木枯らしが吹き荒れる中、皇居の主と招集された元勲(山縣有朋、伊藤博文、松方正義、大山巌、土方久元)の計六名は
篝火が焚かれた広場で静かに待っていた。
時刻は六時三十分。陣内の指定した時刻まではまだ余裕があったが、六人はじっと空を見ていた。
だが、木枯らしを心配した山縣が皇居の主に声を掛けた。
「陛下。指定の時刻まではまだ時間があります。此処は寒いですから部屋にお戻り下さい」
「朕は構わぬ。それより人払いはしたのだろうな?」
「警護の者は遠ざけましたが、最低限の者だけは近くに控えさせてあります。御身に何かあったら大問題になります故」
「仕方あるまい。陣内は演出をして空から迎えに来ると確かに言った。演出とやらが楽しみだ。芝居を待つ気分だぞ」
「本当にその陣内とやらは信用できるのですか? 大量の天正長大判は見せていただきましたが、未来から来たなど信じられませぬ」
「確かに。天正長大判と言えば豊臣の隠し財宝という噂も聞く。陛下を騙したのでは無いか?」
招集した五人に天正長大判は見せたが、携帯無線機は見せてはいない。これも陣内との約束の為だ。
いきなり皇居に呼び出され、未来の日本人が日本を助けたいという意思を持っている。六人を招待すると言うので同行しろ。
明日の夜には戻れると言われても、直ぐに信用する人間など皆無だろう。
その時、反重力エンジンを使用して、無灯火で無音降下してきた大型輸送機の下部の照明がいきなり点灯した。
そして織姫の立体映像が空中に投影された。演出を考えて、羽衣を着込んでいる。
絶世の美女が淡く光る羽衣を着て、空からゆっくり降りてくる演出だ。
それはまさに伝説の天女の降臨だった。その様子を広場にいる全員が唖然とした表情で見つめていた。
「ま、まさか天女なのか!? なんと美しい! しかし、あのような薄着で天女は寒さを感じぬのか!?」
「空に浮いている!? それに衣服が薄っすらと光っているぞ! あれが伝え聞く羽衣なのか!?」
「確かに伝承にあるように容姿端麗だ。真に『天の御使い』が降臨されたのか!?」
唖然として立体映像を見つめている六人に、大型輸送機のスピーカから優しい女性の声(織姫の合成声)が流れてきた。
『私は陣内様の使いの織姫と申します。この寒空で皆様方が早くからお待ちしていたのを知り、時間を早めて迎えに参りました。
準備は宜しいでしょうか?』
「ああ、我らは大丈夫だ。しかし、天女の迎えとは陣内も凝った事をしてくれる。会うのが楽しみになってきたぞ。
それで我らをどうやって連れていくのだ?」
『私以外にも陣内様の使いはおります。その者に皆様方を運ばせます。慌てずに身を委ねて下さい』
そう言うと立体映像の織姫は大きく手を上げた。
それを合図に反重力ユニットを装備した六体の汎用アンドロイドがゆっくりと降下してきた。
そして待っていた六人を抱かかえると、あっという間に大型輸送機の中に戻って行った。
その様子を隠れて見ていた警護の人間は複雑な表情で見ていた。
皇居の主や元勲達が連れ去られるのを黙って見ている訳にもいかないと考えていたが、来たのが伝承にある天女なら話は別だ。
そもそも、明日の夜には戻ると言われ、此処で起きた事は口外無用と言い含められている。
あの天女は何処に陛下達を連れて行くのだろうか? 桃源郷なのだろうか? 天女であれば陛下の安全は大丈夫だろう。
まだ迷信が信じられている時代だ。実際に天女に見える織姫の美貌と空を飛ぶ事を自らの目で見た人間は、疑いを持たなかった。
そのような理由から、警護の責任者は配下の者に解散を命じていた。
そして皇居の主と元勲達が天女に迎えられた事が噂される事は無かった。
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大型輸送機は腹部のコンテナを積み替える事で、様々な用途に対応できる。今はVIP用コンテナを積んでいた。
そして招かれた六人はゆったりとしたソファがある応接室に通された。外は寒いだろうからと考えて、部屋は既に暖めてある。
織姫の立体映像に勧められてソファに其々座った六人は、今まで見た事も無い様子に驚きの声をあげていた。
「陣内の使いとやらに抱えられて空を飛んだ時は肝が冷えたが、まさかこんな場所に案内されるとはな。
この椅子も中々座り心地が良いし、部屋も暖かい。さて、陣内は何処にいるのだ?」
『天照基地にいらっしゃいます。三十分で到着しますから少々お待ち下さい。身体が冷えたでしょうから温かい飲み物を用意させます』
どうやら自分達は空を飛んでいるらしく、今まで見た事も無いものに六人は戸惑いの色が隠せなかった。
色々と織姫の立体映像に聞いても、陣内が説明すると言われてはそれ以上の質問は出なかった。
絶世の美女の織姫に怒鳴りつける事は無く、六人は温かいスープを飲みながら到着を静かに待っていた。
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北大東島に到着した六人を陣内が出迎えた。だが、膝も折らずに話す陣内を怒鳴りつけようとした山縣達を抑えたのは皇居の主だった。
「騒ぐな! お前達五人は陣内の用意したもので、未来の知識を知る事が最優先だ! それを知ってから陣内と話せ!
