【1】
「ではさっそく準備に移りましょう」
ティエラが同行を承諾したので各自準備に取り掛かる。
ティエラは外出に適した服をみつくろいに部屋へ戻り、ユズハはシンについて行くと子狐モードでシンの頭上に待機している。
「私は依頼の方を完遂してまいります。念のため食料や備品を買っておいて貰えますか?」
「あいよ、こっちは軽く剣でもうってからギルドに行くからそのついでに買っておく」
「ギルドですか?」
「ああ。シュニーは準備が終わったら例の依頼の件でしばらく別行動だろ? だから俺はギルドでファルニッド方面に行く依頼でも受けてランクアップに励もうかと思ってな。いつまでもGランクってわけにもいかんし」
ギルドに入っていつまでも最低ランクというのは世間体も含めあまりよろしくない。たいした実力がなくともそう長くGランクにとどまるということはないというのは知っていたのでせめてFにしておこうと思ったのだ。
スカルフェイスの件を除けば、シンの依頼達成率は今だ0なのである。
「わかりました。合流場所はどうしますか?」
「各自の進行状況で決めよう。もうメッセージも飛ばせるしな」
「でしたらパーティーを組みましょう。そうすれば音声チャット機能が使えます」
「え、マジで!?」
シュニーによるとパーティー編成で同じパーティーとなった相手とのみ、音声チャットが使えるらしい。今では心で話すと書いて【心話】と呼ばれているのだとか。
「すぐに使えるようになるのは旧世代だけですけどね。新世代の人たちは最低でも互いに信頼が置けるくらいにならないと使えないと聞きますが、それもどこまで本当かは分かりません」
「新旧入り混じってるパーティーだとどうなるんだ?」
「旧世代の方のみ繋がるようです。原因はわかっていませんが」
どういう原理で話せるのかもわかっていないので、話せるようになる条件もわからないそうだ。新世代の場合、ある日突然使えるようになるらしい。もちろん、パーティーを解除すると使えなくなるが、再度パーティーを組めば使える者同士はすぐに心話での通信が可能となる。
「ってことはすぐに使えるのは俺とシュニーだけか」
「ユズハもシンとおはなしできるよ」
「ユズハの場合はシンの調教師の能力とユズハ個人の資質によるものだと思いますのであまり公表しない方がいいと思います。それと私たちのいうパーティーとギルドでのパーティーは別物ですのでそこも覚えておいてください」
「ちがうの?」
「どういうことだ?」
シンとユズハがそろって疑問符を浮かべる。
「ギルドのパーティーはギルドカードに登録して初めてパーティーとして認められます。ですが私やシンのような旧世代のパーティー編成システムは一般の方には認識できないメニュー表示を介して行われます。つまり、私たちは2重のパーティーを組むことができるのです」
そもそも、メニュー画面を開けるのは栄華の落日以前から生きている者たちに限られるらしい。新世代の場合、スキルやアーツは明確な説明文が出るわけではなく何となく使い方がわかるのだとか。
「ギルドカードなしだとレベル以外はおおまかにしか自分のステータスとかわからないんだっけか。でも結局ギルドで認められるのはギルドカードで組んだ方のパーティーなんだろ? 旧世代バージョンのパーティー編成にそんなに利点があるのか?」
「たしかに旧世代のやり方はギルドでは正式なパーティーとして認められません。ですがこの世界では長距離通信をできる相手が多いというのはそれだけで重宝されるのです。どの国でも心話の使える人は他よりも優遇されます。旧世代なら冒険者でなくてもです。戦えれば言うことはないですが、そうでなくともパーティーを組ませて各地に派遣すればいち早く情報を知ることができますから」
「なるほど、心話の使えるやつは手元に置いておくだけで価値があるわけか」
この世界の情報伝達方法は早馬や馬車による手紙の配達などだ。情報の伝わる速度は心話と比べられるものではないだろう。
シュニーの話では心話の使える新世代は冒険者全体で見ても一握り。旧世代も数を減らしている今、その価値は計り知れないものになっていた。
「くぅ~? それってすごいの?」
「ああ、すごいぞ。なにせ思ったことを離れたところにいる相手にすぐ伝えられるからな。怪我して動けないときに助けを呼んだり、大事な情報をすぐに伝えたりできる」
「くぅ! シンが困ったらユズハがたすける!」
「そのときはよろしくな。ユズハも困った時は俺を呼ぶように」
「わかった!」
情報伝達が早いことの利点を理解できていなかったユズハも、シンの言葉でなんとなくすごいということを理解した。完全に理解しているとは言えないあたりがまだ子供である。
「今のところ新世代と旧世代ではギルドカードによるパーティー編成を経ていないと心話は使えないようです。なのでギルドに登録していない一般人とは心話は使えません。もし時間があればティエラもギルドに登録しておくといいかもしれませんね」
「そうだな。じゃあギルドに一緒に行ってついでに登録しとくか」
「よろしくお願いします。この50年で基礎的な戦い方は仕込んでありますから素人よりは動けるはずです」
「え、お前が仕込んだの?」
「はい、それがなにか?」
シンが何を驚いているのかわからないというふうに小さく首をかしげるシュニー。そのあまりにも自然な動作はシンの男心をくすぐるがどうにかそれそうになる意識を保つ。
以前ヴィルヘルムが言っていた。シュニーに稽古をつけてもらったことがあると、そして一方的にボコられたと。
「大丈夫だったのか?」
「ええと、仰る意味がわからないのですが」
シンの脳裏に浮かんだのはスパルタ指導をしているシュニーの姿。どことなく厳しそうなイメージがあるのだ。
「シンが何を想像したのかは知りませんが、やったのは基礎訓練だけですよ。私がいれば結界の外に出ても大丈夫でしたので、依頼を受けていないときに教えたんです。レベルこそ低いですが、なりたての冒険者よりは優れた動きができるはずです」
シンが何を想像したのか読みとったらしいシュニーが少し不機嫌そうに言う。
「いや、その、わるい。ちょっと指導が厳しいみたいなことを聞いたもんだから、つい」
こういうときは素直に謝る。それが鉄則だ、とは現実世界の母の言である。ついでに謝らないと立場が悪くなるぞ、というのが父の言だ。
シュニーとのやりとりでなぜかそんなことを思い出してしまった。
「では、簡単な頼みごとを聞いてもらうということで手を打ちましょう」
「ああ……わかった」
にっこりと笑って言うシュニー。万民を虜にする笑顔が今のシンには少し恐ろしい。
一体何をさせられるのかと憂鬱な気分になってしまうのだった。
◆◆◆◆
シュニーが買い出しにでてすぐ。シンはユズハを連れて鍛冶場に来ていた。軽く剣を打ってからギルドに行くつもりだ。
「さて、やるか」
アイテムボックスから何の加工もされていない鉄のインゴットを取り出す。粗悪ではないが良質でもない、普通といっていい代物だ。
打つのはこれまた一般的なロングソード。もちろん鍛造だ。鋳造もやろうと思えばできるがこればかりは譲れない。
「これが剣になるの?」
「ああ。打ってるときは危ないからあまり近寄るなよ」
ユズハに離れてみるように言ってからロングソード作りを始める。なんだかんだで五年以上続けているせいかこの世界に来てからも問題なく体は動く。
鉄を熱し、ハンマーで打つ。カンッ、カンッと金属を叩く音が鍛冶場に響き、シンクロするようにユズハの尻尾がピクッ、ピクッっと小さく動く。
ゲームではインゴットの――よほど隅っこでなければ――どこを打っても同じだったが、現実となった今ではそうはいかない。だが、シンにはどこを打てばいいのかがなんとなくわかった。スキルの恩恵だろう。本当の職人はこういう感覚を持っているのだろうなと思いながらさらにハンマーを打ちすえていく。
「すごーい!」
見る見るうちに形を変えていくインゴットを見てユズハが歓声を上げる。普通の鍛冶師がいれば呆然としてしまうような速度だ。そんなに早くて大丈夫なのかと思うところで、当然大丈夫ではない。ただ早く打つだけでは粗悪品しか生産できない。
それを解決するのがシンの持つ【鍛冶】スキルだ。製作者の意図した形状、性能、そういったものを反映しつつ製作速度を上げるというもので、現実世界では再現不可能な反則技能である。
もちろん鍛冶スキルだけではどんな武器でも作成できるというわけではない。魔術を付与するなら魔術スキルが必要だし、素材によっては【調合】や【錬金】スキルも必要になってくる。
生産職につく者は何かを究めようとすると必然的に他の生産業も身につけなければならないというジレンマと戦うことになるのだ。
「まずは一本」
ちょっとした訓練のつもりで出来上がった剣を見る。刀身しかないがそれは何の変哲もないインゴットから作ったとは言えない出来栄えだった。
鍛冶場の入り口から入ってくる光を反射して輝く刀身、その刀身を覆う仄かな白い光、刃の鋭さは言うまでもない。素人が扱ってもそれなりの戦果が上げられそうな品である。
「……少し、気合入れすぎたな」
試験的な意味で打ったのだが、明らかに店頭に置くには問題のある品が打ちあがってしまった。これを普通のロングソードですとはとてもじゃないが言えない。魔術付与がなされている時点で希少(レア)か|特殊級だ。
世間的には魔術付与された剣は付与された魔術によって魔剣、聖剣と呼ばれることもある。基本的に伝説級以上の武器を持っている者がほとんどいないので武器の等級としては希少(レア)か|特殊級を指すことがほとんどだ。ただ単に伝説級以上の武器がなんの付与もなくとも魔剣以上の性能を持っているからという理由もあるが。
「しっぱい?」
「いや、失敗じゃないが売り物にはできないってとこだな。王国の武器屋も魔術付与された剣なんてそう何本もおいてなかったし」
ないわけではないが、|希少なのだ。しかも、シンが打っているのでそこらの魔剣とは性能が違う。手を抜いたとはいえ武器屋で買える平均的な性能の魔剣がロングソードを2本まとめて切れるとしたら、シンの打った魔剣は四本はいける。本気を出せば低級の魔剣だって切れるだろう。伝説級とも打ち合える剣が打てるほどの腕を持っているのは伊達ではない。
とはいえ、今回はそれが仇になった。この世界の鍛冶とゲーム時代の鍛冶の違いが武器に現れた形だ。
「なんとなく勘は掴んだ。次か、その次くらいでいけるはず」
無意識に行っていたであろう鍛冶スキルによる性能アップをしないように意識しつつ、次々にロングソードを打ちあげていく。宣言通り2本目で多少性能が良い程度になり、三本目で普通の性能になった。既製品と同じというのも癪だったので2本目と同じくらいの性能で打ち続ける。
一時間ほど打ち続け、ある程度数がたまったので終わることにした。
「そろそろ準備ができたかね」
鍛冶場から出つつリビングへ向かう。ティエラの気配が部屋から出てくるのを察して鍛冶を切り上げたのだ。
「あ、シン。ごめんね、こんなに待たせちゃって」
「別にいいって。こっちはこっちで剣打ってたし」
「自分でもこんなに時間がかかるとは思わなくって。久しぶりすぎて何を着ていけばいいかわからなかったのよ」
ティエラの言い分もわからなくはない。なにせ人の多い場所に行くのは100年ぶりくらいになるのだ。着る物一つとっても迷うのは仕方がないだろう。
冒険者ギルドに登録するというのは伝えてあったので動きやすい服装にしたのだろう。ティエラが着ているのは以前エルスが着ていた狩人のような服に近い。とくにスパッツ(のようなもの)とロングブーツという組み合わせは同じだ。定番なのかもしれない。
上着は丈の長い薄緑色のジャケットに黒いインナーだ。体にフィットするデザインなのでティエラのボディラインがはっきりとわかる。
武装はしていないように見えるが、カード化して隠してあるらしい。エルフに多い、短剣と弓に魔術を合わせた戦闘スタイルをとっているようだ。
「さて、じゃあ行くか」
「ええ、思ったより時間がかかってしまったものね」
「くぅ」
子狐モードに戻ったユズハを頭にのせ、店の外に出る。天気は晴天。暖かい日差しが2人と一匹に降り注いだ。
