陣内は国内で回収した財宝を、定期的に皇居に持ち込んでいた。
そして三回目の搬入の時に工場用地の候補が決まったと言われ、その件に関する協議を行っていた。
第一候補が木更津周辺、第二候補が館山の周辺だった。それを聞いて考え込む陣内に、他の出席者は顔色を変えていた。
「君が言った条件を満たしているが、何が問題なのだ!?」
「そうだ。海に面しており平野の面積もそれなりの規模だ。何より東京湾内だから交通の便も良い。
それなりの数の住人がいるが、それらは立ち退かせる。何故、不満なのだ!?」
「その二ヶ所とも1923年に発生する関東大震災で、震度七の激震に見舞われます。
皆さんには睡眠学習で東京の惨状を見ていただきましたが、千葉の東京湾沿いの地域も壊滅的な被害を受けるのです。
これから建設する工場を耐震構造にするつもりですが、態々激震が発生すると分かっているところに建設するのはどうかと思いまして
悩んでいたんです。説明不足で申し訳ありませんでした」
「……そういう事か。ならば何処が希望だ。都心に近くて君の希望に沿える場所はあるのかね?」
「そうだな。北海道などの未開拓地なら幾らでも条件に叶うところはあるだろうが、日本全体に影響する施設だから東京の近場が良い」
「……ちょっと贅沢になりますが、千葉の太平洋側の野々塚(268m)の周辺一帯から、勝浦湾一帯までの土地はどうでしょう。
大部分が丘陵地帯ですが、内陸部は建設用ロボットで整地すれば広大な工場用地が確保できます。
丘陵を整地化した時に余った土砂で勝浦湾の外に防波堤を造れば内海化が出来ますし、大型船舶の造船所や港湾施設も建設が可能です。
将来に建設する海上滑走路も、あそこなら大丈夫です。作業員達の居住は鴨川辺りに用意すれば良いでしょう。
都心から若干離れますが、人口希薄地帯で住民の立ち退きの問題も少ない。
さらに海岸線に沿った高台をさらに嵩上げすれば、海から内陸部の工場は見えませんから防諜の意味でも助かります。
南北約6キロ、東西約10キロ。面積は約60km2とかなり広大な用地になりますが、どうでしょう?
あそこなら関東大震災でも震度五以下ですから、致命的な被害は避けらます」
関東大震災で甚大な被害を受けると分かっている場所に、国家の要となる施設を建設するのが問題なのは他の出席者にも理解できた。
だが、広大な丘陵をロボットを使って整地化し、工場用地を人為的に確保するという考え方は他の出席者の想像を越えていた。
この時代は建設用の重機は無く、丘陵を整地するなど一部の例外を除いて有り得ない事だった。
主だった産業も無く、人口希薄地域で住民の立ち退きも問題無く進むだろう。工場の職員の住宅も大丈夫だ。
都心とは少し離れるが、史実の外房線を優先して建設すれば輸送の問題も解決する。港湾施設を建設するから船による輸送も可能だ。
天照機関が先に提示した候補地より、土地の確保が楽なのは間違い無かった。
「……面積は確かに大きいが、人口が少ないから問題は無い。君がそこで良いのなら、さっそく用地の取得を始めよう。
防諜の為に、君が言った場所以外に周辺の土地も買い上げて立ち入り禁止区域にする。
確約は出来ないが二ヶ月以内には住民を立ち退かせて、工事が始められる準備をしておく。土地は天照機関から貸し出す事で良いな」
「ありがとうございます。それと御願いがあります。出来れば明日と明後日の二日間で、東京都内と工場の建設用地を見たいのです。
一般の人がどう生活しているのかを含めた庶民生活の確認です。これからの会社の生産する製品の方向を見極めたいと考えています。
ですから、下町に慣れた人を案内につけて欲しいのですが」
「分かった。では明日に我が省の「待て!」 ……陛下?」
「陣内に万が一の事があっては困る故、護衛の任が務まる者で無いと駄目だ! 案内人は隠密から派遣させる!」
「ありがとうございます。その案内の人には私の経歴は伏せておいて下さい。あまり畏まった視察は行いたくはありません」
「陣内は後でこの東京に来るのであろう。その時の護衛も務めさせる。
だから陣内がこれからの歴史を教えて、明日以降はその者と生活を共にせよ」
「……陛下。お言葉ですが、一緒に生活するのは此方に来てからにさせて下さい。
まだこれからの計画を立案する仕事が残っていますし、今からむさ苦しい男と共同生活などしたくはありません」
「ふっ。陣内の護衛の任に選んだのは隠密の『くの一』だ。年齢は十八で、あの織姫には及ばぬが、かなりの容姿の女子だぞ。
それでも嫌か?」
「えっ!? 十八の『くの一』ですって!?」
「清い乙女だ。何なら、お手付きにしても構わぬ。その代わり、責任はしっかりと取れ!」
今更だが、陣内は軽い人間不信に陥っていた。それでも熱意があったから、他の列席者のような老人達とこうやって会議をしてきた。
だが、容姿に優れた若い女性と同居を強いられるとは、予想外の事だった。
しかも手を出しても良いが、その場合は責任を取れと皇居の主に迫られた。どんな女の子なのだろうか?
陣内は内心の不安を隠しきれず、その日は中々寝付けなかった。
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昨日、隠密の総元締めと言う服部半蔵(通り名)と引き合わされ、今日は待ち合わせ場所で陣内は一人で待っていた。
陣内に体術の心得は無い。勉強と仕事しかしておらず、身体を鍛える事に陣内は熱心では無かった。
(身体改造でこの時代の平均以上の体力と瞬発力はあったが、体術はゼロと言って間違い無い)
周囲に人影がまったく無い寂れた神社だ。度々言うが、陣内に人の気配を察知するような高度な技術は無い。
しかし上空に無人偵察機を配置し、赤外線反応センサーで周囲の様子を絶え間なく探査していた。(耳のイヤホンで情報を聞いている)
待ち合わせ時間まで残すところ十分を切った時、大人二人が神社に向かって街道を歩いてくるのを感知した。
そして待ち合わせ時間に、その二人は陣内の前に立っていた。
「陣内殿、お待たせした申し訳ありませんでした」
「いえ、時間ぴったりですよ。さすがは総元締めさんですね。そちらの女性が私の護衛役ですか?」
「そうです。さあ自己紹介しなさい」
「はっ、はい。石里沙織、十八歳です。陣内様の身の回りの世話と護衛の任を受け賜りました。宜しくお願いします」
服部半蔵は外見は四十代の冴えない中年の男だったが、石里沙織は十分な美女と言えた。
身長はあまり高くは無いが、この当時の日本女性には珍しく起伏のついた身体つきをしている。
受け答えもはっきりしており、何処かに天然さを感じさせたが、人を警戒させるような雰囲気は微塵も無かった。
そんな沙織を見て、陣内は笑顔で返した。
「初めまして。陣内真です。今日は東京の下町を中心に案内して下さい。庶民の生活の実情や問題点を見ておきたいのです。
私は人混みは苦手なんですが、現状を知らないと先に進めませんので、宜しく御願いします」
「下町や市場、神社や街中というところですか。歓楽街はどうします? あそこは庶民の生活を知る上で欠かせない場所ですが?」
「……いえ。若い女性の沙織さんも居る事ですし、遠慮しておきます。それにああいった華やかな場所は苦手でして」
「ほう? 陛下や伊藤様から言い付かっておりますので、その気になった時は遠慮せずに申しつけ下さい。
もっとも、そんなに慣れている様子には見えませんが」
「……その通りです。では案内を御願いします」
「分かりました。沙織は陣内殿の隣を歩いてくれ。くれぐれも粗相の無いようにな」
「はい!」
こうして沙織は陣内と一緒に歩き出した。
美女の沙織が近くにいる事で、陣内は内心では嬉しくもあり焦りもしたが、態度に出る事は無かった。(本人視点)
隣を歩く沙織は洋装であり、かなり胸元が緩くなっていた。当然、歩いている陣内が横を見ると沙織の胸元が目に入る。
本人は少ししか見ていないからばれないと思っていたが、沙織と半蔵は陣内の視線に気がついていた。
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三人は東京の各地を視察した。繁華街、市場、長屋、商店街、神社など様々な場所を廻った。
それは陣内にとって驚きの連続だった。
(電気が通っていない場所が多い。暗いから夜間の治安は悪いだろうな。衛生環境も良く無い。上下水道の整備と医療の充実が必要だ。
工具は木製が大部分だ。あれじゃあ、耐久性に難がある。それに道路も狭いし、区画整理を進める事も考えよう)
陣内は各地を熱心に見ながら考え事をしていた。そしてちょっと人混みを離れたところで、石に躓いて転びそうになってしまった。
「危ない! きゃっ!!」
「ああ、ありがとう。えっ!?」
転びそうになったが、沙織が陣内の腕を掴んで支えた。咄嗟の事だったので、沙織は陣内の腕を自分の胸の方に引っ張った。
ムニュ
転びそうな態勢の為に、陣内の掌が沙織の胸に強く押し付けられ、さらには鷲掴みの状態になってしまった。
(デ、デカイ! 横を歩いている時から気になっていたけど、この時代の栄養状態は良く無いのに、なんでこんなに成長するんだ!?