それまでは静かにせよ!」
「礼儀知らずはお詫びします。粗末なものですが食事を用意してあります。その後はお休み下さい。
夢の中で未来の知識を知って下さい。詳細な話は明日の朝食後が良いでしょう」
「山縣達はそれで良かろう。朕は陣内と二人で話を聞く。構わんな!!」
「「「「「御意!」」」」」
皇居の主や明治の元勲達の放つプレッシャーは凄まじく、それらは全て陣内に向けられていた。
日本を守る強い責任感を持ち、多くの人達を使っている元勲達にはカリスマ、この当時の言葉に言い換えれば『威』がある。
軽い人間不信に陥って、人付き合いを避け続けてきた陣内に対抗する術は無い。雰囲気に呑まれないように耐えるだけで精一杯だった。
そして静かな夕食が終わった後、山縣達はドリームシアターをセットした居住ユニットに案内された。
旧式とはいえ、かなり上等な作りとなっており、寝心地は相当良い。
電灯のつけ方や暖房の温度調整、冷蔵庫の説明、トイレの使用法の説明をして、少しは混乱したが五人は素直にベットに入った。
そして皇居の主を除く五人は、今後の約百年間の日本の歴史を夢の中で知った。(口外しないように強い暗示を含む)
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山縣達が夢の中で未来の出来事を見て呻き声をあげている時、皇居の主は応接室で陣内と向き合っていた。
一人になったが、陣内の受けているプレッシャーは六人の時と変わらない。緊張して言葉も中々出てこない。
その事に気がついた皇居の主は表情を和らげて、陣内の緊張を解そうと労いの言葉を掛けていた。
「酒もそうだが、食事は美味だった。礼を言うぞ。
さて、山縣達は明日の朝には未来の事を知るが、その前に陣内に聞きたい事がある」
「はっ、はい。何でしょうか?」
「そう緊張せずとも良い。陣内の生まれた時には、既に我が血統は途絶えていたのだな。その時代はどのようなものだった?
我が血統が途絶えた事で、日本がどんな状況になったのかが知りたい。我が一族の存在は日本にとって、どんな意味があったのかをだ」
「……私が生まれた時には既に皇室がありませんでしたので、比較できません。
ですが『朝鮮連合』の宇宙船の墜落事故で当時の首都の東京が全滅して、皇室が途絶えた後の混乱は酷かったと資料にあります。
政府機能の大半が失われ、纏まりも無く諸外国の圧力に屈して領土を次々に奪われました。
二百年以上も昔の事を蒸し返され、多額の賠償や謝罪も要求されました。それに国内の独自技術の多くが奪われました。
混乱を収拾できる人物がいなかった事が大きく影響しています。国民を纏める事が出来ない国は、衰退するしか無いのかも知れません」
「情けない態度で諸外国に膝を屈するとはな。祖国に対する誇りを失い、国の未来を憂う国士が居なかったのは残念な事だ。
それも大陸や半島の内なる侵略の手に掛かるとは。戦争に負けた為だろうが、あれを繰り返す訳にはいかぬ!」
皇居の主が気にかけていたのは、日本の国民の未来だった。悲惨な未来など認められない。
変えられるものなら、どんな努力を強いられても悲惨な未来を繰り返させる訳にはいかないと考えていた。
「この時代では、どの国家が信用できて、どの国家が信用できないかは判断できないでしょう。
ですが未来の情報を得ている我々は、その判断が出来ます。それを使って、より良い未来を選べるでしょう。
日本だけで無く、恩には恩で返してくれる国家を大切にして、協力者を増やすべきだと思います。日本単独では限界があります」
「そして恩に仇をもって返す輩とは関係を絶つ事が必要か。確かにそうだな。
生き馬の目を射抜くような厳しい世界だが、それでも信頼できる国はある。それらの国と協力し合う事が必要になるだろう。
話は変わるが、陣内は我が皇室の存在は日本に良き影響を与えたと考えているのか? 今の政治をどう感じている?」
「……他の国家もそうですが、王室や皇室の存在は国民に安心感を与え、国民を精神的に主導する役割を担えます。
そういう意味では皇室は明治の激動期を乗り切るには有難い存在です。混乱の時に、その真価が発揮されます。
ですが国の運営が安定した時、今と同じ体制で良いとは自分には判断できません」
「……今は良いが、将来的には分からぬか。戦争に負けた後は、我が血統に実権は無く、日本の象徴となっていたな」
「古来から皇室は権威として延々と存在してきました。ですが直接政治に関与していた期間は短かったですね。
我が国は二重の権力構造が長く続いてきました。失政をしても当時の権力者が失脚するだけで、皇室の権威は揺るがなかった。
こういう二重の権力構造が、皇室の存続に繋がったと考えられます」
「……今は良いが、将来的には体制の見直しが必要となるか」
「どんな組織でも長く続けば硬直します。定期的に見直しを掛けた方が良いのは間違いありません。
どのような方法が良いのかは分かりません。未来の官吏達の行動を見れば、見直しの必要性は間違いないでしょう」
「分かった。その事は後でゆっくりと考えよう。それと陣内は未来でどのような生活をしていたのだ?