「は~、やっぱり外はいいわね」
「ああ、いい天気だし――なっ!?」
何気なく返事をしてティエラの方へ顔を向けたシンの視界に衝撃的なものが映った。
双球である。
いまだかつて見たこともないほどの見事な双球だった。
(すごいな……)
単純に言ってしまえば、ティエラが日差しを浴びながら伸びをしただけだ。だが、腕を上げ大きく背をそらせば自然と胸を張ることになる。普通にしていてもその大きさがわかるだけにそれが強調された今の姿勢はシンの視線を釘付けにするほどの威力があった。
「ふぅ、さ、行きましょうか」
「そうだな」
胸をガン見していたことを悟られぬよう努めて平静を装うシン。「俺は何も見ていない、見ていないとも」と全身で語っている。
何事もなかったように歩きだすシン。そんなシンの隣を歩きながらティエラがぼそっと呟いた。
「それで、私の胸の感想は?」
「いやマジ眼ぷ――――はっ!?」
男のチラ見は女にとってガン見と同じだという。本当かどうかは男であるシンにはわからないが、少なくともティエラにはバレバレだったようだ。
「買い物代はシン持ちね。あと、さっきはさすがに見すぎ」
「悪かったよ。はぁ、高くついたな……」
「乙女の胸を無遠慮に凝視したんだから、当然よ」
してやったりというティエラの笑顔に苦笑いを浮かべるシン。狙ってやったのかはたまた天然か、真相はティエラだけが知っている。
「くぅ?」
そんな2人のやりとりをユズハが首をかしげながら眺めていた。
◆◆◆◆
月の祠を出てしばらくして王国の入り口にたどりつく。空いている時間帯なのか人通りはそれほど多くない。
門をくぐって中に入るとティエラがきょろきょろしながら周囲を見回していた。
「うわぁ、すごい人の数。いつもこんなにいるの?」
「いや、今はすいてる方だな。朝とか夕方になるとこの倍くらいはいるぞ」
「これですいてるの? 混んでる時が想像できないわ」
ティエラは初めて遊園地に来た子供のように目を輝かせていた。
「店に来た人が言ってたことって本当だったのね」
商品を買いに来る冒険者からいろいろと話を聞いていたらしい。店から出られない身では想像するしかなかったが、実際に見て触れることができるようになったことで彼、彼女らの言っていたことが嘘でなかったと実感できたようだ。
「あんまりはしゃいで迷子になるなよ?」
「そ、そんなにはしゃいでは……ない、わよ」
自覚があるのだろう。口では否定しているが出てくる言葉は少々弱々しい。
「先に登録と買い物だけすまそう。残った時間で何をするか決めればいい」
「そ、それもそうね。じゃあさっそくギルドに行きましょ」
観光という言葉に惹かれたのかシンの手を掴んでずんずん歩いて行くティエラ。
人混みは怖いと言っていたのはなんだったのかという勢いで大通りを突き進んでいく。
「ちょっ! 急ぐのはいいけどギルドがどこにあるか知ってるのか?」
「あっ」
知らなかったようだ。ぴたりと足を止め周りに視線を飛ばしている。
「こっちな」
「……うん」
さすがに指摘されたのが2度目とあってはティエラもおとなしくなった。
案内するシンに手を引かれるまま通りを歩く。
慣れている者からすれば空いているといえるが慣れていない者にとっては今の状況でも十分混んでいるといえる。少なくともティエラからすれば少しの間目を離しただけでシンを見失ってしまうくらいには人通りが多い。
歩く人にぶつからないように注意しながら通りを歩く。ちょうど人通りの多い通りに差し掛かった時、ふと前から歩いてきた男女を見てティエラは自分がどういう状況なのかに気付いた。
(手、つないだままだ……)
100年ぶりの外の世界ということで舞い上がっていた。そのせいか今の今まで自分が異性と手をつないで歩いていることに気付かなかったのだ。
体格差もあってティエラの手はシンの手と手をつないでいるというよりは包まれているような状態だった。
自分のものとは違う少しごつごつした大きな手。それに包まれた自分の手を見ているとなんだか顔がほてってくるような気がした。
(男の人、なのよね)
店番をしている以上男性と話をしたことがないわけではない。だが、触れられたのはいつ以来だろうか。自分でもよくわからない感情を持て余しながら、ティエラは歩みを進める。
「ほら、あれが冒険者ギルドだ」
「大きいとは聞いてたけど、ほんとに大きいわね」
通りを歩いて人混みを抜けると一際大きな建物が見えてくる。目的地の冒険者ギルドだ。
歩いている人も必然的に冒険者が多くなる。そんな中、やけに自分たちに向けられる視線が多いとシンは訝しんでいた。
「なんか、俺たち見られてないか?」
「うん、たしかに」
なぜすれ違う冒険者――ほぼすべて男――に敵意混じりの視線を向けられているのかわからないシン。何かおかしなところがあったかと自分の状態を確認して、気づく。
「あ、手つなぎっぱなし」
人通りの多い通りを歩くというのもあってティエラに掴まれた時のままにしていたのだが、事情を知らない第三者にとってそんなことはわからない。ただでさえ、ティエラは美人なのだ。そんな相手と手をつないで歩く男というのは当然やっかみの視線にさらされるものである。
「わるい、人通りの多い通りだとはぐれるんじゃないかと思ってな」
慌ててティエラとつないだままだった手をなはす。
「あ……」
手が放された時、ティエラの口から微かに残念そうな声が聞こえた気がしたが、それは自意識過剰だろと聞こえなかったことにした。
「さて、じゃあとっとと登録するとしよう」
「そ、そうね。そうしましょう」
若干慌て気味のティエラを伴ってギルドに入る。
シンとティエラが受付に近付くとそれに気付いた2人がそれぞれ違った反応を見せた。
セリカは少しむっとした表情に、エルスは一瞬とても驚いた表情になりすぐに喜びの表情に変わった。
「ティエラ!」
名前を呼ぶと同時にエルスはカウンターを飛び越えて一直線にティエラに駆け寄り、そのまま抱きしめた。
「わっ、エ、エルス!?」
突然の抱擁に驚いていたティエラだが、相手がエルスだとわかると安心したように身体から力を抜いた。
「ちょっとエルス、苦しいよ」
「ああ、すまない。言伝は読んだけど本人を前にしたら我慢できなかったんだ」
目尻に涙を浮かべながらエルスは優しくティエラを抱き直す。突然の事態に周りにいた冒険者も目を丸くしていた。
「本当はすぐに会いに行きたかったんだけど、ギルドは今少したてこんでてね。抜けられなかったんだ」
「母親じゃないんだから、心配しすぎよ」
「何を言う。エイレーンの娘なら私の娘も同然だよ」
本当の母と娘のように抱擁を交わすティエラとエルス。
そんな2人をよそに、セリカがシンに話しかけた。
「シン様。あちらの方はどういったお知合いなんですか?」
「ちょっと縁があって一緒に旅をすることになったんです。ついでに冒険者登録もしておこうってことになりまして」
「恋人のように手をつないでいたと聞きましたが?」
「馬鹿な! 何故それを!?」
情報伝達の速度に驚くシン。まさか、心話が使えるやつに見張られていたのか! と警戒してしまうが実は何のことはない。偶然シンの顔と名前を知っていた冒険者が2人を見かけ、依頼を受ける際に愚痴っていたのをセリカが聞いただけである。
「美人ですからね。男性なら仕方ありませんよね」
「あの、なんか言葉に刺ありません?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
いやあるだろ、と言いたいシンだった。
そんなやりとりを続けていると、さすがに自分たちが注目されていることに気付いたティエラとエルスが2人のところにやってきた。
「なんで他人みたいに距離を取ってるんだ」
「あら、感動の再会に水を指すわけにはいかないでしょう? それに飛び出していったのはエルスですよ」
「う゛」
「まあまあ、2人とも。とりあえずティエラの登録をしてほしいんだが」
「あ、申し訳ありません。お恥ずかしいところをお見せしました」
「私も本人に会いに行きたかったからつい」
よほど嬉しかったのだろう。エルスの目はまだ少し赤い。どうやらティエラの母親とも知り合いだったようだ。
「えっと、どうすればいいのかしら」
「登録なら私が受けもとう。もともと新規登録は持ちまわりだしね」
そう言うとエルスはティエラを連れて2階に上がっていった。シンのときのように書類の記入と説明をするのだろう。
「さて、俺は依頼を見に行きますか」
「あ、シン様。申し訳ありませんが少々お時間を頂けますか?」
「俺ですか? かまいませんけど」
ファルニッド方面の依頼を見に行こうとしたシンにセリカが声をかける。どうやらシン個人に話があるようだ。
受付に戻るとギルドカードを出すよう言われたのでシンはアイテムボックスからギルドカードを取り出してセリカに渡す。セリカは渡されたギルドカードを複雑な印の刻まれた盆のような物の上に置いた。
「一体何を」
シンが何をしているのか疑問に思っていると透明だったギルドカードが黄色に染まった。
「はい、これでランクアップは終了です。今日からシン様はEランクです」
「はい?」
唐突なランクアップに気の抜けた返事を返してしまうシン。なにせシンは現在依頼達成率0%の男。ギルドの評価でいえばランクアップどころか同じGランクの新人にすら負けているのだ。予想外にもほどがある。
たしかにセリカにしてもらった説明の中にランクによるカードの色分けの話はあったが、まずはFランクである緑を目指していたのだ。まさかFを飛び越えてEになるとは思っていない。
ちなみにカードの色分けとしてはSSが金、Sが銀、Aが黒、Bが白、Cが赤、Dが青、Eが黄でFが緑、最下級のGは半透明だ。
「えっと、俺まだ達成した依頼ないんですけど、なんでランクアップなんですか?」
「たしかにシン様は正式な依頼達成率は0%です。ですが上位個体のスカルフェイスおよび大量発生したスカルフェイスの討伐という実績があります。我々ギルドの調査でシン様の報告が事実だと判明しましたのでその報酬の一部としてシン様の昇格が決まったんです。Eランクではありますがあと一回依頼を達成すればDランクに上がれる状態ですのでほとんどDランクのようなものですが」
「なるほど、でもなんでそんな中途半端な状態に?」
「あまり大幅なランクアップは他の冒険者の方の目にはよくうつりません。私個人としてはAランクでもいいと思うのですがそういった軋轢も考えて今回のようなランクアップになったんです。もちろん報奨金も出ております。以前お借りした宝玉も一緒にお返ししますので少々お待ち下さい」
シンにギルドカードを渡すとセリカは一旦受付の奥にある部屋に入り五分とたたないうちに戻ってきた。その手には鈍く光る宝玉と硬貨の詰まっているであろう袋が握られている。
「こちらがお借りしていた宝玉で、こっちの袋に入っているのが報奨金のJ金貨250枚です」
使い勝手も考えて金貨で持ってきてくれたようだ。白金貨など日常生活で使うことはない。冒険者から見てもかなりの大金を前にシンはふと思ったことを口にした。
「ちょっと聞きたいんですが、報奨金の代わりにギルドカードを急いで作ってもらうことってできます?」
「ギルドカードを、ですか? そうですね。急げば今日のお昼にはできると思いますが」
「じゃあそれでお願いします。ちょっと遠出することになったんですが、なるべく早く出発したいと思いまして」
「わかりました。では報奨金は金貨200枚。加えてギルドカードの早期発効ということでよろしいですか?」
「かまいませんけど、報奨金、そんなにもらっていいんですか?」
金貨50枚が引かれただけでも十分減額されているのだが、ギルドカードがギルド独自の|特殊技術だと聞いていたシンは少ないのではないかと感じてしまった。このあたりは珠玉草で手に入れた資金があるが故の余裕である。なにせ白金貨一枚で十年以上遊んで暮らせるのだ。
「技術者の方には少し頑張ってもらうことになりますが、その分の追加料金は引かせていただいた金額で補充できます。というより、報奨金をすべて返されてはこちらに利益がありすぎますよ」
「ちなみにスカルフェイスって討伐報酬どのくらいなんですか?」
