七月一日。第一回の衆議院議員総選挙が行われた。史実では300だった議員数も、陣内の介入の為に定数100での選挙になった。

 かなりの混乱があったが、何とか無事に終了し、民権派が過半を占める結果になっていた。

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 勝浦工場の建設は休む事無く続けられており、真夏を迎えた現在は幾つかの施設が稼動を開始していた。


 ・ エネルギー事業部

    野々塚(268m)の地下に設置した核融合炉は問題無く稼動して、勝浦工場の全域に電気を供給している。

    もっとも、超高圧送電設備が建設できない為に外部供給は理化学研究所のみだった。

    協力会社に委託している普及型の五万KW出力の発電機は、各地の契約を結んだ電力会社に供給されて電気の普及が進み出した。

    それと野々塚の近くに建設していた石油生成プラント(日量:約10万バレル)と原油の大型貯蔵タンク三基が完成した。

    生産する石油はガソリン、灯油、軽油、重油の比率を自由に変えられるが、現在は需要の大部分を占める灯油の比率が高い。

    現時点で日量約10万バレルは消費し切れる量では無いが、建設用重機や農業用車両の普及が予想され、それに伴う需要の増加を

    見込んでいる。まだ第二期増築用(日量約50万バレル)の場所は確保しており、施設の建設は時期を見て進める計画だった。

    そして重化学事業部の石油精製プラントが稼動し始めると、日本の石油輸入量は激減していく。

    尚、この勝浦工場で生産される石油は国内用であり、今のところは輸出する気は無かった。


 ・ 産業機器事業部

    自動生産ラインによって品質が安定した部品が次々に生産され、それらを使用した工作機械が製造されている。

    工作機械を製造する工場棟も増えて、出荷台数も徐々に増えていった。

    さらに来年に販売を開始するビタミン剤の大量生産用の自動生産設備が設置された。

    来年早々に新商品として発表し、同時に販売する為に今から大量の在庫を生産する為にフル稼働状態になっている。

    ちなみに外販用の手動のビタミン剤製造装置は協力会社に生産委託している。

    尚、同時に販売を開始する予定の血液識別装置は別の協力会社に生産委託していた。


 ・ 造船事業部

    国内の色々な工事が増えた影響を受けて建設資材が不足していたが、輸入を増やす事で港湾施設の建設は進んでいた。

    そしてやっと待望の造船所(二万トンクラス用の建造ドック三基と修繕ドックが一基)が完成した。

    建造ドックでは既に貨物船の建造に取り掛かっている。五千トンクラスの貨物船であり、完成予定は年内末だ。

    尚、第二期の増設建設は沿岸の高台を切り崩して行う計画で、五年後以降になる。

    史実では国産の一万トン以上の大型船の建造は1905年からだが、この造船所により時期が早まる事となる。


 ・ 重化学事業部

    建設資材が順調に入るようになり、原油を精製するプラントと貯蔵タンクが完成した。

    それと製鉄所も三ラインのうちの二ラインが稼動を始めた。

    敷地内の製鉄所専用鉄道も稼動を開始し、天照基地で製造された電車が運行を始めた。時期をみて拡張する予定もある。

    製鉄所で生産された材料は産業機器事業部に供給され、工作機械の生産台数の増加につながった。


 ・ 特殊車両事業部

    既に稼動を始めていた。現在のところ、勝浦工場で使用する重機(掘削機、ローラー、ダンプ、シャベルカー等)

    を数台ずつ製造して、実際に使って問題が無いかを検証しているところだ。(輸出も考慮しているので、初期版)

    さらに農業用車両(トラクター、稲撒き、稲刈り機)も数台ずつ製造して、付近の農協(機密保持契約は結んだ)に貸し出して

    評価をして貰っている。こちらもトラクターは輸出を考慮しているので、高性能タイプでは無く初期版のタイプだった。

    尚、協力会社の社員を受け入れて、来年中には小型自動車を開発できるように技術指導も進めていた。


 ・ 半導体事業部

    真空管の自動生産ラインが設置され、来年の販売の為にフル稼働状態になっている。

    尚、対外的に自動生産ラインを隠す為に、手作業で真空管を作る設備は協力会社に支給して生産に入っていた。


 ・ 通信機事業部

    勝浦工場ではラジオ放送設備と軍用の無線通信機の製造を予定しているが、二年後の計画だ。

    それより今は協力会社に技術指導をして、真空管を使った初期型の無線通信機の立ち上げ準備を行っていた。

    秋から生産に入り、来年早々に販売を開始する予定だった。


 特殊車両事業部が製造した建設用の重機によって、勝浦工場の建設に拍車が掛かった。

 こうして勝浦工場はやっと全体がリンクして動くようになっていった。

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 日総新聞の完全子会社の『日総出版』は、昨年から立ち上げる準備をして、やっと開業していた。

