非国民通信

ノーモア・コイズミ

相変わらず酷すぎる神奈川新聞

2014-11-10 23:16:49 | 社会

【社説】文化の日に 萎縮する現状の打破を(神奈川新聞)

 現在の日本はどうだろうか。寛容さが失われ、閉じられているとはいえないか。

(中略)

 端的な例が、インターネットを通して全国に支持者を集めた「在日特権を許さない市民の会」であろう。日本社会で長い時間を生きてきた在日韓国・朝鮮人を他者として排除するヘイトスピーチを続けている。その動きに呼応するように、書店には「嫌韓」「嫌中」本が並ぶ。

 被ばくにまつわる表現が政治家までも巻き込む騒動を巻き起こした「美味しんぼ」の例は、タブーに触れれば社会から攻撃される、という現状を分かりやすく示した。さまざまな意見に向き合い、受け止め、建設的に議論を進めるという健全な動きが見られなかった。

 

 朝日新聞を筆頭に全国紙には酷い報道が目立つわけですが、地方紙がマトモかと言えばそんなことはなく、この神奈川新聞のような類も少なくありません。批判的に論じられる対象として全国紙が挙がるのは、あくまで有名税的なものであって地方紙も質の悪さでは変わらないのだなと思いました。

 ……で、ここで引用したのは神奈川新聞が明治天皇の誕生日に垂れ流していた社説です。なんと言いますかまぁ、桜井誠という通名で知られる在特会の会長やその辺の支持層も「(在日韓国・朝鮮人の)タブーに触れれば社会から攻撃される」と思っているのであろうと推測されるところです。ある意味、神奈川新聞と在特会は根底において通じ合っているような気がしますね。

 福島――の在住者や出身者、農産物や土地――を指して、何ら根拠もなく事実に反して「危険である」「避けるべきである」と主張することが神奈川新聞の言うように「さまざまな意見」であるならば、同様に在日韓国・朝鮮人を「危険な存在である」「有害である」と説くこともまた、「さまざまな意見」と扱われるべきでしょう。福島を「避けるべき危険」と見せかけるデマも多様な見解と正当化されるなら、在日韓国・朝鮮人の存在に警鐘を鳴らす人々の主張も同様ですから。

 全くの妄想に基づいた言論によって何かを排除の対象に仕向けようとする、それが許されるのかどうかは対象が福島であるのか、それとも在日韓国・朝鮮人であるのかによって左右される問題ではないはずです。福島に対するヘイトスピーチが許されるなら、在日韓国・朝鮮人に対するそれも言論の自由の範疇に入ってしまいます。もしどちらのヘイトスピーチも許容するというのなら、ある種のアナーキズムとして筋は通りますが、一方のヘイトスピーチは批判し、もう一方は言論の自由であると主張するのなら、これほどまでに見苦しい身贔屓はないなと感じるところです。

 神奈川新聞の世界観では、「美味しんぼ」は「タブーに触れ」たために「社会から攻撃され」たそうです。在特会の頭の中も、神奈川新聞と同じだと思います。自分たちが「社会から攻撃され」るのは「タブーに触れ」たからである、と。似た者同士ではあるのでしょう。ただ単に、自分たちの妄想によって危険視する対象、排除すべきだと主張する対象が異なっているだけです。

 まず身内を正せない人々は醜悪だな、と思います。隣国を非難するよりも前に、自国の歴史を直視するぐらいできない人は恥ずかしいなと感じるわけですが、今回の神奈川新聞の場合はどうなのでしょうか。福島に関して誤ったイメージを植え付けようとするような言説を否定できない人が、同様に在日韓国・朝鮮人の誤ったイメージを植え付けようとする言動を非難するというのも身勝手な話です。まずは自分の肩入れしている側が間違ったことを言ったときに、それを制止できないのであれば、その人の自浄能力は推して知るべしです。

 

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目次

2014-11-10 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2014/11/10

雇用・経済    最終更新  2014/11/ 5

政治       最終更新  2014/11/ 3

非国民通信社社説 最終更新  2013/12/ 7

文芸欄      最終更新  2014/10/16

編集雑記・小ネタ 最終更新  2013/11/18

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何が必要か考えられた結果

2014-11-08 11:26:33 | 社会

善意の寄贈本に苦慮する図書館 使えるのは1〜2割「何が必要か考えて」(産経新聞)

  各地の図書館が、市民から善意で寄せられる「寄贈本」の対応に苦慮している。すでに所蔵しているものと重なったり、古い学術書などは研究が進んで内容が大きく変化したりと、図書館にとって活用しにくいものが多く、実際に棚に並べられるのは1、2割程度。専門家は「寄贈前に図書館にとって必要か考えてほしい」と訴えている。(横山由紀子)

(中略)

 兵庫県宝塚市の市立中央図書館では、ホームページで、「寄贈はベストセラーや新刊図書、郷土資料などに限る」と告知している。さらに、寄贈してほしい本として利用者からの予約の多い本のランキング表を掲載。同館司書の藤野高司さんは「ベストセラー本はありがたい」と話す。それでも寄贈本はあふれる一方で同館も、リサイクルコーナーを設けて対応している。