「ポーン級なら一体で銀貨5枚。ジャック級なら一体で金貨5枚ですね。ジャック級は鎧や剣を売ればそれなりの額になりますから実際はもっと多く稼ぐことができます」
危険度は桁違いですけどと加えて苦笑するセリカ。実際、職員が注意しているにもかかわらずポーン級を倒せたことで調子にのった冒険者がジャック級に手を出して返り討ちにあうことが年に一、2件あるらしい。
セリカの口にした金額から考えるとシンの報酬は本来金貨500枚近くになるが正式な依頼が出ていたわけではないのでランクアップと合わせて今回の金額になったようだ。そもそもぽっとでの新人が一人でだせる戦果ではないので、ギルドマスターであるバルクスやスキル継承者のエルスと面識がなければこうも簡単に報酬は出なかったのは間違いない。
「スカルフェイスってそんなに頻繁に出現するものなんですか?」
「私たちの国は近くに亡霊平原という出現スポットがありますが、普通はそう何件もあるものではないはずです。ポーン級ならともかくジャック級以上の個体が何体も出現した、というのは私もはじめて聞きました。歴史上そういったことがなかったわけではありませんが」
「そうなんですか。ところでギルドってモンスター以外の情報も扱ってたりします?」
「モンスター以外の情報ですか? どのようなものかにもよりますね。モンスターや遺跡の情報でしたら多く入ってきますが、それ以外となると情報を専門に扱う人たちに聞いたほうがいいかと」
「なるほど。ちなみに聖地に関する情報ってどういう扱いか聞いても?」
モンスターや遺跡の情報に詳しいのなら聖地の情報もあるだろうと聞いてみる。
「聖地に関する情報はあまりありません。ギルドでも調査してはいますが何分尋常ではないほどの危険地帯ですので、おいそれと依頼を出すわけにはいきませんし。情報に関しても最低Bランク以上の方でないと開示できない決まりになっています。申し訳ありませんが今のシン様のランクではお教えすることは……」
「あ、いえなんとなく気になっただけですからそんなに気にしないでください。もっとランクを上げてから聞きに来ますから」
さすがに聖地の情報ともなると簡単には教えてもらえないようだ。これについてはあらためてシュニーに確認しておこうとシンは思った。
「そういえば遠出をされるんですよね。目的地に向かうような依頼をお探しなんですか?」
「はい、せめて一件くらいは依頼を達成しておこうと思いまして。ファルニッド方面に行くような依頼ってありますか?」
掲示板を見に行ってもいいのだが、折角セリカが聞いてきたのだからと良い依頼がないか聞いてみることにした。
セリカはカウンターの下から分厚いファイルを取り出すとその中から一枚の依頼書を取り外した。
「それでしたらこちらの依頼はいかがでしょうか。ファルニッドまで向かう依頼は今のところありませんので途中のベイルーンまでの依頼となりますが」
「ティエラも一緒なんですけど大丈夫ですか?」
「はい、お2人でパーティーを組んでいただければシン様に合わせたランクで受けられますので問題ありません。内容はこちらになります」
差し出された紙に目を通す。
――――
依頼内容:ベイルーンまでの積荷の護衛
依頼人 :ナック
募集人数:最大五名
ランク :E以上(個人、パーティーどちらでも可)
報酬 :一人銀貨十枚
備考 :食事付き
――――
「出発は今日の午後三の鐘がなったらです。現在2人の方が受けていますのでまだ間に合います。これ以外となると数日間が空いてしまいますが」
「一応ティエラに確認してからにします。戻ってくるまでキープしてていいですか?」
「はい、もうすぐ戻ってくると思いますし、そのくらいであれば大丈夫です」
時間帯のせいか受付に来る者がいないので、依頼をキープしつつセリカと雑談をする。話し始めて十分もしないうちにティエラとエルスが戻ってきたのでシンは依頼の内容を説明した。
「私はかまわないわ。じゃあ早めに用事を済ませちゃいましょ」
シュニーの訓練を受けていただけあってティエラも問題ないとのことだった。なのでさっそくギルドを出て買い出しをすることにした。
買い物客でにぎわう通りを歩きながら食材を買い込んでいく。ここで干し肉や日持ちするパンではなく、普通の食材を買うあたりがアイテムボックス持ちの強みだ。基本的にアイテムボックスに入れておけば食材が劣化することはないので鮮度重視でいろいろと買い込んでいく。果物や生野菜を買い込んでいく2人を見てこれから長旅に出るなどと想像する者はいないだろう。
荷物は人目のないところでシンのアイテムボックスへ放り込んだ。さすがに天下の往来で堂々とアイテムボックスを使うようなへまはしない。
長旅になるのでフード付きの外套や虫よけなど旅に必要なものも買っておく。
荷物に制限がないせいか買い物は三十分程度で終わってしまった。昼にはまだまだ時間がある。
「アイテムボックスが便利すぎるわね。まだカードができるまで時間があるけど、このあとはどうする?」
ティエラもここまで早く終わるとは思っていなかったのか、少し拍子抜けしている。
「ちょっと行きたいところがあるんだけどいいか?」
「いいけど、どこに行くの?」
「孤児院に顔だしときたくてな」
シンとしてもあの後の進捗状況が気になっていたのだ。条件はクリアしたがもし豚司教(シン命名)が何か妨害でもしかけていた場合は叩き潰す気満々だった。
「孤児院? ああ、あのお菓子買っていく人のところ」
「一応、一声かけてから行こうと思ってたんだ」
「わかったわ。教会って建物にも興味あったし、さっそく行きましょ」
シンの案内で教会へと向かう。ミリーと会うのが楽しみなのか頭上のユズハの機嫌を表すように尻尾が元気よく動いていた。
歩くこと数十分。教会は開いておらず、ラシアとトリアが周囲の掃除をしていた。シンとティエラが教会の敷地内に入ると2人に気付いたラシアが駆け寄ってくる。
「シンさんじゃないですか! 今日はどうしたんですか」
「ちょっと様子を見に来た。例の件はどうなった?」
「それでしたら孤児院の方へいらしてください。えと、そちらの方は?」
「あ、私はティエラと言います。よろしくお願いします」
「申し遅れました。私はこの教会でシスターをしております、ラシアと申します」
緊張気味に自己紹介するティエラに穏やかな表情で対応するラシア。教会だからなのか、何か進展があったのか数日前からは想像もできない落ち着きを見せている。
月の祠の従業員だというと驚いていたが、それなら問題ないとシンとともに孤児院に案内された。
2人が抜けると教会の業務が滞るのではないかと思ったシンだが、今日は教会はお休みらしい。なので孤児院で話を聞くことにした。
応接室に着くとなぜかミリーがソファーに座っていた。
「シンにぃ!」
ラシアたちの後に入ってきたのがシンだとわかると勢いよく飛びついてきた。笑顔で抱きついてくる様子を見るに引き継ぎの方はうまくいったとシンは予想する。
「よう、なんだかご機嫌だな」
「こじいんなくならないって! シンにぃのおかげ、ありがとう!」
よほど機嫌がいいのか、以前見たときより感情が表情に出ている。それだけミリーにとって孤児院がなくなるかもしれないというのは大事件だったのだろう。
ミリーが落ち着くのを待ってソファーに座り、ティエラの自己紹介をしてからその後の顛末を聞くことにした。
「シンさんのおかげで無事に私が次の司祭としてこの教会を受け持つことが決まりました。正式な発表はまだですがよほどのことがないかぎり大丈夫だと思います」
少し前まで貴族などが住む上級区の司祭が来ていて、ラシアのスキル獲得が本当かどうか確かめていたらしい。
どうやってスキルを獲得したのか問われたが修行の成果だと答えたそうだ。実際に修練を行うことでスキルを覚えることがあるらしいので特に疑いをもたれることはなかったようだ。
「子供たちも喜んでいました。本当に何とお礼を言っていいか」
「報酬はもらっていますから気にしないでください。あ、これお土産です」
あまり気にされても困るので話題をそらすために買っておいたお土産をトリアに渡す。中身は飴だ。行商人がたまたま仕入れたというもので品質も問題なかったので購入した。とはいえ他の嗜好品と比べてもなかなかの値段だったのでそれを大量に購入したシンには驚いていたが。
「こんなにたくさん、よろしいんですか?」
「そのために買ってきたんでむしろ貰ってくれないと困ります。ほら、ミリーも一つどうよ」
遠慮しようとするトリアを制してユズハを胸に抱いて座っていたミリーの前に飴の入った袋の一つを広げる。ミリーはその中から橙色の飴を取り出すとためらうことなく口に入れた。
「あまーい!」
「よかったわね」
笑顔のミリーに周りも自然と笑顔になる。
なごんでいると応接室の扉が開く音が聞こえた。
「せんせー、おにいちゃんきたってほんとー?」
扉から顔を出したのは以前シンが来たときにユズハを揉みくちゃにしていた女の子だった。
「駄目ですよメルカ。今お話し中なのですから」
「えー、おにいちゃんあそぼーよー」
「わるいな。今ちょっと大事な話をしてるんだ。また今度な」
「むー、じゃあおねぇちゃん、あそぼー?」
「え、私?」
トリアに注意されたがメルカと呼ばれた少女はシンに断られるとすかさずティエラに矛先を変えた。シンと一緒にいたからか、はたまた女のもつ勘か。少女はティエラが警戒しなくてもよい人物と判断したようだ。ティエラが扉に近い方へ座っていたのもあってかすでにティエラの服の裾を掴んでいる。
「えと、私は今日はじめてきたからよくわからないんだけど……」
「あそぼ?」
「うっ……」
メルカに見つめられるティエラを見て「あれは断れないな」と苦笑してしまうシン。舌足らずな声にすがるような上目使いというコンボを幼い少女にされて断るのは非常に精神力がいる。人によってはあざといと感じるかもしれないが、子供と触れ合うことの少ないティエラに耐えられるはずもない。
「ミリーも遊ぶ」
「シ、シン……」
「すまん、無理」
「う、うらぎりもの~」
シンに助けを求めたティエラだが結局ミリーとメルカに連れて行かれた。さすがに見兼ねたのかトリアもついて行ったが。
「あの、よろしかったんですか?」
「まあ、たぶん」
止めなくて良かったのかとラシア。子供相手に遊ぶのもいい経験だろうと思ったシンである。ティエラにとって良いか悪いは別だが。
「ところで、ヴィルヘルムは?」
「例の司祭様の調査に出ています。このまま引き下がるはずがないと言っていました」
「さすが、よくわかってる」
ラシアいわく、ラグナルや他の冒険者と協力して情報収集をしているらしい。この手の輩が素直に手を引くなどありえないと考えたのはシンだけではなかったようだ。
「シンさんもヴィルと同じ考えを?」
「もちろん。相手が何を考えてこの教会をとりに来たのかはわからないけど、話を聞く限りそんなに簡単にあきらめるやつとは思えなくてな」
「何もなければいいんですけど」
「それが一番楽だけどな。ああ、そうだ。念のためトリアさんとミリーにこれを渡しといてくれ」
相槌を打ちながらシンはアイテムボックスから小さな首飾りを取り出してラシアに渡す。片方はラシアに渡した物と同じもので、もう片方は薄緑色の紐の先にクッキー作りで使うような菱形の木枠が結ばれている簡単な作りの首飾りだ。よく言えば手作り感のある、悪くいえば安っぽい見た目といえる。
「これを、ですか?」
「いろいろと魔術スキルを付与してある。念のためだな」
ラシアの質問に頷いてどのような付与がされているか説明していく。金属製のネックレスの方はすでに教えてあるので割愛、首飾りの方の説明がメインだ。見た目こそ素朴だが紐も木もラシアがその素材の名前を聞いたらしばらく思考停止してしまうような代物だったりする。もちろん孤児院の子供が金属製のネックレスなどしていたら目立つというのもその素材になった理由の一つだ。
「なんというか。すごいとしか言えませんね」
「ミリーの場合、能力が能力だしな。前に渡したやつはどうしてる?」
「私がつけています。借りたままというのもどうかと思ったのですがヴィルにつけておくように言われまして。明日にでも返しに行こうかと思っていたのですが」