 読者が増えて日総新聞の発行部数は増加傾向にあったが、まだ直営印刷所の稼働率は低いままだ。

 その穴埋めをするべく、日総出版では各種の本を出版する事にしていた。

 もちろん目的は直営の印刷所の穴埋めだけでは無い。その出版内容に関して、青山と日総出版の社長の打ち合わせが行われていた。


「……という事だから、まずは日本各地に古くから伝わる御伽噺を全て網羅して出版する。対象は幼児から学校に通っている子供達だ。

 日本の歴史を残すという意味を含め、様々な教訓や常識を覚えて貰う一つの手段だ。まだそういった本は無いからね。

 それと日本以外の国の事や、卑劣な事を行う人達も居るという事を小さい時から知るのは重要だと思う」

「良い事をすれば報われ、悪い事をすれば罰が下る。因果応報を子供達に覚えさせるのは、将来の為になるのは確かです。

 その題材は日本にはいくらでもありますからね。日本文化を残す意味でもやる価値はあるでしょう」

「それとまったく考え方が異なる人も居て、そういう人とは同じような対応は出来ないと知らせるのも重要だ。

 農耕民族と狩猟民族の考え方の違いや、結果さえ出せば経緯はどうでも良いなどの悪い考えを持つ人がいる事もな。

 我が国の場合は敵であっても亡くなれば、それなりの敬意を持って扱う。しかし外国には墓まで暴いて復讐する考えもある。

 日本は島国だが、大陸の人間の考え方は我々と違う事を徹底して周知させるんだ。

 創作童話になるだろうが、これから諸外国との付き合いが増えていくだろうから、幼少の頃から色々な考えがある事を知った方が良い」

「それと生まれ故郷に愛着を持つ事の大切さを、穏便に伝えるようにします。それが住み易い国になる第一歩です。

 過激な愛国主義者は不要ですが、一人ひとりが国に誇りを持つ事や、郷土への愛着は必要でしょう。

 それが無ければ自分勝手な人間が多くなり、隣人との争いが増えて環境汚染を平気でやるでしょう。重要な事です」


 子供の教育が重要なのは、誰しも認める事だろう。子供向けの童話集を出版すれば、それを元に子供は教訓や常識を学ぶ。

 学校に色々な教材と一緒に、そういった童話集や諸外国の風習や考え方などの資料を配布すれば、将来に必ず役に立つ。

 この時代は煩いPTAという組織は存在しない。そして今のうちから様々な教訓を含んだ童話を普及させれば、

 将来に渡って騙される事も少なくなり、海外に行った時の問題も減るかも知れないという長期計画だった。(赤字は覚悟の上)


 グリム童話を見ても、罰はかなり惨い事が書かれている。さすがに幼児にそんな本は読ませたくは無い。

 そういった理由から、教訓や常識を普及させる為の対象は区分する事にした。

 幼児向け、学校向け、大人向けの三区分になる。


 幼児向けはあまり難しい事は書けない為、簡素化された話になる。

 友達とは仲良くし、良い事をすれば良い事が返ってくる。逆に悪い事をすれば罰がある。

 祖父母や両親を大切にし、決まりは守る事などに重点を置いた簡素化された明確な内容だけだ。

 絵を多く取り入れて、読み易いような工夫が随所に組み入れられていた。


 学校を対象にした童話はかなり創作童話の部分が追加される。

 人間には色々な人が居る。仲良く出来れば良いが、無理をする必要は無い。人には其々個性があり、尊重するべきものだ。

 ただ、人の善意に付け込んで騙すような卑劣な輩とは関係を持つべきでは無い。人は変わるものだが、変われない人も中にはいる。

 個人の権利は尊重するべきだが、集団全体に被害が及ぶような自分勝手な事は許されない。

 井の中の蛙という言葉があるように、外国に行けば日本では信じられないような考え方を持つ人もいる。

 周囲の誰もが自分と同じような考え方をする人だけでは無い。それに気付かずに行動すると痛い目を見る。

 さらに人の内面を見ずに外見だけで判断したり、恩を仇で返すような事をすると必ず因果が廻ってくる。

 結果を求めるあまり、人としての倫理に反するような事をすると地獄に落ちる。

 相手を批判する時も、言葉遣いに気をつけよう。暴言を吐いて言葉が汚くなると、それは自分の内面が汚れるのと同じ事だ。

 人は其々の考え方を持っているので、自分と意見が異なるからと安易に批判するべきでは無い。議論は良いが、節度を持とう。

 そんな内容の創作童話を使うつもりだ。


 大人向けは、さらに細かい分析が入った文化評論的な内容になる。

 農耕民族は固定の土地に住む民族であり、他に移る事は少ない。農作業に人手が必要な事から、助け合いの精神を尊重する傾向がある。

 住み慣れた土地から出るという事は危険な事であり、個々の権利より全体の利益を優先して考える傾向がある。(生活環境からの必然)

 対して狩猟民族は獲物を追って次々に住居を移動する民族だ。個々の能力が重要視され、全体の和より個々の利益を重要視する。

 広大な土地に住んでいる狩猟民族は、一度会った人と次に会える保証など無い。

 その為に、その場毎の対応が重要視され、相手の信用を得ようと考える事が少ない。(二度と会えない相手の信用を得る意味が無い)

 農耕民族は正直は美徳という概念があるが、狩猟民族は場合によっては相手を騙してでも自己の利益を得ようとする事がある。

 狩猟民族全員がそうでは無いだろうが、全体を見た場合に上記の傾向が強いのも事実だ。

 このように農耕民族と狩猟民族の民族性はかなり違っている。(全体の傾向であり、全員がそうだと言う事では無い)

 農耕民族が迷い込んだ狩猟民族を保護したとしよう。世間知らずの農耕民族は狩猟民族を自分達と同じ考えだとして処遇するが、

 狩猟民族は考え方がそもそも違うので相容れない。狩猟を生活の糧にしているので、彼らの戦闘能力は農耕民族より高い傾向にある。

 そんな個々の能力を重視する狩猟民族が、全体の和を重視する農耕民族に対して、支配しようと考えないだろうか?

 狩猟民族であっても穏やかな性質の民族は存在するが、長期間の戦乱が続いてきた国の狩猟民族は相手を蹴落とそうとする傾向が高い。

 民族毎に慣習や考え方は異なる。安易に他民族との共存共栄が出来るという幻影を追った後には、何が待っているのだろうか?

 こんな内容の民族文化評価論を掲載した本を出版するつもりだ。これ以外にも、様々な教訓を組み入れた本も予定している。

 人には生きる権利と自由があるが、それと同時に義務もある。権利だけを主張し、義務を蔑にする事は認められない。

 民間の会社を例に採ると、一般社員が上司の言う事を聞かずに勝手に発言して行動するなら、その会社は潰れる。

 一般的には会社が潰れる前に、身勝手な社員はクビになるだろう。自分の意見を言うのは良い。しかし規則には従わなくてはならない。

 会社は給与が対価だが、国は生活の安全や福祉などが対価だ。自分の発言や行動に責任を持とうと言う趣旨の教訓を組み入れる。

 さらに基礎の技術関係の本など、実際の技術者にも使える出版物の計画もあった。

 これら以外にも、色々な思想誘導や想像力育成の為に、漫画本を出版する計画も進められていた。


 又、日総新聞は『日総広告』という広告代理店を立ち上げていた。

 まだまだ報道業界は成長途上であり、広告収入は微々たるものだ。だが、着実に日総広告はシェアを広げていった。

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 勝浦工場の北側には川が流れており、その周囲に僅かだが平野部が広がっている。