しかし柔らかいな。はっ! ま、拙い! 早く謝らなくちゃ!)
(陣内様の手があたしの胸を鷲掴みしている。服部様からは夜の面倒まで見るように言われているけど、こんな昼間からなの!?
まだ寒い季節だって言うのに、着慣れない洋服なんて着るから、陣内様の掌を直接感じちゃうじゃない。
まだ誰にも触られた事が無かったあたしの胸が……これが他の男の人なら投げ飛ばすけど、陣内様には駄目よね。どうしよう?)
(ほう。イベントという奴か。しかし、陣内殿も沙織の胸を触って顔を赤くして固まるとは、かなり初心だな。
これは陛下や伊藤様の危惧した事が現実に為りかねん。とは言っても沙織も乙女だから、いきなりは無理か。
となると、やはり最初は慣れた女人の方が良いだろう。配下の『くの一』で適任者を後で考えるとするか。
しかし沙織にも困ったものだな。倒れ掛かる陣内様を手助けするのは良いが、もう少し焦らずに行えばこんな事態にならぬものを。
床の実技講習を受けさせずに男との接触を控えさせたから、『くの一』なのにお嬢様タイプになってしまった)
陣内が沙織の胸を触って、固まったのは数秒の事だ。その後に陣内は慌てて離れた。
「沙織さん、咄嗟の事とは言え済みませんでした!」
「い、いえ。あれは事故ですからお気に為さらずに。それと私の事は沙織と呼び捨てで構いませんから。
これから陣内様の身の回りの御世話をさせていただくのですから、そう他人行儀に為らないで下さい。
ただ、ああいう事は夜に御願いします。さすがに白昼では私も恥かしいですから」
「い! 夜にって、それはどういう「おいおい、二人していちゃいちゃしてんじゃねえぞ!」 ……誰だ?」
陣内と沙織に、日中から酒を飲んで顔を赤くしているヤクザ者八人が絡んできた。
半蔵も沙織もこんなヤクザ者など怖くは無いが、陣内に危害を加えさせる訳にはいかず、ヤクザ者と向き合った。
「そんな優男より俺達と一緒に遊んだ方が楽しいぜ!」
「そうだ、そうだ。この先の店で酒でもどうだい。その後はたっぷりと楽しもうじゃねえか」
「そこの姉ちゃんも良い身体つきだしな。へっ、着ているものを剥ぎ取ってやろうか!」
ヤクザ者八人は、陣内達三人をぐるりと取り囲んだ。そして半蔵と沙織は陣内を中心にして、ヤクザ者と相対していた。
「服部様、宜しいですよね?」
「もちろんだ。絶対に陣内様には触れさせるな」
「私も入りますよ。気絶させるだけなら、私にも出来ますから」
「ほう。ではお手並み拝見させていただきます。ですが、無理はなさらないようにして下さい」
そう言うと半蔵はヤクザ者に突っ込んで、あっと言う間に四人の腹部に一撃をいれて倒していた。
一方、沙織も素早くヤクザ者に攻撃を加えた。こちらは二人のヤクザ者の金的に容赦無い膝蹴りを加えた。
倒れた二人は、口から泡をだして気絶している。
陣内は左手首のブレスレットをヤクザ者に向けて、護身用の麻痺銃を撃って二人を気絶させていた。
ヤクザ者八人全員が地面に倒れるまで十秒と掛かっていない早業だった。
「……そこの二人は何で口から泡を吹き出しているんですか?」
「あたしが二人の金的に膝蹴りをいれたんです。何か割れるような気持ち悪い感触がありましたけど、その影響かもしれません」
「……普通に気絶させれば良い物を、何で金的攻撃をする? 沙織の教育を間違えたか?」(汗)
男にとって金的攻撃を受けるのは、悪夢そのものだ。如何に酒に酔って絡んできたヤクザ者でも少しは同情する。
沙織は容姿に優れた『くの一』だが、敵には容赦無い攻撃をする美女という認識が陣内にインプットされていた。
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東京の庶民の暮らしを見学した陣内達は、夕食を適当な店で済ませた後、周囲に誰もいない小高い丘に向かった。
「さて、これから二人を私の家に御招待します。そこで宿泊して貰いますが、大丈夫ですよね?」
「勿論です。陛下から何があっても驚くなと言われています」
「……外泊は初めてだわ。そして、あたしが一人前の『くの一』になる時が来たのね」
日は既に沈み、雲が多い夜だ。
周囲に誰もいない事を確認した陣内は、予め呼んであった【雪風】を降下させ、汎用アンドロイドに半蔵を抱えさせた。
陣内は沙織を抱いて、腹部にある重力制御装置を使って浮かび出した。
驚かないでと注意された沙織だったが、いきなり陣内に抱かかえられて空中に浮かんだ時は驚いた。
慌てて陣内の背中に手を回し、落ちないようにとしっかりと抱きついた。
(空中に浮いてるなんて、陣内様は天狗様なの!? 足が地面について無いって怖いわ!!)
