2 仲違い
俺は今日この日まで人を殺した事が無い。
もっと言えば、人間大の動物を殺した事も無い。
さらに言えば、犬レベルの大きさの動物も殺した事が無い。
殺す。
言葉にするのは簡単だ。
誰もが一回は使った事があるかもしれない。
「オラァ!!」
でもせいぜい、虫を殺したとかその程度だ。
掌より大きな生物を殺す機会は、こと日本においてそんなにない。
あってはならない。
魚程度なら締める目的で、殺す事はあるかもしれない。
その程度だ。
魚だ。
「くっそぉ!!」
俺は人を殺した事が無いし、『奴ら』を殺した事も無い。
人はどれだけ殴れば死ぬのだろうか。
くそくそくそ!!
何で死んでくれないんだ。
何故まだ立ち上がる!?
「もうやめてくれ! 秀!」
頭を砕いたと思ったが、それは俺の幻想に過ぎなかった。
俺が持っているのはただのほうき。
一番とがっている部位で殴ろうと思うと、ピンポイントでほうきを振りぬかないといけない。
それが意外に難しい。
殴る俺の方が苦しんでいる。
『奴ら』になった秀は、それはさながら映画で出てくるようなゾンビのようにゆっくりと進んでくる。
もう何回も殴った。
でも当たり所が微妙に悪い。
顎下だったり、殴るポイントが微妙にずれる。
ほうきの柄の部分で殴ったりするし、焦って空振る事もある。
根本的に人を殺すという事に抵抗がある。
いくら学校で悪ぶろうとしても、精々授業に出ないとかその程度だ。
基本は仲良し子よしで生活してきたというのに、今この瞬間から人を殺せだなんて無理だ。
ほうきを振るが、またしてからぶった。
ただの牽制にしかなっていない。
「こっちに来ないでくれ……。頼む……」
そう小さな声で願うが、『奴ら』と化した秀にその願いは通じなかった。
覚悟を決めるしかないのか。
ふぅー、と大きく息を吐く。
バットを振るように構えた。
これならどこ殴っても、相当な痛手になる。
もう一撃必殺は願わない。
すまない。秀。
すでに『奴ら』と化したお前にとって、人間のまま殺してくれという願いはもう叶わない。
もはや俺にとっては、お前はただの敵になってしまった。
ゆっくりと秀が進んできた。
秀が進んできた。
「秀……」
脳裏に懐かしき日々がフラッシュバックする。
手が震える。俺は、幼馴染を殺そうとしている。
もう、やめたい。
ただ、後ろにいた杏奈は俺が秀を殺そうとしている様に見えたようだ。
後ろかは羽交い絞めにされて、投げ飛ばされた。
背中から屋上の床に叩きつけられた。
「ぐはっ!」
肺から空気が漏れる。
投げ飛ばした本人は、秀に抱き着いていた。
「もうやめて! こんなことやめようよ……!」
おい、おいおいおい!
なにやってるんだ、あいつ。
もうパンクしてんのか?
状況理解してるのか。
『奴ら』に噛まれたら、問答無用で『奴ら』になるんだぞ。
それが秀が命をささげて残してくれた最初で最後の情報なんだぞ。
それを無駄にする気なのか。
抱き着かれた秀は、顔を下に向けた。
そこには杏奈の首筋がある。
噛まれる。
そう思った時には駆け出していた。
「許せ、秀!!」
殺してくれと願ったのはお前だ。
文句はあの世で聞く。
もう叩くのは終わりだ。
突く。
ほうきを持ちかえて、先端で秀の顔面を突いた。
気持ち悪い声を出して、秀が数歩、後退した。
「何してんのよ!?」
取り残された杏奈が罵声を浴びせかける。
この女、理解していない。
「もう殺すしかないんだよ! 分かってんのか? 今お前は殺されかけたんだ!!」
「誰が助けてって言ったのよ!? 私は秀のいない世界なんて嫌よ!」
「じゃあ、お前も『奴ら』になって、グラウンドの連中みたいに人を喰いたいのかよ!? あぁ!?」
「誰もそんな事言ってないでしょ!! 秀はまだ死んでないじゃない! まだ生きてるわ! 何で殺そうとするの!?」
「秀が殺してくれって言ったからだ!」
「そうやって考えるのを放棄しているのよ! 久志はいつもそうよ、秀、秀って。だから私は――」
「おい!」
『奴ら』となった秀がいつの間にかすぐそこまで来ていた。
もう一撃加えようとすると、杏奈がほうきを掴んできた。
「何すんだ、離せ!」
「離さないわよ……! 秀は殺させない!」
糞アマが。
こんな女を好きになりかけていたと思うと、うんざりする。
引っ張り合いになっていたほうきを手放すと、杏奈は体勢を崩してまた尻餅をついた。
こけた所でほうきをかすめ取った。
「アッ!?」
