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ラルス・クリステンセン 「シャハトの功罪は何を物語っているか?」

●Lars Christensen, “Hjalmar Schacht’s echo – it all feels a lot more like 1932 than 1923”(The Market Monetarist, May 8, 2012)


ギリシャで今週(2012年5月6日)行われた総選挙でネオナチ政党の一つである「黄金の夜明け」(“Golden Dawn”)が議席を獲得し国政の場に足を踏み入れる運びとなった。このニュースを耳にして私の頭に真っ先に思い浮かんだのは1932年7月にドイツで行われた国会選挙でヒトラー率いるナチ党が大躍進を果たし第一党の地位に上り詰めたエピソードだ。今回のギリシャの総選挙では1932年のドイツにおいてと同様に共産党やその他の極左政党も議席を伸ばしている。このような光景を目の当たりにするとついこう口走りたくなる。「ファシズムはいつでもどこでも貨幣的な現象である」、と。少なくとも1932年のドイツと現在のギリシャについてはそう言える。金融引き締めを通じた景気の停滞(monetary strangulation)と政治の場で過激派勢力が台頭していることとの間にはつながりがある1にもかかわらず、各国の中央銀行は1932年当時と同様に今もなおその事実に気付いてはいないようである。

1932年にヒトラー率いるナチ党が台頭した大きな原因はドイツの中央銀行であるライヒスバンクがそれまでに採用していたデフレ政策にあった。当時のライヒスバンクの決定に大きな影響を及ぼしていた人物というのが総裁も務めていたかの有名なヒャルマル・シャハト(Hjalmar Schacht)である2。シャハトは後にヒトラー政権下で経済相を務めることになる。

シャハトは英雄であると同時に悪漢でもあった。彼は1923年に見事な手腕を発揮してドイツ国内のハイパーインフレを終息させた一方で、金本位制の筋金入りの支持者でもあった。ドイツは1924年9月に金本位制に復帰することになったが、その後しばらくしてドイツ経済は過酷なデフレに襲われることになる。そしてこの過酷なデフレこそがナチ党の台頭を許す地ならしの役割を果たしたのである。ヒトラーは政権奪取後に数々の規制の導入を進め、ドイツ経済を実質的な計画経済へと様変わりさせることになった――その結果、何百万ものドイツ国民が過酷な生活を余儀なくされることになった――が、シャハトはそのような動きを側面から支援した。それに加えて、シャハトはヒトラーによる再軍備計画を資金面から支える政策を推し進める上でも重要な役割を果たした。その一方で、シャハトは反ナチ(抵抗)運動に微力ながらではあるが協力の手を差し伸べもしたのであった。

シャハトの功罪は一体何を物語っているだろうか? 2つほど教訓を引き出せるだろう。まず第一点目はセントラルバンカーは善悪いずれをもなし得る存在だということである。そして第二点目はセントラルバンカーは間違いを犯しても(悪を為しても)そのことを率直に認めることはほとんどないということだ。第二点目についてはマシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)が昨年のエントリー(“Perverse Reputational Incentives In Central Banking”)で詳しく論じているところである。若干長くなるが以下に引用しておこう。

ヒャルマル・シャハトの自伝 『Confessions of the Old Wizard』(「年老いた魔術師の告白」)を読んでいる最中なのだが、・・・シャハトが成し遂げた2つの偉業――ワイマール共和国時代におけるハイパーインフレの鎮圧およびナチ政権下におけるデフレの鎮圧――が実のところはいずれもいとも容易い仕事であったことを知って驚かされた。どちらのケースでも単に中央銀行が問題の解決に向けて取り組む意思を持つかどうかにすべてがかかっていたのだ。

例えば、(ワイマール共和国時代における)ハイパーインフレのケースに関してはこういう次第だ。おそらく読者は疑問に思うことだろう。なぜそこまで事態が悪化し得たのだろうか?、と。その答えは間違いを認めたがろうとしないセントラルバンカーの心性にあった。ハイパーインフレを抑える上ではライヒスバンクは貨幣の新規発行に歯止めをかける必要があったが、貨幣の新規発行をやめた結果としてハイパーインフレが収まるようなことにでもなれば、当時ライヒスバンクの総裁を務めていたルドルフ・ハーヴェンシュタインは自らの間違いを暗に認めることになってしまう。インフレの昂進を招いたそもそもの原因は(貨幣の大量発行を許した)自らにあり、もっと早い段階で貨幣の発行に歯止めをかけていればハイパーインフレもとうの昔に終息していた可能性を暗に認めてしまうことになるのだ。

・・・(略)・・・

・・・ハイパーインフレは新政府がシャハトをライヒスバンクの新たな総裁に任命するまで続いた。シャハトは総裁就任後に私的貨幣の流通を禁止し、不動産を担保とする新貨幣(レンテンマルク)の発行を決め、そして・・・レンテンマルクの大量発行を求める声を撥ね付けたのであった。こうして問題(ハイパーインフレ)は瞬く間にいとも容易く解決されたのである。