 その平野部と周囲の丘陵も、日本総合工業の敷地に追加となった。工場の追加建設用地だ。

 そして北側には夷隅川が蛇行して、平野部を形成していた。


 長閑な農村地帯だったが、今は見慣れぬ機械が聞き慣れぬ音を立てて動いていた。

 勝浦工場の特殊車両事業部で製造されたトラクターだ。職員が農家の人達にトラクターの運転の講習を行っていた。


「ありゃ、止まったぞ。どういうこった?」

「こら! 燃料計を見ながらじゃないと駄目だと、あれ程言ったろう! 機械だから、燃料を入れなくちゃ動かないんだ!」

「へ、へえ、すまんこってす。でも、このトラクターちゅうのは凄いですな。これなら荒地も直ぐに耕せます」

「その為の機械だ。もう少しすれば稲刈り機を使って収穫を行う。今から運転の練習をして貰うからな」

「機械が勝手に稲刈りをしてくれるなんて信じらんねえが? しかも、田植えも自動でやるなんて、おらを騙しているんじゃねえか?」

「少しは信じろ! 最初は俺が実演してやるからさ」


 実際に農業用車両を使うのは農家の人達だ。その為に、普及には何が必要なのかを確認する為、内陸部の農村を実験場にしていた。

 他にも五ヶ所ほどだが、試作で製造したトラクター、田植え機、稲刈り機の運用実験を行っていた。(田植え機は来年の春に使用)

 こうして、着実に農村の機械化が進んでいった。


 淡月光の水分吸収素材は石油化合物から製造される物と、廃棄される農作物を特殊処理して製造される物の二種類がある。

 特に廃棄される農作物を特殊処理して製造されるタイプの水分吸収素材は、分解性を持って環境に優しい作りだ。

 それ以外にも有機物を微生物処理して石油を生成するプラントもある。

 そして近隣の農村の不要な生ゴミは勝浦工場に集められ、色々な用途に使われていた。

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 日本政府は天照機関の設立以前から、北海道の開拓を進めていた。

 北国なので雪の問題はあるが、未開発の広大な大地が広がっている。これを開発すれば、日本の国力は更に高まる。

 ロシアの脅威に対抗する為にも、早期の立ち上げが望まれていた。

 そして天照機関の指導と予算配分の下で、史実より開発ピッチが上がっていた。

 とは言え、まだ開発の手が及んでいない地域が大部分だ。北海道全体の開発の道程は、果てしなく遠かった。

 アイヌ保護法(史実は1899年)は昨年に制定さた。

 史実のアイヌ保護法はアイヌ民族を日本民族に同化させる主旨だったが、今回は彼らの独自の文化を保護する傾向が高かった。

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 日本経済が上向き始めたと実感できるようになった頃、勝浦工場の本社に実業家の渋沢を招いていた。

