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人々の”余力”が世界を変える! インターネットがもたらした「新しいルール」の本質とは?

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人々の”余力”が世界を変える! インターネットがもたらした「新しいルール」の本質とは?

ソーシャルメディアについて研究するClay Shirky(クレイ・シャーキー)氏が、世界中の余った時間や散らばった才能をネットに結集する集合知が、どのようにして社会の課題を解決していくか、その仕組について語りました。(TEDxCannesより)

【スピーカー】

【動画もぜひご覧ください!】
クレイ・シャーキー 「思考の余剰が世界を変える」

ケニアで「クライシスマッピング」が登場

クレイ・シャーキー氏:物語は2007年12月のケニアから始まります。疑惑の多い大統領選挙が行われ、選挙の直後に部族間で暴力事件が起きました。

ナイロビの弁護士であるオリオコーラが、自分のサイトでそのことをブログに書きました。政府は、暴力事件と選挙が起きた後すぐに、強い報道規制を行いました。

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そのため事件がどこで起きているのか知りたい人々にとって、ブログは単なる論評からメディアの中心へと変わりました。オコーラはもっと情報をくれるよう読者にお願いをしました。すると、コメントが増え始め、彼女は情報を整理し、さらにブログに投稿しました。

しかし、すぐにこう言いました。

「1日中やっても追いつかない程、情報が多い。 ケニアで今何が起きているかという情報は、1人で対応できる量を超えている。何か自動化できる方法はないだろうか」

すると、ブログを読んだ2人のプログラマーが「私たちは、できるよ」と彼女をサポートしました。

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72時間以内に彼らは「Ushahidi(ウシャヒディ)」というシステムを立ち上げました。

ウシャヒディというのは スワヒリ語で「目撃すること」や「証言すること」を意味します。 これは、Webや携帯やSNSで寄せられる現場からの情報を集め、地図上に表示するシンプルなシステムでした。

しかし、このサイトは求められていたものでした。サイトによって、誰もが知らされていなかった情報を知れるようになりました。

暴力がどこで起きているかは知られていましたが、皆が知っていることが何かが誰にも分からなかったのです。その知られていなかった情報をまとめ、地図上に表示し、公開しました。このようにして「クライシスマッピング」と呼ばれる手法が2008年1月のケニアで 始まりました。

テクノロジーと人間の親切心が課題を解決するカギ

多くの人がそのサイトに価値を感じたため、ウシャヒディを作ったプログラマーはこれをオープンソース化し、プラットフォーム化することを決めました。

やがて、メキシコでは選挙違反の追跡に使われました。ワシントンD.C.では除雪状況を見る事に使われ、最も有名なものは、ハイチで地震後を見るために使われました。

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ウシャヒディのトップページにある地図を見ると、ウシャヒディが世界中でどれほど使われているかが分かります。

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2008年始めに東アフリカで生まれた1つのアイデア、1つの実行案が3年以内に世界中で使われるようになったのです。

オコーラが行ったことは、デジタルテクノロジーがなければ不可能でした。オコーラがしたことは、人間の親切心がなければ不可能でした。現代は、多くの社会的課題の解決が、デジタルテクノロジーと人間の親切心に頼るという興味深い時代です。

」の2つの要素

私はこの2つのリソースに注目しており、「思考の余剰」と呼んでいます。これは、世界の人々が世界規模のプロジェクトで協業することが可能であることを表しています。思考の余剰は2つの要素で成り立っています。

1つ目は、世界にある自由な時間と才能です。自由な時間とは、共有したプロジェクトに貢献できるような時間が年に1兆時間あることを指します。20世紀にも自由な時間はありましたが、ウシャヒディが20世紀にはありませんでした。

思考の余剰にはもう1つ要素があります。20世紀のメディアは、人々を消費に向かわせることが得意でした。その結果として、私たちはよく消費をするようになりました。

しかし、現代ではインターネットや携帯電話のなどのメディアにより、消費以外にもすることが増えました。私たちは好んでソファに座りテレビを見ていたのではなく、それしかすることがなかったのです。

もちろん、今でも私達は消費することは好きです。しかし、何かを創造することも、それを共有することも好きなことがわかりました。

あらゆる創造はつながっている

古くから存在する人間のモチベーションと現代のツールが共存することで、 大規模なプロジェクトへの参加を実現可能なものにし、その共存することは新しい社会をデザインするためのリソースとなっています。

また科学や文学や芸術や政治活動、デザイン領域において思考の余剰を利用した素晴らしい試みがたくさん見られるようになりました。

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同様にLOLcatsで可愛い猫の写真も多く見る事ができるようになりました。LOLcatsは猫の可愛い写真にキャプションを付けて、より面白くしたサイトです。LOLcatsも今日のメディア環境の中で、新しく現れたものであり、ウシャヒディとともに私達が目にすることのできる、参加可能なメディアの1つです。

法律家が言うように、私もLOLcatsは最もバカバカしい制作物であると言いたい。しかし、最もバカバカしい制作物であろうと、創造には変わりないことです。

このような創造を行う人は、平凡であろうが、すぐに捨てられようが、何かをチャレンジし、公に表現しています。1度やったことがあるのであれば、もう1度やることも可能ですし、よりよくすることもできます。

アーティストとしてもしくはクリエイターとして働いたことがある人なら、平凡なものから優れたものまで、作品は繋がっていることを知っており、それはより良くする為の繋がりであることを知っています。何かを作ることと、何も作らないことにギャップがあるのです。

そしてLOLcatsを作っている人たちは 既にこのギャップを越えています。我々は捨てられてしまうような、LOLcatsではなく、直接的にウシャヒディに到達したいと思いがちです。

