残暑と呼ばれる時期になり、天照機関のメンバーは定例の会議を行っていた。

 場所は皇居の一画だ。空調が導入された会議室で、涼しい空気に包まれている。


「国内の産業が活発化してきたな。昨年度の税収は一昨年より上がったが、今年はさらに上回る見込みだ。大蔵省は大喜びしていたぞ」

「産業促進住宅街の建設から始まって、各地の流通機能の改善が進んだ。

 賃金を得た労働者達の購買力が増えて、国内の産業が少しずつ育ち始めた。

 建設会社は十社以上も新規に設立されている。この分だと、数年以上は連続した成長が見込めるな」

「ああ。財閥系の企業では、来年に発売する扇風機、洗濯機、冷蔵庫などの量産体制に入った。

 特許の取得準備を進めており、これらも爆発的に売れる事は間違い無いだろう。仕事と雇用が増えるのは良い事だ」

「各地の発電会社は新型の発電機を大量に設置して、電気の供給量の増加に対応できるように準備が進んでいる。

 新型電灯の普及も進み出した。まだ都心部だけだが、夜間の照明があると犯罪率の低下にもなる。早く全国に広めたいものだ」

「そう喜んでもいられないぞ。昨年の米の生産量が少し減って、今年はさらに減る見込みだ。

 昨年は海外から米を輸入して難を逃れたが、毎年海外から輸入する訳にもいくまい」

「今年から寒冷地に強い耐性の品種を投入しました。今年で結果が出せれば、一気に各地に普及させます。

 そうなれば全体の収穫量も増えるでしょう。各種の農作業用車両の試験運用も進んでいます。

 これが普及すれば生産効率が格段に上がって、将来的には農作物の収穫が増えます。大規模農業の第一歩ですね。

 荒地の開拓速度も上がるでしょう。二〜三年は収穫量が下がると思いますが、それ以降は増加に転じる見込みです」


 今のところ国内改革は順調に進んでいる。国内の流通インフラを整備して、雇用を創出。国内経済を活性化させている。

 さらに新商品を次々に開発し、輸出が急増しているので貿易収支は大幅な黒字になっていた。

 繊維業界も数々の改良された製造機械が投入され始めたので、こちらも輸出額が伸びている。

 来年は扇風機、洗濯機、冷蔵庫に加え、インスタント食品なども生産・販売を開始する。

 国内向けにも、従来は輸入に頼っていた時計などの国産化も進められている。

 調味料もマヨネーズ(史実では国内の最初の販売は1925年)や味の素(史実では1907年に会社設立)の生産を開始する。

 大学の設立も相次ぎ、スポーツも教育の一環として普及を進める準備をしていた。


「国内改革が進みだしたが、地方に浸透するまで十年以上は掛かるだろうな。

 それと少し前に渋沢から話を聞いたが、勝浦工場と同じような工場を日本各地に建設するのか? そこまで余裕があるのか?」

「今は余裕は無いですね。まずは国内の改革を、勝浦工場が牽引役となって進める事が最優先です。

 ですが、十年後や二十年後の将来を考えた場合、勝浦工場だけでは問題が出るでしょう。

 石油生産は機密技術なので拡散したくは無いのですが、国内の数ヵ所に分散した方が便利です。

 それに製鉄所は広大な敷地が必要になりますので、二十年後に土地を取得するより、現時点で土地を購入した方が楽ですね。

 来年に予定されているオスマン帝国との交渉結果で変わるかも知れませんが」

「そうか。あと十日で遭難事故が起きるのか。オスマン帝国の遭難事故については、事前に何か手を打つのか?」

「いや、あれは住民の善意の結果だからな。後で褒美を与えるだけで良いだろう。

 その後の帰還の時に便宜を図って、国交を結べればと考えている。

 史実はオスマン帝国の足元を見て不平等条約の締結を求めたから国交が結べなかったが、今回は対等条約の締結を目標にすれば良い。

 将来の親日国は丁重に扱わねばな。日土国交の樹立を目指す」


 現在の日本経済は上昇傾向を示しているが、列強と比較すると歩き出した赤ん坊に等しい。

 国内の改革を優先させるのが重要だが、機会をみて海外工作を始める必要もある。

 陽炎機関はまだ人材の育成中で、淡月光の海外進出にタイミングを合わせて海外工作を始める。

 だが、遭難した乗組員を祖国に送り届けるという、善意の行動の機会を見逃す事はしなかった。

 こうして、災難さえも糧にする天照機関の秘密工作の準備は着々と進められていた。

 会議が終盤に入った頃、出席者の何人かは空腹を感じて腹が音を立てた。


「申し訳無い」  「腹が減ったな」  「もう、こんな時間か」

「サンプルのインスタント食品を持って来ました。『カップラーメン』という商品です。お湯を掛ければ三分で食べられます。

 栄養が良いとは言えませんが、簡単に食べれて腹に溜まります。味が一種類しかありませんが、食べてみますか?」

「貰おう」  「わしもだ」  「興味があるな」  「一つで足りるか?」  「お湯はあるのか?」  「朕も貰おう」


 こうしてサンプルのカップラーメンの試食が始まった。

 皇居の主と明治の元勲達が、お湯を掛けただけのラーメンを食べている。皇室お抱えの料理人が見たら、激怒するかも知れない。

 空腹という理由もあったろうが、全員が黙々と麺をすすり上げて、スープも全部飲み干していた。


「ふむ。結構、癖になる味だな。お湯を掛けるだけで食べられるのが手軽で良い。冷めると不味いが」

「うむ。栄養が悪いと言うが、常食にしなければ良い事だ。陣内、これを数十個欲しいのだが?」

「ワシも欲しい。販売前のサンプル品を少し多めに回してくれ」

「贅沢を言うな。正式に販売されたものを買えば済む話だ。陣内にあまり負担を掛けるな」

「この鶏がらスープも良いが、ワシは味噌味が好きでな。次の商品は味噌味を出してくれ」

「陣内。正式に販売が開始されたら、朕に連絡をいれよ。皇室御用達の看板は与えられぬが、少し量が欲しい」

「一ヵ月後には正式に販売されますから、少々お待ち下さい。何しろ、サンプル品も品薄状態が続いていますので。

 それと同じ、お湯を掛けるだけで温かい御飯や味噌汁になるインスタント食品の開発も急がせています。

 非常食として便利でしょうし、軍の携帯食料に使えると思っています。特に冬季の行軍には暖かい食事は不可欠ですからね。

 それ以外にも、衣類に貼るだけで暖が取れるような、使い捨てできる携帯用懐炉も開発中です」

「なる程。このインスタントラーメンは非常食として開発したが、軍の携帯食料としても考えていたのか?