(うわっ。沙織の身体って柔らかいな。それに甘い香りがする。このくらいは役得で良いよな。胸の感触が……)
(凧で空中に浮かぶのと同じようなものだ。慌てる事は無い。沙織の挑発もさまになっているな。やはり母親譲りの素質だな)
この時期、大型輸送機は世界各地の財宝の回収で大忙しで、余裕があるのは四人乗りの【雪風】だけだった。
そして陣内と沙織、半蔵、汎用アンドロイドは【雪風】に乗り込んだ。そしてゆっくりと天照基地に向かった。
「この空飛ぶ乗り物は陛下が乗ったものなのですか?」
「いえ、あの時はもっと大型の物を使いました。今は財宝の回収で使っているので、空いていたのがこれだけなんです」
「行った先に天女の織姫様がいらっしゃるのですか?」
「ええ、いますよ。行ったら紹介しますよ。それと色々な知識を覚えて貰います。
今日は疲れたでしょうから、天照基地に行ったら直ぐに休みましょう。詳しい話は明日の朝ですね」
天照基地に入ったのは、天照機関のメンバー六人のみだ。
今回は半蔵と沙織を招待したのだが、初めて女性を迎え入れた事で、織姫は沙織を大歓迎した。
そして陣内に知らせないまま、色々な女性の専用品等に関して沙織に個別教育を行っていた。
その夜、半蔵と沙織はこれから約百年間に渡る日本や世界の未来の事を知った。
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半蔵は陣内の詳しい経緯を知らなかった。あくまで皇居の主からは重要人物なので、丁重に接しろと言われていただけだ。
沙織に至っては、陣内の世話役と護衛役を言い付かっただけで、重要人物とだけ認識していた。
だが、二人とも未来の事を知り、陣内の経歴を理解した上で、協力する事を決めていた。
上からの命令もあるが、祖国を守りたいと考えたからだ。そして陣内の重要さも認識を改めていた。
朝食を一緒に食べながら協力意思の確認を済ませた三人は、再び【雪風】に乗り込んで工場建設予定地の勝浦の上空に向かった。
この時代に空を飛ぶ乗り物は無い。とは言っても地上から見つかっては困るので、高度約五千メートルに静止して、
無人偵察機を経由して地上の様子を確認していた。
「なる程。上空から地上を見ると、こんな風に見えるものなんですね。何処に何があるかが一目瞭然だ。
これで敵陣を見れるようになると、戦の仕方がだいぶ変わりますな」
「ええ。もっとも、実戦に使えるようになるのは数年後以降ですよ。今回は工場の用地の事前調査です。
録画したデータを持ち帰って、詳細な工場の建設計画を立案します。ここから見るだけでも集落が少ないのが分かりますね。
これなら、えっ!? ちょっと待て! 今の集落に人が血を出して倒れている。そこを拡大しろ!」
陣内の命令で、無人偵察機は四人が倒れているところを拡大した。既に事切れているようで、生体反応は一切無かった。
続いて広域の生命反応センサーで六人の反応を検出したので、そこに無人偵察機から収録マイクを射出した。
しばらくすると、【雪風】のスピーカに甲高い女の子の叫び声が流れてきた。
『おっ父と、おっ母を返せ! この人殺し!』
『帰して! あたし達を早く帰して!!』
『へへっ。まだ幼いが使いもんになるだろう。飽きたら人買いに売ってやるさ』
『こんな田舎だから金目のものは少ないと思っていたが、本当に無いんでやんの。この憂さをお前達の身体で返して貰うさ』
『着ているのもボロだな。まあ良い。精々、楽しませて貰おうか』
『それを言ったら貧相な身体つきだ。頑張って俺達を楽しませろよ。死んだお前らの親の前で見せつけてやる』
「なる程、強盗か。二人の女の子の親を殺して、乱暴しようとしているのか。まだ間に合うな」
「はい! 絶対に女の子を助けないと!」
「仕方無い。手伝いますよ。ですが陣内殿は危険は避けて下さい」
状況が分かると直ぐに陣内達は行動に移った。周囲に見ている者がいないのを確認すると、六人がいる納屋の付近に着陸した。
そして直ぐに突入すると、動転している強盗四人が反撃する前に倒し、ロープで縛られている二人の女の子を救い出した。
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二人の両親の亡骸を埋めると、陣内は二人のこれからの事を案じた。
「君達の両親を殺した犯人達は捕まえた。後で厳しい罰が下るだろう。君達は何処か身を寄せるところはあるのかな?」
「……無い」
「……おっ父とおっ母しか居なかった。村長さんもこの前に流行り病で死んじゃった」
「……私のところに来るかい? 勉強して仕事を手伝ってくれると約束するなら、私が引き取るよ」
「本当? 虐めないって約束してくれる?」
「こら、由維! 命の恩人にそれは失礼でしょ! でも、あたし達が身体で返そうにも、そこのお姉さんほどじゃ無いです。
本当に良いんですか?」
「別に君達の身体目当てじゃ無いさ。仕事を覚えて手伝って欲しいんだ。食事や着る物、住むところは準備する。どうする?」
「陣内様、本当に良いんですか?」
「このままじゃ、この二人を引き取る人なんていないだろう。それにこっちも仕事を任せる人が欲しくてね。
今直ぐじゃ無くても、後々の事も考えて二人が良ければ引き取りたい。でも、最初から言っておくけど仕事は厳しいからね。
私は陣内真だ。君達の名前は?」
「……東川由維。御願い」
「江空美香です。宜しく御願いします」
陣内は由維(十二歳)と美香(十四歳)の二人の孤児を引き取る事となった。
***********************************
【雪風】は四人乗りで、全員を一度に運べない。その為に、まず陣内は由維と美香を天照基地に連れて行った。
残されたのは半蔵と沙織だ。半蔵はこのまま別れるが、沙織は天照基地に行って陣内との同居生活を始める。
そしてこれからの事について、沙織は半蔵から命令を受けていた。
「沙織、お前はこれから陣内殿と同居生活が始まるが、先の命令通りに陣内様の指示に従い、そして護衛の任を務めろ。
勿論、身の回りの世話もだ。夜の世話に関しては、お前の判断に任せる。無理強いはしない」
「……それはどういう意味でしょうか? てっきりあたしは陣内様を日本に引き止めておく枷の役割だと思っていましたが?」
「陣内殿は女子を知らぬようだ。陣内殿が沙織と二人だけの同居生活を送れば、お前にのめり込んで自分の責務を蔑ろにするかも知れぬ。
本人も無意識で気がついたのだろう。だから二人の孤児を引き取ったのだ。あの二人がいれば、お前との関係も気まずくならずに済む。
陣内殿が沙織を意識しているのは分かっただろう。だから本人が望めば夜の世話も構わないが、その場合は程々にする事だ。
決して、陣内殿の精気を根こそぎ吸い尽くすような事は無いようにな」
「半蔵様、あたしは床の実技講習を受けていないんですよ。そんな事は出来ませんよ」
「出来なければ、それで良い。未来の事を沙織も知ったろう。今、陣内殿を失う訳にはいかぬ。
その事を肝に銘じて、陣内殿に仕えてくれ。今から沙織の『くの一』としての任を解く。これからは陣内殿を見て生きるが良い」
「あたしは『くの一』をクビなんですか?」
「時代は変わった。今の時代は『くの一』を、いや隠密など必要とされぬのかも知れぬ。お前は女としての幸せを追い求めても良いのだ。
もっとも、日本の未来の事も十分に考えて欲しいがな」
既に『くの一』が秘かな技を使わなくなって、十年以上が経過していた。これから先にも使う機会は無いかも知れない。
半蔵は沙織に最後の命令を出した。沙織は半蔵の真の意図を掴む事は出来なかったが、異論は無く、素直に頷いていた。
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陣内が設立する『日本総合工業』の会社登録と、直属の部下になる人材の選出が進められた。同時に工場の建設場所も決定した。
場所は千葉県の野々塚(268m)を含む史実の勝浦市の約南半分(一部は大多喜町と御宿町も含む)。
南北約6キロ、東西約10キロで、海岸線も含まれて、面積は約60km2。大部分が丘陵地帯で、人口希薄地帯だ。