「いや、つけたままでいい。まだ確定してない以上ラシアが標的になる可能性も十分あるし、あれをつけていれば危険も少ないはずだ」
今回の件でいえばラシアの方が狙われる可能性は高い。ミリー用のアクセサリーほどではないがラシアが身につけているネックレスも性能面ではかなりものもだ。選定者相手でも一定時間持ちこたえられると言えばその性能の高さがわかるだろう。
「何から何までありがとうございます」
「そんなに畏まらなくてもいい」
半分は自己満足だしな、という言葉は胸の内にとどめておく。
「ではせめてお昼を食べていってください。まだお時間ありますよね」
「そうだな。ご馳走になるか」
申し訳なさを少しでも解消したいのだろう。昼食を進めてくるラシアに頷いて子供たちのいる広場に移動する。
広場では幼い少女たちに囲まれたティエラの姿があった。お人形遊びをしているのか、ティエラの周りには手作り感あふれる人形がいくつか置かれている。以前揉みくちゃにされたユズハはティエラの頭上に退避していた。あの位置ならば手を出されないと学習したらしい。
楽しそうにキャッキャとはしゃいでいる少女たちに対し、男勢はどうしているかと言えば、そんなティエラたちの様子を遠巻きに見ているだけだ。サッカーのようなものをしているのかボールらしき球体を蹴ってはいるがいかんせん視線が少女たち、特にティエラの方にいきすぎである。
「なんだか、男の子たちが大人しいですね」
「いやいや、あれはある意味正常な反応」
笑いを堪えながら言うシンにラシアは首をかしげる。なぜ男子が近寄らないのかわからないのだろう。
「どういうことですか?」
「たぶんティエラが美人だからテレてるんだよ」
少女たちに混じっている男子もいるにはいるが、シンが見るに年齢は保育園や幼稚園に通い始めた子供くらいだろう。遠巻きに見ている男子は一様にある程度の年齢になった子たちだ。あのくらいの年齢になると年上の綺麗なお姉さんというのは気軽に声がかけづらいのだ。その年代が全員同じような行動をするわけではないし逆によっていく者もいるが、同じ道を通ってきたシンには話をしたいが声をかけるのが恥ずかしいという男子たちの気持ちがよくわかった。
「たしかにティエラさんは女の私から見ても綺麗ですけど、そんなに声をかけづらいとは思えませんが」
「まあ、俺がわかるのも似たような経験があるからだし、わからなくてもおかしくはないさ」
似たようなパターンでいえば幼稚園の先生に恋してしまう園児だとか、お隣のお姉さんが気になる小学生などがあげられる。
大人になってから思い出してつい苦笑してしまうような、子供時代の思い出だ。世界が違えど、似たようなことはどこでも起こるらしい。
「そういう経験はありませんから、よくわかりません」
「いいんじゃないか、別におかしなことでもなし」
難しい顔をするラシアに気にするなと声をかけ、ティエラを手招き。それに気付いたティエラが少女たちの名残惜しそうな視線をくぐりぬけてシンのもとにやってくる。
「シ~ン~、よくも見捨ててくれたわね」
「いや待てって、あれは断るとか無理だろ」
「それは……たしかに、あれを拒むのは無理だけど。はぁ、仕方ないわね」
「それよりもだ。お昼をご馳走してくれるらしいからいくらか材料を提供しようと思うんだが、どうよ?」
「そうね。じゃあ折角だし、ユズハちゃんにいなり寿司を作ってあげるって約束だったから孤児院の子たちの分も作っちゃいましょうか。台所借りてもいいですか?」
お昼に近付きつつあるとはいえ時間はまだ十分にある。多少伸びても問題はなかった。
ティエラも【料理】スキルを持っているらしく、次々と皿に並べられるいなり寿司に子供たちの目はくぎ付けだ。
「なんだかすいません。私から提案したのに作ってもらうようなことになってしまって」
「私からお願いしたことです、気にしないでください。なんだかんだ言いましたけど子供たちの相手をするの楽しかったですし」
物怖じせずに接してくる子供たちを見て思うところがあったらしい。シンから見てもティエラの表情は以前よりも柔らかさが増したような気がした。
昼食が終わるとその足で商店の並ぶ通りへ戻る。
一度は昼食の片付けを手伝おうとした2人だったがラシアの、そんなことまでしていただくわけにはいきません、という言葉にさすがに引き下がった。
教会を出ると一旦ギルドに戻る。時間はすでに昼を過ぎているのでティエラのギルドカードができているはずだ。
ギルドに着くと酒場は食事をしている冒険者でにぎわっていた。人混みを避けるように受付に向かいセリカに声をかける。この時間に依頼を受ける冒険者は少ないのか待つことなく話しかけることができた。
「こちらがティエラ様のギルドカードになります。お確かめください」
「問題ないですね。ありがとうございます」
ティエラはカードが問題なく機能するのを確認する。そこにシンもギルドカードを出す。
「ついでにパーティー登録をしたいんですけど」
「承ります。メンバーはお2人だけで間違いありませんか?」
「はい、それでお願いします」
臨時なので特にこれといった問題もなくパーティー編成が終了する。
固定パーティーの場合はパーティー名を決めたりするらしいが今回は特に決めなかった。
セリカとエルスに見送られてギルドをでる。向かう先は商店の並ぶ通りだ。
今度は旅でお馴染の保存食を買いあさる。同行者がいる前で気軽にアイテムボックスは使えないからだ。とはいえ、カード化して持っていくので普通の旅支度に比べると量が少ないのは変わらない。依頼の備考欄に食事付きとあったのでわざわざ買っていく必要はさしてないが、万が一ということもある。備えあれば憂いなしという考えのもと、買い物を続ける。
「さて、そろそろ行こう」
「えっ、でもまだ時間はあるわよ?」
「いや、月の祠をとりにな」
必要なものを買いそろえたところでシンがティエラに声をかける。月の祠はまだ元あった場所にあるのでこのまま出発するわけにはいかない。
「すっかり忘れてたわ」
「一番忘れちゃダメだろ」
「『家』を忘れてるなんて普通考えないわよ!」
至極当然である。持ち物に『家』などという項目があることの方がどうかしているのだ。
「わ、わるかったよ。ほら、俺は一応持ち主だろ? だから持ってくのは当然って考えがあるんだよ」
「旧世代ってやっぱりどこか変だわ。それともシンが特別変なのかしら?」
「それはひどくね!?」
からかうような笑顔で遠慮のない意見を言ってくるティエラ。精神的ダメージを受けながらシンはアイテムボックスから水色の水晶をとりだした。
「なにそれ?」
「『結晶石』だよ。見たことないか?」
「これが結晶石? こんなに大きな、それもここまできれいに加工されたものなんて初めて見たわ」
「こいつには『転移』の魔術が付与してある。使えば登録してあるポイントまで一瞬で移動できるんだよ。使い捨てだけどな。折角だし、これで月の祠まで行こう」
「……そうだった。シンが出すものがまともだったことなんてなかったっけ」
「それは失礼だろ」
もはや呆れを通り越して、あきらめの境地にティエラは至った。一瞬で移動、転移。たしかに今シンはそう言った。
それは今まで数多くの魔導士が再現に挑み、僅かな足掛かりさえつかむことのできなかった魔術。
すでに失われたとされる秘奧中の秘奥。
そんなものが込められたアイテムがポンと出てくるなど、誰が考えつくというのか。
「シン、一つ確認したいんだけど」
「あ、ああ、なんだ?」
「もしかして、もしかしてだけど……それ、作れるの(・・・・)?」
ティエラの目が据わっていた。さっきまでとまるで違うティエラの剣幕にシンは戸惑いを隠せない。
ただ、どうやら自分の出したアイテムがまたしても常識を覆す代物だったらしいということだけはわかった。
「その質問に答える前に一つ教えてくれ。転移が付与された結晶石ってどんな扱いなんだ?」
「……転移自体が、失われた魔術として扱われているわ」
「なるほど」
その言葉で合点がいった。それほどの扱いならティエラの驚きもわかる。正直にいえば失われたとは言わずとも、かなり貴重になっているだろうとは思っていたのだ。
だが、シンとしては失われたという点においてティエラの言葉を素直に信じてはいない。たしかに一般にはそう広まっているのかもしれないが、そう言ったものは得てして隠匿されているものだ。国や組織が秘密裏に確保していても驚きはしない。
「じゃあ俺も答えるが、作れるぜ。材料さえあればいくらでも」
「……はぁ、そりゃそうよね。六天の一人なんだし、転移付与された結晶石くらい軽く作れるわよね」
ため息一つで済ませるあたり、ティエラも六天に所属する者がどういう輩なのか理解し始めたようだ。
「あー、気落ちしてるとこ悪いが転移してもいいか?」
「ええ、やっちゃって」
開き直ったティエラと人気のない路地に入り、結晶石を使用する。問題なく使えることはシュニーに確認済みだ。この世界で目覚めた直後も使えはしたが、さすがに使用は控えた。他の道具と違い、失敗した時どうなるかわからないものを使う気にはなれなかったからだ。
シンが結晶石に魔力を通すと、それを起爆剤として石に込められた魔術が発動した。視界が歪み、次の瞬間には商品の並んだ棚が視界に広がる。
たしかに2人は月の祠の中にいた。
「それで、どうやってここを持っていくの?」
「一旦外に出る。話はそれからだ」
それに、と呟いてシンは扉に向かう。立ち位置がカウンター側だったのでティエラにはシンの口が動いているのが見えなかった。
2人は店の外に出る。扉を開けた先は見慣れた林だ。それを見渡すようにシンは視線を動かす。
今まで月の祠に来た時にはなかった緑色のマーカーが、マップ画面に光っていた。
「どうしたの?」
「鼠がいたんでな。ちょっとからかってやろうと思ってさ」
林の上を見ながら言うシンに、鼠? と疑問符を浮かべるティエラ。見ている場所が違うのではないかとつっこむところなのだろうが見ているのはシンだ。どうせ自分にはわからないとティエラは追求するのを止める。
準備が終わったのか何やらブツブツ喋っていたのを止め、シンは月の祠に向かって手をかざした。
「『収納』!」
その言葉が発せられるのと同時に月の祠が淡く輝きだす。店全体を覆うように広がった光は次の瞬間、直視できないほどの光を放って一点に収束した。
それは数秒だけその場に滞空し、その後ゆっくりと移動してシンの手の中に収まる。光が消えるとそこには三日月を模したネックレスが握られていた。銀色に輝くそれはへたな美術品よりも価値があるだろう。透き通るような輝きはそれがただの銀細工でないことを証明している。
「これが?」
「ああ、月の祠持ち運びモードだ」
「ほんとに持ち運びできるのね。さすがだわ」
アイテムボックスにネックレスをしまいつつティエラの疑問に答える。
驚き疲れたのか、慣れたのか、ティエラの言葉に含まれているのは純粋な称賛だった。
しばらく月の祠のあった場所を見ていたティエラだったが、何もなくなった場所にいつまでもとどまる理由はないので依頼の出発場所に向かうことにした。時間は少し早い。それがわかるのはシンのメニュー画面に時刻が表示されているのと、アイテムとしての時計を持っているからだ。
すでに他の2名は到着している可能性がある。もし先に合流したなら交流をしておこうという考えもあった。ある程度の期間行動を共にするのだから多少は親睦を深めておいても損はない。
月の祠跡地から東門へ向かい国内に入ると出発地点である東門前の広場の一角にはすでに荷物が積まれた馬車が到着していた。その横にはドラグニルとロードと思しき2人組が立っている。
「すいません、こちらナックさんの馬車であってますか?」
「ん? たしかにそうだが……ああ、貴殿らが共に行くという冒険者かね」
聞いていた組み合わせと同じだったので確認も兼ねて声をかける。応えたのはドラグニルだ。全身を覆う青い鱗はいかにも頑丈そうなイメージを伝えてくる。声の低さからして男性だろう。何かの皮でできた胸当てと腰の太刀が目につく。あまり防具らしい防具はつけていないところをみると速さで翻弄するタイプなのかもしれない。もしくは防具がいらないほど鱗が硬いのか。
