あゝ 夏目雅子さん・・ 
知人が語る「夏目雅子さんのエピソード」を読むたびに、僕はあなたの優しい気配りや心遣いに感動して涙してしまいました。改めて、 いい女優さんだったんだなぁと思います。
伝説のエピソード
とにかく負けん気が強かった
『ザ・商社』のディレクター 和田勉さんを驚かせたライター事件
寂しがりやで、負けず嫌いで、茶目っ気があって、焼きもち焼きで、甘えん坊で、お酒が好きで、偉人・山頭火(さんとうか)を愛していた・・。
夏目雅子の死後、新聞や週刊誌など多くのマスコミがさまざまな追悼記事を書いた。出演した映画やテレビドラマでの演技など女優としての評価もさりながら、自由奔放な人間味を語るメディアも多かった。
その中で共通して際だつのは、負けず嫌いの激しい性格を指摘する声だった。彼女の素顔を知る人たちの中で語り継がれる伝説のエピソード、その一である。
夏目雅子は、1976年(昭和51年)、テレビドラマ『愛が見えますか』のヒロイン一般公募に合格し、本名・小達雅子でデビューした。
(そのとき、夏目雅子さんは18歳)
翌年、『トラック野郎 男一匹桃次郎』のマドンナ役で映画に出たあと、カネボウ化粧品の夏のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで一躍世間の話題をさらった。
(夏目雅子さんは当時、19歳)
この時、夏の目玉商品で目が大きいということや、本人が好きだったお茶の棗(なつめ)から夏目雅子が芸名となった。
デビュー以来9年足らずの間に出演したのは、テレビドラマ50本、映画10本と4つの舞台。
NHKドラマ『ザ・商社』1980年放送(夏目雅子さんが22歳の時)
スターの階段を駆け上がって行く中で、最も大きな転機になったのは1980年(昭和55年)のNHKテレビ『ザ・商社』と言われる。戦後最大の倒産事件と言われた安宅産業をモデルにした松本清張原作(『空の城』)のこの骨太5時間ドラマ。彼女は、主役の山崎努ら3人の男を踏み台にのし上がるピアニスト役。
初めてのヌードシーンもあった。それまでのお嬢さん役から脱皮し、女優として大きく開花したと言われる。この好演が『鬼龍院花子の生涯』(1982年)、『時代屋の女房』(1983年)、『瀬戸内少年野球団』(1984年)など話題の映画出演につながってゆく。
『ザ・商社』を担当したNHKの元チーフディレクター、和田勉(わだべん)に東京・日比谷公園のそばのレストランで会った。今回の「夏目雅子を探す旅」に欠かすことが出来ない登場人物の一人である。
芸術祭賞入賞11回。芸術祭男の異名を取った名物演出家も75歳(当時)。昼間からワインを傾けながら、思い出話は止まらなかった。夏目ファンには先刻承知のエピソードも多いだろうが、何度聞いても面白い話もある。
ヒロインに起用したその日のことを改めて話してください。
夏目に初めて会ったのは、『ザ・商社』のリハーサルまであと一週間という日。ヒロインの友人役のつもりでした。NHKの前にある喫茶店に行くと、カーリーヘアでジーパン姿の女の子がひとりで漫画を読んでいる。“あなたが夏目さん?”と声をかけると、満面の笑顔で“ハイ、そうです”と答え、いきなり“アハハハ”と大声で笑った。
当時、僕はヒロインを探しあぐねていた。最初は浅丘ルリ子でやろうと思っていましたが、ヌードシーンが問題で、ぎりぎりまで決まらなかった。
夏目とドラマの話をしていると、
“私、あと10年して30歳になったらこの役をやりたい”
と台本のヒロイン役のところを指さした。
それを見た僕は、
“そうか、でも役者に明日はない。やりたいことは今やれっ ”と
口走っていました。
彼女は、
“エーッ”と驚き、
“本当ですか?”とほっぺたをつねっていました。
そのときの彼女には、役を彼女に決めさせるオーラがあった。その後もいわく言い難いオーラがありましたね」
●彼女が自分のおっぱいを和田さんに見せた話。
「その裸のシーンを撮る1時間前、楽屋に僕を呼び、いきなり胸をはだけて、“夕べ、母に見せたら、小さいんじゃない? って言われました。これでいいですか?”
と聞いて来た。びっくりしましたが、よく見ると彼女は鼻の頭にうっすらと脂汗をかいていました」
NHKドラマ『ザ・商社』1980年放送/ベッドシーンの前に、夏目雅子さんが服を脱いでオッパイを出しています。相手は山崎努さん。夏目雅子さんの女優としての将来性を見抜いた演出家の和田勉氏によって『ザ・商社』のヒロインとして大抜擢されました。このドラマはNHKの制作だが、上半身裸のヌードシーンがあり、オッパイを惜しげもなく堂々とみせる夏目雅子さんの迫真ある演技により女優としての評価を高めることに成功しました。
NHKドラマ『ザ・商社』1980年放送
●和田さんの目の前でライターを投げつけた事件について。
「負けん気の強さは相当なものでした。『ザ・商社』のあと、僕は81年に同じ松本清張原作の『けもの道』を撮ることになった。夏目は『ザ・商社』の評判がよかったことから、ヒロイン役は当然自分に来ると思っていたようです。しかし、僕は同じ役者とはほとんど続けてやったことがなく、名取裕子に決めました。ある日、夏目を帝国ホテルのロビーに呼び、“今度は名取でやるよ”と伝えた。すると夏目はいきなり持っていたピンク色の百円ライターを床に激しくたたきつけた。無念さをただちに表したことは他にもありましたが、これには一番驚いた。“ああ、お嬢さんだな”とも思った。もっとも、その怒りはそれだけで、後日『けもの道』の撮影を見学に来てましたけどね」
和田が目にしたのはもちろん彼女の戦闘的な面ばかりではない。
『ザ・商社』のころ、夜の六本木を二人で歩いた時、「手をつなごう」と言ったら「ダメ!」と言わず、腕を組んできて、笑いながら「許してあげる」と言った。「許す」というのは、とても可愛く、いい言葉だな、と印象に残っているという。
「夏目は、慣れるとよく相手の真似をした。僕がしかめ面をするとしかめ面、笑うと笑う。言葉でも、僕が何をくう? と聞くとスシをくう。何をたべますか? と聞くとローストビーフをたべますと答える。
このちょっとした“あたしがカガミになってあげる”というところが可愛いところだった」
実業之日本社発行 森英介・著 小達スエ(編集協力)
「優日雅 夏目雅子ふたたび」より抜粋しました。
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