 今度は一石二鳥を狙ったのか。抜け目の無い奴だな」

「輸出用も考えています。史実ではかなりの輸出量になりましたし、日本のイメージ改善にもなります」


 こうしてインスタントラーメンは年末に販売が開始され、忙しい人達の非常食として愛される事になる。

 そして海外にも紹介され、大きな反響を呼んだ。そして徐々に輸出量が増えていった。

 余談だが、翌年の末には三種類の味(味噌、醤油、豚骨)のカップラーメンが販売された。

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 史実通りに、和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦が遭難した。(九月十六日)

 実際に起きた事も、史実通りだった。そして遭難した人を救助した人達には、後日に恩賞が政府から与えられた。

 現在は国交は無いが、遭難した人を彼らの祖国に届ける為に、軍艦の派遣が正式に決定された。

 派遣される軍艦には、陣内の睡眠教育を受けて国交の樹立を考えている政府の内意を受けた人物が乗り込んでいた。

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 淡月光の代表の楓は、嘗ての同僚(くの一)の容姿に優れた女性達を、世界各地に海外支店の展開の為に派遣していた。

 陣内の睡眠教育を受けて現地の言葉や風習をマナーを含めて学び、立派な淑女としての教育を済ませていた。

 彼女達の第一目的は、現地の淡月光の拠点設営と生産を委託する協力会社探しだ。日本のイメージUPの役も担っていた。

 楓を超える容姿の女性は居なかったが、それでも日本の平均を上回っている。

 『くの一』として精神的にも鍛えられているはずの彼女達は、異国の地へ来て僅かに動揺していた。


「ようこそスペインへ! 歓迎しますよ。ネガワード夫人から連絡を受けています。私が皆さん方をサポートします」


 今回、スペインに派遣されたのは元『くの一』の女性が一人(支店長)とサポート役の教育を受けた女性四人。

 それと護衛と力仕事役の、男達五人だ。(五人のうち、三人は陽炎機関の工作員)

 長い船旅を経て、通関で奇異な視線で見られた。欧州でアジアの女性が珍しかった事もあるのだろう。

 先が思いやられると感じた梢は、日本駐在大使夫人から紹介されたところに行こうとした時、いきなり声を掛けられていた。


「私は神埼梢です。宜しく御願いします。さっそく、予約していたホテルに行きたいのですが」

「はい。承っています。全部で十名ですよね。

 ネガワード夫人から最大限のサポートをしろと言われていますので、店舗の紹介や協力会社との調整は全てお任せ下さい」

「は、はあ。宜しく御願いします」


 日本を出る前には代表の楓から、『現地の協力は得られるから心配する必要は無い』と言われていた。

 長い船旅の間に他の乗客からは奇異の視線を向けられて、先が思いやられると少々気落ちしていた梢だった。

 まさか、現地でこんなに友好的な態度で迎えられるとは、船上では想像もしていなかった。

 こういう理由から、現地での住宅や店舗、それに生産委託をする協力会社も苦労せずに見つかった。


 住宅は十人が住めるところを二ヶ所確保した。男女別にして、いきなりの来訪者でも泊まれるようにする為だ。

 男用の住宅は、陽炎機関の出張所の役割も担う。女性用の住宅は忍者の技を生かした防犯設備を取り付けてある。

 そして大通りに面したところに、三十人以上が入れるような店舗を借りられた。倉庫も同時に確保した。


 現地の協力会社に生産を委託するが、技術指導をする必要がある。何より、現地では肝心の水分吸収素材が生産できない。

 計画では年内に店舗を開くが、当面は日本から輸入した製品を販売する。

 そして一年以内に現地の協力会社の生産を軌道に乗せる計画を立てた。パテント料が入れば、他の同業者の販売も認めるつもりだ。

 こうして淡月光の海外支店の開業準備は徐々に整いつつあり、その様子を見て梢は深い溜息をついていた。


(最初は不安だったけど、何とか開業できそうね。現地の人の奇異な視線は未だにあるけど、偉い人達が協力的だから助かるわ。

 これも大量のサンプルを駐日大使夫人にばら撒いた効果ね。

 隠し持ってきた衛星回線を使った無線通信機で他の国の様子を聞いたけど、何処も順調に開業準備は進んでいる。

 この分なら年内には、スペイン支店は開業できるわ。後は日本からの次の船便は何時かという事ね。

 まったく、日本から欧州まで何日掛かるのよ! 早く高速輸送船を用意して貰いたいわ。

 スペイン支店の運営が順調に行けば良いけど、問題は現地生産ね。一年がかりで、何とか軌道に乗せるしか無いわ。

 五年以内にはスペインの政府上層部と顔繋ぎしておかないと。米西戦争の前に工作をするって言ってたけど、具体的に何をするのよ?

 下っ端のあたしが知る必要は無いけど、気になるわ。でも、『くの一』だったあたしがこんな脚光を浴びる世界に立てるとは。

 時代は変わるのよね。さあ、頑張ろう!)


