刑事裁判は、証拠があれば有罪となる。
証拠がなければ、無罪である。
舞鶴事件で無罪の男逮捕 殺人未遂容疑 - 社会ニュース : nikkansports.com
38歳の女性が刺され、相手の66歳男性が殺人未遂により逮捕された。
男は、女性から殴られたことにより女性を刺したとの供述をしているそうだ。
本件については今後詳しく捜査がされていくだろう。
問題は、この記事のタイトルにある。
今回逮捕された男は、08年に京都府舞鶴市で女子生徒が殺害された事件、
いわゆる舞鶴高1女子殺害事件にて逮捕・起訴され、被告となった過去がある。
事実としては間違いない。
この事件では男の無罪が確定している。
そこに感情が騒ぐのは個人の感情としても仕方ないかもしれない。
誰だって疑惑の人間は疑いたくもなる。
でも裁判所の失態のように騒ぎ立てる人たちは未来でも予測していたのだろうか。
「あのとき有罪にしていれば」
「当時の裁判官の責任を問え」
最高裁判所裁判官国民審査にて我々にもチャンスがある。
だが今回の事件をきっかけに舞鶴の判決を批判するのは結果論に過ぎない。
未来の、起こるかもわからない事件を防ぐために有罪にされることはあり得ない。
そう書けば、いかにおかしなことを言っているのか分かる。
「舞鶴の事件もコイツだったに違いない!裁判官は責任とれ!」なんて言っている人は自分の思い込みが入っていることを十分に自覚したほうが良い。
冤罪でも、それは正義なの?
生来の極悪人だから舞鶴でもコイツがやったに違いない!と言えるかもしれない。同時に、生来の極悪人だから無実なのに舞鶴では疑われやすかったんだ…とも言えるのだ。
まず言いたいのは、裁判所も所詮は裁判官という人間が務めるから全知全能ではないということ。人が裁くとなると間違いも生まれやすく、だからこそセーフティネットとして推定無罪という原則がある。
推定無罪…検察官が被告人の有罪を証明しない限り、被告人に無罪判決が下される(=被告人は自らの無実を証明する責任を負担しない)という原則。完全に有罪の証拠がでない限りは無罪、疑わしきは罰せずとか。
舞鶴事件に限らず、現行犯でもない限り有罪か無罪か判断するときは
「黒か白か」ではなく「黒か黒ではないか」に過ぎない。
限りなく黒に近いグレーだったとしても無実だったとき、有罪にされたらそれは冤罪だ。それを防ぎたくて(勿論、完全に冤罪をなくすことはまだ出来ていないのだが)この推定無罪の原則が存在する。これが無かったら、日頃の行いが悪いとか友人がいないとか無職とかそれだけで冤罪が生まれるかもしれないのだ。自分が当事者となったとき、どう思うだろうか。
少なくとも私は、無実の罪は着せられたくない。
「人」ではなく「行為」を裁く
今回の男だってそれは例外ではない。
彼には前科がある。懲役刑も受けた過去がある。
だがそれは本件とは全く関係ないのだ。
勿論、人は一度やってしまったことは癖になりやすい。ハードルも下がる。
それでも「前科があり、また事件を起こしたから過去の無罪も実は有罪だった」とは言えないのである。「極悪人でもこのケースについては無実」なんてことは意外とよくあることで、それを全く知らないのであれば悪人にあまり出会ったことがないんだと思うよ、あなた。
裁判所は人ではなく、行為を裁くのである。
冤罪は生みたくない
裁判所は過去に冤罪をいくつか生んできた。
警察が証拠をでっち上げたり自白を強要したこともあったかもしれない、裁判所が間違えてしまったこともあるかもしれない。原因がどこにあるかは事件によりけりだろう。
ただ少なくとも言えるのは、司法である裁判所は冤罪を産みたいなんてこれっぽっちも思っていないということだ。それは裁判所の仕事ではないし、なんのメリットもないからだ。
今回の事件を機に過去の無罪判決が覆るようなことはあってはならない。そこでは裁判所の威厳なんてどうでも良い。ニュートラルに物事を判断できないことが問題なのだ。
「充分に疑える」というだけで罪を着せられたら、大嫌いな冤罪が増える。
かの袴田事件では数十年経ってようやく冤罪が認められ、出所した袴田さんのことを、皆、暖かく迎えたのではないだろうか。
今回の事件が起きてから舞鶴事件の判決について批判するのは、彼のような悲劇を生みだしかねない動きを取っているということに、どうか気づいて欲しい。
それは前科があろうが、未来で事件を起こそうが、変わらないことなのである。
※刑事事件で一度判決が確定したらその判決は覆らない(というか再度実体審理が行われることはない)これを一事不再理という。
(※いつも苦労していたタイトル付に今回も引っ掛かっていたらやっぱり大好きなズイショさんが引っ掛かってたしだよね~ってなってタイトルを変えたよ!でも全文読み返してないからやっぱりこれでもないなって思ってるよ!)