クソログ

ごーみ

生まれた命を否定することはできないから

子供の頃に観たものを大人になって改めて観てみると、また違った感想を持つなんてことはないでしょうか。
ミュウツーの逆襲」という映画も僕にとってはそんな作品の一つです。
同じものを観て今まで気づかなかったことに気づかされると、人は少しずつでも変わっていくものなんだなと思ったりします。


ポケットモンスターを知っている人にはもはや説明は不要ですが、ミュウツーというのは幻のポケモン、ミュウの化石から人工的に作られたポケモンです。他の野生のモンスターとは一線を画した高い能力を持っています。ミュウのコピー、ミュウツー

人によって作られたミュウツーが人から求められるのは、その並はずれた「能力」のみ。
それ以外は何も求められていません。
自身をただの利用されるだけの存在とは信じられないミュウツーは研究所を破壊し飛び出ていきます。

「私は誰だ。ここはどこだ。私は何のために生まれてきたんだ。 私は人間に造られた。だが人間でもない! 造られたポケモンの私は、ポケモンですらない!
誰が生めと頼んだ!誰が作ってくれと願った! 私は私を生んだ全てを恨む。
だからこれは“攻撃”でもなく“宣戦布告”でもなく、私を生み出したお前たちへの“逆襲”だ!」

初めて「ミュウツーの逆襲」を観たとき、ミュウツーがなぜあれ程までに憤っていたのか、僕にはよくわかりませんでした。
でも、今なら分かる気がします。
そして映画化第一作目で、このような重くて深い内容のテーマを扱っていたことに改めて驚かされました。

この作品のテーマは当時話題になったクローン技術に対する風刺ともとれますが、本当のテーマは「私はだれ?」というアイデンティティの探求です。

親から能力や成績ばかり期待され、自分が何者かわからない悲しみ、自分が望まれずして生まれてきたのではないかと感じる憤り、それはどの子供にも当てはまるであろう普遍的なテーマでもあるのです。

もしかしたら「ミュウツー」とはこの映画を観た子供たちだったのかもしれません。


【ポケモン】風といっしょに【ミュウツーの逆襲】 - YouTube