中島耕太郎
2014年11月12日06時53分
機知に富んだ消しゴム版画を添えたテレビ評論で時代を画したコラムニスト、ナンシー関さん。2002年に39歳の若さで急逝した才能を悼み、没後12年となる今年、東京・渋谷で展覧会が開かれる。「毒舌」の一言ではくくれない魅力を再発見する場になりそうだ。
14日から渋谷のパルコミュージアムで開かれる「顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼」。開催に先立つ9日にトークショーがあり、満席の会場には若い世代も目立った。
■中庸な存在で「異常」見抜く
壇上でイラストレーターのみうらじゅんさんは、「ナンシーさんに目をつけられる人間にはなりたくなかった」と語り、芸能人の「異常」を見抜いたのは、自身が中庸な存在だったからと振り返った。イラストレーターの安齋肇さんは消しゴム版画について、「タモリさんも『やっぱりすごいな』と感心していた」。
ナンシーさんは青森市出身。法政大在学中から消しゴム版画の腕前を認められ、93年には週刊朝日と週刊文春でコラムをもった。虚血性心不全で急死した時には、10本近い連載を抱えていた。
96年のアトランタ五輪では、「(世の中が)『感動させてくれ』と大声で叫び出した」と書いた。成績が振るわず、テレビのインタビューで「五輪には楽しむつもりで出た」という趣旨の発言をしてバッシングされた水泳の千葉すず選手には、「すず いてまえ」とエールを送った。その後もサッカーW杯などで「ニッポン」を連呼する状況に「怖い」「気味悪い」とつづった。
■自任していた顔面至上主義
テレビで見てとれるものだけを信じて書く「顔面至上主義者」を自任。近年、毒舌キャラとして復活した有吉弘行さんについて、98年には「生来ふてぶてしい」と見抜いていた。
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