「はい、急ですけどご一緒させてもらいます。俺はシン。こっちはパーティーを組んでるティエラです」
「ティエラと言います。よろしくお願いします」
「うむ、拙者の名はガイエン。道中よろしく頼む。それとこちらが――」
「ツバキ、よろしく」
言葉少なに自己紹介したのは背中までとどく深紅の髪と赤い瞳をもつ少女。深紅の髪と対照的な透き通るような赤い瞳がシンとティエラを観察している。
背丈はかなり小柄だ。ティエラよりもさらに拳一つ分は低いだろう。150セメルくらいか。顔立ちは整っているが見た目だけなら中学生と言われてもおかしくない。大丈夫かとも思ったが見た目で判断すると痛い目を見るのがTHE NEW GATE。冒険者をやれている以上問題はないのだろうと判断した。少なくともEランクの実力があることは確かなのだから。
ガイエンとツバキのレベルは187と133。ガイエンの方はレベルだけで判断すればAランク冒険者といっていい。腰の太刀は飾りではないようだ。
ツバキの方もレベルはすでにEランクを超えている。
「おお! 追加の面子がそろったか。俺は商人のナック。ベイルーンまでよろしく頼むぞ!」
互いに自己紹介をしていると馬車の影から一人のドワーフが出てきて四人に話しかけてきた。どうやらこの人物が依頼主らしい。ドワーフの例にもれない筋骨隆々の体を仕立ての良い服で包んでいるのはなんとも違和感があったが、それはそれ。しっかりとあいさつを交わして四人も馬車に乗り込む。
「全員乗ったな。では少し早いが出発だ!」
ナックの威勢のいい声に続いて鞭を打つ音が聞こえ、馬車がゆっくりと動き出す。
五人を乗せた馬車は東の門を抜け、一路ベイルーンへと進み始めた。
その後、月の祠消失の知らせがベイルリヒト王国上層部を混乱の極致に至らしめるのだが、それをシンたちが知るのはしばらく先の話である。
月の祠消失。
その情報はベイルリヒト王国上層部だけでなく、月の祠に監視をつけていた国々の間まで瞬く間に広がっていった。
そしてその報を受けた者たちは誰もが間違いではないのかと確認をとった。
500年を超える月日を、栄華の落日を越えてなお変わらず存在する不動の建築物。どれほど屈強な人物でも攻め入ることはできず、高レベルモンスターすら毛ほどの侵入も許さない失われし技術で作られた神秘の店。それが月の祠なのだ。消えましたと言われて、はいそうですかと納得などできるはずがない。
しかし、何度確認をとろうと返ってくるのは『間違いない』という返事のみ。
報告を受けた側はまだいい。
現場で、それも目の前でそれを見た者たちの衝撃は報告を受けた者たちのはるか上をいく。この時ばかりは互いを監視しあっていたはずの工作員たちまでもが声を掛け合い、自分たちが見たものが真実かどうか確認をとり合うという珍妙な事態まで発生していたのだ。
『一体何があった!?』
それが報告をした者と受けた者の共通の叫びだった。
◆◆◆◆
混乱を極める城内の一角。
重要な案件を話し合う一室に、彼らは集まっていた。
日も昇り切らないうちからたたき起こされて集まった彼らだが、その顔には不満など浮かんでいない。というより、一部を除いてそんなものを浮かべている余裕がそもそもない。
「では、やはり報告に間違いはないと?」
「はい、報告書にある通りでございます」
上座に位置する場所で確認をとったのはベイルリヒト王国国王、ジェオン・カルタード・ベイルリヒト。
金髪碧眼で2メル近い身長にそれを覆う筋肉、武人としても通用する肉体をもつ人物だ。本来なら王としての威厳を身に纏った立派な王なのだが、今日ばかりはそうはいかなかった。苦悶の表情を浮かべるジェオンに報告をした宰相もなんと言葉をかけるべきか悩んでしまう。
今回起きたことはベイルリヒト王国だけの問題ではない。周辺国家どころか、へたをすれば皇国や帝国からも問い合わせが来るだろう。一体何があったのかと。
「月の祠が……消えたか……」
集まった面々の顔色は一様に暗い。
多少ましな顔つきをしているのは第一王女と宮廷魔導士長くらいだ。
ジェオンは何度読んでも内容は変わらないとわかりつつも報告書へと目を落とす。
要約するとこうだ。
――――月の祠消失についての報告
四ノ月・火ノ二。
昼を告げる十二の鐘が鳴ってしばらくたった頃、突如として月の祠が発光を開始。
数秒後、光は収まるもその時にはすでに月の祠は消失。
突然の出来事に各国の工作員も混乱し、互いに情報交換するという事態が発生。
地面に残る窪みを調査するも探知系スキルに反応なし。
また、周囲にも何かが起こった痕跡なし。
まったくもって原因不明。
報告書には監視の任についていた者たちの見たままの内容が記されている。できるだけ細かくと言ったにもかかわらず文章量が少ないのは起こった出来事が突拍子もなさ過ぎてこれ以上細かく報告できないからだ。
監視の任についていた他国の工作員と情報交換してしまうあたり、現場の混乱具合がよくわかる。
それほど突拍子もなかったのだろう。とはいえ月の祠がベイルリヒト王国に所属しているというわけではないにせよ最も近く、というよりほぼ真隣りにあったのだ。他国よりは近しい関係にあったというくらいの自負はある。
何もわかりません、ですませたくはない。
「ライザー殿はどうなったかわかるか?」
「いえ。ですがリオン様が亡霊平原にて接触したという報告があります。亡霊平原からの距離を考えますと月の祠のみが消えたと思いたいところですが」
「そうだな、だが希望的観測ばかりしてもいられん。リオンがいうなら間違いあるまいが、ライザー殿自身に何か問題がないかぎり当初の依頼通りベイルーンにて戦利品の分配に姿を現すはず。せめてそこで各国にライザー殿は健在だと伝わればよいのだが」
確認の取れない現状では、へたなことは言えない。だが月の祠が消えたとしても、シュニー・ライザーが健在ならば致命的な問題にはならない。重要なのは建物ではなくそこに住む人物なのだ。
「リオンに伝えよ。戦利品の分配にライザー殿が姿を現した際はすぐに心話にて報告せよと。これは王命である!」
「はっ!」
室内の警護をしていた兵士の一人が命令を伝えるために退出する。王に仕える旧世代は少なく、今も心話による情報収集をしている真っ最中だ。負担をかけてしまうことになるが今回ばかりは致し方なしとジェオンは頭を切り替える。
そして、月の祠が消える前に何か変わったことはなかったか調査を命じるのだった。
◆◆◆◆
時間は少し遡り、王国上層部に月の祠消失の報告が上がった頃。
王国を出発したシン達は馬車に揺られつつ、互いの手札を確認しあっていた。何ができて何ができないのか確認しておかないといざというときの判断に遅れが出てしまうからだ。
確認するのはメインとなる職とランク、そして魔術の有無だ。これでおおよその戦い方とレベルがわかる。冒険者とはいえ初対面の相手にレベルや切り札を教えることはしないので何かしら隠している可能性はあるが。
「拙者は見ての通り侍の職についている。冒険者ランクはAだ。多少は魔術も使えるがこちらはあまり当てにしないでもらいたい」
最初に情報を出したのはガイエン。やはりAランクの冒険者だったようだ。武器自体は職に関係なく装備できる。なので見てのとおりと言われても着物を着ているわけではない状態では、分析がなければシンにはわからなかっただろう。
侍は前衛職で魔術に対する職業ボーナスはないので、当てにするなというも当然といえる。まともな攻撃魔術を放つとなると、職業ボーナスがつきやすい後衛職が一般的だ。
「私は拳闘士。ランクはE。素早さを上げる補助魔術なら少し使える」
次いで話したのはツバキ。レベルでいえばDランク相当だがこれはまだギルドに入って日が浅いかららしい。もうすぐDランクとのこと。
「私は一応錬金術師なんだけど弓と短剣も使えま……使えるわ。冒険者にはなったばかりでランクはG。あと水と風の魔術アーツと簡単な回復ができるから必要になったら声をかけてくだ……かけて」
初対面ということもあって敬語で話しそうになるティエラ。月の祠でシンと会ったときとは大違いだ。レベルやランクの低さも気にしているのだろうが回復ができるというのは心強いとガイエンとツバキは委縮気味なティエラを励ました。
実際、戦闘中に回復薬を飲むというのはなかなか難しい。人数が多ければ話は別だが、そんな大勢で戦うような事態になるのは危険なモンスターを狩るときがほとんど。少数で戦うことが日常な冒険者にとって、魔術による回復ができる味方がいるかいないかでは生存率が段違いなのだ。
「俺はガイエンと同じ侍だ。ランクはE。多少だけど火と雷の魔術が使える。で、こっちがユズハ。これでも立派なモンスターだ」
シンは自身のことを告げるとともにティエラも含め護衛の仕事は初めてだと伝えるのも忘れない。経験があるかないかもいざというときの動きに差が出る要因の一つなのだ。
今回はなかったがレベルを聞かれ答えなければならなくなったときは低く伝えることにしている。バルクス達に言ったような200越えだと一体何をしていたのかという話になりそうだからだ。シンの若さを考えるとさすがにレベルが高すぎるのでティエラと口裏を合わせることにしていた。もちろん、事情を知るセリカにも口止め済みだ。
ユズハについては契約済みということを話し、危険はないと伝える。
「ほう、侍でありながら魔術も使うか。深くは聞かんが並々ならぬ修練を積んできたようだな。モンスターになつかれるというのも珍しい」
「まあそんなとこだ。とはいえ、魔導士レベルを期待されても困るからな。牽制や不意打ち程度に考えていてくれ。ちなみにユズハは意外と強いぜ?」
「くぅ!」
本気なら牽制どころか瞬殺だがそこはEランク。前衛で魔術が使えるだけで十分すごいのでガイエン達もそこまでは期待していない。
言葉使いが挌上に対して馴れ馴れしいと思うところだがそこは命を預け合う相手。変な気を使わないようにとガイエンが最初に提案した。特に異論もなかったので現在に至る。
「あなたはヒノモト出身?」
「違うが、なんでそう思うんだ?」
「侍はヒノモト出身者がほとんど。ガイエン以外の侍にあったのは初めて」
ツバキの質問に疑問を覚えたが理由を聞いて納得する。シンも分析や聞き耳スキルで情報収集していたので侍職についている人物をほとんど見かけなかったことには気づいていた。ツバキの話が本当なら相当珍しいのだろう。ちなみにまったく見なかったわけではない。ギルドに向かう際に見た太刀を佩いたドラグニルがそれだ。その人物がガイエンなわけだが。
「普通は戦士か騎士。あとは特化職。侍目指してる人は変人が多い」
「変人!? 馬鹿な……壁から遊撃までこなす優良職なのに……」
基本となる戦法は速度で翻弄しつつ重い一撃を繰り出すヒット&アウェイだが、武者鎧を装備すれば壁役としても通用するのが侍だ。そんなゲーム時代は世代を問わず人気のあった職もこの世界では扱いが違うらしい。
「前提条件として騎士と狂戦士の職を修めなきゃならないとか意味がわからない」
「ああ……なるほどそこか」
侍を目指す者が変人扱いされる理由を聞いて納得してしまうシン。
ゲームの仕様上、侍になるには騎士と狂戦士の二つの職を経由しなければならなかったのだがそれはこの世界でも同じらしい。片や守備に重きをおく騎士、片や攻撃に重きをおく狂戦士。相反する戦い方をする二つを修めることで万能に近い戦い方が身に着くというのが設定上の理由だ。だからこその使いやすさであり、高い補正なのだがどうやらそこが理解に苦しむらしい。
「わからなくもないが、ハッキリ言うけど強いぜ?」
「そこは同意する。でもやっぱり変」
「やはり、文化の違いなのだろう。天変地異によってできた島国であるヒノモトには当時侍や忍といった職についていた者達が集まったギルドの拠点がいくつかあったらしい。その者たちが中心となって国を作ったのだ。それゆえ戦いに身をおく者は侍に対する憧れが強い。国土も各大陸の国と比べてもかなり狭く、わざわざ寄りつく者は少なかったと聞く。拙者自身、島を出てからいろいろと戸惑うことが多かった」