 本社ビルの最上階の社長室からは、勝浦工場の全域が見渡せる。

 まだ空いている場所は多いが、数多くの工場が稼働しているのが見て取れた。渋沢はその様子を見て溜息をついていた。


「この広大な工場を、僅か一年で立ち上げたと言うのか? まったく未来の技術というのは凄まじいな」

「採掘用ロボットと建設用ロボットが無かったら、ここまで短期間で立ち上げは出来なかったでしょう。

 ですが、人目につかないように夜間に作業するなど苦労はしたんですよ。近隣からは夜に変な音が聞こえてくるって噂になりました」

「その噂は聞いている。一夜にして海岸沿いの高台が高くなり、数日後には沖合いに高さ二十五メートル防波堤が出来るなんて

 普通じゃ無いからな。近隣の住民には緘口令を出したから、諸外国の耳には入らないだろうが、注意した方が良いぞ」

「勿論です。建設用重機が試験配備されましたから、採掘用ロボットと建設用ロボットは天照基地に戻してあります。

 あちらの建設も遅れていますからね。これでやっと天照基地の建設が進められます」

「この工場で莫大な電力と石油を供給。原材料を輸入して、製鉄所で鉄を生産。それを元に各種の産業機械や船も造るか。

 此処の工場だけで日本の粗鋼生産量が跳ね上がり、しかも造船所は国内最大だ。まったく大したものだよ」

「見ての通り、工場内には空き地が目立ちます。第二期の各工場の増設が終わって、初めて勝浦工場は全機能を発揮します。

 まだ最終目標の二割も行ってません。最終の形になるのには、十年以上は掛かるでしょう」

「それにしても、製鉄所の煙突の煙は少ないな。他の製鉄所を見た事があるが、あれの数倍以上の黒煙が上がっていたぞ」

「うちの国土管理事業部は、公害防止活動を行っていますからね。自社工場が公害を垂れ流していたら、話になりません。

 その為に煤煙対策は徹底させています。協力会社にも生産効率を上げながら、公害対策を少しずつ進めて貰っています」


 まずは日本国内の各産業の立ち上げを優先させていた。その為に第二期の拡張工事は時期を見る。

 それは渋沢も承知していた。他の各企業は日本総合工業の支援があり、新製品を続々と生産し始めていた。


「この工場のお蔭で、日本全体が活性化している。とは言え、関東近辺に集中しているな。

 これと同じような工場を日本各地に建設できないものかね? 私の知人に各地の有力者がいて、彼らからの希望だ。

 製油所や製鉄所が各地に出来れば、地域の産業発展になるからな。今の日本なら採算ベースに乗る事は間違いないだろう」

「……確かに一極集中は拙いですね。勝浦工場と同規模というのは、建設資材不足もあって無理です。

 ですが、製油所や製鉄所を分散させるメリットは確かにありますね。……用地の取得はお任せしても良いですか?」

「勿論だ。どんな場所が希望だ?」

「……そうですね。この案はどうですか?」


 陣内は少し考えて、その内容を渋沢に説明した。

 まずは発電所、石油生成プラント、製油所、製鉄所、造船所がセットになった大規模な工場を国内の二ヶ所に建設する。

 場所としては東北か北海道に一つ、四国か九州あたりに一つぐらいが妥当だろう。

 さらには中規模の工場として、火力発電所と製油所と製鉄所のセットになった工場を各地に建設する。

 用地面積としては、大規模工場は最低でも20km2。中規模工場は最低でも10km2が望ましい。

 製鉄所や造船所の処理能力は、用地の取得面積が判明してから検討する。本来は順番が逆なのだが、今回は特別だ。

 何と言っても日本総合工業が日本の基幹産業を独占する訳では無い。他の企業の都合も考える必要がある。

 大規模工場の石油生成プラントは諸外国に知られる訳にはいかないが、中規模工場は運営が軌道に乗れば施設を売却しても良い。

 莫大な建設資金が必要で採算ベースに乗るまで長期間を要するだろうが、やる価値はあると判断していた。


 建設用地の選定も重要だ。特に大規模工場は機密保持が容易な事と、大量の労働者が必要になる。

 中規模工場もそうだが、海岸に面していて港湾施設の建設が可能な事も条件の一つだ。

 どちらも広大な土地が必要になるので、開発が進んだ地域での建設は無理だろう。

 従って、土地取得が容易な過疎地域が対象になる。地域の産業発展や雇用促進の意味も大きい。

 直ぐに建設に掛かれる訳では無いが、用地を事前に取得しておいた方が効率が良い。

 それに勝浦工場の第一期計画を完了させるのが優先される。建設に取り掛かれるのは、五年以上後になるだろう。

 陣内の提案に渋沢は大きく頷いた。日本の国力強化の意味もあるが、地域の活性化も見込まれる。反対する人間は居ないはずだ。


「分かった。用地の件は任せてくれ。各地の有力者に問い合わせてみる。北海道ならまだ開拓が進んでいないから容易だろう。

 話は変わるが、国民の体力増強の為にスポーツを普及させたいと考えている。良い知恵は無いかね?」

「スポーツですか? 体力増強にも良いし、集団行動の規律を守らせる為にもスポーツの普及は良いですね。

 分かりました。明日から夏休みを一週間程取りますが、休み中に資料と普及計画を考えておきます」

「宜しく頼むよ」


 この時代に、次々に海外からスポーツの導入が進められていた。マラソン(史実は1899年)、卓球(史実は1902年)、

 ゴルフ(史実は1903年)、バレーボール、バスケットボール(史実は1908年)、ボクシング(史実は1909年)、

 スキー(史実は1911年)などだ。日本固有の剣道や柔術、柔道なども普及させたいが、集団行動の規律を幼い時から慣らす為に、

 集団スポーツは是非とも進めたい。さらに寒冷地の行動力を増す為に、スキーの普及はメリットがある。


 一週間後、陣内は各種のスポーツ用品の実物と製作図面を渋沢に手渡した。普及計画書もだ。

 こうして、日本に徐々にスポーツが浸透していった。

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 陣内は勝浦工場の高級住宅地域に自宅を持ち、沙織と由維と美香の四人で暮らしていた。(食事は沙織が作っている)

 普段は勝浦工場の建設状況の確認や、子会社や協力会社との打ち合わせを行っているが、定期的に天照基地にも行っていた。

 何と言っても、全ての根源は天照基地にある。まだ建設途中の施設もあるし、定期的に進捗確認をする必要があった。

 激務に疲れた身体を癒す為に一週間の夏季休暇を取って、陣内は天照基地に滞在していた。


 天照基地の建設は進み、原材料を精製、加工して部品を生産、さらには様々な製品の組み立て工場が稼動していた。

 しかし、核融合炉の燃料である重水素の採取装置や造船所、さらには石油生成プラントの建設は遅れていた。

 これも採掘用ロボットと建設用作業ロボットを、集中して勝浦工場の建設に使用した為だ。

 勝浦工場の稼動が軌道に乗り始めたので、これからは天照基地の建設に注力する。


 北大東島に当初は山は無かった。だが、地下を掘り進めた土砂を盛って、高さ百メートルの山を造成していた。

 その山の内部に建造ドック(五万トンクラス)を二基建設する計画だが、進捗は遅れている。

 山の内部はくり貫かれており、その頂上部分には観測所とレーダー施設を建設する予定だが、まだ未着手だ。

 地上部分は簡易の住居と大型輸送機と【雪風】の格納庫だけだったが、今回来た時には海水を引き入れたプールが出来ていた。

 北大東島は沖縄の東側にあり、かなり暑い地域だ。さらに今は真夏だ。

 夏休みを天照基地で過ごそうと計画していた陣内は、プールの建設を予め指示していた。この程度のお遊びは許されるだろう。


 織姫は陣内と長く一緒に過ごしてきたが、若い女の子と接した事は無かった。そんな時に陣内は沙織と由維と美香の三人を連れて来た。

 最初は織姫も三人とはギクシャクしたが、そのうちに三人を気に入り、陣内の許可を取って服を積極的に作るほどになっていた。

 この時代、女性の水着は普及はしていない。女性が外で肌を晒すような事は、社会風俗に反すると考えられていたからだ。

 ところが三人とも未来の事を知り、水着を着る事への抵抗は無くなっていた。

 そして今、沙織と由維と美香の三人は織姫が作った水着を着こんで、プールで無邪気に遊んでいた。


「きゃああ、気持ち良い! えいっ!」

「きゃっ! もう、由維は水を掛けないでよ!」

「えへへ。だって気持ち良いんだもん!」

「こら、二人ともちゃんと日焼け止めクリームを塗りなさい。さもないと、後で泣く事になるわよ」

「「はーーーい」」


 由維(十三歳)と美香(十五歳)は水色のワンピースだ。まだ子供でもあるので、見ていて微笑ましい。

 プールサイドのビーチパラソルの下で、二人して騒ぎながらも沙織の言いつけに従って日焼け止めクリームを塗りだした。

 沙織は淡いピンク色のビキニ姿だ。容姿に優れている沙織のビキニ姿というのは、健康さより色気を陣内に感じさせていた。

 そんな沙織は別のビーチパラソルの下で休んでいる陣内のところに、ゆっくりと歩み寄った。


「陣内様はプールで遊ばないんですか?」

「ちょっと疲れてね。沙織達を見ているだけで十分だよ」

「……じゃあ、あたしに日焼け止めクリームを塗って貰えませんか?」

「ええっ!?」


 沙織はそう言って陣内に日焼け止めクリームを渡すと、横にうつ伏せになった。そして上の水着のホックを外した。

 それを見て陣内は内心で焦っていた。


(拙い!! 最近は忙しかったから、何処にも遊びに行かずにストレスが溜まっているんだぞ!

 最近の沙織はやたらと積極的だし、色っぽくなってきたからな。しかも上の水着のホックを外しただと!?

 ここで反応してしまったら、三人から軽蔑されてケダモノ呼ばわりされるのは間違い無い! これじゃ生殺しもいいところだ!!)