 常世田教授は、「寄贈本は本人の手元になくてもいい本であり、図書館が求める方向性と合わないのも当然といえる。寄贈前に、図書館が本当に必要とする本なのか考えてみてほしい」と話している。

 

 ……という報道ですが、「善意の寄贈本」とは何なんだろうな、とも思います。私の知る限りでは、学者が死んで、その遺族が故人の蔵書を処分するために「寄贈」しているケースが多い印象なのですけれど、流石にその辺の統計はないのでしょうか。できれば是非「寄贈」を受ける図書館側には、「これはあなたの蔵書ですか、それとも個人の遺品ですか?」と聞いてみて欲しいような気もします。まぁ難しいことではありますが、「寄贈」の実態をより正確につかむことは必要なはずですから。

 ただ寄贈される本は専ら、図書館側の要望に添うものでないことは今回に限らず前々から繰り返し言われているわけです。曰く「寄贈はベストセラーや新刊図書、郷土資料などに限る」「ベストセラー本はありがたい」と。確かに図書館需要の最大公約数的なものは、無料貸本屋としての役目なのでしょう。話題の新刊、ベストセラーを豊富に取りそろえて、購入することなく流行の本を読みたい市民の要望に応える、それが民意に合った図書館の在り方になっていると言えます。

 まぁ、行政も民意に媚びるのが一般的であるように、図書館もまた例外ではないのだと思います。学術書なんていらない、古い本なんていらない、利用者からの人気ランキング上位に位置する本を複数在庫しておけば、図書館に対する支持率も稼げるというものなのかも知れません。ただ私が思うに、今の図書館は「民業圧迫」になってもいるのではないでしょうか。一般書店の主力商品であるベストセラー本や新刊の書籍を無料で市民に貸し出してしまう、それは民間企業である各書店に不利益を与えるものです。

 民間にできることは民間で、という主張も古くから喧しいところです。そうした主張の中には「それを民間に委ねるのは無理がある」類も少なくありませんが、今の図書館が担っている貸本事業に関してはどうなのでしょう。話題の新刊、ベストセラーを読みたい人の手に届ける、こんな役割はよほどの過疎地でもない限り、民間企業(普通の書店)でも賄えることです。本屋の店頭でも買える書籍のために税金を投じて無料の貸し出しを行う、これは本にお金を使いたくない人の利益にこそなりますが、私は良いことだとは思いません。

 逆に図書館という非営利の公共施設でこそ可能なのは、書店にない本、市場からの需要を失って簡単には手に入らなくなってしまった本、そうした書籍の蓄積です。ただまぁ、それだと利用者が減ってしまうのでしょうね。文化の担い手、知の担い手であろうとすれば、これを利用する人の数は限られてしまう、利用者が減れば予算も削られ図書館の存続も怪しくなる、それを避けたければ民業圧迫など意に介さず、ベストセラーと新刊図書をかき集めて無料貸本屋として市民に尻尾を振る――結果として現状に辿り着いてしまうのでしょう。

 

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自分を守るためには、闘うしかない

2014-11-05 21:56:39 | 雇用・経済

マタハラで頼れぬ、「伝書バトのような」労働局(読売新聞)

 最高裁判決で注目されたマタニティー・ハラスメント(マタハラ)だが、問題解決のために全国の労働局で行われている「紛争解決援助」や「是正指導」の実績は低迷している。

 マタハラに対して罰則規定がなく、行政が企業を強く指導しづらい背景もある。被害者らは「妊娠や出産でハンデを負う女性の立場を理解してほしい」と訴えている。

 ◆「伝書バト」

 「働く女性の味方になってくれるはずの労働局が力になってくれなかった」

 東京都内の会社で働いていた30歳代の女性は振り返る。昨年、長男を出産。産休と育休を計6か月取得したところ、職場復帰1か月前に上司から呼び出された。

 「保育園の迎えや子どもの病気で仕事に穴が開くと困る」。退職の勧めだった。

 驚いた女性は、労働局が間に立って解決を図る紛争解決援助を申し立てた。だが、会社の話を聞いた労働局からは、「お互い譲り合ったらどうか」と、解雇を受け入れて金銭で解決するよう打診された。

 女性は援助手続きを打ち切り、裁判官らが事実関係を調べる労働審判を申請。すると、「解雇は無効」と判断された。

 結局、会社を辞めた女性は、「労働局は伝書バトのように私と会社の主張をそれぞれに伝えるだけで、解決に導いてくれなかった。諦めて会社の提案をのむ女性も多いのでは」と話す。

 

 これは企業名が明示されていませんけれど、似たような事例は多々あるのでしょうか。訴えを起こしたばかりの案件としては「たかの友梨」の従業員が会社を相手取った裁判が挙げられます。これは決して特異な事例ではなく、社会的な注目度が高まれば山のように見つけ出されるであろう問題なのかも知れません。

 

マタハラ被害者を叩く、日本の「現状」を考える(東洋経済)

別の事例をご紹介します。妊娠解雇に遭ったBさんです。Bさんは労働局にマタハラ被害を相談した際、会社側の味方をするような対応をされたといいます。Bさんと会社の間で退職条件が合わないと聞いた労働局は、Bさんのほうに会社側に歩み寄るよう勧めたのです。