ここで言うギルドとは現在の冒険者ギルドとは違うとのこと。話を聞くにゲーム時代のものだろう。
島国に侍と、できすぎているような気もしなくはない。
「ちなみにその元になったギルドの名前ってなんなんだ?」
「ふむ、一般に知られているのは花鳥風月、魔刃血風録、黒御子神社だ。」
「へ、へぇ、そうなのか」
ガイエンの話を聞いてなるほどと言葉に出さずに納得する。ガイエンが口にしたギルドは和風な名前が示す通り侍や忍、巫女といった和装を好む者たちによって結成されたギルドの中でもトップを争う大手だったのだ。ギルドハウスが城だったり、神社だったりするのは言うまでもなく、異様なほど凝り性なプレイヤーが多かった。
ギルドハウスを守る軍隊としてサポートキャラクターだけで結成された部隊もあったのでプレイヤーがいなくなってもモンスターを撃退できたのだろう。
それぞれ順番に侍、忍、巫女の所属数が最も多いギルド。これらが手を組めば小国くらい治められるだろうとシンは思った。
「他にも小さなギルドがいくつかあったらしいがあまり知られてはおらんな」
「よくわかったよ。ありがとな」
ギルドが元になった国があるというのは知らなかったことだ。ベイルリヒト王国の図書館を見てもしやとは思っていたが、意外と多いのかもしれない。
いろいろと情報交換をしながら馬車に揺られること数日。
特にモンスターに襲われることもなく一行は順調に進んでいた。馬車を引いているのが馬の魔獣であるグリムホースなので通常の二倍以上の速度で進んでいる。実はこのグリムホース、シンが城門で見かけた個体である。門の中に入る際にちらりと見えた調教師がナックだったのもこの依頼を受けた一因で、ゲーム時代は同じようにサブ職を調教師にした商人が馬車を引かせていた。
当番を決めて周囲を警戒する四人と御者をしているナック。御者もできる者で交代しながら行っている。
シンの感知範囲内に敵影が映ったのはちょうどナックが御者をしているときだった。
「何か近づいてくる。早いな」
「なに? 詳しく教えろ」
「正面から十二体。数と速度からみてたぶんウルフ系だと思うが」
詳細は丸わかりなのだがあまり言いすぎるのも問題なのであくまで憶測と伝えておく。
「それだけわかりゃ十分よ。おうおまえら! 仕事だ!」
シンが馬車に近付く気配に気づいてナックに伝える。話を聞いてほとんど間をあけずにナックが大声を上げた。元冒険者と言うだけあって腹の底にまで響く。もし寝ていた者がいたとしても跳び起きるだろうと思わせる声量だった。ただ、言葉使いが商人と言うより山賊のようだが。
声がかかった時には、すでにガイエンとツバキは用意を済ませていた。二人の動きを見ていたティエラも弓を握って矢筒の位置を確かめている。
「恐らくシンの言うとおりウルフ系だろう。後方二体の動きがないのが気になるが、まずは十体の相手をするしかあるまい」
「わしも同意見だ。馬車を引いてるのがグリムホースだとわかってて近づいてんなら少なくともただの獣じゃないな」
移動速度はただの狼の比ではない。どうやらガイエンも気配を察知したようだ。
ガイエンとナックが意見を交わすのを聞きながらシンは近づいてくるモンスターの詳細を見る。
モンスター名はジャグウルフ。通常の狼より一回り大きな体躯を持ち、非常に好戦的なモンスターだ。シン達に向かってくるのは十頭。レベルは平均100前後で一頭だけ120。この一頭が恐らく群れのリーダーだろう。後方に控える二頭はそれぞれレベルが10にも満たない。危険はないだろうと放置しておく。
ジャグウルフは三頭が先行。残り七頭のうち二頭ずつ左右に分かれ木々の中に散り、リーダーを含む三頭が先頭を追う形で迫ってくる。
今馬車が走っているのは左右を森に挟まれた街道だ。森を隠れ蓑に奇襲をかけるつもりらしい。
「左右に別れたか。拙者が前方を抑える。シンは右、ツバキは左。ティエラは馬車の上から援護。ナック殿は馬のそばに。調教師が傍にいれば暴れ出すことはないと考えるがいかがか?」
「この状況ではそれしかあるまいて。たのむぞ!!」
ガイエンも迫ってくる敵の位置を把握しているようでシンが助言するまでもなく早々と配置を決めていく。
ナックは比較的道幅の広い場所で馬車を止め、各自が配置に着いた。ユズハは念のためグリムホースのそばにいてもらう。
「来るぞ!!」
ガイエンの掛け声を合図にしたように先行していた三頭が動きを見せる。中央の一頭が正面から飛びかかり、残りの二頭が地を這うように左右から迫る。
対するガイエンは右手に大太刀、左手に鞘を持ち正面から突撃を敢行した。
「ぬうん!!」
ジャグウルフに迫るガイエンの体を水色のオーラのようなものが覆い飛びかかってきた一頭を弾き飛ばす。
一呼吸遅れて二頭のジャグウルフが迫るがガイエンは慌てることもなく右の一頭の顎から上を大太刀の一閃で斬り飛ばし、左の一頭は口内に鞘を突きいれて沈黙させた。
弾き飛ばされたジャグウルフは二頭が瞬く間に倒されたの見て攻めあぐねている。
「む、些か軽いな」
手ごたえの軽さに眉をひそめるが、それで被害が出ないならそれに越したことはないとガイエンは近づいてくるリーダーたちに意識を集中する。
「さすがだな。さてこっちも来るぞ」
「こっち側が早い。上から見える?」
「捉えたわ!」
森を盾に迫っていたジャグウルフを警戒していた三人。シンの警告にツバキが自分側が早いと告げ、ティエラに見えるかどうか尋ねる。ティエラはすでに一番足の速い一頭に狙いを定めていたようで森の中に矢を放った。
矢が吸い込まれた先でギャンッという鳴き声が響き、シンのマップに表示されたマーカーが一つ消える。
「仕留めた?」
「やる」
レベル差を考えると一撃で倒せるとは思っていなかったのだが、予想に反してジャグウルフは力尽きたようだ。急所に当たったのかもしれない。
残った一頭は思わぬ反撃を受けたからかリーダーのいる方に戻っていった。
「戻ったか。ツバキはガイエンの応援に行ってくれ。こっちは俺とティエラで十分だ」
「わかった」
シンがツバキにガイエンの方へ行くように言い、ツバキが動き始めたところでジャグウルフが森から飛び出してきた。爪の一撃をかわされたジャグウルフは逆にシンの横を通り抜け、ナックのいる方へ向かおうとする。シンへの攻撃は牽制だったようだ。
しかし、その程度でシンを出し抜けたと考えたのは迂闊すぎた。
シンはジャグウルフの爪をかわすと同時に身体を捻り、飛燕の速度で刀を抜く。砕けた数打の代わりに腰に下げていたのは月の祠で一番初めに打ったロングソードを刀に打ち直したものだ。魔剣並の性能を持った刀による一撃は、白い斬線を宙に残してジョグウルフの首を両断する。
勢いのまま死体が転がる間際、身体能力に比例するように上昇した動体視力と加速した思考がシンにジャグウルフを観察するだけの時間を与えた。そして感じる違和感。
違和感の正体を考えながらも、もう一頭のジャグウルフが近づいていることをシンは察知していた。味方の犠牲を無駄にしないためか、シンがジャグウルフに視線を向けたときにはすでに残った一頭の牙がシンの眼前に迫る。シンの剣速なら十分に迎撃できる距離と速度。
だが、振り下ろした刀が閃くより先にジャグウルフの額に矢が突き刺さる。致命傷を負い、ただ飛びかかった勢いのまま突っ込んでくるジャグウルフをスウェーでかわし、シンはティエラのいる方へ向き直る。
「ナイスフォロー!」
「ナイスじゃないわよ、まったく」
矢を射たティエラはホッとしたように息を吐き、次の矢をつがえる。咄嗟の狙撃にしてはかなりのものだ。どう見ても冒険者になりたての動きではない。やはりシュニーにしごかれたのは伊達ではないらしい。
「あなたなら問題なく切り捨ててたんでしょうけど、それEランクの動きじゃないわよ。ほら、さっさと向こうの援護に行く!」
「それを言うとツバキも似たようなもんだが、まあいい了解だ」
前方に目を向ければガイエンとツバキがリーダーを含めた五頭と戦っている。ツバキは例の素早さを上げる魔術を使っているのか身体の周りに薄っすらと白いオーラを纏ってジャグウルフを翻弄していた。
「ハッ!!」
その動きについていけなかった一頭が拳の直撃を受けて吹き飛ぶ。
ツバキの両腕に装備された鈍い輝きを放つ籠手が胴体にめりこみ、くの字型に折れ曲がっていた。ついでとばかりに木に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。あの細腕のどこにそんな力があるのかと疑いたくなるような光景だ。
ツバキのレベルは133。ジャグウルフと比べれば30近く差があるが、それにしても吹き飛びすぎな気がしてならない。
「やはり妙だ。こやつら動きが鈍い」
「同感。手応えが軽い」
シン達の方から入ってきた一頭を地面に転がしながらガイエンが呟き、ツバキが同意する。どうやら皆、違和感を感じていたようだ。
シンが合流し、残った三頭と正面から対峙する形になったがリーダーも含め、まったく逃げるそぶりを見せない。普通ならとうに逃げているはずだ。
「なあ、こいつらよく見るとかなり痩せてないか?」
違和感を口にする二人にシンが気づいたことを言う。よく見ればリーダーですら薄っすらと骨が浮いて見えた。
「どうやら魔素の影響を受けたモンスターのようだな。グリムホースを狙ったのは肉と魔素、両方を得るためか。先ほどから感じていた手応えのなさ、なるほど得心がいった」
ジャグウルフを警戒しながらも納得したと頷くガイエン。
モンスターには魔素から生まれたタイプと野生の獣が魔素の影響でモンスター化したタイプがいる。前者は魔素だけでも生きていけるが後者は違う。魔素だけでなく本来と同じように肉を食らわなければ肉体を保てないのだ。人や家畜を襲うモンスターは大半がこのタイプで、魔素から生まれたタイプはより魔素の濃いほうへ移動するためあまり人目にはつかないと道すがらガイエンが説明してくれた。シンとしてもモンスターが発生する理由まで事細かに覚えているわけではないので参考になる。
「後がないから決死の覚悟」
淡々とツバキは言う。この世界ではモンスターといえども常に強者ではいられない。弱肉強食の掟の前では、世に生きるものすべてが平等だ。そこにモンスターと人との区切りはない。
シンたちの依頼はあくまで護衛。逃げ去るというのならわざわざ追ったりはしないが襲ってくるなら返り討ちにせざるを得ない。
ジャグウルフに残された選択肢は飢えて死ぬか、戦って死ぬかの二択だ。
「命がけなのは拙者達も同じだ。シン、手加減は無用だぞ」
「わかってるよ」
ツバキとは以前も依頼を共にしたことがあるらしく、心配はしていないようだ。
短く返事を返したシンも構えはぶれさせていない。生きているモンスターと戦うのは初めてではないのだ。今回のような決死の相手が初めてというだけで。
(前のやつらとは覚悟が違う。違いなんてそれだけなのに、やりにくいったらないな)
強者への挑戦ではない、戦い方を学ぶ狩りでもない。
ただ、生きるために戦う。
それだけのことで受けるプレッシャーは段違いだ。
(しかも、後ろの二匹は子供か)
残った三頭の後方、少しづつ近づいてくる二匹はまだ子犬ほどの大きさしかない子供だった。
刃が鈍りそうになるのは日本人だからだろうか。
「拙者がリーダーを斬る。ツバキが右、シンは左だ」
「わかった」
「了解」
「では……ゆくぞ!!」
互いの呼吸を読んでタイミングを合わせる。
まず仕掛けるのはツバキとシン。
ツバキはオーラを持続させたまま踏み込む。ジャグウルフからすれば瞬きの間に間合いを詰められたように感じただろう。反射的に身をすくませた相手にツバキは容赦なく拳を振り下ろす。
何かの割れる音とともにジャグウルフが地面に叩きつけられ、数回痙攣してジャグウルフは動きを止めた。
シンもまた刀を上段に構えたまま、ツバキ以上の速度を持って一歩を踏みこむ。踏み込みと同時に振り下ろされる一刀。ジャグウルフは動かない。否、動けない。
空中に残った斬線が消えると同時に胴体が斜めにずれた。ジャグウルフの視線は数瞬前までシンがいたところを向いている。恐らく斬られたことにすら気付かなかったのだろう。
「あとよろしく」
「うむ、承知」