家族はいないのか? あの織姫とはどのような関係なのだ?」
話は陣内の個人的な事に移った。まだ聞きたい事は山程あるが、日本の方針は山縣達が同席する明日にまで我慢する事にした。
そして問題は陣内が本当に信用できるかだった。今までの陣内の対応を見ていると、その心配は無いだろう。
後は陣内の個性の把握が必要と考えて、話題を変えていた。
「母は私が幼い頃に亡くなり、父親は二年前に宇宙海賊に殺されました。身寄りはいません。織姫は大事な相棒です」
「……済まぬ事を聞いたな。しかし、あの絶世の美女の織姫が相棒とはどういう事だ? 連れ合いでは無いのか?」
「織姫は実体を持っていません。意識はありますが身体は無いのです。陛下が見たのは織姫の幻影です。
この時代の言葉で言うなら、精霊のようなものだとお考え下さい」
「なんと!? あの織姫は精霊だと言うのか!? では、この島に陣内は一人で暮らしているのか!?」
「はい。人間という意味なら、自分一人だけです。織姫は自分の話し相手であり、大切な相棒です」
この時、皇居の主の目が光ったが、視線を合わせずに俯きながら話す小心者の陣内が気がつく事は無かった。
そして時間も遅くなり、二人は其々の寝室に向かっていた。
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1889年に電灯はあったが、品質は良くは無い。それに冷蔵庫も無い。空調も無い。トイレも洋式では無く、自動洗浄装置など無い。
それらの使い方を覚えた五人は、使ってみてその便利さに驚愕していた。
皇室の主を除く五人は、それ以外にも日本の未来を知り、さらに動転していた。
朝食が終わると場所を会議室に移した。陣内を含む七人が円卓に座った。
これから交渉が始まる。日本の未来を知った五人の明治の元勲達は、昨日以上のプレッシャーを陣内に向けていた。
まだ慣れていない陣内は極度の緊張状態にあったが、それを察した皇居の主は、先に労いの言葉を発した。
「陣内。昨日からのもてなしは礼を言うぞ。それと未来の技術の一部を知った。
この寒い時期にあのような暖かい部屋で寝たのは久しぶりだ。これが文明の利器というものなのか」
「ありがとうございます。ですが、この程度で驚かれては困ります。未来の文明の実力を知っていただくのはこれからです。
話を戻しますが、自分が未来から来た事を納得していただけたのでしょうか?」
「まだ半信半疑の気持ちだが、信じぬ訳にもいかぬと考えている」
「そうだな。まだまだ説明してもらわねばならぬが、一先ずは信じよう」
「同感だ」
「最初に確認するが、陣内は日本の改革に協力する意思はあるのだな?」
「勿論です。自分は日本人です。この時代で生まれたのでは無いにせよ、祖国日本の繁栄を願うのは当然です。
それと他国でも協力し合える国とは友好関係を進めていった方が良いと考えています。
日本だけの繁栄は逆に周囲の反発を買うだけで、長期的なメリットは見込めません」
「分かった。では陣内はどういう方法で協力できる? あの天正長大判はどうやって手に入れた?」
現在の日本の情勢は厳しい。近代国家建設の道を歩み続けているが、周囲には列強の脅威がある。
不平等条約の為に税収は伸びずに、国内産業は中々育たない。それでも、列強の侵略を防ぐには軍備が必要だが金は掛かる。
この時代では満足な性能の兵器は国内では生産できず、海軍の主要な艦船は列強からの輸入だった。
税収を増やす為に産業の成長に時間を掛け過ぎて、軍備を整える前に侵略を受けたら国は滅亡する。
何しろ、技術不足であり資金不足だ。生産設備にしても主要軍備にしても全てが輸入品であり、その支出は膨大なものになる。
列強から技術導入を進めているが、それにも技術指導料は必要だ。さらに言えば、鉱物資源は大部分を輸入している。
そんな厳しい状況の為、皇居の主や元勲達は国家滅亡の危機を感じながらも必死で努力していた。
その状況下、陣内が提供した天正長大判は大きな魅力だ。追加で入手できれば国家の財政は一息つける。
六人の熱い視線は陣内に注がれていた。
「あれは未来の情報を元に掘り出した豊臣家の隠し財宝です。それ以外にも徳川の埋蔵金や他の隠し財宝も回収します。
これらは無条件に提供させていただきます」
「豊臣家の隠し財宝だと!? それに徳川の埋蔵金も!? 何故、お前がそれを掘り出せたのだ!? どうして場所を知っている!?」
「自分がいた未来では既に掘り出されていたのです。ですから場所は知っていましたので、深夜に発掘しました。
本来の所有者は既に滅んでいます。この危急の時に日本の為に使っても、誰からも文句は来ないでしょう」
「有難い! これで財政は一息つくぞ! 早速、運び込む準備をしてくれ!」
「松方、落ち着け。まだ話は途中だ」
「はっ。申し訳ありません」
「資金関係に関しては、国内で発掘した財宝は全てお渡しします。それと自分の持っている技術を使って国内産業を改革します。
これが軌道に乗れば、かなりの輸出が見込めるでしょう。どの方面を強化するかは、此処の施設の見学を行った後で相談させて下さい。
それと外交政策の変更ですね。皆様方が未来を知って、今までの政策で問題無いとは誰も思わないでしょう」
陣内の言葉に六人全員が沈黙した。
江戸末期に黒船で開国を迫ったアメリカは、南北戦争という国内混乱があったから日本に手を出して来なかった。
九年後にはアメリカはスペインと米西戦争を起こして、グァム、ミッドウェー、ウェーク、フィリピンを奪うのを知ってしまった。
ハワイは移住したアメリカ人によって乗っ取られ、併合されてしまう。アメリカは着々と太平洋を西進している。
そしてロシアはクリミア戦争で国力を消耗している為に、アジアへの侵略の手が緩んでいた。
国力が回復すれば、手を伸ばしてくるのは分かっていた。事実、29年前の北京条約によって沿海州はロシアに領有されている。
アジアの大国の清はアヘン戦争を始めとする列強との戦争に尽く敗れて、多くの領土と権益を失いつつあった。
まさに歴史の偶然で、日本への列強の圧力が低下していた。
アメリカの南北戦争やロシアのクリミア戦争が無かったら、日本は既に列強の植民地になっていた可能性もある。
そして朝鮮半島の問題がある。ロシアの脅威に対抗しようと、清国の属国の朝鮮を独立させて防波堤にしようと目論んでいたが
未来を知った今では朝鮮を抱え込む危険性に気がついた。大陸に進出するのも危険だ。
とは言え、資源の大部分を輸入に頼る日本が、どこにも進出しない訳にもいかない。
列強の植民地獲得競争に乗り遅れれば、食い荒らされるのは己自身だ。その打開策はあるのか?