「(労働局の)担当者はこれを『譲り合い』と表現しました。とても驚き、傷つきました。また『解雇は無効と考えていない』という発言にも驚きました。

労働局は私の(裁判での会社側への)請求額が高いなどといったことは判断できるくせに、会社側の対応が違法であるとの判断はできないと言います。労働者の味方をしない労働局。こんなお粗末な対応なら、二度と産まないと思ったほどです。これまでを振り返っても、労働局に相談していた時期がいちばんつらかったです」

 

 これが同じケースを報道しているのか別の事例から引いているのかは不明ですが、必ずしも珍しい風景ではないのだと思われます。結局のところ、マタハラに限らず男性でも妊娠していない女性でも同様で、会社と従業員の間の争いにおいて「労働局は役に立たない、むしろ会社の味方」なのではないでしょうか。会社側が一方的に不当な解雇をしていた場合でも、常に中立を装って労働者側に歩み寄りを促す、日本の歪な労使の力関係を演出してきた一因として、労働局の立ち位置は大いに疑われるべきものです。労働局がマトモに仕事をしていれば、こうはならなかったはずですから。

 学校における「イジメ」の問題でも、被害者側が退学させられるケースは決して少なくありません。教師は学校を守るものであって、生徒を守るものではないですからね。学校教師の行動原理としては「喧嘩両成敗」的なものがあって、暴行を加えた生徒と暴行を加えられた生徒の双方に「歩み寄り」を求めるような対応が一般的なイメージが強いのですけれど、どうでしょう。ちょうど、労働局の対応と似ていますよね。中立の立場として双方の言い分を聞く――そして双方に「歩み寄り」を求める、それが学校教師にせよ労働局にせよ「偏りのない対応」として染みついているように思います。

 あるいは逆に、「こっちを黙らせた方が簡単だな」と判断されてしまうこともあるのではないでしょうか。警察とかを相手にしたときなど特に顕著ですが、そういうことはありますよね。つまり片方が弱そう、大人しそうで、もう片方がうるさそう、強そうであった場合、前者を黙らせた方が簡単に問題が片付くわけです。学校のいじめ問題でしばしば教師が加害者側に荷担しているのは、被害者に泣き寝入りさせる方が加害者を制するよりも簡単だからです。被害者が泣き寝入りしている限り、いじめ問題は顕在化しない、学校にとっては平穏が保たれますから。

 労働局が間に入るような類でも同様です。横暴な会社組織と、職を失って困窮する個人とでは、与しやすさが全く異なります。労働局としては、どっちを引き下がらせるのが簡単なのでしょうか。答えは言うまでもありません。会社に「譲らせる」のは容易なことではないですけれど、弱い立場に追い込まれて労働局に泣きついてきた人間に「譲る」ことを迫るのは、至って簡単なことです。そこで労働局にとって問題を解決する上での最善手がどうなるのか――その結果として出てきたのが、上で紹介されているような事例と言えます。

 我々の社会で平和的に物事を解決するためには、相手を威嚇できる能力が必要なんだな、と思います。冒頭の事例で原告となった女性が、労働局の職員が震え上がるような恐い人であったなら、対応はずっと違ったことでしょう。わざわざ裁判で争うこともナシに問題を穏便に片付けることができたような気すらします。しかし、弱い相手と思われたら残念ながら、闘うしかありません。痴漢に遭いやすいのは色っぽい女性ではなく、専ら大人しそうな女性です。せくしーなお姉様でも、ちょっと男が怯むような迫力をお持ちであれば、痴漢と争うこともない、しかし弱々しい女性ですと痴漢につけ込まれやすく、それを警察に突き出すなどして闘う必要が出てくるものなのではないでしょうか。もとより会社からも「コイツは敵に回すと厄介だな」と思われていれば解雇されなかった可能性がある、逆に「コイツは聞き分けが良さそうだ」と思われれば会社は遠慮がなくなるものです。

 

一般的にいって、アメリカ企業は日本企業よりダイバーシティマネジメントが進んでいます。グローバル経営しているとか、人権意識が高いといった前向きな理由もありますが、雇用差別が経営にデメリットをもたらす仕組みが、企業に規律をもたらしている側面もあります。そしてその仕組みを担保するのがEEOCなのです。

たとえば、性差別訴訟に関連して、モルガンスタンレーは2004年に5400万ドル、ボーイングは2010年に38万ドルの和解金を支払っています。どちらの事例もEEOCのサイト内で社名を検索すれば、関連情報をまとめたプレスリリースを見ることができ、会社側が性差別の事実をどのようにとらえているか(否定していることもあります)、詳しい背景を知ることができます。

対照的に、日本の労働局雇用均等室のサイト内で、過去に性差別賃金訴訟で負けた企業名を入力しても、このようにわかりやすくまとまった文書は出てきません。マタハラ被害者からは、自分と同じような経験をした人をインターネットで探したものの、情報が得られなかったという声も聞きました。過去の事例もわからない中、被害者自ら立ち上がらなくてはいけないのが、日本の現状なのです。

 