 淡月光の海外支店はイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、ロシア、アメリカの八ヶ国だ。

 其々の必要性から、陣内は各国への工作を進めていた。(史実の事を知った他のメンバーも同意している)

 スペインに嘗ての栄光は無いが、それでも世界各地に植民地を有している。

 そして1898年の米西戦争でアメリカに破れ、キューバ、プエルトリコ、グァム、フィリピンを失う。

 その前にスペインに外交工作を行って、日本に有利なように仕向けるつもりだった。

 スペインの工作の目的は上記の通りだが、他の各国も歴史や地政学上の理由から様々な外交工作が予定されている。

 淡月光の全ての海外支店長は、その外交工作の一端を担う役割も負っていた。


(しかし、何でこっちの男はああも誘惑してくるのよ! 胸元を開けた服装をしているとじろじろと見つめるし、やんなっちゃうわよ!

 まあ、それは日本の男も一緒か。幸いにもあたしの事はレディとして受け入れてくれたみたいだし、扱いは悪くは無いわ。

 でも……何だってこっちの女性はあんなにスタイルが良いのよ!? 楓以上がゴロゴロいるじゃ無い。

 あたしのサイズなんか鼻で笑われるかも知れないじゃない。これも常日頃からの食事の違いかしら?)


 欧州でアジアの女性は珍しい。居ても下層の労働階級の家族ぐらいだ。梢のように対等に話せるレベルのアジアの女性は居なかった。

 そんな事から梢には多くのお誘いがあった。

 もっとも『くの一』の技を向けられたら、その男は一瞬で絶命するだろうが、そんな事をする気は無い。

 向こうは遊びだろうが、その遊びに乗るつもりは無い。それと現地の女性達を見て、何故か日本との違いをひしひしと感じていた。

 望んだ事だったが、慣れぬ国外生活は梢に相当のストレスを掛けていた。

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 秋が深まった頃、陣内から睡眠教育を受けた四人の財閥当主は、別荘に集まって密談をしていた。