まだ未来を知ったばかりで、考える時間の無かった六人の視線は陣内に向けられていた。
「まずは一番近い朝鮮半島の問題からいきましょう。ロシアの南下政策に対抗する為に、地理的に重要な位置にあります。
清国に従属する勢力(事大党)と日本に協力して改革する勢力(独立党)がありますが、現在は清国に従属する勢力が優勢です。
日清修好条規で日本も朝鮮にある程度の影響力は持っていますが、陸続きの清国の方が軍隊の展開は速い。
経済面では日本は進出していますが、甲申政変で独立党の勢力が減っている事もある。それに海軍でも今は清国の方が優勢。
そして第一次露朝密約事件があるように、ロシアの朝鮮への介入も進んでいる。この分析で間違い無いですね?」
「そうだ。ロシアの進出を阻むには、朝鮮を清国から独立させて近代化を進めるしか無い。一刻の猶予も無い」
日本の上層部に接触を持つと決めた時から、どの方法がベストなのかを歴史の資料を見ながら陣内は考え続けてきた。
短期的な視野では無く、長期的な視野でだ。六人から向けられるプレッシャーに必死に耐えながら陣内は答えた。
「史実通りに進めば五年後には清国との戦争になります。これは自分の考えた案ですが、そこまでは大きな変更は不要です。
そして日本は清国に勝利する。その後が問題です。朝鮮半島の南部を割譲させ、そこを緩衝地帯にするのです。
勿論、その土地の住民は文化財を含めて全て朝鮮側に引き取らせ、無人となった地を得るのです。
そして朝鮮が清国の従属国だと正式に認めます。朝鮮全てを失うよりは、半分でも残った方が良いと清国は考えるはず。
朝鮮の南部と引き換えに我が国が手を引くと言えば、清国は朝鮮半島の領土の割譲を認めるでしょう。
彼らを引き込むと後々に大きな問題になります。それは皆さんも未来の事を知って、分かったと思いますが」
「……緩衝地帯か。そこに要塞を築いて防衛線を敷けば万が一の場合でも、そこで耐えられる。
清国にしても朝鮮が独立して完全に影響力を失うよりは、領土が減っても完全な従属国が残る方を選ぶだろう」
「緩衝地帯に関しては別の案もあるのですが、それは他との折衝が必要になりますから、後で詳細を詰めます。
清国は中華主義が身に染みていて、朝鮮は小中華主義と事大主義にどっぷり浸かっていますから、高い自尊心を持っています。
そんな彼らに関わると、自尊心を傷つけて千年は怨まれます。ならば最初から関係を持たない方が、お互いの為でもあります。
彼らにも生きる権利や自己主張する権利はありますが、それは日本も同じです。我々の考え方を押し付けるのは得策ではありません。
彼らが清国の従属国で満足しているなら、それを叶えてあげた方が良い。『脱亜論』を実践するべきです。
個人単位では信用できる人は居るでしょうが、国家レベルでは裏切りは日常茶飯事ですから。特に両班は警戒するべきです。
大陸の土地や資源は魅力かも知れませんが、あそこに進出しても人口差から逆に呑み込まれるだけです。
基本的に我が国は大陸や朝鮮半島に関わるべきでは無いと考えます。大陸封鎖を国是とするべきです」
「……確かに未来の事を知ると、大陸や朝鮮に進出するのが危険な事は分かる。だが、資源不足はどうする?
我が国は資源の大部分を輸入に頼らざるを得ない。大陸に進出しなければ、いつまでも資源不足のままだ」
「一部は清国からの輸入で補いましょう。戦争に勝利した後は、格安な条件で資源の提供を義務付けすれば良い。
ロシアの脅威は残りますから、我が国から武器を輸出して代わりに資源を輸入しても良いですね。
約十年後を目標に、最初の海底資源の採掘施設を完成させます。そうなれば、現在輸入している程度の資源は自分から提供できます」
「海底の鉱石資源を採掘できると言うのか!? そんな事が可能なのか!?」
「自分がいた未来では、殆どの海底資源は掘りつくされました。逆を言うと、海底資源のある場所は既に判明しています。
時間さえあれば、海底資源の採掘施設を建設する事は可能です。そうなれば資源の輸出さえ可能になります」
「我が国が資源を輸入しなくても済むと言うのか!? しかも輸出まで出来るだと!? それが出来るなら貿易赤字が改善できるぞ!」
「全ての資源を採掘できる訳ではありませんが、鉄を含む主要な鉱物資源は提供可能です。
我が国は大陸に進出しなくとも大陸棚の海域を抑えていれば、他国からの輸入が無くても大丈夫な状況に持ち込めます」
「素晴らしい! そこまでの技術があるのか!」
六人の表情が一気に明るくなった。日本は資源に乏しく、エネルギー資源や鉱物資源は輸入に頼らざるを得ない。
技術も未発達であり、技術導入も進めなくては為らない。その為に必要な資金も莫大なものになる。
それが全てでは無いにせよ自国内で調達できるようになれば、状況は一変する。
「今は石炭が主流ですが、やがては天然ガスや石油に切り替わります。その海底資源の場所も判明していますから、採掘準備も進めます。
それと微生物を利用した石油生成プラントを此処に建設中です。稼動すれば、有機物から石油の生成が可能になります。
大規模な施設を国内に建設すれば、エネルギー資源の輸入は不要になります。使い過ぎると環境汚染になりますので注意が必要ですが」
「石炭の輸入も不要になると言うのか!?」
「そんな事が実現できるのか!? まさに奇跡だ!」
「この天照基地で小規模タイプを建設中です。国内需要を賄える大規模な施設は、場所さえあれば数年以内に完成させます。
国内の施設に関しては後で詳細を詰めさせて下さい。諸外国に知られる訳にはいきませんので、機密保持は必要になるでしょう。
輸送と防諜の関係で立地条件を考える必要がありますし、他の国内企業との調整も必要です」
「そうだな。分かった。後で再度打ち合わせを行おう」
「外交と輸入関係については、これぐらいですね。詳細は後ほど。
国内の産業改革の件の前に、この天照基地の設備を見ていただいた方が良いでしょう」