その一帯を纏めて天照機関が買い上げた。そして日本総合工業に貸し出す形を取っている。
陣内はその一帯を勝浦工場と名づけ、以下の建設計画を立案していた。
・ 採掘用ロボットを使って野々塚(268m)の中と地下に巨大な空間を確保して、制御コンピュータや核融合炉を設置する。
・ 微生物を使用した石油生成プラントを内陸部の奥に建設する。(第一期:日量約10万バレル、第二期:日量約50万バレル)
・ 最高度の機密に指定される設備機器(各種の自動生産設備)は内陸部の奥の地域に設置する。
・ 港湾施設(倉庫群を含む)の建設。将来的に拡張の余地を残す。(勝浦湾の内側一帯)
・ 造船所(建造ドック:三基、修繕ドック一基) 最大二万トンクラスの艦船を対象(興津付近に建設)
(第二期計画では、最大五万トンクラスの建造ドックを三基、修繕ドックを一つ追加建設する)
・ 各種の産業設備や特殊車両の製造工場棟の建設。(内陸部に建設予定)
・ 石油精製施設、貯蔵施設の建設。(沿岸部近郊に建設)
・ 銑鋼一貫製鉄所の建設(第一期:年間粗鋼生産量:年間約100万トン、第二期計画:年間約500万トンを計画)
勝浦工場から日本各地に電力、石油、工作機械、産業機械、粗鋼、船舶等を供給して、日本の基礎工業力の向上を目指す。
燃料を輸入する事無く供給される最大2000万KWの電力、第一期計画は日量約10万バレルの石油生産能力(第二期で約50万バレル)
漂流宇宙船の制御コンピュータをリプログラムした織姫の分体によって制御される、各種の自動生産設備の能力は驚異的だ。
これらに匹敵する生産能力を持つ工場は、世界中を何処にも存在はしない。
追加建設計画では、航空機生産工場や重化学コンビナート群を建設する計画もある。
さらには沖合いに全長三千メートル以上の滑走路も建設する計画もある。
これらの建設は陣内が引っ越すと同時に開始される。現在は住人の立ち退き中だった。
そしてこれらの施設の建設には、膨大な労力と大量の資材が必要になる。
地下空間は採掘用ロボットを使って掘り進め、天照基地で使い切れない要塞建設用資材と建設用ロボットを使って建設する。
内陸部の丘陵地帯は地下空間を掘った時の土砂を使い、建設用ロボットで整地する。
沿岸部の高台や、沖合いの防波堤工事も同じだ。そして不足する資材は、現在急いで集約中だった。
これらの建設を陣内だけで出来るはずも無く、部下となる人材の選定、作業者の応募などが慌しく行われていた。
陣内の部下の人選に一苦労があった。陣内は職人気質の人間で、人を使うのは苦手な部類だ。
その為に様々な方面から、協調性に富んだ有能な人材(幹部級)が選抜されていた。
他との折衝も必要な事から、各省庁から二十名が派遣される。
建設会社や資材調達関係の熟練者が二十名。それ以外にも個人的な伝手から、一般人から六十名が選ばれた。
年齢も四十代から十代半ばまでと様々だったが、全員が有能で協調性に富む性格だ。これも陣内の性格を考慮した為だった。
十代の十人は利発さが見込まれて、将来が期待できる人材だ。
まだ陣内との顔合わせはしていないが、将来に働く生産拠点の建設に向けて準備作業に入っていた。
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天照基地の建設を始めてから三ヵ月後、ほぼ全ての財宝の回収が完了していた。
そして国内で回収した財宝は全て皇居に運び込んだ。(海外の財宝は天照基地で保管してある)
基地の建設に必要な地下空間の確保は終了し、内壁や運び込んだ各種の設備の設置も終了していた。
現在は接続作業中であり、造船所の建設が終わるのは二年以上は掛かるだろうが、少量多品種の製造工場の稼動まで間近となっていた。
ここまで来ると、後の作業は汎用型アンドロイドがメインになる。
採掘用ロボットと建設用作業ロボットは、勝浦工場の建設に振り向ける時だと陣内は判断していた。
そして天照基地の建設が進められた三ヶ月間、陣内はこの時代に介入するプランを複数検討していた。
(平行して、沙織、由維、美香の三人の教育も行った)
現在、準備しているのは勝浦工場であり、確かに日本の国力を上げるには必須のものだ。
だが、それだけでは不足していると考えていた。情報しかり、女性の社会進出も行った方が良い。文化面も検討したい。
重化学工業関係だけを改善しても効果は薄く、どうせ介入するなら多方面からの介入を考えていた。
そして陣内は立案したプランを元に、天照機関のメンバーと何度も協議を行っていた。
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天照基地の建設が軌道に乗り、勝浦工場区域に住んでいた住人の立ち退きが終わった初夏に、陣内の引越しが行われた。
既に陣内が住む予定の料亭の離れの改造は終わっている。
この時代はまともな電気は供給されず、エアコン等の電気製品は無い。そんな環境に陣内は長期間は耐えられない。
その為に【織姫Z】の船内工場で態々生産した風力発電機と貯電装置、それと小型の発電ユニットを離れに設置した。
(後で量産する事を考えているので、内部を見られても大丈夫なように電子部品等は無しの原始的な電気設備だ)
それ以外にも、寝室と会議室にはエアコンを取り付け、電気調理器具や冷蔵庫などの初期型の電気製品を多数持ち込んでいた。
あまり知られたくは無い為に夜に運び込んで、人型サイズの汎用アンドロイドが設置していた。
寝室は陣内用、沙織用、由維と美香用の三部屋で、それ以外に五人が寝泊り出来る客室がある。
陣内のする事は全て口外無用と最初から料亭に伝えてある。政府の高官からの指示であり、逆らう者は誰もいなかった。
寧ろ、陣内の配慮で電気の一部を料亭の中に配線し、各部屋に電灯を取り付けた事で喜ばれるほどだった。
陣内の食事は全て料亭側が用意して、離れに運び込む。
そして上司や知人経由で料亭を訪れた人達は、休む為に陣内の住む離れに行って一夜を明かして睡眠教育を受けるという段取りだ。
周囲の目を誤魔化すにも料亭というのは良い隠れ蓑だった。
余談だが、皇居の主が質素な生活を心掛けていると知り、陣内は皇居に同じ風力発電と貯電装置、小型の発電ユニットを設置した。
そして主の部屋に冷暖房制御が出来る空調システムと冷蔵庫を設置していた。
その効果を知った侍従長が会議室や応接室に追加の設置を頼み込んでくるまで、さほどは時間は掛からなかった。
陣内が住む離れの客室には五台のドリームシアターが取り付けられていた。これで様々な睡眠教育を行う。
リクライニングシートも人数分用意されて、そこで一夜を過ごして貰う。
最初に離れのドリームシアターを使ったのは、陣内の部下に選ばれた人達だった。
料亭で顔を合わせて酒や料理を楽しみながら親睦を深め、そして夜には睡眠教育装置で必要な情報を知って貰った。
そして翌日には本来は知るはずの無い情報を知って動転する人達に、未来への道筋を示して協力の意思を確認していた。
一回に睡眠教育が出来るのは五人まで。その為に繰り返して、未来の事や技術情報を知る人間を徐々に増やしていった。
睡眠教育プログラムの中には、絶対に此処で見知った事を第三者に話さないような強い暗示を掛けてある。
こうして、最初は自分の部下を、そして各政治家や公官庁の上級職員、陸軍や海軍の将官達を徐々に教育していった。
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由維と美香を引き取ると同時に、沙織との同居も始まった。
軽い人間不信に陥っている陣内にとって、若い女性三人との同居はかなり刺激が多い。(由維と美香は変な視線では見ていない)
陣内も若い男だ。沙織を見てムラムラとする事は度々あったが、手を出す事は自ら禁じていた。
同居する女性に手を出して、どんな関係になって行くのか想像できなかったからだ。とは言え、ずっと我慢できるはずも無い。
その為に、半蔵に頼んで遊郭に連れて行って貰って、ストレスは適度に発散させていた。
同居の三人の女性からは何度もジト目で見られたが、止める気は無かった。