「天照機関の始めた国内改革は、順調に進んでいるようだな。

 産業促進住宅街の建設から始まって、各地で道路や鉄道の工事や港湾施設の改修が行われて、今じゃ国内は建設ラッシュに沸いている。

 独自資本の建設会社もかなり設立されて、工事もそうだが雇用も増えている。

 国内の活性化もあるが、輸出が大幅に増加した事で経済全体が上向いた。来年もこうありたいものだ」

「来年に販売を開始する扇風機、洗濯機、冷蔵庫のサンプルをばら撒いたが、想像以上に好評だ。

 海外からも引き合いがある。イギリス帝国からは試作品でも良いから三十台以上送れと、脅迫じみた要請があったくらいだ。

 特許を前倒しで申請して、年内には量販を始めるように計画を修正する。経営者としては嬉しいが、工場は悲鳴を上げている」

「勝浦工場の造船所で建造された高速輸送船の一隻目は我が社に納入される。

 燃料が石炭では無く重油で、給炭施設に隣接したところに給油所を建設しなくてはならないが、船の性能は格段に上がっている。

 五千トンクラスの国内用だが、これで輸送効率はさらに上がる。運用して問題が無ければ追加発注するつもりだ」

「陣内の協力会社や独自資本のところからも、続々と新商品が売り出されている。景気が良い話だが、悪い話もある。

 昨年に引き続き、今年の米の収穫量も減る見込みだそうだ。これは問題だぞ」

「その件か。夏頃に勝浦工場で農業用のトラクターや稲刈り機が開発された。

 勝浦の周辺の農村で試験運用しているが、問題は無いとの結論になって、来年には量販するそうだ。

 あれが大量に各地に導入されれば、荒地の開拓を含めて農作業が劇的に改善される。

 数年後には、我が社に委託生産する話もある。忌々しいが、他の協力会社にも委託する方向らしいがな。

 国内の食糧生産は数年は落ち込んでも、五年も経てば回復して一昨年以上の収穫が期待できるさ」

「その話は聞いている。それ以外に工事用の特殊車両も開発して、勝浦工場の建設に使っているそうだ。

 こちらも来年には販売を開始すると聞いているが、こちらも委託生産になるのか?」

「ああ。農作業車両と同じく、数年後にな。それと我が社と新興会社を競わせるつもりらしい。くそっ!」


 どの財閥も陣内が持ち込んだ技術の恩恵を受けて、収益は大幅に上がっていた。

 だが、今まで日本の発展に貢献してきたという自負が邪魔して、素直に陣内の功績を認める事は無かった。

 しかも、歴史ある財閥を経営する自分達と新興会社を、陣内は同じ扱いにしている。それは財閥当主たちの矜持を傷つけていた。


「理化学研究所は来年早々の新開発の発表準備に入ったようだな。来年は血液の識別と壊血病の予防剤。真空管と無線通信機か。

 これが発表されたら大きな騒ぎになるぞ」

「血液の識別装置と壊血病の予防剤の製造装置は我が社では無く、別の協力会社に委託するらしい。

 もっとも、自動製造装置は日本総合工業の自社内で稼動させると聞いている。あれも大ヒットするのは間違い無いだろう。

 真空管と無線通信機もだ。これからは、時代が変わるぞ」

「それらを次々に開発していかないと、我が国が何時までも発展しないんだ。仕方無いだろう」

「それは分かる。日総新聞の掲載記事で我が財閥が叩かれたが、意趣返しも出来ないで気分が悪いんだ」

「ああ、あの新聞社に賄賂を送った件か。その新聞社は潰れたんだな」

「経営者以下は警察に逮捕されて新聞社は倒産だ。他の新聞社は二の舞を避けて、上手く世論を誘導する事が出来ない」

「世論を誘導と言うが、大陸や半島に進出する動きと、止めようとする動きは半々だ。

 日総新聞が大陸や半島の風習や生活環境を細かく写真入りで掲載したから、大衆はあそこに行くのを怖がる傾向にある。

 今は様子を見た方が良いぞ。どうせ中国大陸や半島には進出しなくても、他への進出は絶対にするだろうからな」

「そうだな。淡月光の海外進出が正式に決まって、既に八ヶ国に社員を派遣して現地支店の開設準備に入っている。

 あれが軌道に乗れば、我々も運輸関係で各国に繋がりが出来る。それを上手く活用する事を検討している」

「お前のところは運輸だから良い。我々は世界各地の鉱山や石炭、油田が欲しいのだ」

「現地の広大な土地を買い占めるのも難しい。土地と言えば、内務省の依頼で小笠原諸島に大量の建設資材と石炭を運び込んだ。

 何か聞いているか?」

「いや、何も聞いて無いぞ。小笠原諸島に大量の建設資材と石炭? あそこに基地でも建設するつもりなのか?」

「あそこには以前から給炭所はあったぞ。そこの倉庫に入りきれない程の量だ。

 そう言えば、以前に和歌山沖で遭難したオスマン帝国の乗組員を保護したんだんったな。

 国交を結ぶつもりで遭難した乗組員を送り返したらしいから、その動きと関連があるのかも知れん」

「オスマン帝国か。ロシアの圧力を受け領土を次々に失って、今では『欧羅巴の瀕死の病人』と呼ばれて、嘗ての栄光は見る影も無い。

 史実では、日本が偉そうな事は言えるはずも無いのに、あそこの足元を見て不平等条約を結ぼうとしたが拒否された。

 今回は最初から対等条約を結んで、早くから国交を結ぶらしい」

「あそこの領土には膨大な石油資源が眠っている。まだ誰も気がついていないからな。

 政府は中東まで手が伸びないだろうから、我々が先に手をつけるのも有りだろう。

 我々とて高い技術を持っている訳では無いが、十年も経てばあそこが欲しがる程度の支援は可能だ」

「詳細な位置は陣内に聞かないと分からないだろうが、先行投資の価値は十分にある。国交を正式に結べた後に検討する事にしよう。

 日本の為にもなる事だし、天照機関も駄目とは言わないはずだ」


 財閥の当主達は日本の発展を願ってはいたが、それは同時に自分達も繁栄する事が条件だ。

 天照機関や陣内と共同歩調は取れるが、優先すべきものは自らの繁栄になる。

 彼らは商人であり、養うべき大勢の社員がいる。この微妙な意識の違いがどう影響するか、この時点で見通せる人間は誰も居なかった。

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 陣内は沙織と一緒に、秋田の産業促進住宅を視察に訪れていた。

 豪雪地帯であり、昨年の冬季は風力発電機が凍結の為に動作しなくて不自由を強いられた事から、今年の夏に重油を使用した

 自家発電機を導入していた。(二年後には送電線が敷設され、電気供給を受ける予定)

 もっとも此処に来る前の住民達は、冬の寒風が室内を通り抜けていくようなあばら家に住んでいた。

 ちゃんと雨風が凌げるだけでもありがたいと言って、不満を口にする事は無かった。(布団は全て用意してある)

 しかも、此処にいる限りは住宅費や食料費は全て政府持ちだ。(正確には天照機関の予算)

 働き手が居るところは道路や鉄道の工事に出稼ぎをして、家族は此処で待っている。

 出稼ぎの賃金は安いが、衣食住の食と住は政府が面倒みてくれるから安心だ。

 もっとも、残された婦人や子供は完全な自由では無い。婦人達は共同食堂で全員の食事(食材は政府支給)を作り、周囲の清掃や

 寝たきりの病人や老人がいればその世話を、さらには孤児がいれば彼らの世話も見る義務を持っている。

 子供達も七歳以上は敷地内にある学校に行って勉強する義務と、空いた時間で勤労奉仕する義務がある。

 政府管理の老人ホームと孤児院の合体版と思っていただいても構わない。(生活保護も含む)

