我が国のテーマパークの草分けとして、かつて存在した「ドリームランド」。このブログでは以前、奈良県にあった奈良ドリームランドの跡地を紹介したことがありました。私はドリームランドが営業していた頃には訪れたことがなく、廃墟としてのドリームランドを目の当たりにしただけでしたが、その感想を書いたところその記事は反響が大きく、開業当時を知る人からたくさんのリアクションをいただきました。
今はまだ残っている、奈良ドリームランドの「夢の跡」は今後どうなってしまうのか。
その未来を予測する上で、奈良よりも先に閉園したもうひとつのドリームランドの跡地を見に行ってきました。そこには、遊園地だけでなく、もうひとつの大きな夢があったことがわかったのですが、遊園地もそれも今はもう...。
横浜市戸塚区。ここには1964(S39)年から2002(H14)年まで「横浜ドリームランド」がありました。奈良に遅れること3年後に開業し、奈良よりも4年早く閉園したことになります。かつての姿を知る友人に案内され、「ここに横浜ドリームランドがあったんだよ」と言われたのですが、そこには大きな住宅団地とバスターミナル、横浜薬科大学と整備中の公園があるのみ。名古屋でもよくある、丘陵地の文教地区と住宅街という姿でしかありません。
しかし、横浜薬科大学を覗いてみると、何やらシンボルタワーのような建物が。図書館なのですが、それにしても変わったデザインです。実はこれ、ドリームランドにあった「ホテルエンパイア」の建物をそのまま使っているのです。そしてその近くにある大学の建物は旧ドリームボウル。大学となった今もここにはドリームランドの面影が。と言いますか、面影はそれだけしかありません。
かつて遊園地があった場所は、この横浜薬科大学と横浜市の俣野公園などに姿を変えており、もはやここに遊園地があったと思わせてくれるものはほかに無いのか...。
と思って周囲を見渡すと、バス停の名は今も「ドリームランド」。
さらには、横浜銀行の入ったドリームビルや、集合住宅ドリームハイツと、夢のある名前が溢れています。このドリームハイツは、遊園地があった頃からあるもので、当初はこのドリームハイツの部分も含めて巨大な遊園地だったものが、ある出来事によって来客が減少したことで、敷地の半分を売却せざるを得なくなったため、70年代に住宅地に姿を変えたものだったのです。
ある出来事とは。
この横浜ドリームランドは、最寄の大船駅から離れた場所にあり、遊園地が開業した2年後の1966(S41)年に、来場者の利便性を向上するためと、アトラクションとして5.3キロメートルのモノレールを敷設したのです。奈良ドリームランドの場合は、未来の乗り物としてモノレールが敷地内を走っていただけだったのですが、横浜の場合は実際に公共交通としてモノレールを走らせたというわけです。
しかし、モノレールはわずか1年半弱で休止に追い込まれます。運行休止勧告が下されたのです。設計時よりも実際は車両がかなり重く、橋脚などに亀裂が入ってしまったのです。
そのため、ドリームランドへのアクセスはバス路線のみとなったのですが、この付近は渋滞が頻繁に発生し、その影響で客足が遠のいてしまったと言われています。
モノレールは1967(S42)年に休止したのですが、再開することで「渋滞知らずの通勤」を謳い文句にドリームハイツの入居者募集を行った経緯もあり、HSST(リニアモーターカー)などとしての復活が模索され、モノレールの橋脚はずっと放置されていました。
では、その橋脚が残っていた4年前の写真をご紹介しつつ、当時に時間を戻してみましょう。2003(H15)年2月当時、横浜ドリームランドは既に閉園していたものの、ドリームボウルはまだ営業しており、観覧車などの施設はそのまま残されていました。
この頃は、ドリームランドの跡地を中古車オークションの「USS」が買い取っており、オークション会場として使用することになっていて、現地事務所なども設置されていました。しかしこの計画は住民の反対により中止になり、現在の横浜薬科大学に落ち着いています。
大船駅からドリームランドへと続くモノレール。この時は既に運行が休止されてから36年の月日が経過しており、街中をまったく生気の無いコンクリートが駆け抜けているという異様な光景が見られました。
36年という月日は半端なものではありません。駅舎は既に朽ち果てる寸前。遊園地を楽しみに乗客がモノレールを乗り降りした期間はわずか1年半。それから36年の間、少しずつ朽ち果てながらも、ずっと再開という夢を見続けていたのです。
20代、いや30代の人でさえ、このレールに車両が走っている姿を見たことが無いのです。そんなものが街の中を、住宅のすぐ横を駆け巡っていました。放置され続けるレールとは対照的に、レールの周囲はどんどん宅地化が進んでいきました。一戸建て住宅の横の急勾配をカーブしながら縫っていきます。この急勾配も再開のネックでした。
