→V.Williams/Concerto│Hindemith/Sonata(製作中)
ヴォーン・ウィリアムズのテューバ協奏曲〜その成立と分析〜
(この小論は随分と昔にレポート提出用にまとめたものを再編成したものです。細かい部分で訂正を行う可能性があることをご了解下さい。)
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ略歴
テューバ Tubaが現在のようにオーケストラの中に定位置を得たのは音楽史的に比較的新しい時代で、テューバ以前に低音管楽器として用いられていたセルパン Serpent、オフィクレイド Ophicleideとそれらの派生楽器からテューバがその位置を完全に取って代わったのは、ベルリオーズ、ヴァーグナーを端とする19世紀ロマン派の時代以降と考えてよい。オーケストラの機能が当時の作曲家たちによって拡大され、その結果音量・音域共に彼等の要求に絶えうる楽器として発明されたのがテューバだったのである。しかしながら、テューバがその演奏の分野を独奏曲まで広げたのは更に遅く、第2次世界大戦以降までその登場を待たなければならなかった。楽器自体の性能、演奏者の能力、両者のレヴェルが当時の作曲家たちを触発しなかったということは一つの理由として考えられる。また、何処かユーモラスな感をもたらすこの楽器の持つ独特な音色と独奏曲という分野とを結びつかせることは容易でなかったのかもしれない。このような状況の中で、音楽史上最初に書かれたテューバとオーケストラのための協奏曲がレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ Ralph Vaughan Williams (1872-1958)の《テューバ協奏曲》 Concerto for Bass Tuba であった。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズはグスタフ・ホルスト Gustav Holst (1874-1934)と共に、20世紀前半に「イギリス音楽のルネサンス」を築き上げたイギリス最大の作曲家である。王立音楽大学とケンブリッジ大学で学び、ベルリンに留学してブルッフ Max Bruch (1838-1920)に、パリではラヴェルに師事した。オルガン奏者、トロンボーン奏者としても活動していたこの修業期間中にイギリス民俗音楽を研究し、30歳頃から本格的作曲活動に入る。国民主義的作風から出発した彼は1934年のホルスト、エルガーの死後、イギリス音楽界の指導的作曲家として活躍し、晩年に近づくにつれて一層精力的な創作を行った。彼の音楽は9曲の交響曲(第2番《ロンドン》が有名)をはじめ、オペラ、協奏曲、室内楽曲、声楽曲など多岐に渡るが、その多様な音楽形式の根底には、常にイギリスの17-18世紀の音楽、伝統的な民謡や賛美歌の世界が存在する。エリザベス朝時代の旋法やイギリス東岸の民謡から影響を受けた親しみやすい旋法的な旋律が和声の流動的な運動と結びつき、ラヴェルを思わせる透明なオーケストレーションによって歌われるのが、彼の特徴といってよいだろう。彼の生涯において作曲された協奏曲、若しくは協奏曲的な作品(独奏楽器を伴うもの)は次の通りである。
作曲年 | 作品名及び編成 |
---|---|
1902-4 | Fantasia for pianoforte and orchestra |
1914, rev. 1920 | The Lark Ascending, a Romance for violin and small orchestra |
1925 | Flos Campi for viola, wordless chorus, and orchestra |
1925 | Concerto in D minor for violin and strings "Concerto Accademico" |
1929 | Fantasia on Sussex folk tunes for cello and orchestra |
1926-1931 | Concerto in C major for piano |
1934 | Suite for viola and orchestra |
1944 | Concerto in A minor for oboe and strings |
1946 | Concerto in C major for 2 pianos |
1949 | Fantasia on Old 104th Psalm Tune for piano, chorus, and orchestra |
1951 | Romance in D flat for harmonica, strings and piano |
1954 | Concerto in F minor for Bass Tuba and orchestra |
以上のように、ピアノの為の曲が4曲、ヴァイオリン、ヴィオラ共に2曲、チェロ、オーボエ、ハーモニカ、テューバの為の曲が夫々1曲となっている。テューバと同じく、ハーモニカといった独奏楽器としては珍しい楽器を取り上げていることは注目すべき点であろう。また彼は後期の交響曲でウインド・マシーンやテューンド・ゴング、フリューゲルホルンと3本のサクソフォーン等を用いており、こういった新たな楽器の使用の可能性を用いて従来の管弦楽における音楽語法の拡大を考えていたことが推察される。加えて前述のように修業時代にトロンボーンを吹いていたことなどから、管楽器の扱いには書法的にも実際的にも通暁していたと考えられる。このことは《テューバ協奏曲》を作曲する上で大きな要素となったと考えらよう。