「そうだな。未来の技術というものを知りたい。是非とも見せてくれ」
こうして少し休憩した後、天照基地の設備を見学する事となった。
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北大東島の周囲の壁は約二十メートルまで積み上げられ、その北東部には採掘した土砂で高さ百メートルの小さな山が造成されていた。
そして地下には八フロアを予定している広い空間がある。
一部は要塞建設用の資材を使って、フロアが造られて主要な設備が設置され始めている。
まだフロアが形成されていない部分では、地下の奥底で火花が飛び散っているのが地上部分から見えた。
こんな地下の深淵など普通の人は見た事が無いだろう。動揺した声で伊藤は陣内に問い質していた。
「……この地下空間をどうやって掘ったのだ?」
「全長が二十メートルの大きさの採掘ロボットが行いました。この時代の言葉で言い換えると、大きなカラクリ人形ですね。
自分がこの地に来て一ヶ月しか経過していませんから、この地下空間を造るので精一杯です。
言い忘れていましたが、この島を含めて大東諸島の全ての所有権をいただけないでしょうか?」
「……今は人が住んでいない無人諸島だから問題無い。部下に命じて登録させる」
「ありがとうございます。では、この島の中核部分に案内します」
全員がエレベータに乗り込んで、地下6Fのフロアに移動した。
そこには【織姫Z】の船内にあった核融合炉が設置されていた。
「三年前から東京では直流送電が開始され、二年前から大阪では交流送電が開始されています。この発電機の出力は約300万KWです。
現在の大阪にある発電機は150KWですから、その出力の違いが分かっていただけると思います。
これは海水から燃料を取り出せますので、その燃料の抽出装置さえあれば、ここで半永久的に発電する事が可能です。
今の手持ちの設備では核融合炉は製造は出来ませんが、これが天照基地の心臓部です」
「……これだけで今の日本の全電力が賄えるというのか?」
「そうです。時代が進むにつれて必要とされる電力量は増加していきます。それと今は直流送電と交流送電の切り替え時期にあります。
将来的には全て交流になりますから、今の東京の直流送電施設はいずれは閉鎖されます」
「あれには多額の資金をつぎ込んだのに、閉鎖されると言うのか!?」
「そうです。エジソン社は特許を持っているので直流送電を推奨していますが、交流送電の効率には及びません。
今から交流送電に切り替える準備を進めていた方が良いです。それも周波数を現在の大阪と同じ60Hzにすれば、
将来の日本の電力事情の改善にもなります。今は『電流戦争』の真っ最中ですが、エジソンの直流送電方式は敗北します」
「……分かった。後で細かい打ち合わせをするべきだな」
史実では東京の直流送電が停止されて交流送電に切り替わった時、ドイツ製の50Hzの発電機を導入した事で日本国内に周波数が
異なるエリアが発生する事になった。将来の電力の融通を考慮するなら、この時期に国内の周波数は統一するべきだろう。
織姫の本体である制御コンピュータが設置されているフロアには案内しなかったが、それ以外の建設途中のフロアは全て案内した。
それは色々な原材料を精製して加工、様々な部品にして最終製品を造る工場だった。
まだ建設中だが、これらの施設が稼動すれば日本は列強を遥かに上回る製品を生産できるという。
それ以外にも、建設が進められている山の中にある造船所は、六人の胸中を熱くさせた。
何しろ現在の日本は自前で大型艦船を建造する能力は無く、海外で建造された艦船を輸入して使っている。
国産の戦艦を製造する事が、一流国として認められる証だ。この時代の日本の上層部の願望でもあった。
そして豊臣家の隠し財宝が積まれた倉庫に案内された六人は、声を失っていた。
徳川を含む国内の全ての財宝が回収できれば眼前の財宝の数倍にもなると言う。まさに信じられない思いだった。
「これが豊臣家の隠し財宝です。御約束通りに無条件に提供します。何処に運び込むかは後で協議させて下さい」
「……これが全て地下に埋まっていたと言うのか? そして他の財宝全てを回収すれば、この数倍にもなると言うのか!?
全てを合わせれば、国家予算数年分になるぞ!?」
「金は使ってこそ意味があります。未来に誰かに掘り出されるまで眠るよりは、今の日本の危機を救う為に役立てた方が良いでしょう。
隠し財宝を埋めた方々も、納得してくれると思います」
「君の協力に感謝する! これで日本は救われる!」
「これで国内改革を進める事が出来る! 外国からの技術導入も進められる!」
「ちょっと待って下さい。現在契約中の技術導入は継続せざるを得ないでしょうが、新規の技術導入は全て停止して下さい。
その程度の技術は自分から国内各社に広めます。皆さんが夢の中で見たように、ドリームシアターを使えば睡眠教育が可能です。
あまり拡散はしたくはありませんが、特定の技術者に特定の情報だけを教育するようにします。
そうなれば技術指導料も削減できるし、防諜の意味でも有効です。あまり列強の指導員に国内を徘徊されたくはありません」
「経費節減だな。分かった。どの分野を梃入れするかは、後で詰めるとしよう」
国内財宝の回収が終わり次第、全てを日本政府に提供する。だが、海外の財宝はどう使うかを迷っていた。
所有権の問題もある。不用意に売却すると出所を探られ、批判の矢面に立たされる可能性もある。
それに貴重な人類の文化遺産を勝手に売却する事も憚られる。(エジプト王家の財宝等)
外交方針にも絡むが、諸外国との交渉を行う時の材料にするべきだろうと考えていた。
次に大型輸送機のVIP用コンテナの応接室に入った。そこには大型のモニターがあり、周囲の景色を映していた。
「まずは東京の上空に移動しましょう」
