昔、10代の頃に私は路上ライブをやっていました。
私が主にライブしていた場所は、電車の駅前で、近くには歩行者用のトンネルも通っていたので、私はそのトンネルの中で路上ライブをしていました。
私は特別に楽器が上手いほうではないのですが、ちょこちょこ立ち止まって歌を聞いてくれる人たちがいましたし、中には私のファンだという奇特な人もいました。
とある中学生は、中学生にとって大金であろう1000円札を手紙と一緒に包んで、
「その曲は、彼氏との思い出の曲です。感動しました。」
というメッセージをいただいたこともあります。(ちなみに曲は、GLAYのHoweverでした。)
視覚障害者の方で、私の前を通るたびにジュース代として120円(当時の自動販売機の缶ジュースの値段)を置いていってくれる人もいました。
そのように色々な方と交流をしていたのですが、そこはトンネルです。ホームレスと呼ばれる家の無い路上生活者もいました。そういった、とある一人のホームレスのおじさんと交流する機会がありました。
いつもそのトンネルにダンボールを敷いて横たわっていました。でもきっと、私の歌を聞いてくれていたのだと思います。
ある日、そのおじさんが配給の弁当を私にプレゼントしてくれようとしました。しかし、相手はホームレス。自分の食べ口にも困っているのではないのか? と思いながらも、せっかくのご好意なのでそのお弁当をいただきました。
そのお礼といってはなんですが、当時は12月。冬真っ只中だったので、あったかいお茶をコンビニで買ってきて、そのおじさんにプレゼントしようとしました。
しかし、そのおじさんはそのお茶の受け取りを拒否しました。
おじさん「金ならある。そんな気を使わなくてもいい。」
そのようなことを言っていたのを覚えています。どう考えてもお金が無いからホームレスをやっていると思うのですが(中には、資産家なのにホームレスをやっているような変わり者もいるから世の中って分からないのですが……。)私は、無理強いは良くないと思い、お茶を渡すことは諦めました。
今思えば、ホームレスはホームレスなりにプライドがあるんだろうな、と思えるのですが、当時の私にはそのことが理解出来ていませんでした。
そんなやり取りがあってから、私が歌いに行った時におじさんがいれば、毎回挨拶をするような関係になっていました。無愛想なおじさんでしたが、いつも私の演奏を聞いている、ということだけは雰囲気で伝わっていたので、とても嬉しかったのを覚えています。
しかしある日、そのおじさんを見かけなくなりました。
ホームレスは不衛生な、そして栄養も偏った食事しかきっと出来ていないはずです。もしかして身体でも壊したのか、最悪、亡くなってしまったのかは今でも分かりません。
ただ、私は超が付くほどの変わり者です。ホームレスのような世間一般とは違う世界を生きる人と交流が出来たことが、その経験がとても嬉しかったですし、今でもそのことは私の知識の一部となって、こうやってブログなどの話のネタになっています。
私は高校も一度ドロップアウトをし、アウトローな世界でも生活してきました。(犯罪行為は一度も行ったことはありませんが。)ただ、そういった「普通とは違う」世界を生きてきたことで、普通に親から敷かれたレールを生きてきた人たちとは、違う話が出来ている。(親に敷かれたレールも悪くないですよ。私はそういう生活を送ってみたかった。人間、無いものねだりなんだねぇ。)だからこうやって小さいブログながらも読者さんが、だいちゃんファンが居てくれる。
きっと、「普通」な人生を送ってきたら、今のような文章は書けないだろうし、そうするとブログには読者もファンも付かなかったかもしれない。そう考えると、普通じゃない人生も悪くないものだな、と思えるものです。
話は若干それてしまいましたが、そのホームレスのおじさん、今でも生きていて欲しいなぁ。
ホームレスのような自分の食い扶持にすら困っているような人でも、自分で食べても許されるような弁当を全くの他人である私にくれました。きっと真冬に外で演奏している私に気を使って弁当を持ってきてくれたのでしょう。
しかし現代人は、ある程度裕福で金銭的に余裕のある方でも、この長く続く不景気のせいで心の栄養が足りず、やせ細ってしまったのか、他人に優しく出来ない人が増えていると思います。
見た目は、私に弁当をくれたホームレスのおじさんより綺麗かもしれません。金銭的にもホームレスよりは裕福でしょう。でも、心が貧乏になっていませんか? 心が貧乏だとどんなに着飾っていても、お金を持っていても人間的に魅力が無い。
だいちゃん(∀)