原発事故調書 新たに56人分公開11月12日 21時49分
東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、政府の事故調査・検証委員会が、当時の関係者56人から聞き取った証言の記録が12日、新たに公開されました。
福島第一原発の事故を巡って、政府の事故調査・検証委員会は、当時の関係者772人から聴き取りを行い、政府は年内をめどに同意が得られた人から順次、証言の記録を公開していく方針です。
政府は、ことし9月に福島第一原発の吉田昌郎元所長や当時の菅総理大臣ら19人の証言を公開したのに続き、12日、当時、総理大臣補佐官として事故対応に当たった寺田学氏ら56人の証言を公開しました。
このうち寺田氏は、菅総理大臣と共に、事故の翌日、福島第一原発を訪問したことについて、「現場の方としっかり話さなければいけないという問題意識はあったと思う。菅総理大臣らしい発意だなと思いながらも、未曾有の災害が起きているので、どのように現場に影響を与えるのかも考えたし、正直言って恐怖感が無かったといえばうそになる」と述べました。
また、寺田氏は「安全神話的な過信があり、原子力の持つ怖さを十分分かっている国のはずなのに、それを利用することに対する安全意識が、ほかの国に比べて圧倒的に低かったと思う」などと証言しています。
公開された証言記録は、内閣官房のホームページから閲覧することができます。
汚染水放出で情報発信に批判も
12日、新たに公開された政府の事故調査・検証委員会の証言記録では、事故発生の翌月に東京電力が汚染水を海に放出したことを巡り、当時の原子力安全・保安院の幹部が「合理性があると感じた」などとしている一方で、漁業関係者は十分な説明がなかったとして情報発信の在り方を厳しく批判しています。
東京電力は、福島第一原発事故が発生した翌月、5号機や6号機などにたまった低い濃度の汚染水を海に放出しましたが、事前の連絡が不十分だとして国内外から批判の声が上がりました。
これについて、当時の原子力安全委員会の技術参与は、新たに公開された記録の中で、「高い濃度の汚染水の移送先がほかにないならば、低い濃度の汚染水を放出することは、人体への影響も少ないことからやむをえない選択だろうと考えた」と証言し、緊急事態への対応として容認する考えを示しています。
また、当時の原子力安全・保安院で事故対応にあたっていた課長も「人体への影響が極めて保守的に見積もっても年間0.6ミリシーベルトだったため、合理性はあると感じた」と証言しています。
これに対して、全国漁業協同組合連合会の幹部は汚染水を放出する前に東京電力側の担当者と会っていたにもかかわらず、「低い濃度の汚染水の海洋放出を検討しているという話は全くなかった」と不満を述べています。
その後、東京電力は低い濃度の汚染水を海に放出することを全漁連に説明しますが、その2日前には高濃度の汚染水が海に流出していたことから、「二度と汚染水を流出させないようにすると言いながら、同じ日に意図的に汚染水を放出するのはだまし討ち以外のなにものでもない」と東京電力の対応を厳しく批判しています。
「混乱で被ばく管理不十分に」
12日公開された東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡る政府の事故調査・検証委員会の証言記録では、作業員の被ばく管理を巡る東京電力側の混乱が浮き彫りになっています。
福島第一原発では、収束作業に当たった作業員の被ばく管理を巡り、本来は全員が線量計を持つべきところを、一部で作業グループに1つしか持たせていなかったことが明らかになり、当時の原子力安全・保安院は事故発生の翌月(4月)、作業員の安全確保に問題があったとして、東京電力を注意しています。
この問題について、現場で被ばく管理に携わった東京電力の社員は、新たに公開された記録の中で、事故発生から4日後の3月15日ごろの対応について「どんどん人が入ってきて、あっという間に足りなくなり、1つの線量計でグループで全員の線量を管理する運用になった」と証言しています。
さらにこの社員は、事故の翌日(12日)に新潟県の柏崎刈羽原発から追加の線量計が届いていたことを明らかにしたうえで、「線量計が届いていると言われた記憶はなく、また発電所ごとに機種などが異なるため、ほかの発電所から線量計を送ってもらうことは考えていなかった」と述べ、現場の混乱から作業員の被ばく管理が不十分になった経緯を証言しています。