(ふふふっ。陣内様が焦っているのが丸分かりね。さっきもあたしの水着姿を見て、顔を少し赤くして目を逸らしたけど、ちらちらと

 胸とお尻に視線が向けられているのが分かるもの。恥かしかったけど、やっぱりこの水着を着て正解ね。

 誕生日にプレゼントを貰ったし、大切にしてくれるのは分かるけど、遊郭に行くのにあたしに手を出してこないのは納得できないわ。

 あたしと関係したら陣内様が夢中に為り過ぎても困るから無理強いはするなって言われているけど、女のプライドが掛かっているのよ。

 最近は楓先輩も変な視線で陣内様を見つめるし、ここで一気に決定打を打っておかないと安心できないわ)


 陣内は沙織に好意を感じていたが、同居している女性と関係を持って自制できるか不安だった。(沙織が金的攻撃した事も影響)

 だから沙織と深い関係になるのを故意に避けてきた。(その代わりに、伊藤や半蔵と一緒に適度に遊びには行っていた)

 一方、沙織は陣内の視線を常時感じており、陣内が自分に興味を持っていると感じていた。

 プレゼントを貰った事や、日常の対応から沙織も陣内に好意を感じている。

 だが、遊郭に行くのに自分に手を出してこないのは、女としてのプライドが許さなかった。

 こういう経緯から、陣内は沙織の背中に日焼け止めクリームを塗る事になった。

 沙織の背中の感触を感じながらも、陣内は頭の中で色即是空を唱えて何とか三人の目の前でケダモノにならないように必死に努力した。

 その二人のやり取りを、由維と美香は興味深げに眺めていた。

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 相変わらず国内の道路を走るのは馬車ぐらいだったが、道路と鉄道、港湾施設の工事は続けられていた。

 各地の発電所の発電能力も上がり、送電線の敷設が進んで電気の普及が進み出していた。(超高圧送電は、まだ技術が確立していない)

 これも新型の電灯などの新しい商品に刺激されて、電気製品を求める人達が増え出した為だった。

 この状況が続くのなら、直ぐに電気供給が不足するという危険性に気がついた各社は、追加の大型発電機を手配すると同時に

 新しい火力発電所や水力発電所の建設を検討し始めていた。

 そして山奥の山村や離れ離島で容易に発電所を建設できない地域には、小型の風力発電機が数多く導入され始めた。


 これらの状況によって国内産業は活性化し始めた。だが、問題も発生した。

 急激に高まる需要に生産が追いつかない。

 原材料は今までの通りの輸入ルートに加え、列強のダミー商社経由で大量に入り込んできたので問題は無い。

 国内の生産の殆どが手作業によるものだった為に、生産能力が需要ほどに増加しなかった。

 一部の部品は勝浦工場の自動生産設備が大量に生産しているが、必要とされる全分野を網羅できるはずも無い。

 これを補ったのが、生産効率向上機関の指導を受けた各設備機器会社だった。

 コンベア方式の自動生産ラインは製造できないが、手作業部分を木工の機械を作って効率を上げる事は出来る。

 従来の手作業部分の生産効率を改善する初期の自動機が数多く製造され、生活必需品の生産能力の向上に寄与していた。


 一方で機密保持が徹底された工場の自動生産設備は、安定した品質の部品を大量生産して、国内の基礎工業力を下支えしている。

 これにより、日本の産業の裾野を支える中小の会社が活性化していた。

 まだ日本全体が豊かになったとは言えない。僻地の農村や都市部でも、貧困に苦しむ人達は多い。

 だが、新商品の輸出が急増し、国内の景気が確実に上向いて来ていると多くの人が実感するようになっていた。

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 日本国内に淡月光の直営工場は二つあった。過去形だ。今は販売拠点に近いところに直営工場が追加で建設されていた。

 直営工場の管理や輸送に従事している男性職員は居るが、生産工程の作業員は女性のみだ。

 女性専用用品の生産工場だから、当然の事だろう。

 水分吸収素材は勝浦工場の自動生産ラインで大量に作られているが、それらを組み込むのは手作業であり、それらを女性従業員が

 行っていた。(将来的には大部分を自動生産ラインにする予定)

 これらの工場は若い女性の雇用を生み、地域の活性化に役立っている。

 しかも大量の受注が来ている為に、工場は二十四時間稼動体制を取っていた。(三交代勤務)

 一部の工場では女性社員用の寮があったが、大部分は自宅から通っていた。(夜勤女性は工場の寮に住んでいる)


「以前の製糸工場から比べれば、此処は天国よね」

「そうね。お給料も良いし、食堂や休憩所もある。それに作業時間も長くないから助かるわ」

「それに何と言っても、社員割引でうちの商品が安く買える事が良いわね。品薄だから一人の制限はあるけど、助かるわ」

「此処に刺激されて、製糸工場の待遇も良くなってきていると言う話よ。何でも偉い人達が指導したって聞いてるわ。

 他に働き口があるなら、契約が切れれば誰でも逃げるわよ」

「そう言えば、掲示板に海外への赴任を希望する人は工場長に申請するようにって書かれていたけど、あれは何?」

「海外に支店を出すから、その応募よ。憧れの海外に行けるのは良いけど、知らない土地で暮らす不安もあるわね」

「へえ。あたしも考えてみようかしら」


 現在、淡月光は世界各地へ販売拠点を構築する準備を進めていた。派遣人員の募集も、その一環だ。

 まだ現地生産の目処は立ってはいなかったが、それは進出と並行して検討する。

 そして女性の職場環境が改善した事から、『女工哀史』が書かれる事は無かった。

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 ジャカルタ(史実のインドネシアの首都)は赤道に近く、熱帯気候に分類される。

