良いだろう。商人に通達を出しておいてくれ」
「分かった。清国とのアヘン取引は順調だし、このままでいけば世界の半分以上の富が我がイギリス帝国のものになる。
笑いが止まらんとはこの事だな」
「そうもいかんよ。植民地の治安維持に掛かる経費は馬鹿にはならない。収支は若干のプラスだがね。
大きな反乱があれば、あっという間に収支は赤に転じてしまう」
「今のところは反乱の気配は無いな。今年は間も無く終わるが、日本関係のニュースが多かったな」
「ああ。所属が未定になっていた島々を次々に領土に編入して、中東では【出雲】を買い取った。
新商品を次々に開発したのも驚きだ。まさか医療や通信分野で、日本に出し抜かれるとは思ってもいなかった」
「油断は禁物だ。しかも日本から我が国に企業が進出までしている。数年前には考えられなかった事だ」
「淡月光の事か? あれは女性専用用品の会社だし、少し意味合いが違うだろう。
でも、こうなると来年も新商品の発表があるだろうな。さて来年はどんなものかな?」
「今のうちから情報を探るように指示を出しておこう」
イギリスの世界覇権は揺らぐ気配さえ見えなかった。とは言え、中を見れば各地の植民地の治安維持に莫大なコストが掛かっている。
それでも自分達に、正面から立ち向かってくる勢力など無いと考えていた。だからこそ『栄光ある孤立』という言葉が生まれた。
尚、各地の植民地の未開発の鉱山が設立間もない商社に次々に買い占められている事に、気を配る政治家は居なかった。
***********************************
今年の清国に大きな変化は無かった。言い換えると、列強の清国からの搾取が進んでいるという事だ。
それは清国にとっても、各地の財閥にとっても好ましい事では無い。複数の財閥の当主は集まって、密談を行っていた。
「今年はもうすぐ終わるが、列強の進出は止まる気配が無く、徐々に深まる一方だ。
しかも今年は内陸部から大量の資源が運び出された。まったく、我が国からどれ程資源を持ち出せば気が済むのだ!?」
「ああ、あれか。あまり価値が無い資源を、熱心に運び出していると聞いている。どこの商社だ?」
「さあ? あまり聞かない名前だったな。設立間もない商社とだけは覚えている。
そんな事より、アメリカに移住した同胞の数がかなり増えた。そろそろあそこの拠点が纏まる頃だろう。
こうして世界各地に我々の街を拡散していけば、何時かは世界が手に入る! それまでの我慢だ!」
「何時まで我慢させるつもりだ!? まあ、今はそれくらいしか手段が無い事も事実だがな。
それより最近の日本はおかしい。所属が未確定だった島々を領土に編入して、中東に小さいが領土を得ている。
特に我が国に近い島を、日本の領土に編入した事も気になる」
「尖閣諸島の事か。あそこは琉球に所属していただろう。あんな小さな小島がどうなろうと構わん。政府は無関心だしな」
「面積も小さい事だし、大きな影響は無いな。それにしても日本がこれほど新商品を次々に開発するとは思わなかった。
これはひょっとすると、大きな事になるかも知れんぞ」
「……可能性はあるな。だが、朝鮮への日本の政治影響力は小さいままだ。経済的にはかなり侵食が進んでいるがな。
日本が進出を目論むなら、もう少し朝鮮への干渉が強まってもいい筈だ。それが無いという事は、変わらないという事だろう」
「擬態かも知れぬ。まあ良い、今すぐに効く特効薬があるはずも無い。しばらくは様子見だな」
日本の変化は、清国の財閥当主の目に止まっていた。だが、まだまだ影響力は弱く、積極的に動く事態には至らなかった。
**********************************************************************
第三回目の日本総合工業の忘年会が行われていた。
「さて、定期会議で進捗報告は受けているが、今日は本年の最後の日だ。来年の目標と問題点があれば、発表して貰おう」
「エネルギー事業部の神埼です。勝浦工場の問題はありません。石油の需要が伸びたので、石油生成プラントの稼働率を上げましたが、
まだまだ余裕はあります。【出雲】の発電施設は稼動していますが、問題は発生していません」
「産業機器事業部の高村です。内陸エリア工場の自動生産ラインの稼動は順調で、日本各地への供給は大丈夫です。
まだまだ国内の普及率が低いので、来年は一層の普及を目指します。この分だと輸出は数年後以降になりそうです。
【出雲】に設置する各種の工作機械や設備機器の製造は、今のところは計画通りです」
「造船事業部の中村です。港湾施設と倉庫群の建設の進捗率は約80%というところです。
建造ドックの稼動も問題ありません。今年は五千トン級の輸送艦四隻と、二万トン級の輸送船一隻が実績です。
各地の港湾施設の石油貯蔵も順調に進んでおり、ディーゼルエンジンの普及に問題はありません。
来年は油槽船の建造に力を注ぐ計画です。それと【出雲】の造船所と港湾施設の建設は今のところは順調です」
「重化学事業部の山本です。製鉄所は完全稼動体制になり、生産は順調に進んでいます。ただ、予想以上に国内の需要が増えています。
他の会社の製鉄所もありますが、このままですと数年で国内で生産する鉄鋼類が不足する懸念もあります。
ですから、第二期の増設工事を早めに進めたいと考えています。工事用の大型重機の手配を御願いします。
【出雲】のコンビナート群も同じです。宜しくお願いします」
「特殊車両事業部の土方です。農作業用と建設用の特殊車両の量産が始まりました。