 この産業促進住宅の第一期計画は全て完了し、1200人が住める住宅、共同銭湯、共同食堂、学校、体育館、倉庫、小規模な商店街、

 神社が建設されていた。雪国ならではの問題(冬場の暖房や雪対策)もあり、今年はその対処に忙しかった。


 夕暮れ時、神社の境内で五人の子供達が箒で落ち葉を掃除していた。

 そろそろ頃合と見た神社の巫女は、笑みを浮かべながら五人の子供達に声をかけた。


「はーーい。皆、ありがとうね。今日はもう帰って良いわ。これはご褒美よ」

「わーー、これチョコって言うんでしょ。凄く甘いのよね!」

「へーー。初めて見るよ。土色だけど本当に美味しいの?」

「そうよ。この前に管理事務所の前を掃除したら、ご褒美に貰ったもの。凄く美味しいわよ」

「食べたい! 早く頂戴!」

「はいはい。少ないけど、しっかり食べてね。じゃあ、明日も御願いね」

「「「「「はーーーーい」」」」」


 神社の巫女から掃除の褒美にチョコを貰って、五人の子供達は喜びながら帰っていった。

 その様子を神社の事務所から陣内と沙織、それと神主が見つめていた。


「子供達が境内を掃除するなんて偉いですね。まだ小さいのに、しっかりしてます」

「まったく助かります。あの五人は両親を亡くした孤児なんですが、此処では元気で暮らしています。

 こうして神社の掃除をしたり、寝たきりの病人を見舞ったりと、元気いっぱいですからね。見ているこちらが元気になります」

「こうして助け合って生活できる場所があるのは良いです。これも陣内様の提案のお蔭ですかね」

「私は思った事を言っただけですよ。その案を採用して実行したのは、お偉い様です。感謝はそちらにして下さい」

「またあ、謙遜しちゃうんですから。素直に認めても良いんじゃありませんか?」

「そうです。陣内殿の発案でこの住宅街が出来たのです。此処は雪国で冬は厳しい。

 今までのような隙間風が入るような家とは違い、きちんとした住居ですからな。

 それに共同風呂もあるし、困った時はお互いが助け合える。良いところです」

「ですが、何時までも此処に居られる訳ではありません。

 今は各家庭の働き手は出稼ぎに出払っていますが、何れは此処を出て、他の住宅に住んで貰います。

 そうしたら彼らの賃金も上がる予定ですから。此処は困った時の駆け込み寺みたいな施設です。

 永住するところではありません。孤児達にしても此処で勉強すれば、大きくなった時に絶対に役に立ちます」

「学校の教材も無料で用意してもらったとか。まったく感謝の言葉もありません」

「いえいえ。ところで昨年の冬は風力発電機が雪で動かなくなって、その対処は行いました。それ以外に問題はありませんか?」

「……雪かき用の専用の道具まで用意して貰いましたからな。それに共同で使える自転車も。

 欲を言えば、お医者さんがいれば安心です。もっとも、こんな辺鄙な場所に来てくれるお医者さんなんて早々居ないでしょう」

「……直ぐにという訳にはいきませんが、理化学研究所の下部組織で病院を運営しています。

 実地研修が必要ですから、その研修に産業促進住宅街が使えないか、帰ったら検討しておきます」

「おお! 御願いします! 此処から医者があるところまで管理事務所にあるバイクを使っても三十分は掛かります。

 大雪の時はそれさえも駄目ですからね。是非とも御願いします」


 人間とは環境に慣れる生き物だ。手厚い保護でぬくぬくとした環境に慣れてしまうと、厳しい環境に戻れなくなる。

 とは言っても、生活に貧窮する彼らをそのままにはしておけないと建設したのが、この産業促進住宅街だ。

 あくまで一時的な避難所に過ぎない。いずれは自立して貰わないと困る為に、敢えて入居者達に勤労奉仕等の義務を負わせていた。


「さて、今日は此処で一泊させて貰います。管理事務所の空き部屋二つを貸して貰いますよ」

「? 管理事務所の空き部屋は一つですが?」

「え? 沙織、確認はしたんだろう!? どういう事だ!?」

「おほほほほ。あたしの勘違いかも知れません。ごめんなさい」

「……まあ良い。布団は二つあるんだろうな?」

「……さあ、どうでしょう?」

「…………」


 最近の沙織の誘惑は、過激になっていた。陣内は沙織に好意を持っていたが、同居している女性と関係する事に大きな不安がある。

 沙織に手を出したら責任を取れと、皇居の主に釘を挿されていた事も脳裏の奥にこびり付いていた。

 仕事が忙しい事もあるし、まだ家庭を持つ事に不安を持っている陣内は、結局は孤児達と一緒に寝たのだった。

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 大航海時代の1492年に西インド諸島が知られたのがきっかけで、欧州からアメリカ大陸への入植が進められた。

 東海岸から始まった入植は、『明白な天命(マニフェスト・デスティニー)』というスローガンの下に奥地への開拓が進められた。

 最初は食料不足で、インディアンの援助を受けた事もある。つまり入植の初期は、インディアンと入植者は友好関係にあった。

 だが未開のインディアンを、入植者が何時までも対等に扱うはずが無かった。


 一神教であるキリスト教の教えに従って『明白な天命』というスローガンを掲げて、入植者は徐々にアメリカ大陸を西進していった。

 それは貧乏人でも自らの努力で土地を得て、豊かな暮らしを手に出来るという文化を形成して、「自由と民主主義」理念の源流を

 形作っていった。それは先住民のインディアンの虐殺の歴史でもあった。(インディアン戦争:1622年から1890年)


 最初から入植者がインディアンの虐殺を考えていたかは不明だ。

 形式上は入植者がインディアンから土地を購入しようとした証拠もある。もっとも、当時のインディアンは土地を売買するという

 概念が無く、入植者が提示した『様々な物品』(広大な土地の対価としての妥当性に疑問)を土地への入植許可と受け取った。

 つまり入植者は土地を買ったと認識したが、インディアンは一緒に暮らす事の許可という認識だった。

 そもそもインディアンは統一された部族では無く、個々の小集団の集まりだ。

 今まで白人達が略奪してきたアフリカの部族社会のような『酋長が支配する首長制の部族社会』では無く、合議制の民主社会だった。

 これらの誤解がさらに争いを生み、インディアンとの戦闘が激化していった。


 時には被害を受けたが、銃火器を持つ入植者の優位は揺らがず、インディアンは徐々に虐殺されて居住区を奪われていった。

 主食のバッファローが入植者の乱獲で激減した為に、インディアンが飢餓状態に陥った事も大きく影響している。

 インディアンが小部族の集まりであって意思統一された存在では無いと知ると、部族間の戦いを煽って同士討ちをさせた事もある。

 さらにはインディアンを絶滅させる目的で、病原菌が付着した毛布を友好の証として贈り、故意に伝染病に感染させた悪辣な記録も

 多く残っている。推定で約500万人いたインディアンは、実にその95%が死に絶えてしまった。

 そして残されたインディアンは、保護区に指定された辺鄙な場所で衰退していく運命だった。


 そんなインディアンを入植者全員が迫害したかと言うと、そうでは無い。

 上手くコントロールする為かも知れないが、インディアンの一部を監督官に任じたり、伝道所の白人尼僧達は負傷したインディアンの

 手当てをしたという記録も残っている。

 つまり少数だが、インディアンの事を考えた入植者も居たという事だ。

 これを元に入植者全員が独善的でインディアンを迫害したのでは無いと、抗弁できるだろうか?

 所詮は少数意見であり、少数の善意は大多数の悪意ある迫害の前では掻き消される。

 一部の善意の人がいるなら、全体を悪く言うべきで無いという意見がある。

 だが、大多数の悪辣な行いの責任は、少数の善意の行いによって掻き消されるのだろうか?