 そして現在はオランダに、東インド植民地として支配されていた。

 熱帯気候の為に蚊は多く、様々な疫病に悩まされている。それは現地の人であっても、支配している側の人間でも同じ事だ。

 そんな状況下、日本で蚊を寄せ付けないお香みたいなもの(香取線香)が開発され、それが輸入されてきた。

 勿論、使うのは現地の人では無く、支配しているオランダ人だ。

 最初は胡散臭そうに見ていた彼らだが、蚊帳も含めて香取線香が有効だと知ると態度を豹変させた。


「おい、この蚊帳と香取線香を大量に日本に手配しろ! 急げ!」

「ちょっと待て! いきなりどうしたんだ?」

「本国が気を利かせて持ち込んだ日本の製品が、蚊避けに有効だと立証されたんだ。マラリア対策になる。急いでくれ!」

「本当か? 値段はどうなんだ? あまり高いと大量には無理だぞ」

「値段は高めだが、べらぼうに高いという事は無い。マラリアに掛からない保険だと思えば安いものだ」

「むうう。確かにそうだな。分かった、早速手配しよう。俺達の分だけで良いな?」

「現地人に高値で売れば利益も出る。大量の作物と交換でも良いな。そういう事だから、出来るだけ大量に仕入れてくれ」


 蚊帳と香取線香を欲しがったのは、東インド植民地だけでは無い。

 他の東南アジアやインド、アフリカなど様々な国で評価され、大量の受注が舞い込んできた。

 販売単価は高くは無いが、量が出れば貴重な外貨収入になる。

 そして交渉の結果、一部は日本が欲しがる資源を輸出する代わりに、蚊帳や香取線香が大量に輸入されていった。

 その資源の中に、ウラニウムやトリウム、各種の希少金属類が含まれている事は現地の人は知らなかった。


「そういや、日本製の風力発電機と貯電装置、新型電灯の効果は確かめたな。結果はどうだ?」

「あんまり大量の電気は発電できないようだが、発電所が無い地域でも気軽に電気が使えるのは良い。

 風が良く吹く場所に設置する必要はあるけど、僻地でも新型電灯が使えるのは助かる。これも追加発注だな」

「構わんさ。支払いの半分が現金で、残りは資源という約束を交わした。

 少々、資源の買取価格が安いのは癪に障るが、金を節約できるのは助かるからな」

「日本人は鉱石以外の価値が無いものも欲しがっているな。あれはどういう事だ?」

「ああ。不思議に思って聞いてみたら、焼き物に最適な土なんだと。日本の焼き物は独特だからな。俺には分からん」

「最近は新しく設立された商社も活発に資源の買取を行っている。

 価格を上げようとしたら、あっさりと他の国から輸入するからと断られたよ。まったく、忌々しい」

「掘り出す手間賃以外は掛からずに、金が入るんだ。あんまり阿漕な商売はしない方が良いぞ」

「新しく設立された商社はかなり資金に余裕があるらしく、各地の山を買い占めている。

 直ぐに開発できる訳でも無いだろうに、何を考えているんだ?」


 日本総合工業の海外事業部が立ち上げた列強の国籍を持つダミー商社は、活発に資源の買取や未開発の鉱山の買占めを行っていた。

 そして、このような動きは世界各地で行われていった。

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 欧州におけるオランダ本国の面積は、九州より若干大きい程度だ。それでも十七世紀から十八世紀にかけてオランダ海上帝国を築いた。

 もっとも、その後はイギリスやフランスとの度重なる戦争で国力を失い、覇権をイギリスに奪われた。

 国力を衰退させていたオランダだったが、東インド植民地に過酷な施政を行って富を吸い上げ、徐々に国力を取り戻していた。

 オランダを支配しているのは、ウィレム三世(七十三歳)だったが、実際の実務はエンマ王太后(三十二歳)が取り仕切っていた。

 エンマ王太后は政府の閣僚達を集めて、色々な指示を出していた。


「最近は日本からの輸入が増えているそうですね? その代わりに東インド植民地からの資源の輸出が増加している。

 我が国は日本が鎖国政策を取っている時から交易をしていましたが、最近の貿易収支は赤字と聞きます。どういう事ですか?」

「はっ。昨年に日本が新型の大型発電機や電灯、さらには風力発電機を開発しまして、本国と東インド植民地に大量に輸入しました。

 さらに、小型の消火器やマラリア対策になる香取線香なるものも、日本は開発しました。

 それらの輸入で一時的に貿易収支がマイナスになりましたが、我が国の技術者がそれ以上のものを開発中です。

 ですから貿易収支のマイナスは一時的なものとなるでしょう」

「……それなら良いわ。それと日本の淡月光という会社が我が国に進出してきます。来月にも社員が派遣されて来るでしょう。

 販売拠点と、商品を生産委託が出来る会社を探しているそうよ。あなた達は淡月光の便宜を図りなさい。良いわね!」

「淡月光? 聞かぬ名ですが、どういう商品を扱っているのですか?」

「……女性の専用用品よ」

「女性専用用品? それはどのようなものですか? 極東の島国に過ぎぬ日本が生産できるなら、我が国でも可能でしょう?」

「あなたが知る必要は無いわ! 詳しく知りたければ、あなたの奥方に聞く事ね。顔を引っ叩かれても、それは自業自得よ。

 あなたは淡月光から派遣されてくるスタッフに最大限の協力をすれば良いの! 分かった!?」

「は、はい。仰せの通りに」


 日本にいる知人の大使夫人からサンプルを貰い、その使い心地を確かめた王太后は、淡月光にオランダに進出するよう強く求めた。

 その理由を、臣下の男達に話す事は無いと割り切っていた。こうして、淡月光の海外進出の下地は徐々に整いつつあった。

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 この当時のアメリカはインディアン戦争に勝利して、北米大陸の西部に凄まじい勢いで進出していた。

