◆期間限定・お知らせ記事 ※適時、内容変更
ここは特別な記事です。
新規記事ではなく、要らなくなった既存の記事を一度「空白」にし、
適時中身を変えて「メモ」「参考」的に使う場所です。
( そうすると、「ブログ村」ランキングで「新規記事」として反映されないで済みます。)
したがいまして、その都度、中身は変えます。
適時更新・期間限定記事ということです。
※都度、「新規記事」にならないで済む、メモ記事的な場所を試行錯誤中です。
....................................................................................................................................
※重要なお知らせ。
10/19 追記。
【総括、ならびに一連の問題提起「終了」のお知らせ】
本記事、後段に追記しております。
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※2014年 10月 13日 記載
以下は、私(HN・イクゾー)が 創価学会員である証しのひとつ として、期限つきで参考画像を公開致します。
上の写真は、新本部完成にあたり、全国の個人会館(会場)提供者に対し、
新本部建設で使った石材と同じものを、記念品として頂いたものです。
勿論、限定品であり、授与リストも存在することでしょう。
簡単に偽造、もしくは譲渡はできないものです。
もとより、こういう公開のために、先生より拝受したものではありません。
「見せびらかし」のようにならないだろうか?と深く考えた末でございます。
自慢の類いではなく、
ある事情のために、間接的に目的をもって謹んで皆さまへ公開させて頂きます。(期間限定)

なお、おまけです。
次の写真は、和歌山県の白浜にある「関西研修道場」の敷地内にあるリレーフです。
庭先というより、施設の奥深くにありまして、外部者が簡単に出入りできるところではありません。
関西にとって、この「六段円塔」の意味は、まことに大きなものです。
あの時の、
「先生をお迎えするんだ」
ネットで、勇敢に正義の旗を掲げる皆さん。
この言葉の意味を、 よければご自分で調べてみてください。
私どもはその「時代の証言者」です。(参加しておりました)
なお、この同施設内には納骨堂もございます。
個人的にご縁のある施設です。

いかがでしたか?
あくまで「学会員である証し」のご参考程度で結構です。
信じるか、信じないか。 それはお任せ致します。
イクゾー・拝
.....................................................................................
10/16 追記。
なぜ私が学会員であることを「証明」するのか?
それは、以下の理由からです。
「あるご夫妻」が 「学会員である」 ことを確認しました。
その証人として、私が 「資格があるか?」について、
私自ら 「創価学会員である」ことで、その証人価値を少しでも高めるために
この写真を開示いたしました。(記事をお読みください。写真の意味がわかるはずです。)
なお、
以前にも、その「あるご夫妻」は、ご自身のブログ(廃止済)で、
たいへん重要な証拠となるものを開示なさっておられました。
それは「広布部員申込書」ですが、
(※このカードの保管についての厳重性は、ブロック幹部以上をお務めされた方なら分かる筈です。
厳重に枚数が管理され、誰に配布したかや、
また書き損じさえも回収し、徹底して流出されないようになっています。
したがいまして、当該被写体の人物が学会員さんであることに、まず間違いないことがわかります。)
(※「違う」と疑う方は、どういうケースが否定になるのかをお示しください。
たぶん、そういった穿った見方のほうが、稀で、ひじょうに特異な想像の産物であることがわかるでしょう。
物事の判断には、「不自然」という言葉があることをご承知おきください。)
ところで、
何故、ご夫妻が「学会員である」ことを証明することが必要だったのか?
何故、イクゾーがそれを確認したのか?
そこなのですが、それはまた次回。
.............................................................................................