 それを判断するのは個々の良心だけかも知れない。

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 この時期、インディアンは生活の糧を奪われて僻地に追いやられており、絶望のどん底にあった。

 史実では今年の十二月の末に『ウンデット・ニーの虐殺』が行われて、インディアン戦争は終結した。

 武器を持たない彼らを、しかも女子供や乳飲み子さえも、第七騎兵隊の兵士達は無差別銃撃の対象にした。

(後日、虐殺を行った第七騎兵隊は議会勲章を授与されている)

 今の日本に、アメリカと対立してまで彼らを助ける力は無い。

 力は無いが見過ごせないとして、十一月末に陣内は陽炎機関と協力して行動を起こした。


 濡れ衣を着せられて殺されるスー族の精神的支柱のシッティング・ブルを保護。

 さらに和平交渉者として人望厚かった老酋長シハ・タンカを保護して肺炎を治療した。

 史実では虐殺されたスー族、それに他の部族達、総勢三千人を秘かに大型輸送機を使って北海道の産業促進住宅に運び込んでいた。

 北海道は開拓の真っ最中であり、産業促進住宅街の建設は進んでいたが、まだ入居者は居ない。(全部で五ヶ所)

 そこに第一弾としてインディアン三千人を保護していた。


 第七騎兵隊は陽炎機関の工作員の訓練標的となり、全員が帰らぬ者となった。

 外傷も無い事から冬季行軍中の事故として処理され、アメリカ陸軍の中で間抜け者のレッテルを貼られてしまった。

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 オーストラリアは南半球にあり、北半球とは季節は逆だ。十二月のオーストラリアは夏だった。

 広大な大陸だが、欧州やアメリカなどの白人達の国家からは遠く、最初は罪人の流刑地として使われていた。

 そうは言っても人数が増えれば、徐々に開発は進んでいく。

 1770年から入植が始まって、沿岸から始まった開発はアボリジニの居住地域に及んでいた。

 だが、満足な文明を持たない先住民のアボリジニを、白人達が対等に扱うはずも無かった。その辺はアメリカと同じだ。

 土地を強引に取り上げて放逐し、反抗する人達には容赦無い弾圧が行われた。

 時にはハンティングの標的として扱われ、今日は何匹の原住民を仕留めたとの日記が残っているくらいだ。

 1850年代に金鉱が発見されてゴールドラッシュが始まっており、内陸部への進出は加速していった。

 こうして、アボリジニは徐々に不毛な内陸部に追いやられ、人口を減らしていった。

 入植当時は50万から100万人はいたアボリジニは、今では10万人未満まで減少していた。

 このままいけば、滅亡しか無いだろう。(史実では滅亡は無かったが、子供達を強制的に引き離され、文化が失われていった)


 此処でも陣内と陽炎機関は介入した。

 アボリジニの長老と秘かに接触して、第一陣として二千人のアボリジニの人達を北海道の産業促進住宅街に保護していた。

 インディアンとは別の産業促進住宅街にだ。


 インディアンもそうだが、まだアボリジニの人達も数多く、アメリカやオーストラリアに残っている。

 だが、今の日本に彼ら全員を守る力は無い。また、守る義務も無い。

 こうして、陽炎機関の工作準備は秘かに進められていった。

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 陽炎機関の最高責任者の服部半蔵(通り名)は、北海道の産業促進住宅街の様子を天照機関に報告していた。


「北海道にある五つの産業促進住宅街の三つにインディアンを、残り二つにアボリジニを保護しました。

 第一期の建設は終了しており、生活するのは大丈夫です。第二期の増設工事を彼らに手伝って貰えば、予定より早く進むでしょう。

 今の北海道は冬季に入っていますので、来年の春を待って第二期の増設建設工事に取り掛かります。

 その建設状況を見ながら、アメリカからはインディアンを、オーストラリアからはアボリジニを追加で保護します。

 最終的にはインディアンは三万人から五万人、アボリジニは二万人から三万人を保護する計画です」

「うむ。彼らの生活はどうだ? 慣れぬ土地だろうが、馴染めるのか?」

「迫害され続けた彼らにとって、安住の地ですからね。馴染もうと努力しています。そちらは大丈夫でしょう。

 それと彼らの方から、元の土地の解放に協力して欲しいと要請がありました。予想通りとはいえ、少々気まずい思いです」

「……彼らから申し出る事を予想したからこそ、我々が保護した。彼らも我々の無償の善意を期待している訳ではあるまい。

 我々にとってアメリカとオーストラリアの発展を阻害する事は、将来的な利益につながる。だからこそ彼らを保護したのだ」

「他のアフリカやアジアで民族浄化の対象になっている民族は多いが、その全てに手を差し伸べられる訳が無い。

 まだまだ、国内の改革を進めなくては為らない状態で、そんなに多くの問題に介入できるものか」

「お互いの利益が一致すると見込まれたから、彼らを保護した。この時代は自らの力で生き延びられない者達は滅びるしか無い。

 我々はまず自分達の生活を守る事が優先だ。後世の歴史で偽善と言われようが、それが今の時代の流れだからな」

「後世の評価など、どうでも良い。今を生き延びねば、後世など無意味だからな。そんな事を言い出す輩など放置しておけば良い。

 ところで彼らの訓練は陽炎機関で行うのだな?」


 名目上は、民族浄化の対象になっている彼らを救う為に保護した。実際に保護しなければ、虐殺の対象になっていたから間違いは無い。

 だが、彼らの元の土地を解放するという名目でアメリカとオーストラリアを混乱させ、国力を低下させるという本音もあった。

 彼らから申し込んでくるのを、最初から見込んでいた。

 汚いと言われればそうだが、この時代に見知らぬ相手に善意の手を差し伸べる国家など無い。(聖職者などの一部は個人の扱いだ)

