ハンマーを手にした若者たちが、喜々として壁を砕く。その光景を記憶する人は少なくないだろう。

 1989年、ドイツの現首都を分断していた「ベルリンの壁」が市民の手で崩された。

 旧東欧諸国の民主化や2年後のソ連崩壊の幕開けとなる出来事だった。世界の運命と価値観を半世紀にわたって支配した「冷戦」は終わりを告げた。

 世界核戦争の恐怖は遠のき、自由と民主主義の勝利をみんなが祝った。あの時ほど希望と解放感に満ちた時はなかった。

 あれから、今週の11月9日で25年を迎えた。

 いま、感動はどこかに消え失せたように見える。世界から紛争はなくならず、むしろ増えた感さえある。日本の周辺では、冷戦さながらの緊張が続く。

 欧州でも、ソ連を引き継いだロシアはいったん欧米と協調路線を敷いたものの、プーチン政権になって牙をむいた。ウクライナの政変に乗じて領土の一部を併合し、欧米への不信感をあらわにしている。

 あたかも、冷戦が復活したかのようだ。四半世紀を経て、世界は結局元に戻ったのか。

■市民の取り組み続く

 旧東欧や旧ソ連の国内に目を向けると、実は、冷戦時代とは様相が異なっていると気づく。市民社会が、少しずつだが確実に根づいているのである。

 旧東欧諸国やバルト3国は、民主化を順調に進め、欧州連合(EU)への加盟も果たした。時には人権侵害やトラブルが問題となろうとも、民主国家としての地位を固めつつある。

 旧ソ連諸国では自由や民主主義への戸惑いがまだ残る。権威的な政権が多く、腐敗もめだつ。特に、ナショナリズムに訴えるロシアの反動ぶりが際だっている。

 にもかかわらず、これらの国でも、少しずつ変化が見られる。その運動の先頭に立つのは、地元の若者たちだ。

 親ロシア派との間で混乱が続くウクライナでは、首都キエフの若手ジャーナリストたちが3月、報道の自由を掲げた団体「ストップ・フェイク」を立ち上げた。

 プーチン政権の影響を受けるロシアのメディアでは、チェチェン紛争と見られる残虐な映像をウクライナだと紹介するなど、政権に都合の良いプロパガンダもあふれる。ロシアとの事実上の紛争を抱えるウクライナ社会には時に動揺が走る。

 若者らの試みは、これに対抗するものだ。10人あまりのメンバーが新聞やテレビをチェック。毎週スタジオに集まり、偽報道を正す数分の番組を収録してインターネットで流す。

 ロシアに限らず、自国の情報も監視の対象だ。立場を問わず誤りを問うことが、民主化への一歩と考えるからだ。

 「以前に比べ、あからさまな偽情報は減りました。少しずつ成果は上がっています」。団体創設者でテレビ局記者のマルゴ・ゴンタルさん(26)は語る。

■生活に浸透する変化

 ロシアでも、すべてのメディアが政権にすり寄っているわけではない。今年のノーベル平和賞候補といわれた独立系の日刊紙ノーバヤ・ガゼータをはじめ、権力に抗するメディアもある。人権擁護や環境保護をめざして地道に活動を続ける団体も少なくない。

 「華々しい革命や政変よりも、むしろ日々の生活の中で、民主化は少しずつ進んでいる」。ウクライナの作家ドミトロ・ビドリン氏(65)は語る。

 こうした動きを盛り上げ、勇気づけたい。

 壁の崩壊後、欧米のNGOや学生団体が大挙して旧東側に入り、大衆運動のノウハウや公正な選挙の実施方法について助言や協力をすることで、市民社会の育成を助けた。このような試みが、今後も必要だ。

 もちろん妨害もあるだろう。そこでひるんではならない。政権がどう言おうと、多くの市民は支援を待ち望んでいる。

 わが国でも市民レベルでどんな支援が可能か知恵を絞ろう。地図の上では欧州と反対側とはいえ、日本はロシアの隣国だ。

■わが足元は大丈夫か

 振り返って旧西側諸国の民主主義は、大丈夫だろうか。旧東側に先輩風を吹かせるだけの余裕があるだろうか。

 近年、主要国の民主主義はほころびを見せる。欧州ではポピュリズムが伸長し、差別的な言説が人気を集める。わが国と同じように、排外主義を叫ぶ集団が大手を振るう。

 グローバル化が進み、国や地域の壁が薄れる一方で、不安をかき立てるナショナリズムも、逆に台頭した。ベルリンで崩したはずの壁が、人々の心の中で復活を遂げている。

 あの時誇ったはずの民主主義からどうして、このような事態が生まれたのか。

 25周年を機に、もう一度、足元の民主主義のあり方も考え直したい。