10/19 追記。
【総括、ならびに一連の問題提起「終了」のお知らせ】
>「あるご夫妻」が 「学会員である」 ことを確認しました。
これは前回の追記での私の記述ですが、
それでは、何故「確認」する必要があったのか?です。
「にほんブログ村・創価学会カテゴリー」という場所で、とあるブログが波紋を呼んでおりました。
おそらく、お疲れモードの学会員さんが一時の感情で作ってしまったであろうアンチブログでした。
私はこういったアンチブログは、とくに珍しいものではないと思っておりますので、
大騒ぎするようなことはありませんでした。
しばらく静観しておりましたが、コメント欄でのブログ主(仮にDさんとします)の言葉に、“微妙”な何かを感じましたので、
記事についていきなり問いただすということではなく、ブログ主の内面の様子をうかがうつもりでコメントにお邪魔しました。
ブログ村在住の方を中心に、何人かの学会員さんが既におられ、記事の中身について議論をなさっておられました。
その結果、一部に『彼は学会員のナリスマシ』『アンチ陣営の謀略』的主旨で“決めつけて”おられました。
私は、コメント欄を幾度か往復する中、ブログ主は間違いなく学会員だと思いました。
相手が学会員さんであれば、ただただ突き放し、コテンパンに叩くというより、
やはりデリケートなケアが重要になることを、現場の経験から知っておりますので、
「これはマズイな」と思ったのです。
この「ナリスマシだ」と早々に断定してしまったのは、ある有名なブロガーKさん。
その発言力の大きさから、彼を取り巻くお友達ブロガーCさん、コメンターRさんらも、
一様に「ナリスマシ」論に基づき、ブログ主Dさんを批判し続けておりました。
私がブログ主Dさんと対話して感じたのは、「きっと脈はある」ということでした。
そうなれば、その方向に進むのが仏法者の道であるとの確信から、
「ナリスマシである」との決めつけは、
その後の全てのアプローチを、批判一辺倒にしてしまう、「潰し」の策でしかないと、Kさんらに注進しました。
ですが、彼らは「悪を放置するとはけしからん」の原則論に固執し、話が平行線でした。
それならば、彼らの行動の出発点(前提)である、「ナリスマシである」について、
その根拠をどうしても崩してゆくことが、彼らとの話合いのテーブルに着く糸口であると思い、
今回の「D氏は学会員さん」を証明する必要がありました。
そこで、私はそれまでD氏と、のちに登場したD氏ご内儀(妻)のIさんとの私信対話を重ね、
実際にお話しさせていただき、学会員さんである確認をさせていただくことができました。また、その中でいろいろな思いをうかがうこともでき、
間違いなくこれからもご同志として歩むことのできる方々であると、確信することができました。
ほんとうに嬉しいかぎりで、またご夫妻にも感謝しております。
その「確認作業」の真偽が、ご夫妻のこれ以上の「プライバシー」や「個人情報」をネット開示しての証明する手法では、
やはり現実的にナンセンスであることは皆さまの常識的判断でご理解いただけるかと思います。
したがいまして、私(イクゾー)が「証人」としての資格を、少しでも高める担保として、
このたびの記事をもって、そのひとつの材料と致しました。
そして、ここからが重要なことですが、
こうして、D氏ご夫妻が学会員さんであることが確認することができたことと、エピソードを
以下いくつかをご紹介しますと…
※Dさんについて。
①役職はしばし返上状態であるものの、しっかりと支部長やゾーン長との温かい関わりを持ち、対話を持ち、連携なさっている。
②信仰を捨てる意志はない。 家族をまもる強い意志を確認。
③ネットでの不始末、つまりは自ブログでアンチブログをリンクしてしまった行為については、
「リンクさせる行為は、こうであろう」といった周囲の認識ほど深いものを企てていたわけではなく、
ただただ「お疲れモードの自分が読んだ」といった、いわば備忘録的意図で貼りつけたに過ぎない、と説明しておられた。
④今後は時間をかけて復帰を探りたい、との事。
※Iさんについて。
①現在もなお、しっかりとラインについている。
②今年に入り、既に100万遍の唱題を達成している。
③「非活の伴侶」について、またこのたびの出来事一切について、関西婦人部長の直接指導を受けている。
④その関西婦人部長は、このたびのD氏の、いわば「退会誘導サイトへのリンク」行為について知るも、
さして触れず、(Kさんのように騒ぐこともなく)、あくまでIさんへの個人指導を最重要になされた。(複数の列席者もいる状況での指導)
あと、公開を躊躇しましたが
⑤ご自身が難病を抱え、いつまで働くことができるか不安を抱えつつ、昼夜にわたる仕事に従事しつつ、子育てに懸命になっておられる。
いかがでしょうか?
いろんな方がここをご覧になっているかと思いますが、
婦人部の視点、壮年部の視点も違うだろうし、 あるいは若い人、私のようなオッサンとも違うでしょうし、
これは年齢を積み重ねて初めてわかることだってあるでしょう。
これまで生活したきた環境も、体験も左右することはたしかであり、
同じ出来事を見ても、思いつく対応は異なることは仕方ありません。
「こんな奥さんがいながら、何やってんのダンナ」
それも、正論。
でも、突き放すだけでなく、
じゃ、このIさんの立場に立ってみれば、「そういう、Iさんご自身の宿業」ともとれるわけです。
ならば、旦那を糾弾するだけが能じゃない。
寄り添ってあげれないのですか?婦人部の皆さん。
それを大河さんはおっしゃっているのです。
さて、
こうしたご夫妻を、「ナリスマシだ」とのラベリングで、一切の「その先」を考えず、
ただただ「悪である」、「したがって叩く、撲滅する」といった行為は、果たして「是」でしょうか?