 差別的な理由による解雇が横行している、という点で日本はアメリカに比べて解雇規制が実質的に緩いと言えます。このような社会においては、「個人的に闘う」という選択肢を選ぶほかはありません。誰しも、自分を守らなければなりませんから。善良な市民であれば、会社にも労働局にも「与しやすい相手」と見なされて不利益を被る、そういう仕組みができあがっているのが日本社会なのではないでしょうか。そうである以上は、相手にとって「嫌な人間」になるしかありません。聞き分けの良い人間になってしまえば、結局は会社や労働行政にとって都合の良い人間にしかなれないのですから。

 

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都合の良い話

2014-11-03 12:18:30 | 政治

首相「撃ち方やめに」 閣僚らの政治資金問題で(共同通信)

 安倍晋三首相は29日、自民党の萩生田光一総裁特別補佐と党本部で会談し、閣僚や枝野幸男民主党幹事長らの政治資金問題を念頭に「誹謗中傷合戦は国民の目から見て美しくない。『撃ち方やめ』になれば良い」と語った。

 菅義偉官房長官は記者会見で、枝野氏の後援会が、2011年分の政治資金収支報告書に新年会の会費収入を記載していなかったことに関し「疑念が生じることがあれば、説明責任を果たすべきだ」と述べた。

 

 ……てな報道もありまして、ここでの「撃ち方やめ」という発言は朝日新聞の捏造であると安倍総理は主張したりもしていたそうですが、従軍慰安婦問題もそうであるように、別に朝日新聞がソースになっているわけではないと思います。そりゃ朝日新聞の報道の質の低さと反省の見えない姿勢には私も辟易しているところですけれど、従軍慰安婦問題も「撃ち方やめ」も決して朝日新聞が起源ではありません。その辺は、弁えておくべきではないでしょうかね。

 それはさておき自民党の新閣僚の金の問題が騒がしくなる中で民主党の枝野にも政治資金問題が見つかったわけです。まぁ枝野も元から大概ですし、よほど管理の行き届いている人でもなければ「探せば出てくる」ものなのでしょう。ただ野党議員だったり、与党所属でも閣僚ポストから遠いところにいる限りは探りを入れてくる人がいないだけの話です。新たに大臣に就任してニュースバリューの高まった政治家の金の動きが集中的に叩かれるだけで、本気になって探っていけば枝野に限らず民主党側にも不正な金の使い道は見つかるはずです。まぁ不毛な話ですが、かといって「撃ち方やめ」で済ませられる問題だと考えているのなら、それは都合のいい話だと思います。

 

予備自衛官雇用で法人減税=企業優遇策で定員確保へ−政府(時事通信)

 政府は1日、民間で働きながら有事には自衛隊員として活動する、自衛隊OBの予備自衛官を雇用する企業を対象とした法人税減税の検討に入った。予備自衛官は定員割れが続いているため、企業に雇用を促し有事に備えた定員を確保する狙いがある。

 防衛省は年末の税制改正をめぐり、予備自衛官を新たに雇用した企業には、雇用人数に応じて法人税額を控除する仕組みを創設するよう財務省に提案。防衛省案では雇用1人当たりの控除額を10万円とし、雇用人数の上限は設けない。

 予備自衛官は退職した自衛隊員の中から採用され、平時は民間企業などに勤務しながら毎年5日以上の訓練を部隊で受ける。東日本大震災で初めて招集され、行方不明者の捜索や医療支援などの任務を行った。

 定員は4万7900人だが、仕事を休んで訓練に参加することに企業の理解を得られないなどの理由から希望者は少なく、途中で予備自衛官を辞める人も多い。充足率は約7割で低迷している。

 

 一方「撃ち方やめ」と首相が語っている裏では、予備自衛官の不足という問題が発生しているそうです。教育や福祉に対しては予算を削ることしか頭にない財務省ですけれど、軍事に関わることならば理解も得やすいでしょうし、法人税減税は財務省にも好まれるところだけに、この提案の実現性は割と高いのかも知れません。しかしまぁ、従業員の研修先として自衛隊が圧倒的な人気を誇る一方で、予備自衛官としての活動に企業の理解が得られていないというのも不思議な話ではないでしょうか。会社の偉い人は新人達に自衛隊員のようになって欲しいと願っているはずなのに、本物の自衛隊員を自社に加えようとはしないなんて。

 まぁ一部では工場や寮の監視役に自衛隊OBが積極的に起用されているところもあるようですので、自衛隊出身者が好まれていない、というものではなさそうです。ただ会社側としては、予備自衛官としての活動として訓練のために仕事を休んだり、非常時に招集を受けることでやはり仕事を休むことになる、そういう事態を嫌っているのでしょう。この辺は、社員の辞職を巡る会社の反応と似たようなところがありそうに思います。若手がすぐに辞めてしまうと嘆く一方で、社員をもっと簡単に解雇できるようにしたいと我儘を言う、そんな企業側の言い分に近いものがある、と。