・・・ここに控えている制度的・心理的な問題は正直言って深刻である。仮にFOMC(連邦公開市場委員会)が次回の会合で積極的な政策手段の採用に乗り出し、その結果としてアメリカ経済が急速な成長を遂げることにでもなれば、それに付随してこれまでFedを批判してきた人々の正しさが裏付けられることになる。「アメリカ経済の低迷が長年続いている理由は金融政策の不手際(Fedによるヘマ)のせいだ」という意見の正しさが証明されることになるのだ。つまりは、Fedが政策を転換して首尾よく景気が上向いたとしても、問題の解決に成功した「優れた手腕の持ち主」(「天才」)として高く称賛されるのではなく、これまで長年にわたって問題を放置してきた「間抜け」との烙印を押される恐れがあるのだ。それとは対照的に、現体制を総取っ替えしてFOMCメンバーの顔触れを一新した場合、新体制下の面々はできるだけ速やかに問題を解決しようと努めるインセンティブに駆られることになるだろう。というのは、新しいメンバーたちが問題の解決に成功した暁には「優れた手腕の持ち主」と高く評価されることはあっても(これまでの間違いを暗に認める格好となることで)評判に傷が付くことはないからである。

イグレシアスの言う通りである。インフレやデフレ、物価水準、名目GDPといった名目変数に決定的な影響を及ぼし得るのは中央銀行だけであり、それゆえハイパーインフレや債務デフレ(デット・デフレ)、名目GDPの急落といった問題が起きたとすればその責任は中央銀行にあるのだ。事がうまく運んでいる(政策目標が達成されている)状況ではセントラルバンカーも「その通り。名目変数をコントロールできるのは我々だけだ」と同調する様子を見せる。しかしながら、インフレや名目GDPといった名目変数に異変が生じて政策目標の達成に失敗するとその責任は他のところに求められることになる。「投機家が悪い」「労働組合のせいだ」「元凶は無責任な(放漫財政にふける)政治家にある」というわけだ。例えば、アーサー・バーンズ元議長のケースを思い出してみるといい。1970年代初頭にアメリカでインフレが加速した原因はFedによる行き過ぎた金融緩和にあったにもかかわらず、バーンズ議長はインフレを抑えるために政府に対して価格・賃金統制の実施をしきりに求めていたのだ。「中央銀行には微塵も責任が無い」とでも言いたげなようだったのだ。

ところで、ドイツ中央銀行(ブンデスバンク)の現総裁であるイェンス・ウェイドマン(Jens Weidmann)が本日のフィナンシャル・タイムズ紙に次のようなコメントを寄せている。

世間一般に広がっている通念とは異なり、金融政策は万能薬ではない。中央銀行が行使し得る弾薬は無制限ではない。通貨同盟という枠組みの下ではとりわけそうである。まず第一に、ユーロ圏にある各国の中央銀行は独立性を確保する必要もあって採り得るリスクの大きさに制約が課せられている。

・・・そして第二に、無条件での追加緩和に乗り出すことは金融危機の教訓を無視することを意味する。

今回の危機は規模で測ってもその影響が及んだ範囲に照らしても異例なものであり、今回のような緊急事態には緊急措置を講じる必要があることは確かだ。しかしながら、知らず知らずのうちに次なる危機の種を蒔くことがないように早めに火消しに回ることも必要だ。ゼロ金利政策と大規模な資産購入を組み合わせた混合薬の投与には副作用がついて回らざるを得ない。投薬期間が長引くほどその副作用も大きくなるのだ。

ウェイドマンの意見に口を挟む気はさすがにもう起きないのだが(私がどういう思いを抱いているかは読者には容易に想像がつくことだろう)、一点だけ指摘しておこう。ドイツ国債の利回りは本日に入ってさらに低下し、史上最低水準を記録するに及んでいる。長期金利と名目GDP成長率は同一歩調をとる傾向にあるわけだが、そうだとすると10年物国債の利回りが現在1.5%ということはマーケットはインフレを恐れてなどいない証拠だと判断していいだろう。別の表現をすると、仮にECB(欧州中央銀行)が物価目標を達成してインフレ率が今後2%にとどまり続けることになれば、ドイツ国債を保有することで毎年0.5%ずつ損をすることになるということだ。つまりは、現在のところマーケットは1923年の過ち(ハイパーインフレ)が繰り返される恐れがあるとは見なしてはいないわけだ。それよりはむしろ1932年の過ち(デフレ)が繰り返される可能性を警戒しており、ギリシャにおける今回の選挙結果もその可能性を指し示しているのだ。

(追記)デイビッド・グラスナー(David Glasner)が(上で紹介した)ウェイドマンの意見にコメントを加えている。辛抱強いことよ。

(追々記)スコット・サムナー(Scott Sumner)がフランスの新大統領であるフランソワ・オランド(Francois Hollande)をレオン・ブルム(Léon Blum)になぞらえている。実は私も前からそのように考えていた。レオン・ブルムは1936年6月から1937年6月までの期間にフランスの首相を務めた政治家である。ブルムは1936年に金本位制からの離脱を決断し、フランを25%も切り下げたのであった。ブルムが実施した政策の多くは的外れであったものの、フランの切り下げはそれなりに効果を上げた。フランの切り下げのおかげでフランスでは緩やかな景気回復が始動することになったのである。しかしながら、不運なことに36年の段階においてはヨーロッパ経済は金本位制によって既にボロボロに崩壊させられており、第二次世界大戦が間近に迫っていたのであった。世のセントラルバンカーがこれまでにちゃんと歴史を勉強してきているどうか疑わしいところではあるが、手始めにアダム ・トゥーズ(Adam Tooze)の『Wages of Destruction』を読んでみるというのはどうだろうか?/(補足)マシュー・オブライエン(Matthew O’Brien)も――私よりもずっと力強い調子で――同様の指摘を行っている(“Europe’s FDR? How France’s New President Could Save Europe”)。

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」経済学101, 2013年11月19日) []
  2. 訳注;シャハトがライヒスバンクの総裁を務めていたのは1923~30年の期間。なお、1933~1939年にも再び総裁を務めている。 []

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