ドリームランドは夢の跡となったにもかかわらず、かつて時代の最先端として生まれたモノレールは、数十年の時を経て再び最先端な乗り物である、HSST(リニアモーターカー)に生まれ変わるという夢を最後まで見ていました。
実はこの時、既に再開計画は断念という決定が下されており、廃止が発表されていたのですが、まだ免許は残っていました。しかし、とうとうこの後、免許も失い、土地は売却され、橋脚は撤去されることになります。街のなかを縦横に走る廃墟。初めてそれを目にする者は驚くものの、ここではそれがあって当たり前だったものが、とうとう姿を消すことになったのです。
そして今では、かつて橋脚があった場所は真新しい住宅街などに姿を変え、36年に渡って何も通ることのなかったレールの橋脚によって湾曲させられていた道路も、跡形はほとんどなく改良され、今では本当にここにモノレールの路線があったのかと、思わず疑ってしまうほどに何も無い普通の住宅街となっています。
首都圏でテーマパークの先駆けとして、ランドマークとなるホテルを兼ね備えた一大リゾート地と、最寄り駅を結ぶ最新鋭のモノレール。当時のそのワクワク感を知る人も、今では40代後半以上ということになります。
奈良ドリームランドは夢の跡でしたが、横浜ドリームランドは夢の後。
もはや、現地を訪れてもその夢の残骸に触れることもできません。でもその夢は、間違い無く数年前まではここに存在していたのです。遊園地が消え、ボウリング場が消えても、地域の人々の足として、数十年の時を越え、リニアモーターカーに生まれ変わるという夢を見ていたのです。
でも結局、夢は夢のままでした。
さて、遊園地とモノレールの組み合わせといえば、同じ神奈川県でもうひとつ思い浮かべる場所があります。小田急の向ヶ丘遊園へと足を進めます。
初めてコメントさせていただきます。
先日この公園を訪れたのですが、
小奇麗な公園墓地や大学、野球場などが整備され
地域住民の方の憩いの場となっているようで
施設の跡地利用の仕方としては、非常に好感のもてる
ものになっていると感じました。
愛知県でも桃花台線廃止問題などがある様ですが
計画と時代の流れに誤差が生じたときに
後に残るものが地元に愛されるものであって欲しいと
の思いを強くしました。
(2007/12/10 8:58 PM)
| 09.07.06 | シンゴ |
>シンゴさま はじめまして こんばんは
そうですね。公園も大学も、周囲の住宅に溶け込んでいて、なおかつ舗装なども落ち着いた感じで静かな環境が形成されていましたね。もしあれが、中古車のオークション会場になってたら…全然違っていたのでしょうね。
桃花台線の場合は、純粋に路線跡のみが空く格好になるので、どうなるかわかりませんけど、確かに、地元の人に愛されるものに生まれ変わることが、理想ですよね。
(2007/12/12 11:33 PM)
| 09.07.06 | トッピー@管理人 |
初めてコメントさせていただきます。
愛知出身で今大船に住んでいます。モノレール再開運動
の署名もしましたが、残念ながら夢叶わずでした。
書かれている通りにいろいろな土地の再利用は進んで
います。跡地が大学ということで住民も安堵している
のですが、実は大きな問題が一つ残っています。
モノレールは大船駅前の酷い交通渋滞の緩和を期待されて
いたのですが、こちらは解決の目処が立たないままです。
やはり計画が頓挫し、それをなんとか修正しても
歪は残ります。桃花台線は歪が残らないといいですね。
(2007/12/14 1:05 AM)
| 09.07.06 | KEN |
>KENさま はじめまして こんにちは
大船駅からドリームランド跡地まで私も車で移動したのですが、確かに、結構時間がかかりましたね。モノレールならわずか8分だったそうですから、そのアドバンテージは大きかったでしょうし、渋滞緩和策としては大きな意味があったはずですよね…。
車で移動するより時間がかかり、名古屋への接続も不便だった桃花台線なんかよりも、はるかに利用価値のあるものだったと思います。と言いますか、桃花台線計画は無茶すぎです。リニモが同じ轍を踏まないことを期待したいです。浮上式だから大丈夫だと信じたい(笑。
(2007/12/14 12:04 PM)
| 09.07.06 | トッピー@管理人 |
>管理人様、ごぶさたいたしております。
二か月前、旅行でドリームランドモノレール沿線跡地から湘南海岸サイクリングを愛用のロードバイクで走る前、ドリームランド跡地を偲びながら回りました。小さいころ行っていたドリームランドの変わり果てた姿を見て「こんなふうになろうとは」と悲しくなりました。でも時代の変化だから仕方がないことは仕方がないのですが、もうひとつのモノレールの欠陥に問題さえなければこんな運命にはならなかったはずです。
現実、遊園地自体はなくなりましたが、ドリームランドの信号標識と、ホテルエンパイアだった横浜薬科大学図書館棟が見られただけでも感動しました。