 フランス領ルイジアナ(ミシシッピ川流域の広大な領地)を買収し、米墨戦争によるメキシコ割譲により、西海岸にまで進出した。

 南北戦争の為に国内の疲弊はあったが、逆に北部の指揮系統が確立された事で国力を伸ばしていた。

 ハワイ王国の併合を目論み、1867年にはミッドウェー島を国土に編入するなどして太平洋に進出しようとしている。

 これも資源が豊富に眠っている未開拓地(インディアン達の元居住地域)と、多くの国からの移民によって為せる業だろう。

 民主主義を採っており、他国と同じように財界の力は強い。新興国なので貴族がいない分、実力主義を信奉していた。

 そのアメリカ財界のトップ達が密談をしていた。


「北米大陸の大半は我が国の支配するところとなった。これからはカリブ海と太平洋に進出する。

 南北戦争で被害を受けたが、南部の資産も手に入れた事だし、準備は着々と進んでいる」

「ああ。インディアンの抵抗が少ないから問題には為らんだろう。我々の歩む道を塞ぐ者達は無い。

 この広大な大地に眠る豊かな資源が全て我々の物になったのだ。移民も順調に増加しているし、国力は増加する一方だ」

「ペンシルベニア州の油田の生産も順調だ。まさに笑いが止まらんとはこの事だ。

 既に工業力は世界屈指に為りつつある。我々が世界を支配する事さえ夢では無い」

「とは言え、イギリスの植民地と軍事力は全世界に及んでいる。段階を追わねば、対抗する事は困難だ。

 しばらくは周辺のカリブ海と太平洋への進出に専念しよう」

「それと国内の更なる開発だな。最近は設立間も無い新興の商社が、南部の広大な土地を買い占めて開発しようとする動きがある。

 それらが上手くいけば、南部の開発に弾みがつくだろう」

「うむ。太平洋への進出は、まずハワイを併合する事が最優先だ。ドールの工作も順調だし、数年以内には結果が出せよう。

 あそこを中継基地として使えれば、太平洋全域が我々の影響下に入る。そうなれば中国にも進出できる」

「日本を植民地にできれば、丁度良い前線基地として使えるな」

「少し遠過ぎるな。それよりスペインに勝って、カリブ海の周辺の領土とフィリピンとグアムを獲得する事が優先だ。

 ハワイを落とし、グアムとフィリピンを手に入れられれば、中国大陸に容易に進出できる」


 アメリカの民意もそうだが、財界や政府は拡大路線を望んでいた。自らの利益の為だ。

 その為に先住民のインディアンを次々に滅ぼして、広大な土地を手に入れた。さらにはカリブ海や太平洋への進出も進めている。

 既にスペイン戦の作戦案は策定されていた。

 そして最終的な目標は、広大な土地と多くの人口を抱える中国大陸だ。その中国は欧州の列強の侵食を受けつつある。

 この列強の動きに乗り遅れまいと、アメリカの財界のトップ達は考えていた。


「うむ。日本はその後だ。そう言えば日本におかしな動きがあったな。新型の発電機や電灯を次々に開発している。

 それ以外にも小型の性能が良い消火器もな。まだ開国してから二十年ちょっとしか経っていない国なのにな」

「所詮は民生品だ。戦艦などの兵器を開発したというならともかく、生活が便利になる小道具を開発したぐらいで慌てる事は無かろう」

「慌てている訳では無い。不思議に感じただけだ。何でも女性専用用品を販売する淡月光という会社に対して、我が国に進出するように

 大統領が内々で要望を出したという事では無いか。何かがおかしい」

「大統領が日本の会社に進出するように要望を出したのか? どういう事だ?」

「夫人と娘から強い要望があったらしい。進出すると言っても販売店舗と倉庫ぐらいで、後は現地生産すると言うから大した事は無い。

 だが、多くの女性が望む製品を日本の会社が開発したのは、何かがあると考えざるを得ない」

「……ちなみに、どんな商品なのだ?」

「……詳しく妻と娘に聞こうとしたが、軽蔑の視線で睨まれたよ。知りたければ、自分の家族に聞くんだな。

 俺は妻と娘に何時までも軽蔑されたく無いからな」


 まだ日本はアメリカ本土に本格的には進出していない。淡月光がその第一弾だ。

 現地のサポートも期待できるし、淡月光の海外進出の下地は徐々に整いつつあった。

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 ポルトガルやスペインに遅れる事約一世紀、十七世紀初頭にイギリスはオランダ共和国と共に大航海時代に乗り出した。

 アジア方面に進出してインドに拠点を確保する一方で、北米大陸にも多くの植民者を送り出した。(オーストラリアは流罪植民地)

 スペイン継承戦争を始めとした様々な戦争を経て、次々に植民地を獲得していった。

 特にフレンチ・インディアン戦争での勝利で、広大なミシシッピー川以東のルイジアナを手に入れた。

 もっとも、拡大が順調続きだった訳では無い。これらの数々の戦争はイギリスの財政を悪化させていた。

 その財政を立て直す為に植民地に重税を掛けて、それがアメリカ合衆国の独立につながった。(1776年に独立宣言)

 アメリカの独立というトラブルはあったが、イギリスは勢力拡大を止める事は無かった。

 その勢力拡大の原動力になったのは、十八世紀に開発された蒸気機関だ。

 この蒸気機関によって、工場制機械工業が発達して産業革命になった。その工業力がイギリスの海外進出の原動力だった。


 現在のイギリスはヴィクトリア女王が君臨している。彼女の時代、イギリス帝国は非白人国家や民族集団に対して覇道の限りを尽くし、

 領土は十倍以上に拡大(地球の全陸地面積の約四分の一)、世界人口の約四分の一(約四億人)を支配する史上最大の世界帝国だった。

 ヴィクトリア女王はイギリス帝国の優れた諸制度を世界に広げようと、非白人国家への帝国主義に全面的に賛成していた。

 非白人国家から見ると迷惑極まりない考えだったが、この時代の非白人国家に拒否する力は無い。

 確かにキリスト教圏以外の国々の文化レベルは低く、文明に価値観を見出す人達から見れば、強引にでも文明を広める事は善だった。

 この時代のイギリスは戦争をしていない年など数年しか無い。

 まさに帝国主義の最盛期だ。ヴィクトリア女王は夫を亡くして失意で閉じ篭っていた時もあったが、今は活動を再開させている。

 政府と王室では思惑も異なる。ある政府の施設で密議が行われていた。


「北米の食い詰め者達が独立したのは癪に障るが、それでも我がイギリス帝国は世界の四分の一を支配している。

 世界各地から富が集まってくる。そろそろ中国大陸へ本格的な進出をする時期だろう」

「ちょっと待て。我がイギリス帝国は世界の広大な領土を支配しているが、諸外国との争いも多いし、植民地の維持にも金は掛かる。

 中国ではアヘン戦争に勝利して権益が転がり込んできた。今しばらくは、アヘンを中国に売って富を吸い上げる時だろう。

 今の中国に武力介入すると面倒だ。しばらく時期を見た方が良い」

「……一理あるな。アヘンで中国人を骨抜きにした後でも良いか。もっとも、フランスやロシアの進出を警戒する必要はある」

「まあな。ロシアは中国の沿海州を得ている。中国北部は南下政策を進めるロシアを警戒すべき地域だ。

 朝鮮と接触している情報もある。日本も朝鮮に進出しているし、二国が戦争になれば付け込むチャンスも出て来るだろう」

「ロシアと日本? 日本が瞬殺されるだけだ。もっとも、日本がロシアに占拠されるのは面白くは無いな」

「先に我が国が日本を占拠するか? 島国の割には人口は多いが、資源も乏しくて占領するメリットが無いぞ」

「それより中国本土の方が、資源も人口も多いから魅力的だ。もっとも、北米の元植民地の奴らの動きもきな臭い。

 ハワイ王国に多くの植民者を送り込んでいるし、太平洋に進出しようと考えているらしい。目標は中国大陸だな」

「世界は広いようで狭い。地球の裏側で、我が国の植民地だった奴らと勢力争いをするとはな」

「オーストラリア大陸も広いが、如何せん遠いからな。あまり植民者を送り込めていない。

 先住民を虐殺して、土地を広げて開拓しているのは北米大陸と変わらんがな」


 現在のオーストラリアは、まだイギリスの植民地だ。(史実では1901年にイギリスから独立)

