寄付金を集める最も確実な方法の経済学

 夏も真っ盛りの日本をにぎわせたニュースのひとつに「アイスバケツチャレンジ」という運動があった。これはALS(筋萎縮性側索硬化症)の支援団体である米国ALS協会への寄付を促す運動のひとつだ。氷水の入ったバケツを頭からかぶるか、あるいは米国ALS協会に入るかの二択を選ばなければならず、また選択した後に、次の「チャンレンジャー」を三名名指しで指名する。もちろん寄付も指名も何もしなくてもいい。かなりの人が氷水をかぶる姿と指名を伝える動画をyoutubeなどのサイトにアップし、欧米の著名人を中心に猛烈な勢いで拡大していった。日本でも7月の終わりから急速に拡大していき、日本ALS協会(米国のALS協会とはまったく別団体)に3千万円近くの寄付金が集まった。芸能人や政治家ら著名人が氷水をかぶる動画が流されて評判をよんだ。

 実は僕にも二件ほどアイスバケツチャレンジのお誘いがきた。公式(?)に指名する前に、非公式で打診してきたわけである。配慮の国日本だけあると思う。それはさておき、実はこの打診で僕はとても気分が悪くなった。ここらへんの僕の主観的な意見を雑誌のコメントで掲載していただいたので以下に引用しておこう。

「私は実際に自分が氷水をかぶることを指名されてみて、学生時代に味わった、仲間外れを促しやすい〝いじめの手法〟を久しぶりにダイレクトに見た気がしましたね。まず、二択を選ばせて三人に回すというのはかつての『チェーンメール』や『不幸の手紙』と同じフレームワークなんです。たとえ、『強制ではない』とうたっていても、日本は同調圧力が相当強い国なので、断ることは心理的負担は大きい。善意のチャリティーが原因で、嫌な思いをさせてしまうというのは、本来の趣旨とずれてしまっている。日本に合ったマイルドで自発的な取り組みでALSを告知するやり方が別にあるでしょう」『週刊文春』8月28日発売号。

 このコメントでは削除されているが、健康リスクについても知人の星飛雄馬氏(宗教評論家)らから教えていただき、その点もあわせて言及した。また健康リスクへの配慮は、日本ALS協会やまた何人かの著名人たちも指摘している。藤原紀香氏のようにお風呂の残り湯で行うとか。

 ただ僕の発言した日本的な同調圧力については、やはり無視できない側面はあると思う。実際に芸能関係の人たちから、「アイスバケツチャレンジを指名されたけどどうすればいいか」という相談メールを頂戴した。僕の意見をお伝えしたが、その人たちは「仕事の関係だからうける」「義理もあるし」などと、その「チャレンジ」を受けざるを得ないとしたようだ。

 ところで、健康リスクやチェーンメール的な手法への批判は、ネットなどをみると少数派の意見のようで、メディアやネット世論の大半は、「著名人や芸能人が目立ちたいだけ」批判というのが主流だった。私見では、むしろ有名人たち(多くの著名人たちは氷水をかぶりながら寄付もすると公言していた)が自分で目立ちたいという動機から寄付をするならばウェルカムだと思う。もちろん今回のアイスバケツチャレンジのチェーンメール的手法を肯定しているのではない。一般論として、寄付する側の利益を重視すべきだと指摘しているにすぎない。

 多くの人は、寄付という行為は、利他的なもの、つまり他者を親身に感じるゆえに行う選択だと思い込んでいる。寄付するという行為で自分たちがいい気分になるとか、あるいは他人に「いい人だ」と認められたいとか、あるいは名前が売れる手段として考えるだとか、そういった動機は否定的にとらえるのが一般的だろう。

 しかし、それは寄付行為をあまりに狭く解釈しているにすぎない。寄付行為をもっと深く考察すれば、実はもっと寄付は促進され、お金が集まり、それで困ってる人が多く助かる! という指摘もある。経済学者のウリ・ニーズィーとジョン・A・リスト『その問題、経済学で解決できます』(東洋経済新報社)は、まさにこの寄付金の自分勝手な動機の重要性に切り込んだ傑作だ。

 ニーズィーとリストの著作は寄付金についてだけの本ではない。彼らはランダム化実地実験という手法で、保育園の送り迎え、女性差別、子供の成績を上げる方法などにそれを応用して目覚ましい成果をあげている。経済学は一般にインセンティブ(動機づけ)に関する学問だ。インセンティブには、金銭に関わるもの、社会的なもの、宗教的なものなどいくつかのものがある。特に重要視されているのが、金銭的インセンティブだが、かれらは重要なのはこの金銭的インセンティヴをうまく活用する仕組みに注意すべきだとしていることだ。それをランダム化実地実験で実証している。例えば資産家の寄付をもとに彼らは金銭的報酬の多寡によって子供たちの学習がどれだけ影響をうけるかを実際の教育現場で試している。金銭的インセンティブを活用する仕組みがうまく働かないと、他の重要なインセンティブが衰退してしまい、むしろ人間関係や組織、社会の運営がうまくいかなくなることがでてくる。例えば、保育園での子供の引き取り時間が決まっているとしよう。この引き取り時間に間に合わない保護者の人が多いので、困った保育園は引き取り時間をすぎた家庭には罰金を課すことにした。ところが罰金制にすると、門限をやぶる家庭が続出。人手が足らなくなったので、元の罰金をとらない方式(つまり言葉で文句をいう方式)に戻した。ところが、以前よりもとても多くの人が門限破りをするようになってしまった、という。これは金銭的インセンティブをコントロールするつもりが、社会的なインセンティブで門限を破るまいと頑張っていた親たちのかなりをダメにしてしまったケースといえる。

 ところでニーズィーとリストは、寄付金を多くあつめる方法として注目したのは、アイスバケツチャレンジで僕が懸念した要因―同調圧力―をうまく活用することだった。例えば、一回でも寄付したことのある人にダイレクトメールを送る。そこに一文が書いてあって、今回の勧誘で寄付されない方には二度とこのメールは送られません と書いてある。するとこのメールの文面が「他人の視線」のように感じられて、寄付金がむしろ増加する。あるいは、口唇裂に悩む発展途上国の女の子の写真が動画やフォトでネットに掲載され、それに多くの人が「魅かれて」(つまりは少女の可愛げな容姿とその口唇裂のアンバランスさに対して)、それゆえに寄付をしようとした。つまりは寄付そのものの効果よりも、自分が他人にどうみられているのか、あるいは自分の手前勝手な嗜好が、寄付という行為に大きく関わっていることを、彼らは実証したのである。

 こう考えてみると、今回のアイスバケツチャレンジは実にうまく、その寄付者の動機付けを利用しているともいえる。もちろんこの同調圧力などの力を違った形で悪用することはできる。詐欺行為や政治的なプロパガンダなど、その実例は豊富だ。ひとのインセンティブをどうそれぞれの仕組みが利用しているか、それぞれの人たちが冷静に判断する必要があるだろう。

投稿者:田中 秀臣
上武大学ビジネス情報学部教授。専門は日本経済論、日本経済思想史。AKB48などのアイドル、韓国ドラマやマンガ、アニメなどのサブカルチャーに関する著作や論文も多い。 著書に『雇用大崩壊』(NHK生活人新書)、『不謹慎な経済学』(講談社)、『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)、『偏差値40から良い会社に入る方法』(東洋経済新報社)、『デフレ不況』『AKB48の経済学』(ともに朝日新聞出版)など。 共著に『エコノミスト・ミシュラン』(太田出版)、『日本思想という病』(光文社)、『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)がある。 Twitter:@hidetomitanaka
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