 要するに、会社は従業員を完全に支配したがるものです。だから、自衛隊に体験入隊させて会社の兵隊に仕立て上げようともするわけですが、その反面では本物の予備自衛官が会社の命令ではなく部外者(行政や防衛省など)の都合で駆り出されるような事態は好まないのでしょう。日本において、社員は会社の意のままになる存在でなければなりません。自衛隊員のようになることは望まれても、本物の予備自衛官として会社ではなく他の組織の命令で動いてしまうような人は日本の会社では受け入れられにくい、それが現状に繋がっているように思います。やれやれ、新人研修に自衛隊を使う会社には予備自衛官の受け入れを義務付けるとか、それぐらいした方が良いのではないでしょうかね。

 

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上司が仕事の邪魔をしなければならない理由

2014-10-31 22:55:49 | 雇用・経済

 さて先日の記事の最後の方で、畑違いの分野から異動してきた人が部門のトップになったときが云々という話を持ち出しました。日本の職場では珍しくも何ともない当たり前の人事ですけれど、この無関係な領域から異動してきた新たな上司が現場に迷惑をかけるような提案ばかりを繰り返す、そういう場面に遭遇してしまった人は多いと思います。部門の長は内情に精通している人間の中から選んで欲しいところですが、まぁ異動ありきで部署の固定を嫌う日本的人事では、そうもならないのでしょう。

 ……で、他部門から異動してきた上長に限らず元から部署にいたはずの人も含めての話となりますが、己の働きをアピールすべく頓珍漢な業務改善案を連発しては、実際の業務に当たる人の仕事を妨害してくれるわけです。どうしてこうなってしまうのか、仕事がわかっていない人は黙っていれば良いのにと私などは思うのですけれど、なかなか大人しくしてくれないのですから困ります。本当に必要な仕事をこなしつつ、それと平行して上司の接待までする羽目になってはたまったものではありません。

 原因の一つとしては一つ上の段落で触れたような、畑違いの異動ありきで職分を固定しない日本的人事があると言えます。そうなると必然的に、前所属では成果を上げたけれど新たな部署のことには疎い人が定期的に配属されることになるわけで、これがヒラの人事ならともかく部長クラスから上の人事ともなりますと、まぁ下で働く人間にとっては迷惑極まりない結果にしか繋がらないのが実情です。そしてもう一つが、日本の職場はアピールが大切、ということでしょうか。

 黙って着実に仕事をこなしているだけでは、日本の職場で評価されることはありません。人事権を持つ人に認められたいのなら、自分はいかに仕事をしているか、それをアピールすることに労力を費やす必要があります。この辺は別に上も下もなくて、まぁ末端の営業でも「いかに巧みに業務日報を書き上げるか」に苦労させられた人もいるのではないかと思うところです。「上」に対して絶えず己の成果を報告し続けなければならないのが日本で働く人の務め、それは終わりの見えない世界です。

 転職活動なんかでも、前職において何かを「変えた」という実績のアピールが頻繁に文例として紹介されているものですが、まぁ人事権を持つ人が好むのはそういうものなのでしょう。「変えない」ことが最良の選択肢である場合は少なくありません。しかし成果と認められるのは常に「変える」ことの方です。何も変えることなく、従来通りのやり方の継続によってこそ好成績を維持できることもあるわけですが、それでは「何もしていない」と査定されかねないのではないでしょうか。その様な評価を回避するためには、必要がなかろうとも「変えた」という実績を作らなければならないと言えます。

 野球やサッカーで言うならば、「監督が動いたから勝てた」という評価を作ることが、日本の管理職には求められているように思います。監督が余計な動きを見せない方がチームにとっては好ましいケースは多々あるのですけれど、それで勝っても上司は「何もしていない」と評価されてしまうわけです。ヒラ社員が業務日報などであれやこれやと「新たな」成果を盛ることを迫られるのと同様に、時には部門長クラスでも役員層から(そして経営層でも株主から)「どんな仕事をしたか」を問われているはずです。そうである以上は、何かを「変える」しかない、そうでないと仕事をしていないと見なされる、無能な中高年だの働かないオジサンだとの経済誌風に罵倒され、リストラ対象にされかねないですから。日本的人事の元で生き残るためには、仮に現場の業務を妨害しようとも上司は「自分が動いたから上手く行った」と言える材料を作らなければならない――まぁ生産性が低くなるのは致し方ありませんね。

 

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仕事が減らなきゃ休めるわけがない

2014-10-28 23:16:47 | 雇用・経済

有給消化で「秋の9連休」構想 取得促進と地域活性が狙い 実現へ疑問の声も…(フジサンケイビジネスアイ)

 有給休暇の消化を促すことで、秋に大型連休を誕生させる構想を政府が検討している。特に土、日曜と祝日が連続する2015年9月は暦の上では5連休となるため、谷間の平日を有給休暇とすれば最長で9連休が可能となる。政府は働き方と休み方の改革で有給休暇の消化率を高め、仕事と生活を調和する「ワークライフバランス」の実現を後押しするだけでなく、観光需要を伸ばして地域活性化につなげる「一石二鳥」をもくろむ。ただ、新たな祝日は導入せず、有給休暇に頼った「秋の大型連休」には実現を疑問視する声もあり、課題は多そうだ。

(中略)

 政府が国民の休暇増加に向けて議論に取り組む背景には、日本の有給消化率の低さがある。世界最大級のオンライン旅行会社、米エクスペディアの「有給休暇・国際比較調査」によると、13年に日本の有給消化率は39%と主要24カ国の中で最下位。100%のブラジルやフランスに遠く及ばず、70%で23位の韓国と比べても低さが際立つ。

