プロフェッショナル対談

「100年に1人の逸材」棚橋弘至のキャリア論

新日本プロレス・棚橋選手に直撃!(前編)

 

長州さんの一声に今では感謝

塩野:今回は、棚橋弘至選手にキャリア論、ビジネスについての話など幅広く伺います。まずはキャリアの話からなのですが、大学を中退して新日本プロレスに入ろうとしたら、長州力さんに、「大学(立命館)を卒業してから来い」と言われたそうですね。

棚橋:大学3年生のときにテストに合格しまして、大学は辞めるつもりでした。この業界は一日でも早く入ったほうが先輩で、キャリアも長くなるので。でも長州さんに、「この仕事は何が起こるかわからない。練習がきつくて逃げ出してしまうかもしれないし、ケガで試合ができなくなるかもしれない。だから大学は卒業しておけ」と言われました。そのときは目の前が真っ暗になりましたね。

塩野:入門できないのが、それくらいショックだったということですか。

棚橋:いや、それもありますけど、もう大学を辞めるつもりでいたので、卒業に必要な単位が58単位も残っていたんです。でも1年間に登録できるのは60単位まで。4年生の1年間で、2単位しか落とせないわけですよ。だから1、2年生に混じって教室の一番前で授業を受けて、なんとか60単位とりました。今となっては卒業したことで親にも恩返しできたし、いろいろと役にも立っているので、長州さんには感謝しています。

塩野:若い人は夢に向かって一直線に走って行きたいから、普通はそういう我慢ができないじゃないですか。ビジネスマンなら、「もうここはオレのいる場所じゃない」と思ってしまうと、一刻も早く転職したくなる。若い時ほどそう思ってしまうものだと思いますが。

棚橋弘至(たなはし ひろし)●「プロレス界100年に1人の逸材」棚橋弘至。立命館大学在学時からレスリングを始め、1998年2月に新日本プロレスの入門テストに合格。99年に立命館大学を卒業し、新日本プロレスに入門。10月10日、後楽園ホールでデビュー。IWGPヘビー級王者の座に君臨。2014年4月に陥落したものの、10月13日、両国大会でIWGPヘビー級王座に挑戦し、激闘の末最後はハイフライフロー2連発で勝利。第61代IWGPヘビー級王者となった。

棚橋:そうですね。僕も新日本プロレスを辞めようと思った時期がありましたよ。チャンピオンになる前の、2004年とか2005年あたりです。自分の実力不足が原因なんですけど、相手を思い通りに動かせなくて、試合も盛り上がらない。これはもう新日本を辞めて米国でプロレスをやろうと思ったんです。でも、ちょっと待てよと。会社の規模から言えば新日本は米国の会社より全然小さい。新日本を変えられない人間が海外に行って通用するかと。じゃあまず新日本をどうにかしてからでも遅くないと思って、現在に至っています。

塩野:それは誰かに言われたからではなく、ご自分でそう思われたんですか。

棚橋:そうです。ちょっと古い考え方かもしれませんが、「今いるところで何もできないやつが、よそに行っても何もできない」と思い直しまして。別に新天地を目指すのが悪いと言っているわけではなく、ただ「オレのいる場所じゃないから」とか、「やりたいことができないから」すぐ移るのではなくて、そこで何かしら結果を出してからでも遅くない。すべて経験になるし、それがまた次の仕事の自信にもなると思いますね。

塩野:いま新卒の3分の1が、入社して3年以内に辞めると言われています。その言葉は重いですね。

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