Kさんは、「ナリスマシ」という前提で、ご自身の主張論理展開なさっていたのですから、
その大前提が破たんした今、
先ずは「ナリスマシ」という最初のアプローチをご反省すべきです。
ですが最近、驚いたことに
ご自身の「ナリスマシ」という表現は、
>「学会への批判者すべてを指す」と、
奇天烈な言い訳を展開なさっています。
「後付け」も甚だしく、まったく通用しません。 見苦しいにもほどがあります。
釘を刺しておきますが、
公開上の論戦に、自己流の日本語解釈を「言い訳」にする主張構成は、あまりに論外。
こんなことが通用すれば、どんなことも強引な屁理屈で居直ることもできてしまいます。
こうした手法は、逆に「学会批判者」をも勢いつかせてしまう危険なものです。おやめなさいませ。
更に、K氏周辺の反論は、
>「ブロガーD氏を批判したわけではなく、記述を批判した」
ですが、これもおかしな話で、
「個人批判ではない」と言いつつ、「ナリスマシである」との前提があってこその、K氏の主張論理だったはずです。
その前提が誤りであったのですから、主張展開も成り立たなくなります。
なお、
K氏周辺における、よくおっしゃる錯誤に、
>論点は、「D氏記事が悪かどうか」
があります。
論点のスリカエに躍起ですね。これもおかしい。
私をはじめ、D氏の再起を一番に願う側に立つ多くの諸兄は、
D氏記事自体への評価は、既に「間違った行為」であるとの立ち位置であり、
今更「悪か善か」などといった論点は、K氏の居直り と考えております。
もはや、このような断末魔の様相を呈しているK氏周辺の見苦しい有り様。
やはり、K氏記事は撤回するのが筋ではないでしょうか?
みんなで確認しましょう。
そもそも、「破邪顕正」は日蓮大聖人、創価学会の大精神であることは言うまでもありません。
ですが、これら「悪を斬る」「悪の拡散を許さない」といった行為、
すなわち 「破邪」は、ただ「手段」 であり、目的そのものではありません。
「運動のための運動」では、いけないのです。
「目的」は、『ご本尊のもとへ』 であり、
このたびの対応も、この大事な立脚点でなくてはなりません。
したがって、先ず第一に、
「ナリスマシである」と斬って捨てる前に、
現場での対応と同じく、慎重に相手の心に寄り添うことが重要になってくるのです。
勿論、ネットにはいろんな危険な罠もあるのは確かではあります。 K氏の危惧もわからなくもありません。
ですが、それは経験値や、身の丈に応じた距離感で、対応すべきか否かを判断すべきなのです。
K氏には人気ブロガーのご自覚もあることでしょう。
ご都合の謙遜は要りません。実際に知名度の高さからくる、発信力は自覚すべき責任があります。
いい加減な断定、安易な対応で、周囲を巻き込んではいけません。
インターネットは、もはや世界発信です。
この世界発信を小バカにした発言が、ご友人ブロガーC氏にもありましたが、大いにご反省を促したく思います。
内輪の会話ならパスワード管理した掲示板でお願いしたく思いますが、いかがでしょう?
ROMを意識しての自己流善意なら、なおさら最低限のモラル等のご自覚は、今や常識です。
記事発信の怖さを知るべきです。安易な「内部」をさらけ出すことは、あってはなりません。
さて、K氏。
誤った記事は撤回すべきです。
どうしても、 ご夫婦が「実在でない」と強硬に主張なさっていました。
逆に、私どもへ「ナリスマシであることは判明したら謝罪しますか?」とまで迫っていました。
「信じられるか!」
「だから、記事を降ろさない」 …こうなっているわけです。
ですから、私はご夫妻が学会員であることを確認する必要がありました。
そして確認しました。
あとはK氏の潔さが求められます。
※K氏追随の諸兄へ。
あのまま、あなた方の、ネット集団リンチが大勢を占めていたら、どうなっていたでしょう?