(中略)

 有給消化率を上げるために議論の俎上(そじょう)に載ったのが秋の大型連休だ。9月としては09年以来6年ぶりとなる5連休が15年にあり、谷間となる平日の木、金曜に有給休暇を取得すれば9連休が可能となる。

 

 これ、単に「休みを繋げる」というだけで、決して「休みを増やす」プランではないのですよね。本来は労働者の自由に行使できるものであるはずの有給休暇を、特定の月日に使用させようと圧力をかけてみるという、まぁ色々な意味でナンセンスなプランでしかありません。政府の大号令で全労働者に有給休暇を一つプレゼントしよう、指定の時期に休めない人には代休を付与しようとか、そういう話なら筋は通りますけれど、実態は酷いものです。

参考、それで残業が減るわけがない

 ノー残業デーを設ける企業も増えているわけですが、会社で働く人の多くにとっては「迷惑な話」にしかなっていないのではないでしょうか。これまた「ノー残業デーだから早く帰るように」と指令が飛ぶ一方で業務量が減ったりすることはない、ノー残業デーだからと定時で帰ってしまえば翌日にツケが回るだけ、ノー残業デーの分だけ別の日の残業量を増やして対応せざるを得なくなるだけ、そんな職場も多いと思います。

 結局のところ有給消化率を上げろと政府が音頭を取ったところで、有休を取った分だけ他の日の仕事が厳しくなるような労働環境が手つかずである以上、やはり迷惑を被るのは現場の人ばかりという点には変わりがありません。仕事の負担が減れば自然と残業も減る、有給取得率も上がろうというものですが、残業を減らせ、有休を消化しろと号令をかける上長はいても、仕事を減らしてくれる人は見たことがない、結局は「自分で何とかするしかない」わけですよね。

 むしろ自分の工夫や頑張りで何とかできる、つまり仕事を早く片付けて残業せずに帰ったり有休を使ったりできるのなら、まだしもマシな方なくらいではないでしょうか。お偉いさんの思いつきであれやこれやと無意味な仕事が増やされる、そういうことだって多いはずです。ありがちなのが、畑違いの分野から異動してきた人が部門のトップになったときですかね。日本では珍しくない人事ですけれど、業務の実態を理解していない上長が「自分の働き」を役員層に示そうと頓珍漢な業務改善案を持ち出して現場の人間の邪魔をする、みたいなことも多々あります。アホな上層部の尻ぬぐいまでしなきゃならないのですから、なかなか悠長に大型連休など取ってもいられないわけです。やれやれ。

 

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政治家の事務所も民間企業もトップは基本的にバカなので

2014-10-26 11:45:50 | 政治

 さて先週は国会議員――というより新閣僚の金銭問題が大いに騒がれました。日本では政策上の誤りよりも金銭問題こそが致命傷に発展するもの、ヘイトスピーチや歴史修正主義で国際社会から懸念を表明されても国内的にはどうということもないのが我が国ですが、女性問題と金銭問題は進退に直結する死活問題です。そういう日本の政治風土においては女性問題に結びつきにくい女性政治家の積極起用はある意味で安全策なのかなと思ったりもしました。まぁ、某女性議員が男性スポーツ選手に無理矢理キスしたとか、後援する側の権力者と後援を受ける側のスポーツ選手という間柄であれば立場を悪用した強要であり女性から男性に対してであろうとセクハラと訴えられれば否定のしようがないだろうという一件もありましたけれど。

 それはさておき、公の金の使い道としてはどう見てもふさわしくないであろう支出を続々と指摘されてポストを降りた大臣に代わって新たに着任した閣僚が、今度は政治活動費でSMバーの領収書を切っていたことが判明して話題を呼んでいるわけです。ふむ、これがゲイバーですとか、同性愛者向けの店舗であったならば性的マイノリティの意見を聞くため云々とか言い訳もできそうですが、SMバーで理解を得るのは難しそうですね。第一次安倍内閣でも就任早々に疑わしい金の使い道を追求されわずか8日で辞任した農水大臣もいました。マスコミや野党によって一夜にして金銭問題が暴かれてしまう政治家には事欠きませんけれど、調べれば簡単に分かることなのでしょうか。そうであるならば、まずは自民党側で閣僚起用する前に「身辺調査」をしておいた方が無難に思えます。第三者が速やかに指摘できるような類を「身内」の側が気づけないというのも不思議な話です。

 でもまぁ、民間企業だってそうです。不適切に金が使われているなんてことは民間企業でも当たり前にありますし、それをトップが把握できていないことも当たり前、身内の人間が問題視せずに長らくスルーしていることなんてのも当たり前です。私にように会社に馴染めない人間からすれば容易に見つけられる不正でも、会社に馴染んで順調に出世していく人の目には全く映らないものなのだと思います。税金が原資の政治資金の使い道が厳しく問われるのは当然との声もあるわけですが、営業が靴を磨り減らして稼いできた会社の金が無能な上層部のためにドブに捨てられてしまうような事態は決して珍しくはないところで、この辺だって十分に市民の怒りを買ってしかるべきことと言えます。