 どの国家もそうだが、国力を強化して生き延びるのに必死だった時代だ。

 自らの力で生き延びられなかった民族は、滅亡する運命が待っている。後世の常識など、今の時代には通用しない。


「今の北海道は豪雪という事もありますから、訓練は雪解けを待ってから行います。

 冬季期間中は彼らを休ませる事と、再来年以降に予定される工作活動内容の検討を進める予定です。

 陣内殿の全面的な支援がありますから、アメリカとオーストラリアの内陸部に彼らの活動拠点の構築を検討しています」

「まだ航空機が開発されていない時代に、あんな大型輸送機が存在しているとは誰も知らぬ事だからな。

 内陸部に活動拠点があれば、誰も我々が関与しているなど思うまい。情報秘匿は完璧にしてくれ。

 万が一にも彼らが捕まって、我々が支援していたなどアメリカやイギリスに知られる訳にはいかない」

「勿論です。彼らの訓練には来年一年間をあてます。実際の行動は再来年以降です。機密保持は徹底させます」


 この時代は航空機など無く、貿易の主流は船だ。その為に沿岸部の開発が優先して進められる。

 いきなり内陸部に物資を輸送するなど、考えられない事だった。だが、陣内が持つ大型輸送機の存在が、それを可能にしていた。

 こうして保護されたインディアンとアボリジニは迫害に怯える事は無くなったが、故郷を解放しようと争いに身を投じる事になる。

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 陣内は形式に拘らない方だったが、忘年会は行った方が良いと考えていた。

 この時代に来るまでは一匹狼だったが、今では多くの部下を抱える責任ある立場だ。

 段々と部下に指示する事に慣れてきたが、親睦は出来るだけ深めたいと思っていた。

 (酒が駄目な体質ならともかく、上司と酒を飲めない輩は基本的に採用しない。個人主義より集団主義を優先させた)

 そして第二回目の日本総合工業の忘年会が陣内の住まいで行われていた。


「勝浦工場の建設は順調に進んで、今年から稼動を始めた施設も多い。定期会議で進捗報告は受けているが、今日は本年の最後の日だ。

 来年の目標と問題点があれば、発表して貰おう」


「エネルギー事業部の神埼です。勝浦工場の工場の稼動開始に伴って使用電力は増えましたが、核融合炉の出力はまだ余裕があります。

 各地の電力会社と協定を結んで、大型発電機の設置が進み出しました。

 これで来年から販売される扇風機や洗濯機、冷蔵庫の普及の障害には為らないと思われます。

 石油生成プラントは完成しましたが、まだ日本の需要量は少ないので稼働率は低いままです。

 日量約10万バレルは、今の日本では過大な供給量ですからね。

 第二期の増設工事の建設準備は進めてありますが、実際には数年後になると考えています」


「産業機器事業部の高村です。内陸エリア工場の自動生産ラインの稼動は順調で、日本各地への部品の供給は問題ありません。

 工場も第一期計画が終わりましたので、後は順調に工作機械の製造を進めて、日本全国の普及を進める方針です。

 まだ輸出の実績はゼロですが、国内の普及が一段落する数年後を目標に検討を進めます」


「造船事業部の中村です。港湾施設と倉庫群の建設の進捗率は約60%というところです。

 原材料の搬入や各事業部の製品の出荷には問題はありません。今は規模の拡大と効率の改善に努めています。

 建設資材の不足が解消されましたので、第一期計画の二万トンクラスの建造ドックと修繕ドックは完成しました。

 夏から稼動を開始して、五千トンクラスの輸送船の三宅丸級を二隻完成させ、客先に納入しています。

 一つはグループ会社の淡月光です。

 燃料は石炭から石油に変えていますので効率は上がっていますが、各地に燃料基地を建設しなくては為らないのが今後の課題です。

 各地で港湾施設の改修工事が進められており、その中には燃料基地も含まれています。

 油槽船を多く就航させる必要もあり、立ち上がりに時間が掛かります」


「重化学事業部の山本です。夏に三ラインのうちの二ラインが完成して、製鉄所は稼動を開始しました。

 先月に残りのラインの建設も終わりましたので、これで第一期建設計画の粗鋼生産量が年間約100万トンの製鉄所は完成です。

 既に他の事業部や協力会社に、製鉄の供給は始まっています。構内鉄道の拡大と併せて、第二期の建設計画の準備を始めています。

 石油精製プラントは既に稼動を開始しており、灯油やガソリン、重油の供給も問題ありません。

 第二期の拡張工事用の大型重機の手配を進めるように御願いします」


「特殊車両事業部の土方です。農作業用の試作車両の評価が終わりまして、先月からトラクターと田植え機の量産に着手しています。

 稲刈り機の需要は秋ですので、少し時期をずらして生産を始めます。

 工事用重機ですが、初期タイプの試験運用が終わりましたので、こちらも量産に入りました。

 輸出も考えていますので、本当に小型タイプしかありません。数年後には協力会社に生産を移管します。

 そうなれば国内向けの大型重機の製造を開始します。第二期計画には間に合わせます。

 それと協力会社への技術支援の件ですが、今のところは順調です。来年中には独自ブランドの小型乗用車が開発される見込みです」


「規格管理事業部の永野です。測定器や検査機器の販売は品質と性能を認められたので、国内と輸出を含めて順調に伸びています。

 ですが統一規格の認知度は低く、認定を求めてくるのは協力会社だけです。

 まだまだ品質より動けば良いなどの考えが強く、金がかかる認定を受けようとする一般企業はありません。

 これから統一規格の認知度を上げる事が課題です」


「国土管理事業部の石橋です。後で乱開発されそうな豊かな自然が残っているところは、粗方の買取は終わりました。

 文化遺産の保護も、少しずつですが進んでいます。

 それと鉱山を運営している協力会社で、公害汚染が深刻な事が判明しました。

 勧告をすると同時に改善を求めました。少し待って改善されない場合は、政府から改善命令を出して貰います。

 それと山林を保護する観点から、間伐材を使用した産業を発展させる必要があり、各事業部の協力を求めます」


「海外事業部の清水です。海外のダミー商社は五社(イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、アメリカ)が立ち上がり、運営は順調に

 進んでいます。今のところ、海外からの資源の輸入が激増しており、その販売利益はかなりの額になっています。

 それとまだ諸外国に気付かれないうちに、ウラン資源や希少金属類の鉱山資源の買取も進めています。

 アフリカやインド、アジアでの鉱山の確保は全部で十二ヶ所。現在はアメリカの東テキサス油田の一帯の買占めを行っています。

 それと各国での孤児院(イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、スペイン、アメリカ、ベトナム、タイ、インドネシア)は