余談だが、遊郭の酷い病人に薬を投与して治療した事がある。それで女将から感謝され、料金無料になった店は三つほどだった。
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季節は真夏。暑い時期だったが、一人の実業家が知人の勧めで、料亭を訪れていた。
その実業家の名前は渋沢栄一(五十歳)。史実では『日本資本主義の父』とも呼ばれる明治を代表する実業家の一人だ。
仲居に案内されて部屋に行くまで、廊下にある電灯を興味深げに見ていた。
「この料亭の電灯は他とは違うな。かなり明るい。そもそも、この地域に電気はきていたのか?」
「此処はちょっと外れた場所ですので、まだ電気はきていません。あの電灯は陣内様がつけてくれたのです。
変わった風車を五台つけて、それで電気を起こしていると言っていました。夜も明るくて、料亭の皆が喜んでいますよ」
「……ほう。風車で電気を起こすのか。……まだ二十代だと聞くが、どんな人物だ?」
「三人の若い娘と一緒に住んでいますが、穏やかな人ですよ。私みたいな下働きの人間にも優しくしてくれます。
この前は手が荒れたと言ったら、変わった塗り薬を貰いました。それを使ったら凄いんです。すぐに手の荒れが治りました。
他の皆も欲しがったら、笑いながら全員にくれました。陣内様のお食事を運ぶと、飴とかの甘いものを貰えます。
昼は何処かに出かける事が多いですが、夕方には戻られてお客様と話し込む事が多いですね。
以前は政治家の先生や偉い軍人さん達が陣内様と歓談されていましたが、最近は大きな会社の大旦那様方も結構見えられます」
「……やはり噂通りと言う事か。会うのが楽しみになってきたぞ」
「前もって御忠告させていただきますが、陣内様のお連れの娘さんには絶対に手を出さないように御願いします。
以前、娘さんを無理やり手篭めにしようとした軍人さんは、庭に放り出されてその後に憲兵隊の人が連れていきましたから」
「あの事件か!? 陸軍中将が軍部から永久追放されたと聞いたが、あれは陣内が絡んでいたのか!?」
「御内密に。普通の料亭では、お客様の事は話しません。事前に陣内様の御指示でお話ししていますから」
そんな事を話しているうちに、陣内が待つ部屋に到着した。
そして渋沢は部屋に入って一瞥すると絶句していた。部屋は和風の格式ある部屋だ。膳も二人分用意してある。
部屋には二人の男女が待っていた。陣内は和服を着ていた。もう一人が問題だった。
日本人としてはかなり良いスタイルの沙織がバニーガールの格好をして待っていた。史実では1960年に初発表の代物だ。
渋沢も海外に行って夜に遊ぶ事もあった。だが、日本の料亭でこんな扇情的な格好をした女性が見れるとは想像すらしていなかった。
純日本風の沙織のバニーガール姿というのは、どこか違和感を覚えながらも渋沢の感情を昂ぶらせていた。
「陣内真です。本日は渋沢先生に御足労いただいて、ありがとうございます」(やっぱり沙織に目が行ったか。この格好は正解だな)
「沙織と申します。本日は宜しく御願いします。ささ、お酒も用意してあります。席にどうぞ」(恥かしい! 視線が痛いわ)
「……渋沢だ。井上さんの勧めで来たが、じっくりと話を聞かせて貰おうか」(むうう。胸の谷間が……いかん! 集中せねば)
まだ二十代の陣内に先手を取られた事で少々気に障ったが、渋沢は取り敢えずは席に座った。
陣内の正面だ。横の沙織を少し見ると胸の谷間に視線が奪われそうになり、慌てて視線を陣内に戻した。
その時、あまり大きい音を立てずに羽が回転しているものから涼風が流れている事に気がついた。
史実では日本の国産の第一号の扇風機の販売は1894年だが、技術宣伝も兼ねて【織姫Z】の船内工場で数台製作したものだった。
「あれは何だ? 羽を回して風を送っているのか?」
「あれは扇風機と言います。後で技術提携を結んだ会社から販売して貰います。
もっとも、現在の直流送電方式を止めて、交流送電方式が普及しないと使えませんがね」
「渋沢先生、冷めないうちにどうぞ」
若い陣内に一方的に話が進められる事に気分を害した渋沢は、取り敢えずは食事をして気分を落ち着かせる事にした。
沙織の勺で酒と料理を楽しみ、少し気分を変えた渋沢は以前から考えていた事を陣内に問い質し始めた。
「最近は何かが起こっている。出所が不明の莫大な資金が投入され、日本各地で農民達が雇われて集合住宅や道路と鉄道の整備工事が
いきなり進み出した。各地の港の整備もだ。今の日本にあんな大量の建設資材を発注する余裕など無かったはずだ。
それに海外との新規の技術導入の話も立ち消えが多い。民間での技術導入計画は数が減り、官営のものは軒並み中止している。
勝浦の広大な土地が天照機関という陛下直属の特務機関に買い取られ、日本総合工業という設立したばかりの会社に貸し出された。
大量の建設資材が勝浦に運び込まれ、連日大勢の労働者が工場の建設に働いている。
財閥系の企業にも変化は出ている。値引きによる拡販を中断して、各社が一斉に設備導入に舵を切り始めた。
あれだけ争っていた財閥同士が、この時期に何故、一斉に値引きを中止するんだ!?
それに政府内部の動きも活発化している。日本の工業製品の統一規格を決めようとする動きがある。
基礎科学の研究を行う理化学研究所の設立は日本総合工業の出資の元で進められ、それを政府が大々的に支援している。
これは良い事なのだろうが、何故今なのだ? 最大の疑問は今まで争ってきた政界や財界が、何故今になって協力し始めたのだ?
予算を強硬な姿勢で要求していた軍部も、今では何故か声が小さくなってきている。由良要塞の起工が中止になった事が良い例だ。
伝え聞く噂によると、皇居に変わった風車が設置され、陛下がお喜びされていると聞く。此処にも変わった風車があったな。
陣内は何か関係しているのでは無いか?」
渋沢は最近感じていた疑問を陣内にぶつけた。常識で考えれば、国家レベルの変化に若干二十代の若者が関われるはずも無い。
だが、実業家として数々の実績を上げて場数を踏んできた渋沢は、直感で陣内を怪しいと感じていた。
貧しい農村に救済の手を差し伸べ、将来の労働者の確保と大規模農業経営への道筋をつける。同時にインフラ整備を進める。
労働者の収入を増やして、インフラを整備すれば内需の喚起に繋がる。そうなれば、国内の景気はさらに好転する。
さらに日本国内の改革の原動力となる、各種のエネルギー供給施設と高精度な生産設備工場を建設する。
この時代は独自規格と軍需品規格が乱立しているので、規格を統一した方が望ましいのは当然の事だ。
史実では1917年に設立された理化学研究所を前倒しで設立して、様々な技術が他で発表される前に特許を取得して技術分野で強固な
足掛かりを築こうという計画だった。実際の基礎科学研究は行うが、それを隠れ蓑にして実績を先取りする。
効果が出るまでは時間は掛かるが、計画を進めなくては為らない。
そして国内の不協和音を出来るだけ抑える必要があった。その為に将来的に有望な政治家や官僚、そして軍人や財閥のトップの人達に
秘かに睡眠教育を施して、ある程度の先の方針を示した。
陣内の持つ技術を知り、それによって齎される効用を知ったからには狭い国内でいがみ合う意味は無い。
その結果、全てでは無いが国内の争いは減り、示された指針に従って国家レベルの動きが活性化していた。
そして渋沢が言った事以外でも色々な施策は検討されている。農村の水利改善工事や対外諜報機関【陽炎】の設立、
それに地震予知研究会の前倒し設立と免震構造の建築物の普及、伝染病研究所の設立など多岐に渡った。
これらは潤沢な資金を運用する天照機関の指示の元、各所轄官庁が着手していた。
「確かに皇居の風車は私が設置したものです。陛下の寝室にはこの扇風機以上に快適に生活できる機械を設置しています。
日本総合工業にしても、様々な場所からの支援をいただいて私が設立したものです。
渋沢先生にも御協力をいただきたいと考えて、本日はお招きさせていただきました」
「二十代の若造が何を言うか! 何処から資金を持ってきたかは知らぬが、身の程を弁えろ!!