 会社の偉い人が思いつきで改革を唱えては現場の人間に迷惑をかける、それは日本の職場の至って日常的な光景です。蟻一匹の侵入を防ぐために膨大な予算がつぎ込まれヒラ社員の稼働が大幅に増やされるなんてことも多々ありますけれど、そういうのを目にする度、「上の人には何が見えていないか」を下の人間が徐々に理解していくところもあるのではないでしょうか。社長や役員達が気にしているのは○○のことばかり、でも△△のことは何も把握できていない――そういうことを実際の業務に当たる人々は何となく分かってしまうものです。そして「上」が見えていない部分では不正が行えることにも気づいてしまうわけです。

 自分の勤務先でも、ある分野では必要以上に厳密に対策が取られている一方、完全にザルとしか言い様がない分野もあったりします。社長の目が節穴であることを利して会社の金を悪用しようとする余地は、たぶんどこの会社でもあるのでしょう。トップの周りに侍るのは「上」に良い報告をすることしか考えていないような人ばかり、傘下の不正を暴露して「何で今まで放っておいたのだ」と咎め立てされるリスクを冒そうとする人は滅多にいません。そうして「不適切な支出」は継続されてしまうわけです。政治家の金の問題も同様、トップが無能であることにつけ込んでテキトーに金を使う人もいて、それが組織の中では当たり前になっている、第三者にスキャンダルとして暴かれるまで、改めることなど誰も考えないのです。

 

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できあがったイメージ

2014-10-22 22:58:45 | 社会

 税率の低い国に法人を設け、会計上の操作で「本国」で課されるべき税金を免れる、しかも納税先の国でも特別な優遇措置を受けて同国内の他の企業よりも低い税金しか支払っていない、製造は専ら中国に外注して国内に雇用をもたらさない、そして中国の外注先は抑圧的な労働環境で名高く、新製品の紛失でもあれば情報漏洩の疑いで従業員を監禁し自殺に追い込むなどの横暴さでも知られている――そんな企業を、いわゆる左派の論者はどんな風に語ってきたでしょうか?

 上記はアップル社のことを念頭に置いて書いたのですが、アップルは不思議と悪く言われませんね。時価総額で考えれば、マイクロソフトよりもアマゾンよりも、GEよりもモンサントよりも上位に位置する、巨大企業の象徴でもあるはずです。世に悪質な中小零細企業は山とあれど、表だった批判に晒されるのは専ら世間に名の知れた大企業であって、その辺は有名税的なものもあるのでしょう。影響力の強い大企業ほど厳しい視線に晒されるのは責務――のはずですが、アップル社が叩かれないのは、何か秘密でもあるのでしょうか。

 私なんかはフェアトレードの観点からアップル製品は決して買わないことを心掛けていますが、フェアトレードの賛同者や、大企業のやり口やグローバリズムに批判的な人々からも概ねアップル製品は好意的に受け止められているように思います。アップル製品の何が凄いのか私には分からないのですけれど、それこそが故ジョブズの魔術だったのかも知れません。何でもないものを魅力的に見せかける、既に市場にあったものを革新的に見せかける、巨大資本の実態を隠して企業イメージを高める、そうした能力においてジョブズは空前絶後の天才であったのでしょう。

 

帰りたい通知代理サービス「帰らせ屋」が開始(R25)

年末に向け、イベントごとでなにかと忙しくなってくるこれからの時期。日本でもすっかり定着したハロウィンのほかにも、クリスマスに向けて合コンに励んだり、彼女とのデートを充実させたり…なんて人も多いだろう。しかしその一方で、参加したくない飲み会や残業が増えてくるのもこの時期の特徴だ。

実際、ビジネスパーソンはどんな気持ちでいるのか。各種のアンケートデータを見てみよう。マイナビスチューデントが2012年に社会人400人に行った調査では、会社での飲み会は「めんどう」と答えた人が62.6%にも及び、gooランキングが今年3月に発表したランキングでは、「会社の飲み会に参加したくない理由」の1位に「二次会、三次会…と長時間にわたって拘束される」がランクインした。また、ぐるなびが2012年の4月に発表したデータでは、社会人3年目の男女105人の「職場の飲み会に行きたくない理由」の第1位が「プライベートの時間を大切にしたい」(51.4%)となっており、「早く帰りたい…」思いを抱くビジネスパーソンは少なくないようだ。

 

 ……で、前振りの方が長くなりそうな感じですが「定着してしまったイメージ」ってものがあると思うわけです。実態とは異なるのに「こうなのだ」というイメージがいつの間にか固まっていて、それが信じられている、そんなことも多いのではないでしょうか。アップル社の場合もそうですが、例えば「日本人は時間にうるさい」みたいなのも典型的だと思います。どんなに電車が遅れても定刻通りと信じて疑わないのはまだしも、終業時間になっても帰らないのが普通に受け入れられている国民性が「時間にうるさい」とは、とうてい考えられませんけれどね。