指導には「破邪」が多く説かれています。
ですが、その目的を見失ってはいけません。
人間というもの、あのまま あなた方の猛攻だけが続いていれば、相手は必ずヘソを曲げます。
「言って聞かせる」だけが教育、子育てではないのと同じです。
実際、私どもの出現がなければ、「主人はもっと暴走し、帰ることはなかったかも?」と、
Iさん(ご内儀様)は、胸を撫で下ろしておられます。
あなた方は最後まで、まるで話に耳を傾けませんでしたね。
何度も何度も、 「悪を悪と言って何が悪い」 「悪を叩くのは当然」 と頑なでした。
この先、 こんなことが わが創価学会の姿ではないことを確信しながら、
このたびの一連の記事を締めくくりたいと思います。
なお、 (私個人についてですが) 一連の幕引きについて、
D氏、ならびにIさんへの謝意を伝えており、ご連絡しております。
最後に、
大河さまブログ・コメント欄におきまして
大河さまならびに諸兄の暖かいお心遣いに感謝申し上げますとともに、
場所を提供いただき、泥も散々かぶっていただくことになった大河さまへ深く敬意をあらわしたく思います。
ご同志、万歳。
ありがとうございました。
イクゾー・拝

↑あたたかい お励ましクリック、 ほんとうにありがとうございます。
【追記】
※上記記事には関係のない話をひとつ。
どこに書こうかと思い、ここにしました。
何か書こうと思っても、新規記事にするのも躊躇することも多いです。
ブログ村に登録する上で、いちばん嫌だなぁと思うのは、
何でもかんでも「新規記事」欄に上がって目だってしまうこと。
こうして、既にある記事を使って追記する手法も、それを避けるヒントになるかなぁ…と。
さて、 私の身内のことで恐縮なのですが、
先ごろ、郷里で私の兄弟が(上下はナイショです)体験発表をおこないました。
昨年、生死をさまよう大病を克服し、社会復帰をいたしました。
一時は医師も余命を宣告し、私どもも覚悟を求められました。
しかし、私はそれを受け入れませんでした。(勿論、本人もです)
悔しいですよね、そういうの。
諦めたくない…、負けたくない…。
チャンスがあるのなら、克服する可能性をずっと信じてきました。
それが私ども、門下の生き方です。
けっして諦めない。そういう生き方です。 使命があるのです。
私は池田先生にそのことをご報告し、決意をいたしました。
必ず現場復帰させます! と。
しばらくして池田先生から、メッセージとお品をいただきました。
みんなが決意をあらたに戦いを開始。 地域を挙げて全力の凄まじい戦いでした。
そしてその1年後、見事に社会復帰いたしました。
今回、支部総会において堂々と体験発表をしたということです。
おめでとう。 私もほんとうに嬉しかった。勝ったんだね。

↑あたたかい お励ましクリック、 ほんとうにありがとうございます。
10/26追記。
《 記事執筆モットー、そして苦言。》
◆できるだけ「自分の言葉」で語ること。
(当たり前ですが、あくまで「記事」中心主義。それがブログだろう。ましてやランキング投票をお願いしているのなら、「ブログ」で評価を問え!)
◆WEB掲示板なのか見間違うような、本来記事軽視、依存性誘発のコメントコミュニティは形成しない。
(変な話ですが、 “記事”すらなく、コメント欄更新のための「記事」立上げなんて、真面目にブログをやっている方を冒涜していますよね。)
◆広報誌、機関誌で読めることを、わざわざ自分の記事にしない。
(それはブログなの?ということ。
なんでS新聞の記事を転載し、支持を得ようとするのか?不思議でならない。
その「投票」は、あなたへの投票ではないだろう?
なお、そんな転載記事を、感動のあまり更に自ブログへ転載の申込をされている方も。もう、「あなた、新聞読んでなかったの?」と。さぁ、感動したのなら啓蒙しておいで。
拡散させるべき事は、ネット記事のほうではないはず。違いますか?)
◆現場逃避、バーチャルコミュニティ依存を避ける。
(毎日、そこへ“縛り付け”て平気な感覚に疑問を持て!
常連さん作りに必死な姿は、はたしてマトモか?
集客し、顧客化すれば、基礎票として安泰なのだろうが、
まさにネット脳。)
◆“現場代替活動”の奨励など、それらの発信基地化にならない。
(ここはネット。結局は不特定多数に「逃げ」のヒントを与えるってことになりかねない。善行なら何でも「イイネ!」の感覚は、まるで愛国無罪。)
………………………………
さて、
かたいことを申しますようですが、
ランキングサイトに参加させていただき以来、とあるS学会系カテゴリー特有の、「慣習」「慣行」に、ずっと疑問に思っていたことが、この拙モットーを掲げるに至りました。
とくに「ブログとは何ぞや?」を考えさせられる慣行が一部ブロガーさんにあり、「これはおかしいのではないか」と思うに至りました。
全ては自己責任ではあります。
しかし昨今、LINEのような“Reアクション脅迫観念”や“炎上”が、さまざまなトラブルのもとになっている社会現象もあり、心配りすべき立場にあるS学会メンバーでありながらこの有り様です。
ひじょうに憂慮しております。
また、機関誌の“代弁”は、我見に誘導の恐れも少なからず起こってしまいます。
節度をもって、コミュニケーションをはかってまいりたいのも、拙ブログの目指すところです。
「当たり前」になっている目の前のことに、
「ちょっと待て。おかしいのでは?」の精神。
そんなマインドもなければ、
「いつか来た道」ですぞ。
生意気ながら、拙ブログは「オトナのブログ」でいたいと思います。
いつも応援、本当にありがとうございます。

新規記事ではなく、要らなくなった既存の記事を一度「空白」にし、
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したがいまして、その都度、中身は変えます。
適時更新・期間限定記事ということです。
※都度、「新規記事」にならないで済む、メモ記事的な場所を試行錯誤中です。
....................................................................................................................................
