人が「死ぬ」ということ

いつからかは定かじゃないが、かなり小さい頃から考えていたように思う。人は死ぬとどうなるか。死について初めて考えた時のことを覚えている。自分はベッドに横になっていて、なかなか寝付けない。とても静かで、家が山の上にあるせいか周りに光はなく、目の前はただただ闇。その闇を見ていると自然と自分が死ぬときのことを考えた。死んだ時、今の自分はどうなってしまうんだろう・・・。そう考えると急に恐ろしくなり必死に寝よう寝ようとするがやはり眠れない。そういった記憶だ。

 

それから自分には死ぬことに対する恐怖が常につきまとっているような気がした。その恐怖に抗うために死後についての話をいろいろと聞いた。死後の世界はない、天国、輪廻転生、解脱。どの話も自分としてはしっくりこなかった。というよりどれも自分の死に対する恐怖を和らげてくれるものではなかったというのが正しいかな。

 

死後の世界はない → 怖い

天国 → 永遠 → 永遠に自分であり続ける → 怖い

輪廻転生 → 結局自分である意識はなくなる → 怖い

解脱 → 無理

 

普通に考えたら「無」なんだろうけど、臨死体験の話もあるしなーみたいなね。まあでも、あれはどう考えても心肺停止して脳の細胞が完全に死滅するまでにみる夢としか思えなかったのでイマイチ納得できず。。。

 

そういうわけで何がどうあれすべて怖いという結論に達してしまい為す術がなくなってしまった。これはどうしようもないなと。怖い怖いと感じながら生活を続けることになるわけです。

 

すると不思議なもので死ぬことばかり考えていると、今度は自分が生きていることにだんだん意味を見出だせなくなってくる。今、自分が一生懸命生きた所で最終的には死んでしまうんだから意味が無いじゃないかとか考えるわけです。完全に厨二ですね。実際中2だったような気もするが。

 

自分が死ぬのはしょうがないとしても、せめて歴史に名前が残る存在になれば少しは気持ち的にマシに思えるんじゃないかと考えたりもした。しかし、いくら歴史に名を残すような偉業をなした所で人間が永遠に繁栄することなどない。どうせ何万年後、もしくはもっとはやくに絶滅するだろう。だったらやはり意味なんてないじゃないか、というふうになってしまう。

 

そして完全な無気力少年に。。。

 

ちなみに特にぼっち、不登校、非行ということもなく、友達もいて学校にもしっかり通い、成績もそこそこといった充実した生活を送ってたわけなんだけど、内心はどうもね。常にモヤモヤしてた気がする。

 

そして、同じようなことをアホみたいにぐるぐるぐるぐる考えて考えて考え続けた結果。

 

考えるのをやめることにしました。

 

いつそうしたのかな?よく覚えてないけどそうした。考えても答えなんてないし、テンション下がるし、時間の無駄だし。どうせなら今楽しいことをした方が建設的だなということで。こんだけ悩んで考えて駄目ならもう無理だろとなったわけです。

 

もう少し頭が良かったらもっと早く考えるのをやめられた気がすけど、しょうがない。しょうがない。。。しょうがない。。。。

 

なんで急にこんなことを書こうと思ったかというと


絶対に死ぬって怖くね?:哲学ニュースnwk

このまとめを読んでそういえば昔こんなこと考えてたなーと思い出して、ブログのネタも特にないしやっちゃえ!というノリで書きました。

 

でもまあ実際、未だに死ぬことについて考えるとこわいよね。

 

追記:

たまたま今テレビつけたら「NHKスペシャル臨死体験 立花隆思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」やってた。奇遇やねー。