1989~90年に衆院議長を務め、「タムゲン」の愛称で知られた自民党の元衆院議員、田村元(たむら・はじめ)さんが、1日、老衰のため東京都渋谷区の病院で死去した。90歳だった。近親者で密葬は営まれた。12月に都内と三重県松阪市で「お別れの会」を開く予定。連絡先は女婿の盛山正仁・衆院議員の事務所(03・3581・5111)。

 55年に30歳で初当選し、旧三重2区から連続当選14回。89~90年に衆院議長を務め、96年に引退。自民党では故大野伴睦氏系の党人派だった。前厚生労働相の田村憲久・衆院議員は、おいにあたる。

 82年の自民党総裁選では総理・総裁分離を、84年には「二階堂(進・元副総裁)擁立劇」を画策するなど「政界仕掛け人」と言われた。86年から約2年半にわたり通産相を務め、日米経済摩擦や東芝機械の対共産圏輸出統制委員会(ココム)規制違反などの問題の処理にあたった。

 田村元氏は戦中の学徒勤労動員先の長崎で被爆。2008年に朝日新聞のインタビューに応じ、「半年間ぐらいは高熱が出たり、歯茎から血が出たりした」「戦争というものは恐ろしい。これだけは死ぬまで言い続けよう」と語っていた。

 初当選から引退まで「ずっと護憲を貫きました」と述べつつ、「護憲で一貫してきた社会党(現社民党)が小さな政党にされてしまった。国民もあまり憲法改正に関心がないんだな。そこに、戦争の経験がない今の若い政治家たちが単なる感情論で議論したら、大変なことになる」と話した。

 9条をめぐる論議は「とにかく慎重に。それが僕の願いだ」と強調。「9条を改正してしまえば、自衛隊を大きくせい、核武装しろ、という意見も出てくるだろう。少なくともロシア、中国、北朝鮮から攻められても守りきれるような軍隊を持てという声が、また起こってきはせんだろうか」と危ぶんでいた。