しかし、豊かなメディアというのは、決してそのような道を歩みません。チャレンジする自由があるということは、どのようなチャレンジも自由だということを意味します。歴史がある印刷業においてさえ、科学論文誌が生まれる150年前にポルノ小説が存在していました。

内発的動機づけの重要性

LOLcatsとウシャヒディの決定的な違いが何かについて話す前に、それらに共通にみられるものについてお話します。それは親切心からできているということです。

現代において興味深い現象の1つは、思考の余剰さえも設計ができることです。社会科学は私達にとって内発的動機づけがいかに重要かを解明しつつあります。上司に言われたからとか、お金をもらうからするというのでなく、したいからするということの重要性です。

これは2000年にユーリニージーとアルドルスティチーニが書いた論文の中で、抑止論と呼ばれるものを検証したグラフです。

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抑止論というのは単純な人間行動の理論で、誰かに何かをさせないようにするにはそれをしたときに罰を与えれば良いというものです。わかりやすく、直接的で常識的であり、検証もされていません。

そこで、彼らはイスラエルのハイファに行き、保育園10カ所で実験を行いました。保育園で最も緊張の高まる時間である、親の迎えの時間を調べました。

1日中子供たちと過ごした先生は、親に決まった時間に子供の迎えに来てもらいたいでしょう。一方で親は、仕事が忙しかったり、用事があったりで子供の迎えが多少遅れても許してほしいと思っています。

彼らは、「この10個の保育園で迎えの遅刻はどれくらい起きているのだろう?」と考え、調べた結果がこのグラフであり、週ごとの遅刻の回数を表しています。

10個の保育園で平均して 6回から10回の遅刻がありました。

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人間は社会的罰則にもとづいて行動する

さらに、保育園を2つのグループに分けました。白いグループは契約に何も変更がありません。黒で表わした方の保育園では「子供の出迎えが10分以上遅れたら、10シケルの罰金をもらいます。どんな言い訳も聞きません」と契約を変更しました。

すると、すぐに変化がでました。その後4週間に渡って、遅刻は増え続け、罰金を設ける前の3倍にまで達し、それ以降も2倍と3倍の間を行き来しました。

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何が起こったのかは明白です。罰金が保育園の文化を壊したと言えます。罰金制度を作ったことで、先生に対する借りは10シケルの支払いで返せるというメッセージを、親たちに伝えることになってしまったのです。そのため、親は罪悪感も社会的な引け目も感じなくなり、こう思ったはずです。

「10シケル払えば遅れてよいの? それはいい(笑)」

20世紀から続く、私たちの人間の行動に対する主たる解釈は、人間は「非常に合理的で自分の利益を最大化する」ことです。この解釈通りとするならば、保育園との契約がなければ、何の制約もなしに行動したはずです。

しかし、これは正しくありません。人間は契約という罰則がなくとも、社会的な罰則に基づいて行動するのです。そして重要なのは、社会的罰則は契約的罰則よりも、寛大な文化を作るということです。

彼らは罰金を取ることを、12週間続けた後、罰金制度を無くしました。すると、実に興味深いことが起きました。何も変わらなかったのです。 罰金が解除された後も、罰金によって壊された文化は、そのままでした。

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経済的な動機と内発的な動機は共存しないというだけでなく、その矛盾は継続するのです。このような状況が起こる中で、重要なことは親が先生に支払うというような、経済的なやりとりによって変わる部分はどこか、そして社会的な信用によってかわる部分はどこかよく理解しておくということです。

思考の余剰が世界を変える

LOLcatsとウシャヒディに話を戻します。重要なのは、物事が起こる範囲の違いです。LOLcatsとウシャヒディは思考の余剰によって作られています。

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どちらも人間は作ることが好きで、共有したいと思うことを前提に作られています。LOLcatsとウシャヒディの決定的な違いは、 LOLcatsは参加者のみの中で、価値は作られ、共有されるということです。

Flickrの写真やYouTubeのビデオにせよ、ネット上の共同的な価値というのは至る所に見られます。これは良いことだと思います。私もLOLcatsは皆さん以上に好きです。でもこれは概ね解決済みの課題です。誰かが「可愛い猫の写真はどこで見つけられるんだ?」 と悩んでいる未来を想像するのは難しいことです。

対照的に、ウシャヒディは市民的、即ち広範囲な価値をもたらします。

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その価値は参加者によって作られますが、それを享受するのは社会全体です。ウシャヒディの目標は、参加者の生活を改善することだけでなく、ウシャヒディが使われている社会のすべての人の生活を改善することです。

そのような広範囲へもたらす価値は、単に人をより動機づけるという2次的効果を生むだけでなく、私達が集まって貢献をするという効果をもたらします。貢献できる自由な時間は、年に1兆時間余っています。それは毎年続きます。

このようなプロジェクトに参加する人の数は増えていくでしょう。人を抱えるようなコストをかけずともと、このような寛大な文化を持つ組織がものすごいことを成し遂げるのを目にすることができるでしょう。

これは20世紀に見られた大規模な組織の動きとは、異なったモデルです。発明家であり起業家であるディーン・ケーメンの言葉の通り、「自由な文化は、その文化が賞讃するものを手に入れることができる」という考えが、違いをもたらします。

私達には選択肢があります。つまり、年に1兆時間という自由な時間です。私達はその時間を無駄に消費してしまうこともあるでしょう。しかし、私達は思考の余剰を使い、公共的な価値を生み出そうとする人々をサポートすることもできるのです。そして私達がそのようにする度合いに応じて、社会も変わっていくことになります。ありがとうございました。

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