※重要なお知らせ。
10/19 追記。
【総括、ならびに一連の問題提起「終了」のお知らせ】
本記事、後段に追記しております。
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※2014年 10月 13日 記載
以下は、私(HN・イクゾー)が 創価学会員である証しのひとつ として、期限つきで参考画像を公開致します。
上の写真は、新本部完成にあたり、全国の個人会館(会場)提供者に対し、
新本部建設で使った石材と同じものを、記念品として頂いたものです。
勿論、限定品であり、授与リストも存在することでしょう。
簡単に偽造、もしくは譲渡はできないものです。
もとより、こういう公開のために、先生より拝受したものではありません。
「見せびらかし」のようにならないだろうか?と深く考えた末でございます。
自慢の類いではなく、
ある事情のために、間接的に目的をもって謹んで皆さまへ公開させて頂きます。(期間限定)
なお、おまけです。
次の写真は、和歌山県の白浜にある「関西研修道場」の敷地内にあるリレーフです。
庭先というより、施設の奥深くにありまして、外部者が簡単に出入りできるところではありません。
関西にとって、この「六段円塔」の意味は、まことに大きなものです。
あの時の、
「先生をお迎えするんだ」
ネットで、勇敢に正義の旗を掲げる皆さん。
この言葉の意味を、 よければご自分で調べてみてください。
私どもはその「時代の証言者」です。(参加しておりました)
なお、この同施設内には納骨堂もございます。
個人的にご縁のある施設です。
いかがでしたか?
あくまで「学会員である証し」のご参考程度で結構です。
信じるか、信じないか。 それはお任せ致します。
イクゾー・拝
.....................................................................................
10/16 追記。
なぜ私が学会員であることを「証明」するのか?
それは、以下の理由からです。
「あるご夫妻」が 「学会員である」 ことを確認しました。
その証人として、私が 「資格があるか?」について、
私自ら 「創価学会員である」ことで、その証人価値を少しでも高めるために
この写真を開示いたしました。(記事をお読みください。写真の意味がわかるはずです。)
なお、
以前にも、その「あるご夫妻」は、ご自身のブログ(廃止済)で、
たいへん重要な証拠となるものを開示なさっておられました。
それは「広布部員申込書」ですが、
(※このカードの保管についての厳重性は、ブロック幹部以上をお務めされた方なら分かる筈です。
厳重に枚数が管理され、誰に配布したかや、
また書き損じさえも回収し、徹底して流出されないようになっています。
したがいまして、当該被写体の人物が学会員さんであることに、まず間違いないことがわかります。)
(※「違う」と疑う方は、どういうケースが否定になるのかをお示しください。
たぶん、そういった穿った見方のほうが、稀で、ひじょうに特異な想像の産物であることがわかるでしょう。
物事の判断には、「不自然」という言葉があることをご承知おきください。)
ところで、
何故、ご夫妻が「学会員である」ことを証明することが必要だったのか?
何故、イクゾーがそれを確認したのか?
そこなのですが、それはまた次回。
.............................................................................................