 この終業時間に関して、日本ほどルーズな国はなかなか見られないのではないでしょうか。日本「以外」では、終業時間が来たらさっさと帰ってしまう、そんな時間にうるさい人が多いはずです。しかし日本人は、ヨソの国の人ほど時間を気にしたりはしません。あるいは日本の労働時間の長さの要員として槍玉に挙げられやすい長時間の会議もどうでしょう、誰かしら遅れてくる人のために開始までダラダラと待たされた挙げ句、終わりの時間など全く考慮されずに延々と続くばかりです。全く、どうして日本人はこうも時間に無頓着なのかと私などは呆れる他ありません。

 そして引用した飲み会の類も同様です。残念ながら見出しにある「帰らせ屋」はジョークの域を出ないように思われますが、こういう需要が出てくる下地のあることは窺えるのではないでしょうか。とかく時間にルーズな日本人は、他人の都合など考えずに相手を長時間付き合わせるもの、時間の区切りを設けようなどとは考えていない人が多いわけです。そこに嫌気を感じる人もまた多いのですけれど――そこで時間を気にすれば「日本人は時間にうるさい」とふんぞり返って逆ギレする人も多いのかも知れません。日本人は時間にうるさいのではなく、他人の時間を奪うことに無頓着なだけだにしか見えないのですが。

 

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知への憎しみ

2014-10-19 22:20:43 | 社会

 先日は子供の運動能力が低下云々という報道を取り上げまして、学力調査の場合と違って運動能力調査は国際比較が出てこないのはどうしてだろうな、という話を書きました。日本では体力の高低は大いに気にされるものですが、ヨソの国は違うのか、なぜ他国との学力調査結果の優劣に一喜一憂するのに運動能力調査の結果を別の国と比べようとするメディアが皆無なのか、その辺が私には気になったわけです。

 スポーツ選手になるのか、あるいは肉体労働者になるのか、それとも狩猟採集の生活を送るのか、そういう人生設計であるならば体力の高低は死活問題かも知れませんが、もう少し体よりも頭を使って働くことを将来的に期待されるような社会では、日本ほどには体力・運動能力調査の結果を気に留めたりはしないはず――そんな風にも書きました。そういうところもあるのではないでしょうか。次世代には、より知的になって欲しい、頭を使う仕事について欲しいと願う社会と、単純に安価で従順な労働力ばかりを求め続ける進歩のない社会とでは、「体力・運動能力」のニーズは大いに異なってくるものですから。

 四半世紀ほど前まで、日本の大学進学率は至って低いものでした。それがバブル崩壊もあって就職難が始まったのと歩調を合わせるように大学へと進む人の割合は急上昇へと転じたわけですが、そうは言っても現在でも進学率は5割程度と、まだまだ低いと考えられるべきでしょうか。一方で、この大学進学率の上昇を喜ばないどころか悪玉視する人も少なくありません。挙げ句の果てには近年の就職難の原因を大学進学率の上昇にあると強弁するトンデモさんも、コンサルタントの類を中心に跋扈しているのですから失笑ものです。

 

低収入でも子供を産み、育てられる「発想の転換」(J-CAST)

   しかし終戦直後などは、日本人はもっと貧乏で、子供だって5人も6人もいました。それでも、子供は育てられます。というか育ちます。生き物ですから、食べ物さえあれば育ちます。

   現在でもある種のカップルは、すぐに結婚して子供をたくさんつくります。それは、彼らの頭の中にはこのようなアンカリングポイントが存在しないからです。

   年収350万円のひとが子供を持つには、発想の転換が必要です。塾や習い事もなし、大学はいかないか、ネットでタダのもので学ぶ。大企業に入ることは諦める。単に子供が育てばよい。それで満足する。それでも子供を持つことの喜びは計り知れないでしょう。

 

マララ氏はテロ支援者―教育先行はテロを生みだす(アゴラ)

これは第一に、テロの首謀者としての問題意識を抱くには、相当の教養が必要だということを認識する必要がある。つまり、貧困者が貧困を自覚し、構造的暴力を受ける者がそれを自覚するのは、相当教養がないとできないのである。

(中略)

第三の教育がテロを生みだす理由は、教育はプライドを育てるということである。大学や大学院を出て、パン工場のライン労働者になりたい人間は稀有だということだ。

 

 何でも中東では日本式教育の評価が高いそうで、アラブ首長国連邦などでは日本人学校への現地人受け入れを始めたなんてニュースもありました(参考、日本式教育は中東向き?)。いったい何が、かの絶対君主制の国で評価されたのでしょうね。そして上に引用した二つは、まぁ真っ当なメディアからの引用ではありませんが、日本ではある種の典型的な考え方でもあると言えます。要するに日本では、人々が知恵を付けることを歓迎しない、そういう発想が根強いわけです。

 国内に高等教育を受けた人が増えて国民の知的水準が向上すること、これを好ましいことと考える国もあれば、そうではない国もあるのでしょう。そして日本は、後者寄りであると言わざるを得ません。非民主的な政治体制を持つ国で日本式の教育が高く評価されるのはむしろ反省材料と考えられるべきですが、どうしたものでしょうか。とかく日本では知的労働者ではなく低賃金労働者の需要ばかりが強く、世界経済から取り残される日本の産業界の要望に政治の世界が媚を売る、そんな有様に教育を巡る言論もまた少なからず毒されているような気がしますね。

 

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