Jellyの~日本のタブー~

映画、音楽、政治の気になる記事の紹介、まとまりのないブログです。
タブーがあるから利権になる。
タブーを作らない社会に。

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「私はあまりにも背負い込みすぎて飛べなくなりました」…ヘイト団体「在特会」、桜井誠氏が会長退任の意向、サイトで表明
http://www.sankei.com/affairs/news/141111/afr1411110036-n1.html

「京大ポポロ」警察官無断立ち入り「まだ学生運動が!」「日本じゃないみたい」ネットで波紋広がる
http://www.sankei.com/west/news/141108/wst1411080056-n1.html?view=pc

中核派の活動拠点「前進社」を家宅捜索=警視庁公安部
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20141111-00000025-nnn-soci

まずはじめに、桜井会長8年間大変ご苦労様でした。

ネット上では散々な書かれようではありますが、行動していない方々が憶測などで彼を叩くのは筋違いです。

彼が世の中に与えた影響は、大変大きな意味を成し、戦後、誰もが恐ろしいという幻覚で、がんじがらめにされ、見て見ぬ振りをしてきた朝鮮利権に果敢に斬り込み、いい意味でも悪い意味でも世の中に強烈なインパクトや、橋下市長との対談前の毎日新聞、朝日新聞、NHKを徹底糾弾した姿勢、しばき隊や中核派などの反日勢力をあぶり出すなど、多大な影響と変革を与えたことに関して、心から拍手を送りたいと思います。

桜井会長への様々なプレッシャーは、相当なものがあったと思います。その苦しみはご本人しか理解できないでしょう。

私はチーム沖縄主催の大阪での講演会にて会長とお会いしたのですが、何か焦っているような印象を受けていましたが、やはり自身で感じた勘が現実のものとなってしまいましたね。

これを機に少し疲れを癒し、お休みされたほうがいいと思います。これが最後のお別れでもないですし。

保守層の中にも在特会を煙たがっている方々も多いことでしょう。

しかし世の中というものは、

100人が賛同し、称賛する活動というものは無価値であり、自身が「これだ!」と思うことに関しては99人が反対することでも信念で、強い意志を貫くことにこそ、世の中に新しい風を吹き込むことができるのだと思います。

誰からも批判されない主張は何の意味もありません。

現在の価値観を変えていかないと世の中は変わらないのに、現在の価値観による評価に縛られていた日本国民。民主主義の欠点が“世間体”という形で増強されていました。 

しかし悲しいかな、そこが突き抜けすぎると現代の時代のニーズに合わず、活動において歪が生じ、どんどん先鋭化し、リスクばかりつきまとうという事実は活動をされている皆様は、一連の事件において受け止めるべきであると僭越ながら私は思います。

今、現在が戦国時代、あるいは幕末時代であるならば、在特会のような活動は国民から支持を得、称賛されることでしょう。

しかし現在、周囲を見渡してください。

戦後70年間アメリカという大国に日本は、犬のように首輪をきつく付けられ、さるぐつわをされ、言うことを聞かないとリードを引っ張られ、無理矢理おとなしくさせられ、日本人に贖罪意識を植えつけたウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムというキャンペーンを繰り広げられた結果、テレビや新聞の情報に疑惑の目を向けない、自身の悩み事をネットで赤の他人に解決していただき、その答えに惑わされたり、自身でものを考えられない、自身と向き合えず、他人に依存しすぎる思考停止人間のほうが圧倒的多数を占めています。

正直、保守の中でもこういった方々は非常に多いと思います。

数々の偉人を生み出した立派な大和民族から堕落し、夢も希望もない事なかれ主義の大和民族が大半を占めるなか、在特会のような活動が大衆受けするわけもなく(笑)

世界基準での諸外国のデモ隊は健全な愛国心を持ち、危機感を持ち、正しい歴史認識をされ、自立している人々ばかりなので、常に変異を察知し、悪には立ち向かい、抗議するという主張をしますが、いまの日本人は、物事の善し悪しをすべて曖昧にし、喧嘩は極力避けて通り、なんでも平謝りすることで危機を乗り越え、白黒をつけることのできない自己主張の苦手な情けないオカマ民族になってしまいました。