陣内の言葉で画面の景色は素早く流れ、気がつくと皇居を映していた。
地上からは見慣れていたが、上空から見ると違和感を感じる者も多かった。
「あれは皇居か!? 空から見るとこんな形に見えるのか?」
「豆粒が動いている。あれが人間なのか?」
「では、徐々に上昇します。日本全域を映せるまで上昇してくれ」
『承知しました』
画面には東京全域から関東全域、そして日本全域が映し出された。
この時代は航空機が存在しない為に、航空写真は無い。
地図と同じような形状が画面に映し出されたので、全員が不思議な思いを感じていた。
「これが日本か。美しいな」
「ああ。我々はこの美しい日本を守らねばならんのだ」
「次は地球全体が映せるまで上昇してくれ」
『承知しました』
画面は再び切り替わり、日本全域からアジア全域、そして地球全体が映し出された。
「……こうして見ると、日本は小さいのだな。地図では知っていたが、実際に見ると実感する」
「大陸の大きさが身に染みて分かる。あそこに進出すれば、待っているのは滅亡か」
「だが、同じ島国のイギリスは世界に覇を唱えている。やはり重要なのは科学技術か」
「空から敵軍の様子を偵察できれば、勝率は高まる。この映像は好きな時に見れるのか?」
「特殊な受信機が必要になりますが、それは後で準備します。そういう事ですから、偵察は自分にお任せ下さい。
直ぐには無理ですが、無線通信網を普及させて、この偵察情報を司令部や前線が把握できれば、敵の弱点を攻撃できます。
さて、武装も少しは御覧いただいた方が良いですね。南極に向かってくれ」
『承知しました』
「南極だと!? 何をするのだ?」
「未来の武器を見ていただきます。諸外国の目から隠す為にも無差別に使える訳ではありませんが、知っておいた方が良いでしょう」
現在の南極には誰もいない。兵器の試射をするには絶好の場所だ。標的の大きさを実感した方が良いだろう。
その為に、全面がガラスで覆われた地上ユニットに移動した。そして中程度の氷山を目標とした。
「さて、今の日本の持つ最大の兵器を使うとすると、あの氷山をどれくらいの時間で破壊できますか?」
「海軍の全艦隊の一斉射撃を行えば、数十分もあれば破壊できるぞ!」
「分かりました。では、準備は良いか?」
『大丈夫です。何時でも発射可能です』
「発射!!」
陸戦隊用の強襲装備をつけた五人の汎用アンドロイドからの一斉攻撃が行われ、一瞬で中程度の氷山が吹き飛んだ。
個人装備で現在の日本の全艦艇以上の破壊力が出せる事を見せ付けた。
これがあれば、万が一にも列強の侵略の手が伸びた時でも、十分に日本を守れるだろうと六人全員が確信していた。
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大型輸送機は北大東島に戻り、食事をした後に再び会議室で協議を始めた。
あまりにも進み過ぎた科学技術に、理解が及ばない六人には戸惑いが広がっていた。
最初は皇居の主や明治の元勲達のカリスマに気圧されていた陣内だが、手持ちの技術を披露していくうちに調子を取り戻していた。
こうして、協議の主導権は陣内が持つ事となった。
「御覧いただいた北大東島の改造は一体の採掘用ロボットと十体の建設用ロボット、それと汎用アンドロイド二十五体が行っています。
ですが時間が掛かります。第一期計画の完成まで約三年間。次の第二期計画を含まれば、十年近い月日が必要です。
それに大量生産は出来ません。この天照基地は高度技術を使用した少量多品種の生産基地です。
日本の改革の為には国内の拠点が必要になりますので、自分は民間の会社を立ち上げたいと考えています。
戸籍も無く伝手もありませんが、ご協力願えますか?」
「戸籍や協力者、それに土地の取得は準備しよう。詳細は松方に任せる。だが、陣内には多方面で協力して貰わねばならん」
「勿論です。日本の産業の底上げを図る必要があります。国策として出来る部分と民間で進めるべき内容があります。
その民間で進めるべきところは、自分が直接管理したいと考えています。勿論、他の企業と協力しながらです。
自分だけで出来るなどとは考えてはいません」
「後で民間で進めるべき内容をまとめて報告しろ。それで国策として進めるべき内容は、どのようなものが良いと考えている?」
いきなり進んで技術を見せられて驚嘆はしたが、それを直ぐにどのように使うかは六人には思いつかない。
此処にいる六人は人を使う立場で、現場の人間では無いから当然の事だった。
「貧しい人達の救済を進めて下さい。地租改正で国の収入は増えましたが、小作農の人達は税が払えずに次々に土地を手放しています。
将来的には大規模農業を進める事が重要ですので、この機会に小さい田畑しか持たない農家は廃業させ、農地を大規模化します。
そして土地を失った人達の住居を国で用意して、道路や鉄道、港湾施設の建設に従事させて下さい。
それらの子供達は全員に教育を受けさせて、将来の工場の働き手とします。無学では工員としても使えませんからね。
これらの人達を収容する住居地域を一つの県に一〜二個造れば大丈夫でしょう。北海道は多めに建設した方が良いですね。
収入が増えた彼らによって内需が増えます。それによって景気が好転すれば、さらに国内の産業は活性化します。
今の状態では、まともな自動車も走れませんし、港湾施設が古くては物流が発達しません。まずは物流を発達させる必要があります」
「……貧者救済と将来の労働力確保。それに道路や鉄道、港湾施設の整備。そして将来を見据えた大規模農業への布石か。
一石二鳥では無く、一石四鳥とは欲張りな奴だな。問題も多いぞ」
「資金は財宝を売却すれば大丈夫でしょう。整備事業に関しては、数年以内には建設用の様々な機械の生産設備を立ち上げます。
農業に関しても、機械を使って種まきや収穫、開墾が出来るような自動機械の生産設備を準備します」
