ファッションジャーナリスト 大内順子氏インタビュー 前編
取材・文: 合六美和 写真: 三宅英正 英語翻訳: 倉増アンバー
まだパスポートを取得することすらも困難だった時代、海外のファッションにまさか手が届くとは思いもしなかった時代に、単身で何度も渡欧を繰り返しながら数多くのメゾンの扉を叩き続け、日本の、ひいては世界のファッションジャーナリズムのひとつの原型を作り上げたのが、ここに紹介する大内順子だ。その最も知られるところに、「ファッション通信」*というテレビ番組があるが、この番組の洗礼を受け、ファッション業界を志したという人は、デザイナーやスタイリストはもちろん、編集者のなかにも少なくない。大内順子が歩んできたファッション人生とは?今に対する考察も交えながら語ってもらった。
* INFAS.com製作のファッション情報番組。1985年11月にテレビ東京で放送がスタートし、2002年4月からはBSジャパンでの放映。土曜午前11時、日曜の深夜11時の枠で、世界主要都市のコレクションの様子他を、臨場感のある映像と評論で伝え続けている。
- ファッション通信がスタートする以前は、モデルとして活動なさっていたと伺っています。大内さんが最初にファッション業界を志したきっかけは何だったのでしょうか?
モデルはただのアルバイト。それこそ、道を歩いていてスカウトされたクチです。当時のモデルといえば雑誌がほとんどで、私みたいに背が低くても(161㎝)大丈夫でしたから。ジャーナリストになりたいという思いは、漠然とですが、中学くらいからありました。それから大学に入って、モデルの仕事をしているうちに、ファッションって面白いなと思い始めた。そして卒業後、すぐにフリーランスになった。なぜフリーかというと、会社に入ってしまうと、もしファッションの担当になれたとしても、ある日突然人事異動で経理に回されてしまう可能性だってあるでしょう。それでは困ると思ったので。当時、肩書きは何?とよく聞かれましたが、その質問に対してはファッションのことを書く人、ということで、ファッションライターといっていました。そのうち、書くだけではなくテレビの仕事も始めるようになったあたりから、ファッションジャーナリストと名乗るようになったのかしら。
2/5ページ:「ジャーナリストであろうと何であろうと、私にとって肩書きは何でもよかった。」