そのようなオカマ共を覚醒させるには、個々人が犠牲を払い過ぎる運動では割に合いません。

私は桜井会長の退任を受けて、敬意を表する部分もあり、彼しか成し得なかったこともたくさんありますので感慨深いものもありますが、「チョンコを殺せ!」と叫んだことで巻き起こした現象、S少年に散々振り回された行動する保守運動、この当事者であった人物たちは、このことをまるでなかったかのようにし、誰も総括していません。

思想なき運動などあり得ないのですから、総括なき運動などもまたあり得ないのです。

過ちはあってよいのですが、総括をしないと愚行を繰り返すのです。

関西界隈の悪いところは、自らの行動を省みずに思考停止することです。これでは運動どころか人生もおぼつかないでしょう。生きる知恵が欠落しています。

運動も人生も仕事も自己責任ですから、何に価値を見出すかは個々の判断と責任でやれば良いとは思います。

しかし振り返って自身を見つめ直し、人生の分岐点ごとに総括をしていかなければ人としても運動体としても成長も前進もしない。

誰も西村斉にも荒巻靖彦にもなれないのです。

デモ以外は、ひとりで出来ることばかりですから、安易に妥協をして群れることに何の意味も見出すことは出来ないというのが、いまの私の考えです。

仲間であることを優先して思想を二の次にしなればならないような仲間関係は私にとっては恥ずべきものです。

大事な仲間、同志であるからこそお互いに尊重しあい切磋琢磨して人格や思想を磨き上げなければならないのではないでしょうか。私達の運動はデモや街宣など衆人の中で行い、世間にものを言っているのですから、お手本となるべきです。

ですが、私達は人間ですから、心底、不条理なことを目の当たりにして憤慨してしまう出来事に出くわすこともあるでしょう。そういう際には我慢せず感情を出せばいいと思います。

私にとっては市民運動とは、いまは緊張感のあるもので、趣味や遊びの延長ではありませんから運動中に必要のない私語をする方、タバコを吸う方、だらしなく座り込む方、敵ならまだしも、敵でもない通行人に悪態をつく方、参加者が多いにもかかわらずビラ1枚も配ろうとせず、ただボーッと突っ立ってる方、リーダーの言うことが聞けない、このような方々とは一緒に運動をしようとは思いません。

居酒屋保守運動をしたいのであれば、活動後の懇親会目当てのだらしない集まりに行けばいいだけ、席をはずせば良いだけの事で、わざわざ無様な姿を世間に晒す感覚が理解できないのです。それほど生真面目にする必要もあまりありませんが、運動の場では張りつめた空気は必要であると思います。

俯瞰的、客観的に自身の運動を冷静に分析して表現する能力を磨いていかなければ、内なる知識を如何に身につけても大衆運動には不要な人物になるのだと思います。

運動は自己の人生と切り離すことができない一体のものですから、ニックネームや偽名、サングラスやマスクで別人格になりすまし、活動しているようでは自身にも他人にも迷惑がかかると私は思います。

サングラスにマスク、それは私達が忌み嫌う反日朝鮮人、過激派テロリスト集団と同じなのです。保守は何もやましいことのない、清廉潔白さを示していかなければ。

ハッキリ言えば、公安に対しても堂々と名前を言えて、身辺調査を根掘り葉掘りされても、どんとこい!の覚悟が必要です。

すべての責任は自身が背負い、どんな災いにも逃げない、すべて一心に受け止める姿勢を、自身を強く奮い立たせるためにサングラス、マスク、偽名はやめるべきです。

本名で活動できないのであれば、いつでも自身や有事から逃避してしまう人格を作り出してしまうことを忘れてはなりません。私もブログでは、“ジェリー”と名乗っていますが、名刺にはきちんと本名を載せています。

私が心から信頼し、尊敬している活動仲間も、みんな本名です。彼らの行動力、信念には脱帽です。

私は、まだまだ人様に偉そうに言える身分ではありませんし、まだまだ不完全です。しかしこれが私が今まで活動のなかで経験したうえでの運動論という感じでしょうか。

ニュースを見ていると、公安の方々も日本のために本当によく頑張ってくださっていますね。頼もしいです。

上手くまとまっていない駄文をお許しくださいヾ(^-^;)








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