10/19 追記。
【総括、ならびに一連の問題提起「終了」のお知らせ】
>「あるご夫妻」が 「学会員である」 ことを確認しました。
これは前回の追記での私の記述ですが、
それでは、何故「確認」する必要があったのか?です。
「にほんブログ村・創価学会カテゴリー」という場所で、とあるブログが波紋を呼んでおりました。
おそらく、お疲れモードの学会員さんが一時の感情で作ってしまったであろうアンチブログでした。
私はこういったアンチブログは、とくに珍しいものではないと思っておりますので、
大騒ぎするようなことはありませんでした。
しばらく静観しておりましたが、コメント欄でのブログ主(仮にDさんとします)の言葉に、“微妙”な何かを感じましたので、
記事についていきなり問いただすということではなく、ブログ主の内面の様子をうかがうつもりでコメントにお邪魔しました。
ブログ村在住の方を中心に、何人かの学会員さんが既におられ、記事の中身について議論をなさっておられました。
その結果、一部に『彼は学会員のナリスマシ』『アンチ陣営の謀略』的主旨で“決めつけて”おられました。
私は、コメント欄を幾度か往復する中、ブログ主は間違いなく学会員だと思いました。
相手が学会員さんであれば、ただただ突き放し、コテンパンに叩くというより、
やはりデリケートなケアが重要になることを、現場の経験から知っておりますので、
「これはマズイな」と思ったのです。
この「ナリスマシだ」と早々に断定してしまったのは、ある有名なブロガーKさん。
その発言力の大きさから、彼を取り巻くお友達ブロガーCさん、コメンターRさんらも、
一様に「ナリスマシ」論に基づき、ブログ主Dさんを批判し続けておりました。
私がブログ主Dさんと対話して感じたのは、「きっと脈はある」ということでした。
そうなれば、その方向に進むのが仏法者の道であるとの確信から、
「ナリスマシである」との決めつけは、
その後の全てのアプローチを、批判一辺倒にしてしまう、「潰し」の策でしかないと、Kさんらに注進しました。
ですが、彼らは「悪を放置するとはけしからん」の原則論に固執し、話が平行線でした。
それならば、彼らの行動の出発点(前提)である、「ナリスマシである」について、
その根拠をどうしても崩してゆくことが、彼らとの話合いのテーブルに着く糸口であると思い、
今回の「D氏は学会員さん」を証明する必要がありました。
そこで、私はそれまでD氏と、のちに登場したD氏ご内儀(妻)のIさんとの私信対話を重ね、
実際にお話しさせていただき、学会員さんである確認をさせていただくことができました。また、その中でいろいろな思いをうかがうこともでき、
間違いなくこれからもご同志として歩むことのできる方々であると、確信することができました。
ほんとうに嬉しいかぎりで、またご夫妻にも感謝しております。
その「確認作業」の真偽が、ご夫妻のこれ以上の「プライバシー」や「個人情報」をネット開示しての証明する手法では、
やはり現実的にナンセンスであることは皆さまの常識的判断でご理解いただけるかと思います。
したがいまして、私(イクゾー)が「証人」としての資格を、少しでも高める担保として、
このたびの記事をもって、そのひとつの材料と致しました。
そして、ここからが重要なことですが、
こうして、D氏ご夫妻が学会員さんであることが確認することができたことと、エピソードを
以下いくつかをご紹介しますと…
※Dさんについて。
①役職はしばし返上状態であるものの、しっかりと支部長やゾーン長との温かい関わりを持ち、対話を持ち、連携なさっている。
②信仰を捨てる意志はない。 家族をまもる強い意志を確認。
③ネットでの不始末、つまりは自ブログでアンチブログをリンクしてしまった行為については、
「リンクさせる行為は、こうであろう」といった周囲の認識ほど深いものを企てていたわけではなく、
ただただ「お疲れモードの自分が読んだ」といった、いわば備忘録的意図で貼りつけたに過ぎない、と説明しておられた。
④今後は時間をかけて復帰を探りたい、との事。
※Iさんについて。
①現在もなお、しっかりとラインについている。
②今年に入り、既に100万遍の唱題を達成している。
③「非活の伴侶」について、またこのたびの出来事一切について、関西婦人部長の直接指導を受けている。
④その関西婦人部長は、このたびのD氏の、いわば「退会誘導サイトへのリンク」行為について知るも、
さして触れず、(Kさんのように騒ぐこともなく)、あくまでIさんへの個人指導を最重要になされた。(複数の列席者もいる状況での指導)
あと、公開を躊躇しましたが
⑤ご自身が難病を抱え、いつまで働くことができるか不安を抱えつつ、昼夜にわたる仕事に従事しつつ、子育てに懸命になっておられる。
いかがでしょうか?
いろんな方がここをご覧になっているかと思いますが、
婦人部の視点、壮年部の視点も違うだろうし、 あるいは若い人、私のようなオッサンとも違うでしょうし、
これは年齢を積み重ねて初めてわかることだってあるでしょう。
これまで生活したきた環境も、体験も左右することはたしかであり、
同じ出来事を見ても、思いつく対応は異なることは仕方ありません。
「こんな奥さんがいながら、何やってんのダンナ」
それも、正論。
でも、突き放すだけでなく、
じゃ、このIさんの立場に立ってみれば、「そういう、Iさんご自身の宿業」ともとれるわけです。
ならば、旦那を糾弾するだけが能じゃない。
寄り添ってあげれないのですか?婦人部の皆さん。
それを大河さんはおっしゃっているのです。
さて、
こうしたご夫妻を、「ナリスマシだ」とのラベリングで、一切の「その先」を考えず、
ただただ「悪である」、「したがって叩く、撲滅する」といった行為は、果たして「是」でしょうか?