市場の評価も好評で、現在は生産が需要に追いついていません。協力会社に一部は生産委託をして、国内の普及に努めます。
別の協力会社で試作の個人用の乗用車の開発が終了しました。玩具のような仕様ですが、まずは国内普及を目指します。
それと御希望のあった建設用の大型重機ですが、来年の生産計画に組み込みます」
「規格管理事業部の永野です。相変わらず測定器や検査機器の販売は順調ですが、統一規格の認定を求めてくる企業は少数です。
来年も引き続き、啓蒙活動を進めます」
「国土管理事業部の石橋です。各地で多くの工場の建設が進み、公害の拡大の懸念が出てきました。
こちらから積極的に関与して、環境に優しい工場の普及に努めていきます」
「海外事業部の清水です。海外のダミー商社の運営は順調です。利益もそうですが、貴重な資源の多くをストックしています。
来年は確保した未開発の鉱山の開発を徐々に進めていきます。【出雲】への建設資材の集約は来年も継続します。
孤児院に関しては保護した孤児の数が増えましたが、特筆する事は特にはありません」
「半導体事業部の鈴木です。真空管の自動生産ラインはフル稼働状態ですが、まだ需要に生産が追いつきません。
それほど多くの受注が海外から来ています。数年はこの状況が継続する見込みの為に、急遽自動生産ラインを追加しました。
これで需要に応えられるでしょう。協力会社には無闇にライン増設はしないように指示は出してあります」
「通信機事業部の柳田です。初期型の無線通信機ですが、予想を上回る売れ行きです。
こちらは全部を協力会社の生産で対応していますが、組み立てラインを増設しました。
勝浦工場では来年末までには、ラジオ受信機と放送設備の生産体制を立ち上げます。
それと、富士山の電波送信塔の建設準備は終わっています。来年の春から建設を始めます」
勝浦工場の各事業部長の発表が終わった後、陣内のサポートを行っている美香(由維は美香のサポート)と沙織の発表が行われた。
「内部調整係の江空です。海外のダミー商社の運営は順調で、大量の原材料が国内に出回るようになりました。
かなりの利益が出ていますが、これは次の投資に振り向けます。
それとまだ使用はしませんが、ウラン資源や希少金属類の買占めに使わせていただきます。
各事業部の運営は順調ですから、この状態で推移するように御願いします」
「石里です。農業用の特殊車両の普及が進んで、国内の収穫量は増加しました。来年も引き続いて国内の普及を御願いします。
それと非常用の備蓄の意味を含めて、来年も海外からの食料の輸入は継続します。
【出雲】の開発には時間が掛かりますが、天照機関から大きな期待が寄せられています。皆様の協力を御願いします」
「これで勝浦工場関係は終わったな。航空機事業部の工場は来年に完成する。そして飛行船を建造する。
試験飛行が終わって安全が確認されれば、ここに居る全員を遊覧飛行に招待する事を約束しておく。
実業家の渋沢氏の件だが、北海道と四国の広大な土地の買取を進めている。【出雲】の開発が終わって、日清戦争が終わらないと
手を付けられないが、その事は全員が覚えておいてくれ。さて、次はグループ会社の発表を進めてくれ」
「理化学研究所の北垣です。現在は日本の医療体制を充実させる為の下準備の段階です。
来年の特許申請の準備は全て終わりました。今のところはそれぐらいです」
「日総新聞の青山です。童話や各種の小説を出版して、大好評です。新聞の方も読者が増えまして、連結決算では黒字になります。
それと来年は富士山の電波送信塔を建設して、ラジオ放送の準備に入ります。広告代理店はまだ低迷中です」
「淡月光の川中です。国内の販売は好調です。海外販売も同じですが、徐々に現地生産を進めています。
他の各国からの進出要求は多くありますが、現在は体制の充実に努めているという理由で断っています。
現地の企業からの接触もあり、パテント料と引き換えに生産販売を申し込んでくれば許可するつもりです。
徐々に淡月光の名前は各国に浸透していっています。数年後にはファッション界に進出する計画を立案中です」
堅苦しい話は此処までだった。そして昨年と同じく料理が用意された隣室に移動して、酒盛りを始め出した。
昨年は楓と二人で夜を過ごしたが、沙織と関係を持った今は許される事では無い。
それは楓も理解しており、関係を公にしたくない二人は打ち合わせを口実に、前日に夜を共にしていた。
陣内はまだ若い。前日に楓と熱戦を繰り広げていたが、一日あれば体力は回復する。
そして忘年会が終わった後は、沙織と一緒に風呂で汗を流して寝室に向かって行った。
**********************************************************************
不可思議な空間を経由して、この時代に来たのは陣内だけでは無かった。
陣内と一緒にこの時代にやって来た魂を持った乳飲み子が、この年の最初の時点で世界中で48名居た。
だが、栄養不足、疫病、親の育児放棄、等の問題から全員が生き延びられた訳では無い。
そして1891年の末の段階で生き残っていたのは40名だった。
中には前世の記憶を持ったまま死んだ乳飲み子もいる。生きて成長すれば、どれほどの事が出来ただろうか?
だが、まだ生き延びている赤ん坊もいる。彼らが今後の歴史にどう関与してくるのか、今は誰も分からなかった。
(2013. 5.18 初版)
(2014. 2.23 改訂一版)