「良いだろう。その方向で検討する。だが、陣内は手が回るのか? 海底資源の採掘や石油の生成施設の件もある。出来るのか?」
「一人では無理です。ですから他の企業に技術提供して、生産を委託したいと考えています。
まずは自分の会社を立ち上げて、設備の生産工場を建設。同時に協力して貰える企業を選定して、技術協力契約を結びます。
手足となる部下も欲しいですし、他の有力企業への橋渡しも御願いしたいと思っています」
「陣内の部下の人選はこちらで進めよう。一部は出向の扱いになるかも知れんが、構わんな」
「勿論です。部下になって貰えば、必要な教育は此方でします。睡眠教育装置を使えば、短時間で優秀な人材となるでしょう。
十五歳以上なら孤児でも構いません。性根が良ければ、こちらで徹底的に仕込みます」
「……その睡眠教育装置だが、他の政府や各省庁の幹部連中にも受けさせたい。大丈夫か?」
この時代、日本の識字率は世界のトップだった。だが、その後の高等教育が続かなかった。
教える人間と機関が少ない事も影響している。大学等の教育機関が続々と設立されているが、効果が出るには時間がかかる。
だが、睡眠教育装置を使えば短期間で高度な技術者が養成できる。
現在の各分野の最前線にいる人達の底上げをすれば、どれだけ効果が出る事だろう。
だが、陣内の意見は異なった。
「睡眠教育装置は五台しかありませんが、これを使う事は構いません。ですが、全ての教育内容に歴史を含める事は反対です。
あまりに広範囲に広めてしまっては、諸外国の目に入るでしょう。
皆様にはある程度の歴史を見ていただきましたが、同じ内容を全員に教育するのは、諸外国の目を引く原因にも為りかねません。
ですから、分野別に睡眠教育の内容は考慮すべきでしょう。
それと睡眠教育を受けた事自体を忘れるようにするか、口止めの方法を検討する必要があります」
「……あまりに手広くやっては、諸外国の目に入るか。今は技術指導員や商人などの列強の人間が多く入り込んでいるしな。
そうであれば、睡眠教育を受けさせる人間は厳選する。教育内容については後日に検討しよう」
「陣内は住居を東京に移せるか?」
「……この天照基地の建設は軌道に乗りました。ある程度は進捗管理を行って、今後の詳細計画を検討したいと考えています。
三ヶ月もあれば立案できますから、その後であれば住居の移動は可能です。何処に移るのですか?」
「知り合いの料亭の主人と話して、そこに住居を用意させる。そこに住め。睡眠教育を受けさせる者は、その料亭に送り込む。
一晩で教育は済むのだろう。料亭ならば人目につき難い。どうだ?」
「……夜だけで良いのでしたら。昼は会社の設立に動く必要がありますから」
「それで良い。お前の部下の手配や、会社の設立は我々が全面的に支援する。土地の選定もだ。安心しろ」
「定期的に経過報告を聞く必要があるな。陣内には御前会議に出席できる権限を与える。良いな!」
こうして陣内は正式に日本改革に参加する事になった。正式な身分は決まっていないが、ある程度の権限は与えられる。
細かい内容は陣内が引越してから再協議する事になった。
そして陣内は工場用地に関して、以下の項目を満足する用地を希望した。
・ 山を含んでも構わないが、海に面しており埋め立て工事による拡張が可能な事。
・ 最低でも30km2以上の面積で人口希薄地域である事。(機密保持の為)
・ 近隣に労働者用の住宅建設が可能な場所がある事。
陣内は天照基地の建設管理を行い、今後の方策を検討する。
六人は皇居に戻り、陣内の戸籍登録と大東諸島の個人所有登録を済ませた後は、工場用地と人材の確保に動く事になった。
ちなみに、これから回収する財宝は、週末に皇居に送り届ける事で合意していた。
立体映像の織姫と一緒に、皇居の主と政府の閣僚達は夜の皇居に戻ってきた。
土産は純金二十トンだ。全部は積みきれないので、先に二十トンだけ持ってきていた。
それ以外にも寒さ対策として、特殊素材の毛布を全員に個人的な土産として用意していた。
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織姫が淡く光る羽衣をまとって空中に浮かんでいるのを見た警護の人達は、一斉に膝をついていた。
警護の人達は立体映像の織姫を天女と信じて疑わなかった。それだけ、まだ迷信や純粋な心が残っていたからだ。
そして皇居の主と明治の元勲達が空から降りてきた時は、安堵の溜息があちこちから漏れていた。
続いて降ろされた純金二十トンを倉庫に回収する事を命じると、皇居の主と元勲達は緊急の御前会議を行っていた。
「まさに天佑だな。これで我が国は明るい未来に向かって進める。陣内の希望に出来るだけ沿うようにしろ。
それと陣内を疑うような振る舞いは避けよ。あれは気の小さい職人気質の男だ。我らが疑いを持っていると知れば、臍を曲げるだろう」
「御意。最初の頃は我らの前で震え上がっていましたな。しかし技術の話になると生き生きとしてきた。
陛下が仰られたように、確かに職人気質の男でしょう。人を指図した事も無さそうですし、部下の人選は考慮します」
「陛下を害するような大それた事は考えないでしょう。我らは上手く陣内を使えば良いのだ」
「あの財宝と技術は得がたいものだ。だが、その技術を使えるのは陣内のみ。厚遇してその気にさせれば良いだろう」
「戸籍とあの島の登記は手配します。それと国内の工場の設置場所も検討しなくてはなりません。
明日にでも省に行って、検討させます。それと陣内が設立する会社は全面的に政府が支援します」
「それと陣内が差し出した財宝だが、運用は政府の資金では無く別にしないと拙いかも知れぬ」
「どういう事だ?」
「あの財宝を全て国内の改革に使うのは当然だ。だが、政府資金にした場合は我らが閣僚から外れた場合は口出し出来ぬようになる。
何時までも我らが閣僚に留まるとは言えぬしな。ならば、運用を別の組織にした方が良いのでは無いか?