シンとツバキの間を通ってガイエンが前に出る。リーダーが隙をついて二人のうちどちらかを攻撃しなかったのはガイエンが威圧していたからだ。
もはや勝ち目はない。それでもジャグウルフ・リーダーは引かなかった。低い唸り声を上げて四肢に力を込めていく。まっすぐな生きるという意思。いけないと思っていてもシンにはその姿に畏敬の念を覚えてしまう。
リーダーが力を込めたのはほんの数秒。まさに最後の力を振り絞った突進がガイエンに向けて放たれる。その速度はさすが群れの主と言わせるだけの迫力があった。
「見事」
賞賛を口にしたのはガイエン。大太刀を構え向かってくるリーダーと向き合う。
一直線に迫るリーダーに対し、ガイエンは静かに動いた。摺り足に似た足運びがガイエンの姿を揺らめかせる。
交差は一瞬。次の瞬間には大太刀を振り下ろしたガイエンと真っ二つになったリーダーの姿があった。
大太刀を振って刃についた血をはらいながらガイエンは道の先に視線を向けていた。
「どうするよ」
この世界の人はこういう時にどう判断を下すのか。それを見極める意味も込めてシンはガイエンに声をかけた。
「挑んでくるのなら斬る。去るのなら追わぬ。拙者たちの仕事は護衛だ。モンスターを狩ることではない。いずれにしろあの子供だけで生きていけるかはわからんがな」
もし生き残れば襲われる人も出るかもしれない。しかし、それはまた別の話。この世界で集落の外に出るのなら護衛を雇うか護身術を身に着けるのが常識だ。人を襲う獣、モンスター、はては同じ人である野盗だってでる。ここでジャグウルフの子供を殺したからといって自分たちを含めて誰かが襲われる可能性が減るわけでもないのだ。
子供たちは親が死んだのがわかったのだろう。逃げるように森の中へ消えていった。
「なんだか、後味が悪いわ」
「普通のモンスター戦とは違ったからな」
「拙者も同感だ。このような戦いはそう経験するものではない」
「でも気にしすぎもよくない」
気にしすぎて刃を鈍らせれば、次に犠牲になるのは自分か仲間だ。割り切らなければならない。
ティエラが言った言葉はランクの上がった冒険者が必ず体験するものだ。
「終わったか? ならとっとと進むぞ」
グリムホースのそばにいたナックが四人に声をかける。元冒険者と言うだけあって切り替えが早い。さっきの光景を見ても動じていなかった。
「それにしてもあんなに痩せるほど食ってなかったってことは森で何かあったんかね?」
「さて、なんとも言えんな。ジャグウルフは頭の良いモンスターだ。あのような状態になるまで狩りをしくじっていたとは考えがたいが」
「餌が少なくなったって線は?」
「やつらはゴブリンも食う。あの小鬼どもが一掃されたと考えるには無理があるのではないか?」
「同感。あれは一匹見つけたら三十匹はいると思うべきもの」
家に潜むGのような言い方をしたツバキ。やはりゴブリンの繁殖力は変わらないらしい。
「亡霊平原でスカルフェイスがわいているという話なら耳にした。その影響ではないか?」
「あれ? そういえばギルドで高ランク冒険者が出払ってるって言ってたけど何か大規模な依頼があったんじゃないのか?」
「そのことか。拙者は当時ツバキとともにベイルリヒト南部の街にいて、数日前に帰ったところだったのだ。なのでそちらには参加していない」
タイミングが悪かったようだ。
「(ねぇシン)」
「(どうした?)」
「(スカルフェイスって師匠に来てた依頼のこと?)」
「(ああ、かなり強い個体がいてな。そのせいかもしれん)」
こっそり耳打ちしてくるティエラに思ったことを返す。もしかするとスカルフェイスに縄張りをおわれて流れてきたのかもしれない。
「どちらにしろ、理由なんてわからない。考えても無駄。私は寝る」
一人マイペースなツバキはそう言って外套を羽織る。揺れる馬車の中でも寝れるのがベテランらしい。見張りや御者のこともあるので休めるうちに休むのも冒険者の務めだ。ジャグウルフのことはいくら考えても推測の域を出ない。なら考える時間を休息に使った方がいいと判断したのだろう。
「ツバキの言うとおりだ。拙者達が考えたところで情報が足りぬ。より有意義に時間を使うとしよう」
「だな。とりあえず、武器の手入れでもするか。ティエラはどうする?」
「私はそろそろ交代だから、御者台の方にいるわ」
ツバキの言葉に習うようにシンとガイエンは武器の手入れをし始める。ティエラは交代の時間に近付いていたので幌からでてナックの隣に移動した。
一通り仕込んだというシュニーの言葉通り、ティエラは冒険者として必要な技能はあらかた習得していて、御者も問題なくこなしている。むしろ経験のないシンが教えてもらったくらいだ。ゲームでは方向を指示すれば勝手に進んでくれたので、こういったことには慣れていなかった。
「冒険者すんならこんくれぇできねぇでどうする。嬢ちゃんの方がうめえじゃねぇか」
「うぐっ」
ナックに言われてちょっとへこんだのはここだけの話。
その後はまた何事もなく進み、野営をしながらベイルーンへ向かう。亡霊平原を囲む森を迂回するようにできた道はナックのような商人だけでなく大規模なキャラバンを組んで商いをする商人も通る。そのため、もともとモンスターがあまり寄りつかないのだ。森の中の方が獲物が豊富というのも挙げられる。
そして、順調な旅に暇を持て余しながら進み、あと一日ほどでベイルーンというときに滅多に出会わないと聞いていた者たちにシン達は出会った。
「悪いな商人さんよ。死にたくなかったら有り金と荷物、全部置いてってくれや」
盗賊である。
ガイエン達との情報交換では滅多に出ないという話だったが、運がなかったようだ。どちらの運かは言うまでもない。
よくある数だけいるタイプではなく、皮鎧やロングソードなどでしっかり武装しているところを見るとそれなりに稼いでいるのだろう。方法は知りたくもないが。
「さて、どうする? 自信があるのかわからんが正面の六人と伏兵が一人しかいないぜ?」
「やることはかわらん。襲ってくるなら返り討ちにするまで」
「一人残して斬り捨て御免」
冗談なのか本気なのかわからないツバキの発言はスルーして、三人は動く。
近づいていることはわかっていたので準備はすでに完了している。シン、ガイエン、ツバキの三人が前に出てティエラが援護という基本的な陣形だ。ユズハを馬車側に残しているのでもし感知できないような相手がいても対処ができる。
相手のレベルは平均150近く、話しかけてきた男にいたっては163と意外と高い。そのことにシンは少し驚いた。普通に冒険者としてやっていけそうなものだが、彼らにもいろいろあったのだろうと適当に理由をつけて考えるのを止める。いくら考えたところでやることは変わらない。
ナックも今回ばかりは自衛用の斧を構えていた。
戦闘が始まるのは時間の問題だ。緊張が高まる中、ティエラは幌の中で息を潜めつつガイエンの言っていたことを思い出す。
『シン、ティエラ。お主ら人を殺めたことはあるか?』
旅が始まった当初、一番最初にガイエンが二人にした質問だ。これは冒険者を目指す者がぶつかる最初の壁がEランクの護衛の依頼だからである。そう、ここで初めて人を相手にする可能性のある依頼が出始めるのだ。冒険者の各ランクごとに分けられた死亡率でBランク以上の高ランクを除いたとき最も死亡率の高いランク。そして、モンスターよりも、人に殺される方が多いランク。それがEランクなのだ。
(大丈夫。撃てる)
今のメンバーの中で人を殺したことがないのはティエラだけ。シンも心配しているのが表情に出ていたが大丈夫だと言って行かせた。やらねばならない。やらなければ前に出ている三人の危険が増えてしまう。
「おいおい、三人で相手するつもりか? 今ならまだ間に合うぜ?」
「ついでにそこの嬢ちゃんも置いてってもらおうか。いろいろ楽しませてやるからよ!」
盗賊のセリフを聞いた三人の気配が鋭くなる。当然と言えば当然だ。
「シン……」
そんな三人を見ながら、ティエラの口からこぼれたのはシンの名前。感受性が強いエルフの中でもティエラは特にそれが強い。だからこそ、わかった。ツバキを置いて行けと盗賊が言った直後、シンの気配が僅かに変化したことに。
殺気を出しているのは変わらない。だが、より鋭く、暗くなっている。ティエラの知る穏やかな気配は消え去り、ある種の禍々しささえ感じさせるシン。ティエラからすれば気配だけならもはや別人だ。ティエラほど鋭くないのかガイエンとツバキの気配に変化はない。幸か不幸か、今のシンの変化を感じているのはティエラだけだった。
(これ以上シンをあのままにはしておけない。あのシンはダメ!)
弓を握る手に力が入る。
いつのまにかティエラの頭から人殺しについての考えは綺麗に消えていた。相手は盗賊、それも明らかに常習犯。この世界において盗賊で成功するというとこは命の重さが最低辺になるに等しい。捕まれば処刑台以外の行き先はない。そんな相手だ、ティエラの中でシンへの心配と比べるにはもはや存在そのものが軽すぎた。
弦に矢をつがえ、引き絞る。狙いは近くの薮に潜んでいる盗賊だ。本人は隠れているつもりなのだろうがエルフであるティエラにとっては無造作に歩いているのと変わらない。狙いを定めつつ、ガイエンの合図を待つ。
「無用な殺生は好まん。引くならよし、引かぬなら斬る」
「おいおい、状況見えてんのか? そっちがEランクばっかなのは知ってんだよ」
「いくらあんたがAランクでも全員守りながら戦えねぇだろ? 折角見逃してやるっつってんのに変な意地見せねぇほうがいいぜぇ?」
どこから情報を仕入れたのか盗賊達はガイエン以外が低ランクだということを知っていた。隠れている盗賊がナックを狙っているのを見ると人数までは知らないようだが、これが偶然の遭遇でないことは明らかだ。
「聞くことが増えたな」
「残す人数を二人にする」
交渉は決裂だ。元から成立するなどとだれも思っていない。向こうの動きを観察しながら被害が出ないように準備する時間がほしかっただけだ。
シンとツバキの発言に反応するようにガイエンが小さく首を振る。それは、攻撃開始の合図。
次の瞬間、幌の中からティエラの放った矢が飛びだし、盗賊の隠れている薮に吸い込まれた。
「――っ!?」
悲鳴はない。ただ、何かが地面にぶつかる鈍い音が聞こえた。
シンのマップ上に存在した赤マーカーが一つ消える。頭か心臓かどちらかに当たったのだろう。HPが一撃で消し飛んでいた。即死だ。
「ちっ、しくじりやがって。おまえらやっちまえ!!」
仲間の死を悼むどころか悪態をつくリーダーと思しき男。指示を受けて盗賊達が襲いかかってくる。
「では、一人につき盗賊二人。やれそうなら各自一人は残せ。話を聞く」
「五体満足?」
「話が聞ければいい、他は好きにしてかまわん」
物騒な言葉を平然とかわすガイエンとツバキ。やはり慣れているようだ。ツバキはレベル差があるはずだがまったく気負ったところがない。
ガイエンはそのまま、シンとツバキが左右に散り盗賊を分散させる。
盗賊達はガイエンに三人、ツバキに一人、シンに二人と言う別れ方をした。分析持ちでもいるのかレベルの低いツバキよりガイエンに人を回していた。
「舐めてる?」
ツバキの言葉に怒気が混じる。向かってくる盗賊はレベルだけ見ればたしかにツバキより強い。だが、多少レベルが高いくらいで簡単に倒せるほど甘くないのが戦闘だ。
隠していた手札を一つ切ろうかとツバキが考えたところで首筋に微かな悪寒。盗賊の剣を受け止めようと構えていた手甲を引き、即座に距離をとった。
「へぇ、いい勘してんじゃん」
ツバキの肢体を舐めるように見てくる男。その右手に握られた剣からは赤いオーラが放出されていた。
視線をずらし、仲間の様子を見る。どの盗賊もツバキの前にいる男のように色は違えどオーラを放つ武器を構えていた。全員が魔剣かそれに類する武器を持っているらしい。
どうやら、レベル以外にもしっかりとした勝算があったようだ。
「あんま抵抗すんなよ。殺しちまったら楽しめねぇからよ、くくっ」
盗賊はツバキの手甲がただの量産品だと気付いているのだろう。これでは満足に防御ができない。だからこそ自分の優位を疑っていないのだ。
「見た目が小さいからって、馬鹿にしてると痛い目を見る」
