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■台本の締切日だったのだ。
だが終わらなかった。未だ四分の一が残っている。残念だ。今週中には何とかしなくては。
公演まであと丁度一月、明日からは宣伝もスタートする。
■何か事件が起こった際に 、しばしば、当事者の所属先が「今は担当者がいないのでコメントは出来ない」 というでしょう。
訴えられたりした側が「書類が届いていないのでコメントは差し控えたい」と言うのも、よくありますね。
マアいわゆる常套句なのだけれど、しかし今日ニュースを聞いていて、報じられた5件のうち3件で「担当者がいない」のには笑ってしまった。担当者よ、どこにいるのだ。そんなに席を外していて仕事になるのか、担当者。 電話には出ないのか、担当者。メールにも返信しないのか、担当者。おお、担当者。
■今から5〜6年も前のことになるが、用件があって日野にある警察署に行ったときのこと。
ある作業のため、一定時間道路にクルマを駐車させることを許可して欲しいという内容だったと記憶する。で、窓口に行ったのだ。その書類はどこへ提出すれば良いのか。
すると窓口に座っていた初老の男が言うのだ。
「今は担当者がいない、出直せ」。
いや実はこちらは人に頼まれて、書類を渡せば良いとだけ聞いて来たので出直せと言われても困る。その担当者はいつになったら帰ってくるのか。と質問したのだ。
すると驚くべきことに、辺りに響き渡るような大声で一喝された。曰く
「話を聞け!日本語が分からないのかこのバカ。いないと言ったらいないのだ!何でも自分の思い通りになると思うなこの若造」。
これが私用であれば一戦交える所存なのだが、何せ人に頼まれたことなのである。
それも明日の作業なので今日許可が取れないと困るとのことなのだ。
私は卑屈にもヘエヘエ申し訳ございません、と殊勝な態度で何故かコウボクの説教をその後10分あまりも拝聴することになる。
俺、こんなトコで何やってるんだろうかとジンワリ涙目になって来た頃、目の前のオマワリが言うのだ。
「で」
はあ?
「いや、だから、書類。見せて」
ハイ。
「・・・はい、OK。んじゃ。」
■えー。
お前だったんじゃん、担当者。いないっていったじゃん担当者。てゆーか私なんで怒られたのでしょうか。警察署に行って担当者はいませんか、と担当者に聞くと説教を喰らうのか。
問い質せばそのカラクリはこういうことらしい。
「私が訪ねた時間には、昼休み中であった」
で、昼休みの時間が終わったから担当者に復帰し、書類を受け取ったのだという。
その驚くべき言説に、自分が何か言い返すことが出来たのかまったく覚えてはいないが、ちょっと泣きながら帰ったことは覚えている。
■季節の変わり目である。今日も朝から雨が降っている。
小野寺邦彦
生活の冒険
#009 消耗する 2009.6.21 SUN
■大分間が空いてしまった。
この間何をしていたのか。毎日稽古をしていたし、打ち合わせだってしていた。そして何より台本を書いていたのだ。実は、まだ書いている。
■締め切りだった、と書いたのはもう10日も前のことだ。
終わらない。書けない、のではなくて、終わらないのだ。
書いているとアイディアが出てくるのだ。次々と出てくる。それを台本に書き込もうと格闘していると、台本が膨大な分量になってしまっている。
今、書いているのは終盤なのだ。もうこの劇は終わりに近づいているのに、こんなに新しいアイディアを、この期に及んで入れてしまってどうするのだ。
前回はそれで2時間20分もの上演時間になってしまった。
劇場の人にも「長いよ」と言われたのだ。
私も長かった、と思う。長いよなあ。
今回は100分が限界だろう。
深夜から書き始めた内容を、朝になって消してしまう毎日だった。
■無駄なことだろうか、と考えれば明らかに無駄なことだ。
でもねえ、悪いことではないじゃないか。
ダメだろうか無駄。無駄がホメコトバになるような舞台は沢山ある。
生真面目な性格が私の弱点だと思う。
■今日は朝から雨だった。雨の中でタタキがあったはずだ。私は顔を出したかったが、結局パソコンの前から離れることが出来なかった。申し訳ない、と思う。スマナイ、と思う。ああタタキたい。かつて平行四辺形型の超芸術的な平台(でも何故か自立した)を作ったことのある私である。クギを抜くくらいなら任せて欲しい。
■台本はいよいよ完成するだろう。しなくては困る。
小野寺邦彦
生活の冒険
#010 感じる前に考えよ 2009.06.26 FRI
■吉祥寺の喫茶店で打ち合わせをしていたのだった。
■隣のテーブルに座っていたグループの男が大きな声でシキリと「感じたい、感じたい」とノタマッていたので、何事かと思ったのだ。
「想いをコトバにすると、汚れてしまう気さえする。理屈では無くて、感じたままに作品を作りたい」
概ねそんな内容を喋っていた。帰り際にチラと目をやったら、年の頃は30歳前後か。テーブルにイラストのようなものが拡げられていた。
■こういう言い回しは大学に入った頃はよく聞いた。美術大学であったから、当然作品を作っている人がほとんどで、「感じる」ことを大事にしている、と言う人も少なくは無かった。だがそういう人の作品ほど、えてしてツマラナく時として頭デッカチと感じたのはどういうわけか。思うにそれは他人の批評を逃れるための浅い方便だったのではないか。
良い作品を作っていた人は、皆、考えていた。考えながら感じていた。
■人が自分の作品に向けてくるコトバを一律に「つまらない理屈」などと言ってはならないよ。うんざりする位つまらない「感じ」だってあるじゃないか。 ね、あるでしょう。
■人の振り見て我が振り直せ。コレを他山の石としよう。「感じる前に考える」
コレが架空畳のテーマです。よしよし、今決めた。
■日中は30度を越える日々。6月も終わる。夏が来るなぁ。
小野寺邦彦
生活の冒険
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