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ザハ・ハディド(新宿区・10/18-12/23)

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201411

まちづくりと「地域アート」──「関係性の美学」の日本的文脈

藤田直哉(SF・文芸評論家)+星野太(美学、表象文化論)


2000年代に入り、全国でまちづくりを支援し、地域を活性化させるさまざまなアート・プロジェクトが展開しています。「地域アート」と呼ばれるこうした動きを戦後美術史の文脈から支えるニコラ・ブリオー「関係性の美学」やそれと距離を置くジャック・ランシエールの「政治」などを介しながら、コミュニティ拠点づくりや地域振興とアートの深まる「関係」について考えます。 「ブリオー×ランシエール論争を読む」やクレア・ビショップ「敵対と関係性の美学」などの翻訳でも知られる美学・表象文化論の星野太氏と、「前衛のゾンビたち──地域アートの諸問題」(『すばる』2014年10月号掲載)で現代アートの構造変化を問いかけた評論家の藤田直哉氏に語っていただきました。



藤田直哉氏(左)、星野太氏(右)

いまだ「批評」は読者を獲得し、影響力を持ちうるのか

『すばる』2014年10月号、集英社
星野太──今日はよろしくお願いいたします。藤田さんの「地域アート」をテーマにしたエッセイ「前衛のゾンビたち──地域アートの諸問題」(『すばる』2014年10月号、集英社)を拝読しました。今日はその「地域アート」の問題を、政治と経済、グローバリズムとローカリズム、物質性と非物質性、美学と反美学をはじめとするさまざまなフレームのもとで問い直したいと思います。『すばる』という文芸誌に発表されたエッセイでありながら、発表直後からとても大きな反響が寄せられていますね。

藤田直哉──正直に言って、反響の大きさに驚きました。現場での直感をもとにした、わりと乱暴なところのある文章なので、もっと現場サイドの方々からボコボコにされるもんだと思いこんでいたのですが、意外とそうではなかった。反発よりも共感の声が大きくて、それも驚いたことでした。
なかでも、ニコラ・ブリオー(Nicolas Bourriaud、1965~)の『L'esthétique relationnelle(関係性の美学)』(1998)やそれに関係する言説に対して精緻さを欠いていた部分はあるので、今日は専門家でいらっしゃる星野さんとお話させていただければと思います。

星野──藤田さんのテクストは、この種の挑発的な美術批評が久しく書かれてこなかったという事実を、結果的に浮き彫りにしたのではないかと思います。昨今の「地域アート」──この呼称そのものは検討の余地があると思いますが──に対する部分的な異議申し立てはあったにはせよ、藤田さんがなさったような仕方で、芸術と地域振興をめぐる問題そのものを問い直すような批評は(少なくとも公には)ほとんど存在しなかった。とはいえ、藤田さんが「批評が機能しなくなっている」と書かれていたのとは裏腹に、今回「前衛のゾンビたち」にこれだけ大きな反応が寄せられたということは、ある意味で批評の力がまだ残っていることの証左として捉えることができるかもしれません。

藤田──「批評」がまだ影響力を持っており、読者を獲得しうるのかもしれないという手ごたえは、確かにありました。が、ちょっと逆説的というか、皮肉なところもあるのですよね。
アートとは問題を指摘することに意味があり、そのことに価値があることになっているけれども、はたしてそうなのかということからエッセイを書き起こしています。しかし結果としてアート関係の方々は、この批評が問題提起をしている、ゆえに価値があると判断をしてくださっている。彼らはその意味で一貫しているのですが、ぼくの批評の粗さについては目をつぶってくださっています。地域アートや現代アートを評価する理屈を、ぼくの評論にも当てはめてくれている(笑)。他所者であるぼくがアート業界に入っていって均衡をかき乱し、少しは地域(アート業界)を活性化させたという点で、田中功起さんは、ご自身のご活動とぼくの評論が似ていると指摘されていらっしゃる。半分ぐらい、そういう循環を意図して書いたのですが、そう評価されて喜んでいいのか、まだ釈然としない気分です。

星野──まさしく自分が批判している図式のなかで評価されてしまっているということに、行為遂行的な矛盾を感じるわけですね(笑)。

ニコラ・ブリオー『関係性の美学』の日本的文脈

藤田──まさしくその通りですね(笑)。ただその矛盾する部分があるがゆえに、人々の意見を引き出しやすくなったという意味ではまったく無意味ではなかったとも思います。おこがましいながらも、今日の対話のために、「地域アート」の問題点に触れた「前衛のゾンビたち」の要点を簡単に復習させていただきます。
いま日本ではさまざまな「地域アート」が行なわれています。正確な数はわかりませんが、おそらく日本の30以上の地域でそれなりの大きさの「地域アート」イベントが組まれていて、これを予算枠で整理すると、数百万円でつくっているものもあれば億の単位で税金、基金を使って組んでいるものまであります。こういう「地域アート」のイベントが日常化した結果、ここが若手作家にとって新作発表のよい発表機会になるという事態が生まれています。
村上隆や会田誠以降の「現代アート」の一大勢力は「地域アート」だという捉え方も可能です。それを支えているのは、国家の文化政策──文化立国、芸術立国、クール・ジャパン・アート特区、アート・ツーリズムなど──と関係する地域振興という政府の方針でもあるのです。
こうした「地域アート」がアートにとってもマネタイズの効果を持ち、大勢の地域の人々が参加でき、アート系の大学生、さまざまな人々がボランティアとして集まってさまざまなコミュニケーションが生まれているということが、ひとつの重要な価値として提示されています。そして、そういう現場に行ったり、関わっている人たちに話を聞くと「自分たちがやっているのは〈関係性の美学〉だ」という説明を聞くことが多かったのです。これをきっかけに、「関係性の美学」が、日本的文脈のなかで理解(誤解)され、咀嚼されているのではないかという本論の基本的な問題意識が生まれました。
ただ、ニコラ・ブリオー『関係性の美学』は1998年にフランス語で書かれ、のちに10カ国以上で翻訳されましたが、まだ日本語で読むことはできませんし、なかなかブリオーの思想なり主張を共有することが難しいままなのです。そういうなかで、人と人とが具体的な場所のなかでつながったり、コミュニケーションをしたりすること、地域でおじいちゃんやおばあちゃんも子どもも一緒になにかをやる、あるいはtwitterで情報を共有したり、Facebookに写真をアップする、そういったことを「アート」として正当化してくれる後ろ盾として、ブリオーの『関係性の美学』が、流用、というか、もはや「悪用」されているようにぼくは思いました。