「はっ、負け惜しみは俺に勝ってから言えや!!」
言葉とともに突っ込んでくる盗賊。ツバキにはわからないことだが、アイテムによる補助でもしているのか明らかにレベル以上の速度だ。だが、ツバキとて負けてはいない。盗賊がツバキにたどり着く前に白いオーラを纏って駆けだす。オーラの正体は補助系武芸アーツ【操気・活閃】だ。
名前が現す通り、気を操り肉体を強化する武芸スキルの劣化版。活閃と付いているのはそれが身体強化、特に速度上昇に特化したものだということを表している。
ツバキは白い残像を引き連れて盗賊の懐に飛び込み、拳を繰り出す。盗賊はツバキが自分より早いことに驚愕するが、かわせないと判断するや剣を持っていない方の手でガードしようとする。
しかし、狙いはダメージを与えることではない。狙うのは剣を握っている、その手だ。盗賊の反応は良かったがツバキの狙いを読むまではいかなかった。手甲に包まれた拳が盗賊の右手に直撃し、五指すべてをへし折る。盗賊の指は一部は骨が突き出し、曲がってはいけない方向へ曲がっていた。
「武器が良くても、あなたはへっぽこ」
いくら持っている武器が魔剣といえど性能以外はただの剣と変わらない。激痛に悲鳴を上げる盗賊はあまりの痛みに防御どころではなくなっていた。そんな盗賊のがら空きの胴体を前にしてツバキは一瞬力をためる。
「――飛べ」
その一言とともに放たれる拳。およそ人を殴ったとは思えない鈍い音が響くと同時に盗賊は血反吐をまき散らしながら吹き飛んでいく。
その先にはガイエンを包囲していた別の盗賊の姿。
「がはっ!!」
反応する間もなく飛んできた盗賊と激突し藪の中へ消えていった。頭突きをしたような音が聞こえたのでぶつけられた方もしばらく動けないだろう。
ぶつかった方は鳩尾が陥没していたので内臓、というより心臓が破裂していることは間違いない。矢を受けた者と同じく即死だ。
「な、なんだ、いまの……」
「馬鹿野郎! こいつから目をそらすな!!」
突然味方が吹き飛んだ盗賊の一人が呆然と薮の方を見る。
敵を前にして、それは致命的な隙。ガイエンを前にしながらやっていいことではない。
「シッ!」
盗賊のリーダーが声をかけたが既に遅い。ガイエンは滑るように隙を見せた盗賊に近付き、大太刀を振るった。
リーダーの声で辛うじて反応して見せる盗賊だが体勢は崩れ、力もこもっていない剣でガイエンの一撃を防げるはずもない。唸りを上げる大太刀が魔剣と激突する。その威力に盗賊の手から魔剣が弾かれ、大太刀の一撃とともにその胴体へと吸い込まれた。皮鎧だけなら間違いなく両断されていただろう一撃を奇跡的に魔剣が鎧代わりとなって防ぐ。だが悲しきかな、ほとんど勢いを削がれることなく叩きつけられた大太刀は盗賊の命を守ったと思わせた魔剣を、次の瞬間には呆気なく断ち斬っていた。当然、魔剣に守られていた盗賊の体もまとめてだ。
「な……に……」
横に真っ二つにされた部下を見て盗賊のリーダーがかすれた声を漏らす。いくらAランクといえど魔剣を叩き斬るようなことができるとは思っていなかったのだろう。目を見開いて信じられないものを見るようにガイエンを見ている。
「主らは魔剣持ちだが、あいにくと拙者の得物も魔刀の類でな」
有利だと思っていた戦局は一瞬でひっくり返った。
目の前で起こった出来事が盗賊のリーダーには信じられない。情報ならガイエン以外はEランク。やっと半人前から抜け出してきたばかりのはずだ。だというのに魔剣を持ったCランクにも相当する部下がまったくと言っていいほど相手になっていない。
混乱するリーダーは僅かな希望にすがるように残された部下、それも自分の副官のいる方を向く。そして目に入ったのは、またしてもありえない光景だった。
◆◆◆◆
戦闘開始直後、シンには二人の盗賊が向かってきていた。一人は茶髪の男、もう一人は金髪の男だ。レベルは茶髪が151、金髪が153。冒険者でいえばCランクくらいだろう。配置を見るにツバキを早々に仕留め、リーダーたちがガイエンを押さえているうちに二人がシンを突破しナックへ向かうといったところか。薮に潜んでいた男は盗賊の中では一番レベルが低く、金髪の男はリーダーの次にレベルが高い。金髪レベルになると飛んでくる矢にも対応できるのだろう。明らかに纏っている雰囲気が違う。
「ま、やることはかわらないがな」
呟いて二人の進路をふさぐように立つ。
シンを足止めするためだろう、茶髪の方が先行して剣を繰り出してくる。茶髪の持つ剣が纏っているのは黄色いオーラ。これもまた魔剣だ。だが、シンの持つ刀とは悪い意味で出来が違った。現在の世界基準での魔剣と、ゲーム時代の魔剣ではその定義が違う。
刀身からオーラを放つところは同じだが、本来は剣自体が伝説級以上でなければ魔剣とは呼ばない。盗賊の持つ剣は魔剣と呼ばれてはいてもその実、本当の意味で魔剣ではないのだ。
茶髪の持つ魔剣は湯気のようにオーラを放っていたが、シンの刀が放つ白いオーラは刀身に沿うようにピッタリと刀の形に収束している。魔剣の放つオーラはその質を表すバロメーター。オーラを拡散させず、より刀身に収束している物の方が性能が上なのだ。
だからこそ、二人が剣と刀を打ち合わせた結果も当然の帰結を見せる。
「なっ!? ――がふっ!?」
驚きと、斬られたことで出た声を残して茶髪の盗賊が倒れる。
ぶつかり合った刃は僅かな拮抗の後、澄んだ音を立てて盗賊の剣が折れるという結果に終わった。どちらも本来は魔剣とは呼べない代物。魔剣もどきだ。しかし、シンの持つ刀は限りはあれど本物とすら打ち合える性能を持つ。オーラを垂れ流すしか能のない、シンからすれば偽物と呼ぶのも憚られるような剣とは武器としてのレベルが違う。
茶髪はホーンドラゴンにすら傷を負わせた剣が一撃で折られたのを見て、驚きのあまり身を硬直させた。そして、その隙を突くように続けて繰り出した一刀で、シンは茶髪を切り捨てる。
流れるような一閃。その動きに一切の迷いは感じられない。
人を殺すことに、慣れたわけではない。だが、躊躇い、悩むような段階はとうの昔に過ぎている。デスゲーム時代、前線で戦った者達でその葛藤を乗り越えていない者はいないのだ。
ましてや相手は悪意を持って剣を振るう盗賊。返り血の跡が残る防具を見せられては、剣筋が鈍ることなどありはしない。
命を軽く見てはいけない。しかし、重く見すぎてもいけないのだ。
「さて、あんたはどうする?」
倒れる茶髪には目もくれず、シンは金髪の前に立ちふさがる。
シンの口調は軽い。まるで食事のメニューでも訪ねるような口調が、金髪にさらなるプレッシャーを与える。
驚愕に顔を歪める金髪。魔剣が折られるところなど初めて見るのだろう。自分の剣とシンの刀を見比べるように視線を動かしている。
「とりあえず、その剣は邪魔だな」
無造作に踏み出し、刀を振る。それだけで金髪の持っていた魔剣が砕け散った。
「なっ!? ば、ばかな……俺の魔剣が……」
もはや柄だけになった魔剣を見て呆然と呟く金髪。距離があったはずのシンの一撃が見えなかったのだ。スキルを使っているわけではない。ステータスと技量だけで数メルの距離を一瞬で詰めたのだ。
「あとは動けなくして終わり、と」
その言葉とともにシンの姿がかき消える。僅かな間をあけて金髪の四肢に激痛が走った。
砕かれた足では体を支えられず、地面に這いつくばる。その背後には刀を鞘に納めるシンの姿。峰打ちによる殴打で骨を砕いたのだ。
「そっちも終わったか?」
「うむ、シンほど痛めつけてはおらんがな」
「手加減した方だよ」
軽口をかわしながらガイエンが相手をしていたリーダーを見る。金髪に負けず劣らずの驚愕顔だ。どう考えてもEランクの戦闘力ではないのだから当然ではある。
「さて、お主らに情報を渡した者について喋ってもらおう」
ナックに事情を話し、尋問する時間をもらう。意図的に狙われた可能性があるとわかるとナックも頷いてくれた。
尋問はガイエンとナックがやるということでシン、ツバキ、ティエラが馬車に残ることになった。ナックがガイエンに続いて薮の中に入り、シンとツバキは馬車に戻る。援護をする予定だったティエラはその必要もなく戦闘が終わったので馬車の前で二人を迎えた。
心配そうな顔で二人を、特にシンを迎えたティエラは――――
「おつかれ、とりあえ――むぐっ!?」
――――唐突にシンの頭を抱え、自身の胸元に抱きこんだ。
その突然の行動にツバキは目を丸くし、言葉を遮られたシンは混乱した。ティエラのジャケットは胸元が開いており、そこにシンの頭がつっこまれている。インナー越しではあるが生地は厚手とはいえない。そのためかなり生々しい感触がシンの顔を包み込んでいた。
当の本人はティエラの行動があまりにも唐突過ぎてその感触を楽しんでいる余裕はまったくと言っていいほどなかったのだが。
「えと、何してるの?」
「ちょっとね……んっ……こら、動かないで……」
とりあえず何か目的があるようだ。そうツバキは強引に自分を納得させ、経過を見守ることにした。手を出そうにも、この状況は意味不明すぎる。なにより、ティエラの表情はひどく真剣だった。
ティエラの変に艶のある声が聞こえたのかシンも大人しくなる。しばらくその状態が維持され、シンに顔を包む柔らかい感触を楽しむ余裕ができかけたところでティエラはシンの頭を解放した。
しかし、両手はしっかりとシンの頭をホールドしている。
「えっと…………ティエラ? 一体何を……」
「…………よし」
ティエラは何も言わず真剣な顔でじっとシンの目を見つめる。シンにはそれがやけに長く感じられたが実際は時間にしてほんの数秒だ。最後に小さく頷くとティエラはシンの頭を解放し、周囲を警戒し始めた。
「なんだ……いまの……」
「さあ?」
ツバキに問いかけるが彼女とてわけがわからないのは同じだ。シンと同じく疑問符を浮かべていた。
◆◆◆◆
シンとツバキから距離をとりながら、ティエラは周囲の気配を探る。シン達からすればかなり狭い範囲しか感じ取れないがそれでもGランクの冒険者という枠からはかなりずれている。
馬車の影に移動したティエラの胸に広がるのは安堵だ。ついさっきまでツバキとともに戻ってきたシンは表面上はいつも通りだったが僅かにまだあの気配を纏っていた。暗く、鋭く、反射的に逃げたくなる嫌な気配だ。
咄嗟のこととはいえ、自分のとった行動を顧みると顔から火が出そうになるがその時は本当にまじめに考えての行動だった。
ティエラがまだ月の祠に来て間もないころ、周囲に怯えていたティエラをシュニーが優しく抱きしめてくれたことがある。それだけで感情が和らいだのを思い出していた。
だから、シンにも同じことをすればあの気配が消えるのではないかと思ったのだ。他人との触れ合いが限られていたティエラにとってそれは最も効果があると思えることだった。
方法はどうあれ結果は成功。どちらかといえばちょっとしたパニックによって強引に正気に戻したような感じではあったが、目的は達したので良しとする。
(自分では、気づいてるのかしら。それとも私が変なのかな)
身近で殺気など感じるなど、集落を追い出された時以来だ。あの時は体はともかく精神的にはまだ幼く、ただ怖いとしか感じなかった。だというのにシンが盗賊と対峙した時、その殺気の質の変化には気付いた。いや、気づけたといったほうがいいのかもしれない。
ティエラ自身よくわからない感覚が、危機感を募らせたのだ。シンがティエラと出会った時のような、本人も理解できない衝動。心を操られているととらえられなくもないが、不思議と不快感はない。まるで、危険はないと知っているかのような奇妙な信頼感があった。
だからだろう、次にティエラが考えたのはある意味当たり前のことだった。
(この後、どんな顔でシンと話せばいいのかしら……)
シンを抱きしめていたときの真剣さはどこへやら。あうあう言いながらうろたえる姿はいつものティエラを知る者からすれば実に可愛らしいものだった。
実は隠れるつもりで移動したにも関わらず、その様子をシンとツバキがばっちり目撃していたというのはティエラの知らぬ事実である。

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