| 10.10.01 | ビアンキ乗り |
>ビアンキ乗りさま こんばんは
お久しぶりです。
もうすっかり、風景が変わってしまいましたものね、
当時を偲ぶのも、なかなか難しくなり、
寂しい気持ち…お察しします。
でもそのなかでも、当時の面影があるのは嬉しいですよね。
一方でまだ、往時の姿が残っている奈良は、
今後どうなっていくのか…気になりますね。
| 10.10.04 | トッピー@管理人 |
はじめて書かせていただきます。
私は、深谷町という自宅から歩いてドリームランドまですぐの所に半世紀以上住んでいます。
当時、ドリームランドはひとつの大きな山というか丘でした。そのあたりで、近所の悪ガキどもと遊んだものでした。
4~5才の頃、母からこんどあの丘に遊園地が出来るらしいと聞き、本当に喜んだものでした。家から見える観覧車が下から上へと出来上がって行くのを見て、指おり数えて開園を待っていました。
開園の日に行ったので、当時は敷地面積がたいへんに広く、今のドリームハイツ及び深谷台小学校のあたりまで、反対側は春日神社のあたりまであり、園内を歩いて反対側の端近くのアトラクションへ行くのがしんどかったのでそれを解消するために、外側をぐるりと走る外周列車という汽車が走っていました。また、園内移動ではある一定距離を空中にワイヤーを張り、それを伝って行くカプセル型のペダルでこぐ二人乗りの乗り物がありました。かなり高さがあったので、子供心に怖かったのを覚えています。また、馬車も走っていました。夏はプール、冬はスケートと良く行ったものです。
そのうちにモノレールが開通する話があり、また楽しみが増えました。しかし、実際に乗ったのは数えるほどでした。やはり近場の人は、普段の足というよりは、大船駅を往復する娯楽の移動物というのがありました。
しかし、輝いている当時とは違ってモノレールはいつの間にか不通になり、国道一号線の松並木を横切って通るレールを含むほとんどが残され、ドリームランドの敷地は半分くらいに狭くなり、ドリームハイツという市と県の団地が出来、小学校、幼稚園とが次々に出来て、当時の中学校の友人達が各地から引越して来ました。そこには中学の後輩で今は著名な、クレイジーケンバンドの横山氏がご両親と住んでいて、遊びに行ったものです。
ドリームランドとの縁はかなりあり、十代後半当時、エンパイヤホテルで働いていた知人の伝もあり、そこのビアガーデンでバンド演奏のアルバイトを夏休み中やっていました。部屋も安く泊まらせてもらったり、上のレストランで食事も良くしました。ここはゆっくりと一時間で一周まわり、景色も順繰りに変わって行き楽しめました。今でもこのような施設は無いのではないでしょうか。
それがあれよあれよという間に閉園となり、今は大学と公園、墓地、野球場と当時をうかがい知るものは、エンパイヤホテルとボウリング場の一部(今は大学の私有物)でしかありません。あとはバスの行き先の名前でドリームハイツ等だけです。
寂しい限りです。
本当に夢の国になってしまいました・・。
しかし、思い出はいつまでも胸の奥にあります。
| 13.10.22 | ドリームボーイ |
>ドリームボーイさま コメントありがとうございます
その歴史を、ずっと近くで見届けていらっしゃったのですね。
開園をまって、その開園の日に訪れられた感動の様子が、
文面から伝わってきました。そしてモノレールの開通、
そのワクワク感、すごかったのだろなあ…と。
知らなかったお話を聞かせていただきまして、
ありがとうございます。
お話を伺えば伺うほど、全盛期の頃に行ってみたかったな…
という思いに駆られます。
当時のドリームランドほどの場所は、
確かに今の日本には見つけられないでしょうね。
幻の夢の国…改めて、その思いが募ります。
| 13.10.23 | トッピー@管理人 |
管理人様、ながらくごぶさたいたしております。
夕方のニュースで興味深く見ていました。奈良市が公売物件として最低入札価格7億3000万円といった激安で入札者を募集したのですが、買い手はつきませんでした。
それは奈良市特有の問題が潜んでいるようです。
①1970年に市街化調整区域内に入ってしまったことによって、跡地利用に制限がかかり、商業施設などの誘致ができず、市街地としての開発を禁止されています。
②跡地開発も現実問題、医療・福祉施設としての再開発しかできない理由があるそうです。
③開発するには、周囲の景観に合わせることと遺跡確認調査をする必要があります。
そういった問題が潜んでいても、何らかの形で奈良の新たな街づくりを真剣に考えなくてないけないと思いました。
| 14.11.11 | ビアンキ乗り |
>ビアンキ乗りさま コメントありがとうございます
結局まだ買い手は見つからず、
横浜のようになるのはまだまだ先のことになりそうですね。
奈良の姿はまだこれからも今のまま…。
| 14.11.13 | トッピー@管理人 |