Kさんは、「ナリスマシ」という前提で、ご自身の主張論理展開なさっていたのですから、
その大前提が破たんした今、
先ずは「ナリスマシ」という最初のアプローチをご反省すべきです。
ですが最近、驚いたことに
ご自身の「ナリスマシ」という表現は、
>「学会への批判者すべてを指す」と、
奇天烈な言い訳を展開なさっています。
「後付け」も甚だしく、まったく通用しません。 見苦しいにもほどがあります。
釘を刺しておきますが、
公開上の論戦に、自己流の日本語解釈を「言い訳」にする主張構成は、あまりに論外。
こんなことが通用すれば、どんなことも強引な屁理屈で居直ることもできてしまいます。
こうした手法は、逆に「学会批判者」をも勢いつかせてしまう危険なものです。おやめなさいませ。
更に、K氏周辺の反論は、
>「ブロガーD氏を批判したわけではなく、記述を批判した」
ですが、これもおかしな話で、
「個人批判ではない」と言いつつ、「ナリスマシである」との前提があってこその、K氏の主張論理だったはずです。
その前提が誤りであったのですから、主張展開も成り立たなくなります。
なお、
K氏周辺における、よくおっしゃる錯誤に、
>論点は、「D氏記事が悪かどうか」
があります。
論点のスリカエに躍起ですね。これもおかしい。
私をはじめ、D氏の再起を一番に願う側に立つ多くの諸兄は、
D氏記事自体への評価は、既に「間違った行為」であるとの立ち位置であり、
今更「悪か善か」などといった論点は、K氏の居直り と考えております。
もはや、このような断末魔の様相を呈しているK氏周辺の見苦しい有り様。
やはり、K氏記事は撤回するのが筋ではないでしょうか?
みんなで確認しましょう。
そもそも、「破邪顕正」は日蓮大聖人、創価学会の大精神であることは言うまでもありません。
ですが、これら「悪を斬る」「悪の拡散を許さない」といった行為、
すなわち 「破邪」は、ただ「手段」 であり、目的そのものではありません。
「運動のための運動」では、いけないのです。
「目的」は、『ご本尊のもとへ』 であり、
このたびの対応も、この大事な立脚点でなくてはなりません。
したがって、先ず第一に、
「ナリスマシである」と斬って捨てる前に、
現場での対応と同じく、慎重に相手の心に寄り添うことが重要になってくるのです。
勿論、ネットにはいろんな危険な罠もあるのは確かではあります。 K氏の危惧もわからなくもありません。
ですが、それは経験値や、身の丈に応じた距離感で、対応すべきか否かを判断すべきなのです。
K氏には人気ブロガーのご自覚もあることでしょう。
ご都合の謙遜は要りません。実際に知名度の高さからくる、発信力は自覚すべき責任があります。
いい加減な断定、安易な対応で、周囲を巻き込んではいけません。
インターネットは、もはや世界発信です。
この世界発信を小バカにした発言が、ご友人ブロガーC氏にもありましたが、大いにご反省を促したく思います。
内輪の会話ならパスワード管理した掲示板でお願いしたく思いますが、いかがでしょう?
ROMを意識しての自己流善意なら、なおさら最低限のモラル等のご自覚は、今や常識です。
記事発信の怖さを知るべきです。安易な「内部」をさらけ出すことは、あってはなりません。
さて、K氏。
誤った記事は撤回すべきです。
どうしても、 ご夫婦が「実在でない」と強硬に主張なさっていました。
逆に、私どもへ「ナリスマシであることは判明したら謝罪しますか?」とまで迫っていました。
「信じられるか!」
「だから、記事を降ろさない」 …こうなっているわけです。
ですから、私はご夫妻が学会員であることを確認する必要がありました。
そして確認しました。
あとはK氏の潔さが求められます。
※K氏追随の諸兄へ。
あのまま、あなた方の、ネット集団リンチが大勢を占めていたら、どうなっていたでしょう?