「そこで座ってろ!!」
秀が一歩踏み出す。
その瞬間、片足に全体重がかかっている。
そこを狙う。
「こけろ!」
秀の右足を狙って、すくい上げるようにほうきを振った。
足を狙う分なら余裕だ。
当てるだけならどこに当たっても良い。
両手で全力を振り絞り、秀を転がす。
「ゴェ……!」
秀が立ち上がろうと両手を屋上の床に着いたところで、さらに近づいた。
怖い。
噛まれたら終わる。
走りながらもう一発秀を殴る。
いや、秀じゃない。『奴ら』だ。認識を変えなければ。
『奴ら』は地面とキスしたあと、また起き上がろうとする。
その若干の時間。
これが欲しかった。
ほうきでは殺せる気がしない。
せいぜい打撲が限度だ。
秀の背後を取った。
髪の毛を鷲掴みにして、コンクリートの床に思い切り叩きつけた。
「死ね! 死ね、死ね、死ね!!」
後何回叩きつければ死ぬのだろうか。
コンクリートの床は血にまみれ、同心円状に赤い血だまりが広がっている。
片手に全ての力を集約して、『奴ら』の頭をコンクリに叩きつけること数回。
『奴ら』は完全に動かなくなった。
殺した。
殺してしまった。
取り返しのつかない事をしてしまった。
手は真っ赤に染まっている。
幸い、噛まれてはいない。
ふらふらと立ち上がった。
杏奈が遠くから罵ってくる。
何で殺したの、人殺し。
そんな事を連続で吐きまくる。
杏奈に向き直って反論した。
「じゃあなんだ!? 黙って殺されればよかったのか!? どうすればよかったんだよ! 代案も出さないくせに、俺の行動。秀の考えを否定するな!」
「そういう所が駄目だっていうのよ! 人の考えでしか動かない所が!」
「今そんな事関係ないだろ! お前はただ後ろで怯えて縮こまっていたくせに! 本当に秀を殺されたくなかったんだったら、盾にでもなってればよかったんだよ! 所詮その程度だったんだろ!」
「久志……!! あんたぁっぁああ!!」
殴り合いに発展する。
よくある事だ。
ただ今回は互いの逆鱗に触れただけだ。
全国レベルの陸上選手権に出る杏奈が本気になった。
だが俺だって男だ。
二人して拳を構えた所で、前園が強引に扉を開けてきた。
固まった。
あれだけ机を積んでおいたのに、あれを開けたのか。
ますます『奴ら』は規格外というのが分かる。
「チッ」
「前園か」
俺も杏奈もイラついている。
俺は杏奈に行動を否定され、杏奈は俺に秀との絆を否定され。
憂さ晴らしにはもってこいだ。
「ほうき貸してやるよ」
「いらない」
「持っとけって」
「机使うからいらない。それから喋りかけないでくれませんか?」
「そうかよ……」
もう駄目だ。
仲良くなれそうにもない。
他人行儀になっているし。
こうも容易く人との信頼はぶち壊れる物なのか。
人一人が死んで、異常な状態がこうやって理性を崩壊させる。
だって、前園を『強制停止』させる事に、さほど違和感を感じていない。
さっきのは秀だったからだ。
幼馴染を殺すという責任の重さを杏奈は分かっていない。
俺がどれだけ血の涙を流しながら、秀を殺したと思っているのか。
お前は重責を負わずして、この結果を手に入れたんだ。
「それを理解してない!!」
ただ胸の内に溜まるどす黒い感情を吐きだすために、ほうきを振るった。
すでに血まみれになっている前園は、倒す事は容易そうだ。
いや、言葉を濁す事は止めよう。
殺す。
「邪魔よ!!」
杏奈が机を抱えて、そのまま走ってきた。
そのまま前園に突撃した。
前園は衝撃に耐えきれず、その場で転倒した。
杏奈は机を思い切り、前園の顔面に叩きつけた。
投げつけるようにして放たれたそれは、前園を沈黙させるのに十分だった。
念のため数秒様子を見るが、これで終わりのようだった。
「これで分かったかよ。殺人鬼が」
杏奈が睨んでくる。
「友達殺すよりマシよ」
「当たり前だろうが。それくらい分からないのかよ」
杏奈は舌打ちして、屋上から去っていった。
最後に秀を見ていた事は、バレバレだ。
俺もすぐに追いかけたいが、最後に秀を見た。
そこには血の海に沈む親友がいた。
「すまない……」
この世界で一人で行動するのは、自殺行為だ。
秀ならそう言うはずだ。
嫌でも、杏奈と行動しなくてはならない。
どうして、こんな風になってしまったのか。
さっきまで平和だった世界は、完全に終わりを告げていた。
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