それこそ皇室直属の機関を設立して、そこの資金とすれば不明会計も避けられる。目的が同じであれば、問題はあるまい」
「……一理あるな。そういう事なら、秘密資金として運用できる。機密費としては絶好の資金だ。
議会で折衝をせずとも済むし、我々の無駄な労力も省ける。陛下、その方向で宜しいでしょうか?」
「うむ、許す。念の為に申し伝えるが、陣内の事や未来の事は他言無用だ。諸外国にこの事が知られれば、目の色を変えよう。
必ず内密に進めるのだ。詳細は陣内が住居を移してから再度行う事とする」
こうして皇室直属の特務機関は【天照】と名づけられ、設立される事が御前会議で決定された。
構成メンバーは現在集まっている六人と陣内を含めた七人。そして隠し財宝の運用を全て管理する。
各省庁に指示を出せる権限を持ち、独自の運営資金を持つ特務機関は、日本の将来に大きく関わっていく。
ふと我に返った伊藤は、もうすぐ公布される大日本帝国憲法の内容に考えが及んだ。
「今日は二日か。もう少しで大日本帝国憲法と皇室典範、衆議院議員選挙法が公布されるが、これに手を加えた方が良いかも知れぬ」
「……そうだな。ハワイ王国の二の舞は避けたいところだし、少し手を加えよう。公布前なら、煩わしい手続きも不要だ」
「うむ。今は大丈夫だろうが、将来的に軍部の暴走を食い止める必要がある。それに宗教関係は政治参加を制限する方が良い」
「それと衆愚政治の防止もだ。大衆に迎合し過ぎて、国家の方針が二転三転するようでは困る。
いくら選挙で選ばれたと言っても、海外の常識も知らずに勝手な発言をされては国益を損ねるからな」
「そちらは伊藤に任せる。こちらは陣内の部下の人選を急ごう。期限は三ヶ月以内だからな」
「あれは根っからの職人気質だ。あまり気性の荒い者達を送り込んでは問題の元になるだろう。注意せよ」
「御意。しかし、派遣するのが男だけというのはどうでしょう? 少しは女子(おなご)も混ぜた方が良いのだろうか?」
「あの織姫が居た事だし、他の女子(おなご)を派遣して問題にならぬか?」
「聞けなかったが、織姫と陣内はどういう関係なのだ?」
「あのような絶世の美女と一緒に暮らしているなら深い関係だろうな。羨ましい事だ」
「うむ。胸の谷間に視線が思わず吸い付けられたぞ。あの南国風の羽衣をお気に入りの妾に着せてみたいものだ」
「遊郭の女と違って気品があったな。男に生まれたからには、あのような女子(おなご)を侍らしたいものだ」
「……山縣達が夢を見ている間に陣内から直接聞いたが、織姫に身体は無く精霊のような存在だそうだ。
陣内と話は出来るが、身体の関係は無いとな」
「それでは陣内は一人で暮らしていると!? それは大きな問題ですぞ!」
「今は良いが、近い将来に諸外国から目を付けられて、女を使われて篭絡されては困る! 早く手を打つべきだろう!」
「下手をすると筆下ろしもまだかも知れぬ。ここは年長者たる我々が遊郭に連れ出すべきだろう」
「伊藤も好きよな。だが、下手な女をあてがって問題が起きても困る。直属の隠密に命じて『くの一』を陣内の護衛に派遣させる」
「しかし、織姫のような容姿の『くの一』が居りますか? 織姫を常時見ているからには、目だけは肥えているはずでは?」
「……一応はあてはある。服部に手配させる」
「一応、我らの方でも陣内の護衛の任が務まる女子(おなご)を探しておきます」
明治の元勲とはいえ、立派な男子だ。『英雄、色を好む』の喩えがあるように、裏に回ればその傾向は十分にある。
長年の悩みが解消されるとあって、気分が楽になってついつい軽口が出てしまった。
そして陣内の護衛を兼ねた女性の派遣が決定した。
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二月十一日に大日本帝国憲法、皇室典範、衆議院議員選挙法が公布された。
だが、史実と異なっていた内容がある。
・ 陸海軍の統帥権は従来は内閣から独立して天皇陛下に直属していたが、これに総理大臣を加える事とする。
・ 外国人の参政権を憲法で禁止。(日本が認める外国人居住者が、安全に暮らす権利はある)
・ 信教の自由は認める。だが、宗教団体が政治活動を行う事は憲法で禁止。(狂信者の排除を目的)
・ 予算執行の首相の権限を強化。(衆愚政治の防止の為)
・ 衆議院定数を300から100に変更。(無駄な予算の削減の為。国内政治は議会政治で行うが、外交政治は介入する為)
これらの内容が公布直前に伊藤によって修正されていた。
史実では二月二十日に由良要塞(大阪湾防衛の目的の陸軍要塞)が起工されたが、今回は予算節約の為に見送られる事が決定した。
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陣内が東京に引っ越してくるまでの猶予期間は約三ヶ月。その間、未来の事を知った六人は慌しく動いていた。
まずは皇室の直属の特務機関【天照】の設立が正式に発表された。
政府とは別の資金(陣内の回収した財宝)を運用し、各省庁への政策指示権限を持たせてある。構成人員は一般的には極秘。
将来的に政府組織の変更もあるとの想定から、財宝の運用を行う組織として特務機関【天照】が設立された。
政府広報にも記載されたが、注意を払う者など殆ど無かった。
今は激動の時代だ。実績が無い組織では注目もされなかった。(運用資金額が発表されたら大騒ぎになっただろうが)
そして国内の貧困層向けの集合住宅の建設が全国各地で開始された。
産業促進住宅街という名称にして、各都道府県に一〜二ヶ所建設する。(北海道のみ五ヶ所を建設)
第一期の計画としては、簡易の集合住宅を約300世帯分建設する。(約1200人分の住居) 不足する場合は、逐次増設する。
集合住宅は免震仕様の設計で、建設費を軽減する為に共同使用と基本とする。共同食堂、共同銭湯、学校(免震設計)を建設する。
さらに災害時の物資の保管用として、大型の倉庫(免震設計)を数棟建設する。小さい商店街も用意する。
天照基地の稼動が軌道に乗れば、風力発電機による電力供給も行う計画だ。
運営が軌道に乗れば、第二期計画として約5000人規模の住宅街を、第三期計画では30000人規模の住宅街を追加建設する。
最初から費用が掛かる免震設計の大型マンションを建設できる訳も無く、最初は木造から始める。
将来的には孤児院や老人ホーム、生活保護者などの受入施設の機能も考えられている。
入居費用は無料で、食費は政府が負担する。その代わりに、入居者は周辺清掃や簡単な指定された仕事を行う義務が課せられている。
これらの建設作業は、生活に困っている人達を雇って進められた。建設費は陣内が回収した財宝が使われている。
産業促進住宅街がある程度完成すれば、その次は道路や鉄道の建設と港湾施設の整備工事を進める。
これらは夏以降に計画されて、今のうちから建設資材の集約が始まっていた。
陣内の戸籍は準備され、大東諸島の登記も無事に完了した。大東諸島への一般の立ち入りは一切禁止との政府通達も出ている。
それを知らずに大東諸島に近づこうとする船には、立体映像を用いて幻影が脅すような体制が整っていた。
さらに近づくと、特殊な波長の超音波で意識が朦朧とするような防衛体制を布いている。
もっとも、周囲400キロに有人の島は無い、絶海の孤島群だ。
通常航路からは外れている事もあって、船舶が難破でもしなければ島に近づく人間もいないだろう。
こうして、少しずつ建設が進められている天照基地(北大東島)の事が外に洩れる事は無かった。
(2013. 5.11 初版)
(2013. 5.18 改訂一版)
(2014. 2.16 改訂二版)