お前は第二の三菱、政商になるつもりなのか! 独占主義は大きな弊害を齎すのが何故分からぬ!?」
「政商になるつもりはありませんし、国内の各企業と技術提携して協力して行くつもりです」
今まで料亭に来た人達には、今の渋沢以上に怒鳴りつける人達も多くいた。
その結果、陣内は少々の事では動じない程度の胆力を身につけ始めていた。沙織のサポートもある。
相手が多数だと無理かも知れないが、少数であれば何とか説得できる程度の自信はあった。
「此処は料理と酒を楽しむ部屋ですが、少々込み入った話をするには不都合です。ここの離れに私は住んでいます。
そこで色々と話しませんか? この扇風機以上の物を見る事が出来ます」
「……井上さんからは、此処に宿泊すると貴重な情報が得られると聞いている。良いだろう」
渋沢は憮然とした表情だったが、それでも井上が言った貴重な情報というのは気になった。
そしてバニーガール姿の沙織が先頭になって、渋沢を離れに案内した。
その途中、渋沢の視線が沙織のお尻に何度も向けられた事に、沙織本人と陣内は気がついていた。
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沙織に続いて渋沢が離れの客室に入ると、冷気を感じた。季節は夏であり、冷気は心地良く感じられる。
先程の扇風機とはまた違う感じだ。渋沢は視線を陣内に向けた。
「この部屋には冷気を送り出す空調機器を設置しています。陛下の寝室と執務室にも同じものを設置しています。
まだ世界でどの企業も生産していないものですよ」
「……世界のどの企業も生産していない製品を、陣内は供給できると言うのか? それにこの部屋の電灯は前の部屋よりさらに明るい。
これでは日中と変わらんでは無いか」
「これも風力発電と非常用発電機による電気で動いています。こちらの発電機も世界中探しても、此処と皇居にしかありません」
「……陛下がこのような快適な空間で過ごされているのは喜ばしい事だ。だが、何故お前がこんな事を出来るのだ?」
「それをこの部屋で知っていただきます。その前に冷たい飲み物でもどうですか?」
「……貰おう」
「沙織、用意してくれ」
陣内の指示で沙織は部屋にある冷蔵庫からグラスを取り出し、氷を入れたフルーツジュースを渋沢と陣内に差し出した。
白い大きな容器から冷気が溢れ出し、氷を取り出す様子を見ていた渋沢は再び尋ねた。
「あの容器の中で氷が出来るのか? このように冷やす事が出来るのか?」
「本来なら1911年に一般販売されるもので、冷蔵庫と名づけています。余談ですが、陛下のお部屋にも同じものを設置してあります。
大型のものは世の中にあるでしょうが、ここまで小型のものは世界中探しても他にはありません」
「……二十二年後の事をどうして分かる? はっきりと説明して貰おう」
「それでは今お座りのリクライニングシートを横にして、頭にある機械をセットします。それで一晩お過ごし下さい。
明日の朝には謎が解けます。沙織、やってくれ」
「分かりました」
沙織はバニーガールの姿のまま渋沢の横に移動して、リクライニングシートを倒してドリームシアターをセットした。
自分の頭部に機械を沙織がセットしている間、眼前には揺れる双胸があった為に、思わず視線が釘付けになってしまった渋沢だった。
一抹の不安はあったが、やがて特殊な睡眠誘導波によって渋沢は深い眠りに落ちていった。
それを確認すると陣内は沙織と共に客室を出た。土産の準備をする為だ。
料亭での会話で相手のある程度の趣味や好みは判別できる。姑息なようだが、世の中にはある程度のご機嫌取りも必要だ。
そして陣内が選んだのは、漂流した輸送船にあった娯楽用の写真集だった。
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渋沢用にセットした教育プログラムは、二十世紀末までの大まかな社会の動きに関するものだ。
国内外の混乱や戦争、それに災害や科学技術の進歩の様子などを含んでいる。
政治家と同じプログラムだ。軍人関係は戦争の詳細内容を含め、技術者関係はその方面を重点的に教育する内容になっている。
最後に、此処で見聞きした内容に関しては、一切口外しないような強力な暗示を含めてある。
渋沢が早朝に目を覚ました時は渋面だったが、冷蔵庫の飲み物を飲んで一人で考えているうちに表情は少しずつ明るくなってきた。
やがて陣内と沙織が食事を持って客室に入ってきた。朝食をとりながら渋沢は陣内に質問を開始した。
「陣内は未来から偶然の事故でこの世界に来たというのか。それなら今までの事も理解できる。
私に出来る事なら協力する事を約束しよう。私の部下にも同じ教育を頼めるか?」
「ありがとうございます。今までこの睡眠教育装置で未来の事を知ったのは政治家や高級官僚、軍人と財閥系の経営者です。
あまりにも睡眠教育を普及させ過ぎては弊害も出ると考えていますので、ひっそりと行っています。
人数を絞っていただければ、対応します。その時は御連絡下さい。これで渋沢先生の協力が得られれば、かなり改革は早く進みます」
「まずは国内の整備に全力を注いで、基礎工業力を徐々に上げていくと言う事だな。様々な分野の企業を早急に立ち上げる必要がある。
私の伝手があるところは紹介しよう」
「宜しく御願いします。現在は既存の会社に梃入れしていますが、小規模なところや新規に立ち上げる会社への支援を御願いします。
私ではそこまで手が回りません。そこで渋沢先生の人脈に御協力願えれば、助かります」
「うむ。国内改革と合わせて輸出産業を発展させなくてはならない。人手が足らんだろう。私のところからも何人か出すぞ」
「人手不足ですから助かります。教育はこちらで行いますから、人柄を見て派遣して下さい」
「分かった。君と会えて有意義だった。これから急いで帰って、検討を始める」
「土産を用意しました。お持ち帰り下さい。何かありましたら御連絡下さい」
こうして渋沢栄一の持つ人脈も陣内に協力する事となった。一つずつ立ち上げるのも一つの方法だが、こういう激動期には
未熟であっても多方面を同時に立ち上げた方が効果は早いとして、様々な分野の梃入れが同時に始まっていた。
こうして多方面からの支援を貰い、人材を集めながらも国内改革は進んでいった。
余談だが、陣内が渋沢に持たせたのは、『アメリカ共和国』の漂流輸送船に積載されていた娯楽用の写真集だった。
全てあちらの女性であり、兵士の慰安の為のものだ。遥かな未来も、そういう本は存在していた。
後日、追加の催促が渋沢からあった事は陣内しか知らない事だった。
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陣内は渋沢が帰った後で、内務省に出向いた。特務機関【天照】の定期会合の為だ。
都合がつかない人も居て、構成員全員は揃わなかったが会合は始められた。
「まずは国内の流通機能向上計画に関してだが、産業促進住宅街の建設は順調だ。
現時点で約三割が終了しており、来年末までには第一期計画はほぼ終了する。一部では入居が始まったところもある。
既にかなりの応募が来ており、労働力の確保は問題無い。建設資材の集約も順調で、一部は道路や鉄道の工事に取り掛かっている。
特に勝浦工場との輸送用の外房線を優先させてな。当初の計画を全て終了させるには十年以上は掛かるが、その端緒についたところだ」
「全国各地の水利改善工事計画は纏まった。予算は天照機関から出すと言ったら、官僚達は大喜びしていたぞ。
伝染病研究所や災害予防研究会の設立にもその気になっている。幸先は良い」
「本来の予算とは別の予算が使えるからな。再来年に予定されている濃尾地震の準備も早い方が良いだろう。
免震建造物の仕様は正式に決まったのか?」
「推奨構造は一般配布の準備を進めています。これを全国の建設関係者に配布して、学校などの公共施設は免震構造を義務化すれば
普及も早まるでしょう。それと非常用の食料や毛布なども、事前に各自治体で準備させる必要があります」
「うむ。そちらは任せる。予算はこちらから出したが、公共事業による内需喚起も悪くは無い。
睡眠教育で大物政治家は全て我々に協力的だし、軍部や財界も同じだ。今までの何人料亭に行ったのだ?」
「全部で二百八十六名ですね。昨夜は実業家の渋沢栄一氏でした。他の財閥当主と同じように協力を申し出てくれました」
「あれを知れば当然だろう。小さい政党の政治家には睡眠教育はしないのだったな」
「あまり広めては諸外国の目を引く可能性もありますから。政治の世界にしても画一では問題ですし、討論は止めるべきではありません。
一部の有力な政治家だけで睡眠教育は十分だと思われます。もっとも外交に従事する政治家への教育は必須です」
「うむ。足を引っ張られなければ良い。それはそうと、勝浦工場の建設情況はどうだ? あれが国内改革の要だぞ」
「建設を開始して二ヵ月半です。野々塚の中と地下の空間の確保は終わり、内壁の工事も終わって天照基地から制御コンピュータと
大型の核融合炉(2000万KW)を運び込んで現在は接続中です。
