なぜ良いデザインは悪いデザインから生まれるのか
Scott Berkun
Microsoft Corporation
2000 年 3 月 / 4 月
要約:良い UI のデザインに関する以前のコラムを補足します。(3 ページ)
私が以前に書いたコラム「使いやすい製品を作る:すぐれたユーザー インターフェイスを作るための略式工程」 の第 2 部を書くようにというご要望を何人かの方からいただきました。最近になってその記事を読み返してみたのですが、これはどうにもひどい代物でした。そこで、第 2 部なのですが、私のつもりでは、第 1 部に本当に薄くベールをかけた程度の改良版です。何も書かなければ、気付かれなかったかもしれませんが、ここで書いてしまったので、第 1 部と見比べてみて、第 2 部を書くのに 1 年もかかったあげく、せいぜいこの程度かというのでがっかりするかもしれません。
私が CMU で計算機科学と哲学の学生だったとき、インターフェイス デザインというもののすべてについて学ぶために、デザイン プロジェクトの授業を取りました。授業の最初の日、教室に行ってみると、一人の若い男が製図台に向かって、ウォークマン®のさまざまなデザイン バリエーションをスケッチしていました。近づいてみると、大きなスケッチブックには何十ものバリエーションが描かれていました。私はデザインについては素人なのだけれどと前置きして、なぜそんなにたくさんのスケッチが必要なのか聞いてみました。彼はちょっと考えてから、「いくつも悪いものを見てからじゃないと、いいアイデアだってことが分からないんだよ」と言いました。私はにこにことそれを聞いていたのですが、混乱し、キャンパスを横切って計算機科学の研究室に戻りたくなりました。デザイナならば、スケッチの数は少ない方がいいんじゃないだろうか?彼の言ったことは、何年も経ってみるまでは、本当のところを理解できなかったのです。
Microsoft に入社したとき、下手なアイデアを書き留めるのは私にとっては気恥ずかしいことでした。ミーティングに参加しているときや、通勤のバスに乗っているときには、アイデアをいつでも書き留められるようにノートを持ち歩いていました。しかし、それを他の誰かに見せたことはありませんでした。そこに書き留めたアイデアの多くはひどいもので、使い物になりませんでした。それでも、思いついたアイデアは、どんなにひどいものでも、特定の問題について、何か別の考え方をするためのヒントにはなりました。スケッチした新しいアイデアは、どれもそれまでのものより多くの情報を含んでいました。良くないアイデアは、それまで考えたことのなかった問題の重要な側面を浮き彫りにしました。5 つか 6 つのアイデアのうち、1 つや 2 つは実現性があるかもしれないものもありました。アイデアのスケッチをすることは、私にとって役に立ちましたが、それは他人に知られたくないことでもありました。どれほどたくさんのスケッチをしたか知られたら、ろくなデザイナではないと思われると考えたからです。
開発者やマネージャ、あるいはユーザビリティ エンジニアにアイデアを見せるときには、最高のアイデアを 1 つだけ出しました。最良の候補にだけ時間をかけて肉付けし、他のものについては何も聞かれないことを望んでいました。私はいつも間違っていました。Web ページのデザインには非常に多くのバリエーションがあるので、1 つのアイデアしか見せないと、何かをデザインできる人は(つまり、誰もが)、いくつかの代替案を示し、提示したアイデアが、彼らが思いついたものと違うのはなぜかと尋ねるのです。これは、いらいらが募るプロセスです。そこで出てくる代替案が、自分が一度考えたものであった場合にはなおさらです。なぜなら、そのアイデアも考えていたと言ったところで、誰も信じてくれるとは思えないからです。
苦痛に満ちたレビュー ミーティングを何度も繰り返し、年季の入ったデザイナからのアドバイスを得て、ようやくプレゼンテーションをする正しい方法を学びました。それは、最高のアイデアを補強するためには、他のアイデアも提示しなければならないということです。それ以来、全部のアイデアの中から、3 つから 7 つの、もっとも特徴的なあるいは意味を持った選択肢を選りすぐって提示するようにしています。ミーティングともなると、今ではさまざまなデザインのウォークスルーを行い、それらの間の主要なトレードオフが何であるかを説明します。アイデアについて論じるときには、私が推奨するアイデアによってのみ補いのつく欠点を強調します。そうすることで、私が推奨するアイデアが受け入れられやすくなります。また、しばしば誰かがデザイン A からある要素を取り出してデザイン B に付け加えてはどうかというような意見を出してくれます。詳しく肉付けしたアイデアを 1 つだけ出しているうちは、こうしたことはあり得ませんでした。