星野──ブリオーは、自身がキュレーションした「トラフィック」展(1996)で「リレーショナル・アート」という言葉をはじめて大々的に打ち出しました。とはいえ後に発表された『関係性の美学』では、プロセスやコミュニティに重きを置く90年代の作品の傾向がひととおり紹介されてはいるものの、基本的に同書はブリオーの思想的なエッセイ集と言っていい。そこにはいささか抽象的な議論も含まれていて、昨今の日本で謳われているような「関係性の美学」をめぐる議論が全面的に展開されているわけでは必ずしもありません。
個人的な印象として、ブリオーは優れたキュレーターである以上に、きわめて優れたコピー・ライターだと思っています。つまり、ロザリンド・クラウスやハル・フォスターをはじめとする『オクトーバー』系の──高度に複雑かつ難解な──戦後アメリカの批評家たちと比べると、ブリオーが打ち出す概念にはかなりアド・ホックな部分が目立ちます。その時々においてブリオーの関心の対象がスライドしているということもあり、そこで参照される哲学・思想がたえず移り変わっていくわけですね。最近で言えば、クァンタン・メイヤスーやグレアム・ハーマンらの「思弁的実在論」が、彼のキュレーションする「台北ビエンナーレ」(2014/9/13~2015/1/4)の理論的な参照項として用いられています。『関係性の美学』に続くブリオーの著作としては『ポストプロダクション』や『ラディカント』などがありますが、彼がキュレーションを手がけたテート・トリエンナーレのタイトルである「オルタモダン(Altermodern)」などもその好例でしょう。「関係性の美学」もやはり、そうしたキャッチ・コピーのひとつであると考えることができる。つまり、ブリオーの理論そのものではなく、その言葉に反応した人たちがそれぞれ想像を働かせて、それをネットワーク社会のキーコンセプトでもある「関係性」と結びつけていったというのが実情ではないでしょうか。

藤田──ブリオーが『関係性の美学』を書いた98年当時、彼はキュレーターでしたよね。

星野──今もブリオーは第一線のキュレーターとして活動していますね。『関係性の美学』を発表した当時のブリオーは、ボルドーの現代美術館(CAPC)のキュレーターでした。その後パリのパレ・ド・トーキョーの開館事業に携わり、現在はパリの国立美術学校(エコール・デ・ボザール)のディレクターをしています。

『コンテンポラリー・アート・セオリー』
(EOS Art Book Series 001、2013
藤田──星野さんの論文「ブリオー×ランシエール論争を読む」が掲載されている『コンテンポラリー・アート・セオリー』のほかの論文を読んでもわかりますが、キュレーターが展覧会をまとめるときにつくった、必ずしもセオリティカルでないコンセプト・ワードがそのまま美術理論として使われがちですよね。『関係性の美学』で取り上げられているのは、リクリット・ティラヴァーニャ、リアム・ギリック、フェリックス・ゴンザレス=トレス、フィリップ・パレーノ、ヴァネッサ・ビークロフト、平川典俊といった作家たちですが、その括りは事後的であって、展覧会をつくるその時の、集まった作家たちや作品を一言で表現するためのいわば「でっち上げ」の雰囲気さえ感じます。キュレーションの実務的な側面を考えると、それって仕方がないことなのかなと思うんですけれども。偶然なり、出会いなりで見つけた作家や作品を、ある種の直観で並べて、それをわかりやすいキャッチ・コピーを付けて、一つの見え方を提示するというのは、キュレーションの魅力の本質でもあるわけですし、キャッチ・コピーのインパクトが強い方が、話題にもなるし、宣伝にもなる。

星野──ええ。ただ、そうしてできあがったコンセプトが後に影響力を持ってしまって、ひとつの「理論的な」参照項になってしまうこともある。

藤田──では、日本でこれだけ「関係性の美学」というコピーが独り歩きしてしまった、あるいは「地域アート」の文脈に乗ってしまったのはなぜなんでしょうか。ぼくは、「関係性の美学」のなかにあるマイクロ・ユートピア志向が、日本的な「和」の価値観と相性がよかったせいではないかと考えているのですが。




201411 コミュニティ拠点と地域振興──関係性と公共性を問いなおす


アール・ブリュットがつなぐコミュニティと福祉
まちづくりと「地域アート」──「関係性の美学」の日本的文脈
岐路に立つ公共図書館──集客施設か、知的インフラか
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