次に、《テューバ協奏曲》の初演時の状況について述べていこう。
《テューバ協奏曲》の初演とその周辺
原題 | Concerto in F minor for Bass Tuba and Orchestra |
---|---|
作曲年 | 1954 |
楽器編成 | 独奏テューバ フルート2(2番はピッコロ兼) オーボエ クラリネット2 バスーン ホルン2 トランペット2 トロンボーン2 ティンパニ パーカッション2 (サイドドラム、トライアングル、バスドラム、シンバル) 弦5部 |
楽章構成 |
I - Allegro Moderato (Prelude) II - Romanza (andante sostenuto) III - Finale (rondo alla tedesca) |
演奏時間 | 13 minutes |
初演日時 | 1954年6月13日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおけるロンドン・シンフォニー・オーケストラのジュビリーコンサート |
初演者 | フィリップ・カテリネット独奏、サー・ジョン・バルビローリ指揮のロンドン・シンフォニー・オーケストラ |
献呈 | ロンドン・シンフォニー・オーケストラに。 |
初演当時のプログラム・ノートには作曲者自身の次のような言葉が掲載されている。
この協奏曲の形式はウィーン楽派(モーツァルトやベートーヴェン)のものよりも寧ろバッハのそれに近い。しかしながら、第1、第3楽章は両方とも手の込んだカデンツァで終わり、この点ではモーツァルトやベートーヴェンの形式と同様である。この音楽は全く単純で明白であり、(わざわざ)このような説明がなくとも聴くことが出来るであろう。楽器編成は木管楽器とホルン2、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ、パーカッション、そして弦楽器という所謂「シアター・オーケストラ」の編成で構成されている。(1)
作曲の動機は、前述のようにロンドン・シンフォニー・オーケストラによるジュビリーコンサートの作品委嘱を受けたことなのだが、何故その素材としてテューバの為の協奏曲を思い立ったのかは残念ながら明らかにはなっていない。当時の世評は余りよいものとはいえなかった。初演前、及び初演当時の2つの例を挙げよう。
初演前:("Tuba: Composers, Please note!".Music, London, 1952.)
志の大きな演奏家にとってその将来は微かな希望を持てなくもないだろう。テューバによって表現されるべき才能たるものに、幾らかは働き口があるやも知れぬ。作曲家もこの楽器を熱心に研究し始め、自分達の才能を誇示する為の曲が作られるであろうか?そうすればテューバ奏者にも夜明けがやってくるかも知れぬ。ウィグモアー・ホールでのリサイタルやロイヤル・フェスティヴァル・ホールへの出演、アルバート・ホール、カーネギー・ホール、ワールドツアーも夢ではない???(2)
初演当時:
現在81歳であるヴォーン・ウィリアムズが、バステューバの為に協奏曲を書いた。この曲はレコード化されると同時に、来月フェスティヴァル・ホールで催されるLSO(ロンドン・シンフォニー・オーケストラ)の祝典コンサートでも演奏される。彼の前作であるハーモニカの協奏曲はラリー・アドラーのテクニックで辛うじて成功を収めた。今回ソロ・パートを務めるのはLSOの主席テューバ奏者フィリップ・カテリネットである。彼は肺活量の全部を使い切らなければならないだろう。通常テューバというものはトロンボーンのハーモニーの基礎を成すためのものだ。今回の20分間に及ぶ独奏はかなり手強い仕事となるであろう。(3)
しかしながら、初演後には幾らか好意的な批評も見られる。
…この曲については押し付けがましい所や、何かをもじったような所はない。テューバにステージの中央に立つまたと無いチャンスを与える為、作曲家はその表現力を研究するかなりの努力を惜しまなかった。…(中略)…決して代表作とはいえないが、恐らく代表作足りうる作品であろう。(4)(Michael Kennedy, Liner notes for SJB102)
また、初演で独奏者の任を果たしたフィリップ・カテリネットと作曲者との初演前のリハーサルにおける記録は、次のようなものが残されている。
…作曲家は私が作品の解釈に対して余り気を使いすぎないようにと強調しました。
…フレージングやスラーの納まり方などについては、お互いに理解を得られました。
…初期のピアノ版では書かれていなかった第1楽章のカデンツァに現れる2つの短い高音域のフレーズは、結果として初演では省かれることとなったのです。
…(第3楽章において)初演後に作曲家はこの部分がジャーマンワルツであることと、レコーディングのときはより安定したテンポ間を強調することを指示してきたのです。(5)
それでは、次の章において分析を行っていく。→分析へ
(註)- Kennedy, Michael. A Catalogue of the Works of Ralph Vaughan Williams. London: Oxford University Press, 1982. pp.229-300.
- Catelinet, Philip. "The Truth About the Vaughan Williams Tuba Concerto". TUBA Journal, Greenboro: T.U.B.A., 1991. p.67.
- Ibid., pp. 68-69.
- Ibid., p. 71.
- Ibid., p. 69.
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