 運営を開始しており、現在の保護している孤児の総数は三十八名です。教育レベルも高いものになっています」


「半導体事業部の鈴木です。我が事業部は十年以上は真空管のみが生産対象になっています。ICやLSIはまだ遠い将来の話です。

 その真空管の自動生産ラインは既に稼動を開始しており、膨大なストックを蓄えてあります。

 来年早々に量販する準備は整いました。諸外国の目を惹き付ける為、協力会社で真空管の手作業の製造ラインも稼動しています。

 今のところは、来年以降の真空管の需要の増加に伴った製造ライン増設の規模が、まったく予測できないのが問題です」


「通信機事業部の柳田です。来年から量販をする初期型の無線通信機ですが、協力会社の生産ラインは夏から稼動を開始しています。

 こちらも大量の在庫をストックしており、直ぐにでも量販体制に入れます。

 現在は、再来年までに大量のラジオ受信機と放送設備の製造を行う準備を行っています。

 尚、日総新聞が二年後に建設する富士山の電波送信塔ですが、我が事業部が工事を行います。その準備も進めておきます」


 勝浦工場の各事業部長の発表の後、続いて陣内のサポートを行っている美香(由維は美香のサポート)と沙織の発表が行われた。


「内部調整係の江空です。海外のダミー商社経由で、大量の原材料が国内に流通し始めました。

 此処の製鉄所の運営が軌道に乗った事から、他の事業部の生産も順調に進んでいます。

 今しばらくは、このままで国内の各設備の普及に努めるように御願いします。

 それと国内に普及させるのは小型重機という事ですが、大型タイプの重機を製造して問題点の洗い出しを進めるようにお願いします。

 まだ勝浦工場の建設も全てが終わった訳ではありませんが、各地の工業団地の建設も進む傾向にあります。御検討下さい」


「石里です。我が社を含めて日本全体の輸出は激増しています。これも新商品のおかげですが、この傾向は数年は続くでしょう。

 原材料の輸入量はうなぎ上りの状態ですが、石油に関しては輸入を徐々に減らして数年でゼロにします。

 ただ、陣内社長の意向によって石油の輸出は行いません。外貨を稼げないのは残念ですが、それは他の事業部に御願いします。

 昨年に引き続き、今年も大量の米を輸入して、国内の米の価格を安定させました。ですが、何時までも行う訳にもいきません。

 農業用特殊車両の早期の国内普及を希望します」


「これで勝浦工場関係は終わったな。航空機事業部の工場建設は徐々に進めている。

 最初は飛行船だ。製造は1893年を予定しているから、全員もそのつもりでいてくれ。

 それと実業家の渋沢氏から、日本各地に勝浦工場のような施設が建設できないかと打診があった。

 さすがにこの規模は無理だろうが、各地に石油や鉄の生産工場が出来るのは日本にとって好ましい事だ。

 現在は土地の選定を渋沢氏に依頼している。着工するにしても五年後以降だろうが、全員がこの事を覚えておいて欲しい。

 さて、次はグループ会社の発表を進めてくれ」


「理化学研究所の北垣です。計画した施設の建設は全て終わりましたが、一部を変更して大学に連携した病院の規模を大きくします。

 国内の医療体制の整備の意味を含めています。日本各地の農村にも医療の手が伸びるように、医者の数を増やそうと各地の大学と

 連携を取り合っています。それと来年の特許申請の準備は全て終わりました。今のところはそれぐらいです」


「日総新聞の青山です。徐々に読者の数が増え始めました。まだ赤字ですが、この分だと日清戦争の頃に黒字に出来ます。

 それと子会社の出版社と広告代理店を立ち上げました。出版社に関しては童謡や技術書を主に出版します。

 広告代理店については、徐々にではありますが取扱量が増えています。こちらも数年は赤字になると想定しています」


「淡月光の川中です。今年から国内販売を開始しましたが、大成功です。

 ですが当初の見込みが甘く、急遽工場を拡張したり各地に増設したりと慌しい一年でした。今後も成長が見込めます。

 それと世界八ヶ国(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、ロシア、アメリカ)に職員を派遣して、

 現地政府の協力を得ながら販売店舗と倉庫の確保、それと現地で生産委託する協力会社の選定に入っています。

 しばらくは国内生産品を輸出して対応しますが、量が膨大ですから現地生産しませんと対応が出来ません。

 今月に納入していただいた高速輸送船は素晴らしい性能です。これの追加発注をしたいと考えております」


 堅苦しい話は此処までだった。そして昨年と同じく料理が用意された隣室に移動して、酒盛りを始め出した。

 今年は激動の年だった。来年は今年より激しい動きが出る予定だ。酒を飲みながらも、その対応について全員が熱く語り合っていた。

 余談だが、楓は陣内と同じベットで寝たが、それに沙織が気付く事は無かった。

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 不可思議な空間を経由して、この時代に来たのは陣内だけでは無かった。

 陣内と一緒にこの時代にやって来た魂を持った赤ん坊が、世界中で数十人と産まれていた。

 だが、この時代の赤ん坊の死亡率は高い。親が裕福であれば生き延びられる確率は高いが、植民地や貧困な国では死ぬ確率は高い。

 栄養不足や伝染病など、様々な要因がある。そして1890年末の時点で、転生者である赤ん坊の約二割が死亡していた。

 中には以前の記憶を持ったまま死んだ赤ん坊もいる。生きて成長すれば、どれほどの事が出来ただろうか?

 その可能性を秘めたまま、何人かの赤ん坊が死んでいった。だが、まだ生き延びている赤ん坊もいる。

 彼らが今後の歴史にどう関与してくるのか、今は誰も分からなかった。

(2013. 5.18 初版)
(2014. 2.16 改訂一版)