 先住民族のアボリジニを虐殺して、広大な土地を得て開発に勤しんでいた。

 金鉱が発見された為にゴールドラッシュが発生しており、中国系の金鉱移民に対する排斥運動が発生している真っ最中だった。


「北米もそうだがオーストラリアでもゴールドラッシュが発生して、一攫千金を狙う輩が一斉に向かっている。

 お蔭で粗暴者が減って、本国の治安が良くなったくらいだ。まったく先住民を虐殺するなど、無法者も良いところだ。

 我々なら上手く誘導して搾取するがな。無法者は力に訴える事しか出来ないから困ったものだ」

「我が帝国の拡大は頭打ちだ。今でさえ、植民地の維持に膨大なコストが掛かっている。

 アヘン貿易のように、交易で暴利を貪った方が効率は良いぞ」

「交易と言えば、設立されたばかりの商社が中国やインドの資源を大量に買い付けている。しかもアジアやアフリカの辺鄙な土地もだ。

 大手資本の目の届かない場所ばかりを狙っているが、他の列強の商社も似たような動きがあるそうだ。何か聞いているか?」

「いや、聞いていない。どうせ弱小の商社だろう。成功すれば我が帝国の税収になるし、失敗すれば他の大手資本に買い叩かれる。

 そんな弱小商社を気にする必要は無い」

「そうだな。そう言えば、日本から新商品の輸入が一気に増えたな。新型の発電機や電灯だと聞いている。

 国産のものを使わずに、未開の国から輸入するなんてどういう事なんだ?」

「同じような国産品はあるが、性能と寿命が格段に日本製の方が良いそうだ。

 国内の技術者達が解析して、それ以上のものを開発すると報告が来ている。過渡的なものだから気にしなくて良い」

「扇風機や冷蔵庫もか? 日本で製作された試作品が大量に輸入されている。しかも納入先が王宮になっているぞ?」

「……女王陛下が暑がりなのは知っているだろう。試作品が日本に居る大使から送られてきて、女王陛下が気に入ったそうだ。

 量販は来年の予定らしいが、女王陛下のゴリ押しで正式販売前の物を大量に仕入れたらしい」

「……女王陛下の差し金か。仕方無いな。この淡月光って日本の会社の進出をサポートしろと通達が来ているが、これもそうなのか?」

「ああ。何でも女性専用用品を販売する会社らしい。家内も知っていたよ。どんな製品を扱うかは男は知らなくて良いってな。

 女王陛下は娘や孫から頼まれたらしく、他の貴族からも進出にあたっては全力でサポートしろと圧力が掛かっている」

「……どんな会社でどんな商品を扱っているんだ?」

「商品は知らんが、会社の代表は二十三歳の日本の女性だそうだ。かなりの美人らしいぞ」

「……一回は会ってみたいもんだな」


 今のイギリス帝国は絶頂期だ。これに対抗するには他の列強が団結しなくてはならない。

 二十世紀に入るとアメリカやドイツの追い上げで相対的優位は揺らいだが、まだまだ孤高の頂点に君臨していた。

 そんな状況だが、日本の工作の手はイギリス帝国にも伸びようとしていた。

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 現在の中国大陸は、満州を出身とする清王朝が支配している。

 最盛期には朝貢国も含めて、黒竜江から新疆、チベット、朝鮮、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーまで権勢は及んでいた。

 もっとも列強からの度重なる侵略を受けて、権威と領土を徐々に失っていた。眠れる獅子と呼ばれていたが、国の衰退は明らかだ。

 何とかこの劣勢を覆そうと、清国の上層部は必死になっていた。

 だが、民間の各財閥の考え方は異なる。そして複数の財閥当主達が集まって会議をしていた。


「今の国力では、外国人勢力に対抗するのは難しい。やはり何処かの強国を国内に導いて、その力を内部から奪うしか方法は無い」

「もしくは二虎共食の計を用いるかだ。列強の何処かの二ヶ国を争わせて、力を削ぐのも方法の一つだ」

「それと列強各国に移住した同胞が、力を付けるのを待つのも一つの方法だ。

 今は単なる労働力として搾取されているが、そこに住居を構えれば、そこから勢力が拡大できる。

 犠牲も多いし時間も掛かるが、我が国の人口から比べれば微々たるものだ。我が国は放置しておけば、自然と人間は増えるからな」

「まったく、我が国も零落れたものだな。冊封国で残っているのは朝鮮だけか。

 我が国の面子を守る為にも、あそこへの影響を失う訳にはいかぬ」

「面子など、どうでも良い。ろくな資源も人材も技術も無い。日本が欲しがっているが、対価さえ払えば日本に与えても良いだろう」

「日本は必死になって国力を上げようと足掻いているが、所詮は島国だ。朝鮮の対価など払える訳が無いだろう」

「まあな。それに今まで隷属してきた朝鮮が我らから独立するなど、認めるのも癪だ。やはり我々が管理するべきだ。

 見返りは無いが、我が国の矜持を全て失う訳にもいかぬ」

「ロシアも朝鮮に進出しようと画策している。ロシアと日本を争わせるのも一興かも知れぬ」

「勝負になる訳が無かろう。ロシアの勝ちは決まっている。そうなると日本はロシアに占領される。それも面白く無い」

「昨年から新商品を次々に日本は開発したが、軍事力に結びつくものでは無い。

 戦争になれば、日本はあっという間に負けるだろう。それを考えると、日本を放置しておくのも一つの手段だ」

「列強がどう考えるかだ。上手く列強を誘導できれば良いが、間違えばさらに我が国の権益が侵される」

「現状を打破するような良案が、直ぐに出て来る訳でも無い。まだ様子見だ。

 今は列強に協力して貧民達をさらに搾取し、我々が富と力を蓄える時だろう」

「そういう事だ。我々は数十年から百年以上の長期計画で動ける。拙速は慎むべきだ」


 清国の政府上層部とは異なり、民間の各財閥は別の思惑を持って動いていた。

 搾取される同胞を助けるより、搾取する列強に協力して、己の富と力を蓄える事を彼らは選んだ。

 これも戦乱に明け暮れてきた狩猟民族の本能なのかも知れない。

(2013. 5.18 初版)
(2014. 2.16 改訂一版)