しばしば、私はきわめて困難な問題に関わることがあります。選択肢は、技術またはスケジュールの制約があるため、悲惨なものばかりです。2、3 日集中的に、しかし不毛なスケッチをしたあと、私は気が滅入り、ほかの人たちに意見を求め、やり直しを試みます。不思議なのは、妥当な選択肢はすべて考慮したと確信してから、演繹のプロセスが始まることです。これをあてにして、私はすべての可能な選択肢をホワイトボードに描き、にこにこと着席します。ホワイトボードのどこかに正解があることは分かっています。私のオフィスに立ち寄った人たちに、これからどうするつもりなのか聞かれたときには、少なくともそれを指差して、そのどこかに書いてあると言うことができます。このように選択の余地を含めるのは、心理的に有利です。決断をするために、それぞれの選択肢について、合否のリストを作り、判断を下すために、デザイナ、開発者、あるいはその他のキーパーソンの力を借ります。悪いアイデアの中からいちばんマシなものを選ぶのは、デザインの仕事のハイライトではありませんが、それは必要なことなのです。いくつものアイデアを追求する努力に支えられた正しいプロセスは、不可能な状況を耐えられるようにし、決断する自信をもたらしてくれます。
デザインの学生が私にスケッチを見せてくれたとき、彼は自分がデザイナなのだということを私に伝えていたのです。創造的で才能のある人はみな過程の価値を認識しており、よいアイデアを得るためであれば、他の人たちにたくさんの悪いアイデアを見せることを厭いません。悪いアイデアが姿を現すのは、製品ではなく、スケッチかプロトタイプまでにしておきたいものです。そのためには、たくさんのアイデアを探索する労力をかけるしかありません。高品質のデザイン ワークが重要ならば、マネージャにそうしたことができるスケジュールをたてさせ、考える範囲をそのスケジュールに合わせて変える必要があります。
デザインを考える上で陥りやすい罠は、完璧なデザインを求めることです。つまり、与えられた課題に対する唯一の正解があり、十分な時間があればそれを実現できるものだとデザイナが思い込んでしまうことです。多くの場合、考えられる最高のデザイン(そういうものがあるとすれば)の価値は、よいデザインとあまり違わないのです。特に、そのデザインを見出すのに 2 倍の時間がかかってしまえば。ジョージ S パットン将軍はかつて「よい計画を今実行するほうが、完璧な計画を明日実行するよりもよい」と書きました。自分のチームが従事している作業の競争力と予算の現実性を知り、デザイン作業の目標をそれに合わせて調整しなければなりません。大部分の Web のスケジュールでは、デザインに力を入れるポイントに優先順位を設けて、力を集中することが重要です。3 つか 5 つのユーザー タスクを、しっかりとした揺るぎのない作りにし、残りは単純ながらも必要十分なものして、それらに力を入れるのは次のリリースまで待ちます。
他の分野の達人について書かれたことを読んでいると、作業プロセスに共通点が多いことに気がつきます。すべての偉大な作家、画家、建築家、あるいは映画監督の仕事の質の高さは、そのたゆまぬ訓練によるものです。芸術の才能について問われると、彼らは魔法や神秘的なひらめきではなく、満足の行くものを生み出すためにどれほど多くの試行錯誤が必要だったかを語っています。
何人かの有名人の言葉を引用して、このコラムを締めくくります。こうした引用をするのが私の習慣になりつつありますが、こうした人たちの言葉のほうが私が書くことよりもありがたみがあるでしょう。
「建築家にとって 2 つの重要な道具は、設計室での消しゴムと建築現場でのハンマーだ」
――フランク ロイド ライト
ヘミングウェイは「武器よさらば」の結末を 39 回書き直したといいます。どうやって、この傑作をものにしたかを尋ねられたとき彼は、「1 ページの傑作を書くために、99 ページの屑を書いているのだ」と答えました。
「物理学者の最高の道具は屑篭だ」—アルバート アインシュタイン
「書き直し、改訂せよ。すでにある文章を徹底的に切り刻むことを恐れてはならない。・・・よい著述とはよい改訂のことなのだ」—ストランクとホワイト「Elements of Style」
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これまでのコラムと UI 設計のリソースについては、
http://msdn.microsoft.com/ui/ をご覧ください。