2014-11-08

海燕は超越について考える前に校閲をおぼえてほしい

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar659973

まり意味不明だったもんで、日本語翻訳してみた。

以下訳文。もっといい訳ができる増田を求む。

 数年前、僕は『戦場感覚』という同人誌で、現代は「すべての人がその人なりの戦場を生きている」時代だと論じ、その超克として「ポラリス銀河ステーション」=ひとの戦いの根源である「愛=差別」が消失した世界を想定しました。参照したのは「よだかの星」などの宮沢賢治作品でしたが、これは文学のみならず人類普遍的イメージです。「超越的な世界」、つまりあの世や天国ですね。

 Wikipediaによると「宗教的行為の信頼できる証拠は中期旧石器時代(5-30万年前)から見つかっている」そうです。宗教、つまり神や魂、死後といった「超越的な世界」を考えることは、歴史の始まりから人類にとって欠かせない営みでした。なぜヒトだけが、他の動物と異なり、このような生物特性を獲得できたのか、僕は専門家でないからわかりません。

 ところが現代において宗教は影響力を失っています。神はいないし魂もない、人は死んだら消滅するという無神論常識となっている。けれど、それは私たちの「超越的なるもの」への欲求の消滅を意味しない。むしろ宗教が「人はどこから来てどこへ行くのか」という普遍的な問いに答えを出せなくなったことで、私たちはかえって強く「超越的なるもの」=人生根拠意識せざるをえなくなり、「超越的なるものの不在」=「生の不全感」に悩まされています

 こうした「生の不全感」を解消する為に、擬似的に「超越的なるもの」を生み出す物語、そんな「癒やし」の物語を、僕はファンタジーと呼んでいます

……ちゅうか、「世界が不合理な宗教の支配から解放されたのは基本的はいいことだけど、「神」や「運命」や「生きる意味」とかナシで生きるのはそれはそれでキツイってのもわかってきたよね。でも今更、宗教を復活させるわけにもいかない。そのためにファンタジー小説があるんだと思う」で済む。

それをなんでこんなだらだら書く必要があるのか。推敲してくれ。

以下原文。

次の文章日本語翻訳しなさい。(20点)

 数年前、『戦場感覚』というタイトル同人誌を出したのですが、いま思うと、ぼくがそこで語りたかったのはひとつの「世界観」でした。すべての人がその人なりの戦場を生きているという世界観ですね。

 そこで、ぼくはその戦場としての現世を超えた「超越的な世界」として「ポラリス銀河ステーション」なるものを想定しました。

 ひとの戦いの根源である「愛=差別」が消失し、一切の戦いが止む彼岸世界。楽園。その時に考えていたのは宮沢賢治の「よだかの星」や『銀河鉄道の夜』のイメージだったのですが、もちろん、「超越的な世界」のイメージは他にも色々な文学作品に登場します。

 そもそも、ひとはなぜ「超越的な世界」、あるいは「神なるもの」について考えるのでしょうか? Wikipediaによると、「宗教的行為の信頼できる証拠は中期旧石器時代(5-30万年前)から見つかっている」ということです。

 つまり、その頃からひとは現世を超えたもの存在を肌で感じていたのです。ひとはなぜそういうものを感じるのか? それは、ひとつにはひとが社会を形作る生き物だからです。

 つまり、ひとはほかの動物とは異なり、過去の人間の知見の上に自分人生を築いていく生き物であるわけで、つまりその意味で死者は死後も生きつづけることになる。

 その状況のなかで、何かしら一個人の生死を超越した「魂」といったものが想起されて行ったのでしょう。そして、「我々はどこから来てどこへ行くのか」という、あの超普遍的な問いとともに「神」や「楽園」といった「超越的なるもの」が生み出されていったのだと思う。

 もちろん、ここらへんはもう何冊か宗教学の本でも読んでみないことには何ともいえませんが……。

 そして、現代を生きるぼくたちは一見するとこういう「超越的なるもの」とは距離を置いて生きているように思えます人間には「魂」なんてないし、この世の外に「楽園」とか「天国」とか「浄土」なんてもの存在しない、すべては自分ひとりで完結して、死んだらそこで終わりだ、と。

 しかし、こういう考え方とは別にあいかわらず宗教的ものはぼくたちの日常存在しています。決してすべてが世俗化したわけではない。

 なぜなら、「我々はどこから来てどこへ行くのか」というあの問いには、未だに答えが出ていないからです。ただ、日常を超えた超越的なるものに触れる機会は、圧倒的に減少してはいるでしょう。

 そういう状況下で、ぼくたちはしばしば「生の不全感」に悩まされたりするわけですね。

 そして、その上でなお「超越的なるもの」を志向し、そういう生の不全感を癒やすために書かれた一群の物語を、ぼくたちはファンタジーと呼んでいます

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    anond:20141108004756 長い方が充実しているように見えるからでは? あるいは、文章量がノルマとして決まっていたから、水増しするためにダラダラ書いたとか。 プログラムの世界でも、非...

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    anond:20141108004756 ついでに言うと、あなたの訳文の下の解釈も少しずれている気がする。 宗教からの解放が「いいこと」と言っているが、主観が入っているのでは? 彼はよいとも悪いと...