一般労働者達が入る前に、沿岸の高台と内側の丘陵の整地、沖合い防波堤工事が終わりましたので、工事は順調に進んでいます。
製鉄所は三ラインありますが、一つは年末までには稼動を開始します。
内陸部の工場の生産ラインも年末までには立ち上がるでしょう。来年からは一部の生産設備や工作機械の出荷が可能です。
天照基地の設備の製造ラインが動き始めましたから、少しずつこちらに運び込んでいます。
石油生成プラントや造船所は来年中には立ち上げたいですね」
天照基地の建設は少しずつ進み、やっと生産設備の製造が出来る状態になっていた。(造船所はまだ時間が掛かる)
そして天照基地で自動生産ラインや高精度工作機械を次々に製造して、勝浦工場に大型輸送機を使って運び込んでいた。
まずは日本国内の基礎工業力の底上げを図る事が重要で、その為には各種の工作機械を国内に多数普及させる必要があった。
ネジ一本とっても、現在は各社の規格は異なっており、品質も一定では無い。そんな状況で国内の産業が育つ訳が無い。
一刻も早く品質が安定した量産ラインを立ち上げる事が望まれていた。
それと外貨を稼ぐ為に、技術の特許を取って量産する計画がある。今はそちらの方面にも力を注いでいた。
「他の財閥系の生産会社と相談して、早急に立ち上げてくれ。資金と労働力はあるのだ。早く結果を出せ」
「列強に追いつくまでは数十年掛かるだろうな。平行して軍備関係も進めなくては為らないぞ」
「国内の工業力が上がれば、兵器は国産化できる。今のように列強から高い金を払って購入する必要も無くなる。
今しばらく辛抱して欲しい。万が一の時は南極で見せられた兵器を使えるのだろう」
「勿論です。一次目標は五年後の日清戦争です。それまでには必ず間に合わせます。一部の兵器は三年後を目処に国内生産を開始します。
それはそうと対外諜報機関【陽炎】の設立はどうなっているのですか? 二〜三年は国内の事で精一杯ですが、それ以降は外交工作も
重要になります。手を打つには早い方が良いのはお分かりだと思いますが」
「設立準備は進めているが、人材が不足している。工作員は宮内庁と交渉して、隠密部隊から出して貰うつもりだ。
第一工作目標は太平洋の要とも言えるハワイ王国だ。アメリカに併合される未来を変えれれば、効果は大きい。
アメリカと正面から敵対するつもりは無いが、我が国からの移民も多い事だし、何とか工作を成功させたいと考えている」
「それを言うなら、南米に今からでも移住を進めてはどうだ? あそこに介入する気は無いが、資金に余裕がある今なら支援できる。
将来を見越して、現地に日本の勢力を築くのは利益になるだろう。時を損なうべきでは無い」
「それは検討に値する。それはそうと、清国と朝鮮に関してはどうなのだ?」
「手を引かずに現状維持だな。清国は一度は激突しなくてはならない相手だが、その後で方針を変更するのだろう。
現在の清国や朝鮮の情報をしっかりと国民に伝えて、福沢の主張した『脱亜論』が正しい事を知らしめる必要がある」
未来の情報を事前に知っているなら、色々な手が打てる。だが、今の日本は完全な発展途上国であり、その実力も無い。
まずは国内改革を成功させ、実績をあげてからで無いと外交工作も上手く行くはずも無い。
表だって動ける事に制限はあるが、情報と資金を上手く使えば色々な裏工作が進められる。
それと、民意を完全に無視する訳にもいかない。今の日本は完全な民主主義制度では無いが、それでも民意を蔑には出来ない。
しかし百年以上経っても、容易に報道機関の捏造報道に扇動される多くの市民が居た。
つまりいくら情報が増えても、国民の自立心や自主性・判断力を伸ばさなければ、民間の良識に期待できない。
だから、民意を上手く誘導する必要がある。その対策が、報道機関を自らが経営する事だった。
「それについては、新たな報道機関を私が立ち上げます。最初は新聞の発行から初めて、ラジオ放送からTV放送まで行います。
手始めは五年後の日清戦争の勃発まではラジオ受信機を生産して、実況中継すればあっという間に広まるでしょう。
史実では1920年に始まるラジオ放送ですが、日本が音頭をとって世界に広めれば国際信用も上がります」
「そこまで手広くやって大丈夫なのか?」
「運営は部下に任せますよ。私が直接仕切るのは、必要な設備の準備と受信機の民間普及を進める事です。
そして売り上げを伸ばしたい為に捏造報道を行う報道機関は、こちらの報道機関を使って潰します。
その時は騒ぐ輩も多いでしょうが、支援を御願いします」
「任せろ。私利私欲な輩が横行する日本にさせる訳にはいかない」
「表は民間の報道機関だが、裏に回れば御用新聞か。大分助かる。そうなると後で公共機関への格上げも検討した方が良いか?」
「それは状況を見てからだ。そんな先の心配より、まずは目先の心配だ。
陣内から提案があった女性専用用品を生産販売する会社を本当に設立するのか?」
「はい。女性の需要は高くて利益は見込めます。今年中に生産体制を準備して、来年には国内販売を開始します。
それで評判が良ければ、海外にも支店を出して販売します。列強は女性の権利に敏感で、日本が積極的に女性の社会進出が
あると分かれば、我が国を見る目も違ってきます。利益面とイメージ戦略の面からも、実行します」
「例の試着者の募集で我々も協力したが、精々が家内に伝えるだけだった。本当に女が会社を運営できるのか?」
「既に陛下の御好意で、『くの一』から適性を持った女性を見つけました。既に教育中です。任せて下さい」
本来『くの一』は影の存在であり、会社のトップに立てる素養を持った女性が見つかるとは予想外だった。
下着の試着者の応募で、日本人離れしたスタイルに興味を惹かれた陣内が会ったのが契機だ。
人間何が幸いするのか分からない実例だろう。変に力を入れる陣内に、他の参加者は怪訝に感じたが、口にする者はいなかった。
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陣内が出かけた後、沙織は着替える為に衣裳部屋に戻ったが、そこには由維と美香が待っていた。
三人とも親や兄弟は無く、天涯孤独な孤児だ。立場は異なったが、他に身寄りが居ない事から三人の関係は良好だった。
由維と美香は陣内に恩義を感じていた。とは言え、不平不満が無い訳では無い。二人の不満はバニーガール姿の沙織に向けられていた。
「沙織さんのバニーガール姿って似合っているわよね。やっぱりあたしぐらいの身体じゃ無理よね」
「ああ、その胸の谷間が羨ましい! 陣内様はその谷間に顔を埋めたの?」
「何を言ってるのよ。胸元を見られる事はあるけど、まだ手を繋いだ程度よ。
それにバニーガールの衣装は美香も持っていて、接待に出た事はあるじゃない。あたしだけ責められるのはおかしいわよ」
「あたしがバニーガールの衣装を着ても、珍しがられても厭らしい視線を向けられる事は無かったわ。
やっぱり沙織さんぐらいの身体が無いと無理だもの。陣内様があたしに手を出してくれるのは何時になるのかしら?」
「織姫さんが作ってくれた牛乳を毎日飲んでいるけど、まだ効果は無いしね」
「特殊な栄養素を大量に含めてあるから、これで駄目なら体質の問題だと思って諦めろって言われているのよね。もう、どうなるのよ!」
「二人とも落ち着きなさい。今日の夜の接待には美香が出るのよ。
陣内様は夕方には帰ってくるでしょうから、それまでは掃除をしなくちゃね」
「最近は陣内様の遊郭通いも減っているのよね。そのうちにあたし達に目を向けてくれるかしら?」
「目指すはお妾さんか。上手く行けば一生が安泰だもの。陣内様はお金持ちだから、それくらいの甲斐性はあるわよね」
「甘いわね。陣内様が遊郭の病人を薬で治したから、噂になっては困るから行かないだけよ。
最近は料亭の出入りの芸者さんのところに頻繁に行っているみたいよ。女中さんが噂していたもの」
「悪く言えば薬の人体実験。良く言えば無償の善意。治療薬の量産体制が整うのはまだ先だものね。それまでは噂されるのは拙いか」
「そういう事ね。そろそろ睡眠教育を行うのも止めると言っていたし、バニーガールの姿になるのももうすぐ終わりよ。
そしたら勝浦工場に引越しか。此処ぐらいの住み易さがあれば良いけど」
「あたしは護衛の仕事を兼務しているから良いけど、二人は全体管理の教育を受けているのよ。しっかりしなさい!」
陣内は三人に身の回りの世話をして貰っている。だが、それだけでは無い。
沙織には護衛の仕事と対外交渉を、由維と美香には組織内の調整の仕事を任せるつもりだ。
今年の末頃から稼動を始める勝浦工場の管理と関連会社の調整に忙殺されるだろうから、一刻も早く使い物になるようにと
期待を寄せられていた。それと人手不足で悩んでいる陣内は、新製品の試着も二人(沙織と美香)に頼んでいた。
「そう言えば、織姫さんに作って貰った胸あての使い心地はどうなの? あたしは、あっても無くても変わらないけど?」
「ブラジャーって言いなさいよ。この時期は汗疹で悩むんだけど、これがあれば助かるわ」
「やっぱり、沙織さんぐらいの大きさじゃ無いと、意味が無いのかしら?