指導には「破邪」が多く説かれています。
ですが、その目的を見失ってはいけません。
人間というもの、あのまま あなた方の猛攻だけが続いていれば、相手は必ずヘソを曲げます。
「言って聞かせる」だけが教育、子育てではないのと同じです。
実際、私どもの出現がなければ、「主人はもっと暴走し、帰ることはなかったかも?」と、
Iさん(ご内儀様)は、胸を撫で下ろしておられます。
あなた方は最後まで、まるで話に耳を傾けませんでしたね。
何度も何度も、 「悪を悪と言って何が悪い」 「悪を叩くのは当然」 と頑なでした。
この先、 こんなことが わが創価学会の姿ではないことを確信しながら、
このたびの一連の記事を締めくくりたいと思います。
なお、 (私個人についてですが) 一連の幕引きについて、
D氏、ならびにIさんへの謝意を伝えており、ご連絡しております。
最後に、
大河さまブログ・コメント欄におきまして
大河さまならびに諸兄の暖かいお心遣いに感謝申し上げますとともに、
場所を提供いただき、泥も散々かぶっていただくことになった大河さまへ深く敬意をあらわしたく思います。
ご同志、万歳。
ありがとうございました。
イクゾー・拝
↑あたたかい お励ましクリック、 ほんとうにありがとうございます。
【追記】
※上記記事には関係のない話をひとつ。
どこに書こうかと思い、ここにしました。
何か書こうと思っても、新規記事にするのも躊躇することも多いです。
ブログ村に登録する上で、いちばん嫌だなぁと思うのは、
何でもかんでも「新規記事」欄に上がって目だってしまうこと。
こうして、既にある記事を使って追記する手法も、それを避けるヒントになるかなぁ…と。
さて、 私の身内のことで恐縮なのですが、
先ごろ、郷里で私の兄弟が(上下はナイショです)体験発表をおこないました。
昨年、生死をさまよう大病を克服し、社会復帰をいたしました。
一時は医師も余命を宣告し、私どもも覚悟を求められました。
しかし、私はそれを受け入れませんでした。(勿論、本人もです)
悔しいですよね、そういうの。
諦めたくない…、負けたくない…。
チャンスがあるのなら、克服する可能性をずっと信じてきました。
それが私ども、門下の生き方です。
けっして諦めない。そういう生き方です。 使命があるのです。
私は池田先生にそのことをご報告し、決意をいたしました。
必ず現場復帰させます! と。
しばらくして池田先生から、メッセージとお品をいただきました。
みんなが決意をあらたに戦いを開始。 地域を挙げて全力の凄まじい戦いでした。
そしてその1年後、見事に社会復帰いたしました。
今回、支部総会において堂々と体験発表をしたということです。
おめでとう。 私もほんとうに嬉しかった。勝ったんだね。
↑あたたかい お励ましクリック、 ほんとうにありがとうございます。
10/26追記。
《 記事執筆モットー、そして苦言。》
◆できるだけ「自分の言葉」で語ること。
(当たり前ですが、あくまで「記事」中心主義。それがブログだろう。ましてやランキング投票をお願いしているのなら、「ブログ」で評価を問え!)
◆WEB掲示板なのか見間違うような、本来記事軽視、依存性誘発のコメントコミュニティは形成しない。
(変な話ですが、 “記事”すらなく、コメント欄更新のための「記事」立上げなんて、真面目にブログをやっている方を冒涜していますよね。)
◆広報誌、機関誌で読めることを、わざわざ自分の記事にしない。
(それはブログなの?ということ。
なんでS新聞の記事を転載し、支持を得ようとするのか?不思議でならない。
その「投票」は、あなたへの投票ではないだろう?
なお、そんな転載記事を、感動のあまり更に自ブログへ転載の申込をされている方も。もう、「あなた、新聞読んでなかったの?」と。さぁ、感動したのなら啓蒙しておいで。
拡散させるべき事は、ネット記事のほうではないはず。違いますか?)
◆現場逃避、バーチャルコミュニティ依存を避ける。
(毎日、そこへ“縛り付け”て平気な感覚に疑問を持て!
常連さん作りに必死な姿は、はたしてマトモか?
集客し、顧客化すれば、基礎票として安泰なのだろうが、
まさにネット脳。)
◆“現場代替活動”の奨励など、それらの発信基地化にならない。
(ここはネット。結局は不特定多数に「逃げ」のヒントを与えるってことになりかねない。善行なら何でも「イイネ!」の感覚は、まるで愛国無罪。)
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さて、
かたいことを申しますようですが、
ランキングサイトに参加させていただき以来、とあるS学会系カテゴリー特有の、「慣習」「慣行」に、ずっと疑問に思っていたことが、この拙モットーを掲げるに至りました。
とくに「ブログとは何ぞや?」を考えさせられる慣行が一部ブロガーさんにあり、「これはおかしいのではないか」と思うに至りました。
全ては自己責任ではあります。
しかし昨今、LINEのような“Reアクション脅迫観念”や“炎上”が、さまざまなトラブルのもとになっている社会現象もあり、心配りすべき立場にあるS学会メンバーでありながらこの有り様です。
ひじょうに憂慮しております。
また、機関誌の“代弁”は、我見に誘導の恐れも少なからず起こってしまいます。
節度をもって、コミュニケーションをはかってまいりたいのも、拙ブログの目指すところです。
「当たり前」になっている目の前のことに、
「ちょっと待て。おかしいのでは?」の精神。
そんなマインドもなければ、
「いつか来た道」ですぞ。
生意気ながら、拙ブログは「オトナのブログ」でいたいと思います。
いつも応援、本当にありがとうございます。