三十人の試験装着者の中で、Dクラスは沙織さんを含めて二人しかいないものね。後はFクラスが一人だけ」
「そのうちに増えるわよ。それ以外にも女性専用の色々なものを作って、来年には量産体制を整えて売り出すのよ。
今のうちに問題点があれば、解決しないとね」
「その為に、あたし達以外にも女性社員を多く採用しているんでしょ。結構、世間の評判も良いみたいよ」
「試着や使い方を聞く時に男の人じゃ駄目だものね。当然の事よ」
史実では二十年も後に発売される下着などの女性専用用品を、来年には量産体制を整えて国内に売り出すつもりだ。
ある意味では情報を知っているが故のイカサマ手法だが、先に特許を取ってしまえば誰も文句は言えない。
そして来年一年間で国内の評判を見極めてから、海外に進出する。
輸出産業の立ち上げだけでは無く、女性の社会進出と生活環境の改善、さらには諸外国の日本の信頼度を上げるという
複数のメリットが見込まれている為に、陣内は多額の資金を投入していた。
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川中楓(二十三歳)は宮内庁所属の『くの一』だった。過去形だ。(沙織の先輩)
『くの一』として、いや日本の女性としてトップクラスの容姿を誇っており、陣内が秘かに募集した女性用下着の試着者に応じた。
そして陣内の目に留まり、女性専用用品の生産販売会社の『淡月光』の社長に抜擢された。
淡月光は日本総合工業の全額出資の子会社だ。そして、この時代に女性社長というのは珍しい。
もっとも女性専用用品を扱う関係から、女性の発言が重視されるのも道理だった。
『くの一』としての訓練を受けてきた楓に、会社経営のノウハウなど無い。だが、その押しの強さが陣内の目に留まった。
最初は試着者としての感想を聞くだけだったが、楓の下着姿の誘惑に勝てずに深い関係を持ってしまった。
その後も何度か関係を持ち、女性専用用品の会社を任せられる人材を秘かに探していた陣内と、影の存在に甘んじたく無く、日が当たる
世間に出たいと考えている楓の利害が一致した。そして睡眠教育を受ける傍らで、ベットの上でも陣内の個別講習を楓は受けていた。
その楓は淡月光の設立に忙殺されていた。当初の計画では、国内の販売拠点は五ヶ所(仙台、東京、名古屋、大阪、福岡)で、
直営工場も国内に二ヶ所(東京、大阪)を抱えている。販売拠点の方は人数は少なめで構わないが、直営工場ともなると多くの従業員を
雇わなくてはならない。しかも女性専用用品の生産工場なので、従業員の大部分は女性になる。
宮内庁の意向もあって『くの一』の組織が縮小される事は決まっていた。そして同僚に声を掛けて、会社を立ち上げる事にした。
陣内からの人材の援助もあって、何とか生産が軌道に乗り始め、販売店の従業員のマナー教育も目処がつき始めていた。
一日の激務が終わった楓は自室に戻って、下着姿で休みながら考え事をしていた。
(『くの一』のあたしが大勢の人を雇う会社の社長になるとは、以前なら想像さえしなかった事ね。
これもあの下着の試着に応募したお蔭か。人生、何が幸いするか分からないわ。
でも、それを言うなら何で隠密のあたし達の宿舎に、募集する張り紙があったのよ? 服部様に聞いても誤魔化されたし。
それで陣内様に会って、直ぐに関係しちゃったのよね。あんなにギラギラした視線で胸元を見られたから、『くの一』の習性で
ついつい誘惑しちゃったのよね。少しは物足りなく思ったけど、あれが契機でこういう立場になったのも悪くは無いわ。
何と言っても日のあたる場所よ。他の女の子達の為にも絶対に成功させるわ!
しかし、陣内様が未来から偶然で此処に来たとはね。陛下とも親しい間柄だから、粗相は出来ないわ。
失敗したらベットでサービスすれば良いけど、あんまりあたしが独占すると沙織に悪いかしらね。
あたしは遊び半分だけど、沙織はまだ乙女だから何を考えているのかしら?)
楓の寝物語の要請もあって、淡月光は来年早々に新商品を発表(特許取得を含む)して、販売を始める計画が組まれていた。
(女性用下着、生理用品、化粧品、幼児用の紙オムツの生産・販売を予定) 尚、特許取得者は楓だ。
既に販売店の店舗は確保済みで、店員の教育も順調だ。問題は直営工場の方だった。
下着は洗って使えるから良いが、あの時の用品は使い捨ててあり、かなりの数量が必要になる。
その為に大量の水分吸収素材が必要になるので、いち早く勝浦工場の秘密工場で自動生産ラインが組まれて、大量の在庫をストック
し始めていた。(日本の基礎工業力を上げる目的の工作機械の生産ラインと同等の扱い)
それらを手作業で女性従業員が生産する。物流の問題もある。
これらの問題を元同僚の協力を得ながら、徐々に解決していく楓だった。
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勝浦工場には大量の建設資材が運び込まれ、千人を超える作業者が集められて人海戦術で工事が進められていた。
この時代に夜間照明は無く、工事は日中のみだ。しかし工事が急がれているので、そんな悠長な事は言っていられない。
夜間には採掘ロボットや建設用ロボットが働いて、予定が遅れないようにしていた。
勝浦工場の中心は高さ268mの野々塚だ。その山の内側に制御コンピュータや核融合炉などの機密設備がある。
そして内陸部の丘陵を整地して、産業機器や通信機器、特殊車両関係の工場が次々に建設されていた。
沖合いを埋めて防波堤(高さ二十五メートル)にした事で、勝浦湾は完全に内海となり、太平洋の荒波に晒される事は無くなった。
その勝浦湾の周囲には巨大な港湾施設と倉庫群が、鵜原には造船所が建設されている。
(勝浦の内陸部に製鉄所や石油貯蔵施設がある。第二期で計画される石油コンビナート群もこの周辺を予定している)
かなり内陸部は広がっており、そこに工場が点在している。追加工事が最初から計画されているので、余裕がある配置だった。
既に内陸部の工場では、一部の生産ラインが稼動し始めていた。
港湾施設は一部が使用できる状態だ。そこに船が接岸して、色々な建設資材や材料を運び込んできている。
そして完成した製品や部品を詰めて、他に輸送を行うようになっていた。
建設中の各工場でも、稼動を開始した棟は複数ある。それに製鉄所も形になってきた。
全部で製鉄ラインは三つあるが、その中の一つに集中して、建設を進めている。
造船ドックは三つあるが、こちらも一つに集中して建設を進めている。石油の貯蔵タンクも形が出来上がってきている。
本社ビル(地下2F、地上5F)は完成して、陣内を始めとした日本総合工業と関連会社の立ち上げの打ち合わせが連日行われていた。
(2013. 5.11 初版)
(2014. 2.16 改訂一版)